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2014/07/18

JunkStageをご覧の皆様、こんにちは。今日はまず、この写真をご覧いただきたいと思います。

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これは2014年2月に投稿されたコラムに引用された作品です。
暗闇、枯れ果てた草叢の中でしゃがみこんだ女性の表情に浮かぶ表情を何と呼べばいいのか私は知りません。
怒りか悲しみか憎しみか呪いか、あるいはその全部なのか。でも、作品から伝わってくるのは確かに一人の女性の強い強い感情の動きなのです。そしてそれを想起させるものを“芸術”と呼ぶのではないでしょうか。

今回はこの作品を撮ったフォトグラファー、古賀英樹さんをご紹介したいと思います。

■vol.33 写真家・古賀英樹さん 

――僕の作品たちはぜんぶ「想い」がまず最初にあります。撮影意図や意識、コンセプトよりもまず被写体さんたちそれぞれが持つ想いそのものが全てを形作ります。みんな物語を抱えて生きている。(古賀英樹)

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福岡在住の写真家。北原白秋の故郷であり、写真集や映画作品の舞台にもなった出身・柳川市の文化色を受け、「想い」ありきの写真を追求している。
http://www.junkstage.com/hideki/

 

* * *

 古賀さんは福岡県・柳川市のご出身。北原白秋や檀一雄など、抒情性豊かな作品を多数輩出した先人たちと同じく、「想い」を大切にした作品を撮り続けている写真家です。
ところで、この「想い」とはなんでしょう?

先に引用した部分で、古賀さんはそれを被写体が持つ固有の物語だと表現しています。古賀さんの作品に登場するモデルの皆さんは、被写体となる回数に差こそあれ、そのほとんどがごく普通の女性なのだそう。けれど、古賀さんはそんな普通の人の中にこそ表には出ない「声」を聴くのだといいます。
その声=物語こそが、「替えのきかない、『その人でなければこの作品は無かった』と言える」作品となる要件なのだと。

実際、JunkStage上で発表されている作品だけに限っても、古賀さんの作品はいずれも見るものに強い感情を想起させます。
それは人によっては嫌悪かもしれないし、痛々しさかもしれません。古賀さん自身も「作品を創り続けるためには被写体にも撮影者にも膨大な精神力が求められる」と、このコラムの中で語っていますが、加えるのならば観客にもある種の精神力を要求するのが古賀さんの作品群だと私は思います。
なぜなら、その作品は鏡のように、観客ひとりひとりの中にも確かにある(普段は見ない、見せないことにしているはずの)醜さや虚栄や怯えなどの生臭い感情を露わに突きつけてくるからです。

思いも寄らぬ方角から来て、予想外のとこに突き刺さるもの…
むしろそれこそが、ずっと残り続けるものになるのかもしれません
必要のは覚悟…それは作家側にとっても、観る側にとっても.
「行き交う想いの絶えない場所で.」より抜粋)

* * *

fuka-

古賀さんは、ご自身を評して「距離感の作家」と言っておられます。
被写体となるモデルさんの内面にぎりぎりまで踏み込み、時に自身の肖像写真ではかつて罹患した病の診断書を二重写しにして作られる作品たちは、同時に観客である私たちとの距離を測る物差しのようでもあります。
抉られるような、自分の臓腑を見せつけられるような……これは私個人の感想ですが、古賀さんの写真を見ることはどこか蓋をしてきた臭いものを見るような、そうしてその自分をも許せるような、そんな力があるように思うのです。
だからこそ、私は古賀さんの作品が好きです。
きれいごとだけではない、突き動かされるような情動を与えてくれる作家はそう多くはないのですから。

そんな古賀さんですが、2013年9月に地元・福岡で開催した個展が好評を博し、現在都内・新宿にて再度の実施を迎えています。
「純なものも、濁ったものも全部抱えたままで、ここまで来た」。
そう語る古賀さんの作品を間近でみるチャンス、ぜひお見逃しなく!
※古賀さんも展示後半8月19・20日は在廊予定とのことです^^

■古賀英樹写真展「深入り-tokyo-」
■期間 2014年7月14日~20日12時~19時(最終日18時まで)
■場所 PlaceM M2ギャラリー 〒160-0022 東京都新宿区新宿1-2-11 近代ビル3F TEL/03-3341-6107

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2014/07/18 11:00 | sp | No Comments