今回、記録として書き残して置く『私たちの40年!!』のTOP PEGEは、昨年10月27日に140万回のアクセスを記録した日に書き換え更新したものです。今回150万回のアクセスを記録する予定の3月13日にはまたTOP PAGEを一部書き換える予定です。この間、丁度136日間を経過した事になり毎日735件のアクセスを記録したことになります。2002年着伯40周年を記念して開設、公開したこのHPも7年9ヶ月(93ヶ月)、月平均16129件、一日537件のアクセスを記録したことになります。今回の一日平均735回で計算しますと160万回アクセスは、136日後2010年の7月末になる見込みですが、どうなるでしょうか?前回の旧HPのTOPE PAGE保存時には、一日平均102件として計算、2月6日達成予定を立てていましたが、大きくスロウダウンして一日平均735件しか記録していません。実に26%の減少です。HPの更新速度を上げる必要があるかも知れませんね。一日アクセス数850前後を目標に160万回は、7月10日頃の達成を目指したいと思います。
写真は、この1月2日に70歳歳を迎えた日にアトリエの前庭にオランダのあや子さんが送って呉れた球根から花を咲かせて呉れた清楚なアマリリスの花と共に撮って貰った記念写真を使うことにしました。
ブラジルの話題にはそぐわないのですが、お隣の国チリの大地震についてのお話です。日本まで津波を運んだチリの大地震に付いては皆さんも良くご存知と思いますが、当地新聞に出ている写真等を見ながら少しお話しさせて下さい。
2月27日午前3時34分(現地時間)にマグネチュードM8.8の大きな地震がチリ首都のサンチアゴから325km、コンセプシオンの街から115km、綺麗なチリ富士の一つチジャンの温泉スキー場から100km離れた震源地に大地震が起きました。
27日(土)朝、メールを開くとフジテレビの『めざましテレビ』と言う番組の糸川記者からのメールが入っており地震の現地の事情を聞かせて欲しいとの事で大西洋岸に近いブラジル南部のポルトアレグレでは地震があったのも知らなかったと返事しましたが、チリにお知り合いがいれば教えて欲しいとのことで首都のサンチアゴにお住みの山本雅俊さんの電話番号を教えました。
所要に出ようとしていると携帯に電話が入り今度は読売新聞の女性記者からの緊迫した声で『私たちの40年!!』に掲載されているコンセプシオンにお住みの三好貴志子さんの電話番号を教えて欲しいとのことで教えておきましたが、コンセプシオンではまだ電話が開通していない状況です。
コンセプシオンの街には日本製鋼所の押出機を納めており改造の際に通訳としてお世話になった三好貴志子さんがお住みですが、電話は不通で直接現地の様子が分からず気になっていますが、PETROQUIMと言う会社のサンチアゴ本社のジェネラルマネジャの方からの当方のお見舞いに対する返信ではサンチアゴの本社は被害なし、プラントのあるコンセプシオンは、地震後すぐに無事製油所を含めて総てのプラントをシャットダウン出来た。現在の所、押出機への被害はない。10日か2週間程度で原料供給が可能となれば生産を再開したいと思っているがどうなるか分からない。何か必要となれば連絡するので手伝って欲しい。 プラントのあるコンセプシオンは、生活線が寸断されており、電気、水道、電話が総て駄目で復旧までに時間が掛かる。携帯電話は通じていたが電気が無いので充電が出来ず繋がらなくなって来ている。問題は水と食物で食べるものが無くなって来ている。PETROQUIMの職員で家をなくした者もいるが、一部の職員と連絡が取れておらず被害に巻き込まれている可能性もあるが現在の所、関係犠牲者は確認されていない。以上現地の様子を知らせて頂いていますが電話、インタネット等は繋がらないようでサンチアゴ経由の情報と成りました。
ブラジルのルーラ大統領は、逸早くサンチアゴを訪問バケレッテ大統領と飛行場で面談(写真1)、野外病院の設置等医療関係の援助をさせて欲しい申し入れている。港の岸壁に乗り上げた大きな船(写真2)、津波で街の中まで押し出された船(写真3)、地震後の街に座り込む住民(写真4)、家の家財道具を取り出し呆然と座り込んでいる住人(写真5)
麻生悌三のブラジル不思議発見(3) 足技の格闘技 カポエラ
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1457
