2010/08/21

タイトルを見て、JALに関する記事だと思った方はゴメンなさい(笑)

一切、出てきませんので。。。

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本日から私の実家の和歌山県白浜町に帰省しますので、

記事の更新を8月28日頃までお休みします。

今日は簡単な内容ですが、ご一読頂ければと思います。

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最近は、ずっとお金の話を続けています。

経済というより、お金って言うノリでわかりやすく

貧困解決への提案ができればと思って書いています。

次回は、ベーシックインカムです。

ところで 、貧困ってなんやねん!と言う方が多いと思います。

世界銀行では、一日の所得が1米ドルに満たない人を言うようです。

貧困とは何かと言う話をしていたのではキリがないのですが、

そもそも、きちんと正規雇用されて、働ければ、

贅沢をしない限り、日本では、1米ドル以下なんてことはないし、貧困にもならない。

しかし、病気になるとそういうわけにはいきません。

一旦、病気治療のため職場を離れると、以前のように働くことは難しいのが現状です。復帰しても、治療は続きますから、通院や短期入院など、万全な状態ではなくなります。

結果的に、職場に復帰しても居づらくなり退職を選択する方が案外多いのが現実です。

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国家はセーフティーネットを用意していますが、それはあくまでも

一時的な保護(現状維持)であり、本来のその人が持っている生きる力(希望ある未来への挑戦する力)を、

支えるものではありません。その力が失われる前に、その支えを用意できないか?

そして、もう一度、労働市場に舞い戻ってくることができないか?

その舞い戻ってくるための「翼」を用意できないのか。

これが、「翼の保障」の概念です。

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この考えは、高負担高福祉で有名なスウェーデンの思想です。

日本では、病気の家族がいる家は苦労して当たり前と言う風潮がありますが、

翼の保障をすることは、健康な方の仕事を守ることにも繋がります。

国家や政府云々ではなく、皆さんの職場で考えてみて欲しいと思います。

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この考えに基づき、具体的な提案がされている書籍があります。

関心のある方は是非お読みください。

「生活保障」 岩本太郎著 岩波新書

猛暑で、汗だくの身体と心が、スーーっとする一冊です。

2010/08/09

猛暑が続く日本列島ですが、皆さんは如何お過ごしですか?

私は、早朝と夕方に仕事をして、日中は子どもの宿題をみたり、

昼寝したり。。。のんびり過ごしています。

先日は、娘と一緒に関が原に行ってきました。

娘は歴女なんです。宿題のこともあって、二人で憧れの関が原へ。

娘は、古戦場跡で大喜び。私は、豊かな自然を楽しみました。

酸素が多いというか、空気も日差しも優しい。

もう一度、ゆっくり訪れたいと思える町でした。

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今回は、前回お話をした通り、「老化するお金」を取り上げてみたいと思います。

私たちの生活に、なくてはならないお金ですが、そのお金が原因でさまざまな問題が起こっています。

たとえば、貧困や、環境破壊、そして戦争。。。医療にかかわる問題もそうです。

では、今、流通しているお金の何が問題なのでしょうか。

お金は自然界には存在せず、人間が作ったものです。

だから、きっと私たちの力で変えることができるはずです。

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本来、お金は交換の手段であったものが、いつからか、その役割以外に資産としての役割を持つようになりました。

たとえば、バナナを1本と100円硬貨と交換したとします。バナナはそのうちに食べられるか腐るかなどで、その価値を失います。

しかし、お金はバナナが消滅してもその役割を終えるどころか、手元に留め置かれ、利子を生むことになります。

(*ここでは、便利上「利子=利息」とする )

この「利子」が大変な問題を起こしています。

一つは、お金が流通しなくなっていること。

もう一つは、利子が利子を呼び、結果的にそのツケが地球環境に悪影響を及ぼしているということです。

「老化するお金」は、利子が発生しません。

それに、一定期間内に使用しないとその価値が失われます。

資本家に貯め置かれ、流通しなくなるということはありえません。

利子がつかないので、借金をしても安心して返済することができます。

ですから、貧困は利子という存在が無くなれば、相当解決すると思われます。

たとえ話でよく使われるネタですが、ある湖に漁師のAとBがいたとします。

何世代もそこで、のんびり暮らしていましたが、そこにお金が登場して、彼らの生活は一変します。

相手より贅沢な暮らしをしたい漁師は、たくさんの魚を獲るため、昔ながらの漁法から、大規模な漁法に変えます。

そのために、借金をし その借金(元金と利子)を返済しながら、

以前より、また、相手より豊かな生活をおくるために、いっそうたくさんの魚を獲る。

それが何年も続いた結果、湖から魚がいなくなり、残ったのは、借金だけ。。。

地球規模で、そんなことが起こっているのです。

行き過ぎた欲望をコントロールする力と、利子の存在がなければ魚を獲りつくすなんてありえなかったでしょうね。

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「老化するお金」は、「「エージング・マネー(老化貨幣)」や「自由貨幣」とも呼ばれています。

