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2012/03/19

kyoku-goma miya mimasu spinning top japan曲独楽の歴史の話は

各時代のお客さんからの

要求が

どんなものだったのかを知る事

 

それが  とても大切ですが

 

あいにく

 

講談師 見てきたような ウソを言い

 

と あるように

曲独楽についても、確かな証拠が無いけれど、

口伝えで続いてきた口上などに、

おそらく 江戸時代の曲独楽の公演風景を知る手がかりはあると考えてはいる。

 

それと同じく調べていきたいのは、

地域性がある遊びや儀式との関連がないかどうかということ。

 

道具というのは 発祥に歴史があってとても興味深い。

私が三増紋也師に入門して、すぐに所属した

太神楽曲芸協会…

 

先日、その時に曲独楽の生徒だった○三さんが来られた。

 

彼から聞いたら、太神楽曲芸協会の代表者と中国の雑技団とが交流、

互いに発祥の歴史を学ぶ機会があったそうで。

 

中国側はやはり、農作業の合い間に農機具を使って芸を考えたのでは…?

というご意見だった。

 

ところで各国の技芸の交流では必ず、互いの文化について理解しあう為の会談や、

発表の機会があり、私にしてもささやかながら、

台湾の宜蘭の国際イベント参加の時に、曲独楽の事を、

「米を作る事の神聖さ、人同士の称えあい、交流が目的の芸」というように、

(通じていたらだけれど)

紹介させていただいた。

 

(余談・宜蘭県は、今「コシヒカリ」栽培を愛媛県の農家と一緒にしているので、

とても嬉しい。)

 

日本の文化を尊敬、尊重してくれる台湾の方々には、本当に学ぶ所が多い。

 

だから、私たち日本側も、くれぐれも自分の地域の文化や、

自分の育っている国の伝承された知識の事を大切にして欲しいと思う。

 

日本の技芸が安易に扱えない事が多いのも、歴史が長いと数え切れない事柄が、

人同士の信頼関係でだけ、何とか維持されている場合もあるからなのであって、

決して技芸を磨いていないから古いのだという結論には至らない。

 

交流がない立場の人から考えたら、こういう事を書いても、

理解の外となるのも無理は無いけれど、

ネット上で何でも公開して良いとは言えないから、

安易な方向へ流れて、心を置いていかないよう気をつけたい。

 

やはり、歴史ある芸も、その発祥から離れていくほどに

しっかりと伝えるための調査は必要だし、自分だけでは無く、

他の歴史や地域・地元の詳しい人の

知識をお聞きして、きちんとしていかなくては、と思うようになった。

 

不思議なもので、こういう事をお知らせすると、

次々と交流も育っていく事がある。

ちょうど今、私もその交流を膨らませている所で、

これから楽しみになっている。

 

曲独楽の歴史を調べながら、木地師、大工、農業政策、過疎、都市化、植林、出稼ぎ、農産物と人の流れ、権力と大衆の生き残りをかけたせめぎ合いのような事柄が様々に見えてきた。芸の置かれた状況と似て、巡礼や遍路にも、差別が関係しているという話や、それに似て、飢饉や自然災害が多い日本の歴史の視点から考えないとわからない奥地の文化や暮らし。身分の高い人で失脚すると遠島となっていた日本、人里離れた場所に、本当に素晴らしい地域がある理由、そしてそこに住む方々の歴史、文化。

 

遠く離れた地域に、何故同じ歌や儀式が伝わっているのか、

どうして土地の名前と苗字が同じ人がいるのか、

土地独特の言い回し、約束事の由来など、

日本の文化は、本当に知るほどに愛しくてならない。

 

ネット利用者の年齢が今でも限られているから、

高齢の人の知識や体得している財産が消えていく現代に、

何とか歯止めをかける努力をしていかないと、

日本の宝は一体誰が心から愛するのか。

 

私自身、自分の立場から考えて、

親や先祖の生きてきた文化を見つめる力が必要だし、

楽しんできた心を、もう一度活き活きと栄養を与えてみたい。

 

私は父が、母が、祖母が愛した日本の芸が大好きだから、

太神楽曲芸はジャグリングじゃないと思っていて、

むしろ世界に誇る、娯楽の源流のひとつです。

 

それに、曲独楽はディアボロとは相容れない。

ディアボロこそは、長崎に伝わった唐独楽が元祖だから。

そして、ヨーヨーが仲間だし、

枠を広げると、ちょんかけ、ちょん掛け独楽も、そこに入る。

 

さて、技芸を習得する過程として、多少目先を変える工夫を、

若いときは試してもいいとは思う。

でも、日本の職工仕事に対して、

私は恥ずかしくない芸をするべきだと思うので、

工場での大量生産品を使う西洋式の芸への関わり方には、

今後もはっきりとした態度をとろうと思っている。

主体は、あくまで私たち曲独楽師にとっては、

 

日本本来の木地師が作る曲独楽でなければならない。

 

今までそうしてきたように、もし、現在の木地師が後継者を育成できなかったとしても、

これからの木材加工を志す若い人が、いつか、

この日本特有の曲独楽という、日本の木材と、

最先端の技術であった鉄の加工の工夫とが出会って生まれた芸に、

魅力を感じてくれる時があると願っている。

 

あの戦争で一時は途絶えた時代があったのだから。

2012/03/19 02:44 | 巳也芸談, 曲独楽まわる, 生き方 | No Comments

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