皆様、おはようございます。
お盆が終わって、大阪に帰ってきたわけですが、
檀家さんを回らせていただいて思うところを書かせていただきます。
はい、今日は完全にお坊さんモードです。
ちょっとウザいかもしれませんが・・・・。(笑)
まず、去年と今年に檀家回りさせていただいたのが、
千葉県銚子という、農業か漁業メインの、
いわゆる田舎であることが背景になると思うので、
そこのところをご承知置き下さい。
200軒ほども回らせていただくわけですが、
それだけ数があれば、実に様々な仏壇の様相がございます。
もちろんごく普通の真言宗の仏壇、
本尊が大日如来で、向かって左に不動明王、
向かって右に弘法大師、というのがメイン・・・
実はメインではなかったのです。
まあ、もとは智山派のお寺ですから、
本尊の大日如来だけ置いてある仏壇は
百歩譲って標準的と数えるべきでしょう。
3つ揃いと大日如来だけ、この2種類をメインと言いたいのですが、
残念ながら、およそ半数の檀家さんがこれを満たしていません。
・・・実のところ、半数でもお世辞気味の発言です。
まず、本尊のない仏壇が目立ちます。
それから、元は立正佼成会だった仏壇や、
元は創価学会だったと思しき仏壇、
これらが半数、下手すると半数以上を占めます。
あと、少数ながら、元は浄土系だったのでしょう、
阿弥陀如来が本尊の場合もあります。
さて、仏壇の基本的な構造を見てみましょう。
基本的に、中は三段の構えになっているはずです。
上段は本尊と脇侍、中段は位牌や過去帳、
下段は供養のためのもの、香炉や花瓶を置きます。
これが仏壇の基本的な使用法です。
先ほど、「ごく普通の真言宗の仏壇」と申し上げた、
大日如来を中心とする三尊をお祀りしている仏壇であれば、
基本的な構造以上にいじることはできませんから、
あえてここで論じる必要はないと思います。
私が取り上げたいのは、それ以外の仏壇です。
大日如来だけ、という仏壇であれば、
その両脇のスペースが空くことになります。
本尊なしの場合、どのスペースも使い放題です。
日蓮系宗教団体の場合、
本尊(南無妙法蓮華経、が本尊のようです)と、
脇の掛け軸がその特徴です。
私が最も問題視するのは、位牌をどこに置くか、です。
もし大日如来などの本尊がなければ、
「○○家先祖代々之霊」と書かれた位牌が、
いわば、一番偉いことになります。
この場合、たいてい本尊の来るべき段にこの位牌が置かれます。
そういう位牌がない場合、直近で死んだ人の位牌を
本尊の位置に置く家庭が多いようです。
こうなると、一体この箱は何壇なのですか?ということになります。
仏壇と称する仏教の産物であれば、
仏様をお祀りしてこその仏壇なのではないでしょうか?
○○如来、と名のつくものを本尊にしてこその仏壇では?
少なくとも、観音様など、菩薩くらいは本尊にすべきでは?
大変失礼ながら、文化水準の低そうなご家庭ほど、
仏壇の中はシッチャカメッチャカです。
仏(ほとけ)って何のことだか知っているとは思えないのです。
ひょっとすると、死人=仏、なんて俗語解釈を、
そのまま持ち込んでいるのではないでしょうか。
上段を見るなり、卒倒しそうになった仏壇があります。
中央に「先祖代々之霊」の位牌。
向かって右側に大日如来が置いてあったのです。
「お前のところのご先祖様は大日如来より偉いんかい!!」
喉元まで叫びが出そうになりました。
別に仏様がお怒りになっている、
などと言うつもりはありませんが、
仏壇の何たるかくらいは真剣に考えてもよいのではないか、
そう思って書いております。
あるお宅で、ネギを添えたそうめんを供えていました。
なぜ気にかかったかというと、ローソクを点けていたら、
プ~ンとネギの匂いがしてきて気付いたのです。
「薫酒山門に入るを許さず」というくらい、
この中の薫に、ネギ類は入っています。
仏様が嫌がられる匂い、ということなので、
普通は仏壇には供えません。
この程度のことであれば、と指摘致しましたが、
それは知りませんでした、と感謝されました。
しかし、本尊を置け、とか、
位牌をここに置くな、とかいうことは、
その人達の先祖に対する気持ちの表れである可能性もあります。
それに対して迂闊に指導がましいことは言えません。
もちろん、正しいか?と尋ねられたら、
正しくない、出来たら模様替えしなさい、と即答しますが、
こちらからズケズケと言うのは憚られます。
皆様には、こういう場ですから、
あえてズケズケ申し上げることに致します。
今一度、我が家の仏壇を見直していただきたいです。