これは、どのような考え方が基本にあるのかと言いいますと、

「お金は本来、経済活動の最後には、その存在が失われなければいけない」と、なります。

現在の貨幣システムでは、シルビオ・ゲゼルの著書、「自然的経済秩序」の中で語られている通り、

あらゆるものが減価するのに通貨だけが減価しないために、利子が正当化されています。

一部の人は、その利子でのんびり暮らすことはできても、大多数の人は、

貧困にあえぎ、最終的なツケは、地球にまわることになります。

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さて、その老化するお金は実際に使える理論なんでしょうか。

実は、 シルビオ・ゲゼルの考え(自由貨幣理論)を実践した町があります。

その町は、第二次世界大戦の引き金になった世界大恐慌の影響をうけ、

多くの失業者をだし、財政難で苦しむオーストリアの「ヴェルグル」です。

町長は、議会 の支援も受け、公共事業に失業者を雇用し、その賃金として、

スタンプ通貨を発行しました。(これは今風に言うと、「労働証明書」と言う名の地域通貨ということになりますね。)

この通貨は、月初めに額面の1%のお金を支払わねばいけません。

別の言い方をすると、1%ずつ価値が減っていくのです。

ですから、手元にため置かれず、あっというまに町中に広まりました。

町は、この地域通貨をもとに、公共事業を行い、失業者は労働と賃金を得て、暮らしてゆくことができるようになりました。

税収も増え、軌道にのりはじめましたが、1933年11月に政府は通貨の混乱を招くとし、廃止となりました。

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私は、わずか13ヶ月のことではありましたが、 ヴェルグルは失業者がいない町(完全雇用)になりましたし、

税収も増えるなどの成果を考えた場合、実際に運用できる貨幣システムだということが証明されたと思っています。

このゲゼルの理論を生かして、アメリカやヨーロッパ、そして日本でも、地域通貨が増えてきています。

お金は、流通することでその額面の何倍もの価値(経済効果)が出てきます。

いますぐ、日本国が発行する通貨「円」にこのシステムを採用するのは、無理があります。

ただ、老化するお金という考えがあるということ。そして実践し成功した町があることなどを、

大勢の人に知ってもらい、今の社会的問題の解決のヒントにして欲しいのです。

繰り返しになりますが、お金は私たち人間が作り出したものです。

ですから、今、そのお金で苦しんでいるならば、そのシステムを変更し、

地球環境にも配慮しつつ、普通の人が、当たり前の生活ができるようにし、

その中で医療や福祉が充実されるべきだと考えています。

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次回は、究極の貧困解決法として注目されている、

「ベーシックインカム」です。お楽しみに。

2010/07/24

京都は、猛暑の毎日です。

梅雨の頃の雨が懐かしい。

京都に来られる予定の方は覚悟を決めてお越しくださいね!

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ここしばらくは、貧困についてお話をしました。

今まで何度も繰り返してきた通り、病気と向き合う時に、最大の敵は、「無知と貧困」です。

そう、お金の問題はとても重要なんです。

だから、この機会に極端な貧困のお話を、あと2回ほど続けます。(今回を含まず)

極端な貧困から抜け出すことはとても難しい。

「私は、リッチだ!」と感じている読者の方がいればそれは、とても幸運です。

だけど、実は極端な貧困は常に目の前にあって、あなたが困難な病気や障害を もつことになれば、

すぐに、極端な貧困の仲間入りです。今の日本はそういう世の中なのです。

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少しでも、日本に生まれて良かった(生活できて良かった)といえる世の中にするにはどうすれば良いでしょうか。

日本では、「お金」や「性」や「政治」を家族間で話し合われる機会は少ないと思います。

お金はまさに生き方そのものです。お金のことを考えることは、生き方を考えることです。

次回は、「老化するお金」です。2回目は、「ベーシックインカム」です。

ともに、今すぐに実践することは難しいでしょうが、お金(人生)と向き合ういい材料になります。

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皆さん、お金がたくさんあると嬉しいですよね。

今は、通帳に数字が並んでいるだけですから、保管する場所の心配は要りません。

日本国の借金は、1万円札で月までに橋が架けられる規模までに膨れ上がりました。

違う視点からみれば、それだけお金はあるんです。

お金があるとなんでもできる。そう、幸せの象徴なのかもしれません。

きっと、私は子どもが死ぬことが無ければ、今もそう思っていたでしょうね。

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銀行は、お金をたくさん集めて、それを流通させることで経済を支えています。

