2016/05/27

早朝、撮影先へと車を走らせていると原野の中にポツンと小さな動物の姿が目に入った。

すぐに車を降りてカメラを持って原野の中を歩いてゆくと、既に先程の動物の姿がない。

「やっぱりもう逃げてしまったな・・・」と諦めかけた時、数メートル先の笹薮がガサガサと揺れた。

その動物を驚かさないように忍び足で距離を詰めて上からそっと覗き込むと・・・。

動物は笹藪の中で体を丸めて小さくなり、顔だけはしっかりとこちらを向いてじっと僕の方を見据えていました。

「エゾタヌキ」だ。

足の遅いタヌキはこれ以上逃げられない事がわかると、藪の中でじっと動かなくなります。

ちなみにタヌキは更に激しく驚くと気を失うことがあります。

俗に”死んだふり”ともいわれていますが、これは動物学的には自分の意志によるものではなく、反射的に起こる「擬死」行動だといわれています。

難しい話はさておき、この生態こそがあの「狸寝入り」の所以です。

さて、本州ではキツネよりタヌキの方がよく目にするといいますが、北海道ではその逆で通常あまりタヌキを見かけることはありません。

タヌキは愛嬌のある動物として古くから物語の主人公や置物や言葉の形容として用いられてきましたが、身近な動物でありながら人目に触れる機会も少ない為、細かい生態はあまりわかっていないといいます。

人目に触れず森の奥深くでひっそりと生きるエゾタヌキ。

解明などされなくとも良い。

どうか日本古来の動物として、豊かな森の中に、物語の中に、私達のココロの中に生き続けてほしいと願う今日この頃です。

さあ、彼らはこれから大切な繁殖の季節を迎えます。

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2016/05/27 11:44 | 自然からの便り | No Comments
2016/05/02

所用で道北方面へ向かった帰り道、通りがかった川を見下ろすと夕闇の川が水鳥で埋め

尽くされていた。

あまりの数の多さに目を疑い、翌日改めて撮影の準備をして再び同じ川を訪れてみた。

川面に下りると、彼らの声がひとつの和音となって周囲に響き渡っている。

水鳥はオナガガモの群れだ。

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ユーラシア大陸北部や北アメリカ大陸で繁殖し、冬季に南へ渡って越冬する。

生息地、越冬地が比較的広範囲に及ぶ為、日本国内でも各地で越冬する姿が見られる。

それにしても見事な数だ。

河原に群れる鳥たちを観察してみると、目を閉じて気持ちよさそうに寝ている者もいれば、

ガーガーと叫びながらあちこち歩き回って、辺り構わず寝ている鳥たちにちょっかいを

掛けている者もいる。

そして、どういうタイミングなのか、時々一斉に飛び立っては頭上をぐるぐると周って

また着水する。

僕にはわからないが、遠くに猛禽でも飛んでいて警戒しているのだろうか・・・。

彼らが水面から舞い上がるたびに空一面が黒く埋め尽くされ、その圧倒的な光景に目を

奪われた。

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人間が「社会」という無数の構成の中で生きているように、鳥たちの世界にも私達には

知り得ない集団の中の自分の位置というものがあるのだろうか。

自然に対する興味や不思議さは尽きることはないが、科学的な視点ではない生き物のココ

ロの内を探るのはなんだか楽しいものだ。

今年も圧倒的な春を実感することができた。

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2016/05/02 10:53 | 自然からの便り | No Comments
2016/03/19

久しぶりに森の奥地に入った。

雪の上には小動物の足跡があちこちにある。

大木を見つけるたびに上を見上げ、フクロウやモモンガが営巣しそうな樹洞を探すが、

そう簡単に出くわすものではない。

だいたい、いつも動物との出会いは偶然や不意が多いもの。

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でも、今回はある動物に出会う為にこの森へやってきた。

果たして出会うことはできるのだろうか・・・。

カンジキで森を歩いた後は日没を待って車の中に寝袋を広げてひと寝入りした。

 