仏壇の意義に忠実な仏壇にして下さい。
正直なところ、本尊なき仏壇では、
我々僧侶がお参り申し上げる意味がありません。
仏壇は「仏」壇なのであって、
「先祖」壇ではない、ということをお考え下さい。
これは仏教でさえあれば、宗派は問わず言えることです。
仮にも仏壇を置いている以上、
「知らなかった」という言い訳は通用しません。
置いてある仏壇の基礎知識くらいは仕入れましょう。
皆様、おはようございます。
更新が滞っておりまして、申し訳ありません。
週休1日、という状態で毎日劇場に監禁されており、
PCを開くことも出来ない日が続いています。
今日はやっとお休み・・・。
とはいえ、連載しているコラムの続きを書く気力は起きず、
近況報告を書いてお詫びとしたいと思います。
只今、佐渡裕指揮、バーンスタイン作曲のミュージカル、
「キャンディード」の詰めに入っております。
兵庫県立芸術文化センターでの公演の後、
東京に移動してオーチャードホールで公演します。
毎日毎日稽古なのですが、
断続的に続いてきた音楽稽古に続き、
6月27日からはダンスの振り付け稽古に入りました。
正直盆踊りさえ怪しい私に、このダンスはハードです。
特に、14時から21時まで、
途中休憩はあるものの、6時間タンゴを踊らされた時は、
死んでしまいました。
腰と背中がガチガチになりましたので、
劇場近くの、親父が使っている整骨院のお世話になっています。
その後外国人ソリスト&ダンサーを交えた立ち稽古をし、
昨日までの1週間は舞台稽古。
昨日、一昨日と衣装がつきましたが・・・・
おかげで着替え、早替えに追われています。
中には30秒早替えもありまして、
暑くてかく汗、冷や汗、両方かいている次第です。
明日は衣装付きの通しがあり、明後日はオケ合わせ、
続いて2日間オケ付き舞台稽古があり、
HP、GPと続いて1日オフがあり、
24日から本番開始。
西宮で7公演、東京で8月6日から3公演あります。
・・・というわけでございまして、
お盆が終わるまで更新する自信が正直なところ、ございません。
3日から東京に行き、帰ってくるのはおそらく17日。
今年も千葉は銚子のお寺でお盆の檀家廻りのバイトです。
いやはや、ハードスケジュールです。
まあ、稼ぎ時、ということでご容赦下さいませ。
皆様、おはようございます。
さて、今日は「こうもり&メリー」がどうなったか、
その公演当日の模様をお話し致しましょう。
平日夜、確か木金の公演だったと思いますが、
昼間に場当たりとゲネプロ(最終リハーサル)、
そして夜の本番、というスケジュールを
2日にわたってこなしました。
件の人妻は2日目「メリー・ウィドウ」にご出演でした。
1日目は大きな事故もなく、終えることができましたが、
翌日は場当たりからして波乱でした。
「こうもり」の場当たりを終え、
「メリー」の場当たりとなり、
この人妻が出る場面になるなり、
Y氏はプロデューサー権限と称して、
指示出し用のマイク(「ガナリ」といいます)を独占。
彼女の一挙手一投足にまで文句をつけ始めました。
そも「場当たり」と呼ばれるのは、
入退場の確認と、演技スペースに不都合はないか、
道具はしかるべく配置されているか、など、
場と物、そして人の運びを確認する作業です。
演技はほとんどしない行為なのですから、
演技に文句をつけるべき時間ではありません。
この場当たりに時間を使いすぎ、
さらにゲネプロでもY氏は彼女に直接ダメ出しを続けたため、
きちんと通したゲネプロは出来ませんでした。
本番になって初めて、ある場面で彼女の着替え(自前の服)が
間に合わないことがわかったのです。
それも、出るべき時になって本人が登場できなかった、
という事故が起こって初めてです。
これは、オペラ上演にあるまじき失態です。
さらにいえば、Y氏自身、この「メリー」のキャストでした。
主役の1人であるにも関わらず、
普通なら考えられない状態で舞台に臨んでいました。
歌詞がほとんど頭に入っていないのです。
少し歌詞を度忘れしてしまった場合、
何とかその場しのぎに適当なことを言って誤魔化すことはあります。
ところが、それが全体の9割に及んでいるとしたら、
それは大きな問題だと思います。
また、Y氏は歌詞を覚えられないものだから、
自分が演出する「こうもり」の稽古ばかりして、
「メリー」の方にはほとんど時間をくれない、
という稽古状況でした。
しかし、それでは益々歌詞は覚えられません。
結局、全体の9割はボソボソと嘘の歌詞を小声で歌い、
覚えているところだけ大きな声で歌う、という
