2008.12.29

“存在する”ってコト

アザーズ
【the Others】2001年。
正直に言えば、主演のニコール・キッドマンNicole Kidmanはトム・クルーズTom Cruiseの奥さん、
ぐらいにしか思っておらず、98年の『プラクティカル・マジックPRACTICAL MAGIC』あたりから、
なんとなく良い女優さんだなと思い始め、気がつけば出演映画をチェックするようになったのは
01年の『ムーラン・ルージュMOULIN ROUGE!』から。

そのムーラン・ルージュと同年だったので印象が薄かったのか、『アザーズ』の劇場公開を全く知らず、
帰国してからDVDで観る。ストーリーの流れと全体の雰囲気が良くて、好きな映画のひとつになった。

監督はチリ生まれ、スペイン育ちのアレハンドロ・アメナーバルAlejandro Amenabarで
『アザーズ』が英語圏映画の監督デビュー作。更に脚本に音楽と3役をこなす。
シーンのひとつひとつがとても丁寧で、英国アクセントのセリフと音楽が更に情緒を引き立てる。

2人の子と共に戦争に行った夫を待つグレースGrace、不可思議なことを言う娘の言葉を
信じていなかったけれど、実際に奇妙な現象を体験し、地元の神父に相談をしに屋敷を出た途端、
深い霧に包まれる。そんな深い霧に浮かび上がる人影、夫・チャールズCharlesが戻って来る。

+++

グレース 『チャールズ』
チャールズ 『グレース』
グレース 『生きていたのね』

Grace 『Oh!』 『Charles…』
Charles 『Grace…』
Grace 『You’re here! You’re here!』

+++

『あなたがここにいる』=『生きている』、、、確かに。

be動詞はだいたいが『です』『ます』に訳されるけれど、本来はそもそも『存在している』とか
『ある』っていう意味。『You are alive.』なんて言うより、物理的にチャールズがグレースと同じ世界に
存在していることの意味を感じ、彼女の喜びを実感してしまった一言だった。

この『アザーズ』はトム・クルーズがプロデューサー。
そして同じく01年公開のクルーズ主演『バニラ・スカイVANILLA SKY』はアメナーバルの
スペインでの作品である『オープン・ユア・アイズAbre los Ojos』(97年)のリメイク版、
という縁だった。

2008.12.11

人生の岐路

言語そして文化の違いから生じる字幕にない英語タチ
こんな英語の表現がいいよ、なんて書いていると、
日本語すなわち日本を批判しているように思えるかもしれない。
しかし、私自身はとても日本とその文化が好きなヒトだ。

主語をわざわざ言わなくてもわかる=日本の以心伝心、わびさび
OH, JAPANESE BEAUTIFUL!
なんて言っている時点ですでに日本離れをした海外かぶれ、
でも決して日本が嫌いなわけではない。
だから日本が嫌いでアメリカに行ったワケではない。

ならば、何故にアメリカへ行ったのか?

高校2年生の終わり、受験する大学と学部の決定を迫られる。
当時得意とし、好きと言えた科目は数学と体育。
今ここで将来を決断するならば、数学者しかなる道しかないけど、そもそも数学者って何?
なんとなく疑問が湧いた。でも選択肢はそれぐらいしかないみたい。

そんな時に知ったのが、アメリカの大学制度。
入学して最初の2年間は一般教養を受け、3年生・JUNIOR YEARに専門学部を決定すればイイ。

だから渡米した。結果日本を出ることとなった。

ただそれだけ。

人生の岐路なんて、そんなもん。

だから今でも日本は嫌いじゃないし、海外生活は長いけれど、日本が大好き。
だから11年もアメリカにいて、骨をうずめたって良かったのに、日本に戻ってきたのかもしれない。

けれど、アメリカ英語圏での11年間は確実に体得されていて、悪いところもあれば良いところもあり。
そんな良いところを今、大好きな日本に足されて欲しい要素と言いたいワケで。

