2015/05/31

ボランティア活動とは、平たく言うと、自ら進んで、社会的問題の解決に向けて、主体的に取り組むということなります。多くの方が、そういう活動にかかわり、何らかの益を得ています。もちろんここでいう「益」とは、金銭などではありません。その多くが、「感謝の気持ち」など精神的な満足感がほとんどです。では、なぜ、そういう満足感が得られたのでしょうか。また、その反対の行動をすると、どう言う事態になるのでしょうか?

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他人の困っている姿に心を痛めた、Aさんは、ホームレスの人たちに、冬の炊き出しを行っている団体に協力を申し出たとします。Aさんの当日行ったことといえば、温かいうどんを提供することです。Aさんは、笑顔で、「温かいおうどんいかがですか?」とホームレスの人たちに声をかけただけ。しかし、Aさんの優しい思いやりに、ホームレスの人々は大きな元気をもらったはず。感謝の気持ちをAさんに伝える人もいたことでしょう。Aさんの行動は、新聞に特集が組まれるようなものではありませんが、Aさん本人や周りのみんなを、元気にさせるには、十分なものであったことは、容易に想像できます。

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タイトルの、「他人の元気」とは、一体何をさすのか?という話に、なるかと思いますが、ここでは、「幸せだなあ」とか「楽しいなあ」とか、ありふれた日常の中で沸き起こる、「小さな幸せ」の総称だと思ってください。

その小さな幸せを奪うとはどういう事なのか。その多くは、不愉快な言動であって、面識のある人の言動であったり、まったく面識は無く、国籍などが違う場合もあることでしょう。日本国内で起こった事案とは限りません。では、そういう「他人の元気を奪う行動」とは一言で言うとなんでしょうか。それは、「犯罪」であります。

犯罪の加害者が、社会に復帰できずに、再び、犯罪を犯すケースがあります。犯罪の種類にもよりますが、再犯率は成人で約50%です。(H15年 警察庁)
再犯に至るケースはそれぞれ違うかと思いますが、共通していることは、「社会になじめない」ということがあげられます。では、なぜ、「社会になじめないのでしょうか」

経済的な問題を指摘する人もいることでしょうし、社会生活をおくる上で問題がある、病気や障がいなども大いに影響していると思われますが、私は、社会になじめないのは、「社会から排除されている」からだと考えています。では、なぜ、「社会から排除」されるのでしょうか。それは、被害者の元気を奪ったり、起こした犯罪を見て聞いて読んだ人から、元気を奪ったからではないかと感じています。

例えば、皆さんの日常で言えば、オリンピックで金メダルを獲得した選手の活躍をテレビで見て、元気を貰った人はたくさんいるかと思います。一方、通り魔殺人事件の記事を読んで、(加害者にも被害者にも面識は無くても)がっかりしてしまうこともあるでしょう。こういう元気を奪われた経験は知らず知らず、心に残るものです。結局、そういう事件や、多くの人を不愉快にさせる行動をする人は、他人の元気を奪うので、
結果として、社会から排除されるのではないでしょうか。

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犯罪を犯す人は、とにかく自分の欲求を満たしたいという思いが強すぎて、その言動から、関係性がある人だけではなく、面識の無い人までの元気をも奪っているという認識がまったく無いのではないでしょうか。まさに、自己中心的な行動の行き着くところは、「社会からの排除」であります。人は、元気で幸せな日々をおくりたいものです。それを奪う人には、最終的には、「排除」と言う形で向き合うことになります。

ボランティア活動をするということが当たり前になった今の日本ですが、何もわざわざ良い行いをせずとも、「他人の元気を奪わない」と言ったことがまずもって、大切だと思うのです。ある意味、それが最大の社会貢献でもあるのです。

 

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2015/05/31 11:51 | 未分類 | No Comments
2015/03/29

