2015/06/30

6月21日からカナダに来ています。毎日BLOGは、更新しているのですが、この欄の更新が出来ておらず恐縮です。6月も最終日となってしまいました。

カナダはトロント郊外のナイヤガラの滝、首都のオタワ、モントリオールに2日づつこれからトロントに戻り3泊の予定です。

ナイヤガラの滝での写真を6月最初で最後の写真として貼り付けて置きます。

bbbb niagara 2176d

 

bbbb Niagara 2176ss

2015/06/30 09:21 | 海外旅行 | No Comments
2015/05/30

A foto do vapor Argentina Maru em sua décima segunda viagem  NHK ワールド  エピソードでつむぐ日本ーブラジル120年!!より転載。

Koukoku Katai/Okayama, Okayama (Japão)
A foto do vapor Argentina Maru em sua décima segunda viagem
Canal do Panamá/1963
Episódio
Há mais de meio século, quando eu era jovem, estava a bordo do Oregon Maru, da companhia marítima Kawasaki Kisen, rumo a Nova York. Na travessia do Canal do Panamá – na costa do Oceano Pacífico –  ao atracar no porto de Balboa cruzei com o Argentina Maru, um navio a vapor da companhia que na época se chamava Osaka Shosen. Não quis perder a oportunidade de registrar com minha câmera aquela embarcação monumental.
Passados muitos anos, publiquei essa foto em uma homepage que criei e por acaso ela acabou chamando a atenção do senhor Yoshiji Wada, coordenador de um grupo que visa resgatar a memória da imigração japonesa. Ele entrou em contato e me pediu permissão para utilizar a foto. Prontamente concedi de bom grado. Segundo consta, ele estava entre os passageiros que foram ao Brasil na décima segunda viagem do Argentina Maru, navio esse que fazia a rota de volta naquele momento em que por coincidência tirei a foto.
Para o senhor Wada e demais pessoas que deixaram o Japão em busca de um grande sonho em terras brasileiras esse é sem dúvida um navio inesquecível.
Os laços que nos unem são mesmo inexplicáveis. Por intermédio de um conhecido de Yokohama, que é ex-comandante de embarcações da Kawasaki Kisen, durante os anos de 2002 e 2003 estive por 8 meses a trabalho no Rio Grande do Sul, próximo à fronteira do Brasil e do Uruguai. Mas o fato é que, por ironia do destino, o contato com o senhor Wada viria a ocorrer somente depois do meu regresso ao Japão. Fico a imaginar o quão maravilhoso teria sido a minha estada no Brasil se tivéssemos nos conhecido. Mas por essas e outras, a foto do Argentina Maru acabou se tornando um elo de ligação e através dela também participo como membro da lista de discussão administrada pelo site “Nossos 40 anos- Argentina Maru” (atualmente 50 anos). Muito me alegra saber que a foto está sendo utilizada como símbolo nas publicações do site.

*”Nossos 40 anos – Argentina Maru” é um site que reúne e coleta a história dos 681 imigrantes japoneses que partiram do porto de Yokohama em março de 1962 a bordo do navio Argentina Maru.