大変、重要な役割を果たしています。

ただ、彼らも利益を出さねばならないので、確実に儲けが出るところにお金を回すことになります。

そりゃ、損をする事が判っているところに、大切なお金を回すことなんてしませんよね。

しかし、儲けがでれば何をしても良いと言うのは文明社会に暮らす一員としてはとても残念です。

銀行は、私たちの平和を支える一方、儲けのために戦争も支援しています。

時に、「銀行からすべてのお金をおろして、戦争支援をやめさせよう」というスローガンを見かけます。

あまりにも非現実的なので協力するところまで行きませんが、気持ちはわかります。

戦争を支援するお金があるならば、医療とその制度を充実させるべきです。

戦争は、健康な人の身体と心を壊すのが目的です。

私たち人間は、もう十分にそういう時間を過ごしてきたはずです。

そろそろ、私たちの当たり前(普通)の、「生きる喜び」を確保するためにお金を使いませんか。

そのためには、医療の充実は必要不可欠です。

お金を考えると言うことは、確かに、あなたの幸せを考えることです。

しかし、あなただけが幸せならばいいということは、現実的にはありえません。

だって、人は一人では生きてゆけないから。

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お金を通して、今の医療に何ができるのか。

そして、それを考える過程の中で、「私らしく生きる」とは何なのか?と、思いを馳せてくださると嬉しいです。

その経験は、「自分自身の命と健康を守ると」につながってゆきます。

私の記事がそういうお手伝いができるならこんな幸せはありません。

みなさん、「想像」してみてくださいね。

2010/07/24 05:48 | 病気のこと, 雑記 | No Comments
2010/07/19

参議院選挙が終わりました。結果について皆さんどうでしたか?

予想通りと言う方もいれば、あそこまで民主が負けるとは、と言う方もいらっしゃると思います。

私的には、日本人は中庸を好む性質があるので、自民、民主の政権を繰り返しながら、

(次の段階に移るまで離合集散を経て)落ち着くところに落ち着くんだなと感じました。

結局、昔(多数政党)に戻るんだと思いますが、皆さんは如何でしょうか?

あっ、昔に戻るっていってもマイナスなイメージではなく、(より洗練されて)

昔の良いところを取り入れつつ、今の時代に合うものにするって感じです。

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今、極端な貧困を解決する手立てとして、「コンパクトシティ」と言う概念が提唱されています。

これは、日本だけではなく、アメリカやイギリスでも実践されている考え方です。

伝統回帰的な意味合いが強い都市計画の理念ですが、失われつつあるコミュニティの

再構築にも役立つのではないかと考えられています。

日本では、札幌市や仙台市、そして神戸市などがその理念を取り入れています。

私は、医療の現場からみてもこの理念の実践は大変良い事だと思っています。

今日は、コンパクトシティについてお話をします。

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<コンパクトシティとは?>

日本だけではありませんが、先進国の多くの中核都市では空洞化が進んでいます。

車社会がその後押しをし、ちょっとした買い物も車で郊外に行かないといけない。

これが、今日の都市像です。

例えば京都市内でも、従来は(京都の風情を守るため)大型店舗の出店は控えられていましたが、

近年は、大きな工場の跡地などに大規模店が出来ています。

こうなると周辺の商店街などはシャッター通りになり、「ねぎを買うのにタクシーに乗って行った」なんて、

冗談か本気かわからない会話が交わされています。

生活弱者や、貧困層には車を買う(または操縦の)余裕は無く、今のままでは生活が難しくなってきています。

また、インフラを整備する行政も、郊外へその設備投資を拡大せねばならず、大きな財政負担になってきています。

環境面から見ても、秩序や計画性の無い郊外への進出は負担が大きい。

コンパクトシティでは、ご年配の方でも安心して移動できる距離に買い物ができる場所を用意し、

そこに、雇用も創出しようと言うのが狙いです。また、行政にとっても基本的なインフラは整備されているわけですから、

大規模な設備投資は不要です。行政も、住民も一体になって住みやすい街づくりをするわけですから、

治安も良くなり、コミュニティーも構築されていくと言うのが大きな目的です。

私の専門の医療面でも、コンパクトシティは良い影響があると私は考えています。

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<本当は、「サポートハウス」なんて必要ない>

なぜ、医療の現場にコンパクトシティの理念なんでしょうか。

サポートハウスの利用者さんは皆、地元で治療を受けることを望んでいます。

しかし、難病の場合は地元で治療を続けることは難しいのが現実です。

そこに、私たちの「サポートハウス」の登場となるわけですが、

本来は、地元(公共交通機関で無理なく移動できる範囲)に、

それなりの規模を有す病院があれば、サポートハウスの存在はさほど必要なくなります。

(実は、サポートハウスなんて必要無い世の中の方がいいんです)

私は、このコンパクトシティの理念に基づき都市設計を行い、中核都市の医療面の充実を強く望んでいます。

私の住んでいる京都府のお隣の奈良県では、妊婦の救急搬送受け入れ拒否が相次ぎ、

大阪府まで移動してやっと対応してもらったなどと言う話を聞きます。

これを、「出産難民」と呼んでいます。(泣けてきますね。。。)

こんな状況を作っている原因は、小児科医が少ないなど様々な要因があるんですが、

先ず、地元のことは地元で解決しようと言う当たり前の原点回帰が必要だと思っています。

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<極端な貧困の解決と、失われつつあるコミュニティの再構築 >

