
いつもより早く仕事が終わった今日、ふと思いついて一つ手前の駅で下車してみることにした。最寄駅の店屋ものは飽きてしまったし、ここでひとつ新しい店を開拓してみようかくらいの気持ちだった。
人波に流されるまま、ぶらぶらと商店街を歩く。感じのいい惣菜屋を見つけたので、コロッケを買った。揚げたての匂いが温かい包みを通して食欲を誘ってくる。これは当たり。道を覚えておいて、今夜話して聞かせようと思う。空腹に耐えかねて油紙からかぶりついたコロッケは、やっぱり当たりの味がした。妻の好きそうなさらさらした味だった。
「あなた、悪いけどそういうわけだから、しばらく独身気分で楽しんでね」
妻がそう言い置いて実家に戻ったのはもう二週間ほど前のことだ。
この付近ではいい産院がないのだという。この頃はお産をするにも予約がいるのよ、と大きくなったおなかを抱えて妻は酷く大儀そうだった。初産ということもあり、どうせ近くでは産めないのなら、と実家の近くの病院を探すことにしたらしい。そのあたりの事情は聞いていたので、というわけだから、と言われてしまえば頑張れよとしか言いようがなく、このところ僕は毎日外食して帰るのが習慣になってしまっていた。
妻からは毎日11時きっかりに電話が来る。診察の話、実家の話、毎日同じようではあるが僕もきちんと電話に出る。妻の話によれば母子ともに順調とのことで、だからこそ陣痛はものすごく痛いのだそうだ。
「なんにせよ初めてでしょ。この歳でも緊張することってあるのね」
「そりゃそうだろう。僕だって初めてだよ」
「あ、今蹴ったよ」
電話口をぎゅっと何かに押し当てるような音がして、その遠くからぱぱでちゅよー、と妻の声がした。生まれていないものになぜ赤ちゃん言葉を使うのか、そもそも通じているのか微妙だが、その声はすこぶる楽しそうだったのでいい傾向だと思う。
「ね、男の子か女の子か、知りたくない?」
「知りたくない。楽しみが減るよ」
「ああ早く言いたい! 秘密って、わたし、苦手」
妻はころころと笑って、じゃあね、と電話を切った。生まれてくるのが男でも女でも、妻に似て笑顔の明るい子だったらいいなと思った。
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花言葉:あなたは日ごとに美しくなる
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

――肩甲骨の骨は羽根の跡。
どこかで読んだか聞いたかしたこの言葉を急に思い出したのは目の前にまさにそんな感じの肩甲骨があったからで、首筋からなだらかに繋がる裸の背をじっと見ていた。
これまでだってさんざん見ているのに飽きることがないのはわたしが彼に心底惚れているからで、もうその感情は好きとか愛してるとかそんな言葉では追いつかなくて、もしくはそんな言葉では包みきれない欲情だとか羨望だとかが溢れているような気がしていて、だからわたしは黙って彼の背を見つめる。
ひとつだけわたしより年上の、でも全然そうは見えない華奢な背は標準よりもいくぶんか細い。
結構食べるわりに身にならないのだろう、筋肉がつきにくい性質だというのも出会ったばかりの頃に聞かされた。
くっきりと隆起した骨を注意深く眺めていると、そこに赤い跡があるのに気づく。気づくも何もあれはわたしが付けた爪痕だ。血を流したみたいにそこだけ朱に染まっているのは別にものすごい力で爪を立てたせいではなくて、傷の残りやすい彼の柔らかい身体のためらしい。それも体質で、彼の肌にはそれこそわたしの知らない無数の古傷が残っている。
初めて肌を合わせた時に無意識で傷つけてしまったのかと思って、ごめんねと謝ったら、気にしなくていいと反対に謝られてしまった。それで安心して、次からは行為に臨めた。
「なにみてるの、」
不躾な視線を感じたのだろう、彼は少し苦笑した。つまらないよ、そんなことない、だっていつでも見れるのに、でもこの背中は今しか見れない。そんな会話ともいえない言葉を交わしながら、彼は羽の跡をシャツで隠して隣に潜り込んで来た。さらさらした生地が心地いい。
「なんか、わたしあなたがすっごく好きみたい」
思いだしてそう言ったら、彼は少し困ったような顔で笑った。
なんだかすごく、可哀想なことをしてしまったような気がして、さらさらの生地ごしに背を抱いた。注意深く肩甲骨を避けたのは、もしそこにもがれた羽の跡があったら困ると思ったからだった。
「ばかだねえ」
そんなの知ってる、と呟いて、わたしはもう一度つまらない言葉を繰り返した。
