2012/05/15

昨年、自身が発表させていただいた研究会が今年も開催された。
ブータンの地域研究のみに特化した、マニアックすぎる研究会。

どちらかというと、事務局に近い立場に居るため、
「発表者が足りないようなら自分をアサインしてもらっても…」
と老婆心から口伝えしておいたものの、
なんら心配することもなく、発表者4組がすんなりと決まり、
参加者も満員御礼となった。

どうやら、先頃のブータンブームはすっかり一段落したものの、
アカデミックな領域では、ブータンは興味深いフィールドとして、
これからも注目されていくことになりそうだ。
有難くも身が引き締まることに。

さて、肝心の今回の発表テーマはというと、
教育から、言語学から、環境保護法から、漆工技法まで、千差万別。

まず気がつくのは、みな、当たり前のようにブータンに複数回、
場合によっては十数年に渡ってフィールドワークに入っているということ。

それから、マニアックであるが故に発表機会に飢えていて、
水を得た魚のようにノンストップで喋り続けるということ。

終日、発表者の勢いに気圧されながら、どこか高揚した気分に浸りながら、
ひっそりと、しかし大変盛況のうちに、会は幕を閉じた。

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せっかくなので、それぞれのトピックスについて簡単にご紹介しておこう。
正直、自分の知識レベルでは、これらの話が合ってるのか間違っているのか、
という判定は残念ながらできないので、その点はご了承いただきたい。

(1)
共に大分大学教育福祉科学部講師の都甲由紀子さん、川田菜穂子さんによる、
「ブータンにおける教員養成と学校教育の現状と課題」。
この発表で一番衝撃的だったのは、ブータンの学費の話。
Royal Thimphu College という、首都にある大学では、
寮生で Nu 150,000/年、自宅生で Nu 9,600/年(Nu 1≒1.7円)らしいのだが、
一人当たり所得が 1,870米ドル(≒Nu 93,500)/年 の世界で、
こんな寮費を払える家庭が、果たしてどれだけあるのだろうか…

(2)
秋田大学国際交流センター准教授の西田文信さんの指摘は面白かった。
「ブータン諸語の記述・歴史言語学的研究」と題して行われた発表の中で、
ブータンの地域言語において、「猫」の「舌」という単語を繋げた言葉が、
日本語の「猫舌」の意味に相当する、という話。
これだけでは、大いなる偶然で済ませられてしまう話なのだが、
はてさて、これは日本とブータンの文化的類似性を示すものなのだろうか?

(3)
国立国会図書館調査及び立法考査局農林環境課調査員の諸橋邦彦さんは、
「ブータン国家環境保護の特徴について」のご発表であった。
ブータンは環境保全を謳っている国家にも関わらず、
環境保護法制定は2007年と遅い、という気付きが研究のきっかけ。
それに対する回答として、2000年頃までは、ブータンにおける環境問題とは、
ほぼ森林問題と同義であり、森林法があれば十分であった、
という説明はなるほどと思わせる内容だった。

(4)
東北芸術工科大学非常勤講師の北川美穂さんによる、
(宇都宮大学教育学部准教授の松島さくら子さんとの共同研究)
「ブータンの漆工技法と漆器産地の現状」。
漆の化学式からはじまる、最後にして最高にマニアックな内容だったのだが、
ここでも興味深い論点が示された。
それは、ブータンにおける漆油採取や漆掻き法に、
日本の古典技法との類似性が見られる、ということ。

このように、日本との文化類似性をお二人が指摘したことは。。
と、こんなオープンな場で滅多なことは口が裂けても言えないので、
今後、包括的な文化人類学的研究が待たれるところ。

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さて、幸いなことに、というべきか、不幸なことに、というべきか、
自分がテーマとしている「ブータンの情報化」を取り扱う競合研究者には、
今回もお目にかかることはなかった。

これからの研究が相変わらず茨の道であることは間違いないわけだが、
ブータンでフィールドワークを行っている日本人がこれだけ居る、
という情報は、自分としては大いに励みになるものもであった。