2008.11.11

ググる

タロットカード殺人事件
【SCOOP】
2006年。仕事で知ったスカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansson)、
出演映画ぐらい観ておかないと、、とは思っていたものの、ナカナカ重い腰を上げられず。

そんな時、ヨハンソンが 『真珠の耳飾りの少女』 に出演していることを知る。
オランダの画家、フェルメール(Vermeer)の名画にまつわる物語。
好きな画家の一人だったので、それならば見やすいな、と思い手にとった。

・・・ヨハンソンは予想外に良く、それを機に順番に出演映画を観ていく。

真珠の耳飾りの少女> ロスト・イン・トランスレーション> ブラック・ダリア> 
マッチポイント> ママの遺したラヴソング >タロットカード殺人事件
という具合。

『マッチポイント【MATCH POINT】』 を観た時に、ウディ・アレン (Woody Allen)が
ヨハンソンを気に入っていることを知り、更に次の彼の2作品まで出演が決まっている、と聞いて、
そうなんだ、と。

それからしばらく忘れていたけれど、レンタルDVD屋で『タロットカード殺人事件』に出会う。

話はいたって奇妙で、ともすれば危険な殺人鬼を追っているのに、物語は淡々と進行していく。
淡々と進行しているのに、ヨハンソンとアレンの会話が軽快で、
最後に『ジョークでした』なんて言って終わってしまいそうなストーリー展開にぐいぐい引き込まれる。

ある日ジャーナリスト志望の学生サンドラ(ヨハンソン)が、マジックショーの舞台の箱の中で
死んだはずの有名ジャーナリストの亡霊に遭遇、大事件のスクープの手がかりを耳打ちされる。
同じジャーナリストとして、これは運命に違いない!、と翌日マジシャン・シドニー(アレン)のもとを訪れ
もう一度亡霊に会いたいので箱に入れてくれ、とシドに頼みこむが、なかなか相手にしてもらえない。
そんな彼にサンドラが言う。

+++

Listen, I Googled him, okay?
There is a Joe Storombel, and he died three days ago!
Just put me back in the box.

ネットで調べたら彼は3日前に死んでるわ  もう一度箱に入れて

+++

なるほどー、 確かに 『I Googled』=『ネットで調べる』 ね。
英語が先か日本語が先か。 つまり 『ググる』 は万国共通、すごい。

ところで疑惑の殺人者役がヒュー・ジャックマン(Hugh Jackman)と後で知る。
X-メンしか知らなかったので、その風貌と役柄の変貌ぶりに少々びっくり。

2008.10.17

主語

このブログで、いくつか記事を書いているうちに、私が気になる『字幕にない英語タチ』が
『主語』にまつわるモノが多く、更に人物を特定するモノが多いことに気がついた。

それもそのはずだ。
まず英語において決して主語が抜けることはない。
日本語で『そうしたらいい』と言った時
『You should do it.』と『We should do it.』で随分意味合いが変わる。
前者は『あなたがやれば!(私はやらないよ)』ともなるし
後者は『私たちでやるべきよ!(一緒にやろうよ)』という意味にもなり得る。

英語に限って言うならば、言葉を発する前にまず主語の選択がつきまとうから
必然的に相手に対しての自分の位置を『仮』にでも確定する必要がある。

更に、人物を特定する言葉タチ。
日本に帰りたての頃は、よく『彼が』『彼女が』『彼ら』『それら』とかを入れて会話してみては、
あまりにも響きがくどくて日本語的じゃないなと思った。
月日がたつと主語や人物を限定するような言葉をはしょるようになる。
そしてある日、自分の話の進め方がおかしいことに気がついた。