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花言葉:情熱
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

何かに終われるように旅に出た。
気がつけば流暢な日本語で快適な空の旅を約束するというアナウンスが流れており、そこそこ可愛いと言えなくもないスチュワーデスが荷物を確認しに巡回している。あ、と思って手元のチケットを見たら行先は香港だった。近くて助かった。乗り込んでから気付いたけれど、僕に許された時間は3日間しかなかった。
座席に備え付けられたインフォメーションペーパーを眺めながら、本当に外国に行くのだと思った。休みはほとんど家にこもって過ごしていたし、第一遊びに行けるような状況でもなかった。そんな生活をずっと続けてきて、それをどこかで当たり前だと思っていた。親の介護があるといえば接待や職場の飲み会を断ってもさほど嫌な顔はされなかった。たいへんだな。がんばれよ。皆そんなことを言いながら、どこか悲壮な顔で僕のことを見ていることも知っていた。
その原因が無くなって、箍が外れたのかもしれない。
身分証明書代わりにパスポートを持ち歩くようになって、銀行との諸々の交渉の後、僕は衝動的に空港行きの電車に乗った。初めて乗った海外便の窓の向こうはきれいに澄んだ青い空が白い雲の上に広がって、ああ天国とはこんな景色なんだろうかと思った。
僕と母はそれなりに仲のいい親子関係を築いていると思っていたのは勘違いだったらしい。
母が脳梗塞で倒れ、障害を持つようになって初めて気づいたことがいくつもあった。例え梅干しが嫌いなこと、ぬか漬けのキュウリが好きなこと、新聞は地方面から読みたがること、甲子園が好きなこと、箸袋を集めるのが趣味だったこと……そういった母の個人的な好みを、僕は同居して初めて知った。
恐ろしいことに半分しか意識が覚醒していなくても、僕の好きな食べ物を母はちゃんと覚えていて、ヘルパーさんが作ってくれたポテトサラダをわざと残し、僕に食べるように勧めたりする。まったくベタな話だけど、僕はその夜うっかり泣いた。
母は母であり、そして僕の知らない女でもあった。
混濁した頭で父の名を呼ぶ、それは僕の知らない母だった。
「失礼ですが、お客様。……ご気分でも?」
「すいません。なんでもないんです、ただちょっと……」
身振りでなんでもないのだと示すと、スチュワーデスはティッシュペーパーをひとつ残して去っていった。航空会社のロゴの入ったそれを見て、また少し、胸が詰まった。母は何一つ見ずに逝った。それとも。
僕は窓の外を見る。初めて見る景色を、母はもうどこかで眺めていて、不肖の息子を叱り飛ばしているだろうか。
空はとても、青い。
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花言葉:旅立ちの日
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

感化されたわけではないけど、おもちゃみたいなカメラを買った。
撮りたい風景があるわけでもなく、残したい思い出があるわけでもないのに、滅多にしない衝動買いをしてしまったせいで、それを毎日鞄に入れて歩くようになった。
そうやって過ごすことで、いつか撮りたいものにめぐり逢えたらいいと思った。
無感動、無関心、無気力……世代病とも言われるけれど、自分のことに限って言えば確かにそれは当てはまった。小さなころはそうでもなかったと思うのに、いつの間にか何を見ても、何を聴いても心が動かなくなった。それがなんだか人間としての欠陥みたいなものに感じられて、がむしゃらに“泣ける”映画を見てみたりも、した。ベタにボランティアにも取り組んだし、熱中できるものがあれば変わるかと思って片っ端から習い事をした時期もある。でも結果はダメだった。一生懸命頑張っている自分、泣こうとしている自分、そういうものが何をしていても透けて見えるような気がした。やればやるだけ、ただただ周囲に取り残されていくような。
多分わたしには感情の起伏が少ないんだろう、というのがあがいた末の結論だった。
嬉しいとか悲しいだとか、当たり前にそれは感じるけれど、けれど振り幅が人よりきっと小さくて、それを表現するところまで心はきっと動かなくて、だからわたしはほかの皆のように笑ったり泣いたりできないんだ。
気が付いたらそんな話をしてしまったのは、気安さのせいだろうか。
酔っ払って、べろんべろんになって、言わなくていいことまで話してしまうような時間帯だったから、だろうか。聞いてくれたのは割合親しい同期の一人だった。同じ年のくせに妙に雰囲気が幼い彼とわたしはなぜか結構気があったけれど、二人で話しているとよく姉弟みたいとからかわれた。