ぜひ、上手く相互協力を図りながら、自身の研究も進めていきたい。

2012/05/15 12:00 | ブータン | No Comments
2012/04/30

意外と聞かれて困るのが、「ご専門は何ですか?」という問いだったりする。

法律や経済、あるいは、建築や機械といった学問分野と違って、
自分の専攻する「社会科学」というのは、酷く捉えどころがない。

というより、「社会科学」という学問自体が、学際的な領域を指し示すもので、
まるっと法学や経済学を含むものでもある。

そもそも、この世の学問(広義の科学)を大きく3つに分類すると、
「自然科学」、「人文科学」、そして「社会科学」に分けるのが通例のよう。
これらはそれぞれ、自然、人間、そして社会を対象とした学問ということになる。

つまり、専門が「社会科学」というのは、あまりにも広過ぎる分野を指しており、
「もう少し具体的には…?」と続けて聞かれることもしばしば。

ちなみに、「社会学(Sociology)」と「社会科学(Social Science)」は、
似て非なるモノ。
もっと言えば、「社会科学」の一分野で、社会現象やそのメカニズム、
あるいは、社会ネットワークや組織を扱う学問が「社会学」である。

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自分の、というか、ウチの研究室の研究対象は、「情報」なのだが、
これもまた酷く漠とした言葉である。

「情報」を扱う学問と聞いたとき、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、
「情報通信技術」に関する学問、つまり、「情報工学」のことではないだろうか。
おそらく、バリバリのエンジニアやプログラマの姿を想像して、
数学が得意な人の集まるド理系分野、と思っている人が少なくないように思う。

ただ、自分が属しているのは、どちらかというと文系寄り。
「情報」と人間社会との関わりや、その利活用といった内容の研究を行う、
「情報学」や「情報科学」と呼ばれる領域である。

ここで、また言葉の微妙なニュアンスの違いが出てくるわけだが、
先に述べたように、「社会学」と「社会科学」のケースでは、
「社会科学」の中に「社会学」が含まれるのだが、
それとは真逆で、「情報学」の中に「情報科学」が含まれる、
というのが、どうやら「情報」の分野では一般的のようだ。

実にややこしい。

さらに、「情報学」の中で、より社会科学的な分野を取り扱う学問体系としては、
「社会情報学」あるいは「情報社会学」という学問分野が存在する。
もはや、何がなんだか。

前者は、社会をキーとした「情報学」、後者は、情報をキーとした「社会学」、
という出自の違いを示しているのだが、結果的に、扱っている内容は酷似している。
が、学者という人種は、どうやらナワバリ意識が非常に強いようで、
なかなか、「じゃあ一緒にやりましょう」とはならないのが現状のようだ。

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最初に戻ると、自分の属しているのは、「社会科学」に分類される一分野、
であることはまず間違いない。

その中で、「情報」を扱う学問であることも疑う余地が無いのだが、
「社会情報学」と断言してしまえば、「情報社会学」と相容れず、
逆もまた然り、という、あちらを立てればこちらが立たず状態に陥っている。

結局、「ご専門は何ですか?」という問いに対しては、
「ブータンの情報化です」と、学問分野ではなく研究テーマを回答して、
ややお茶を濁したようになるわけで…

いい加減、依って立つところを定めた方がいいような気もしているのだが、
それすら揺らいでいる自分が、なんとも自分らしいような気もする。

2012/04/30 12:00 | 情報科学 | No Comments
2012/04/23

博士課程に進学して早3週間。

当面の課題は、
「これから3年間の学費、研究費、そして生活費をいかに確保するか」
に尽きると言っても過言ではない。

大学院生、特に博士課程の学生が、生計を立てる手段には、
主に次のようなものがある。

・奨学金
・日本学術振興会の特別研究員
・助手
・アルバイト

奨学金は最もスタンダードな生計手段だろう。
学内、学外含め、貸与(返済要)もしくは給付(返済不要)の2種類があり、
もちろん、給付奨学金の方がハードルが高い。

なお、多くの奨学金で、両親の収入が採用条件に含まれる。
要するに、金持ち家庭の場合、奨学金をもらえないケースが多い。

ただ、正直なところ、学部の学生までは、親の収入が学業の妨げにならないように、
という配慮は理解できるが、院生ともなれば、自力で生計を立てるケースも多い。
その場合、「金持ちの息子・娘は奨学金がもらえない=大学院生になりづらい」
という逆転現象も起こり得る。

独立行政法人・日本学術振興会が募集する特別研究員という制度に応募する、
というのが第二の手段。
これは、簡単に言えば、国がカネを出して研究者を養成しようというもの。
月額20万円と、新卒並みの金額が2〜3年間支給され、研究に専念できる。
が、もちろん、採用されるためのハードルは非常に高い。