死は生まれて来た者の宿命で、必ず訪れる自然の摂理です。

私が支援をさせて頂いている、難病患者さんは、
その疾患の症例が少ないということであって、
「死」ということ自体は、どんな人にも自然に訪れます。

ですから、本来は、その人が神様から与えられた天寿を、
全うすることになるのですが、そう行かないのが、また人生であります。

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日本では、1日におよそ100人の自殺者があります。
1時間に4人以上が亡くなっている計算になります。
日本の主要な死因の一つに数えられています。

でも、自殺とはちょっと違う、でも、
自らが選ぶ死の方法が今、注目されています。

それは、「安楽死」であります。

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安楽死を考えるあたり、手法は主に、2つあります。
(ここでは、何らかの病気に罹っている患者さんと限定します)
元々の出発点は、「自らの自発的な意思」があることは
言うまでもありませんが、手法となると大きく2つに別れています。

1つは、患者さんに死に至る量の薬を投与する方法(積極的安楽死)と、
2つ目は、患者さんへの治療を行わない(開始しない、終了する)ことで、
最終的には死に至る方法(消極的安楽死)があります。

積極的安楽死は、多くの国が法律で禁じていますが、消極的安楽死は、
法には明文化はされていませんが、治療のごく自然な流れの中で、
本人または、家族等が妥当だと認める場合は、その方向で死を選択していると言えます。

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消極的安楽死には、いくつか問題があります。
(実際に亡くなるまで)苦痛が伴う場合、費用がかさむ場合、
家族や周りに相応の負担がかかるなど。
もちろん、メリットもたくさんあるので、消極的安楽死がいけないということではありません

一方、積極的安楽死にも、メリットとデメリットがあります。
メリットは、精神的、肉体的な苦痛から開放されること。
長期にわたる治療費や、それに付随して発生する経費が抑えられることなど。

デメリットは、残された家族や友人、医師や治療にかかわってくれた人々の精神面などです。

私も、長年の難病患者さんへの支援の中で、患者さんから、「早く死にたい」と語られ、
返す言葉に窮したことがあります。

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アメリカでは、積極的安楽死を法律で認めている州があります。
オレゴン州やワシントン州など、全部で5つの州です。

昨年の11月1日に、29歳の女性が安楽死を決行しました。
YOUTUBEなどで、その経緯や決意が語られ、
実際に行動に移されたことに、賛否が沸き起こりました。

彼女には、末期の脳腫瘍がありましたから、
闘病には大きな苦痛が伴うことなどが、
彼女を安楽死に向かわせた大きな要因だったようです。

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その後、南米チリの14歳の少女が安楽死を認めてほしいと訴える動画を投稿しました。
涙を流しながら、「疲れた」と話す彼女への同情から、私も涙が出てきましたが、
こうやって、世界の流れは「積極的安楽死」を容認する社会になっていくのかと思い、
戸惑いもあわせて起こったのです。

厳密に言うと、私的には「生まれる権利」は無いと考えます。(出産する権利はありますが)
しかし、生まれてきた者には、いつどこでどうやって死ぬのかを考え、
行動する権利はあるのかも知れません。それ自体、「生きる」権利と密接な関係にあるからです。

ただ、私が14歳の少女の動画に涙を流しながらも戸惑いがあったのは、国家や社会全体に大きな
変化をもたらし、その変化の一端には、国家に都合の良い「安楽死」が用意されるのではないかという
疑念からです。

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国家都合の安楽死は、第二次世界大戦下で行われた、ナチスドイツの障がい者への安楽死が有名です。
詳細は別として、これは安楽死ではなく単に殺人なのですが、当時は、それが良い行いとして、
社会全体に容認されていたのでしょうか、実際に安楽死という美名のもとに行われていたことに恐ろしさを覚えます。

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それぞれの「どう生きるのか」の問いに、他人がどうこう言うのはおかしな話で、それぞれが答えを見つければよい事。

それこそが、「人生」なのかも知れません。ただ、死ぬことは、生きることに直結する問題なので、国家や、他人に、

その選択権を渡してはいけないと私は考えます。自立して生きて行くということの中には、

精神的、経済的などの言葉がありますが、先ずは、「死ぬ権利」をきちんと頭の中で整理しておくことも、

「どう生きるのか」と同じくらい大切なことだと考えるようになりました。

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2015/03/29 12:42 | 病気のこと | No Comments
2015/01/31

