北朝鮮がいよいよ「ミサイル」の予行実験を行う.ロケットかミサイルかは,ペイロードに積まれているものが「衛星」か「弾頭」かの違いだけであって,北朝鮮の場合は核弾道ミサイルの予行と言ってよい.
沖縄島・宮古島・石垣島にPAC-3が配備された.習志野駐屯地にもPAC-3が配備されているが,配備された2007年には一悶着あったようだ.
パトリオットを実際にライセンス製造しているのは,H-IIAロケットも作っている三菱重工業である.本当に命中率は8割もあるのかは疑問だ.湾岸戦争では,PAC-2の命中率は9%という実績からして,5割ぐらいじゃないかと推測.地対空誘導弾パトリオットを中国語では,「愛國者飛彈」と呼ぶ.「愛国者のミサイル」がどれだけ国を守れるかは,大いに疑問だ.
なぜなら,PAC3の射程は20~30kmしかないので,沖縄地方で使うことがある場合は,北朝鮮のミサイル或は空中分解した残骸がその場所目がけてに落下してきた場合でしかない.しかも,残骸はそのまま地上に落ちて来る.軌道がそれて台湾やフィリピンが危なくなった場合,弾道飛行中を狙って落とせるのはイージス艦搭載のSM-3だけでは? PAC3は,ピンポイントで狙われた時に大惨事を誘発する「原発」にこそ配置すべきじゃないかね?
ちなみに台灣はPAC-2弾を数百発とPAC-3ミサイルユニットを米国から購入している.これは,大陸が福建省から台灣に向けて短距離弾道ミサイル「東風-11」2000発を配備していることへの対抗処置.
北のミサイルの打ち上げ予定は,
予定日;2012年4月12日~16日
予定時刻;7:00-12:00(現地時刻)=6:00-11:00(日本時間)
観測屋としては念のため,台湾の流星観測ネットワークのメンバーの協力で,この時間帯もカメラを稼働させることにした.2010年10月1日に中国の月探査機「嫦娥二号」は,長征3号Cロケットで西昌衛星発射センタから打ち上げられたが,その予定軌道はもろに台湾上空を通過していた.台湾ではニュースにもなっていなかったのが,念のため流星カメラで狙っていたところ,東向きのカメラに第二ロケット(エンジン・ブースタ)が大気圏再突入している様子が動画で捉えられた.また,ロケット本体は写らなかったが,ロケットが成層圏~中間圏に残したと思われる拡散雲が全天カメラに写った.台灣・宜蘭縣では,この火球が多数の住民によって目撃されていた.
今回の北のミサイルの飛翔予定軌道から,1段目ロケット(エンジン・ブースタ)は黄海上に,2段目はフィリピン・ルソン島沖に落下する見込み.今回は昼間の打ち上げのため観測条件も悪いが,果たしてどうなるか.
彗星会議が,2012年6月2日(土)〜3日(日)に,別府温泉で有名な大分県日出町の別府湾ロイヤルホテルで開催されます.
第42回目となる由緒ある彗星会議の記念講演会に,台湾在住の私を呼んで頂き大変光栄であります.
彗星(コメット)を主題にした百人規模の会議で,誰でも参加が可能です.特に今回は,地元の中・高校生らの参加も見込まれているため,分かり易い講演を行うつもりです.
彗星会議には,蒼々たる顔ぶれのコメットハンターの方々や,プロの天文学者もお見えになるので,講演内容も最前線のものでなければなりませんね.日本のいわゆるコメットハンターは世界的にも有名で,70個以上の彗星を発見してきています.
4年前に台湾に来てから私が取り組んでいる「パン・スターズ(Pan-STARRS)」は,ハワイ大学天文研究所と台湾國立中央大学天文研究所,ドイツ,英国の4ヶ国がコンソーシアムとして出資・運用しているプロジェクトです(日本は入っていない).ハワイのマウイ島ハレアカラ観測所に設置した口径1.8m望遠鏡,世界最大のCCDカメラと,最新鋭のソフトウェアー群を駆使して全天をくまなくサーベイしています.コメットやアステロイド(小惑星)も根こそぎ発見してしまう*恐れ*がある為,コメットハンター達の「発見の夢」を奪ってしまう脅威として捉えられているようです.
現に2010年秋から始まった本格的なサーベイにより,1年半の間に250個のNEO(近地球小惑星)と15個の彗星を新たに発見し,約72万個の既知の小惑星も観測しており,小天体を発見する望遠鏡として世界のトップに躍り出ました.
この辺りの発見の話や研究成果,関連して私が取り組んで来た(いる)小惑星探査「はやぶさ」の話も織り交ぜながら紹介して行こうと思います.
元々私はアマチュア天文出身であり,大学生の頃には大学天文連盟に加盟し,彗星会議にも何度か参加していました.久々の雰囲気を,温泉と美味しいお酒(酔星)と共に楽しみたいと思います.