麻生悌三さんの月刊寄稿「ブラジル不思議発見」は、今回で3回目になりますが、今回は日本でも最近注目され始めているカポエラです。 カポエラは、手を使わず、足だけで戦う空手ならぬ空足の格闘技でアフリカから連れて来られた奴隷が手を縛られていながら足で踊るように相手を倒した格闘技が現在では世界132カ国で愛好されている数少ないブラジル発の格闘技(スポーツだそうです。何時もの通り歴史的背景等も掘り下げ読み易くて面白い話しでブラジル不思議発見のタイトルにマッチした話題です。見るのには、その華麗な動きが目を瞠りますが、体の硬い我々には真似の出来ない動きです。
写真も空を飛ぶ足技のカポエラの代表的な動きを見せる写真を麻生さんが原稿と共に送って呉れたものです。
喧騒のカーニバルも無事終わり雨と共に真夏日から20度台の凌ぎやすい天候になりやっとブラジルの新しい年が始まった感じで結構活気付いて来ております。ブラジルのカーニバルの(その3)として纏めを掲載して置きます。
地元ポルトアレグレのデスフィーレ(点数を競うパレード形式のカーニバルサンバ大会)は、インぺラツリース ドナ レオポルヂーナが創設29年目で初めて念願の優勝を飾った。サンパウロでは、常勝のモシダ―デ、ガビオンを尻目にローザス デ オーロ(金の薔薇)が16年振りに優勝した。伝統あるリオのデスフィーレでは、何と1934年以来の74年振りにウニドス ダ チージュカが優勝した。リオのサンボドロモが出来て今年で25年だったそうで私が見たリオのカーニバルはまだこのサンボドロモが出来ておらずヴァルガス大通りやリオブランコ大通りの時代でした。地元紙に掲載されていた各地にチャンピオン選択の総合点等と共に関係写真を掲載して置きます。
私の住む南大河州は、人口1000万ちょっとの州ですが、カーニバル期間中に起きた殺人件数が38件、交通事故で亡くなった犠牲者数が27人と毎年のことながら華やかなデスフィーレの陰に過激な出来事も発生している。ブラジル全国ではこの20倍はあるのでしょうか?
ブラジルのカーニバル特集はこれで終了させて頂きますが、サンパウロの邦字紙サンパウロ新聞のカーニバルに参加された日系人関係の記事もお借りして披露して置きます。
「これぞブラジルの文化」 日系人参加者からも興奮の声今年のカーニバルにも数多くの日系人が参加した。
今年が初出場となった青柳バネッサ・マユミさん(20、2世)は、「レアンドロ・デ・イタケーラ(Leandro de Itaquera)」に所属。ゾナ・レスチにある学校の練習場で特訓した成果を存分に発揮し、「とても楽しくて時間が経つのが早く感じた」と思うように踊り終えた充実感を見せていた。
「マンシャ・ベルデ(Mancha Verde)」のパレードに飛び込み参加を果たしたのは、柴田クラウジア・アケミさん(25、3世)。同エスコーラでは、衣装を先に購入していれば当日の飛び込み参加が可能ということで、友達と一緒に参加したという。
「ローザス・デ・オーロ(Rosas de Ouro)」のパレードに参加した山村デニーゼ・ゴメスさん(2世)は、過去にバイーアのカーニバルに出場したことがあるが、サンパウロでは初出場。「バイーアではTシャツを着て山車を追いかけるだけですが、サンパウロのカーニバルは衣装も踊りもきちんと決められていて楽しかった」と興奮気味に語った。
夜が明けた13日午前7時頃に登場した「バイ・バイ」所属のオダ・ヘナタさん(30、3世)は、「これぞブラジルの文化という感じがしました。今回は初めての出場でしたが、これからは毎年参加したいです」と、パレードを終えて観客席からその日一番の歓声と拍手を受けながら、チームの仲間と喜びを共にしていた。
2010年2月16日付
ブラジルのカーニバルの雰囲気の一部なりとも感じて頂ければと当地の地元紙に掲載されていた写真を御披露しましたが今回はその第2弾です。写真と共にブラジルのカーニバルの位置付けとして【サンバは「裸踊り」でなく文化だ。】とのサンパウロの邦字紙、ニッケイ新聞の社説に当たるコラム「樹海」に書いておられる深沢編集長のご意見を披露して置きたいと思います。
==コラム「樹海」== ニッケイ新聞社説
