久しぶりすぎて、どうやって書いていたのかわからなくなった…
わたしは元気です
今はサッカー撮ってます
越境フットボーラー追っかけてる
野球よりサッカーのほうが撮ってて楽しいやん!ってことで、しばらくサッカー撮ることにしました
とりあえず、ロシアワールドカップではしゃぎたいって思います
でも、野球も撮ります。。。やっぱり原点だからね
シャルケベイビーな内田さんはもちろんだけど、シンジとか乾とかベーハセとか高徳とか…ドイツ組のちょこちょこ撮った写真…わたしが撮った写真を「好きだからこれからも撮り続けて」って言うてもらえた
そこを知らない人にも見て欲しいと思って撮るけど、そこに居る人、それを既に知っている人に褒められるのは違った喜びがあります
気持ち込めて撮ってる野球選手は2人しかおらんくって、いま、そのうちのひとりを撮ってる。
球場まじクソ暑い、脳みそ溶けそう。
いや、わたしの脳みそよりカメラのほうがあかん。
カメラに「阪神タイガース」のタオルかけてるけど、虎のタオルってメッセージ性がむっちゃ強くてムダに「猛虎愛」をさらけ出しながら撮るハメになってしまい、なかなかの苦行です。
むしろひっそり生きていたい自分が虎党なことは、生涯解決しない最大の矛盾なのかもしれない。
去年の秋くらいから、野球選手の撮り方を変えました。
今までのわたしの撮っている姿を知っている人たちがかなり驚いているくらいの変化です。
変えた。というより、変わった。のほうがしっくりくる。
前のほうが撮れる率は高いけど、今のほうが直感率は鍛えられるような気がするし上がっていると思う。
結果をちゃんと残して世界を広げていっている写真の友がいて、彼が撮る写真が大好きなんやけど、その人はいつもわたしの写真とか撮り方とか楽しみにしてくれている。
わたしは全然自分に期待なんてできなくて「ああもうだめだ」と思うけど、人がそう言ってくれたら期待する価値がなくもないのかも、と思って希望がでます。
そんな希望と直感つながりで、「内田篤人を撮る!」と決めました。
何かが降りてきたからね、自分の勘というか感を信じます。
たぶん秋から春にかけてまたいろいろ変わりそうやけど、未知の領域だからええ感じで奮い立っている。
けれど、写真の友がくれたアドバイスが面白そうでワクワクするので、まずはそれを実現できるようにドイツで一旗揚げてこようと思います。
ワールドカップがやっと決勝になるから、日本にいるのに流れている時間はブラジルっていう意味わからなさ120%の生活もようやく終わりを迎えます。
睡眠時間って大事やね、だって、あまりにも寝てなくて幻聴がおきてるもん。
でも、ああ。。あんときもっと観てればよかった。って思うのがだいっきらいだから、必死のパッチで観てるんです。
でも、こういうとき、日頃から欧州リーグとかチャンピオンズリーグとかMLBとか観てると、だいたい8時間くらいは軽く時差調整できちゃうからだいぶラクです。
予選でスペインとかイングランドとか負けて、ブラジルが大敗しかも連敗して、サポーターが怒り狂ってる。
まあ、阪神ファンのわたしからすると、「は?こいつらアホちゃうか?」って思いますけど。
そりゃ、サッカーが文化として根付いている南米や欧州勢にとって負けるって事実は、日本代表が負けるのとは比較にもならないくらいの悲壮感とスキャンダラス満載だろうから、選手をdisりたくもなるのだろう。
でもさ、べつにワールドカップ負けたくらいで何なのさ!って感じ。
それですべてが終わるわけじゃないだろうが!って感じで、どん引きしました。
いやあ、ここっていう大一番で負ける阪神をガキの頃から見ているからか、そんなもんは慣れちゃってるしね。
ああ、心は阪神ファンのほうが強いんやなあって思っちゃいました。
まわりがあーだこーだブーイング言うのは勝手やけどね、一番しんどいのはサポーターじゃなくて選手なんだよ。
4年間ここを目指して、自分のウィークポイントとひたすら向き合って、移籍してより厳しい環境で戦って、それでも現実と直面してそのたびに這い上がって、一般人じゃとても無理やわ!ってくらい壮絶な日々を送っているわけです。
まあ、サッカーに限らず野球もそうだし。
選手を追っかけて撮り続けていると、そういう日陰の部分をたくさん見るから、苦しいことのほうがはるかに多い。
つらいなあって思って、カメラ置いてしまうこともある。