極めて不誠実な歌い方で本番を乗り切りました。
・・・これを乗り切った、と言えるならですが。
とりあえずボロボロな本番を終え、
打ち上げの席に移動しました。
この席で一旦打ち上げを終了した後、
状況を見かねた共演者が中に入って、
Y氏の、例の人妻に対するパワハラ問題について
話し合いを持つことになりました。
話し合いの内容については、
書いてはいけない、などとは思わないのですが、
到底書きたいと思えるようなものではありません。
Y氏は自己弁護の抗弁に終始し、決裂して終わりました。
これほど胸糞の悪い打ち上げを終えたこともありません。
私は、ヘトヘトになって大阪に帰りました。
この話し合いの中で、あることがY氏に知られてしまいました。
それは、mixiで私がその人妻の話を聞いてあげていた、ということ。
これを、感情の高ぶってしまった人妻は言ってしまったのです。
そのことが、私の運命を決定付けてしまうことになります。
それは、私もY氏の敵である、とY氏に認識されてしまった、
ということなのです。
次回は、その後に起こったことについて書きたいと思います。
皆様、おはようございます。
今回は翌年、モーツァルトイヤーであった2006年に出演した、
「皇帝ティートの慈悲」、「こうもり&メリー・ウィドウ」
両公演について書いていきましょう。
前者にはタイトル役のローマ皇帝ティート役で、
後者には、両演目の指揮者、及びメリーの演出として参加しました。
前者が7月1日と2日、後者がその数日後という、
稽古日程としては過酷なものでした。
そんな過酷なスケジュールにしたのはなぜか、というと
私は仮にも大阪からの出張ですので、
効率的に稽古、上演しないとお金がかかりすぎるからなのです。
どちらも同じ団体の公演。(つまりY氏のプロデュース)
一方の稽古のない日に、他方の稽古を組むものですから、
私には休日というものがありませんでした。
「ティート」では主役を歌い、
「こうもり&メリー」ではずっと腕を振り回している、という状態。
これでは体はすぐにクタクタになってしまいます。
加えて、色々と思うように進まないことがありました。
まず、「こうもり&メリー」の合唱集めがうまくいきませんでした。
おかげで、実際に蓋をあけてみると、
苦心して書いた上演台本の意図は実現できなくなりました。
しかも、Y氏はプロデューサーであることの他に、
「こうもり」の演出、「メリー」のダニロ役をしていたのですが、
ドイツ語上演した「メリー」のダニロ役がいつまでも覚えられず、
それを誤魔化すために、「こうもり」の稽古ばかりするのです。
「メリー」は結構ダニロが活躍しますから、
それなりに稽古してくれなければ、立ちが決められない。
そして、同時進行の「ティート」がどんどん迫ってきて、
私にも余裕がなくなり、ものを考える力が失せてきます。
とうとう、「メリー」の演出が危なくなってきました。
さて、この「こうもり&メリー」には、
関西から私の友人も参加していたのですが、
彼が「メリー」の細かい演技をつけることを買って出てくれました。
つまり、私の台本に基づく下請け作業です。
Y氏からも、「どんどん下請けに出さなきゃだめだよ」
と言われたので、私はこの友人にかなり任せ、
最終的な調整のみ私がチェックして行うことにしました。
友人は、大変よくやってくれました。
一方、「ティート」の現場も大変なものでした。
私の組の女性歌手たちは皆、反Y氏派になり、
最終的には指揮者も反Y氏になりました。
ある時など、Y氏が演出の現場放棄をしたこともありました。
その結果、また統制がとれなくなって事態が紛糾、
一日として穏やかに終わる日はありませんでした。
それでも何とか上演が終わりました。
「ティート」が終わるまで、いかに私が殺人的スケジュールだったか、
よく表れていることがあります。
無事ティート役を終え、宿に帰って最初にしたこと。
それは、座ってテレビのスイッチを入れたことでした。
東京入り以来、1ヶ月ほどそこに滞在していたわけですが、
その間、一度もテレビをつけなかったのです。
役目の半分を終えて、初めてテレビをつける余裕が出来たのです。
もちろん、それまでにもテレビをつける時間くらいはありました。
でも、つけようと思うことも、つけようかどうか迷うことも、
一切なかったのです。
つまり、テレビのことなど、まったく意識にのぼりませんでした。
せっかく東京にいるのに、彼女と会う時間もありませんでした。
やっと会ったのは、「ティート」の後です。