目を覚ますと午後5時。窓の外は夕日の残照がゆっくりと闇に変わっていくところだった。

三脚に望遠レンズをセットしている時、少し先の木立の中に小さな動物が走り去るのを

見たが、その後しばらくなにも起こらなかった。

いつのまにか空には丸い月が浮かび、星が瞬き始めてている。

そう、こんな時は動物への期待は捨て、きれいな夜空でも眺めていよう。

山奥で一人静かに満点の星空を眺めるとは、なんて贅沢な時間だろうか。

30分、1時間・・・。

日常とは違うこの時間の流れの中で自然のことや、これから自分がやりたい事などたくさん

の事を考え、いつのまにか撮影の事など忘れて想像の世界へと入り込んでいった。

やがてちらちらと雪が降りだしてきて、ふっと我に返った。

長い時間雪の上に寝そべっていたせいで、すっかりと体が冷えてしまった。

さて、そろそろ戻ろうかと体を起こしてみると・・・、

なんと、ずっと待っていたあの動物が雪の上に立ち止まってじっとこちらの様子を見ている

のだった。

一体いつからこちらを見ていたのだろう・・・。

しかも、近くにもう一頭いるようだ。

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“エゾクロテン”

イタチの仲間で愛嬌のある顔に似合わず、実は肉食でかなり獰猛な動物だ。

これまで偶然何度か目にすることはあったが、夜行性で通常は滅多に人前に姿を現さない

為、今まで本格的にカメラを向けることがなかった。

やっと出会うことができたという喜びを抑えながら、落ち着いてすぐに撮影を開始する

が、これまた難易度が高い。

はじめから想像はしていたが、闇の中で素早く走り回る彼らを写真に収めるのは容易

なことではなかった。

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しかもストロボ光源は眼の反射が起きてしまう為に正面からは当てられない。

ストロボ2灯をそれぞれ別な三脚に取り付けて斜め方向から光が当たるように置いて、

カメラのシャッターにリモートで発光するようセットする。

これで決まればきれいに写るのだが、なにせ彼らはとにかく走り回るので、ストロボの位置

を何度も置き換えての撮影となった。

そんな状態で撮影は夜中まで続き、結局最後まで彼らに遊ばれたまま終わりとなった。

クロテンが目の前から姿を消し、再び辺りが静まり返った。

天を見上げると今も無数の星が輝いている。

今日は山奥深くで素敵な物語を見ることができた。

それだけでココロが充分に満たされていた。

また次回の出会いを楽しみに思いながら寝袋に潜り込んだ。

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2016/03/19 10:21 | 自然からの便り | No Comments
2016/02/25

2月、北海道では一年で一番寒い「厳冬期」を迎えるが、今シーズンは

オホーツク海での流氷の接岸が例年以上に遅く、つい数日前のことだ。

そんな中、北海道内の中でも一段と冷え込みの厳しい十勝地方の海岸では

ある自然現象が冬の風物詩となり始めていた。

 

夜明け前。

雪原を越えて海岸に出ると沖合から流れてくる冷たい空気が容赦なく頬を刺した。

まだ暗い海岸を砂浜に沿ってしばらく歩いた。

久しぶりの冬の海はなんと気持ちの良いことだろう。

波の音、冷たい風、凍った砂浜の感触、水平線まで広がる星空。

それは冬の厳しさを越えてここにやってきた者だけが体験できる世界。

程なくして一日の始まりを告げる光が水平線の向こうから昇ってきた。

そして目の前には自然から送られてきた”Gift”。

海岸に打ち上げられた氷が光を受けてオレンジ色に輝き始めたのだ。

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どこまでも透き通り、複雑な形をした氷塊はまるでガラスの彫刻のようだ。

砂浜の上にそっと置かれた氷は、波が寄せるたびに海の中へ消え去り、

そしてまた新しい”Gift”が送られてくる。

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僕は海岸に座り、静かにその情景を見つめた。

いつまでも見ていたい美しい冬の景色。

この景色を見た瞬間、改めて北海道という豊かな土地に感謝し、改めてこの土地

の自然に惹かれてゆく自分をココロの中に感じた。

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2016/02/25 12:43 | 自然からの便り | No Comments
2015/12/18

12月に入ってもなかなか雪が降り積もらなかった。

思い描く絵の中にどうしても雪がほしかったのだ。

結局、雪を待っていても時間が過ぎ去るばかりで、

ソワソワしていた僕は我慢できずに出発することに

した。

ここは北海道北部の山間部。

暗闇の湖畔に車を止めて寝袋の中に潜り込んでから

まもなく、遠くから微かにたくさんの鳥の鳴く声が聞こ

えてきた。

耳を澄ましてみるとそれは冬の使者、ハクチョウの声。

その夜は”冬の北の自然”を象徴する声を聴きながら深い

眠りに就いた。

 