助手は、大学内で職を得る一つの手段。
こちらも、研究に専念できる環境を確保できるが、採用枠は非常に少ない。

アルバイトは、…みなまで言うまい。

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とまあ、ざっと書き連ねてみたが、詰まるところ、カネに困らず研究できるのは、
ごく一部の限られたエリートだけ。当たり前だが。
それ以外は、バイトに明け暮れ、研究者なのかフリーターなのかわからない、
そんな生活を送ることになるのだ。残念ながら。

ただ、ごく個人的な持論を言えば、
研究一辺倒、というスタイルが、果たして良い研究環境かというとそうでもない、
とも思う。

前回の記事でも書いたが、半勤半学というスタイルで、
理論と実践を行きつ戻りつ、というのが自分としては理想的。

ただひたすらに与えられたカネで研究に没頭するというのは、
ハングリーであること、そして、社会との接点を持つこと、
その2つを失ってしまうような気がしてしまう。

で、なんだかんだ、自分はなにかしら実務に行き着きそうな、そんな予感。
が、学生という身分で、実のある仕事というのは、なかなかに得難いもの。

確かに、企業側からすれば、週3勤務くらいはまだ許容範囲としても、
長期でフィールドワークに抜ける可能性がある学生を雇用するのは、
リスク以外の何物でもない。

自分の場合、曲がりなりにも実務経験が3年間あるので、
おそらく、他の学生より、多少は条件に合う仕事が多いとは思う。
それでも、研究との両立は至難の業であることに変わりは無い。

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というわけで、今のところ、残り少なくなってきた貯金を食い潰す日々が続く。
懐も寂しく、かつ、社会との接点も薄れていくジリ貧状態。

そうは言っても、焦らず、しっかりと職探しをしたい。
実の無いバイトにかまけて、学を疎かにするようでは、
それこそ、会社を辞めてまでここに戻ってきた意味は無いのだから。

2012/04/23 12:00 | 大学院生活 | No Comments
2012/03/29

3月25日。
世の中は、前田敦子の「卒業」の方に注目が集まっていたようだが、
当大学でも、晴れて卒業式が挙行された。

なお、大学院の場合は、卒業式、ではなく、学位授与式が正らしいが、
AKB48ですら「卒業」という言葉が成り立つのだから、
我々がちょっとぐらい誤用したところで大したデメリットはあるまい。

それにしても、来週には同じ場所で博士課程の入学式があるのだから、
こんなにもテンションの上がらない卒業式も無い。
せめて、同じ研究室の後輩達の巣立ちを見送ってやろうと、
ちょっと高いシャンパンを贈ってやることに…したのだが、
まさかの、全く同じシャンパンを彼らも用意していた、という奇跡に遭遇。

去りゆく者たちと酒を交わしながら、夜は更けた。

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さて。
実のところ、博士課程に進む、という選択は、極めて悩ましいものだった。

以前にも書いたかもしれないが、会社を辞めたのも、
ビジネスの世界に嫌気がさしたとか、そういうことでは全く無い。
ただただ、一度触れてしまった「ブータン」というパンドラの箱の、
中身を覗かなければ気が済まなくなってしまったからだ。

修士を終え、再び見えたこの分かれ道は、
ある意味では、社会に戻ることができるかもしれない、最後の機会。

このまま大学に残るのか(もちろん入試はあったが)、
この経験を経て再びビジネスの道に戻ってみるか、
あるいは、全く新しい道を開拓するのか。

身体が二つあれば、または、一日が48時間、といわず36時間くらいあれば、
ビジネスとアカデミックの両立は、あるいは可能かもしれない。

裏を返せば、拘束時間は半分、報酬は半額、という働き方が可能なら、
半勤半学は成り立ちそうな気がする。
そして、それが、自分には一番向いていそうな気もする。

現代日本のパートタームワーク制度では、いかんせん、
拘束時間がコントロールできるが、報酬の額が微々たるもの。
これでは、「就職しない」という選択肢をそもそも選びようがない。