例えば友人と歩いていたら、嫌いな男性が女性と連れだって前方からやってきた。
友人に言う、『あの人さー、むかつくよね。』
友人が答える、『うん分かる。嫌なやつだよねー。彼氏はすごいいい人なのにね』
あれ?私が言ったの男性の方なのに、でも実際女性の方もちょっと嫌いだったりする。
ここで『違うよ、男の方だよ』と訂正して会話に波風立てるより、
『そうそう、あの女この間さ。。。。でさ、彼氏も実はやな感じなんだよね』
なんて会話で乗り切ってしまう。こればすごく極端な会話だけれど
これに似たような『ちょっとした勘違い』と『会話の修正』が日々行われている。

英語の会話になれば、最初に『I don’t like HIM at all.』と『HIM』に限定してしまうから
『むかつくやつ』は『男の方』となる。
そんな文化だからこそ、女性が2人を指して『I don’t like HER at all.』と言えば
相手は『Which one?(どっち?)』とまずは確認する。

日々の日本語の会話を主語のない会話で進行することには全く支障はなく、
いざと言う時にきちんと意見が言えれば、と思うけれど、
習慣というものは恐ろしいもので、ここぞと言う時でも
『ちょっとした勘違い』と『会話の修正』に慣れていると、
別にここで明確にしなくてもいいかな、と思ってしまうわけで。

そしてそんな積み重ねが時として『無責任』や『無気力』となるのだと、私はそう思う。

2008.10.02

we

セント・エルモス・ファイアー
【ST. ELMO’S FIRE】
1985年。大学時代の親友が大好きだった映画。90年ぐらいにビデオで観たのが最初。

記憶の中では登場人物達の大学でのキャンパスライフストーリー、、になっていたが、
改めて観たら、卒業後にぶつかる現実社会との葛藤を描いたなかなかの作品だった。
今見ても十分共感できる。

デミームーア(Demi Moore)扮するOLジュール(Jules)は見栄っ張りな生活をし続け、
とうとう会社をクビになり、クレジットカードの支払い滞納で家具を全て差し押さえられる。
ショックで部屋に閉じこもった彼女を心配し、様々な状況下で問題を抱え合ているものの
彼女の為に仲間達がアパートへかけつける。
仲間内で一番のアウトロー、ビリー(Billy=ロブ・ロウRob Lowe)が部屋に飛び込み、
ジュールを慰め励ますセリフがかなりいい。
この映画のタイトルがセント・エルモス・ファイアー所以のシーン。

+++

Jule, you know honey, this isn’t real. You know what it is?
It’s St. Elmo’s fire.
The electric flashes of light that appear in dark skies out of nowhere.
Sailor would guide entire journeys by it.  But there was no fire.
There wasn’t evena St.Elmo.  They made it up…

それは幻想だよ、“聖エルモの火”と同じさ。 暗い空に突然現れる放電現象だ。
船乗りはそれを道標にするが火などない。 彼らが作りあげたものだ。

They made it up because they needed it to keep going when things got tough.
Just like you’re making upall of this.

物事がつらくなった時に何かが必要なんだ。 今の君の話のように。

We’re all going through this.  It’s our time on the edge.

やっていけるよ。 みな曲がり角なんだ。

+++

一番最後のライン、『やっていけるよ』『みな曲がり角なんだ』と言われれば
ビリーがジュールのこのひどい有様を慰めるべく、
大丈夫またやっていけるさ、みんなだって同じなんだから君もやっていけるよ、
と自分を棚にあげてのセリフにもとれてしまうが、
文内に『we』が入っているので、大丈夫俺たちはみんなやっていけるさ、と共同体になる。
俺だって同じさ、苦しい。でも俺たちはやっていけると信じているし、やっていけるさ。

道があると信じることが道を作るわけで。そしてそこには誰1人として例外はない。
最近ちょっと忘れがちな一言だなーと思う。

そしてこの映画の出演者の顔ぶれがすごい。
デミ・ムーア 、ロブ・ロウ 、エミリオ・エステヴェス、アンドリュー・マッカーシー 、、、
今はいずこに、、な俳優もいるが、あの時代に一世を風靡した人気若手ばかり。
ちょうど大学のプチ同窓会へ行く前に観たので、更に懐かしさが倍増。