参加申し込みについては,「第42回彗星会議 in 大分 日出(ひじ)町」を参考にしてください.
東日本大震災から一年が経ちました.亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに,被災地が復興へ邁進し,被災された方々に本当の笑顔が戻る事を心より願います.
2012年1月27日,旧正月休みで台湾から帰国した小生は,池袋発の夜行バス「釜石気仙ライナー」に一人乗車した.仙台の阿部一族の元へ帰省する前に,津波被災地をこの目で確かめてみたかったからだ.ただ被災地を訪れるだけの物見遊山にはなりたくなかったので,ボランティア活動に参加することにした.もう一つ,台湾は震災後に200億円を越える世界中で最多の義捐金を集め,震災発生直後から支援物資の支給や現地での支援活動も行っている.東京都(人口1318万人)が約9億円の義援金を集めたのに対し,人口2315万人,平均月収10万円足らずの「国交の無い」台湾からこれだけの支援があったのだ.小生の台湾人・老婆もワールドビジョンで活動を行っており,日々仕事(研究)にばかり没頭している小生も,現地で何か役に立ちたいという気持ちがあった.午後11時発の夜行バスは満員だった.それぞれの人生を乗せたバスは,都会の喧騒から一路北へ向った.この冬一番の寒さだった.
午前5時過ぎ,白み始めた車窓のカーテンを引くと,荒野と化した海岸線をバスは進んでいた.凍結した窓からぼんやりと臨む景色は,まったく言葉を失う別世界だった.午前6時に岩手県・陸前高田市役所仮庁舎で下車.津波被害によって市庁舎を含む市の7割以上が被害を受けた陸前高田では,海岸から3kmほど離れた丘の上に昨年5月,仮庁舎が設置された.バスを降りた若い女性グループがいた.彼女らは定期的に陸前高田を訪れているボランティアとのこと.地元の車がお迎えに来ていた.ボランティアセンタを通さずに,個人で活動しているこういう素晴らしい方々も多くいるのだろう.また,車中で小生の隣席にいた東京在住の男性は,津波被災地の見学の為に来たとのことで,海岸目指して丘を下って行った.小生は仮庁舎から更に内陸へ7km離れた陸前高田市災害ボランティアセンタへ向けて,仙台帰省のための荷物を背負い歩みを進めた.温度計は氷点下10℃,まつげも吐息の水蒸気で凍った.気仙川に沿って上流へ向ったが,かなり上流の橋桁なども落ちていて驚いた.ボランティアセンタ付近でも遺体が見つかったと現地の方から聞いた.内陸部にはコンビニや商店なども営業しており,復興作業員らしい人々が大勢いた.午前8時半の受付開始の1時間前には陸前高田ボランティアセンタに到着.眠れなかった夜行バスの疲れも重なり,これからボランティア活動だというのに既に体力を消耗していたが,陸前高田市災害ボランティアセンタ(以下,ボラセン)の熱気で一気にやる気が出てきた.ゴム手袋,軍手,防塵マスク,作業着,安全靴(金属製中敷き長靴),防塵ゴーグル・目薬,帽子,タオル,食料・飲料水,保険証(小生は日本の保険証はない.被災地ボランティア保険に予め加盟),常備薬・救急セット,着替え,雨具などを用意してきたが,ボラセンには,ゴム手袋,軍手,防塵マスク,栄養剤,ホカロンなどが用意されていた.被災地ボランティア保険の加入受付まであった.
厳寒の空の下,ボラセンには280名のボランティアが朝会に集まった.そのほとんどが,自治体や企業などで組織されたボランティア軍団で,遠路からのボランティア・バスツアーも複数到着.個人でのボランティア参加は,小生も含めて10名ほどだった.朝会では,新規参加の個人ボランティアの挨拶の時間があったので,「台湾から来たアベです…」と自己紹介した.どうも台湾人だと思われたらしく「日本語うまいですね」と色々な方に話しかけられ,お陰でその日は色々と親切にして頂けた.謝謝台湾.さて,ボラセンでは主に以下の作業項目があり,個人ボランティアは自分の希望で作業内容を選べるシステムであった.
(1) 漁業再開に向けた「カキ養殖イカダ作り」のお手伝い
(2) 津波で流された思い出の品の分別、洗浄のお手伝い
(3) 花畑作りのお手伝い(固くなった土の掘り起しや苗植えなど)
(4) ガレキ撤去
(5) 側溝の泥だし
小生は(2)を選択.熟練ボランティア松浦氏,韓国人ボランティア,東京から車で来た漫画家三人組とチームを組まされた.徒歩で来たので足がないので,松浦氏の車に同乗させて頂いた.韓国から個人ボランティアとして参加しているパクさんも同乗.途中,コンビニで昼食の買い出しをしてから市街地へ下り,初めて津波被害の光景を目の当たりにした.数ヶ月間ボランティア活動を継続している松浦氏の説明を聞きながら市街地を抜け,広田湾を回って広田半島の山の上にある陸前高田オートキャンプ場「モビリア」へ登った.ここは,陸前高田市内の中で残った数少ない施設の一つで,被災直後より避難所として利用されており,現在は仮設住宅地となりキャンプ場としては利用できない.広田湾の「ヒロタ」は,アイヌ語で「美しい砂浜」の意味がある.