もう半世紀も前の事、私は若き頃、川崎汽船の紐育航路の汽船「おれごん丸」に乗船していました。パナマ運河を通過すべく、太平洋岸のバルボア港に接近中、折しも、バルボア港から、内地に向かう、大阪商船(当時)の汽船「あるぜんちな丸」と行き交いました。ここぞとばかりその雄姿をカメラに収めました。後年私が写した船の写真等を、拙いホームページにアップしていましたところ、巡り巡って、とあるメーリングリストの管理者の和田好司さんの目に留まるところとなり、件の汽船「あるぜんちな丸」の写真を使わせて欲しいとのコンタクトがありました。喜んでどうぞどうぞと二つ返事で答えたのが、和田さんとの最初の接触でした。
お話によると、汽船「あるぜんちな丸」の第12次航で、ブラジルに渡られて、偶々私の撮った写真が、奇しくもその航海の復航であった事が判明しました。
和田さんを始め大きな夢を抱き、日本を離れてブラジルの大地に渡られた方達にとっては、生涯忘れられない、船そのものであったと言う訳です。
縁とはまさに異なものです。横浜在住の元川崎汽船の船長の紹介で、2002~2003年に掛けての約8ヶ月間、ブラジルとウルグアイの国境近くの港町、リオ・グランデで仕事をする機会がありました。 つまり和田さんからの私へのコンタクトがあったのは、ブラジルから帰国してからの話になります。 返す返すも、悔やまれるのは、私がブラジルに行く以前に、和田さんとお知り合いになっていたなら、どんなにか素晴らしいブラジル滞在になっていただろうと思う事でした。
その様な経緯で、汽船「あるぜんちな丸」の写真が縁でウェブサイト『私たちの40年(現在は50年)』のメーリングリストのメンバーに加えさせて貰って現在に至っています。 私の撮った汽船「あるぜんちな丸」の写真を、『私たちの50年』のシンボルとして、使って戴いていると言う光栄に与っていることを、嬉しく思っている者です。
2015/05/30

Tudo começou a partir daqui   みんなのエピソードでつむぐ日本ーブラジル120年!! NHK WORDより

Yoshiji Wada/Porto Alegre, RS (Brasil)

00159

Porto de Yokohama, Kanagawa (Japão)/30 de março de 1962
Episódio
Esta é uma foto do dia em que eu embarquei no navio Argentina Maru em sua 12ª viagem para a América do Sul. Eu era membro do Círculo de Estudos de Migração para o Exterior da Universidade Waseda e tranquei a matrícula na universidade para seguir viagem como estagiário de Tóquio no setor agrícola. Durante o trajeto, fiz parte do conselho editorial do jornal de bordo “Sakura” e 40 anos depois organizei uma homepage para reunir e coletar informações sobre a trajetória de vida dos 681 passageiros do navio Argentina Maru. Nesse levantamento constam dados sobre o processo de adaptação nos países onde se fixaram. Comecei a fazer isso para deixar o registro histórico de uma parte do movimento migratório no pós-guerra. Toda a atividade que desenvolvo hoje começou com esta foto. É uma fotografia memorável.
 
早稲田大学海外移住研究会のメンバーとして、移民船あるぜんちな丸第12次航に東京都の農業移住者として早稲田大学を休学し、意気揚々と乗り込んだ日の写真です。船内新聞『さくら』の編集委員として活躍、40年後には、あるぜんちな丸同船者寄稿集と題するホームページを開設、同船者681名の移住先国への定着の過程を戦後移住史の一部として残す作業を始めました。現在の活動のすべてはこの写真から始まった記念の一枚です。
2015/05/30
ジウマ大統領の初めてのメキシコ訪問が話題になっています。
 
ニッケイ新聞、サンパウロ新聞の邦字新聞がそれぞれジウマ大統領のメキシコ訪問を報じており紹介しましたが、ブラジルの全国紙のECONOMICOの記事と地元ポルトアレグレのCORREIO do POVO紙の記事も紹介して置きます。エコノミコ紙は、邦字紙と変わらない内容ですが、コレイオ紙は、ちょっと変わっていて面白いので内容を紹介して置きます。
『ジウマ大統領は、節制により10㎏痩せてスリムになっておりアルーコール類も控えているそうですが、ブラジルのカシャーサ(ピンガ=砂糖キビを原料とするブラジル焼酎)メキシコを代表するテキーラ(リュウゼツランから作るメキシコ焼酎)の相互免税輸入協定を結びメキシコ訪問最後の晩にテキーラとカシャーサを薄めたカイピリニイァでメキシコ大統領と乾杯を交わした。ブラジルの記者の大統領は、節制、禁酒のはずですがとの質問に偶にはテキーラ、カシャーサも良いもので健康とユーモアを保つ上で欠かせないもので必要に応じて嫌いでないので飲むことにしていると答えた。』
写真は、コレイオ紙に乗った両大統領が自国自慢のテキーラとカシャーサで乾杯を交わしている写真です。
 