コンパクトシティでは、主役は大手企業ではありません。

また、(行政が無理にすすめる)大型開発も必要ありません。

地元の普通の人が、当たり前に自治に参加する、「顔の見える街づくり」がコンパクトシティの原点です。

地元で若者がきちんと働く場を得れば、貧困解決と地域の活性化が行われます。

「地産地消」と言う考えとミックスさせると、より効果的に貧困解決とコミュニティの構築ができます。

私たちは、(物質的な面で)便利になりすぎて大切なものを忘れてしまったようです。

私たちの大切な街は人任せにせず、私たちで作り守る。

医療の現場もそうやって充実してゆくのではないでしょうか。

どんな時でも、命を大切にする街づくりをしなければならないと私は強く願います。

だって、皆さんの街が「医療難民」を生むような街になって欲しくないですから。

2010/07/05

今回は、本来なら「コンパクトシティ」について記事をアップする予定でしたが、

参議院選挙が公示されました。

そこで思うことがあるので、時節柄この記事を優先しました。

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消費税の増税が計画されていますね。

医療現場から見て、増税はどうなのか。

あと、増税とセットで、法人税の減税が行われるようです。

この2つを考えてみたいと思います。

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選挙(政治)と市民活動がなんの関係があるのか?と思われる方もいらっしゃると思います。

直接的な関係は無いにしろ、政治はありとあらゆるものに大きな影響を及ぼします。

もし、それが体感できないのならば、ある意味あなたは幸せ者です。

政治の成り行きに翻弄されている人をたくさん見てきているから、そう強く感じます。

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のっけから話がそれましたが、今回は、消費税を増税してまでも、社会保障の基盤を整えるのか、

そういう手段をとらず、別の方法でその目的を達成するのか?が問われています。

消費税の税率を上げて、社会保障の財源へ。

これは一見よくわかる理屈です。

例えば、W杯で対戦したデンマークは、高負担、高福祉です。

負担なくして、高福祉は個人レベルではありえても、国家的な枠組みで見た場合、ありえません。

では、消費税を10%にすればそれが解決するのか?ですが、

私が関わっている医療の現場をみた場合、医療費が無料になるわけでもないだろうし、

難病指定の病気が一気に増えるわけでもないと思います。

なぜ、そういう風にいえるのか?

それは、 消費税税率を上げても、法人税を下げるからです。

結局のところ、国に入るお金(税収)は増えるわけではありません。

私は、消費税を15%にしても良いので、医療費を無償化して欲しいという論者です。

ですから、税率アップは、医療費無償化(減額)が絶対的な条件です。

医療費無料化?そりゃありえんだろう。。。という方もいらっしゃると思いますが、

日本でも、子どもや、高齢者の方に限って無償、また、国が変われば国民全員が限りなく無料 のところもあります。

そう、やればできるんです。

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治療で一番大切なのは、「早期発見、早期治療」ではないでしょうか。

今、貧困が原因で、医療費どころか、保険料を納められず、健康保険証をもっていない方がたくさんいます。

(保険証をもっていない方が100万人に達する見込みです)

そういう方は、病院にいくと100%自己負担ですから、なかなか病院に行けません。

重症化してから救急車で病院に運ばれ、命を落とすなんてこともあるんです。

これは海外のどこかの貧しい国の話ではありません。私たち日本で実際に起こっていることです。

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では、どうやって解決すればよいのか?

企業の法人税を下げて、その分、国際競争力をつけさせ、たくさん儲けて貰って、税収を増やそう!

国や、企業はそう考えているようです。

でも、本当にそういう風に行くかな?

日本の家電メーカーのすべての利益を合わせても、韓国のサムスン一社の利益に負けます。

利益が大きなサムスンは、韓国に(日本企業が日本国に納める税金より)たくさんの税金を納めています。

アップルもそうです。アメリカにたくさんの税金を納めています。

「税率が日本より安いからサムスンやアップルは儲かっているんだろう」と、言う考もあるでしょう。

日本の法人税は約40%です。

これは確かに他国に比べて高いと言う意見もある。

でも、これが「実効税率」となる一気に下がります。

日本の上位100社は、実質負担は30%程度です。

これは税率が高いと言われているフランス(33%)なんかより安いわけです。

先日の株主総会でも明らかになっていますが、ある有名メーカーなどは、

十数パーセントしか税金を支払っていません。

なんのことはない、そんなに税金が高いわけではないのです。

法人税の減税をせずとも、しっかりと経営をすることはできるはずです。

もし、消費税の増税をするならば、医療、福祉目的税化が絶対的な条件で、

間違っても軍備には使わないで欲しい。

以上が、私の考えですが、みなさんはいかがですか?

もうすぐ投票日です。

どこに、誰に投票するかは自由ですが、棄権するのは勿体無いです。

折角の選挙権です。その権利を大いに行使しようじゃありませんか。

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さて、話はここでいったん終わりです。

でも、面白い記事を発見しましたのでご紹介しておきますね。(新聞記事です)

記事の中身は、「サムスンやアップルと日本企業の法人税減税」について書かれていました。

もう少し詳しく書くと、(有名企業経営者があつまるある団体は)

日本企業が世界で苦戦しているのは、法人税が高いからだと言う。

では、減税したら、サムスンのように売れる家電が作れるか?、

アップルの、iPadの様な独創的な商品が創れるのか?でした。

結論から言うと、税率の問題ではないと書かれていました。(同意!!)