現地に到着すると,既に先着隊が屋外で作業を開始していた.我々はまず簡単な力仕事を行い,「津波で流された年賀状アルバムの洗浄」作業を開始.泥まみれの年賀状,まだ湿っている年賀状などを一つ一つ丁寧に奇麗にしていく.氷点下の寒空の下での地道な作業.皆殆ど無口に作業を続ける.ついつい年賀状に書かれた文章を読んでしまう.受け取り主がちゃんとこのメッセージを受け取って欲しいと願いながら,丹念に清掃していく.現場の雰囲気をジョークを飛ばしながら和やかにしてくれた隣のおじさんも,年賀状の文章を読みながら時おり感想を漏らしていた.昼食を挟み午後2時過ぎ頃までこの地道な作業に専念した.日が傾くと道路は凍結するので,午後3時までにボラセンに戻るように指示されていた.
帰路は,漫画家さんらの車に乗車して,陸前高田の海岸の端から端まで走った.瓦礫の多くは撤去され固められていたが,津波で残骸と化した建造物は,まだあちらこちらに残る.その先には,エメラルドグリーンに輝く,恐ろしいほど美しい海が広がっていた.震災後に復活した漁では,漁獲量も魚の大きさも増している.通常は3年はかかる養殖牡蠣も,半年で成長してしまったそうだ.これは,津波で海底がかき混ぜられて,海中の養分が豊富になったからだと考えられている.津波後の海底が美しく生まれ変わっていることは,海底探査からも明らかになった.人々の作った街を破壊した巨大津波は,人々が汚してきた海を蘇らせ,東北の海は豊かになっていたのである.「一本松」も健在だった.長さ2kmに及ぶ遠浅の砂浜に生育する7万本のクロマツとアカマツの砂潮林である「高田松原」は,200年以上前に植えられた.この白砂青松は日本を代表する景勝の一つでもあったが,全て津波で流された,ただこの松一本を残して.
ボラセンに戻り,陸前高田市役所仮庁舎まで彼らの車で送って頂けた.バス停では,今朝方浜辺へ向った男性と再会した.多分,彼が見てきた津波被災地と,小生が体験して見てきた津波被災地は異なるだろうなと思った.街は津波で破壊され,その悲惨さだけが光景に映される.これは,テレビのニュース映像で散々見てきた.実際には,壊されたモノや生活を再び取り戻そうと必死に前へ進もうとする陸前高田の人々がそこにいる.ボランティア活動を通して,現地の人々と触れ合い感じた.被災地復興とはいうが,現地の人々は政府の復興対策の遅れに不満を持っている言葉も聞いた.ボランティアは自己満足で終わるのではなく,継続し更にその輪を大きく広げていかなくてはならない.震災から一年が経ち,非被災者達は日々の生活に追われ,被災者達のことを忘れてきているのではないだろうか.
午後3時56分に仙台へ向うバスに乗り込み海岸線を進むと,津波で破壊された小さな漁村や,いまだに大型船が打ち上げられている気仙沼の町中も通過した.仙台滞在中には,荒浜から仙台港までを一通り訪れた.福島県いわき市の沿岸も訪れた.同じ光景は,数百kmに及ぶ太平洋沿岸各地で見られるのだ.原発問題も含め,2万人近い死者,行方不明者を出した未曾有の災害に見舞われた(見舞われている)日本を復興するためには,日本国民全員が現在進行形で支援を続けていかなくてはならない.
「復興ボランティア=土方作業」と単純に想像していた小生にとって,年賀状の洗浄作業は最初はちょっと気抜けした.しかし,目に見える形だけの復興ならばお金を掛ければできる訳で,「想い出の復興」は現場で手を動かす我々ボランティアにしかできないことだと気付いた.被災地にはそういう義援金だけでは手の届かないニーズがいくらでもあるのだ.支援の形は他にもいろいろとあると思う.被災者以外の人々が支援し耐えなければ,国家の災難を乗り越えた日本復興,日本の将来は無いだろう.
台湾に戻った後,小惑星命名のチャンスを頂き「陸前高田」の名を国際天文学連合(IAU)へ申請した.うまく行けば,5月頃には小惑星「Rikuzentakata」が誕生するかもしれない.その時には改めて報告します.
Rikuzentakata is a city in Iwate, Japan, which was one of the most affected city by powerful tsunami waves triggered by the 2011 earthquake off the Pacific coast of Tohoku. A part of the shoreline Takata-Matsubara having seventy thousand pine trees which was selected a one of the 100 Landscapes of Japan was also damaged completely except a single pine tree. We would encourage the speedy reconstruction of Rikuzentakata and a place of scenic beauty.