イメージ 1
イメージ 2
2015/05/30

「形」講習会最終日 上村館長自ら実演指導=講道館柔道  15/05/29  サンパウロ新聞WEB版より

 bbbb koudoukan
講道館柔道「形」講習会最終日となった24日、サンパウロ市内の「南米講道館」で上村春樹館長及び講師たちによる実演講義が行われた。会場には柔道着姿のブラジル柔道有段者及び関係者など約100人が出席。教えられた「形」の技を実践して学ぶなどし、熱心にビデオ撮影を行ったりメモを取る人も少なくなかった。上村館長は「指導者の皆さんには、子供たちに柔道を続けることの大切さを伝えていただき、大きな夢と目標と持ってもらうように指導していただきたい」と期待を込めた。 
午前9時から開始された講習会では、鮫島元成8段が初心者向けの指導として「講道館柔道」等について説明。創始者の嘉納治五郎氏が人間の生き方を「道」として柔道で励行することを説いたとし、「道」については「試合に勝つことではなく、自他共に幸福になること」と諭した。 
 また、現在の日本全国の中学校(12~15歳を対象)では、2012年から柔道をはじめとする9つの日本の武道が必修化され、その64%の学校が柔道を行っているという。
 
 鮫島8段は柔道の「受け身」について、「負けの練習は柔道にしかない」と語り、安全面でのキーワードとして(1)危険な時は自ら倒れる「潔さ」 (2)相手を投げる時は倒れない「残身(心)」(3)互いの柔道衣を引っ張り合ってバランスを保つ「命綱」の大切さを強調。「『受け身』は人間が謙虚にな るための練習で、柔道の本当の目的は人間性を高めること。『柔道衣を着たゴリラたち』になってはいけない」と戒めた。
 講義の後、「足払い」の基本稽古などで体を動かし、「八方受け身」や連続技につながる技術を鮫島8段が実演して見せた。
  その後、村田直樹8段が講道館資料館に保管されている嘉納治五郎氏の歴史的写真を投影しながら「柔道史概要」を説明。身長160センチ、体重53キロと小 柄ながら負けず嫌いだったという嘉納氏が柔道の普及を行うため、ベルリンやロンドンなど各国でデモンストレーションを行い、「一人の立派な人間を作れば、 次に継いでくれる」との思いにより、現在も嘉納氏の「精力善用」「自他共栄」の教えが世界的に伝わっている事実を説いた。
  昼食休憩をはさんで午後2時からは上村館長自ら「柔道の指導方法」を教授した。中学3年の時は100メートル走が20秒もかかり懸垂は1回もできなかった が、その後、高校と大学で2人の恩師に柔道の基礎と世界を目指すことの素晴らしさを教えられたと、自らの経験を披露。技術的には、柔道着を自由にする手の 動かし方と体の重心のコントロールを重要視し、「体落とし」や「大内刈り」などの体重移動を実践して見せ、「自分の得意技の一番良い形を作ること」「技は ゆっくり正確に」「攻撃を研究したら防御も一緒に考えること」などと指導した。
 講義の最後で上村館長は、「これまで5日 間にわたっていろいろな話をしてきましたが、やるのは皆さんです。私もできたのですから、皆さんも必ずできます。将来ある子供たちに大きな夢と目標を持た せ、柔道を続けることの大切さ、当たり前のことを行う大切さをどうぞ伝えてください」と述べると、会場からは大きな拍手が鳴り響いた。
 締めくくりは講道館指導者による「五つの形」「古式の形」が披露され、参加者を代表して上村館長から4人に修了証書が手渡され、初めてのブラジルでの「形」講習会は無事、終了した。