個人的にはこの映画のロングヘア版のデミ・ムーアが彼女のいろんな役柄の中で一番好き。

2008.09.18

good luck

珍しいコトなのか、それとも今では珍しくないのか
アメリカの永住権、いわゆるグリーンカードを保持している

甘えた認識だけれどアメリカで働いていたので、まわりには必然的に
永住権を取得した友人が多く、その貴重さが分かってないだけと思う。

その永住権、6年前に帰国してすっかり生活の基盤を日本に移した今となっては
少しばかり、面倒なことになっている。

永住権を所有している外国人が長く米国を不在にすると、移民局から警告が出る。
しまいには永住権を剥奪される場合もある。
噂話なのか、旅行でアメリカに行ったら入国時に移民局の別室に連れられ
その場で、『君、いらないだろー』と詰め寄られ、諦めちゃった、って話はよく聞く。

アメリカに滞在する理由があるから永住権を取得したんだろう、君、
なのになんで、君は今、アメリカにいないの?
という理屈で、うん、そーだね、と納得もいくが、
所得があれば納税の義務が発生し、その税金がアメリカの目的の1つでもあるらしい。

そんな諸事情で、2年に1度、『国外滞在届け』を申請している。
この場合、国外=日本だ。
今回で3回目、申請時には物理的にアメリカに居なければならない。
更に今年の3月に法律が改定され、提出物に『指紋採取』が追加となった。
書類受理後、出頭日が指定されるのだが、その間1ヶ月なのか3ヶ月なのか皆目見当がつかない。
私の場合は、5月末に申請し8月初旬に『来週来てね』という通達をもらった。

来週来てね、、って言われても、私、日本なので無理デスってのは理由にならない。
もちろん、再予約はできるのだけれど、それがいつになるか、やっぱりワカラナイのは一緒。
再予約を申請しても、その時の方がいいともワカラナイ。
幸い都合がついて、えいやと行ってきた。

当日、移民局に出頭、指定の時間は午後3時。迷って遅れちゃいけないと思い
場所の確認の為2時間前にオフィスに行ったら、そのまま入れてくれた。
こういうトコロはアメリカってとってもアバウトで素敵。

中は同じような外国人が数人、すぐ指紋採取へ。 約20分ほど終了。
この為にはるばる15時間かけて日本からやってきたかと思うと
つくづく自分の人生ムダだらけだなーと思う。 これはまた別の話で。

そして全てが終わり、係の人に『Thank you』とお礼を言ったら
『Good Luck』と返答された。

そこで改めてシビアな現実が押し寄せる。
この指紋採取は申請書類の一部なので、
最終的に『国外滞在』が許可されるかはまだわからないんだった。
無理してスケジュールを調整し、お金も時間もかけてこの指紋採取にやって来てたので、
すっかり終了した気になっていたけれど、 まだ だったっっ。

しかも『Good Luck』は第3者の公平な立場からの発言となると
許可がおりなくても私の責任じゃないから逆恨みしないでね、、とも取れる。
うまい言葉だ。

そして今だその返事は来ておらず、あの時の『Good luck』がおまじないのように頭を巡ってる
ところでこの永住権、いつ活躍するのだろう? それもまた別の話、かな。

2008.08.31

YES, ダメです

ユー・ガット・メール
【YOU’VE GOT MAIL】
1998年、NYが舞台。大学を卒業してNYに引っ越してから3年目。
正にあの頃の劇的な街の変化を思い出し、懐かしくなる。

今では日本のコンビニ並にあるスターバックスが出たての頃で、
ソファーやカフェが併設された新しい形の書店“バーンズ&ノーブルス”の登場もこの時。
そして、ストーリーの中心となる“AOL”のメールやチャットサービスが登場したりと
何かと生活そのものが劇的に変化した瞬間だった。
ストーリーにはその全てが盛り込まれ、すごく時代を象徴した映画だなーと思う。

