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2013/09/20

JunkStageをご覧のみなさん、こんにちは。
秋と言えば“食の秋”“運動の秋”等々いろんな表現がありますが、JunkStageが得意なのは何と言っても“文化の秋”!

今回はそれにちなんで、このライターさん達をご紹介したいと思います。

■vol.23 古典文学研究・らっこの会の皆さん

――何百年、あるいは千年以上昔の「ことば」が楽しくて仕方が無くて、すっかり日本の古典文学に魅了されてしまった3人が、なにより「楽しみながら」皆さまに古典文学の魅力をお届けしたい。その上で、読者の皆さまが私たちと一緒に「いにしえのことば」を楽しんでくださったら、これ以上の喜びはありません。(らっこの会)

日本古典文学専攻の院生グループ「らっこの会」によるコラムシリーズ。なお(平安文学)、諒(上代文学)、タモン(中世文学)の3名が日本古典文学の世界を分かりやすく紹介。
http://www.junkstage.com/rakko/

 

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らっこの会、というちょっと音で聞くと可愛らしい響きのこのライター名義は、それぞれ専攻分野が違う三名の大学院生・なおさん、諒さん、タモンさんのコラムユニット。その由来は「楽在古辞」という言葉から来ています。「たのしみはいにしえのことばにあり」という言葉をタイトルに掲げる三名のコラムは、それぞれの分野の専門を中心に日本古典文学の奥深さ、物語の時代背景などを知る楽しさ、日本語の不思議さを感じさせてくれるものばかりです。

今回は簡単に三名のプロフィールと、扱われている話題などを私の主観に基づいて説明してみたいと思いますので、特に「文学って苦手で…」という方は是非お目通しください!
(注・一部私の曲解が入っていますが、らっこの会の皆さんの責任ではありません)

 

なおさんは「源氏物語」を中心に平安文学を研究しており、話題も「源氏」に関するものが多数。ロシア語訳を完遂したタチアーナ女史に寄せる深い尊敬、赤ちゃんの「吐き戻し」現象が描かれている新鮮な感動など、研究対象へ向けられる感情は率直かつ真摯な愛に溢れています。
しかし、なおさんのコラムの面白さは非常に、ものすごく真面目にこれらの文献と向きあって行くところにあると私は思う。例えば有名な和泉式部の「帥宮挽歌群」を“なんというか「やりすぎ」”と感じたり、ビックネームである「源氏」の解釈をめぐる煩悶をさりげなく愚痴ってみたり、物語のなかで研究者が変人扱いされてへこんだり、なおさんの率直な視点かつ真面目にそれを考えて綴っている態度には、本当にすぐそばにいる友人のような“体温”を感じます。

 

一方、諒さんは奈良時代の文学である上代文学を専攻。一般に「おおらか」「素朴」と称されることの多い古代日本の文学はあくまでも「文学」であるということを念頭に、それらを理解するための周辺トピックに常に目を光らせています。例えば古代、女性はどんな座り方をしていたのか?、古代を扱った漫画を読めばルビに首をひねり当時の氷はどうやって作られたのか、また利用したのかと調べ、日本における春の花の変遷などを丁寧に拾い上げる。
その姿勢は流石、研究者だなあと思わせられます。
でもやっぱり、諒さんのコラムの面白さはこれら真面目な考察の中に時折混じるユーモアのセンス。“ますらおぶり”と習ったはずの「万葉集」は「第一首目からしてナンパの歌」とさらっと言ってのけたりできるのは、やはりそれだけ言葉に対するセンスが鋭敏なのだろうなあと感じます。

 

そしてタモンさんは曰く「メディアの多様化が行われた時代」である中世のなかでも最先端のメディアミックスジャンルである能・狂言を専門としている研究者。
当時既に成立していた物語素材から想を得た文芸作品であり、舞台芸術として今日でも人気の高いこのジャンルからタモンさんが読みとろうとしているのは、生と死が身近にあった時代の人々が何に救済を求めてきたのかという心のありようです。それだけに、コラムで扱う内容も多岐にわたるのは当然のことでしょう。ご自身でも仕舞を習われているということから「足袋」「袴」に関するものや、昨年の大河ドラマ「平清盛」に関する考察など、ざっと挙げただけでもこれだけの多様さ。
勿論、能の素材ともなった物語(例えば卒塔婆小町で知られる小野小町などにもきちんと目配りがされています。

タモンさんのコラムは三名の中で比較的時事ネタが多いこともあって、自分が目にしたものに対する素直な感想が綴られていることも多いのも特徴。例えば先に挙げた「清盛」など、わたしは低視聴率にも関わらず全部見て楽しんでしまったので目から鱗を大量に落して読んでしまいました。笑

 

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3名のコラムは勿論独立して読めるものばかりですが、ときどきお互いの話題からトピックを選んだり、話を構成したりしている様子も見受けられ、それもまた読んでいて楽しい仕掛けです。

学術的な内容かと構えている方にこそ、私は是非そういう仕掛けに気付いて欲しいと思います。古典文学を書いた人も、それを読んで楽しんだ人も、今古典を学ぶらっこの会のみなさんも、今このコラムを読んでくださっているあなたも私も、みんな同じ人間だよなあ、とふと思ったりするからです。

消えていった言葉を追いかけることも、それでもしぶとく残って愛され続けた物語を知ることも、人間を知る営みなのだと教えてくれるこのコラム。是非是非、文化の秋にかこつけて読んで頂ければ幸いです。

2013/09/20 09:06 | sp | No Comments