でも、だからこそひとつの勝敗や結果に振り回されることなく観られるようになったし応援できる。
ヤジはええと思う。愛あるヤジならおおいに結構。そんだけ応援してるからヤジも飛ぶんや。
けれど、「手のひらクルックル」なのはいかがなもんかと思いますわ。
負けても応援するのがほんまもんのファンやと思う。
ええときばかりちゃうんやで!って叫びたい!ってか、実際に叫んだ。(まわりに引かれたけど。。)
だから、今のセレソンが置かれている状況はほんま見ていてしんどいなあ。。って感じます。
9歳の少女がダビド・ルイスへ手紙を送ったニュースを見ました。
ほんまあったかい内容の手紙で、なんとも言えない気持ちになって、救われた想いだったよ。
まあ、とはいえ、そんなこと言うてますが、わたしはわたしの応援で精一杯です。
アホみたいに球場通ったり、糸の切れたタコみたいにドイツ行ったり、満身創痍で選手撮り続けてたりすると、いろんな人に絶対いろいろ聞かれる。質問される。
で、わたしがそれに対して答えると、さらにいろいろ聞かれる。
苦痛です。
誰かに伝えるって、苦手というか限界を感じるというか、ボキャブラリーも乏しいしさあ。って、まあそんな理由です。
わたしは表現してるって、最近言われました。
伝える、じゃなくて、表現する。。。
どう違うんやろなあ?
そんなの意識なんてしたこと無いから、言われたときも理解できなくて、今もよくわからないままです。
写真を見てもらうとき、わたしはことばであーだこーだとその写真について説明とかしないです。
キャプションもあまりつけない。
タイトルと写真だけ。
もちろんじぶんの中にはその写真を撮った理由とか背景とか思い入れとかあるけど、それをことばで説明しても選んだことばの些細なニュアンスとか順序とかの違いで、相手にちゃんと伝わるかわかんないし、伝わったこともあまりないし。
だから、写真を見てくれる人にゆだねることにしました。
感じ取ってくれるものは人それぞれだし、わかってくれる人に伝わればええかなあ、って。
だいたい被写体がレアだしね、表現が難しい被写体を追っかけてるって、最近ちょー思ってるけど、わたし選手しか撮れないからやめない。
けれど、伝えると表現するって何やろ。。。
時間は戻らないから、そういう意識する記憶からは遠くなってもイメージや概念としてちゃんと残っていることが大切で、そしてそれは必要なときに蘇るものであってほしいから写真として残しているのです。
それって言語っていうより視覚的だから、表現する、なのかなあ。
日本じゃないどっかがいいって思うのは、きっと最初からことばが通じにくいから。
「んー、なんかわかんないけど、おっけー!全部おっけー!」みたいになる。
あと、ことばによるコミュニケーションを諦めて、その空気とか間とか表情とかを大切に読み取ろうとするようになるから、そこも好き。
いろいろ説明しないといけないのは、やっぱり好きじゃない。
でも、もうちょっとことばで理解してもらえたほうがええのかなあ、とも思う。
なかなか難しい。めんどくさい。
行動力がある、と言われがちで、そのたびに、うーん?、という違和感を感じています。
行動力、って何すかね。
わたしは石橋をたたいて渡るのは苦手です。
たたくの面倒くさいし、たたいたって方向変わるかもしれんし、たたいてたらオモロイこと見逃しそやし。
ならば、たたきながら渡ればええんかあ、みたいな。
足りひんとこはぴょんって飛べばええんやし、みたいな。
すっごくありきたりなことだけど、お金は後からでも稼げば良いし言い訳も後から考えれば良いし。
行きたいところも、少しくらい無理そうと感じても行ったほうがいいと思っています。
だって、今良くなろうともがいている時間はどんどん流れていってる。
全部一度きりのことやし、まずはやってみよう精神なのです。
「うん、きっと飛ぶよ。風が吹いている」
そういうことです、うん。
写真も野球も旅も友達も、全部に対してそんな感じです。
でもやっぱり野球かなあ。
自分のなかに伝えたいことや掘り下げたいことがあることに気づけたのは、野球のおかげです。
この5年間撮らせてもらって自分の純度が少し上がりました。
猫科鉄道球団があることは無名のわたしの励みです。
球場にいれば何か特別なことがあるとも今更思わないけど、それなりに何かあるからやめないだけです。
今日もビールがうまい!!