ロケ現場の1つ、Kathleen(メグ・ライアン)とJoe(トム・ハンクス)が
初めてネット外で会おうと待ち合わせしたカフェに友達と行ったりもした。
映画では外にベンチがあったけど、実際には無くて少しがっかりしたコトだけ覚えている。

そのカフェでのシーン。1人待つKathleenに
空いているなら向かいのイスを持っていっていいかと男性客が尋ねる。

+++

男性客 『このイスいい?』
キャサリーン 『ダメよ、連れが来るの』

Man 『Do you mind if I borrow this chair?』
Kathleen 『Yes, yes, I mind, Sorry.』 『I’m expecting someone.』

+++

中学や高校の英語の授業でもよく間違える例としてでてくる、yesとnoの選択。
イスを持っていかれたくないので日本語的に考えると答えは『NO』から始まりそう。
だって、ダメ=NOって言いたいじゃん、という具合。

けれど、ここでキャスリーンは出だしを『Yes~』で答えている。
YES/NOの答えを問われている主旨が『Do you mind~』と
男性客が行おうとしていることに『気にしているかどうか』を聞かれているから。
だからはい=YES『気にしています』ってことだ。
逆に、イスを持って行っていいよーって時は、『No, I don’t mind.』となる。

このセリフ、その後に偶然を装って登場するJoeとの会話でも繰り替えされる

+++

ジョー 『キャスリーン・ケリー!』 『偶然だな、座っても?』
キャスリーン 『悪いけどダメ。連れを待ってるの』

Joe 『Kathleen Kelly!』 『This is a co incidence.』
    『Would you mind if I sat down?』
Kathleen 『Yes, yes, I would, actually I’m expecting someone.』
       『Thanks』

+++

今だにこの『Do you mind~』には理屈は分かるが瞬間的に混乱する。
そして自己満足にすぎないが、ああ、そうだった、と分かるとすごく英語的に思え、
嬉しくなるわけだ。

93年の『めぐり逢えたら』で共演したメグ・ライアンとトム・ハンクスが夢の再演!ってことで
かなりの話題にもなっていたけれど、実は『めぐり逢えたら』はこの後で見た。
その当時は『ユー・ガット・メール』の方が旬で好きだったが、今はどうなんだろう。

2008.08.24

off the ground

音楽フリークってわけではないけれど
時々音がないと生活できなくなる時、ありません?

映画の観過ぎでしょうか、自分の人生にもBGMが欲しくなる。

社会人として仕事をして、そして生活をしていると、結果として淡々した生活になる。
感情を一定に保ち、早寝早起きの毎日を目指す。
別に不満はないけれどいつの間にか単調になっていて、そして思う。

『音が足りない。』

私にとっての好きな曲のキーポイントは『音が』『足りてる』こと
『足りてる』と体がビリビリ震える

生演奏でも『足りてる』とか『足りてない』とか思うから
収録方法の違いとか、楽器の数、とかではないと思う。

海外生活が長いから、やっぱり洋楽が好きなんですよね、と言われるがそんなことはなく
でも私の『音が』『足りてる』モノに洋楽が多く、結果洋楽好きになっている。

今好きな音は TIMBALAND の 『 Apologize 』
一番好きなのは最初のフレーズ『 off 』の箇所

+++

I’m holding on your rope,
Got me ten feet off the ground
I’m hearin’ what you say but I just can’t make a sound

地上3mのところで君のロープにしがみついてる
君の言うことは聞こえるけれど何も言えない

+++

on と off の対比、Got と but、ground と sound の韻。
ちゃんと聴けば、響きは設計されているんだなー、と。
更に歌詞を見ると、強い決断からくるセリフだから、余計深く響くコトも分かる。

『off』 the groud=とにかく空中の足が地についてない緊迫した状態で
『your』 rope=ただのロープじゃない、君が運命を握るロープに僕はぶら下がり
can’t make a 『sound』=だけど僕は慌て動き音を立てることもしない