要は、企業の姿勢ひとつなんです。

顧客のニーズに応えようとする姿が良質の商品を産み、

結果的に、 たくさん売れて儲かり、税金をしっかりと納める。

その図式が本来の姿で、儲からないのは、日本の税率のせいだ!と言うのは、ちょっとおかしい。

企業のモラルの低下は目を覆うばかりです。

頑張れ日本!と言う前に、先ずはしっかりしろ、日本!!と言いたい。

このままでは、猛スピードで、「お金の切れ目は、命の切れ目」の世の中になる。

2010/06/21

W杯が始まりましたね。アフリカ大陸では初めて。

サッカーをやっていた私にはなんともうれしい1ヶ月です。

日本はどうでしょうか。決勝トーナメントにいけるといいですね。

今回のW杯の公式ポスターのひとつにカメルーンのエトウ選手の顔をかたどって、

アフリカ大陸が描かれています。彼は、カメルーンの代表であるだけではなく、

アフリカ大陸のプライドと夢を背負っているということでしょう。

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極端な貧困=アフリカというイメージがありますが、

実は、日本でも貧困は大きな問題になっています。

バブル景気が終わり、巨大な負の遺産処理や、世界的な不景気もありましたが、

中には、あのバブルをはるかに上回る利益をあげている企業もあります。

反対に、労働者は一部を除き、ほとんどは給与は減らされ、運が悪いと不安定雇用に回される。

日本は、そんな時をもう20年近く過ごしていますから、一家全員(成人世帯)、

派遣かバイトか、それともプー(無職)か。そんな家も珍しくなくなってきています。

格差がものすごい勢いで広がっています。

経済的に貧しいと一般的に、子どもへの教育など、将来に向けての投資が出来ないことや、

物事を深く考える余裕がなくなり、場当たり的に人生を送ることになり、一層貧しくなります。

こんなときに病気になると最悪です。(実際、貧困層は富裕層より病気になる確率は高い)

医療の現場にいると、病気の最大の敵は、「無知と貧困」だと思い知らされます。

例えば、W杯開催国の南アフリカ共和国はのAIDS問題は深刻です。

いや、まだ南アフリカはまだマシかもしれない。

南アフリカ共和国の隣国には最貧国が多く、HIV検査で陽性反応が出たら、

その人は、放置状態です。特に幼児は放置される傾向にある。

なぜなら、死ぬ子より生きる可能性が高い子へ食料が回るからです。

今、AIDSは完治するところまではきていませんが、薬で発症を遅らせることはできる。

怖い病気ですが、対処法を学べば感染しないし、発病の確率を抑えることができる。

でも、これをきちんと国家レベルで普及するって 滅茶苦茶お金がかかるんです。

だから、財政破綻する一歩手前の日本では、HIV患者が増えています。

日本ですらそんな状態ですから、より貧しい国ではもっとひどい状況です。

まさに、国家の存亡に関わる問題です。

(ちなみに、日本国の借金は、1万円札の橋を作った場合、月に行って帰って来れる!!)

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「貧しいものはますます犠牲を強いられ、富めるものはますます富を獲得する」

これは確かに「資本主義」の欠点であるといえます。

しかし、「明日から社会主義でいこうか!」って言うわけにいきません。

もっと現実的な選択をすべきです。

貧困解決のため先進国でも色々な取り組みを始めました。

今、イギリスでは「コンパクトシティー」という考えに基づき街を再構築しています。

日本でも、「地産地消」という考えが食育の世界から広まってきています。

環境の問題や、貧困の問題を解決しようと、普通の人々が立ち上がっています。

ボランティア組織が最も得意とする分野でもあります。

京都サポートハウスでは、海外支援として、カンボジアの小学校建設に微力ではありますが、

設立当初から関わっています。また、今、インドの小学校運営に加わるための準備をしています。

2つの国にいえるのは、極端な貧困が蔓延し、貧しい子ども達は犯罪や戦争にかりだされているということです。

学校はそういう子どもたちを守る拠点です。極端な貧困は、自己責任ではありません。貧困は人災です。

極端な貧困を無くす為の努力を積み重ねないと、20世紀の様に「戦争の世紀」になってしまう。

私は、21世紀は、「利他主義」の世紀にしたいと強く思うのです。

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次回は、コンパトシティーを取り上げます。

では、また来週。

2010/06/12

京都は、連日快晴です。

だけど、例年は、もう梅雨に入っています。

うーん、気象の変化を実感する毎日です。

変化と言えば、1秒前と変わることは当たり前のことで、

同じ状態が継続しているように見えるのは一種の錯覚でしょうね。

万物は流転する。物質は常に運動をしている。と、いうことでしょうか。

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しばらく医療ネタが続きましたので、視点を変えて、

日本の「ボランティア」の歴史と未来についてお話をしたいと思います。

長文ですが、気楽読めるものです。それと、最後に未来への提言があります。

是非、最後までご一読くださいませ。

一般的に日本では、ボランティア活動の始まりは、阪神大震災と、語られます。

確かに、めざましい変化がありました。私も、職場から救援物資をもって駆けつけました。

でも、歴史を紐解くと、仏教が伝来し「徳を積む」ことの大切さが広まると、仏教寺院などで、

様々な取組みがされてきました。 これは、キリスト教社会でも同じです。

次に、大きな変化が見られるのは、室町時代で、「有徳思想」、という考えが広まります。

「豊かなものが徳を施すべし」と言うことで、「すべし」とあるところが注目です。

室町時代には、貴族や武家だけではなく、一般庶民の中にも経済的に豊かな人が登場します。

そういう人々が、貧しい人への施しを始めます。大変すばらしい変化です。

ただ、残念なのは、この思想と実践は長く続かず、時代は、応仁の乱から戦国時代に入ります。

当時の方には、「ボランティア精神」などは頭の片隅にもなかったでしょうね。

今を生きてゆくのに精一杯ですから。

(この時代を見るにつけ、「万事は平和の上に成り立っている」とシミジミ実感します。)