もちろん、大いに反論もあろう。
短い時間しか働かない人に責任ある仕事を任せられない、であるとか、
他の人と同じ時間帯で働いてくれないと困る、などなど。

ワークシェアリング、なんて、一時期流行ったりもしたが、
単純ルーチンワークでも無い限り、引継ぎだなんだと余計な手間ばかり増え、
結局、上手くいきそうにない。

無い物ねだり。
そんなに器用でもないし、そんなに体力もない。

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ただ、あながち、夢物語だとも思っていない。

人生の岐路で、一つの道を選び、専門性をとことん追求するのではなく、
目の前の手札をできるだけ減らさずに、そのときどきで、最前手を打つ。
そんな、夢が無いようで、夢のような、生き方もあるように思う。

ひとかどの者になりたい、という気持ちは、不思議と雲散霧消した。
元々、楽観的な性分ではあるが、ブータンと関わるようになってから、
「自分が世の中によって必要な人間ならば、きっと生かされるはず」
という、なんだか、神頼みのような思いが強くなった。

そんなわけで、もうすぐ、春。

2012/03/29 12:00 | 大学院生活, 雑記 | No Comments
2012/03/10

2月は、暇なような、それでいて忙しいような、
そんなふわふわした状態の中で、気が付けば過ぎていった。

たぶん、その大きな理由の一つは、
4月以降の自分の行く先が決まっていなかったこと。

博士課程に進むことが、半ば既定路線のようになってはいたけれど、
ウチの研究科は内部進学ができず、全員が一般入試を受ける必要があった。
ペーパーテストで基準点に満たなければ機械的に落とされる。
大学院なんて縁故の世界かと思いきや、そこらへんは至極ドライである。

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さて。
実は、博士課程進学の他に、もう一つ、来年の選択肢が浮上していた。
きっかけは、以下の求人を目にしたことだった。

ブータン政府観光局 求人情報
http://www.travel-to-bhutan.jp/archives/765

「ブータンで1年間働ける」
この2年間、ブータンに関わってきた人間にとっては、
この上も無く魅力的な、このオファー。

あまりに拙い語学力、そして、観光業未経験、という点を踏まえれば、
受かる確率は限りなく低いことは目に見えていた。

ただ。
異文化下で働く、という経験は実に得難い。
一応、一部上場企業でマネジメントの経験も僅かばかり積んでいたので、
まるっきりド素人というわけでも…たぶん無い。
ブータン研究をしてきたので、ブータンに関する知識も…それなりにある。
観光という、言わば「ブータン」そのものをコンテンツとみなした場合に、
どのようなビジネスが展開できるのか、その可能性にも食指が動いた。

1年間という期限付きなところも、実際のところ、かなり惹かれた。
研究活動を再開するとして、そこで培った人脈等は大きな財産になる。

早速、担当教授にご相談したところ、
「チャレンジしてみよ」との有難いお言葉。
肚は決まった。

というわけで、せっせと応募書類をこしらえて、果報を待つ。
実は、同時並行で上記の入試が進んでいたので、割とてんやわんや。

待つこと1週間。
大変残念ながら、不採用の通知をいただいた。
が、同時に、少しばかりホッとしたのもまた事実。

冷静に考えれば、自らは得るものがあまりにも多く、
が、しかし、ブータン側に与えられるものがあまりにも未知数。
ちょっと欲をかきすぎた。

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というわけで、無事、博士課程の合格通知を手にして、今日に至る。

逃した魚は大きいが、自分に足りないものを見つめ直すきっかけにはなった。
一にも二にも、英語力は身に付けておいて損無し。

実は、博士課程の入試も英語で、当落線ギリギリだった、ことは内緒だ。

来夏は、本格的に語学留学検討しよう…

2012/02/29

海外放浪癖があるくせに、残念なくらい英語ができない。
一人で海外に行ったりしてるんだから、
さぞ英語できるんだろうと思われてることが多いが、
行くのは基本英語圏ではないので、ほぼ無関係である。

むしろ、
非英語圏でコミュニケーションを取ろうとすると、
向こう側も英語に不慣れな場合が多いので、
しっかり構文を組んだ英語の方が、逆に聞き取ってもらえない。

で、「単語」+「ジェスチャー」のカタコト英会話を多用する。
そうやって、無理矢理コミュニケーションをとることに慣れてくると、
それに反比例するように英語力は下がっていく。
というのが、ここ数年の実感。

外国人とコミュニケーションを取ることへの抵抗感はほぼゼロになったが、
むしろ英語が喋れない人とのほうが、分かり合える気さえする。

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高校時代、英語は最も苦手な科目だった。
当時は、海外にさほど興味が無かったので、
正直、捨て科目とさえ思っていた。