その後曲は『too late apologize』に続く。謝っても遅いのだ。
だって私はもう、決断してしまっているから。

人間の五感は認識するよりもとても能力が良く
例えば意識をしてなくても、聴いたり見たりした瞬間に
作り手のメッセージをちゃんと受け取っていて、
それを自分のモノがそうじゃないか振り分けているのだと思う。

だから響きが好きならば、歌詞の意味を理解しそして共感を実感することも
言語が何かにこだわらずとても大事なこと。
私の『音が』『足りてる』っていうのは、好きな音とセリフの意味と
そして歌い手の気持ちが全部合わさって、自分に響く時なのかなと。

声も音の一種で受け止めているから、ホントは好きな曲でも全く歌詞は聴いてない。
でも折角英語が理解できるのならば、これからちょっと気にしてみようかと、そう思う。

+++

Apologize

I’m holding on your rope,
Got me ten feet off the ground
I’m hearin’ what you say but I just can’t make a sound
You tell me that you need me
Then you go and cut me down, but wait
You tell me that you’re sorry
Didn’t think I’d turn around, and say…

It’s too late to apologize, it’s too late
I said it’s too late to apologize, it’s too late

I’d take another chance, take a fall
Take a shot for you

And I need you like a heart needs a beat
But it’s nothin new - yeah yeah
I loved you with a fire red-
Now it’s turning blue, and you say…
“Sorry” like the angel heaven let me think was you
But I’m afraid…

It’s too late to apologize, it’s too late
I said it’s too late to apologize, it’s too late

2008.08.15

saw

ブレイブ ワン
【THE BRAVE ONE】

2007年。最近のジョディーフォスターの映画は、どこで、どう見ようか迷う作品が多い。
劇場なのか、DVDなのか。

結局この作品も迷った末に、DVDで、という結論に達し映画館に足を運ぶことはなかった。
約1年後のつい先日、レンタルビデオ店で何気なく見た棚にあり、思い出して手に取った。

NY在住のラジオDJエリカ、恋人と結婚を間近に控え幸せいっぱい。
そんなある日のこと、二人の日課セントラルパークでの犬の散歩中に悲劇は起こる。

3人組の暴漢に襲われエリカは意識不明に、
数週間後病院で目が覚めると恋人の葬式が終わっていた。

襲われたトラウマと恋人を失ったショックとで外出することに恐怖を覚えるエリカ、
そんな彼女が向かった先は拳銃販売店。
けれど申請してから登録完了した1ヶ月後じゃないと銃が手に入らないと知り、
それでは遅すぎると店を出た彼女に、中国人の男が違法銃を売りつける。

少なくとも心の安定を手にいれたエリカ、訪れたコンビニ(NYではデリと呼ぶ)で
不幸にも痴話喧嘩のもつれで女を撃ち殺す男に遭遇し、その男を撃ち殺してしまう。
そこからは転がるように2回、3回といわゆる『社会の悪』を殺していく。
悪を成敗してなぜ悪い、という彼女の心と罪の葛藤、そして恋人を殺されたやるせなさ。

そんな彼女の元に襲った3人組の手がかりが舞い込む。
どうやら恋人を殺したのはそのキーとなる女性のボーイフレンド、
男の居場所を教えてくれと詰め寄るエリカ。
女性は以前ボーイブレンドから見せられた暴漢シーンの録画映像を思い出し
エリカがその被害者と知る。

+++

エリカ 『彼はどこ』 『教えて』
女性 『襲われた女ね』 『二の舞はいや』
エリカ 『住所か電話番号を』
女性 『いや!』 『帰ってよ!』

Erica 『Tell me where he is!』
Lady 『No.』 『I saw what they did to you.』 『That shit can’t happen to me.』
Erica 『I wanna know where he is.』 『Can you tell me where he is?』 『I..』
Lady 『No, No.』
Erica 『I need an address, phone number, anything』
Lady 『No!』