震災から一年が経ち,台灣では以下のCMがTVで放映されている.世界中でこんなCMが放送される国は,台湾以外にはないだろう.台湾人が日本人をこんなに心配し支援してくれたことを決して忘れずに,世界で一番の親日国家・隣国「台湾」のことを日本国はもっと考えて頂きたい.
台灣!謝謝你! 東日本大震災滿1年
東日本大震災で被災された皆様、関係者に心よりお見舞い申し上げます。そして、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
今回の地震は、様々な形で我々日本人に大きな試練とチャンスを与えたと思います。
(1)津波から学ぶ
多くの命を奪った津波被害は、想定を越えていたと聞きますが、過去に同レベルあるいはそれ以上の津波が押し寄せていた記録が残っています。
津波の伝播速度は、重力加速度(g=9.8[m/s])に水深(d[m])を掛けたものの平方根 (sqr(gd))で表せ、大陸棚斜面から急激に海溝へ落ち込む崖っぷちに位置する日本列島の場合、水深はほぼ一定の4000 mとなるので、津波はおよそ秒速200m(時速約700km)もの速さで進むことになります。東北沿岸から震源までの距離は200kmかそれ以下だったので、津波の第一波は20分足らずで到達したはずです。こんな短時間では、少しでも判断に迷っていたら逃げる余裕はなかったでしょう。
また、津波は、湾や地形によって更に高くなり陸地を駆け上がり、その到達高度(標高)は、実際の津波の高さより高くなる場合が多いようです。明治三陸沖地震津波では、38.2mの峠を津波が乗り越えた記録が残っています。岩手県宮古市姉吉地区は、被害の大きかった宮古市にありながら「此処ここより下に家を建てるな」という、海抜60mにある先人の石碑の警告を守り被害は皆無でした。「津波てんでんこ」(自分の責任で(家族などに構わず)早く高台に逃げろ)の言い伝えを防災標語にしていた釜石市の小中学生の殆ども助かっています。
先人達は、浸水や土石流などの被害を地名として残しています。渋谷や四谷などの「谷」のつく地名も、洪水被害を受けているからです。アイヌ語やこうした先人達が残した「災害地名」は、今日においても尊重すべき警告であり、合併などで勝手に地名を変え、かつての貴重な記憶を失うのは愚かな行為です。
また、西暦869年に今回と同じような震源で発生したM8.3クラス以上の貞観(じょうがん)地震に伴う津波が、仙台平野を遡上した痕跡が残っており、掘削結果と津波の計算シミュレーションの調査・研究成果は、産業技術総合研究所から報告されていました。このレポートにより、宮城県から福島県にかけて、海岸線から3〜4kmも内陸まで浸水していたこと、また、地面を掘削した浮遊物の地層の間隔から、過去450〜800年程度の再来間隔で同規模の津波が起きたことまで解明されていたのです。果たしてどれだけの人々がこの事実を知って、そこに暮らしていたのでしょうか。
- 報告書のまとめ (http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/press.html)。
- シミュレーション動画など(http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/jogan_tsunami.html)。
この事実を踏まえ、2009年の経済産業省の審議会において「福島原発の安全性」への指摘があったのですが、東電は科学的根拠に基づく歴史的事実(大津波)への対策を先送りし、「想定外の津波」と白を切った釈明をするに至っています。先人の言い伝えを守った人々と、科学的事実を無視した東電。。。
(続く)
先週末、台湾に来て5回目の結婚式・披露宴に招待されて参加した。
台湾も日本と同じようにホテルで行われる披露宴が主流で、今回の披露宴も台北の有名ホテルで開催された。昨日結婚したのは、天文研究所の男生(PhD學生)と女生(ポスドク)。付き合って7年でめでたくゴールイン。
さて台湾は、日本以上に日取りの縛りがあるようだ。干支、旧暦、六曜、民國何年か、など。
ちなみに昨日の日取りは、
2011(民國100年)年2月26日(赤口)
旧暦 2011年 01月 24日 (赤口)
式場の開場が、12時12分だった。これは、「赤口神という鬼神が人々を悩ます日と言われているが、赤口神が休むという午の刻だけが吉とされる」を考慮したものだと推測される。
ご祝儀は、台湾では紅包(ほんぱお)といい、深紅一色の袋である。圧歳銭(お年玉)も紅包である。さて、包むお金の額には決まりがある。
- 偶数にする。日本では割り切れる数は使わないので、台湾は日本とは正反対。逆に、葬式の香典の額は奇数になり、白包を使う。
- 4はタブー。四(si4)=死(si3)を連想するので。
- 8はタブー。八(ba1)= 發財を連想するので。
具体的な額(台湾元)。約3倍で日本円に相当。