さて、「こうもり&メリー」の方もかなり大変でした。
心理的に一番大変だったのが、メリーのキャストの1人です。
この女性キャスト、Y氏が以前より好意を抱いていた人妻で、
友達にはなっていたのですが、関係は持っていなかったと。
キャスティングの段階でY氏から、「カワイイよ」
そう聞いていたのですが、実際に稽古が始まってみると、
まったく可愛いとは思えない。
Y氏は何かと彼女の欠点をしつこく取り上げては、
横で指揮している私を差し置いて文句をつけていて、
彼女から発せられる嫌悪感が酷くて、
とてもじゃないけどカワイイなんて思える雰囲気ではない。
同じ年の秋に、別の現場で彼女と再会しましたけど、
この時はは気持ちよく仕事していたらしく、
その稽古で会った時に、初めて彼女を可愛いと思うことができました。
それくらい「こうもり&メリー」は異常な空気での稽古だったのです。
この「こうもり&メリー」がどんな公演となったか、
次回はそれを書いてみたいと思います。
期待を乞うても良いくらい、最悪なことになりました・・・。
皆様、おはようございます。
オペラデビューした団体・・正確にはその後継団体ですが・・
そこで「蝶々夫人」に出演したことがきっかけとなって知り合った、
Y氏というバリトン歌手がオペラプロデューサー、
そして演出家をやっている、
東京のある団体に、「フィガロの結婚」のドン・バジリオ役で
出演することになりました。
なにぶん大阪からの客演行為になりますので、
最終は本番1週間ほど前からの参加になりました。
この公演、私自身の出来としては、まあ上の部類に入るものでしたが、
正直言って色々な問題を抱えた公演ではありました。
最初に音楽稽古に入ったのは、稽古開始後間もない頃でしたが、
その頃「Y先生!」と敬意を込めて呼んでいた男性キャストが、
本番の頃には、「クソ!Y、死ね!」と荒れている、という具合。
実際、キャストの空気を読んでみると、
明らかに反Y勢力が出来上がっていて、
稽古場の空気がかなり悪くなっているのです。
その後Y氏のプロデュースによるその団体の公演に、
2つ出たわけですが、いずれもそういう勢力が出来上がりました。
こういう場合、私はどういうことになる性質の人間かというと、
なんとか間に入って仲裁できないか、と考えてしまう人間です。
仲裁できないまでも、せめて調整くらいして、
多少なりとも空気を良くして公演を終わりたい。
しかし力及ばず、いざ本番を終えてみると、
打ち上げに来たのは伴奏していたアマチュアオケの人たちばかり。
Y氏とごく親しい私と、もう1人のソプラノさんがいただけ。
もちろんその時のキャストさんの大半は、
その後Y氏プロデュースのオペラには乗っていません。
一方私は、というと、
出演したことをY氏にだいぶ感謝され、
翌年夏に上演する「皇帝ティートの慈悲」のティート役を依頼され、
基本的には気分良く、家路についたものです。
その後も連絡をとりあって、
翌年終わりか、翌々年の初めに「フィガロの結婚」を上演、
その演出と指揮を私が、という話がまとまりました。
また、「ティート」の時期に絡めて、
「こうもり」と「メリー・ウィドウ」のハイライト公演を
指揮する、という計画も立ち上がりました。
これが私の、転落の始まりとなりました。
ところで、この問題とも多少関係がありますので、
プライベートなことを書いておきますと、
生まれて初めて彼女なるものが、この年の初めに出来ました。
Fさんという、7つ8つ年上のピアニストで、
前年夏にあった「蝶々夫人」に練習ピアニストで参加していて、
私のことを気に入ってくれたようです。
人妻だったのですが、なにぶんにも私は生い立ちが生い立ちゆえ、
人妻と付き合うこと、俗に不倫といわれる行為をすることに対して、
何の抵抗も罪悪感も生じない人間です。
彼女は正月に帰省した折、ついでに大阪に足を運んでくれて、
その夜、初めて私は男になりました。
26歳の時のことです。・・・・いわゆる奥手ですな。
ただ、商売柄、女性との身体接触は多い人間ですので、
また、デビュー間もない頃の例の一件もありましたから、
身体的には「半覚醒状態」だったわけです。
ですから、一般的な26歳の初体験の感激、
みたいなものは何もありませんでした。
第一、幼少期から母親と近親相姦的な要素が多く、
女性の体はいじり慣れていましたから、
別段、何に臆することもなく、やりおおせてしまいました。
この女性、実はY氏がプロデューサーをしている団体の
練習ピアニストのオーディションを受けていました。