+++

女性はなんでエリカが被害者って分かったんだろう?
もちろん私たち観客はエリカが被害者なのは知っていて、
知っているからこそスルーしてしまうところだ。

この映画の冒頭で3人組の男の1人が暴漢シーンをムービーで撮っている。
そのカットは随分長く、そしてとても象徴的で印象深い。

原語のセリフを見ると『I saw what they did to you.』と、
『saw=見た』と女性が言っている。彼女はビデオを見たのだ。
だからエリカが被害者と気がついた。

セリフは『That shit can’t happen to me.』と続く。
『そんなこと自分には決して起こりえない=教えたらボーイフレンドに同じ目に遭わされる』
鮮明な映像を見ているからこそ、二の舞の恐怖は計り知れない。

もちろんセリフのアクセントや2人の表情でただならぬ雰囲気が伝わってくるけれど
原語からは、更に字幕にはない緊迫感が伝わってくる。
エリカだけじゃない、瞬間的にその女性のドラマがものすごい緊張と共に浮かびあがる。

映画の楽しみ方は映画館に行くことだけではないと思う。
特にヒューマンドラマは、何かに行き詰まったり、落ち込んだりした時に見ると、
感動し、考え、世界は広い、明日も頑張ろう、って思わせてくれる時がある。
そんな映画タチのセリフの1つ1つは丁寧に作られ、そして紡がれている。
それが分かると、真剣すぎてつまらないようなヒューマンドラマ映画がとても身近なモノになる。

1997年の『コンタクト【CONTACT】』あたりから、
ジョディーフォスターの映画はそんな感じだなと思っていたら
1994年に自分で設立した映画会社の1作目を制作していた。

なるほど、きっとここが彼女の転機で、そして今、セリフのひとつひとつが
彼女の人間としての素朴なメッセージとなっているのだろう。

2008.07.30

短いから50とは限らない

大学留学でアメリカに渡ったので、毎日毎日英語の授業を受けているのと同じ状態
さすがに半年もすると、会話ができなくても、なんと答えて良いか言葉に詰まっても、
とりあえず相手が何を言っているか、聞き取れるようになる。

周りは同じ年ぐらいの女の子達(女子大だったので)ばかりだったので、
そんなに難しい言葉を使っているわけではない
多分日本でも同じ。高校生がいきなり大学入って、学者のような会話をするわけない。
授業で難しい単語が出てくれば、やっぱりアメリカ人も良く分かってないわけで。

それでもなかなか慣れなかったのが買い物で、いくらです、、って言われる時。

特に ty と teen 、、、、例えば 15 と 50 とか。

フィフティーン、なのかフィフティなのか

日本で習った英語は
フィフティーーーーン、とフィフティだから 長さ違いね、ぐらいに思っていたけれど
現実は、短いからと言って50、とは限らなかった。

例えば1ドル15セント、
『ワン・フィフティン』と短めに言い切られると、うっかり1ドル50セントを出しちゃう。
でもOK、多いだけだからお釣りがやってきて、15セントだったのね、と思うだけ。
確かに『ン』が入っていたかも、、でも誰も間違えたの気づいてないし、ぐらい。

逆がやばい。

『ワン・フィフティィ↑』と語尾を上げ目のばし目に言われて
うっかり1ドル15セント出しちゃうと、『ワン・フィフティィ↑』って連呼された挙げ句
広げた財布から、クォーター(25セント)2個を勝手にとられ、
ダイム(10セント)とニッケル(5セント)が戻ってくる

コインランドリー用に溜めておいたクォーターだったのに~、涙。
(寮のランドリー1回が1~2ドルなのだけれど、
洗濯機がクォーターしか受け付けないので常にクォーターを溜めていたっけ。)

長いからと言って、15ってわけでもなかった。

しかし、なんでこんな紛らわしい発音になったんだろう、とつくづく思う。

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