ながい戦乱の時代を経て、江戸時代に入ると、社会のシステムが相当なレベルまで成立し、

庶民への搾取が、まさに国家規模で始まります。

例えば、御三家の紀州藩では、その体面を保つためお金が必要だったんでしょう。

百姓に最高税率は約81%です。 これは紀州藩だけではなく、きっとあちこちの藩が

同様な財政状態であったと思います。ただ、この時代救いなのは戦争がなく、

困難な財政状況にあるにも関わらず、一般庶民の知識レベルが一気にあがります。

これは、例えば寺子屋など経済的ゆとりが無い庶民でも教育を受けられたことが大きい。

これも、広い意味で、「ボランティア」であったと思います。

時代は、ブームの幕末まで来ます。下級藩士でも、一般庶民でも、政権交代を目指し立ち上がり、

一気に開国、倒幕、明治維新と流れ込みます。このあたりから、原爆が広島・長崎に投下されるまで、

「富国強兵」の流れに沿い、(他国も含む)多くの一般の方の血が流れることになります。

終戦に契機に、国家は、大きく舵をきり、国民主権をうたう憲法を採択することになります。

ところが、ここから日本のボランティアは徐々に冬の時代を迎えることになります。

——

国は、暗い時代の分まで取り戻そうと言うのでしょうか、「福祉」に力を入れることになります。

特に1970年代は、革新系の知事があちこちに登場するなど、「福祉を重視した政策」が広まります。

本来、日本は、「資本主義」の国なので、 「福祉」を重視すると言うのは、その経済システムに相反します。

このあたりは、資本主義がその経済システムを 維持するために、社会主義・共産主義的な要素を上手に、

取り入れたと考えてよいと思います。

その思惑通り、日本の経済は大きな発展をとげ、「国民総中流」と呼ばれるほどの経済力をつけます。

ただ、ボランティアの世界では、大きな変化が起こります。

「社会的問題の対応は行政がやること」と言う考えが広がり、行政もまだ財政的に余裕があり、その要求に応える政策を

打ち出していました。結果、市民運動の力を奪ってゆくことになります。

これは、資本主義の総本家的な イギリスでも同じことが起こります。

「ゆりかごから墓場まで」の政策に従い、国家が市民活動が得意とする分野に入ってきました。

よって、多くのボランティア団体はその存在意義を失い、市民活動が低調な時代が訪れます。

さて、話は日本に戻します。

日本では、 経済的繁栄を謳歌することになるのですが、このあたりから「利己主義」が幅を利かせるようになります。

家電、家、車など物質的な豊かさを追い求めその結果、コミュニティーの破壊など、旧来のシステムが壊れてゆき、

治安やモラルの低下を招くことになり、同時に経済成長が低調になると、破綻する行政や大手企業が出てきて、

一気に先行きの不透明な時代に突入しました。

しかし、このあたりから日本のボランティアは再び力をつけ、国家と対等に向き合えるだけの力をつけたNGOなどが登場します。

私は、国家のピンチのときが、実はボランティアの世界にとっては、 好機だと考えています。

今の日本はまさにそういう時代だと思います。

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21世紀は「利他主義」で。

これが私の夢であり、未来像です。

21世紀は20世紀のように「戦争の世紀」にしてはいけないと強く考えています。

一方、国家に何事も任せきりにするのではななく、 明治初期に強くあった自治意識を、

大切にすることが、21世紀に相応しい生き方を演出してくれるとも考えています。

自治は「自分たちの利益を守る(増やす)」と言うことになるんでしょうが、

私はここに、他者の利益を優先すると言う考え方を持ってきたい。

他者の利益が、ゆくゆくは自分の地域の利益につながる。

そういう世の中が21世紀型だと。

市民だけではなく、企業も、1円でも多くの利益をあげ、株主や従業員など構成員で山分けする、「最大利潤」を

求めるのではなく、運営に必要な経費を除き、利益は世のため人のために使う。そんな経営が当たり前の世の中になる。

何かと引き合いに出される、「マクドナルド」ですが、この企業が、労働者や、農家の犠牲の上に立つのではなく、

また、健康に問題があると指摘されるようなものをだすお店から、例えば、労働者や、すべての食材の生産者にも、

正当な利益を配分し、(安心安全な食事を妥当な価格で提供する)お客にも、優しい企業になったとします。

これは大きな時代の変化を示すことになります。マクドナルドの様な世界的な大企業だからその影響力は計り知れない。

「自分の利益第一から、他者の利益を優先する」そんな時代が必ず来ます。

これは理想論ではなく、人間はそろそろお金に使われることから開放され、

まさに人間らしい生活を営みたいという潜在的な意識が顕在化する時代を迎えようとしていると実感するからです。

こんな時代だからこそ、「ボランティア」の活躍する場は増えています。

そう、有徳思想が今も生きているし、もっと発展的なものになっています。

「JunkStage」も、そういう思想で運営されていくならば、とても素敵な事だと思います。

皆さんが関わる企業、団体に変化はありますか?