2015年5月29日付

2015/04/30
ニュージランドに移住した3女小百合は、幸せそうです。
 
末娘,小百合のFACEBOOKのカバー写真を変更したとの連絡を受けましたが、ニュージランドの大地,岩の上にぺードロ君とマルコ君と撮った写真は、幸せを象徴しているようで大変気に入りました。シェアさせてもらうことにしました。
序にペードロとマルコ(満1才)の写真も一緒に貼り付けて置きます。傍にいて成長を見届けてやれないのは残念ですが、またそのうちにニュージランドに出かけたいと思います。
bbbb sayuri Sem título
11188363_10152818603441569_2706492262162929410_n

 

2015/04/30
Santos港に母を案内
≪こんな写真が見つかりました≫  松村さんからのお便りです。
彩子さま
 
サンパウロ州ジアデマ市に住む松村滋樹(しげき)と申します。
 
4月は税申告の月です。毎度の事ですが、後4日しか残っていないこの土曜日、朝から申告の手続きをやっています。
例によって、全部の資料が集まらず、家中の片付けがてら、紛失資料を捜索しました。ひょっこり出て来たのがセピア色の移民当時の写真でした。
迷いましたが彩子さまに送付する事に致しました。
 
セピア色の写真:1966年(昭和41年)10月 州都サンパウロから南西へ70キロ離れたイビウナ郡の前田農場。
鹿児島大学文理学部の小川全夫氏が海外移住学生連盟の実習生としてサンパウロに来ていて、私を訪ねて呉れました。後方のレンガ作りの小屋は飼料の倉庫と種卵の選別室。
更に、その後ろに広がる傾斜地にイタリア移民のぶどう園が見えます。1966年9月11日、「さくら丸」にてサントス港着。13日から農場で野菜 の栽培、鶏の世話、鶏舎建設などの仕事が始まりました。
ブラジルの大地に着いて間もない、新移民の私。「移民の原点」と云える写真で、良く見付かったものです。
 
カラー写真:1998年(平成10年) ブラジル鹿児島県人会創立85周年記念式典に須賀知事と共に慶祝団の一員として母たねが来伯。サントス港の日本移民の像に家族で案内しました。
私は移民としての成功者とは云えませんが子供に恵まれ、幸せな生活をしています。父茂は1983年鹿児島県人会創立70周年の時来て呉れました。父も母も他界。
欧米に憧れる子供達が、最近は日本に行って呉れる様になりました。子供達が「私のルーツ」探しをして呉れればと願っています。世界に誇れる「緑や水に恵まれた美し い国」ですから。
 
松村滋樹
Av. Vereador Juarez Rios de Vasconcelos, 292 Centro
09920-610 Diadema – SP, Brasil
Ibiuna 前田農場1966.10
2015/04/30

外交120周年の開幕式典 滋賀との提携35周年と合わせ=ポルト・アレグレ  15/04/22  サンパウロ新聞WEB版より

鏡割りをするサルトリ知事(右)、梅田大使(左)ら(南大河州政府サイトより) Foto:  Luiz Chaves/Palacio Piratini

 リオ・グランデ・ド・スル(南大河)州における日本ブラジル外交樹立120周年と滋賀県との姉妹提携35周年を祝う開幕式典が、7日夕方に同州都ポルト・アレグレ市の州政庁ピラチニ宮で開催された。同州政府サイトによれば、ジョゼ・イボ・サルトリ知事はじめ州政府関係者、梅田邦夫在ブラジル日本国大使、池田敏雄在クリチバ総領事、後藤猛ポルト・アレグレ出張駐在官事務所長など日本政府代表、地域・日系社会の招待者や企業関係者など多数が出席した。 
サルトリ知事はあいさつで、同州の多様性に日本文化が果たした貢献を確認するとともに、経済面における連携の重要性を強調。文化面にとどまらない他分野での協力関係構築、さらに新たな投資にも期待を表した。
 滋賀県との姉妹州県提携は1980年に結ばれ、環境、産業、農業、教育、スポーツなど様々な分野で交流関係が続いてきた。同県の三日月大造知事のメッセージを持参した梅田大使は、知事はじめ同式典開催への関係者の協力に感謝。大使館サイトによれば、日本と同州の経済関係強化、同地で開催される日本祭りなど文化面の交流強化に期待を表すとともに、農業から始まり日系社会の各分野で同州の発展に貢献してきた1世、日系人の尽力に感謝した。同州と滋賀県に加え、姉妹都市(ポルト・アレグレと石川県金沢市、ペロッタスと同県珠洲市)の交流促進にも期待を表した。
 