普通に考えれば、このFさんはかなり上手い方で、
音楽性豊かな演奏をする人なのです。
ところが、Y氏が求める練習ピアニストというのは、
なるべく小さな音で、稽古の邪魔にならないように弾く、
というタイプ。・・・歌手には困るんですけどね、そんなのは・・・
おかげで、危うく合格できなかったところなのです。
さて、次回は翌年のことを書いてみましょう。
「皇帝ティートの慈悲」、そして「こうもり&メリー」で
体験したことを綴ってみたいと思います。
皆様、おはようございます。
さて、若かりし頃の私が、
闘争することに、一旦終止符を打つことになる、
前回とは別の、とある市民オペラでの出来事をお話し致しましょう。
そこは市民オペラといっても、大々的に活動しているのではなく、
立ち上げて何年もしない、まだ個人サークルの色合いが強い、
小さな団体でした。
オペラを何度かやってはいますが、ピアノ伴奏。
私が関わるこの回で、しかも私の進言でやっと
オーケストラ伴奏にしよう、という程度の団体。
その団体の代表者と知り合ったのは、
その人と、当時所属していたオペラ団体の公演でご一緒し、
しかも、話を聞いてみれば東京の同じ先生に発声を習っていた、
というところで、話が合ったという経緯からでした。
ふとしたことで、モーツァルトの「フィガロの結婚」を
上演しようとしている、という話になったので、
私がそれに、指揮・演出で協力しよう、という形で乗りました。
何度も申し上げましたが、「フィガロの結婚」は私の十八番。
あらゆる角度、方面から参加できる演目です。
順調、とは申しませんが、それなりに準備は進みました。
オーケストラも、当地の市民オケや、当地にある大学のオケ、
プロの助っ人など、人員は揃いました。
第2ヴァイオリンのトップ奏者には、
バロックヴァイオリンのプロの方に入っていただき、
ピリオド奏法の指導もお願いしました。
キャストも発注したり、オーディションしたりして、
それなりに形として出来てきました。
早めに歌手の稽古も始めたのですが、ここに問題がありました。
その団体の代表者が伯爵夫人役で入っていたのですが、
発声の問題から来る、音楽上の障害が甚だしく、
例えば、すぐ次のフレーズに入らねばならないのに、
発声をこねくり回している間に次のフレーズの入りを逃してしまい、
音楽が遅れてしまって話にならない、というような具合です。
ただ、代表者ですし、せっかくなら出来るようになるまで
こちらとしては誘導してあげたいところです。
ところが、その一方では「彼女には夫人役を降りてもらおう」
というような話し合いがもたれていたようで、
何を血迷ったか、この代表者は私までが自分を降ろそうとしている、
と勘違いして、様々な理由をつけて、私を排除にかかりました。
私を解雇し、しかも、私関係の、私の息のかかった人たちを
すべてクビにしました。
そして、それまで原語上演の予定で進めていたものを、
日本語上演に変えてしまいました。
「あんたを降ろそうなんて、私はしてないよ。逆だよ。」
そう抗弁したかったのですけど、
「自分を降ろそうとした」というのが挙げられた理由にない以上、
その抗弁をすることはできません。
結局私は降りることにしました。
まあ、ここまでならよくある話なのですが、
私としては、はいそうですか、とすぐには引き下がれない、
事情というものがありました。
この上演を計画した時、実際の演奏に使う、
オーケストラのためのパート譜を買いました。
このパート譜、カルマスという出版社から出ているのですが、
フルスコアと合わせても10万円くらい、という安さである一方、
中身はかなり出鱈目なことになっています。
一方、ピリオド・アプローチをもって任じている私としては、
最新版であるベーレンライターという出版社から出ている版に
カルマスの楽譜を直してからでなければ使えません。
オケ伴奏の部分だけでも2時間近くはあろうかという、
この膨大な楽譜をすべてベーレンライター状態に修正する作業を、
私一人で行いました。
そして、私独自の、まさに私が指揮するための演奏譜の状態にまで
きっちり仕上げて皆さんにお配りした次第です。
これは本当に大変な作業でした。
途中、神経がおかしくなって、消化器系がショートし、
激しい嘔吐と下痢に襲われたりしたものです。
このような艱難辛苦の末に出来た譜面を、
ただただこの市民オペラのものにしておく手はありません。
これまでのギャラやら慰謝料分として、
5万円を請求しました。
ただし、それは楽譜の所有権を折半することで相殺。