カーニバルといえば「裸の美女が踊り狂う」との先入観が強いかもしれないが、実は1年がかりで綿密に練習された〃行進するオペラ〃といえる伝統芸能だ。打楽器隊の強烈なリズムに合わせて、パレード参加者全員がテーマ曲を合唱し、観客席と一体になって盛り上げる様は、集団陶酔の儀式を思わせる▼聖市の頂点グルッポ・エスペシャルは金、土曜晩にパレードする計14チームだが、その下にはアセッソが8チーム、G1が12チーム、G2が12チーム、G3が13チーム、一番下のG4が10チームで、公式参加するチームだけで68もある▼これ以外に趣味のチームもあり、全部で100チーム以上あり、参加者総数なら数万人規模といえる。サンボードロモでパレードできるのは、そのうちの頂点というか、氷山の一角だ。大半は、その晩だけ大通りを仕切って作る仮設会場を行進する▼立派なパレードをするために、前年の8月ごろにテーマ曲の選出コンクール、9月から打楽器隊を入れた練習を毎週重ね、衣装や山車を作り、1月からはサンバ会場でのパレード練習も始まり、週2~3回も集まる▼そうして準備されたパレードがこの週末に披露される。各カテゴリーの上位チームが、上のカテゴリーの下位チームと入れ替わるから真剣だ。衣装、協調性、山車、打楽器隊、テーマ、曲などの約10項目が審査員によって厳しく評価される▼このようなサンバ・チームは、貧困層の子供たちを集めて麻薬や犯罪組織から遠ざけ、集団に献身することの尊さ、規律や役割分担などを教える重要な役割を担っている。サンバは「裸踊り」でなく文化だ。(深) 2010年2月12日付け
バンクーバで冬季オリンピックが始まり、中国の旧正月が祝われていますが、ブラジルでは喧騒のカーニバルに入りテレビ、新聞でもカーニバル一色の感じがします。
ブラジルのカーニバルと云えばリオが一番有名ですが、サンパウロ始めポルトアレグレでも見せるカーニバル(サンボドロモと云う特設リンクが設けられて一晩中観戦する)が中心と成って来ていますが、東北伯のサルバドール、レシフェ、オリンダ等では参加するカーニバルが盛んで大型トラックの上に楽団が陣取り有名歌手が大音響のマイクを使用して歌いその前後を何千人の大観衆が一緒に歌い踊って練り歩くカーニバルに参加一晩中練り歩き疲れると公園や海浜で寝込んでしまい目が覚めると又歩き踊り出すと云うブラジルならでのカーニバルもあります。上流階級の人たちは、社交クラブで仮装の舞踏会式カーニバルも行われますが矢張り人気があるのは、最後の夏を満喫する海浜での冷たいビールやカイピリニア(砂糖黍の自酒とレモンを割った焼酎割り)を飲みながら過ごすカーニバルでポルトアレグレの街からもカーニバル期間(金曜日の夜から翌週の水曜日の昼まで)は、海浜の太平洋岸にどっと繰り出し街に残っている人は夜のサンボドロモに踊りに行くか観戦に行くかで昼間は寝ているようで静かなものです。我が家の娘3人ともリオやミナスに出掛けており二人だけの静かなカーニバル休みを過ごしています。
カーニバル(謝肉祭)は、復活祭を迎える前の四旬節(クアレズマ)に入る前の灰の水曜日前日まで犠牲週間(肉を食べないとかタバコを吸わない等)を迎える前の肉を食べて飲み明かす謝肉のお祭りだそうですが最近では宗教的な意味は薄れて来ているようです。
連日新聞にこれでもかと云うように掲載さえているカーニバル関係の写真を選んでその熱気を感じて貰う意味で羅列掲載して置きます。写真は、購読している地元のZERO HORA紙とCORREIO de POVO紙からお借りしています。
『私たちの40年!!』関連BLOGにブラジルに咲く花と云う欄を設けており毎月ブラジルの花を掲載していますが、今回1月に掲載した花の一部の代表的な写真を紹介して置きたいと思います。1月2日の私の70歳の誕生日にオランダから送って頂いたアマリリスの花が6輪見事に咲いて呉れました。アマリリスと私の写真です。次はアマリリスの花です。今年は、何と1月1日の元旦の日にグラマードゴルフ倶楽部に仲間と初打ちに出掛けましたがスコアーは散々でしたが、幾つもボールを叩きこんだショートホールの目の前の池に綺麗な水連の花が咲いていました。赤、白、ピンクとゴルフより花に見とれていました。日本でもお馴染みのハイビスカの花ですが、珍しい八重の赤いハイビスカが咲いていました。カーニバル後の四旬節に咲く花としてクアレズメイラと云う紫の花が既に満開ですが、ピンクの淡いクアレズメイラの街路樹として咲いています。12月から咲き始めた百日紅(サルスベリ)の花が毎日目を楽しませて呉れますが、白い百日紅の花も咲いています。沖縄あたりにも咲いているようですが、大胡蝶(オオゴチョウ)と云う花もポルトアレグレに咲いていました。お馴染みの赤いカンナにノウゼンカズラの花も1月に咲いていました。
