JunkStageをご覧の皆様、こんにちは。
最近、めっきり朝夕が涼しくなり、秋めいてまいりました。秋といえば芸術の秋、スポーツの秋など色々な秋がありますが、今月は食欲の秋をテーマにこのライターさんをご紹介させていただきます!
■vol.35 和菓子職人・高橋由美さん
――可愛くておいしい和菓子を作って、食べた人を笑顔にできる。なんだか、すごいですよね。(高橋由美)
専門学校卒業後、自らの店を持つことを目標に大和市内の2軒の和菓子舗で修業を続ける和菓子職人。食べておいしく見て美しい和菓子の世界の担い手として日々研鑽を積んでいる。
http://www.junkstage.com/takahashi/
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高橋さんは、現在神奈川県大和市にある2店の和菓子舗(「みどりや」さん、「鈴木屋」さん)に勤務される和菓子職人。製菓の専門学校を卒業後、現在も勤務されているお店に職人として入り、いつかご自身のお店を持つことを目標に日々おいしいお菓子を作り出しています。
ところで、高橋さんの上記の経歴のうち、面白いのはもともと彼女がパティシエを目指していたというところ。勉強を重ねる中で、また、幼いころから嗜んでいた茶道の影響もあり、和菓子の道を志したという変わり種です。
JunkStageでは主に季節の和菓子や、その時期の歳時記などにちなんだコラムを連載してくださっていますが、……どうにも読んでいておなかがすいてしまうのは、その美味しそうな和菓子の数々!
▲練り切りで作られた菊、サンタ。和洋いずれも造作が素晴らしい!
また、私が高橋さんのコラムをお勧めする理由のひとつは、和菓子が季節感を大事にしているものだと感じられる部分です。春の雛祭り、冬といえばの雪だるま、秋にはきんとんで表現された紅葉……。、そして季節限定感が楽しい苺大福!
いずれも芸術品のような、小さくて美しいお菓子たちは、目でも舌でも楽しませてくれる存在です。高橋さんがいみじくも言うように、「可愛くておいしいお菓子」の力は偉大だと感じられる作品たちは、まさに特別な日のおもてなしにも最適なのではないでしょうか。
また、お菓子にまつわる知識が増えるのも甘党としては楽しいところ。
普段何気なく口にしている求肥や雪平、練り切りが実はもともとの材料が同じであるとか、茶席での出入り和菓子屋さんの苦労、あるいは、和菓子屋さんならではの理想の女の子「白餡女子」など、トピックの選び方や語り口はまさにプロの女性職人ならではの遊び心ある着眼ばかりです。
普段美味しく頂いている和菓子の一つ一つの名前の由来なども謂れのあるものが多く、たとえばこちらの「調布」というお菓子は租庸調という税制度に由来したものだとか。お正月といえばの花びら餅は宮中行事に由来すること、和菓子屋さんの作る恵方巻、お盆に供えるお迎え菓子。
ざっと列挙しただけでも、何気なく店頭で見かける和菓子がいかに創意工夫を凝らして発展してきたものかと感心してしまいます。
もちろん、これらの知識・背景を知らなくてもお菓子のおいしさは変わらないと思いますが、ちょっとだけ得した気分になって、ますますおいしくお菓子を味わえそうな気がしませんか?
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高橋さんは現在、和菓子職人として厨房にたつ傍ら、茶道でもお弟子さんをとるほどの腕前。2店舗を掛け持ちして働いていることを考えれば、圧倒されるほどの仕事量です。にもかかわらず、高橋さんのコラムには、甘味と同じよにゆったりとした気持ちになれる“何か”があるような気がします。
その“何か”とは、夢に向かってまい進しているからこその余裕なのではないでしょうか。
旅行のたびに土地の和菓子舗やケーキショップにはいって研究したり、他の職人さんの言葉に謙虚に耳を傾けたり、時間があれば講習会へ通うほど勉強熱心である高橋さん。その、自分の店を持つという夢に向かって着実に進んでいる手ごたえが、ゆとりとなって、読むものをくつろがせるのではないか。
高橋さんのコラムを読んでいると、どこかそんな確信めいた余裕を感じます。
そして、そのゆったりとした空気と添えられた写真を眺めていると、たまには丁寧に緑茶を淹れて生菓子を頂こうかなという気持ちになる。
これは、得難い高橋さんのコラムの特徴であり、美質であるような気がします。
JunkStageをご覧の皆さん、こんにちは。
突然ですが、あなたは歯医者さんがお好きですか? わたしは苦手です。あの、きゅいーんという特有の歯を削る音もさることながら、削ることになるまで歯を放置してしまっていた自業自得感がとても嫌なのです。
が、本日取り上げるこの方は、そうならないための「予防」 に重点を置かれる歯医者さん。歯に不安のある方もない方も、ぜひ読んでいただきたいコラムです。
■vol.34 予防歯科医・根本啓行さん
――あなたが自分の歯について「治療」と「リハビリテーション」を混同してしまうことは、あなたの歯にとって致命的であり、今後の人生にきわめて悲惨な結果をもたらすのです。(根本啓行)
歯科医として「歯」の維持や機能、治療に関する正しい考えの啓蒙に務める傍ら、予防歯科医として臨床研修指導医や園医、無料相談なども手がけている。
http://www.junkstage.com/nemoto/
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根本さんは、現在茨城県竜ケ崎市で開業されている歯科医です。
手がけているのはインプラントをはじめ、審美歯科、ホワイトニングなど歯の医療の先端技術。それではさぞ削るのがお好きなのであろう…と思うのですが、それは大きな誤解でした。JunkStageでのコラムタイトルからして「僕は歯を削りたくない」。
歯科嫌いのわたしでもほっとする響きに安心したところで、根本さんの歯科医としてのスタンスを見てみたいと思います。
それは、「歯は治療できない。だからこそ予防をして歯を損ねないようにすることが大事」ということ。
歯科医の根本さんが「歯は治療できない」と断言するのです。その根拠はリンク元の記事をを読んでいただければと思いますが、歯科に対する考え方ががらっと変わる内容に驚かざるを得ません。