高3のときには、担任だった英語教師にすっかり嫌われてしまい、
大学の合格が決まった後、担任にその旨を連絡したところ、
「そうか、残念だったねえ」
と、意味不明の回答が返ってきたのを記憶している。
(要するに、担任は、受かるはずが無いと思っていた)

そんなこんなで、今。

大学院生ともあろうものが、英語の一つもできないのは、非常にマズい。
何よりも、研究対象であるブータンは、実は隠れた英語圏なのだ。
ブータンでは、小学校から、ほぼ全ての科目を英語で教えており、
今の三十代以下くらいの若い世代のブータン人は、ほぼ100%英語ができる。

これまで3回の渡航で、そのことを痛感したこともあって、
この春休みは、絶賛、英語力の向上に努めている、とこういう次第である。

なお、今のところ、目立った効果は出ていない…

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そんな折、今週の週刊ダイヤモンドでこんな記事が。

凄絶!楽天の「英語公用語化」│週刊ダイヤモンド
http://diamond.jp/articles/-/16303

中身を読んでみると、「凄絶」と脅すほどのことはない、
普通の社員英語教育を施しているだけのようにも感じられる。

TOEIC推奨点数が、役員800点、課長以上700点、平社員600点らしいのだが、
600点程度の英語力では、日常会話すら覚束ないはず。
名ばかり公用語になりはしないかと、他人事ながら心配になる。

さらに記事を読み進めていくと、
「一部の社員をフィリピン・セブ島へ短期留学させた」との記載が。

実は、最近、友人から、「英語留学ならセブ島が断然安くていいらしい!」
という噂を耳にしており、その真偽を疑ってかかっていたのだが、
図らずも、こんなところで目にしてしまい、少しだけ疑念が晴れた。

自分自身、個人学習をしながらつくづく思うのは、
読み書きは独力でなんとかなっても、話す聞くは実践が伴わないと無理、
ということ。

これまで留学なんて毛ほども考えたことがなかったけれど、
ここ最近、にわかに現実味を帯びてきている。

セブ、か…

2012/02/29 12:00 | 大学院生活 | No Comments
2012/01/28

さすがに、一時のブータンブームもだいぶ落ち着いてきた今日この頃。

国王の来日が、昨年の11月15日。
まもなく、2ヶ月半が過ぎようとしている。
「人の噂も七十五日」とはよく言うが、
ブームが鎮まるにはちょうど良い頃合い、といったところだろうか。

このブームの中で、特に感じたのは、
「おいおい、日本にこんなにブータン関係者居たのかよ」
ということ。

自分が研究をはじめた2年前を思い返してみると、
ブータン関係者を探し当てることすら困難だった。
それが、ここへきて、「自分もブータンに関わってました」という類が、
わんさか湧いて出てきている。

残念ながら、有象無象の連中が寄ってたかってきていたのもまた事実。
勿論、自分とて、たった2年の関わりなのだから、
そういった連中と大差無いと言えば大差無い。

ブータンについて、あることないこと広まったこのブームだが、
良くも悪くも、ブームの終焉と共に、人々の記憶からも消えていくのだろう。

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さて、そうはいっても、
今回、ブータンに触れたことで感じ入って、
これからブータンを訪れようという日本人は確実に増えていくだろう。

ブータンの魅力は、とても一言では説明できないが、
日本人が惹かれる理由の一つに、このコラムでも何度も触れている、
「GNH(Gross National Happiness)」という考え方があるように思う。

ただ、勘違いしてほしくないのは、
ブータンは確かに、幸せを目指している国、ではあるけれど、
巷で騒がれているような「幸せな国」かどうかは、大いに疑問符が付く、
ということ。

よく引用される、幸福な人の割合が97%、という数字が一人歩きしているが、
この数字には、統計のカラクリ、というヤツが隠されている。
(あまり滅多なことは書けないので、興味がある人はご自身で調べてみてほしい)

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最近、自分自身、幸福観について考える機会があったのだが、
その中で、「最大公約数的な幸福観」と「最小公倍数的な幸福観」という、
相対する概念を導入することで、日本とブータンの幸福観の違いが見えてこないか、
という発想が浮かんできた。

「最大公約数的な幸福観」とは、
誰もに共通の、最低限度の幸福(生活)を保証しよう、という考え方。
他者の幸福を侵害しない範囲において、競争によって限りある幸福を奪い合う。
「個人主義の幸福観」や「減点法の幸福観」、「演繹法的な幸福観」
と言い換えても良い。