今年もあと残すところ11ヶ月となり、

そろそろ年賀状の用意をせねばと

思っている今日この頃ですが、

皆さんは如何お過ごしでしょうか。

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昨年は京都サポートハウスは激動の一年でした。

引越しを2回行いましたし、ハウスには電動ベッドを設置するなど、

今までにはない、お金も時間もかなり使った一年でした。

無事に年を越せて、一年の抱負を述べることができることに、

幸せを感じています。

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一年の抱負を3つほど。

今年は、「ネットから離れよう」を抱負のひとつに加えてみたい。

京都サポートハウスの活動を支えているのが、善意で寄せられた

物品のネット販売です。しかし、10年経過したこともありますが、

PC前に座っている時間が勿体無いと感じるようになってきました。

アルバイトスタッフもいるわけですから、そろそろPC前から離れようと。

そこで、先ずはスマホをガラケーに変えましたよ。

ガラケーでネットにつなげては意味が無いので、気をつけないといけませんが、

スマホを触る時間が1日に1時間はありましたから、その時間に何か新しいことを

探してみたいと思います。

次に、海外との接点を持ちたいと感じています。

国内どころか、京都の京都大学病院周辺での活動が10年続きました。

世間知らずなおじさんはこまったものです。

今年は見聞を広め、若い頃のように、武者修行に出かけたいのです。

最後になりますが、今年は当方以外の難病患者さんの支援ボランティア組織との

交流も実現させたいですね。

ここ数年は、組織の活動に必要な資金を調達することに精一杯でした。

そこを乗り越えつつある実体を踏まえて、本来の目的である、

難病患者さん支援にもっと力を入れたいと思います。

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簡単なメッセージになりましたが、

やる気満々で充実した一年にできそうな

予感を持ちつつ、終わりたいと思います。

次号では、本来のスタイルに戻します。

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2015/01/31 07:23 | 未分類 | No Comments
2014/12/31

もう少しで、除夜の鐘を聴くことになる時間ですね。

新年早々、初詣にでかけるつもりです。

一人で仕事をしながら、この一年に振り返ってみました。

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医療の世界の進歩はすさまじい。

単に医師の技術面だけではなく、先月にもご紹介した通り、ビッグデータの利用も始まっているので、治療は医師の個人的な経験頼みだったものから、世界の医師の経験値が共有される時代に入ったと言えます。また、患者の個人的な想い(願い)にも配慮がなされるようになりました。そういう意味では、患者さんと病院の距離は一層近くなったと言えるかもしれません。制度的な面でも前進がありました。(例:難病法「難病の患者に対する医療等に関する法律」)

一方、闘病生活や障がい、介護などが原因で、本来もっとも密接な関係であるはずの家族が崩壊してしまうケースもあり、難しい時代に入りました。同じアジアでも、フィリピンでは、お年寄りへの尊敬の念と、愛情があふれているので介護の問題はないそうです。そういう背景もあり、フィリピン人の高いホスピタリティーを活用しようと、フィリピン人介護士を派遣する会社が現れています。カナダでは、フィリピン人の介護士については、労働期間がわずか2年で永住資格が与えられますから、フィリピン人にとっては、魅力的な移住先でもあるようです。一方、日本では、日本の介護士の資格と、日本語検定2級の資格も取らないといけないなど、ハードルが高いくカナダのようにはいかないようです。