それだけでなく、根本さんのコラムには保健所の立ち入り検査の話 や某媒体に掲載された歯科医療に関する記事の検証、過去の治療方法がもたらした歯科的罪、実は歯科の椅子に座っている間にこんなことになっているという恐ろしい話など、この人、こんなに正直に書いちゃって大丈夫なのか…?と思わず勝手に心配してしまう記事、多数。
けれど、時にハラハラしながらもつい読んでしまうのは、ベースとして根本さんが真摯に「歯」そのもののケアを大事にしているという信頼がおけるからなのです。
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根本さんの記事には、分かりやすい表現や図表がたくさん登場してきます。
たとえば、もっとも緊張する初診の際のフローや、インプラントに関する誤解を正す情報提供、見た目ではなく予防に重きを置いた歯科矯正に関するエピソードなど、枚挙にいとまがありません。
また、根本さんのコラムは一般に長文のものが多いのですが(おそらく現時点で1回の記事量としては全ライター中最多!)、それはひとえに、先に挙げたように一度削ってしまった歯はもう二度と再生しないという点の啓蒙を重視されているから。
幼稚園の園医も務める根本さんは、幼少期の口腔ケアがその後の虫歯のなりやすさ・なりにくさに直結することを知っているからこそ、保護者の方への警鐘は厳しいと言ってもいい言葉で繰り返しており、患者側へも「歯」そのものに関する知識と正しい治療方法――この表現も根本さんの言を借りれば、虚言ということになりますが――への理解を要求します。それが、結局は自分の歯人生において大事なことだと語るのです。
距離的制約がある以上、全員が全員、根本さんの歯科を受診できるわけではありません。
しかし、内科的疾患と違い治癒という概念がないということを理解し、自身で知識を集めることによって、受診する病院を選ぶことはできるはず。セカンドオピニオンという概念も定着してきた今だからこそ、歯に関しても正しい理解をして、自分の体を守りたいものです。
そうすればきっと、あの恐ろしい「きゅいーん」という音は聞こえなくなってくるはず…。
全国の歯科嫌いの皆様にこそ、読んでいただきたいコラムの所以です。
JunkStageをご覧の皆様、こんにちは。今日はまず、この写真をご覧いただきたいと思います。
これは2014年2月に投稿されたコラムに引用された作品です。
暗闇、枯れ果てた草叢の中でしゃがみこんだ女性の表情に浮かぶ表情を何と呼べばいいのか私は知りません。
怒りか悲しみか憎しみか呪いか、あるいはその全部なのか。でも、作品から伝わってくるのは確かに一人の女性の強い強い感情の動きなのです。そしてそれを想起させるものを“芸術”と呼ぶのではないでしょうか。
今回はこの作品を撮ったフォトグラファー、古賀英樹さんをご紹介したいと思います。
■vol.33 写真家・古賀英樹さん
――僕の作品たちはぜんぶ「想い」がまず最初にあります。撮影意図や意識、コンセプトよりもまず被写体さんたちそれぞれが持つ想いそのものが全てを形作ります。みんな物語を抱えて生きている。(古賀英樹)
福岡在住の写真家。北原白秋の故郷であり、写真集や映画作品の舞台にもなった出身・柳川市の文化色を受け、「想い」ありきの写真を追求している。
http://www.junkstage.com/hideki/
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古賀さんは福岡県・柳川市のご出身。北原白秋や檀一雄など、抒情性豊かな作品を多数輩出した先人たちと同じく、「想い」を大切にした作品を撮り続けている写真家です。
ところで、この「想い」とはなんでしょう?
先に引用した部分で、古賀さんはそれを被写体が持つ固有の物語だと表現しています。古賀さんの作品に登場するモデルの皆さんは、被写体となる回数に差こそあれ、そのほとんどがごく普通の女性なのだそう。けれど、古賀さんはそんな普通の人の中にこそ表には出ない「声」を聴くのだといいます。
その声=物語こそが、「替えのきかない、『その人でなければこの作品は無かった』と言える」作品となる要件なのだと。
実際、JunkStage上で発表されている作品だけに限っても、古賀さんの作品はいずれも見るものに強い感情を想起させます。
それは人によっては嫌悪かもしれないし、痛々しさかもしれません。古賀さん自身も「作品を創り続けるためには被写体にも撮影者にも膨大な精神力が求められる」と、このコラムの中で語っていますが、加えるのならば観客にもある種の精神力を要求するのが古賀さんの作品群だと私は思います。
なぜなら、その作品は鏡のように、観客ひとりひとりの中にも確かにある(普段は見ない、見せないことにしているはずの)醜さや虚栄や怯えなどの生臭い感情を露わに突きつけてくるからです。
思いも寄らぬ方角から来て、予想外のとこに突き刺さるもの…
むしろそれこそが、ずっと残り続けるものになるのかもしれません
必要のは覚悟…それは作家側にとっても、観る側にとっても.
(「行き交う想いの絶えない場所で.」より抜粋)
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古賀さんは、ご自身を評して「距離感の作家」と言っておられます。
被写体となるモデルさんの内面にぎりぎりまで踏み込み、時に自身の肖像写真ではかつて罹患した病の診断書を二重写しにして作られる作品たちは、同時に観客である私たちとの距離を測る物差しのようでもあります。
抉られるような、自分の臓腑を見せつけられるような……これは私個人の感想ですが、古賀さんの写真を見ることはどこか蓋をしてきた臭いものを見るような、そうしてその自分をも許せるような、そんな力があるように思うのです。
だからこそ、私は古賀さんの作品が好きです。
きれいごとだけではない、突き動かされるような情動を与えてくれる作家はそう多くはないのですから。
そんな古賀さんですが、2013年9月に地元・福岡で開催した個展が好評を博し、現在都内・新宿にて再度の実施を迎えています。
「純なものも、濁ったものも全部抱えたままで、ここまで来た」。
そう語る古賀さんの作品を間近でみるチャンス、ぜひお見逃しなく!