一方、「最小公倍数的な幸福観」とは、
それぞれが役割を果たすことで、社会的幸福を追求しよう、という考え方。
個人の幸福は、社会の幸福が実現されることで、自然と実現される。
こちらは、「全体主義の幸福観」や「加点法の幸福観」、「帰納法的な幸福観」
と言い換えることができる。

単純に、前者が日本で、後者がブータン、と結論付けるつもりは無いが、
もう少し深堀りしてみると、ちょっと面白い論になりそうだ。

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幸福を目指す社会。
その一つのヒントが、そもそもの幸福の定義、すなわち幸福観を変えてしまうこと。
という考え方は間違っていないと思うのだが、アプローチの方法としては不適当だ。

幸福観を変える、というのは、
「あなたが変われば、世界は変わります」
と言っているのに等しいからだ。

つまり、どうしてもそのアプローチでは、
宗教勧誘じみた方法論に足を踏み入れてしまう。

日本では、兎角、新興宗教は嫌われる傾向にある。
それは、どうしても、あのオウム真理教の陰がチラつくからだろう。
この年末年始、世間を騒がせた平田容疑者逮捕の報は、
17年が経った今でも、あの事件が風化していないことを思い知らされた。

昔、友人に、こういう川柳を詠んだヤツが居た。
「信じるの 隣に者と 書き足せば 儲けとなりぬ オウムの野望」
…上手いこと言っている場合ではない。

信じる者は救われる、というのは、一方では真実だとは思う。
負の側面に目を瞑り、正しいと思えるモノだけを見続けていれば、
どす黒い感情の渦に左右されない穏やかな暮らしが保証される。

ただ、自分としては、そこへ逃げ込まずに、
幸福を追求し続けるブータンから、時にはヒントをもらいながら、
日本なりの「しあわせのかたち」を、もう少し、考えてみたい。

そんなとりとめも無いことを考えた、大寒の候。

2012/01/28 12:00 | ブータン | No Comments
2012/01/10

2012年が明けて、早10日。
何を隠そう(や、全く隠してないが)、元旦生まれの私、
めでたく三十路を迎えました。

とはいえ、今更、大きな変化も無く、
淡々と、しかし緩やかに、日々、身体が衰えていく毎日。
時の流れに抗っても仕方無いとは思うものの、
さすがに弱り切った足腰を鍛え直そうかとも思いはじめている、
そんな初春。

さて。
この年末年始は、ほぼ修士論文の執筆に費やしてしまった。

〆切が年明け7日という設定自体が、そもそも、
「年末年始缶詰宣言」に等しい仕打ちだと思うのだが、
まあ、文句があるなら、しっかりと年内に終わらせて、
すっきりと年を越せばいいのだ。

勿論、そんな計画性のある人間ならば、
大学に7年も通ったり、会社を3年で辞めたりはしない。
バッチリと、確実に、年末年始進行に突入したのは言うまでもない。

年越し「ガキ使」を見ながら論文を書いている時などは、
ある意味、「笑ってはいけない修論執筆」を演じている気分に陥った。

しかも、元マネージャーの藤原が、事あるごとに、
「藤原、お前ええかげんにせえよー」と浜田や松本に言われるので、
その度に、ビクッとなってしまうのが、ややこしいことこの上ない。
まあ、見なければいい話なのだが。

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閑話休題。

修論に関しては、無事に提出することもでき、いまは一段落。
まだ、これから口頭諮問、そして審査が控えているのだが、
大きな山は越えたと言っていいだろう。

この場を借りて、ご協力いただいたみなさまには、
深い感謝の意を表しておきたい。

思えば、ブータンに関して何の知識も人脈も無い状態で、
「ブータンの情報化」について研究すると大見得を切って、
挙句に、会社まで飛び出してしまったのが、2年前の春。

ただの馬鹿野郎でしかないにも関わらず、
会社の同僚には、幾多の温かい言葉をかけていただいた。

ブータンに関わったこの2年で、多くの方に出会うことができ、
昨秋には、ブータン国王来日のレセプションにまで参加するという、
有り得ない経験までさせていただいた。

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まだ道半ばではあるが、
三十という自らの節目を迎えたこともあり、
少し、歩んで来た道を振り返る、そんなお正月でもあった。