実際は私に対しては金銭を支払わなくて良い、という条件です。
次に上演する時は、私に貸し出しを申し込める、
という条件で、楽譜は上演後私のもとに送られてきました。
事実上、楽譜一式の所有者はこの私です。
さて、私と一緒に降ろされたフィガロ役の友人が、
このままでは腹の虫がおさまらないから、と
この市民オペラの1日前に、コンサートを企画しました。
阪神間のあるサロンでそのコンサートを行いましたが、
翌日、2人して市民オペラを見に行きました。
私にとっては、私の手入れがなされた楽譜が一体どう使われるのか、
その興味もあったので見に行ったのですが、
さらに不愉快なことに、ちゃんとお金を払って入ったのに、
代表者が私達を見つけ、私達はつまみ出されてしまいました。
そう、この代表者、本来なら私たちをつまみ出せないはずなのです。
なぜって、出演者なのですからね。
それが出来たのは、伯爵夫人役を、結局は降ろされたからなのです。
ともあれ、これで私には十八番であるはずの「フィガロの結婚」に、
味噌がついてしまいました。
それから5年後、しかも同じ季節に、
さらに味噌がついてしまうことになります。
次回はそのお話を致しましょう。
皆様、おはようございます。
さて、それでは色々と闘争めいたことはありましたけども、
中で一つ、明らかに失敗というか、しない方が良かった、
ということを書いてみたいと思います。
私の十八番、「フィガロの結婚」バジリオ役で、
ある市の市民オペラに出演した時のことです。
副指揮者宅で、副指揮者による音楽稽古をしていたのですが、
メインの稽古部屋の他にもう一室ピアノ部屋があったのと、
ピアニストがもう1人いた、ということがあり、
副指揮者はピアニストに、別室に行ってコレペティ稽古をするよう
指示を出しました。
コレペティ稽古、というのは本来、
コレペティトール(練習ピアニストのことではない)という人との
個人的な音楽稽古のことを意味します。
そもそも、コレペティトールという言葉は、
コレペティーレンする人、という意味。
コレペティーレンとは、反復練習に付き合う、ということです。
つまり、下稽古のコーチのことをコレペティトールというのです。
コレペティトールは、欧米の劇場では主に、
コレペティ専門の人間、あるいは指揮者の卵がすることで、
要するに、そのオペラの色んな側面に通じているはずの人間です。
ですから、ある意味重んじられているポストなのです。
・・・が、日本ではオペラ専門指揮者、という概念がないため、
若手の指揮者もみんな振る方にまわってしまいます。
結局、コレペティをするのは、コレペティ専門のピアニストか、
練習ピアニストがコレペティ作業もやってしまうか・・・という状態。
前者なら問題ありませんし、後者であっても、
中には貪欲に取り組んで前者並の人であればまた然りです。
しかしながら、そうそう数はいないのが日本の現状です。
前置きが長くなりましたが、これだけ理屈をこねたのですから、
この時、コレペティ稽古を指示されたピアニストが
どの程度の代物であったかは、既に想像がつくかと思います。
今は知りませんよ。
でも当時のその方、・・・もう名前も覚えていませんが・・・
あ、当時から覚える気なんか起きなかったか・・・(笑)
先ほど述べた後者の、しかも残念な方のピアニストでした。
モーツァルトのイタリア語のオペラには、
チェンバロ(+チェロ)だけで伴奏して、
喋るように歌う、「レチタティーヴォ・セッコ」というのがあります。
一本のオペラ台本のうち、7割以上はこの「セッコ」です。
おおよその筋立ては、セッコで進んでいくものなのです。
このセッコの伴奏法は、慣れないうちは本当に大変です。
ピアノばかり勉強してきたピアニストがセッコを弾かされて、
まず何に苦労するか、といえば、和音を鳴らすタイミング。
歌手から言わせると、そりゃぴったりなタイミングであるに
越したことはないものの、次善の策としては、
後から追いかけてくれること、なのです。
最もやってはいけないのは先取りしてしまうこと。
テンパってしまい、自分が何を言ってるのかさえわからなくなります。
で、この件のピアニストさんですが、
どう出てくるかわからんのです。
遅れることもあるが、遅れたことに慌てて、
今度は先に出すぎて・・・・
まあ、シッチャカメッチャカでこちらは歌えません。
あの、今なら私、こんなことしませんよ。
ところがその当時は「我が闘争」の真っ最中。
「ごめんなさい、ちょっと貸してくれる?」
ピアノを取り上げて、私がコレペティ稽古を始めました。