※古賀さんも展示後半8月19・20日は在廊予定とのことです^^
■古賀英樹写真展「深入り-tokyo-」
■期間 2014年7月14日~20日12時~19時(最終日18時まで)
■場所 PlaceM M2ギャラリー 〒160-0022 東京都新宿区新宿1-2-11 近代ビル3F TEL/03-3341-6107
JunkStageをご覧の皆さん、こんにちは。
6月も下旬に差しかかり、夏バテなどに悩まされている方も多いことと思います。そんな時期にお勧めしたいのがこのライターさん。バテてなんかいられない!とばかりにエネルギッシュに走り続ける姿に圧倒されつつ憧憬を覚えずにはいられない、一人の女性を紹介します。
■vol.32 パリで日本食起業・田淵寛子さん
――未来のことを“漠然と”不安がって時間を費やしても、仕方ないと思っています。
現在の具体的な不安は解決策を見つけて行くしかありません。
少しずつでも解決すれば、前へ進んでいるのですから。(田淵寛子)
IT関連事業の起業を経験後渡仏。パリにてお好み焼屋「OKOMUSU」オープンに向け奮闘中。パリのフードシーンや起業生活を綴る。
http://www.junkstage.com/hiroko/
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元芸人、元女子大生起業家、サンバダンサー。
他にも色々ツッコミたい感じの肩書を多数お持ちの田淵さんは、パリ在住のお好み焼屋さんです。
JunkStage参加当時の2012年にはまだ自身の城たるお店の開店に向けて手探りで情報を掻き集めていた田淵さんは、とても一言では語れない紆余曲折(是非こちらをご参照下さい!)を経て、2013年にパリはマレ地区という一等地にお店をオープンさせました。その模様は先日二度にわたり日本テレビ系列で放映された「笑ってコラえて!」でも取り上げられたところです。
非常に順風満帆、にも見えるそのご経歴ですが、先のリンクで紆余曲折をご覧になって頂ければ分かる通り、田淵さんは決して恵まれた状況にいたわけではありません。開店までもトラブルは続出で弁護士さんが紹介した物件を覚えていなかったり、やっと物件を見つけていざ本契約!と思えば公共料金の名前が違い、果ては工事が伸びに伸びて開店の予定日がずれこむ始末。
このあたり、さすがフランス…!(注:単純に感嘆しています)と異国で起業することの苦労に思いを馳せずには得られません。
でも、彼女は決してあきらめないのです。
田淵さんのあくなき意志の強さ、ポジティヴな思考力はそんなことでは損なわれない。
数々のトラブル、厳しい現状を認識しつつ、「そんなこと」と笑い飛ばす強さを、ポーズにしても田淵さんは取り続けます。そして、実際に乗り越えている。だからこそ、田淵さんは凄い人なのだと思うのです。
* * *
冒頭に掲げた言葉は、同じくJunkStageライターのユウさんが先日パリに訪れた際にしたためたコラムを読んでの田淵さんの返礼記事から抜粋したもの。
ユウさんのコラムに、その時の会話の様子が描かれています。
“「不安とかね、ないんでしょうね」と言うと、
「不安? ユウちゃん、何が不安なの?」と逆に聞き返される。“
この返し方はいかにも田淵さんらしくて、というよりはコラムの中から滲んでくる「田淵寛子」という女性がいかにもしそうな発言で、双方と面識のある私などは思わず読んでいて声を出して笑ってしまう部分でした。
田淵さんは、このコラムでは愚痴を一切書かないのです。工事が遅れてます、と笑い、名前が間違ってますと言って笑う。
田淵さんは、強い。少なくとも強くあろうと努力し、そうして結果を手に入れている。
その努力が報われているのだなあ、と感じさせる発言だなあと思ったのでした。
知り合いがいるとはいえ、見知らぬ土地で、たった一人で仕事をする。その状況に苦労が無いはずはないのです。
田淵さんは聡明な女性であることは確かですが、フランス語も大得意というわけではないようですし、何もかも一からのスタートで事を起こすというのは日本で生まれ日本で育った人であっても万人が出来ることではありません。
けれど、田淵さんはそれを為し得た。
そのひとつの理由が、この底抜けに真摯に未来と自分とそれをとりまく友人を信じる力なのでしょう。実際、ユウさんは先の記事の終わりに「月並みな表現だが、明るくて前向きな人のところには、いい人が集う。誰だって、あたたかい太陽のそばにいたいだろう。ひと一倍の苦労も、ホントはしているのだろうからこそ、人間としての深みが出るのだろう。」と田淵さんの印象を纏めています。
* * *
太陽のような人。
そう表現するのはなんだかご本人がすごく嫌がりそうですが、実際、わたしがお会いした田淵さんはとても素敵な女性でした。数少ない帰国日程で日本中を飛びまわり、その合間に友人たちに囲まれている姿はとても幸福そうに見えた。
ユウさんの言を借りるようですが、笑顔でいる人の周りには自然と笑顔の人が集まるものです。
その輪の中心にいる田淵さんは、おそらく、少なくない友人たちにとっては紛れもない太陽なのです。
そんな女性が焼く、お好み焼き。
今年中には是非食べに行ってみたいとわくわくしながらコラムを拝見する日々ですが、パリの週刊誌でも取り上げられるほどの繁盛ぶりを日々記録している模様。皆さんもご旅行の折は、ぜひ田淵さんのお店・OKOMUSUへ足を伸ばしてみてください!