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話は少し変わりますが、先にもあるように、海外からの移民を受け入れるということを真剣に、それも市民レベルで考えてゆかねばならない時代でもあります。介護だけではなく、いわゆる3Kの現場で働く外国人労働者が日本で生活をしています。およそ、220万人の日本に住む外国人のほかに、これからは、年に20万人の移民を受け入れようという議論が始まっています。こういう流れに対して、拒否反応を示す人も出てきています。とある、団体の演説を聴きました。数十人はいると思われる聴衆の前に50歳代と思われる男性が登場。彼はなぜかサングラスをかけ、素顔で演説することに抵抗がある様子。興奮した様子で、20万人もの移民受け入れには絶対反対だと。なぜならば、日本の伝統や文化が失われるからだと。だが、全身洋服でサングラスの出で立ち(いでたち)で、伝統云々といわれても説得力が無い。きっと、日本語が通じない人への漠然とした恐怖心があるのではないのかなと感じた次第です。しかし、今の社会制度を維持するならば、移民を受け入れるか、もっともっと子どもをたくさん産むかの2者択一しか無いのは明白です。日本の伝統も大切ですが、まずは、当たり前の生活を確保せねばなりません。

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新しいことが必ず良いことではありません。また、古いことが決して悪いわけではありません。なので、「どちらが良いのか!」的な発想で、世の中を単純に決着つけることは非常に危険です。しかし、新しいことが始まると、必ずそれに付いて行けない人が登場することは必然であります。この様に、新しい考えと、古い考えがぶつかり合う時に、「時代は大きく動く」と言えます。

今年は、医療の新しい動きに感動し、古くからある「家族」という枠組みが崩壊しつつあることに悲しさを覚えた一年でもありました。また、市民活動は一層元気な時代にはいりましたが、その分、行政は財政難もあり、社会的問題にきちんと向き合えていないケースが増えてきています。来年は、まったく正反対にある意見や考え方を排除するのではなく、双方の良いところや人材、お金をうまく使って、社会的問題が1つでも解決の道筋ができるよう、私も、常に社会の動向に目配りして行きたいと考えています。1つでも実感できれば、2つ目もできるはずです。これからは、「古い、新しい」、「右だ、左だ」なんて言っている場合ではありません。そういう考えや議論をはるか超越した世界がきっとあるはずです。来年はそういうテーマを持って一日一日を丁寧に過ごして行きます。

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2014/12/31 11:30 | 未分類 | No Comments
2014/11/30

いまNHKスペシャルで興味深い放送がされています。

「医療ビッグデータ」です。

医療ビッグデータとは、たくさんの患者から得られた傾向をもとに、

今後の病気治療に役立てるために活用されている情報のことだ。

傾向さえつかめば、未来が予測できるというわけです。

多少プライバシーの面が気になるが、病気や犯罪の抑止に繋がっているので、

私的には、良いことだと考えています。

NHKの放送の中でも、早期出産の子どもへの抗生物質の投与について、

そのタイミングを従来なら、熱が出るなどの症状が出てからだったのが、

その症状が出る前の段階で予測し、抗生物質の投与が行われている

海外の病院の話が紹介されていました。

従来なら、あのお子さんは助かってはいなかったかも知れない。

その予測(情報分析)を行ったのが、医療関係者ではなく、

金融の世界でビッグデータを取り扱っていた経験を持つ人だった。

このあたりも、時代の流れを感じます。

一度も会ったことのない人のために、自分の経験や知識がデータとして、

(知らないうちにですが)活かされているということですね。

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一方、介護疲れや育児放棄で、家族間での殺人があとを絶ちません。

核家族化が進んだことや、医療の進歩があって、介護、子育てと言う、

従来なら当たり前の家族間でのやり取りが失われ、それを極端に、

負担に感じてしまう人が出てきている。

そんな世情もあってか、熟年の離婚や、結婚が盛んだ。

「夫の介護が嫌。別れたい」という妻の声をよくきく。

また、老後が独りなのは寂しいというのもある。

しかし、そのあたりを逆手にとって、資産家の男性高齢者の命を奪いながら、

私服を肥やしている(と、思われる)女性が先日京都で逮捕された。

この事件の数ヶ月前にこんな書籍が出版されていた。

「後妻業」(黒川博行著)

実際起こった事件に酷似しているので恐ろしいくらいだ。

この著者へのインタビュうーが先日あり、TVで放映されていたが、

大まかな中身で言うと、男性(父)は子どもより最期を看取ってくれる人に、

財産のすべてを渡したいという気になるようだ。

これが女性(母)だと、子に譲りたいとなるので、こういう事件は起こらない。

では、どうすればこういう事件がなくなるかと言うと、著者いわく、

「一緒に住むしかないでしょう」とのこと。

—–

どんなに時代や医療、周辺技術が進んでも、

最期はやはり家族の愛がすべてだと実感する出来事でした。

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2014/11/30 05:40 | 未分類 | No Comments
2014/10/31