わたしにとってドラえもんだなあ、と思う人がいます。
でも、どうやら本人はハットリくんのほうがええらしい。
このハットリくんは、わたしの写真愛とか野球愛とか諸行無常的な考えとか全く生産性がない言葉とかを必死こいて理解しようとしてくれるツワモノです。
日本語で話してるはずなのに、わたしが支離滅裂すぎて「翻訳」というウルトラCを使っていると知ったときは、やるなー。て思いました。
ほんますごい根性やな~と思うし、感心するし、感謝しています。
ならば、わたしもハットリくんを理解してみよう。
好きなもんとかね、「うん。わかる。」って返したくなったわけです。
もらったもんはこっちからもあげたいなあ。ってやつですね。
で、とりあえず好きなもんを理解してみようと思った、空と海と緑とか。
意外とあっさりええもんやなーって受け入れられた。
もともとジャングル行ったりしてたしね、離島とかね、今まで自然のなかでひとりで感じてた心地よい感情がハットリくんの言葉とかとシンクロして、予想外に共感しやすかったのかもしれない。
最近、海ってええなあ。と感じます。
知らんうちにいっぱい深呼吸しているし元気になる。
今ならハットリくんが「いいよー」って伝えてくれていたものが、だいぶわかりそうです。
きっとわたしのまわりにはまだ知らないことや見ていないことがたくさんあって、その中には綺麗なものや好きになれることがいっぱいある。
なんか、宝箱を探してひとつひとつ開けていくようなもんだと思った。
それにはそこそこ時間がかかるし、なかなかおもしろい。
なんというか、それってポジティブな気がします。
前と写真も変わったけど、それよりも世界の見かたが変わったんだと思います。
自分が居るところと同じくらい相手をちゃんと見て、それでうまく仲良くしていこうとしている気がするし、していきたいのかもしれない。
ああ~、青空が恋しい。
野球はモノクロやけど、ほかはカラーです。
青っぽい写真が好きだから、青っぽく仕上げることが多い。
ずっとFUJI PRO400使ってたからね、その名残なんですわ。
青カブリってわたしの写真の原点やなあ、とつくづく思います。
めっちゃピッタリくる。
あれだ、原点回帰ってやつだ。
わたしにとってカラーは冷奴にのってるおかかみたいなもんなのかもしれない。。
わたしは写真のレビューをしてもらってもほとんど頭にも心にも残りません。
今の自分に足りないところがないなんて思わないが、それとこれとは話が違う。
写真に関わっている人はいっぱいいるけど、有名な人がみんないいとは思ってなくて、有名でもくだらない事言うてる人いっぱいいる。
けれど、岐路に立ったときに意見やレビューをしてもらっている数少ない存在もいます。
その人たちは、なんというか、情があるというか言葉に根拠がセットであるというか、ちゃんと見て、良くなるように思ってアドバイスしてくれるからとても信用できて「言うこときこう。」と思うし、これからも作品ができたら見てほしい。
いま、これまで撮ったものをぜんぶひっくり返して、写真と向き合いなおし始めました。
ちょーーーーあかん。まじしんどい。
自分の撮ったものや作ってるものと向き合うのはとっても疲れる。
でも、自分が欲しいものをちゃんと作りたいからしゃーないのでしょう。
写真はただの趣味ではなく、武者修行ですから。
で、野球。
わたし、売り子ちゃんってえらいなあ、て思うんです。
めっちゃ重いビア樽担いで、めっちゃ急なスタンド歩き回って、で、あの笑顔やもん。
野球を楽しく観られるのは、彼女たちのおかげでもあるのです。
今日も売り子ちゃんたちは頑張ってる。
ありがとう。ビール買います!