◆OKOMUSU◆
11 Rue Charlot 75003 Paris France
Tel : 01 57 40 97 27
Mail : info (a) okomusu.com ※ (a)を@に変えてください。
https://www.facebook.com/okomusu
JunkStageをご覧のみなさま、こんばんは。
5月に入り、夏に向けて各所でお祭りのシーズンが到来いたしました! この時期はいつもより新しい音楽やアート、パフォーマンスに触れる機会も多くなりますが、本日はそんな季節にぴったりのドキドキを与えてくれるパフォーマーをご紹介したいと思います♪
■vol.31ジャグラー・竜半さん
ジャグリングの国際大会にてシガーボックス部門で優勝するなど、国内外の競技会で多数の受賞経験を持つジャグラー。浜松市にてジャグリングサークル「じゃぐなぎ」を主宰するなど普及にも努める。
http://www.junkstage.com/ryuhan/
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歴史をさかのぼれば古代エジプトにまで起源を辿れるというジャグリング。
ボールを使うことが多いトスジャグリング、独楽を使ったディアボロなど様々な種類がありますが、竜半さんはその中でもシガーボックスと呼ばれる箱を使ったジャグリングの名手です。
大学在学時にジャグリングを初めたという10年以上の経歴の中では、2007年には”IJA Summer Festival”のシガーボックス部門で優勝、名人としてテレビ出演も果たしその名を冠したオリジナル技も多数保有するほど。
その竜半さんのテクニックを実際に私が肉眼で目にすることが出来たのは、2011年に開催した「JunkStage第三回公演」のステージでした。沢山のお客様が詰めかける中、竜半さんは軽々とそう小さくもないシガーボックスと呼ばれる箱を操り、高く放り投げ、受け止め、くるくると位置を変えて繰り返していた。その間、釣り込まれるようにお客様は前のめりになり、息を呑んで見守り、そして最後には笑顔になっていました。ステージの上の竜半さんは技の合間にはお客様に話しかけ、真剣な顔で演技していた。
わざとらしくなく盛り上げ、お客様を喜ばせ、それを演技中ずっと維持すると云うのは本当に難しいことだと思うのですが――私はいつもJunkStageの名を冠したイベントでそれを痛感しています――竜半さんは、当たり前のように、それをしていた。
ライブパフォーマンスは難しいものです。会場によって天井の高さも照明の明るさも違うし、客層だって違う。
そこでベストの演技を披露する、というのはおそらく想像を絶するほどのプレッシャーがあると思うのです。
竜半さん曰く、「ジャグリングと大道芸の違いは観客がいなくても成立するか否か」という点だそう。その見方に立つと、竜半さんはステージに立つ際見せたいものより挑戦したいこと、華やかな技より地味に見えても難しい技のほうを選ぶようにしているそう。
当然、基本的には演技中も真剣な表情を崩しません。
が、そんな竜半さんには心強いパートナーがいるのです。
▲竜半さんの相棒・ジャグリングドラゴンのヒョウガくん。動きがラブリー!
ヒョウガくんは竜半さんの相棒ですが、主に大道芸のほうを担当されているとのこと。
大道芸の場合、まずは足を止めて見てもらうというところからのスタートになるわけですが、こんな可愛い子がクラブを投げていたら拍手をせざるを得ないと思うのは私だけでしょうか? ああ可愛い凄い偉い…などとヒョウガくんを愛ではじめると暴走しますので割愛しますが、浜松や愛知県でのイベントには引っ張りだこの人気者です。
* * *
竜半さんは、ジャグリングを純粋に楽しみ、そして愛しているのだなあと思う。
それはコラムの更新の頻度(驚くべきことに累積更新数は全ライター中堂々の一位!)であったり、自らジャグリングの大会「じゃぐなぎ杯」を主催、多くのイベント・大会でも審査や運営などのお手伝いを積極的にするなど、広くジャグリングの啓もうや普及に努めていらっしゃる点からも感じられるのですが、今回このラブレターを書くに当たり、一番それを痛感したのは下記の文章でした。
人前に立つ以上は「アマチュアだから」という言い訳は許されない、と僕は考えています。
「アマチュアだから」という言い訳が許されないのは、ショーの演目だけではありません。
依頼を受けたとき、自分のアシで会場に行く時には、依頼の30分前には到着しておくようにすること。
会場に到着したらしっかりと挨拶をすること。
ゴミは持ち帰ること。
控室が用意された場合は控室を散らかさないこと。
こういうことができていないと、「ジャグラーはマナーが悪いですね」と、ひとくくりにされてしまい、二度と同じ施設から(自分だけでは無く)ジャグラーが呼ばれない、ということも起こりえます。
ということは、自分のマナーの悪さが、プロの仕事を減らすことだってあり得るのです。
(「アマチュアジャグラーなので……」より抜粋)
愛しているからこそ、それにふさわしいスタンスを執る竜半さんの厳しい言葉。
しかしその一方で、自身の勉強のためにと参加された他のジャグラーの方への技のコメントや改善点、アドバイスなども真摯に竜半さんは綴ります。それだけではなく、世界中のジャグラーたちが日々投稿する動画などを発掘し、惜しみない称賛の声を送る。
竜半さんは、プロパフォーマーではないかもしれない。それでも、本当に好きでないと出来ないこと、を、当たり前のようにする竜半さんは、JunkStageの誇る素晴らしいパフォーマーなのだと思うのです。
JunkStageをご覧のみなさま、こんにちは。
都内では桜の季節も終わり、新緑の眩しい時期になりました。と同時に、新入社員・新入生の目新しさも減り、仕事面での真価を問われるようになってくる時期でもあります。
本日はそんな若葉の季節を武骨に泥くさく突き進む、それでもフレッシュなこの方を紹介したいと思います!