続きを読む <!–隠す–>
 和楽器を中心としたサンパウロの音楽グループ神楽坂トリオの演奏なども式典に花を添え、最後に来賓による鏡開き。一同で乾杯し、節目の年を祝った。
 大使の同地訪問には恵子夫人も同行し、州知事夫人で特別補佐官のマリア・エレナ・サルトリ氏と懇談。知事夫人から大使夫人に南大河州の風物を紹介する写真集が贈られた。
   ◎   ◎
  開幕式典にあたり、サンパウロ市から日系企業関係者がポルト・アレグレを訪れた。一行は13社の代表とブラジル日本商工会議所の平田藤義事務局長。式典に 先立ち7日午後、白川安弘会頭など南日伯商工会議所代表とともに、州経済開発・科学技術局(ファビオ・ブランコ局長)との懇談会が開催された。梅田大使、 サルトリ知事も出席した。
 懇談会では同州における造船、石油・天然ガス生産や石炭のガス化事業の可能性などについて意見が交わされた。三菱商事や東洋エンジニアリングなどの各企業代表による会社紹介、新規の投資分野に関する説明等も行われ、知事は日伯経済関係のさらなる拡大に期待を表した。
 ブランコ局長は、同州の石炭埋蔵量がブラジル全体の90%を占めることに触れ、環境に配慮した日本の技術によるガス化事業はビジネスの機会と説明。造船分野についても、同州には労働力があり、技術研究センターを有している点などをアピールした。
ポルト・アレグレでは今年8月末、日本経団連とブラジル全国工業連盟による第18回日伯経済合同委員会の開催が予定されている。

2015年4月21日付

2015/04/30

韓国大統領が伯国を初訪問=南米歴訪の一環として=貿易や交流の活性化図る=日本の憲法改正の動き牽制   ニッケイ新聞WEB版より

朴大統領(左)を出迎えたジウマ大統領(Roberto Stuckert Filho/PR)
朴大統領(左)を出迎えたジウマ大統領(Roberto Stuckert Filho/PR)
  韓国の朴槿恵大統領が24日に伯国を訪問し、ジウマ大統領と貿易や技術交流などについて協議したと24日付Valor紙サイトや25日付フォーリャ紙サイトなどが報じた。