震災で「想定していないタイミングでいきなり死ぬことがあり得る」ことを実感して真剣に生きようと思いました。
本気で欲しいものは取りに行き、本気じゃないものは手放して身軽になってしっかり動けるようにしようと決めました。
ちゃんと楽しんだり苦しんだり怒ったり悲しんだり笑って泣いてごまかさずに感じる。
すべてのことは、いつまでもあるわけじゃなくて、それを心のどこかで感じているから写真を撮る、というように思い始めました。
野球もそのひとつです。
球場に行くのも、試合を観るのも、熱狂を感じるのも、選手を撮るのも、そういうことです。
野球選手に明日は約束されていません。
そのとき一瞬が勝負なら、選手を撮るわたしもきっと同じことです。
明日撮ればいいや、は無いのです。
「今」を撮っていきたいし撮らなければならない。
刹那ですよ。まさに。
わたしは刹那主義です、とくに写真に関しては。
きっと野球だけじゃなくて、わたしが撮る被写体はすべて「今ここにある瞬間」しかないんだと思います。
そこに阪神がおるなら球場に行きます。
外野にもちょいちょい行きます。
遠慮のないコミュニケーションが大阪に似ていて安心する。
ネット裏でレンズ構えているときとは違う種類の高揚感もいい。
わたしはもともと景気よく感情を出すタイプなので、喜怒哀楽のタタキ売り状態ですわ。
ビールがうまい!売り子のねーちゃんかわええ!斜め前のおっちゃんの野次がオモロイ!
外野は人間観察バンザイ空間といえるのかもしれん。
甲子園とかマリンとか神宮とかKスタとか、屋根のない球場最高です。気持ちいい〜!
自由だな。それが幸せとは限んないけどな。
それはもう、重々承知。
まとまりたいけど、まとまんないと思います。きっと、ずっと。
初めまして、まえだ ともみです。
JunkStageのボス?の須藤さんからスカウトされて、コラムを書くことになりました。
とはいえ、わたし文章力がまったく無いのでどないしようって感じです。
けれど、ボキャブラリーの少なさはストレートという表現に置き換えることでポジティブな印象になるって言われたんで、ならば、頑張っても急には文章もうまくはならないけど、便利な言葉を使わずに、ちゃんと自分の言葉で見たこととか思ったことを書いていきます。
わたしは、「写真」と「野球」で出来ています。
なんかもうカラダの一部というか空気というか…頭と心臓みたいなもんです。
あとは、自然と友達とおいしいもん(酒とかごはんとかアイスとか)があれば無敵ですね。
野球は猫科鉄道球団が好きですが、9割虎党です。
阪神の勝敗でわたしの喜怒哀楽が左右されるので、まわりはきっと大変やと思う。
球場では何してるかっていうと、ただひたすら野球選手を撮っています。
カープ女子的なファンではありません、ガチで撮ってます。
いろいろ思うことがあり趣向を少し変えつつあるので、今シーズンからスタンドとか散らばってるボールとかの風景も撮ってる。
ファインダーにうつる光景とそこに流れてる空気感をまるっと瞬間冷凍しちゃう感じ。
まあ、そこらへんについてはこれからボチボチ書いていこうと思います。
あ、あとは難民キャンプとかで撮ってたりもします。
ドキュメンタリーについてすごく考えてる。
何でも一度きりだからね、自分がわざわざ写真を撮って残したいものは何なのか…。ということにも繋がるのだが。
「それでも世界は美しい」、そんなことをずーーーっと相棒のカメラと一緒に信じてるわけです。
どんな何があっても写真が撮れることだけが救いだ。そういうことです。
最後に、わたしの話すことはあっちこっちに方向が変わります。
たまにとんでもない明後日の方向に飛んでゆくくらいがオモロイって感じてる人間だから、しゃーないんです。
そんなわけで、これからどーぞよろしくお願いします。