■vol.30 都議会議員・音喜多駿さん
―できる限り女性サイドにたち、積極的に女性に権限委譲していく。
パラダイムシフト実現のためには、そんな男性政治家が必ず必要です。
そういう存在に、僕はなりたい。(音喜多駿)
大学卒業後LVMHへ入社し、化粧品ブランド「ゲラン」で営業・マーケティングを経験。2013年北区より立候補し当選を果たした現職都議会議員のコラム。
http://www.junkstage.com/syun/
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音喜多さんとJunkStageの出会いは2011年4月。
私の年上の友人が、「Twitterで凄く面白いことを言う若い人がいる。是非彼にJunkStageで記事を書いてもらってよ!」と会うたびに猛プッシュをしてくるのでコンタクトを取らせていただいたところ、快諾を頂いたというのがきっかけです。
当時音喜多さんは大手外資企業LVMHに籍を置く、政治家志望のサラリーマンでした。
地盤もない、お金もない。ないない尽くしの状態でそれでも政治家になるためにはどうすればいいか。先輩市議の方の選挙のお手伝いをしながら実地で政治活動を学んだり(なんと男性版ウグイス嬢=カラス経験もあり!)、社員の9割が女性という化粧品販売の職場だからこそ知る現実を目の当たりにしたりしながら、音喜多さんは昨年自身の夢に近づく第一歩を踏み出します。2013年の都議会議員選挙で、出身地・北区から立候補し、見事当選を果たしたのでした(2014年4月時点現職)。
ところで音喜多さんと言えば、非常に多筆の方でもあります。
ここJunkStageでのコラムのほか、ご自身のブログを毎日更新し、ニュースサイトにも寄稿。多忙ななか、それでも書き連ねられる言葉は時に熱く、時に年相応に軽妙で、多くの読者からの反響を得ています。
それは、音喜多さんが自分の語彙で書いているから、そして「届けたい」と思って書いているからこそなのではないでしょうか。
政治って難しい、判んない。そういう層にも届けられるように、音喜多さんは自分の言葉で政治を語る。それはご自身の勉強の成果なのでしょうが、音喜多さんの言葉は数多いる政治家の発言の中でも圧倒的に判りやすい。勿論、歴史の蓄積で現在の政治がある以上受け手側にも一定のお勉強は必要なのでしょうし、その是非の判断は個々人に委ねられるわけですが、それ以上に音喜多さんは「なんとかして自分の言葉を届けたい」という熱意を持ってコラムやブログを書いているように思うのです。
音喜多さんはかつてご自身のことを「怒れる若者を勝手に代弁しているつもり」と称されたことがありますが、それを信じるとすれば想定している読者はご自身と同世代の20代~30代層。
この世代はバブルの恩恵を受けたこともなく、リーマンショックや震災の影響もあり氷河期と呼ばれている時代に就職活動を展開しています。ワーキングプアという言葉も産んだ同世代に向かって音喜多さんは必死に政治の力を訴え、選挙に行け選挙に行けと事あるごとに仰ってもいる。
そしてもはや怒ることすらしなくなった仲間の代わりを務めるかの如く、音喜多さんは政治家を志し、自分達の力で日本を良くしていこうと数々の提案をしています。急進的にも感じられる部分もありつつ、それでも音喜多さんの言葉の端々に滲む「このままではよい方向に向かえない」という焦燥にも似た想い。そして、そのシナリオを回避するために必要な知識と現状をみんなにも共有してほしいと強く思っているように私には感じられるのです。
* * *
……などと熱く語ってしまいましたが、音喜多さんは決して四面四角な“政治家”ではありません。まだ29歳のその素顔はごく普通のもののように見えますし、実際にお会いした印象はかなりファンキーなお兄さんという感じ。JunkStageのお花見の席ではバーベキュー職人的な力技を発揮して場を盛り上げ、趣味はダンスという、一見すれば本当にどこにでもいそうなフットワークの軽い青年です。
しかし、音喜多さんはそんな日々を送りつつもほぼ毎日街頭に立つ、ストイックな政治家でもあります。議員としての職責を果たしつつ、各地を飛び回って有権者の声を生で聞く。また、被災地支援として非営利団体の運営にも携わり、子供たちに巨大なホットケーキをプレゼントすると言うユニークな活動も続けています。
派手さはなくとも、着実にキャリアを重ねる音喜多さんの奮闘は今日もまだ続いている。
音喜多さんが50代、60代になったときにどんな政治家になっているのか、どんなふうに政治を世代を語るのか、私は今からとても楽しみなのです。
JunkStageをご覧のみなさま、こんにちは。
唐突ですが、みなさんは人魚の存在を信じますか?……なんとなく危ない人を見るような視線を感じますが、そんな方はまずこの映像をご覧ください。
過酷なはずの海中での姿の、なんと美しいことか。
まさに人魚と表現するにふさわしいこのスポーツに魅せられた一人の女性を、本日は皆様にご紹介したいと思います。
■vol.29 フリーダイバー・武藤由紀さん
――最初に壁を越えたのが「17m」。かつて10mで通行止めだったのに、海から「もっと潜ってみたら」と言われたような気がしました。(武藤由紀)
素潜りを競うフリーダイビングの日本代表選手。世界大会を照準に、身ひとつで体験する深海の世界や競技としてのフリーダイビングの奮闘録を執筆。
http://www.junkstage.com/yukimuto/
* * *
アプネアとも呼ばれるフリーダイビング競技は日本ではまだ馴染みの薄い競技ではありますが、映画「グランブルー」で取り上げられるなど世界的に評価の高い競技のひとつ。潜水時間、息を止めている長さなど世界大会では様々な種目が競われていますが、詳細なルールや基礎知識はこちらの武藤さんの解説に譲りましょう。
さて、今回ご紹介する武藤さんはこの競技の日本代表にも選ばれているフリーダイバー。
国際的競技団体にも正式に選手登録を行っており、コンスタント・ウェイト競技では女子7位の-57m、フリー・イマージョン競技では-43mの記録を持っています。
先の映像をご覧になった方はお分かりかと思うのですが、これらの競技に酸素ボンベは一切登場しておりません。フリーダイビングにおける“フリー”とは酸素ボンベが無いという意味で、選手たちは完全に息を止めて素潜り状態で海に潜っている訳です。
ちなみに、深度50mでの水圧は6気圧、肺の大きさは陸上の1/6まで縮むとのこと。殆ど震えあがりそうになる数字ですが、この過酷な状況に耐えて深みを目指す姿は本当に人魚そのものです。
* * *
しかし、この競技に挑む武藤さんは日々ストイックに鍛錬に励む超人……ではないのです。自らを「どこにでもいる普通の会社員」と表現される通り、陸上では会社員として日々ラッシュにもまれ、残業漬けの日々を送り、時には新橋で飲んだりもしている模様。
そんな武藤さんがこの競技と出会ったのは、社会人数年目にスキューバダイビングのライセンスを取得してからのことでした。先に挙げた映画「グランブルー」でその競技の存在こそ知っていたものの、最初は「青い水の中で息をとめている」という、ただそのことの気持ちよさに、最初のころは毎回ウットリしていたと武藤さんはこちらのコラムで書いています。
最初は海に阻まれたと感じることもあったそうですが、冒頭に掲げた言葉の通り、-17mの壁を突破した翌年は-30m、2009年のバハマ世界大会へ補欠選手として参加し、2011年は正式な選手としてギリシア世界大会へ参戦。2012年には真鶴で開催された大会にセーフティダイバーとして運営サイドに関わり、ニースでの世界大会にも帯同。の大会では日本女子チーム「人魚ジャパン」は金メダル2連覇を達成し、「ベストチームワーク賞(ルイック・エフェルモ賞)」の栄冠にも輝く偉業をなしとげているのです!