こちとら「フィガロの結婚」に関してはスペシャリストです。
的確なタイミングで、的確な和音の入れ方をしていきます。
ついでながら、歌手に対しても発音の指導をやらかしてしまいました。
この部屋にいた中に、私とダブルキャストの方がいらっしゃいました。
まあ、10歳以上は年上の先輩なのですが、
正直なところ、発音があまりおよろしくない。
ビシバシ直しまくりました。
あはは・・・・それ以来、私とは全く口を利きません。
狭い業界ですから、同じオペラに乗ることもありますが、
ダブルキャストだったり、別役でも組み分けが違えば、
ホームページにキャスト表を乗せるのは自分の組だけ、
私と同じ組になった時は、私と若干名を省略、という具合に、
決して自分のホームページに私の名前を掲載しません。
徹底して嫌われたものです。
この時の一件がかなり効いたとみえ、
それからしばらく、関西のオペラ界には
ぼんち叩き旋風が吹き起こりました。
さらにこの後、モーツァルト専門を自任する私に、
小学校4年生以来の挫折が訪れますが、
次回はそのことについて書いてみましょう。
皆様、おはようございます。
ピリオド・アプローチという概念が固まった頃、
それは大学を卒業したあたりですが、
その頃から周囲との闘争が始まりました。
大学を卒業した後、関西に2つある大手オペラ団体の1つ、
関西二期会のオペラスタジオに研究生として入りましたが、
同期の人たち個人とは仲間として付き合いつつも、
「音楽大学の卒業生」という・・いわば「概念」に対しては、
喧嘩というか、闘争し続けることになりました。
これまでに書いてきたように、
私は音楽と何の関係もない大学に進学し、
積極的に学問的援助を受ける機会はあまりないままに、
がむしゃらにオペラ歌手修業に取り組んできました。
その行き着いた先がピリオド・アプローチだったのですが、
いざ同年代の駆け出し音楽家たちと接して愕然としたのです。
「こいつら、4年間何をしてたんだ・・・」
ご存知のように、私は大学に入ってから歌の道を志した、
というような、よくある一般大学出身歌手ではありません。
小学校4年から音楽で食おうと考えて育ってきたが、
高校で音楽浸りになりすぎて、
音大を受けさせてさえもらえなかった、という
少し特殊な経過を辿った人間なのです。
その私から見て、ものを知らなさすぎる。
特にモーツァルトの演奏に関して、
若手声楽家たちの知識の乏しさ、方法論のなさには
怒りを禁じ得ないものがありました。
なぜそこまで怒っていたかというと、
およそ音楽大学というところはモーツァルトを基本として、
学生に勉強させる傾向があります。
つまり、一番力を入れているはずのモーツァルトで、
一体何を教えられてきたんだ、ということです。
行きたかったのに受けさせてさえもらえなかった・・・
おかげで私には音大に対するコンプレックスがありました。
ところが、音大卒業生のモーツァルト音痴は、
見事なまでに私のコンプレックスを刺激してくれたのです。
ここから我が闘争が始まりました。
主に何をしたか、というと、
文献や資料を流通させる手に出たのです。
例えば、アーノンクール著の「古楽とは何か」「音楽は対話である」
というような本を回覧してみたり、
ピリオド奏法に関して演説をぶってみたり。
もちろん、これが同期生に止まっているわけがありません。
同時に出演していた各団体の中でも、
越権行為をも顧みず、「布教」に努めてしまいました。
次回は、ある市民オペラ団体でやってしまった越権行為について、
闘争の具体的な例示として書いてみたいと思います。
もちろん、今ならもうしないことですけれども。
皆様、おはようございます。
さて今回は、とりあえずピリオド・アプローチ総論の締め括りとして、
源泉資料の使用法について申し述べたいと思います。
ぼんち流ピリオド・アプローチにはこの部分が、
最も欠かせない要素となっています。
それはなぜかというと、どの資料をどのように使うか、
というところが、演奏の個性を左右するからです。
資料選択は、その人の演奏の方向性を表しています。
例えば私であれば、自筆譜、
それも、初稿をかなり重んじます。
これは、私が以下のような架空の状況を想定して、
演奏をしようとする人間だからです。
その作曲家のその作品の初演を、
私が請け負ったが、
作品の初稿が完成するなりその作曲家が死んでしまい、
演奏に関する具体的な指示を聞けないままに
初稽古の日を迎え、初演にこぎつけてしまった。
このシチュエーションであれば、