きっと、利他主義の精神が活かされる形になろうと「変化」していると思います。

一度、じっくり見てみてください。

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次回からは社会の「変化」を数回にわけて取り上げたいと思います。

キーワードは、「コンパクトシティー」、「ベーシックインカム」、「極端な貧困」です。

では、次回をお楽しみに。

2010/06/12 04:12 | ボランティア | No Comments
2010/05/31

最近の京都は、いまだに夜は少し寒い。

このまま、梅雨に入るとどうなるんだろう・・・

寒い梅雨ってやだな・・・寒がりなのに。

電気ストーブを片付けられない私です。

今のうちに新緑を満喫しておかなきゃ!

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タイトルから受ける印象は、まるで西洋医学と仏教が対決?みたいな感じがしますね(笑い)

西洋医学と言う表現が古臭いし、なんで、そこに仏教がでてくるのか?と言うことですが、

いくつかのパートに分けてお話を進めてゆきたいと思います。

私的には、関心が深いネタです。

その前に、予め申し上げておきたいのは、「祈ったら、病気が治った」的な話は一切ありません。

また、仏教を賛美する話も出てきません。

神なんていません。人間が神を創ったのであって、神が人間を創ったのではありませんから。

だけど、最後の最後は居ないはずの神の存在を心のよりどころにしているのが人間です。

宗教は人間が存在する間は、その重要な役割を失うことは無いでしょう。

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日本の宗教について少しお話を。

日本に住んでいる方が全員日本人ではないのと一緒で、

宗教や宗派になるとまさに、日本列島は多宗教国家と言えるかもしれません。

だけど、一言で表すならば、日本は仏教徒が多い国と言えると思います。

じゃ、仏教が国の中枢に入り込んでいる国のように、

「仏陀」を祭りたてているのか?と言うとそうでもない。

日本の 仏教は、もともと日本人にあった「ご先祖様を敬い、祭りたい」と言う、

願望にちょうどうまく応えるものであったのではないかと思います。

言わば、「ご先祖様教」といえるかも知れませんね。

そんな「ご先祖様教」を当たり前のように受け入れ、日々淡々と過ごして来た私ですが、

ある日を境に、宗教とは何か?死、生きるとは?を深く考えるようになってきました。

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私が子どもを失って、その現実を受け入れることができなくて困っているときに、ある仏典に出会いました。

当時、その仏典は、仏教徒だけでなく、キリスト教徒が多数のアメリカのホスピスで、

ターミナルケア(終末医療)を受けている患者さんと向き合うボランティアなどが活用していました。

その様子をTVでたまたま放送をしていたものを見た私は、「これは一度読んでみたい!」と思い、

その仏典を繰り返し読むことになります。

その仏典とは、「バルドトゥドゥル」(チベット死者の書)です。

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現在、日本で暮らす人々のほとんどが、病院で生まれ、病院で死んでゆくことなります。

(最近は、自宅での出産やターミナルケアも増える傾向にありますが)

西洋医学的な発想では、死は敗北であります。

人間には敗北をオープンにする意識より、隠す意識が強く働きます。

いつか日本でも死は隠すようになりました。

その昔日本では、出産も死も家族や地域の方に看取られ中、オープンに行われてきました。

だから、産まれた子はまさに地域の宝でした。死者には、嘆き悲しむことより、感謝の気持ちをもって

笑顔で葬儀をおこなった。 そう、死は敗北ではなく、生きることと一緒でごく自然な出来事だったのです。

(理解に苦しむ方は、黒澤明監督の「夢」をご覧下さい)

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子を失って間もない私は、まさに藁にも縋る思いでしたから、「バルドトゥドゥル」(チベット死者の書)の中にある、

ひとつの教えに強く関心を寄せました。それは、「49日で生き返る」(輪廻転生思想)と言う教えです。

この仏典は、生きている間に読んで、死後どうなるのか?というイメージトレーニングをするためにも使われます。

その利点を活用していたのがアメリカのホスピスでした。

当時放送されたTVでは、HIVを発症し終末を迎えようとしていた患者さんにボランティアが読み聞かせをおこなっていました。

49日後に生まれ変われる。49日間、あの世で色々あるけど、生き返ることができる。

そう、私の子も49日間後には生まれかえることができる。

そう思うと、厳しい現実を少しだけですが受け止めることができました。

それと同時に、私自身が生きている事に感謝の気持ちと、死への恐怖が和らぎました。

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私は、仏教の輪廻思想や神の存在を真剣に受け入れているわけではありませんが、

ハウスの利用者さんが困難な状況にあり、ターミナルケアが始まったとき、

私はいつもこの時に感じた(考えて学んだ)ことを大切にしています。

死は敗北ではなく、生きると言う川の流れの一部分なんだと言うこと。

患者さんと出会えたことに感謝の気持ちと、(精神的な)笑顔を持ってして

接しています。だって、それが私にできる唯一の、

(患者さんが懸命に生きてきたことへの)誠実な対応だと思うからです。

2010/05/31 11:48 | 雑記 | No Comments
2010/05/21

日本では、桜はまだ咲いているのかな?