暇を作ってはプールや海へ向かい、現在はフリーダイビングサークル「リトル・ブルー」を主催する武藤さんは、ご自身とフリーダイビングについて、こんな風に語っています。
――私にとって、フリーダイビングの第一印象は「ふ~ん」だったのに、2度目の再会で惚れ直し、ノックアウトされてしまったという感じです。(2012.04.29の投稿より抜粋)
例えるならば、夢中で恋をしている人のようなこの言葉。
この人は海から招かれたひとなのだなあと、そんな風に思わせられるこの一文が、わたしはとても大好きです。
* * *
武藤さんは2012年にはアプネアアカデミーのインストラクターコースにも参加し、ライセンスを取得。「フリーダイビングを広めるために、より深く、正しく学び直したい」という熱意を持ってこのコラムも書いてくださっているという武藤さんですが、現在は海中清掃のボランティア活動にも参加するなどその技術を活かして様々な活動を続けています。
きっかけはなんとなくでも構わない。
そう語る武藤さんの語るこの競技の魅力を引いて、このラブレターを締めくくりたいと思います。
「怖いし苦しいしその上、孤独。何故こんなことをやっているのか我ながら不思議」
と思うことがけっこうあります。
でも潜っている時、泳いでいる時、息を止めている時、
「ここでしか味わえない深い集中と安心感」に包まれる一瞬があります。
そして一番好きな瞬間は、誰もいない薄暗い海底からたった一人で浮上し、
途中で迎えに来てれたダイバーと目が出会う時。
その後しだいに海面からの”光”が強くなり、
だんだん海面が近づき体が軽くなり、水面に出る瞬間です。
「仲間がいて、光がある」ことの喜びを、全細胞で感じる一瞬。
(マラソンとフリーダイビング より引用)
童話の人魚姫が恋をして人間の足を手に入れたように、海に恋した方は人魚になるのかもしれません。
JunkStageをご覧のみなさま、こんばんは。
突然ですが、皆様はボランティア活動に興味はおありでしょうか? 興味がある、という方でもそのレベルや活動領域が様々である、このボランティア活動という言葉。募金箱を素通りできないという方から公園清掃に毎週参加していますという方や更にはチャリティイベントの企画運営出演者の皆様まで、世間にはありとあらゆる善意が溢れています。
本日ご紹介するのは、そんなボランティア組織の代表を務めているこのライターさん。
善意の力を組織的に組み立て、運営し、還元する――善意の部分を購買者、利用者と置き換えれば営利企業であれば当たり前に行われること。しかしボランティアや支援組織ではないがしろにされがちなこの部分を、目に見える形で体現する“技術”とはどんなものか。
皆様、どうぞご注目ください!
■vol.28 サポートハウス運営・浜本靖さん
――一個人の努力や行動は小さいもので、大した力にはなりませんが、多くの方が集まれば、医療に関わる問題は多きな変化をもたらす事は、明らかです。
どんなに、遠いゴールでも、前に進めさえすれば、必ず到達します。(浜本靖)
京都大学付属病院近郊にて難病と闘う患者とその家族を支援するサポートハウスを運営。多角的なボランティア活動により、利用者から大きな支持を集めている。
http://www.junkstage.com/hamamoto/
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浜本さんが行っているボランティア活動は、“京都サポートハウス”という組織の運営です。
ファミリールーム、ペアレンツハウスとも呼ばれるこの滞在型施設は、主として難病治療のため大学病院等に長期の滞在を余儀なくされる患者さんやその付添家族の方のための宿泊施設。医療費補助なども含め、難病を患う方やその家族のための法的支援が万全ではないなか、経済的にも精神的にも少しでも安心して療養に専念してほしい――そんな思いで、浜本さんはこの施設を立ち上げました。
その決意は、ご自身の辛い経験から生まれたものです。
浜本さんが27歳の時にうまれたお子さんは数百万人に一人という原発性肺高血圧症(PPH)という病気を持って生まれてきました。数か月の命だと宣告され、月額100万程度は掛かると言われる治療薬のために保険組合から脱退を勧奨され、それでも必死になって看護した経験。
0歳で亡くなったお子さんへの愛情、そして、その期間を支えてくれた周囲の善意と理解が、他者からの善意を求め、善意を活かすというこのサポートハウス設立の根底にあるのだろうと思うのです。
その思いを端的に綴った文章を、コラムから引用します。
今は、子の歳を数える時、辛かったことより、色々な方に助けて頂いたことを思い出します。
死んだ子は私の先生
今、生きている子も私の先生
学ぶこと、教えてもらうこと、気づかせてくれること、たくさん、たくさんあるんです。
私は、子どもが死んだことを、単に辛い思い出として記憶するのではなく、そんな経験を活かしたい。
あの世で会ったとき、「君の死を無駄にしなかったよ」と胸を張って言いたいから
(「死んだ子の歳を数える」より一部中略・一部抜粋)
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浜本さんの活動の特筆すべき点は、サポートハウスの「維持」ということに重きをおいていらっしゃることだとわたしは思います。
例えば、その理念に共感して「協力します」と口で言うことは簡単です。でも、実際にはそこに四六時中貼りつくわけにもいかず、お金での援助も限界がある。
このような状況では、この言葉は単なる口約束になってしまいます。
また、ボランティア活動に充実する方自身の生活もあります。報酬がゼロだとしても、持ち出しを続けることはできません。とすれば、活動そのものが続けられなくなってしまう。無理を押してやるにしても、一人の力には限界もあり、担い手を育てることも出来ません。
いざご自身が、あるいは家族がそれを必要とした時に、ハウスそのものが無くなっていたとしたらどうでしょう?