夜明け前、まだ暗闇の中をさらりと雪のかぶった草原を

抜けて河原にたどり着くと、突然静寂を破って流れの中

からバシャバシャと激しい音が聞こえてきた。

ドキッとして川の中をのぞき込むと、産卵を終えたサケ

達が最後の力を振り絞って川の流れに抵抗しているの

だった。

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やがて空が白み始めたころ、力尽きたサケを狙って河原の

木に止まるオオワシやオジロワシの姿をあちこちに見つけた。

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彼らは冬になると極東ロシアから北海道に渡ってくる

世界最大級の海ワシ。

体高が90㎝、翼を広げると2.5mという巨体は、遠く

の木の枝に止まっていても存在感は充分だった。

その姿は北方の野生生物の象徴とも言える。

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僕は金色の空がワシの姿を影絵のように映し出す瞬間を

待った。

そして、その時がやってくる。

首を回す、鳴く、羽ばたく・・・。

どんな小さな瞬間も見逃さない様、長い時間ファインダー

から目を離さなかった。

とにかく、青空に変わるまでのわずかな時間が今回の撮影

のすべてだった。

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次回は雪の降り積もった景色の中で彼らを捉えたい。

 

 

 

 

 

 

2015/12/18 12:48 | 自然からの便り | No Comments
2015/10/16

なにかと忙しいこの秋。

10月に入り、自然界ではあっという間に紅葉が深まり、つい先日には早くも北海道内

各地で降雪となった。

このところの急激な寒気の到来に、自宅でもいよいよストーブが稼働し始めている。

近頃は、夕方を狙って自宅近くの山を歩くようにしている。

今の季節、森の中では小さな生命達が冬に備えて活発に活動しているのだ。

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足を止め、耳を澄ませてみると、あちこちからカサカサと枯れ葉を掻き分けるような

音が聞こえてくる。

特に夕方、日没の1時間くらい前が賑やかでおもしろい。

僕はいつもこの時間帯をめがけて森に入る。

低い斜光の中で生き物をシルエットで捉えるチャンスでもあるのだ。

夏には早朝にしか出会うことのなかったエゾリスも、今の季節はこちらの存在を気にする

暇もないくらい日没ぎりぎりまで木の実集めに余念がない。

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そんな訳で充実した時間を終えて帰路に向かって歩き始める頃には森の中は闇に包まれ

始めている。

真っ暗な山道を帰路に向かってトボトボと歩いていると、決まって森の奥からエゾシカ

の求愛の声、ラッティングコールが大きく響き渡ってくる。

それは秋の夜長にぴったりな風情ある声だ。

以前は北海道東部の旅先で、寝袋の中でこの声を聴くのが楽しみのひとつであったのだが、

ここ数年来自宅から車で数分の札幌市郊外の森でこの声が聞けるようになった。

エゾシカの増加問題も気になるところだが、野性味あふれるこの声が自宅近くで聞くことが

できるのは密かに嬉しい。

できればもう少しこの秋の情緒を楽しんでいたいところだが、きっとこの森もいつものように

あっという間に白銀の世界に変わってゆくだろう。

 

さて、本格的な冬がやってくる前に取材しておきたい場所がいくつかある。

まずは明日、自分も冬支度をひとつ、”冬タイヤ”に交換だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015/10/16 03:08 | エッセイ | No Comments
2015/09/30

久しぶりに見上げた満月。

深まる秋、冷たい空気が漂う中で見る満月は穏やかで美しかった。

月の引力が大きくなる満月の夜は地球上の生物達に様々な影響を与える

という。

満月の日には私達人間を含めて様々な生物に出産や産卵が多いと聞く。

明治以前、まだ月の周期を基準に置いた太陰暦が使われていた頃、

当時の産婆さんは月の満ち欠けを見て出産の予定を立てたという。

私達と月の密接な関係性について、科学の知を超えた不思議な力を感じずには

いられない。

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満月の夜の森。

これまでの撮影行でも幾度もそのタイミングを迎えてきたが、

やはりどこか雰囲気が違う。

それは満月が放つ強い光のせいだけではないだろう。

静まり返った森の中であちこちでうごめく生命の気配に耳を澄ませる。

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きっと自然の中で生活していた先人たちは、私達より更に深いところで満月の力