600、1000、1200、1600、2000、2200、2600、3200、3600、6000、6600、10000、16000
貧困學生で600元、通常は1200か1600元、特に親しい人で2600-3600元。中には紅包なしで参加する欠食児童もいるらしい。小生は、老師としての立場もあるので、3200-3600元を包む事にしている。台湾では、金額を2-3倍した額が日本円に相当する価値になる。実際に、高級ホテルで出て来る料理を考えても、常識的な金額だと思う。
また、紅包には、祝福の言葉を書く。以下、よく使う言葉。
百年好合:末永く仲良く
佳偶天成:仲睦まじい夫婦は神のなされたこと
縁定三生:縁は前世、現世、来世と決まっている
永浴愛河:永遠に愛の河を泳いでね
情牽一生:愛情は一生つながる
永結同心:同じ心は永遠に結ぶ
その他、台湾では、結婚式用に特別な写真を撮影する。まるで、女優・俳優のような出で立ちのロマンチックな写真集。画像処理なども施されるので、お値段は日本円で30万円ほどするらしい。撮影場所も大体決まっていて、例えば小生のいる國立中央大學のキャンパスも撮影場所として有名で、ドレス、タキシード姿のカップルの写真撮影が行われている。
台湾では、引き出物が出ることは少ないようだが、今回は素晴らしい引き出物を頂いた。玉手箱を開けると、日本風の菓子(喜餅)の3段詰め合わせだった。
ちなみに台湾原住民(台湾には14部族あり、ビビアンスーはタイヤル族)と結婚すると、老婆(嫁)を背負子で背負って山中を運ばないといけないらしい。また今日では、原住民の首刈り儀式は廃止されている。
過日、日本から2名の要人を招いてのミニ・ワークショップを國立中央大學にて開催した。お二方とも台湾は初めてとのことで、3泊という僅かな時間でいかに台湾を満喫して頂くか試行錯誤した。以下、その記録である。
到着日の日曜日は、台北を速攻案内。
- 中華民國總統府;車で窓を開けて周回しながら撮影。私服警官や警固兵に睨まれたが、狙撃はされなかった。
- 中正紀念公園;蒋介石記念館見学。憲兵交代式と国旗降納を偶然見る事ができた。両儀式ともに非常に複雑で美しくもあり感心した。
- 晩飯は、台北市大安區忠孝東路の度小月で台南小吃のコースを楽しんだ。台北には2店あるが、この店の方が美味いと思う。
- 龍山寺;長い線香を7本購入して、正式なお参りを実施した。 最後に正式な御御籤の方法を実施。小生は神様がお怒りになって引く事が許されなかったが、日本からの客人2名は無事に御御籤を引けた。御御籤を解釈する人がいて説明をうけるのだが、驚いたことに日本語で説明してくれた。お二方とも素晴らしい御御籤を引いた。
龍山寺夜市を散策し、珍珠奶茶(タピオカミルクティー)を楽しみ帰路に付いた。台北101は、遠目の夜景で見ただけで済ませた。帰路の高速入り口を誤り、淡水方面へ向ってしまい、30分ほどロス。台北の道路交通は複雑極まりない。
会議後の火曜日の午後は、珍道中とあいなった。小生が客人を案内すると、大抵何かハプニングが発生するのだが(一人旅でもそうだけど)、今回もハプニングが起こった。
台湾最大の陶器の街「鶯歌」へ向かった。鶯歌老街は観光客目当ての高級品が並んでいるので、結局我々は何も購入せずに散策しただけ。台湾小姐の提案で、場所は覚えていないが、近くにあるという友人のお茶屋さんに行く事になった。しかし、その友人に電話するも、泥酔していてろれつが回っていなくて何を言っているのか分からないらしい。小姐のあやふやな記憶で歩き回り、通りの店のおばさんに聞いたりしたが、結局路に迷いついには泥酔電話も繋がらなくなったので、タクシーを拾うことにした。檳榔(ビンラン=噛みタバコ)で口の回りを真っ赤にした運ちゃんのタクシーに乗車してしまった。タクシーで案内されたお目当ての店は、定休日で閉まっていた。どうりで泥酔している訳である。檳榔で歯が溶けてしまったタクシーの運ちゃんの怪しいろれつによると、運ちゃんの知り合いに有名な窯元がいるとのことで、そこに連れて行ってもらうことにした。ドキドキ。。。
観光客はまず来ないだろう細い路地から山へ登り、窯元のお宅に案内された。主人は留守だったが、お弟子さん(息子さん)と思われる美形男子が案内してくれた。なんとそこは、世界で一番薄い幻の陶器(厚さ2mm)を作り出す世界的に有名な先生の窯元だったのだ。上海万博に台湾から唯一出品された作品もずらりと並んでいた。
http://www.youtube.com/watch?v=aqjEFx9UY7I
http://youtu.be/aqjEFx9UY7I
この厚さ2mmの陶器は、100個に3個しか成功しないそうだ。一番小さいものでも60万円。大きなものは、5つでポルシェが買える値段とのこと。勿論我々に買える代物ではないので、実用的な茶壺(急須)を吟味した。上海万博に台湾から唯一出品された陶器の茶壺が8000台湾元(~24000円)、筋状の模様が入った花柄のひんの良い白い茶壺が3000元台湾元(~9000円)で販売できるとのこと(筋を入れる技術は難しいらしい)。大きさも形も、書かれている中国の詩も一つ一つ違う、世界に一つの茶壺。我々3名は、通常は値切ることができないと言われたモノを値切り、失礼ながら3000元の白い茶壺を3個で8000元で購入した。この茶壺は、使えばつかうほど光沢が出てくるそうだ。