ふと、ぼんやりそんなことを考えていたら、

個人的に信頼している女性から、桜が送られて(贈られて)来ました。

日本人は、桜が大好き。私もそう。

桜を眺めていると、開花とあわせるように、息子が産まれて来た時のことや、

病気治療のため転院する際に、満開だったこ を思い出します。

その時の、桜の美しさときたら、言葉には表すことはできませんが、

きっと、あの美しさを味わうことはもうできないんじゃないかな。と、思っています。

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息子が逝ってからもう、16年。

生きていたら、高校2年生。

よく似た歳の子をみかけると、じーっと見つめてしまいます。

目が合うと、「今何年生?」と訊いてみたりしてね。

「2年生です!」なんて言うと、「へぇ~」って声をだしちゃう。

ああ、生きてたらこんなに大きくなってんだ。

こんなことができるようになってるんだ。

向こうはきっと、「2年生だからって、なんだよ?、へんなおっさん!」とか思ってんでしょうね。

「死んだ子の歳を数える」とは、済んだ事をいつまでも悔いることの愚かさの例えで

使われる言葉ですが、先に逝かれた親は、皆んな数えていますよ、きっと。

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先日、息子の十七回忌を営みました。

0歳で子どもを亡くすと、人生の晴れ舞台と、仏事が重なって辛いものがあります。

私が一番泣けたのは、七回忌のときです。一方は小学校入学なのに。

色々な思いが駆け巡るし、それに仏事なんてこともあるから、

そりゃ、数えますよ、死んだ子の歳を。

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今は、子の歳を数える時、辛かったことより、

色々な方に助けて頂いたことを思い出します。

看病のため、仕事を頻繁に休む私のためにフォローをしてくれた同僚。

職場での私の立場を守るためたたかってくれた労働組合のこと。

手紙を送ってくれた人、千羽鶴を折ってくれた人。。。

そう、いろんな人に助けてもらった。

今もそうだし、これからもきっとそうなんだと思う。

死んだ子は私の先生

今、生きている子も私の先生

学ぶこと、教えてもらうこと、気づかせてくれること、たくさん、たくさんあるんです。

今、私は幸せだし、これからも、そう。

それは、子が導いてくれるから。

私は、子どもが死んだことを、単に辛い思い出として記憶するのではなく、そんな経験を活かしたい。

あの世で会ったとき、「君の死を無駄にしなかったよ」と胸を張って言いたいから。

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さて、次回からは、 宗教と医療について考えてみたいと思います。

観念的な世界と、科学の世界、この2つは相反するものです。

でも、その相反するものが混在して、右往左往するのが人間です。

困難な状況にある患者さんやそのご家族にとっては、まさに神頼みの毎日。

宗教は、どんな役割を果たしているのでしょうか。

ハウスの利用者さんを見つめながら感じたことを書いてみたいと思います。

2010/05/21 10:23 | 雑記 | No Comments
2010/05/17

3月9日に記事にしました、

「やさしさの木の下で―ぼくとびょうきとファミリーハウス」の絵本進呈ですが、

順調に申し込みがあり、大変喜んでいます。

また、多くの方に記事を転載いただくなどのサポートもあり、

この絵本進呈をスタートしたことによって、

「初めて京都サポートハウスを知った」と、お声をかけてくださるなど、

活動の広がりが実感できるなど、喜びがいっぱいです。

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東京のある小学校に書籍を寄付させていただきました。

その小学校で読み聞かせをされています、Nさんから、

感謝のメールとお写真を賜りましたので掲載させて頂きます。

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子供達はみな真剣に静かに聞いてくれて、
読み終わった後も「これ実話なの?」
など問いかけもありました。
そして、この本をいただいた経緯、
(サポートハウス)ファミリーハウスのこと、
これから周りにそいう人がいたらこういう所があるって、
教えてあげて欲しいとお話させて頂きまた。

一緒に聞いてくださった担任の先生も、
「良いお話ですね」とおっしゃっていました。
今年から海外から転入してきた、
まだ日本語がほとんど解らない子にも、
「英語も書いてあるから後で読んでね」と伝えました。

これから図書館におかれるので、多くの子供達の目に触れて、
いろいろと受け止てもらえると良いなと思います。

良い本をいただき、ありがとうございました!







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これからも、多くの方に、サポートハウスの必要性を知って頂きたいので、頑張って続けてゆきたいと思います。

記事はこちらです。ご一読下さい。

http://www.junkstage.com/hamamoto/wp-trackback.php?p=33

現在、約1ヶ月程度でお届けできますのご遠慮なくお問い合わせ下さい。

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