を感じ取っていたに違いない。

さらに深いところで・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

2015/09/30 01:33 | エッセイ | No Comments
2015/08/30

小高い山の上に登ると突然視界が開けて、森の奥の方にやっとそれらしき

ものを発見した。

いつか訪れてみたいと思っていたこの地。

森の中の空間にはどこかから運ばれたと思われる大小様々な石がたくさん

置かれていた。

それらはある規則性があるかのようにきれいに円形に配列されていた。

「ストーンサークル」

世界のあちこちに残されているというその史跡はここ北海道の地にも

いくつか存在する。

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これは縄文時代後期、今から約3500年程前に北海道に生活していた

北方系縄文人によって作られたもの。

3500年前・・・。

それはどれほど以前のことなのか。

わずか数十年という時間しか与えられていない私達の生命からは想像しがたい

時の流れである。

今回訪れたストーンサークルは、かつてはなんらかの儀式や祭り跡という説も

あったというが、その後の調査によって人骨、土器片、飾玉、弓などが出土し、

現在は先住民の墓であると結論付けられている。

以前、別な土地で見たストーンサークルはこれほどまでにきれいな配列は

していなかったが、このストーンサークルは本当にきれいに円形状に配石され、

美しい状態で残されている。

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辺りには直径5m程のサークルがいくつも点在していた。

岩の半分は地面に埋められ、地上に露出した部分は苔むしていて長い長い時の流れ

を感じさせるものだった。

深い山の中でどこか場違いなこのサークルは、ある意味この土地で初めて人間に

よって造られた人工物といってもよいだろう。しかしそれは気の遠くなるような長い

歳月の中で完全に自然の一部と化し、今も静かにそこに眠っっている。

夕刻、初秋を迎えた冷たい空気の中で僕は太陽が沈むまでここで過ごしていた。

森の中は徐々に光を失い、鳥や虫たちの声も止んで辺りが静まり始めた。

そろそろ山を下りようと腰を下ろして荷物をパッキングしていると、

驚いたことにサークルの岩の一部が赤く輝き始めていた。

太陽が水平線に沈む直前、木々の間から差し込んだ真っ赤な夕日がストーン

サークルを照らしていたのだった。

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それは本当に美しい光景だったが、わずか一瞬の出来事だった。

夢中でシャッターを切った。

まるで古代の先人が再び息を吹き返し、皆で円を描いて座っているように見えた

のだ。

その後、急速に森が闇に包まれてゆく情景が、たった今見たストーンサークルの姿を

一層強烈な印象として僕に与えていた。

輝いた瞬間、なにか不思議な”力”といえば大げさだろうか・・・、でも自分自身

が不思議な心境に包まれたのは確かだった。

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北海道の自然、動物達、人々。

太古から存在し続ける「生命の繋がり」には無数の不思議さ、美しさが隠されている。

ぼくはこれからもこの地に生きる生命を、そして時を超えて様々な生命の足跡を辿って

いきたいと考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015/08/30 12:49 | エッセイ | No Comments
2015/07/31

北海道の自然や野生動物を写真に記録するという活動を続ける中で、いつの頃からか

北海道の昔のことが気になり始めた。

それは、この北海道の豊かな自然や野生動物達は、昔の人達にとってどのような存在

だったのか、そしてどのように関わってきたのか・・・という素朴な疑問から始まった。

様々なことを調べていく内に先住民はいつ頃から、そしてどこから北海道にやってきて

どんな生活をしていたのかということが気になりはじめた。

思えば北海道に生まれ育った自分でさえ、学校教育では北海道の歴史は明治時代以降の

ことしか教わらなかったように思う。それ以前の時代といえば先住民族が自然と共に暮らし

ていた時代であるが、この時代の事については当時の国の政策や政治的背景が要因で「北

海道には先住民族が住んでいた」という過去形の表現が短く教科書に記されていただけで、

深く触れることはなかったのである。

近頃は博物館や資料館に足を運び、また研究者の方の文献を読み漁る中でアイヌ民族のこと

や、それ以前の時代の人達のことが少しずつわかってきた。

その中でも僕が興味を抱いたのは先住民の精神世界や自然との関わり方であった。

 