お茶を頂きたいという更に我が侭な我々の要望に、親切にも一軒の茶屋を紹介して電話予約して頂いた。待っていたタクシーの檳榔オヤジは、満足げに我々を茶屋へ案内してくれた。茶屋に到着すると、さっき我々が購入した茶器が売っているではないか!ボラレタあなと値段を見ると、何と6500元(~2万円)。8000元の茶壺は17000元(~5万円)、我々が購入した価格の2倍以上だった。どうやら我々は、元価を更に値引きして本物を買ってしまったらしい。満足満足。そして、お茶を入れてくれた美女は、茶壺に美しい詩を書いていた女性本人であった。彼女は、さっき我々が購入したものと同じ茶壺でお茶をいれてくれた。1年使ったというその茶壺の表面は、本当に光沢がでて輝いていた。台湾の高山茶各種を試飲して購入。
既に日は暮れてしまい、急いで完全予約制の山奥の隠れ家へ向うことにした。しかし、お茶騒動の一件でディナーに30分以上遅刻することになってしまい、先方に遅れる旨の電話を入れた。しかし、この遅刻が、次の素敵な出会いへと繋がるとは。。。
璞真山居は、台北縣三峽の山奥にひっそりと佇むまさに隠れ家。既に時間をオーバーしていたので、すぐ近くの大板根森林温泉には帰路に寄る事にした。璞真山居は、全てここで採れた野菜や魚などの有機栽培、天然素材を使った料理を出してくれる。連日連夜の中華料理で疲れた客人達の胃の調子を考えて、1年前の蛍のシーズンに来たこの店を思いついた。足下には墨の匂いが香ばしい火鉢を用意してくれた。台湾風・精進料理と表現すべきか。その味は、我々日本人にはホッとするようなお袋の味である。山芋や各種山菜キノコ、20年間塩漬けした大根「老菜脯」(台湾では有名な幻の珍味)や、山で採れた蜂蜜を酢で割った飲み物など、全てにこだわりをもった11品を堪能した。我々以外には、1組の客しかいなかった。さて、お茶を頂いて帰るというときに、突然僧侶達が店内にやってきた。その中の一人が我々が日本人だとしり、片言の日本語で話しかけて来た。どうも高野山関係の方々らしい。いっしょにお茶を楽しもうと店主の待つ茶室に誘われた。一人は、シンガポールから来た流暢な英語を話す修行僧で、重鎮らしきは身分の高い台湾の密宗僧侶だということを後で知った。店主が入れたお茶は、幻の「桂花茶」だった。そして、店主から六杯のお茶を以下の蘊蓄とともに頂いた。
とても50歳過ぎには見えない ご主人。
一碗喉吻潤(一碗喉吻うるおう)
兩碗破孤悶(兩碗孤悶を破す)
三碗搜枯腸(三碗枯腸をさぐる)、唯有文字五千卷(唯だ有り文字五千卷)
四碗發輕汗(四碗輕汗を發す)、平生不平事(平生不平の事)、盡向毛孔散(盡く毛孔に向かって散る)
五碗肌骨輕(五碗肌骨清し)
六碗通仙靈(六碗仙靈に通ず);七碗喫不得也(七碗吃するを得ざるなり)、唯覺兩腋習習清風生(唯だ覺ゆ兩腋習習として清風の生ずるを)!
後日調べたとことろ、中国・唐代中期の詩人、盧仝(ろ・どう) の「盧仝集」1巻からの引用だと分かった。夜の12時近くまで、お茶と茶器、書と墨絵を語る高尚な会となった。今回は、宇宙を語ることは控えておいた。今回の予想外の出会いは、自分の中で進展しそうな何かを感じた。
2011年1月16日夜(21時頃)、ネネが安らかに天国へと旅立ちました。
1994年に我が家(当時は、川口市)にやってきて、17年間を生き抜きました。
1994春-1996年春は、小生はモラトリアム人間(留年浪人生)として、ほぼ実家にいましたので、芸の仕込みは小生が行いました。
その後、実家は大宮へ引越をし、小生は大学院-研究者の路へと進み、年に1-2度しか家に帰らなくなったのですが、小生の車(カローラFX-GT)のエンジン音や、足音だけで帰りを察知して、出迎えてくれました。
数年前から耳が聞こえなくなったものの、視力と嗅覚は最後まで衰えずに、番犬として働いていました。昨年夏から足腰が急に弱くなってしまい、年末には骨と皮だけの状態でした。それでも、壁にもたれながらもフラフラと歩いていました。今月上旬から、とうとう立ち上がれなくなり、床ずれで骨がむき出しになりました(既に感覚も失っていた様子)。白内障にはならず、最後まで視力はあったようで、話しかけるとじっと人の顔を見ていました。
昨年は、夏、秋、年末と3回日本に帰ることができたので、ほぼ最後まで見届ける事ができて良かったです。
明日火葬されて、1年間遺灰を保管したのちに、家の庭に埋める予定です。飼い犬などは、その方が安心して良いらしいのです。
長い間、お疲れさま。天国で安らかに過ごしてください。
Faithful companions need their rest.