年内最後のコラムで、「三十にして立つ」という孔子の言葉を引いた。
思えば、二十代は、十代の頃の貯金で乗り切ってきたようなものだ。

二十代後半は、独り、あてどなくふらふらしていた。
南米へ行き、中東へ行き、モロッコで九死に一生を得、
インドへ行き、バングラデシュへ行き、チェルノブイリにも行った。
白神山地へ行き、瀬戸内海へ行き、京都で漫画喫茶にも泊まった。

あてどなく、しかし、見識を広げようと努めてはきた。
ただ、あまりにも行き当たりばったりだったせいもあって、
結局、どこにも行き着けなかったような気もしている。

今年は、いや、三十代は、アウトプットの年に。
それを年頭に、日々過ごしていきたい。

2012/01/10 12:00 | 雑記 | 1 Comment
2011/12/31

暮れも押し迫った12/31に、年内最後のご挨拶をば。

2011年を、みなさんはどんな年として記憶するのだろうか。
真っ先に思い浮かぶのは、どうしても、東日本大震災の年。

国際社会の中でも、どうやら同じ思いのようで、
Googleの作った、今年を振り返るしみじみする映像の中でも、
件の震災がトップに来ている。

この映像、もう少し作成時期が遅ければ、
金正日総書記死去のニュースも掲載されただろうか。

十年来のMacユーザーとしては、ジョブズの死も、哀しかった。
松田直樹の死も哀しかった。

………………………………………………………………………

自分史的ニュースを、各月ごとに振り返ってみる。

1月 30歳へのカウントダウンスタート
2月 2度目のブータン上陸
3月 バングラデシュで東日本大震災の一報を聞く
4月 ボランティア活動のため被災地へ
5月 ゼミで気仙沼復興支援プロジェクト開始
6月 10年ぶりにパスポート更新
7月 サッカー女子W杯で川澄に萌える
8月 3度目のブータンで突撃100人インタビュー実施
9月 チェルノブイリ訪問
10月 競馬・凱旋門賞観戦&モンサンミシェル訪問
11月 ブータン国王歓迎レセプション参加
12月 ブータンナショナルデイで司会

と、大体ブータンづいていた1年だったことが浮き彫りに。
世間のブータンフィーバーも相まって、特に年の後半は、
割と慌ただしく日々が過ぎていった。

年明け早々には、この1年、というか修士2年間の集大成としての、
修士論文を提出しなければならない。
正直に言うと、まだ、書き上がっていない。

早い話が、ここでこんなコラムを書いている場合じゃない、ということだ。

………………………………………………………………………

来年は、無事に修士を卒業できれば、
また、次の舞台へと歩みを進めることになる。

実は、まだ固まっていない。
齢三十になろうというのに。

ただ、少し考えていることもあるので、
多分、追々、ここでも公表できるだろう。

孔子曰く、三十にして立つ、と。
おそらく、ちょっと意味は違うだろうが、そこはそれ。
都合の良いように解釈するのも、ブータン流の幸せ力、かもしれない。

それでは、みなさま。
良いお年を!

2011/12/25

去る、12月5, 6日の二日間、
「幸福度に関する国際カンファレンス」なるものが、
政策研究大学院大学という、大学なのか大学院なのか、
なんのこっちゃかよくわからない場所で開催された。
(実際には、学部を置かない大学院だけの大学のこと)

「幸福」を指標化しようという動きは、いま世界中で活発化している。
指標にならなければ、政策に反映できない、というのがその根拠だ。
それ以前に、世界がそんなに「幸福」に飢えている、ということでもある。

これまで国際社会は、GDPに代表される経済指標の他に、
さまざまな社会発展の度合いを測るための指標を開発してきた。
例えば、国連のHDI(Human Development Index)では、
GDPに加えて、教育と健康(平均余命)を指数として導入した。

また、民間企業や団体も、独自の基準で幸福を測ろうと試行錯誤している。
イギリスの環境保護団体は、HPI(Happy Planet Index)を考案し、
アメリカのギャラップ社は、毎年、世界幸福度調査を実施している。