先日、博物館を見学していてとても興味深いことを知った。

それは、過去に日本国内で2ヶ所の古代の壁画が発見されたというのだが、驚くべきことに

2箇所のいずれもが北海道内に現存しているという。

早速、その内の1ヶ所に足を運び、実物を目の当たりにした。

それは今から1600年前、本州の弥生時代の終わり頃から古墳時代の初期、北海道の時代

区分では続縄文時代の頃に作製されたものだという。

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(洞窟内に描かれた壁画)

 

岩盤には「角のある人」や「仮面をつけた人」が多数刻まれているが、どんな人が何の為に

刻んだものなのか、現在でもはっきりしたことはわかってはいない。

しかし、シベリアの岩壁画によく見られた「角のある人」が刻まれていることから、当時の

シャーマンを描いたものではないかという説が有力だという。

だとすれば、この頃から北海道に暮らしていた続縄文文化の人達が北東アジアの人々と交流

していたということか・・・。

そして北海道にもシャーマニズムが存在していたということだろうか・・・。

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(写真は上記壁画写真をわかりやすく示した全体図)

 

この壁画は北海道の古代人のたくさんのことを物語っているように思えた。

当時の精神世界を知る上でもとても貴重な遺跡といえるだろう。

古代北海道の探求に更なる興味が募る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015/07/31 11:57 | 自然からの便り | No Comments
2015/06/12

南東アラスカのジュノーに降り立つ。

ジュノーはアラスカの州都であるが、人口はわずかに約3万人ほどで、

アラスカ本土の南端に位置しながらも市外へ通ずる道路や鉄道はない。

ここも水路と空路が重要な役割を担っている。

また、この辺りの海もほかの南東アラスカの地域と同様、周囲には大小

たくさんの島々が浮かんでいて、どの島も海岸線ぎりぎりまで森林が

迫り、複雑なフィヨルド地形となっていた。

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町から遠く離れた海に浮かぶ島々はどれも無人島であったが、時折

島の森の中にポツンと小さなログハウスや人間の生活の痕跡を見る

ことがあった。

現在でもこうして時代に逆行するように、人目を避けるようにひっそり

と暮らしている人達がいると思うとなんだか不思議に思えた。

彼らは一体どのような生活を送っているのだろうか・・・。

船の上からの眺めは目に映るものすべてが新しくて興味の尽きること

がなかった。

ジュノーでは朝から晩まで小さなボートに乗って鯨の姿を求めた。

これまでカナダからアラスカへ向かう船の上で本当にたくさんのクジラ

の姿を見てきたのだが、やはり近距離での撮影は小さなボートに勝る

ものはない。

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今回の旅では南東アラスカの中でも「クジラのメッカ」と言われる

ジュノーで撮影をすることをあらかじめ決めていた。

春を迎えた今、少しずつ南からザトウクジラがこの地へ戻ってきている。

様々な期待と不安を胸にボートに乗り込んだ。

海へ出て1時間ほど経った頃、島の沿岸で高々と吹き上がるクジラの

ブローが見えた。

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初めてアラスカの海で聞くクジラの呼吸音、浮上のたびに見える彼らの

大きな背中・・・。

落ち着いてファインダーを覗きつつも、ココロの中では沸々と嬉しさと

感動が込み上げてきた。

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その後は幾つかのクジラの姿を見つけるも撮影には及ばず、ボートは

ただひたすら寒風を切りながら次から次へと撮影を可能にしてくれる

クジラを求めて走り続けた。

そして、やっと夕日が傾きかけた午後7時、観察していた一頭のザトウ

クジラが突如として何度も宙へ舞い上がり、遂に彼らの全身を間近で

見ることができた。

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彼らの巨体もさることながら、落下した時の水面の爆発は想像以上の

ものだった。

地元北海道でこれまで何度も鯨類の撮影を行ってきたが、アラスカの

ザトウクジラはやはり格別なもの。

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またいつかこの地に戻ってきてじっくりと向き合ってみたい・・・。

アラスカのクジラはそんな思いを大きく抱かせてくれるものだった。

アラスカの大いなる自然に出会えたことに感謝したい。

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2015/06/12 12:14 | エッセイ | No Comments

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