朴大統領の伯国訪問は16日からの南米歴訪の一環で、コロンビアとチリを経て24日にブラジリアに到着。ジウマ大統領とは、サンタカタリーナ州産の牛肉の輸入解禁や情報処理を含む技術交流、「国境なき科学」を含む学術交流などについて話し合った。
韓国はチリとペルーとの間で自由貿易協定を結んでおり、近日中にコロンビアが加わる。過去50年間の韓国の経済成長はラ米でも注目を浴び、同国との貿易や各種分野での交流は伯国を含む南米やラ米各国の望むところだ。韓国は伯国が南米共同市場議長国として貿易自由化を推進してくれる事も期待している。
韓国は伯国にとって世界7位、アジアで3位の貿易相手国。韓国にとっての伯国はラ米一の貿易相手国だ。伯国からの輸出は一次産品中心で、付加価値が高い韓国製品の輸入額が輸出額を上回っている。貿易の不均衡解消は課題の一つだ。
サンタカタリーナ州産の牛肉輸出問題では、
ジウマ大統領も伯国産の肉は米国や日本、中国などの厳格な市場でも受け入れられており、品質は保証できると確約したが、解禁の発表はなかった。
他方、技術開発の分野では、伯国の「国境なき科学」継続、通信技術の新世代である5Gの調査や開発、原子力発電や温室効果ガス排出量削減に向けた二国間協力などが確認された。両国間では通信技術での共同計画創設で、大学や調査機関、企業などの相互協力や人材交流などが推進され、国内外の需要に応える高度な技術の開発や交流の機会も生まれている。
通信分野では5Gの他に、大量の情報を交錯させて分析する事を可能とするビッグデータ、メガネや時計などの小型機器を媒介とした情報交換などのための技術開発や人材交流などを推進する。韓国のSamsung社は伯国に対し、向こう5年間で500万ドルの投資計画を持っている。
また、Vale社との共同事業のセアラ州ペセン製鉄所への投資や聖州ピラシカバの自動車会社〃現代〃工場への投資継続なども協議された。ペセン製鉄所は来年初頭に創業予定で、直接、間接で1万9千人の雇用創出に繋がる。現代のピラシカバ工場は既に5千人の雇用を提供している。
朴大統領は伯国メディアに対し、伯国が北朝鮮の核開発問題への抑制力となる事を期待している事と、日本の平和憲法改正への動きへの懸念も表明した。

2015/04/30

NHK ワールド ラジオ日本 写真コンクールのお知らせ!!

皆様初めまして。先週、メーリングリストの仲間入りをしました松田彩子と申します。

 

私は東京のNHKに勤務し、国際放送局という部署で海外向けラジオ放送「NHKワールドラジオ日本(以下ラジオ日本)」の番組ディレクターをしております

 

ラジオ日本では、短波ラジオ放送とインターネットなどにより、日本やアジアの情報を日本語や英語を含む18の言語で世界に発信しております。

 

現在、私が担当するブラジル向けのポルトガル語放送では、日伯友好120年を記念し、「みんなのエピソードでつむぐ 日本-ブラジル120年」という特集企画を行っています。

 

この企画は、リスナーを始め、日本とブラジルの交流に関わる皆様から日本とブラジルに関わる思い出の写真をエピソードとともに送っていただき、ホームページでその一部を紹介するとともに、送られてきた写真を紹介する写真展を日本国内で行うというものです。(現在、7月に横浜で写真展を行う案が検討されています)

 

既に多くの写真が主にブラジルから送られてきており、その一部は次の日本語とポルトガル語のホームページに掲載しています。

 

(日本語)

http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/portuguese/relat120/index_jp.html

 

(ポルトガル語)

http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/portuguese/relat120/index.html

 

前置きが長くなりましたが、当企画の担当者として、より多くの方に写真を送っていただきたいとインターネットで呼びかけ先を探していたところ、「私たちの40年!!」のホームページに目が留まり、管理人の和田様に事情をご説明し、メーリングリストに入れていただいたという次第です。

 

ここ数日、皆様の間でやり取りされる文面を拝読していて、日本とブラジルにこれほど深く関わっておられる皆様なら、お一人お一人にとっての日本、或いはブラジルを象徴するような写真をお持ちだろうと思いました。是非、そうした写真を上にご紹介した日本語またはポルトガル語のホームページからエピソードとともに投稿していただけないでしょうか。

 

移住された当時の古い写真、または日本国内にお住まいでブラジルと何らかの形で関わっておられる方からの投稿も大歓迎です。

 

写真のカテゴリーは6つ設定してありますので、皆様の心情やお気持ちに一番近いと思われるものを選んで投稿していただければと思います。

 

初めてのメールで一方的な情報周知になってしまい、大変恐縮しておりますが、日本とブラジルの友好の来し方と行く末を、皆様からの写真とそのエピソードでつないでいくような機会にしたいと考えております。どうぞご協力よろしくお願いいたします。

 

不明な点など何かございましたら、遠慮なくお尋ねください。

 

松田彩子

00056

Next »