「善意」という言葉を大上段に振りかざし、無報酬が当たり前とされるボランティアにおいて、これは非常に重要かつないがしろにされがちな現実なのです。
浜本さんはこの問題に対し、「善意を組織の力に変えられる技術」を発明することで解決しようとしています。
ハウスの運営維持費は自力調達を基本とし、「善意」の力を借りて現金化する。
具体的には無償で提供された書籍やCD・DVD等を販売し、その売り上げを活動費に充てるという「技術」で運営しており、浜本さんはこれを「1冊からボランティア」と呼んでいます。
古本を提供する行為もボランティアであり、それを購入する行為もボランティアになる。
誰でも気軽に参加でき、かつ、その売上が難病に苦しむ方の支援に繋がるというこのモデルはまさにタイトル通り“善意の輪”を形作ると言う点で、ひとつの明確な解ではないでしょうか。
(浜本さんの運営するサポートハウスのAmazonマーケットプレイスはこちらから。1冊からでも購入できます。ちなみにわたしも利用したことがありますが、とても綺麗な状態で梱包も丁寧でした!)
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2004年に発足した京都サポートハウスは今年で10年目を迎えました。昨年にはNPO法人化を視野に収益部門とサポートハウス支援事業を完全に分離。収益を上げることを健全に行いつつ、その利益を全て支援事業に還元するという試みを始めています。ボランティア活動としてもサポートハウスの運営のほか、カンボジアやインドの小学校設立にも関わっているという浜本さんとスタッフの皆さんの活動は、本当に尊い。
もっともそれを必要としている人にきちんと届くシステムを維持可能とした浜本さんのサポートハウスの出色であるわけですが、それを浜本さんは講演でも包み隠さずお話しているそうです。
その理由とわたしが考える言葉を引いて、このラブレターを締めくくりたいと思います。
21世紀は「利他主義」で。
これが私の夢であり、未来像です。
21世紀は20世紀のように「戦争の世紀」にしてはいけないと強く考えています。
一方、国家に何事も任せきりにするのではななく、 明治初期に強くあった自治意識を、大切にすることが、21世紀に相応しい生き方を演出してくれるとも考えています。
自治は「自分たちの利益を守る(増やす)」と言うことになるんでしょうが、
私はここに、他者の利益を優先すると言う考え方を持ってきたい。
他者の利益が、ゆくゆくは自分の地域の利益につながる。そういう世の中が21世紀型だと。
(「有徳思想・利他主義」より抜粋)
浜本さんの試みは、誰でも気軽に応援できます。
本を読みたいなと思ったらワンクリックで出来るボランティアがあることを、捨てる前に差し出すことのできる善意の示し方があることを、多くの方に知ってほしいなと思いながら、わたしはこのお手紙を書きました。
JunkStageをご覧のみなさま、こんばんは。
お正月気分も一段落してきたこの時期、今年はなにをしようかな、と考える方も多いのではないでしょうか? 習いごとや勉強などもよいですが、今回お勧めしたいのは初めての伝統芸! とはいえ肩が凝るようなことはちょっと…という方もご安心を。
素直に“すごい!”と感動できる一人のパフォーマーを、今回は皆様にご紹介したいと思います。
■vol.27 曲こま師・三増巳也さん
――みんな子供の頃と同じように、修正可能、針路変更、七転び八起き、なにくそ根性で、大人になってからも、全身自分らしく、誰でも、なりたい自分に、なって欲しい。(三増巳也)
芸人の両親のもとで生まれ、父から皿回しを習う。一度、銀行員として就職するも、再び芸の道へ戻り、曲独楽師(きょくごまし)として活躍中。
http://www.junkstage.com/miya/
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曲独楽とは、江戸時代に考案された演芸で寄席芸能のひとつと言われています。
大小の独楽を使って様々なパフォーマンスを見せる芸能なのですが、明治時代に一旦廃れたものの、現在に至るまで脈々と人気を保っている日本の誇る伝統文化です。
今回ご紹介する三増さんは、その由緒正しき継承者で第一人者。
曲独楽芸能の中でも最も難しいとされる江戸曲独楽の三増流の看板を背負って日々舞台にテレビに講演にと大忙しの日々を送っていらっしゃいます。
高名な芸人である源氏太郎氏を父に持ち、生粋の演芸一家で生まれ育った三増さん。英才教育を施され、ストレートに芸の道へ……入ったわけではないのです。
偉大なお父様の芸を間近で見ていたせいか、「私には出来ない」と高校卒業後は都市銀行へ就職。
時代はバブル期、ちょうど新札発行の時期と重なって毎日のように残業を続け、銀行員としても将来を嘱望された23歳の時期、それでも三増さんは退職することを決意します。
「芸の道は就職してからでも目指せる」というお母様の言葉や、高校卒業の際打診されていた独楽芸の師匠の元への弟子入りの話が再度浮上してきたタイミングでした。
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退職してからのほうが忙しいのではないかと言うほど、それからの三増さんは芸の道に邁進します。お母様の指導で三味線をはじめたのを皮切りに、後見の所作の勉強のため日舞を習い、直ぐに舞台に立てるようにと南京玉すだれを習得。合間には歌舞伎に通い、池袋のデパートで初舞台を踏むことに。当時20代の女性芸人自体が珍しい時代であったそう(http://www.junkstage.com/miya/?p=49)で、三増さんは楽屋では「お嬢ちゃん」と呼ばれていたそうです。先輩方が必ず口を揃えていったという「酒は飲むな」という教訓をお父様から受けていた三増さんは一切酒席には出ず、先達に習って黙々と芸を磨き続けてきたのでした。
その後、平成4年には現在の名義である二代目・三増巳也を襲名。3回にわたる国際童玩芸術節への日本代表出演、文化庁芸術祭への参加、「笑点」をはじめとするテレビ出演など現在の活動領域は本当に多岐にわたり、ご主人と共に生活する愛媛県・内子の町並み保存地区でも毎月のように舞台に立っていらっしゃるのです。