いずれの指標でも上位に来る国もあれば、
指標によっては順位が大幅に変動する国もある。
ちなみに、日本は後者の典型的な例だ。

そんな中、昨今のブータンブームに乗って、いま、注目を集めているのが、
ブータンのGNH(Gross National Happiness)という考え方。

国民の97%が幸せな国、なんてワイドショー的な文句を、
どこかで耳にしたことがある方も多いのではないだろうか。

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先のカンファレンスの冒頭、基調講演に立ったのは、
ブータンのGNH委員会長官、カルマ・ツェテーム氏。

氏は、GNH政策を、
「40年も前から、意図的に他の国と違う道を選択してきた」と語る。
その言葉通り、ブータンのGNHへの取り組みは、
先代国王が即位した直後、1970年代初頭まで遡る。

あまり細かいことを書くつもりはないが、
ブータンのGNHは、大きく、4本の柱と9つの重点課題から成る。

まず、4本の柱とは、次の4つ。

「公正で持続可能な社会経済発展」
「伝統文化保全とその促進」
「自然環境保全」
「良い統治」

実は、GNHの考え方が生まれてからしばらくの間は、
この4本の柱のほかには、GNHを測る指標のようなものは何も無かった。

近年、ブータンでも、国民の幸福度、あるいは、豊かさを測る指標、
といったものが必要、という趨勢が強くなり、
2008年から、9つの重点課題を設定することになったのだ。

「暮らし向き(Living Standard)」
「健康(Health)」
「教育(Education)」
「コミュニティの活力(Community Vitality)」
「良い政治(Good Governance)」
「時間の使い方(Time Use)」
「文化の多様性(Culture)」
「生態系(Ecology)」
「心の健康(Psychological Wellbeing)」

これら、9点について、それぞれ、指標化するための質問項目があり、
それらを踏まえて、国民の「幸福」を測ろうという試みがはじまっている。

参考文献:
枝廣淳子 et al.(2011)『GNH(国民総幸福): みんなでつくる幸せ社会へ』

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そんな中、日本国内でも、「幸福」を測ろうという動きが起こっている。

先だっては、法政大学の坂本先生を中心とした研究チームが、
47都道府県の幸福度ランキングなるものを発表した。

様々な社会経済指標で得点を付して、作成されたこのランキング。
実際中身を見てみると、幸福度を測ることそのものよりも、
ランキングを作ることが目的、かのように自分には見えてしまったのだが…

ちなみに、1位は福井県、以下、富山、石川と北陸の県が続く。
一方、最下位は大阪府で、東京都は38位だそうだ。
自分が住んだことのある宮城、鹿児島はそれぞれ36位、35位。
偶然にも、東京も含めて、随分と近いところに固まっている。

全くの余談だが、北海道に、その名も「幸福駅」という駅がある。
そして、この土地は、幸福度1位の福井県からの移住者が多いそうだ。
関連があるのかないのか、そのあたりは不明だが…
70年代ブームの幸福駅、人気再燃│asahi.com(朝日新聞社)

さて、日本政府も本腰を入れて、指標化の取り組みをはじめている。

内閣府が組織した、幸福度に関する研究会は、
大阪大学の山内先生を中心に1年に渡って会議を重ね、
先日のカンファレンスに際して、その研究会報告が公開された。

中身をまだ読み込めてはいないが、
社会経済状況、心身の健康、関係性、を3つの柱として掲げ、
それらを下支えする要素として、持続可能性を考慮しているようだ。

また、地方自治体単位での動きもある。
東京都荒川区では、GAH(Gross Arakawa Happiness)という、
冗談のような本気の取り組みを進めている。

それぞれ、リンクを貼っておいたので、
興味がある方は、是非、各々で中身を参照していただきたい。

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と、ここまで書いてきていまさら言うのもなんだが、
正直、筆者は、たしかにブータンの研究をしているものの、
ブータンのGNHの研究をしているわけではない。

それは、そもそも「幸福」という極めてあやふやなものを求めて、
かくも右往左往する人々の姿に、少し冷めてしまっているから、
かもしれない。

ひとつ、勘違いしてほしくないのは、
「幸福」を測ろうと努力することと、これからも「幸福」であることは、
必ずしもイコールではない、ということだ。

「幸福」は、果たして「見える化」してしまってよいものなのか。
そこに、本当に「幸福」の正体があるのか。
それは、誰にもわからない。

さて。
今日はクリスマス。

聖夜に「幸福」について考えを巡らせることは、
果たして、「幸福」なのかどうなのか。

答えはきっと、神のみぞ知る、といったところだろうか。

2011/12/25 12:00 | ブータン | No Comments

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