今月も、先月に引き続きお休みをいただきます。

しかし、更新については、ネタ探しは継続していますので

いつかそれらを公開できる日をと考えています。

今しばらくのご猶予をお願いします。

2014/10/31 07:18 | 未分類 | No Comments
2014/09/30

公私とも多忙を極めていますので、

今月の更新はお休みさせていただきます。

来月には再開できると思います。

引き続き、宜しくお願いします。

 

2014/09/30 08:58 | 未分類 | No Comments
2014/08/31

今日で8月も終わりですね。

急に朝晩が冷え込んだりして。

なかなか身体がついてゆきません。

極端に暑かったり、寒かったり、

どういえば良いのかわかりませんが、

要は、「昔とは違う」ということなんでしょうね。

——

この夏、広島で大変な災害が起こりました。

また、私が住む京都府でも、福知山市に大きな被害が出ました。

いちいちあげるまでも無く、最近の極端な気象変化については皆さんも違和感をお感じになられていると思います。

原因は?と考えていたところ、先日NHKの放送を観たら、赤道付近の水温が上がったことにより、

偏西風の動きに大きな変動があり、その結果として、今の極端な雨や干ばつがもたらされているようです。

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さて、これら一連の災害を単に温暖化問題のひとつとして考えるのもアリかと思いますが、

もう少し、市民活動の活躍の場として、観てみると結構興味深いです。

まずいえる事は、災害の規模がピンポイントで、筆舌に尽くせない極端な自然災害であることです。

これは、地元密着型のNPOにおいては、活躍の場が増えます。

例えば、災害へのアクションのひとつとして、行政が発する情報がありますが、

それが正しく住民に伝わっているかというとそうではありません。

また、正しく伝わっているからと言って、正しい行動が取られているかと言うとそうではありません。

一方、そもそも言葉が通じない人(要は外国人)の人もいらっしゃるでしょう。

障がいや加齢の関係で、介助が必要な方も。

予め、もしもの時のために、対策が練られていれば相当被害は小さいものになるでしょうし、

最終的には、個々の生命を守ることになることは間違いありません。

こういうニーズがあるわけですから、これからNPOを立ち上げようという人にはお奨めの分野であります。

—–

ところで、自分や家族の命を守るという視点に限って言えば、私はこう考えています。

「対策のあるところには、対処法は効果的である」

これは、どういうことかと言うと、例えば、乳幼児がいる家庭で、タバコを吸う家族も同居しているとします。

乳幼児が誤ってタバコを飲み込まないようにするための対策がある家庭は、(対策があったにも関わらず)

乳幼児がタバコを誤飲した場合の対処を、予め訓練しておくと効果があります。

一方、誤飲しない様な対策がまったく取られいない家庭に、

誤飲した場合の対処だけを教えても、身につかない。

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自然の変化は、農業や漁業にも大きな変化をもたらしていますね。

そのあたりをどうとらえるか。

不幸としてとらえるか、新たなチャンスとして考えるかは、人それぞれだと思いますが、

行政だけに頼らず、例えば気温が上昇している地方はには、(従来とは違う品種の)

それに適した作物を試験的に作るなどの対策を考えてゆく必要があります。

このあたりも、新しい町おこし的な視点も加えて、市民活動の活躍の場として捉えたいところです。

先に申し上げたとおり、「対策があることは、対処法は有効である」です。

—–

話が戻りますが、赤道付近の海水の温度上昇はわずかに0.5度だそうです。

それで、これだけの気象の変化をもたらしているわけです。

これらの事案を踏まえ、先手を打つ形をとりたいところです。

話は変わりますが、人の行動パターンは、おおよそ4つだそうです。

1は、「重要かつ緊急」

2は、「(私的に)重要だけど(1ほど)緊急性はない」(先手を打つ)