三増さんのコラムを読んでいて感じるのは、芸の道に対する深い尊敬の念と愛。
それは先達に対してだけでなく、道具でもある独楽そのものへも注がれます。
この言葉を体現する如く、講演が終わった後には必ず独楽へも労いの言葉を掛け、丁寧に磨いておくという三増さんは本当に独楽を大切に扱います。それは独楽職人そのものが少なくなってきていること、材料の木も手に入りにくいという事情もあろうかと思うのですが、20年以上愛用している独楽のコラムなどを拝見すると、それ以上に独楽という相棒が心から大事で大切なものだと三増さんが心から思っていることが感じられてくるのです。
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三増さんのコラムには、「プロフェッショナルである」という自負が溢れています。
それは心構えであったり、道理に合わない仕事を断ると言う態度であったり、独楽そのものの真偽を断ずる口調であったりするのですが、共通するのは「芸」への愛と、それを守ってきたお父様をはじめとする芸人先達への敬意です。
曲独楽芸そのものを大事にしていきたいという強い思いが、激しいとすら感じられるこれらの言葉や態度に集約されているように思うのです。
だからこそ、三増さんは芸の歴史をきちんと調べておこうという姿勢を貫かれます。
「芸も技術の話しだけじゃだめ」という言葉通り、興行記録を調べ、独楽の文様を調べ、演じる際のスタイルの変遷を調べ……と、その探究心は留まるところを知りません。
それは、プロであるからこその矜持なのだとわたしは思う。
未だ機会がなく三増さんの曲独楽演芸をテレビ中継でしか見たことがないのですが、これほどの自負と矜持を持っている芸人さんの芸を一度は肉眼で見てみたい。
そして、多くの方に、日本にはこれほどのプロがいるのだと知ってほしい。
今回は、そんな思いでこの手紙を書きました。
JunkStage をご覧の皆様、こんばんは。女子部スタッフの桃生です。
年末年始の連休も近づくこの頃は、普段にもまして神社仏閣へ足を運ぶ方も増える時期。初詣はどこへ行こうか、なんて素敵な予定で頭を悩ませている方も多いことと思います。
本日ご紹介するのは、そんなとき「おっ」という発見を与えてくださるこのライターさん。お寺参りが楽しくなるトピック満載のこちらのコラム、ぜひご一読を!
■vol.26 仏像彫刻師・紺野侊慶さん
――仏像は宗教と密接に繋がっているため、いくら技術を磨いても、人の悲しみ、苦しみ、痛み等を知り理解しその思いを形にしなければ仏像とは言えないのではないかと思うようになりました。今は、その二つを常に考え表現する事が私にとっての仏師のあるべき姿だと考えております。(紺野侊慶)
千手観音から衝撃を受け、仏師を志す。現在は教室を構え、展示会にも精力的に参加する傍ら、その精神を広めるべく活動中。
http://www.junkstage.com/konno/
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現在、仏像彫刻を初めて17年余のキャリアを持ち、ご自身の教室ではたくさんの生徒さんに指導を行っている紺野さん。その技術の高さはこちらに掲げた作品からも伝わってくる細やかさと繊細な表現からもご理解いただけることと思います。
紺野さんは現在4冊の本を上梓し、度々メディアでも取り上げられるなど年々評価を得て活動の場を広げておりますが、この道に足を踏み入れたきっかけは、なんと中学校の修学旅行だったのだそう。千手観音をはじめ、二十八部衆が立ち並ぶ荘厳な風景に、紺野さんは「雷が落ちたような」衝撃を感じたのだといいます。
「何だこれは!!」
日本にこんな凄いものがあるのかとその場を動けなくなりました。
まだ車や機械もない時代にこの数を作り上げた古来の人々の迫力と思いを初めて肌で感じる事ができました。
(初投稿記事より抜粋 http://www.junkstage.com/konno/?p=211)
その強烈な感動が、紺野さんの進路を決めました。
中学卒業後、紺野さんは富山県にある彫刻師の工房を訪れ、斉藤侊琳師のもとへ弟子入りしたのです。約10年に及ぶ修行は厳しく、技術指導だけではなく日常生活に至るまで、師や兄弟子の皆さんに鍛えられたというのですから、紺野さんの受けた清新な印象の強さはいかばかりだったのかと思います。
もちろん、好きなことを学ぶとは言え修行は修行。なかには自身で制作した作品を川に捨てられるという辛い経験もあったそうですが、現在の活躍は周知のとおりです。
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ところで、仏像彫刻師、すなわち仏師とは簡単に言うと仏像を専門に制作し職にしている人を指し、他にもお寺や仏壇にある古くなって壊れている仏像を修復する仕事も行っているとのこと。歴史ある仕事であるだけに、確立された様式の中で自分のカラーを出していくのが醍醐味であると紺野さんは語ります。
私は博物館や仏閣に安置されている仏像を見ても「すごいな、大きいな」(……などと我ながら悲しくなるほど雑な)という感慨をもつ程度なのですが、紺野さんは初めに全体のバランスと面の構成を見るのだそう。その後、部分的な面の構成を見てから細かな細工等を見るとのことですが、「彫刻にとってもっとも重要なのは、この面と構成のバランスなのです」との由。
また、例えば「この仏像の光背はどんなだったろう?」と想像して楽しむこともあるのだそう。
このあたり、まさにプロならではの視点を感じる言葉です。
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「時代が求める仏様を作りたい」と度々このコラムの中でも口にされる紺野さん。
その思いが、「日本木彫刻協会」の設立や現在に至るまでの活動の根幹にあるように私には思えます。
もし、自分が仏様を掘れたとしたら、そのお顔はどんなものになるのだろう。
そう考えるきっかけをくれた紺野さんのコラムは、自分の心の鏡のようにも思えるのです。