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2010/05/21

日本では、桜はまだ咲いているのかな?

ふと、ぼんやりそんなことを考えていたら、

個人的に信頼している女性から、桜が送られて(贈られて)来ました。

日本人は、桜が大好き。私もそう。

桜を眺めていると、開花とあわせるように、息子が産まれて来た時のことや、

病気治療のため転院する際に、満開だったこ を思い出します。

その時の、桜の美しさときたら、言葉には表すことはできませんが、

きっと、あの美しさを味わうことはもうできないんじゃないかな。と、思っています。

—–

息子が逝ってからもう、16年。

生きていたら、高校2年生。

よく似た歳の子をみかけると、じーっと見つめてしまいます。

目が合うと、「今何年生?」と訊いてみたりしてね。

「2年生です!」なんて言うと、「へぇ~」って声をだしちゃう。

ああ、生きてたらこんなに大きくなってんだ。

こんなことができるようになってるんだ。

向こうはきっと、「2年生だからって、なんだよ?、へんなおっさん!」とか思ってんでしょうね。

「死んだ子の歳を数える」とは、済んだ事をいつまでも悔いることの愚かさの例えで

使われる言葉ですが、先に逝かれた親は、皆んな数えていますよ、きっと。

—–

先日、息子の十七回忌を営みました。

0歳で子どもを亡くすと、人生の晴れ舞台と、仏事が重なって辛いものがあります。

私が一番泣けたのは、七回忌のときです。一方は小学校入学なのに。

色々な思いが駆け巡るし、それに仏事なんてこともあるから、

そりゃ、数えますよ、死んだ子の歳を。

——–

今は、子の歳を数える時、辛かったことより、

色々な方に助けて頂いたことを思い出します。

看病のため、仕事を頻繁に休む私のためにフォローをしてくれた同僚。

職場での私の立場を守るためたたかってくれた労働組合のこと。

手紙を送ってくれた人、千羽鶴を折ってくれた人。。。

そう、いろんな人に助けてもらった。

今もそうだし、これからもきっとそうなんだと思う。

死んだ子は私の先生

今、生きている子も私の先生

学ぶこと、教えてもらうこと、気づかせてくれること、たくさん、たくさんあるんです。

今、私は幸せだし、これからも、そう。

それは、子が導いてくれるから。

私は、子どもが死んだことを、単に辛い思い出として記憶するのではなく、そんな経験を活かしたい。

あの世で会ったとき、「君の死を無駄にしなかったよ」と胸を張って言いたいから。

—–

さて、次回からは、 宗教と医療について考えてみたいと思います。

観念的な世界と、科学の世界、この2つは相反するものです。

でも、その相反するものが混在して、右往左往するのが人間です。

困難な状況にある患者さんやそのご家族にとっては、まさに神頼みの毎日。

宗教は、どんな役割を果たしているのでしょうか。

ハウスの利用者さんを見つめながら感じたことを書いてみたいと思います。

2010/05/21 10:23 | 雑記 | 1 Comment

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