「なんかさ、そう思うと、どっか壊れてるような気がする。人として、ていうか、……」
「そう? おれは好きだけど、そういう妙なところでまじめなとことか」
「なにそれ? 褒めてるの?」
「うん。だからいっぺんその目で見てみたいよ、どんなふうに世の中が見えてんのか」
彼はそう言って赤くなった頬をくしゃっとさせた。
ああ、かわいいな、と思った。熱を持った頬に、触れたいと初めて思った。そうして、彼の付き合っている後輩のことを考えた。よく笑いよく泣く、柔らかい輪郭の女の子。
伸ばせなかった手の代わりに買ったカメラを連れて、わたしは毎日外を歩く。
空は青い。熱を帯びたアスファルトにゆらゆら陽炎が立って、緑が濃くて、たまに花が咲いていて、わたしはそういうものと出会うたびにシャッターを切る。心が動いた証拠を残す。
そうやって、いつか、彼に見せたいものが見つかればいいと思う。
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花言葉:デリケートな美
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

この季節になると、思いだす光景がある。
おそらく何回も何回も回想したからだろう、記憶と言うより何か映画のような客観性を伴って思いだされる、風景。子供の時の純粋な体験ではない、大人になってから作り上げてしまった幻想かもしれないけれど、僕にとっては大切な、あれは夏の思い出だった。
あの頃僕はまだ小学生で、長い長い夏休みを持て余している頃だった。
夏休みの間だけだからと祖父母の家に預けられたのは良かったけれど、めったに訪れない田舎では友人もおらず、僕は必然的に一人でばかり過ごしていた。オリンピックの余波でこの田舎町にもテレビは普及していたけれど、年寄り2人が暮らす家ではまだラジオが幅を利かせ、本を読もうにも本屋はなく、宿題に出された書きとりばかりしていたように記憶している。
その僕がなぜあの日は外に出ていたのか、その理由ははっきりしない。おそらく祖母に言われて畑の様子を見に行ったか、八百屋に使い走りにでも行った帰りか、そんなたわいないことだったんだろうと思う。
気が付いたら夕方で、僕は川べりの道を一人でうろついていた。遮るもののない強い陽ざしに手をさしかけて、僕は少し離れた土手に女の子がしゃがんでいるのに気が付いた。とっさに踵を返したのはわずかな怯みと畏怖の念で、だいたいこの町で子供を見かけたのはこれが最初だったような気がする。
「まってよ」
女の子の声は甲高く、僕は引っ張られるように振り向いた。おかっぱの髪の根元で夕日が揺れた。昨夜の雨で川は増水し、浅瀬の割にごうごうと派手な音を立てて流れていた。
「そこの靴、拾って。届くでしょ」
言われるままに僕は視線を川に落とした。確かに赤い靴が草の根に絡まって落ちている。手を伸ばしても届かない距離だが、川に入れば簡単に取れそうに思えた。
「取って」
初めて会った子なのに、その言葉は妙に大人びて、僕は逆らいもせず川におりた。妙に後を引く訛りに押されるように、東京から着てきた一張羅の半ズボンの裾を濡らし、僕は靴に手を伸ばす。あと少し。あと、もう少し――途端、僕は川に落ちた。溺れていく僕を女の子は甲高い声で笑った。
記憶はここで途切れている。
拾ったはずの靴をどうしたのか、そもそもあの後僕はどうやって川から上がったのか、そのあたりこそ覚えていそうなものなのに、残念ながら想い出はここまでしか残っていない。はっきりしているのは僕がその後その町には二度と行かなかったことだ。
だというのに、僕はまだ、この記憶を捨てきれない。
記憶と呼ぶにはあまりに映画じみたこの情景を来年になってもまた思いだす、そんな気がしている。
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花言葉:純潔
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

「あのさ、おれ、次数学あたるんだよ。悪いけど課題見して?」
「もー……たまには自分でやってきなよ。てかあの子に見せてもらえば」
「無理無理。相手にされねえって」
だからゴメン、と口ほどには悪いと思っていなさそうに、こいつは両手を拝む形にしてあたしを見た。いつものこと。だからこっちもしょうがないなって顔を作って、ノートを貸してあげることにする。頬が緩むのを戒めて、ちょっと泣きそうになるのを我慢して。