あけましておめでとうございます。
2011年謹賀新年
民國100年新年快樂
その帰路に己れを焼きし「はやぶさ」の光輝かに明かるかりしと
(皇后陛下の御歌より)
昨年は「はやぶさ」地球帰還という一大イベントがあり、2001年から関わってきたミッションの最後の場面にも立ち会う機会に恵まれました。「はやぶさ」は地球の一部となりましたが、「はやぶさ」を通して素晴らしい人々との繋がりが生まれました。今年はまず、「はやぶさ」との約束であるイトカワ探査の残された研究課題と、地球再突入光学観測の成果を世に出すことが任務です。また、2008年春に台湾へ渡り携わってきたパン・スターズ(Pan-STARRS)全天サーベイ国際プロジェクトが、ようやく軌道に乗り始めました。台湾の科学研究費を貰って行っていることもあり、成果を出すことが求められています。そして、いよいよ「はやぶさ2」が本格的に始動します。台湾に来て3年目になる2011年は、國語のレベルアップも必須です。台湾は建国100年という節目の年。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2010年5月21日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)よって打ち上げられた金星探査機「あかつき」は、金星周回軌道へ減速させて投入するため、12月7日8時49分(JST)に軌道制御エンジン(OME)の逆噴射を開始した。しかし、噴射開始から2分23秒後2分32秒(152秒)後に姿勢を崩して(ひっくり返って回転を始めた X軸周りに42度回転)、自動的に噴射を中断しセーフホールドモード*に移行。その結果、当初予定されていた12分間の2割程度しかOME噴射が実施されず、十分な減加速度を得ることができず、金星を通り過ぎてしまった。イオンエンジンを使った「はやぶさ」と違い、ホーマン軌道で惑星へ向う場合、決められた時間と場所で、決められた継続時間だけ加速できなければ周回軌道に入れないという難しさがある。火星探査機「のぞみ」(1998-2003年)が、火星周回軌道に入れなかったリベンジでもあった。
- ※セーフ・ホールド・モード(Safe-hold mode)
宇宙機の安全を最優先とした自律判断で移行するモードで、宇宙機に何らかの致命的な問題が発生したときに、通信などの必要最小限の機器を除き全ての機能が停止状態となり、スピンして姿勢を安定させながら、電力確保のため太陽電池パドルを太陽に向けている状態。 - 以下の記事が詳しい;
- 金星探査機「あかつき」に新情報、燃料タンクの圧力が異常低下していた
http://journal.mycom.co.jp/articles/2010/12/10/planet-c_venus/index.html
- あかつき金星周回軌道投入失敗、12月10日午前11時からの記者会見
http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2010/12/121011-303f.html
しかし、探査機が失われた訳ではなく、6年後に再び金星に接近したときに、金星周回軌道に乗るチャンスがあることが分かった。今回、金星周回軌道に乗ることには失敗したものの、「あかつき」ミッションが失敗に終わった訳ではない。一部の報道では、日本の惑星探査に暗雲の兆しと報じられているが、その解釈は間違っており誤解を生む。単純に比較はできないが、例えば米・旧ソ連が火星を争ったときなどは、およそ30機の探査機が向かい、約20機が失敗している。失敗が許される訳ではない。今回の問題点を解決して、「あかつき」は日本初の惑星周回探査機になって欲しい。また、「あかつき」に搭載されているIR2という赤外線カメラは、黄道面を漂う塵(黄道光ダスト)の観測を行う設計にもなっており(金星の軌道傾斜角が僅かに高いため、黄道面の上から塵の外にでて観測できるメリットがあかつき軌道にある)、金星到着までの間はこちらの観測も行う予定になっている。
さて問題は、これから6年間どうやって探査機を延命させるかだけではない。現在ミッションに携わっている主力は、明らかにポスドクや研究員、あるいは大学院生達である。彼ら彼女らをどうやって継続雇用していくのだろうか? プロジェクトの長期化にともない予算が削減されるのは明白なので、真っ先に首を切られるのはポスドク・研究員達である。「はやぶさ」による小惑星イトカワ探査の時も、ポスドクらが主力となっていた。小生も「はやぶさ・ポスドク」の時は、ロケット打ち上げ後に首を切られ(任期満了で延長契約できず)、欧州で2年間をポスドクとして過ごし、小惑星到着後に再び「はやぶさ・ポスドク」に採用された経緯がある。ミッションの主力でありながら危うい橋を渡っているポスドク達は、まさに探査機と運命共同体なのである。
「あかつき」だけでなく、彼ら彼女らがこれから6年間を生き延びて、再び金星と巡り会えるように応援したい。ファイト!