3は、「緊急だけど、私的には重要ではない」

4は、「重要性も緊急性も無い」

人間は、2つめの「重要だけど緊急性はない」に対処している時は、

楽しく充実感を感じるようにできているようです。

要は、先手を打つことは楽しいことなんですね。

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気候の変化については、すぐにどうこうなる問題ではありません。

しかし、とても重要な問題であることは議論を待ちません。

緊急性がある事案は、行政や国家に委ねるとして、

一市民としては、これからの地域と気象変化について、

皆でいろんな機会を通じて話し合うことがまずもって大切かと思うのです。

そういう積み重ねが、結果として住み易い地域をつくることに繋がると考えます。

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2014/08/31 10:24 | ボランティア | No Comments
2014/06/30

有名ミュージシャンが覚せい剤を使用していた容疑で逮捕されましたね。

最近では、脱法ハーブを吸引した男性が車を運転、歩行者に突っ込み、

女性が亡くなられました。

薬物の使用の怖い点のひとつに、薬物を断ち切れず、依存してしまうことが挙げられます。

H21年犯罪白書によると、執行猶予4年の間に、3人に1人は再び薬物に手を染めています。

こういう依存体質の人は、どうしれば立ち直ることができるのでしょうか。

市民活動の面から考えてみたいと思います。

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覚せい剤や脱法ハーブは身近なところで取引が行われ、未成年でも簡単に手に入るそうです。

子育て中の私にも、大変怖い事実であります。

しかし、そういう薬物だけではなく、普段私たちは様々な「依存症」と向き合っています。

たとえば「アルコール」や「タバコ」などの日常生活に深く入り込んでいるものや、

「ギャンブル」なんかもそうですね。

そういう依存症からどうやって立ち直るのか、また、どうやってそういう人を支えるのか。

ここは、市民活動の大きな市場があると言えます。

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私は市民活動の基本は、「当事者が立ち上がる」ことが大切で自然な流れだと思っています。

依存体質から立ち直りたければ、依存している人を立ち直らせる会にかかわるのが一番です。

アルコール依存症から脱するための会は、日本中たくさんあります。(断酒会など)

私の父も、依存症の一歩手前人だったので、兄がそういう団体の方と繋がりがありました。

自分のみっともない経験や、辛い心情を人に語り、その話を聴いた人達に

改善がみられるなどの反応があると、その人の症状にも改善がみられるのは間違いのない事実です。

犯罪を取り締まるための法律はあっても、改善するためのプログラムは完璧ではありません。

再犯率が高いのはその証拠といえます。

そんな現状を少しでも改善するためには、特に依存体質の方には、

その経験を他者に話すことで大きな改善が期待できると言えます。

そういう場を作ることが今求められています。

行政も、単に罪を裁くのではなく、その人の人生を素晴らしいものにするための支援として、

そういう場をつくる活動に大きな支援をお願いしたいのです。

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繰り返しになりますが、市民活動の基本は、自身の辛い経験を活かす事でもあります。

カッコいいものではありませんが、何度も同じ罪を犯し、みっともない姿を晒すことは

人としての尊厳を自ら放棄しているといえます。

薬物かかわらず、罪を犯した人が社会復帰したときのサポートが不足しています。

(同時に被害者のサポートも大切です)

こういう支援が市民活動レベルで、絶対的に不足しているのが現状です。

「何かを始めたい」と感じている人には、魅力的な市場でもあります。

必要としている人が多く、社会貢献も目に見えて実感できるでしょう。

私も微力ですが、難病患者さんの支援のノウハウも含めサポートをお約束します。

立ち上がる人が一人でも出てくることを願っています。

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2014/06/30 11:42 | 未分類 | No Comments
2014/05/28

(先月も休載でした)

先週から家族に重篤な状況になっているものがおり、

更新している余裕がありません。

来月は更新をと考えています。

今しばらくお待ちくださいませ。

よろしくお願いします。

 

2014/05/28 09:43 | 未分類 | No Comments

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