あたしが得意でない数学の課題をちゃんとやってくるのは、下心があるからだ。
俯いて筆記用具を走らせる後頭部は丸い。日を浴びて眩しく光る黒い髪が揺れるのを、あたしはじっくり堪能できる。少し焼けた半袖の腕を、上下する筋肉を、この時間だけは独り占めすることができる。また少し痩せたのかな、と静かに動く指先を見て気づいた。もうじき最後の大会がある。練習にも打ち込んでるみたいだし、今年こそいいタイムが出るといいんだけど。
「ありがとな、助かった」
「ん。次は忘れないでね」
さんきゅー、と全部平仮名みたいな声であいつは笑い、ひらひらと手を振って斜め右の席につく。教科書を開いて、頬杖。そしてゆっくり視線を固定する。前から3番目の、あの子の席に。ああ、また見てる、ってやっぱりちょっと悲しくなる。
あたしはあいつが好きだった。だからあいつの目線がどこに向いているかなんて最初からちゃんと分かっていた。柔らかな長い髪の、おとなしくってかわいい子。笑顔がきれいな。あたしとは違う。
だけどあたしはあいつが好きだった。だから報われなくても、それでもいいと思ってた。
「おーい」
いきなり振り向かれた。見ていたのがばれたのかと、冷や汗が出る。なんなのよ、もう。
「何よいきなり。答え間違ってた?」
「じゃなくてさー、お前さ、明後日出るんだろ? 短距離」
「そうだけど。どうかした?」
「俺応援行くからさ、頑張れよ!」
熱いねなんて冷やかされて、あいつは違えよなんてオーバーな仕草で否定した。あたしは笑った。だってホントに違うのに。なのにこいつときたらそういうことを素でやってしかもそれがどういう風にあたしに作用するかなんて知らないから、もう自棄になって腐れ縁の姿を演じるしかなかった。
だって、そういうところが好きなんだから。叶わないって知ってたって、そういうところを好きになっちゃったんだから、しょうがない。しょうがないけど、笑いながら、あたしは泣きたくて泣きたくて仕方なかった。絶対変わらないこの距離が、今はすごく憎かった。
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花言葉:小さな愛
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

どうして夏の野菜と言うのはこんなに色が濃いんだろう。
凶暴なほど陽射しの入るベランダでひとり、そんなことを考えながら野菜の腹に楊枝をさす。ぷすり、と小気味よい音を立てて茄子は牛になり、きゅうりは馬になる。誰が最初に考えたのだか、盆の行事はどこか子供のままごと染みていて、かわいくて、ちょっと切ないと思う。
田舎の広々としたたたきとは違う、都会のマンションのちいさなベランダ。
コンクリートの床にざるを置くと、はためく洗濯物の下になって牛と馬が短い影を伸ばしていた。
出身地は7月に入るとすぐにお盆の用意をする、絵にかいたようなド田舎だった。七夕も盂蘭盆で8月はそれでなくても忙しいのに、盆になればなったで毎日宴会が続くから、お迎えだけは先にするというのがその理由らしかった。
都会出身の友達に、この種の話はよく受けた。特に田舎がないような子は、喜んで話を聞いてくれた。もっとも、それは何も若い友人に限った話ではなく、年長のひとも同じだった。新入社員の頃、この季節はよく接待に駆り出され、この手の話をよく披露したことを思い出す。田舎出身というだけで純朴そうと思ってもらえたわけではないだろうが、わたしは取引先にもそこそこ可愛がられていた方だと思う。
そのうちの一人が、会長だった。
会長と呼ばれるだけあって彼はわたしが知る限り一番年配の接待者だったし、なぜそんな大切な役員のもてなしをわたしのようなぺーぺーにまかされたのかは知らない。ただ、非常に穏やかで、好奇心が旺盛で、優しい手をしている彼のことをわたしは結構好きだった。仕事に対しては厳しかったが、商談を終えたあとは本当に好々爺というものを絵に描いたようだった。孫がいないから、代わりに可愛がってるんだ、と彼は酔うとよく口にした。恋愛ではないにしろ、家族愛めいた繋がりを、わたしだけでなく彼も感じていたのだろう。
結婚して仕事を辞めた時も、離婚して復職した時も、彼はそうかそうかと笑っていた。大変だったなとか苦労したなとか、口先だけの言葉は云わなかった。そうか。じゃあ飲みに行くか。そういう時はたいてい彼のおごりだった。上司に怒られます、と言っても、大丈夫だから飲め飲めとわたしは沢山おごられたが、だからと言って手を出されるわけでもなく、それがわたしにはなぜか微妙に不満だった。