「あかつき」特設サイト
http://www.jaxa.jp/countdown/f17/index_j.html
- ※ポスドク研究員, Postdoctral fellow
博士号を取得したが、パーマネントな研究職、教育職についていない大学等研究機関の研究員。
追記;
金星通過後の12月9日午前9時頃、「あかつき」は、約60万km(地球と月の距離の1.5倍ほどの距離)から金星を撮影した。「あかつき」が一瞬でも金星探査機になった証拠だ。距離は遠いが見事な画像だけに、金星周回軌道に入れなかったことが悔まれる。「あかつき」が暫しの別れの前に「6年後に再び会おう!」と女神(ヴィーナス)に誓っているような印象を受ける。
「あかつき」金星探査機搭載のUVIカメラ(波長365nm,視野12°x12°)、IR1カメラ(波長900nm,視野12°x12°)とLIRカメラ(波長10μm,視野16.4°x12.4°)画像で撮影した金星。
提供;JAXA
画像は人工的に着色(UVI画像:青色 IR1画像:橙色)
素朴な質問
- IR1カメラで見るリムが二重に見えているのは何故?
- UVIカメラだと金星大気が大きく見えるのは高層大気を観ている?(単に時刻が違うから?)
- 赤外線で金星の雲を通して地形(山脈?)の様子がムラムラと見えているのが凄い!左上の黒い影とか右下の白いスポットとか、ムラムラが何なのかが気になる。
小惑星に由来する物質を地球に持ち帰った世界初の快挙を称えて、 2010年12月2日、内閣府にて、はやぶさプロジェクト(宇宙航空研究開発機構、JAXA)及び約120の企業・大学等から構成された支援チームに、宇宙開発担当相、文部科学相からそれぞれ感謝状が贈呈されました。神戸大学の中村昭子准教授が、(我々)支援チーム代表として賞を頂いたそうです。
私は2001年よりJAXA/ISASにて、はやぶさ搭載機器の開発より携わってきましたが、実際に小惑星に到着した2005年当時は、神戸大学大学院自然科学研究科にポスドクとして所属していましたので、神戸大学チームとして受賞しました。神戸大学は、はやぶさ搭載のLIDAR(レーザ高度計; 小惑星までの距離を測り探査機の位置を計測したり,小惑星表面の粗さ凸凹を調べる装置)のサイエンス代表を向井正教授(現名誉教授)が担当しており(LIDARの開発・工学代表はJAXA/ISAS 水野貴秀教授)、私もLIDARおよび開発より携わってきたNIRS(赤外線分光器; 小惑星表面の鉱物組成を調べる装置; 代表JAXA/ISAS 安部正真准教授)を担当しました。神戸大学が筆頭著者になったLIDAR論文も HAYABUSA SCIENCE特集号(2006年)に出版されています。
神戸大学&会津大学&JAXA/ISAS&NECメンバーで構成されたLIDARチーム。下線は神戸大学関係者。
また、LIDARデータを、NASA惑星科学データシステム PDS(Planetary Data System)準拠に対応させる作業も我々のチームで行い、NASAに無事に受理されて2008年より公開されています。
感謝状。宇宙担当開発相(左)、文部科学省(右)
このような賞を頂けることになったのは、最後まで諦めずに探査機を地球帰還へ導いた「はやぶさチーム」の粘り強い努力と、取得された極微量の塵が小惑星イトカワ由来だと特定したサンプル分析チームの成果によるものだと思います。大変ありがたい賞を頂き、本プロジェクトに携われたことを誇りに思います。この経験が、今後の太陽系小天体探査プロジェクト(ポストはやぶさミッション)へ速やかに繋がり世界をリードし続けると共に、我々が得たモノを次の世代に引き継いで行ける機会が得られることを心より願います。
20年前、小惑星は惑星に成れなかったただの路傍の石ころだと思われていましたが(少なくとも自分はそう思っていた)、最近の研究からは力学的にも物質的にも波乱に満ちた変化を現在も受け続けている、太陽系の太古の記憶を秘めた宝石(ロゼッタ・ストーン)であることが分かってきました。宇宙船での往復技術を手にした我々日本人は、いままさに黄金期を迎えようとしている太陽系大航海時代の先駆者になろうとしているのです。益々の応援をよろしくお願いいたします。



















