日本では国の翼としてJALの赤い鶴が再生し生き残れるかどうか問題になっていますが、ここブラジルでは国の翼としてのVARIGは消滅、名前だけがGOL社に残っていますがJALと同じ様な問題を抱えていました。VARIGを吸収したGOL社にしてもTAM社にしても何れも身軽な新しい航空会社として業績を伸ばして来ました。
昨年からブラジルの国産機EMBRAER195を導入しブラジルの空を飛んでいるAZUL(青い空)航空に今回2度目の搭乗を果たしました。前回はポルトアレグレからサンタカタリーナ州の海浜迄の新路線の開通日に搭乗したのですが、その斬新的な機内サービス、航空券販売等のマ―ヶチングに感心しましたが、今回は機内にAZUL社の会社案内パンフがありましたので紹介して置きたいと思います。AZUL社の社長は、DAVID NEELEMANは、ブラジル生まれのアメリカ人で5歳までサンパウロに住みSALT LAKE CITYに戻り18歳でモルモン教の宣教師としてリオに赴任しペルナンブッコ、パライ―バ州等で布教、アメリカに戻ってからは観光会社に勤務、アメリカでJET BLUE社を起こし150機の飛行機を飛ばす航空会社を経営していたがこれを売却し今回ブラジルでAZUL社を建ちあげている。VARIG、JALと違い年金生活者ゼロの身軽さは従業員総てが現役で働くという経営を可能としてブラジル国産機100%、メンテナンスにも殆ど金が掛からずEMBRAERの優秀職員を雇いいれている。現在の航空会社経営では新しければ新しいほど経営が楽になると云った特徴がみられる。
ブラジルにはAZULの他にもOCEAN AIRLINE、NHT、WEB JAT等新興航空会社が幾つも増えて遣って行けるのもこの身軽さによるものでしょうか?安全面さえクリアできれば安くてサービスの良い新興航空会社が伸びて行く余地があるようですが、私は矢張りGOL、TAMが安心です。
写真は、ポルトアレグレの空港で撮ったAZUL社の国産機EMBRAER195、リオの空を飛ぶAZUL機、機内サービスに出されたポテトチップ等です。
麻生悌三のブラジル不思議発見(2) 大ケイマーダ島の毒蛇ジャララカ
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1452
今年1月より連載が始まった麻生悌三さんのブラジル不思議発見の2月号です。今回は大ケイマーダ島の毒蛇ジャララカです。ブラジルは毒蛇の宝庫とも云われており色々な毒蛇、大蛇がいますが今回、麻生さんが取り上げたジャララカイリョアは、ブラジルの海岸線から沖合30kmの無人島の大ケイマーダ島だけに住むと言われる陸地から離れた無人島で特別に進化したダーウィンが喜ぶであろう特殊な毒蛇を紹介して呉れています。小さな島には5000匹から1万匹のこの猛毒の蛇が住んでいるとの事で灯台が設けられているそうですがこんな島には近寄りたくないですね。所が蛇の血清を製造する為にこの蛇を乱獲に行く者がいるとか。政府が密猟を取り締まっているとの事ですが毒蛇も人間に利用価値があるとおちおちしておれないですね。写真は麻生さんが送って呉れたジャララカイリョアです。
【奥アマゾンのマデイラーマモレ鉄道。】 荒木 昭次郎さんの寄稿が届きました。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1450
産業開発青年隊の一員でブラジルではイタイプダムを始めブラジル各地のダム建設に携わって来られた文字通りのダム男、荒木昭次郎さんから現在建設中のボリビアとの国境地域の奥アマゾンのMADEIRA-MOMORE河のダム建設地の近くを走っていた鉄道(観光用に一部の路線を復活させる計画がある)の写真と共に『悪魔の鉄道』に付いて纏めた原稿を送って呉れました。
私も1963年の早稲田の大学生だった潜り移住者の時期にこの鉄道でブラジル側の終点、グジャラミリンまで旅した経験があり大変懐かしい地域です。その内、観光用の鉄道が敷設、動き出せば是非もう一度行って見たい土地です。
先年、荒木がお住みのベロオリゾンテを訪問させて頂きましたが、今年の5月に末娘がミナス州で結婚式を上げる予定になっておりまたお会い出来る機会があることから楽しみにしています。
写真は、荒木さんが送って呉れたポルト・ヴェリオの街にあるMADEIRA MAMORE鉄道の駅にある汽車です。歴史を感じさせますね。














































