参考資料とすべきは次の2点です。
・初稿の自筆譜
・スケッチ、メモ
後者は、私がひらめきや最初の思いつき、着想、
というものを大事に考えるからです。
なぜなら、そこには本音が含まれていることが多いから。
ただし、これらの資料を、上記のシチュエーションを想定して、
自分が初演者になりきって使いこなそうと思ったら、
「概論」で述べた、楽器法や奏法、
特に当時の演奏習慣の習熟が必須の前提となるわけです。
その前提をある程度満たした上で、
自筆譜にとりかかるわけです。
そしてその作品にある要素、メッセージを読み取り、
当時の演奏習慣を駆使して演奏する、
というのが私のピリオド・アプローチのスタイルです。
「私の」というのはどういうことかというと、
人それぞれに資料の評価は違いますから、
それによって結論が変わる場合があるのです。
人によっては、最終稿を重んじる人があります。
作曲家の最終的な望みを重視するタイプですね。
つまり、後世の人間として、作曲家に向き合うタイプです。
私は、フィクション、「歴史上のもし」を
実現してみようじゃないか、というタイプですから、
ピリオド・アプローチの中でも少し極端な人間かもしれません。
さて、これで私の音楽における主義については
概ねおわかりいただけたのではないかと思いますが、
実は次に何を書くか、少し迷っているのです。
音楽活動のことを書く以上、女性に関しても書かざるをえず、
さりとてそれは2000年以降の話になってきますので、
まだ現実味を帯びていて、躊躇してしまうのです。
よし、では女性のことは置いておくとして、
やはり音楽活動に関して書くことにしましょう。
というのは、2000年以降の音楽活動は、
他者との闘いの日々でもあったからです。
そしてそれは、ピリオド・アプローチという方向性を得た、
私の若気の至りとでも言える言動から出たものでしたから。
皆様、おはようございます。
それでは、今回は「ピリオド・アプローチ」と「ピリオド奏法」、
その定義の違いを説明したいと思います。
まず、これら二つは対立概念では決してありません。
結論から言いますと、「ピリオド奏法」は
「ピリオド・アプローチ」のいくつかの要素の中の一つである、
という関係性になるわけです。
では、「ピリオド・アプローチ」の要素を列挙してみましょう。
・作曲当時の音楽上の演奏習慣(楽譜の処理法)
・作曲当時の楽器と現在の楽器の比較(楽器法)
・作曲当時の楽器や声の扱い方(奏法・唱法)
・作品の源泉資料(自筆譜など)の研究(資料学)
「ピリオド奏法」による演奏につきものの批判が、
情熱の欠如、ということですが、
その批判に値するものの中で、最悪の演奏とは、
3番目の「奏法」を、気分で模倣しているだけ、というものです。
もちろんそれは論外なんですが、
たとえ奏法がきちんと研究されていたとしても、
それだけでは面白味に欠ける演奏になる傾向が否めません。
その傾向がきついのが「唱法」の部類で、
そもそも「楽器法」としては全く当時と今とでは異なることのない、
「声」という楽器であるにも関わらず、
研究がいささか行き過ぎたために、
清廉な美しさばかりが際立った、
あまり血が通っていない唱法に行き着く例が多くあります。
バロックを専門とする歌手によくある傾向です。
逆に、最も良い「ピリオド奏法」は何かというと、
当時のものと今のもの、楽器法の違いがよく研究されており、
音楽上の演奏習慣も考慮され、行き届いた状態で、
奏法としても当時の演奏方法に従っていること。
これが、「ピリオド奏法」と定義し得るものの中で、
最高の部類に属するものであると思います。
この「ピリオド奏法」を「ピリオド・アプローチ」に
「昇格(?)」させようと思ったら、
源泉資料の研究が欠かせません。
源泉資料には次のようなものがあります。
・自筆譜(初稿、第2稿などある場合その比較もする)
・スケッチ(アイデアを書き留めたり、試したりするノートです)
・声楽曲の場合、作曲家が参照した歌詞テキスト
・初版やオーケストラに配ったパート譜(自筆譜がない時重宝する)
これら源泉資料を直接調査するか、
あるいは、調査して作成した詳細な報告書を読み込むか、
どちらかがあって、それが演奏に如実に反映された場合、
初めて「ピリオド・アプローチ」と称することが出来ます。
ということで、次回はこの資料の扱い方と意義について
書いてみたいと思います。
次回までのコラム三つで、「ピリオド・アプローチ」とは何か、
その根本のところがわかっていただけると思います。