彼は馬や牛には乗れるだろうか、と洗濯物を取り込みながら考える。
でっぷりした体躯は運動向きではなかったかもしれないが、先達もいるのだろうから心配することはないのかもしれない。もう帰ってきていいんですよ、わたしのところにもちょっと顔を見せてくださいね。
日を浴びてつやつや光る牛と馬が、頷くように僅かに風に揺れている。
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花言葉:私と一緒にいれば安心
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

「みてみて! あの子、超可愛い」
ママとバスを待ってたら、後ろからそんな話し声が聞こえた。振り向いてにこっと笑う。高校生のお姉さんたちはまたきゃー、と言って、ほんとかわいい!ハーフかな?なんて騒ぎだした。
僕はそれを聞いて繋いだままの手をぎゅっと握る。こんなときのママの顔は見なくったってよくわかる。いつものちょっと寂しそうな顔じゃない。嬉しそうな、誇らしそうな笑顔。
僕はパパの顔にとてもよく似ているらしい。
ママと駆け落ちしたはずのパパは僕が物心つくころにはどこかにいなくなっていて、僕はパパがどんな人なのかいまいちよくわからない。ただとてもセンが細くて自分勝手なひとだったらしい。ママはパパが大好きなので悪口は言わないけど、おじいちゃんやおばあちゃんは僕の顔を見る度にそんなふうなことを言う。
「お前に罪はないけどねえ」
じゃあそんなこと言うなよって僕は思うけど、いつもにっこり笑ってごまかしている。
僕が笑うとたいていの人は喜んでくれる。学校では男女って言われるけど、女の子たちはかばってくれるし、先生だって僕の見方だ。天使みたい、って言われたこともある。去年の学芸会ではホントに天使の役をやって、ママはにこにこしながら僕の演技を褒めてくれた。
「パパもねえ、素敵な俳優さんだったのよ」
ママはパパのことを話すときはいつも女の子みたいな顔をする。パパは演技が上手、パパは格好いい、パパはお洒落で料理も上手……。でも、ママはいつも寂しそうな顔をして、僕をぎゅっと抱きしめる。
「あなたはパパみたいにいなくなったりしないでね。ママのそばにいて頂戴ね」
ママの身体はおおきいから、僕は手を伸ばしてママの背中をぎゅっとしてあげる。こうなったらママはなかなか普段のママに戻らない。しょんぼりして、悲しいかなしいって顔でわんわん泣く。僕が泣くと男の子なのに、って言われるけど、泣いてるママは女の子だからしょうがない。
「あなたはママの宝物よ」
この言葉を合図にして、僕はにっこり笑ってあげる。
ママの一番好きなパパと似てるっていう顔で、だいじょうぶだよって笑う。
僕の笑顔をたいていのひとが喜んでくれるみたいに、ママにも喜んでほしいから。
僕は思う。ママがいつか、今ここにいないパパのかわりじゃなくて、僕を見てくれますように、って。
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花言葉:可憐、無邪気
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

「あのな、10円足らんのよ」
あんた知らないか、と聞かれ、わたしは黙って首を振る。ここにきてからほぼ毎日このやりとりをしている。黙ってしわだらけの顔を見つめていると、彼は首を振り振り自分の部屋に帰っていく。10円がなあ。どうしてもなあ。誰に聞かせるわけでもなく、独り言にしては大きな声で、彼は廊下を腰を屈めて歩いていく。
語尾を伸ばして話す、この地方特有の話し方に、わたしはだいぶ慣れてきた。
――老人ホームと言ってもうちはそんなにきつい職場じゃないのよ。
就職支援セミナーで館長はそんな風に言っていたが、実際に働きだしてみるとここは十分3K職場だった。典型的な核家族で育った私は施設に来るまで尿瓶も触ったことがなかったし、おむつ替えの経験もなかった。就職して最初の三カ月は毎日やめたくて仕方なかった。実際やめようと思ってハローワークに行ったこともある。思いとどまったのは、単純に仕事がほかになさそうだったからだった。
というのに、環境には慣れるもので、今では方言を聞きとることも出来るし徘徊した田中さんを号泣させずにベッドに連れ戻すこともできるようになった。大きな進歩。今ではさほど真剣に退職を考えなくても良くなってきたのは、そういう自分の心境の変化によるところも大きいだろう。
彼との関係も、最初は最悪だった。
眠る前にお金を数えるのが日課だと言う彼は、入ってきたばかりの私が毎日10円を盗むのだとステーションに訴えた。新入りは誰もがそれをやられるらしい。チーフや先輩はそういうわけで気にしないようにと言ってくれたけれど、たかだか10円で泥棒呼ばわりされるのも癪で、彼のシーツ換えはしばらくの間わたしにとってかなり荷の重い仕事だった。
「あんた。今盗んだだろう、10円」
「盗んでません」
「嘘だろう。返せ。大事な金なんだ」
シーツ換えの度に彼とわたしはそんな風に口論をした。まともに相手をしても仕方がないと分かっているのに、言い返さずにはいられなかった。
「10円ぽっちがなんでそんなに大事なんですか」
「俺が預かった金だ、それがないと、俺の代わりにあいつが上官にぶたれる」
それでもいいのか、とぐいぐい迫られ、その日わたしはこっそり彼の枕の下に10円を置いて部屋を出た。見回りのとき、彼は幸福そうな顔で眠っていた。わたしの置いた10円は、サイドボードの上で非常灯の光を受けて鈍く光っていた。
その後、彼が戦争中の記憶と現在の記憶がひどく混濁していることを知った。
それから、聞かれるたびにわたしは枕の下に10円玉を隠している。
彼は毎日わたしと話し、枕の下の10円を見つけ、嬉しそうな顔で眠る。増え続けているはずの10円玉がどうなっているのか、わたしは知らない。
彼にとっては、そんなことは気にもならないことなのだろう。
施設に来て半年。
わたしは、ここに慣れている。
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花言葉:高潔
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

帰り道にいつも寄るコンビニで、珍しいものを見かけた。
だからつい声を掛けた。他意はない。わたしは片手に野菜の入った袋をぶら下げたままだったし、彼も繋がれた犬に手を掛けたまま、あっけにとられたような顔をしていた。
「それ、毛並み悪いでしょ。捨て犬だったの。あなたそんなに気に入ったんなら、世話しに来る?」
こうして、彼はうちに通ってくるようになった。
彼は絵に描いたような不良で、というか、そうなりたかったんだろうと思わせられる育ちの良さが透けて見える男の子だった。制服を着ているから高校生か中学生か、背は低くてその代わりとさかのように染めた髪を逆立てている。それがうちに来ると、犬ばっかり構っているのでおかしかった。
彼が来る時間はまちまちだった。わたしは2DKのアパートを仕事場にしており、仕事中はほとんど書斎から出ないので彼が来たことに気付かない日もしばしばあった。それでも来ていたことに気づくのは、犬の毛が丁寧にブラッシングされていた跡があったり、台所に見覚えのないペットフードの空き缶が転がっていたりするからだ。
締め切り前は籠りがちになるわたしと違って彼は非常に面倒見がよく、最近、健やかな毛艶を得た犬は元気に吠えたり部屋中を飛んだり跳ねたりするようになった。天気のいい日は散歩に連れ出されたりもしているらしい。コーヒーでも淹れようと書斎を出ると、これがこの家にいたあの犬と同じ犬だろうかと首を傾げたくなるほどだった。
「あなたのほうが飼い主みたいね」
「ていうかさ。なんで世話しないの? あんたの犬だろう。これ」
「元、ね。今は違う」
これは別れた恋人が捨てていった犬だった。さして動物が好きでもない私の家に、自分がマンション暮らしで飼えないからと押しつけて。犬は男が出て行った日に、わたしを見上げて潤んだ目で甘えて鳴いた。それが男にすがった自分のように見えて憎らしかった。反面教師。だから名前もつけず、おざなりに世話をして、情が移らないように距離を置いていた。
「……それ、あげようか」
「なんで」
「わたしが飼うより犬にはきっと幸せでしょう」
「なんでそんなつめたいこと、言うの?」
彼は犬を抱き上げて、わたしの膝の上に犬を置いた。こわごわ目を合わせたら、犬はあのときのように潤んだ目でこちらを見ていた。厭だ、と思って顔を上げたら、彼もおんなじような顔でじっと唇を噛んでいた。
「選べないのは犬だって誰だって一緒なのに。あんたはおれを選んだのに」
やっぱりあんたも同じなのかよ、と彼は怒ったような顔をした。答えられないでいる間も、二つの黒い濡れた目が、わたしのことをじっと見ていた。
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花言葉:つめたいひと
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。










