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2012/06/30

こんにちは。諒です。

個人的なことですが、わたしは研究者を目指すには、どうにも読書量が少なすぎて、普段から反省しているのです。そんな状態ですので、あまり本の紹介とかはしない(できない)のですが。でもまあ、今回、古事記繫がりということで、漫画の感想などを書きたいと思います。

取り上げる本は、こうの史代『ぼおるぺん古事記』(平凡社、2012.5)。実はこの作品、以前から平凡社のサイト「web連載」[http://webheibon.jp/kojiki/]で順次公開されていて、おそらく編纂1300年記念に合せて書籍化されたのだと思われます。「web連載」もまだ続いているので、興味のある方は見てみてください。

この漫画に特徴的なのは、古事記の訓読文をそのままに、文もセリフも古事記のとおりに展開させているところです。ところどころに注が付いていますが、現代語訳とかは一切無くて、本文を絵とコマ割りで説明しているといった感じです。

一般的に、古事記のように物語性に富む神話や説話は、現代においてその面白さを伝えようとした場合、原文(或は訓読文)をそのまま提示するよりも、現代語訳や解説を活用する方が、初心者にはわかりやすい。古事記で卒業論文でも書こうか、という状況になるとさすがに、本文そのものを味わい、解釈する必要が出てきて、中には理解のために絵でも描いてみようという人もいるかも知れない。しかし、漫画家といった創作に関わる職業の人が、本気で絵とコマ割りで原文に対する解釈を表現しようとするのは、めずらしいように思います。そういった意味で、本作は『あさきゆめみし』などとは違った、挑戦的な試みと言えるのではないでしょうか。

こうの史代の作品は以前にほんの少しばかり読んだことがありますが、無言の場面で状況を展開させるのがとても上手な漫画家だと思います。本作もそれが効果的に用いられています。本作を古事記を勉強する学生が読んだら、どんな感想が出るのか、興味があります。絵がメインなので、色々と想像力が刺激されて、導入として使えるかも、と思うのです。次田真幸『古事記』(講談社学術文庫)や新編日本古典文学全集『古事記』(小学館)などの現代語訳が付いた注釈書を横におきつつ読むと、より面白いかも知れません。

さて、こんな具合で個人的にはおススメしたい作品なのではありますが、問題がひとつ。それは、もとにしている訓読文に少し疑問がある、ということ。

古事記の上巻冒頭は、次のようにはじまります。

「天地初発之時、於高天原成神名…」

この部分、本書では「天地(あめつち)の初めて発(ひら)くる時、高天原に成れる神、名は…」とされています。古事記を現代の研究をもとに、少しばかり勉強している者は、大抵ここで、「ん?」と思います。「天地初発」の「発」を「ひらくる」と訓ずるのは、あまり馴染みがないからです。Web版でこの訓読を目にしてから、訓読文の底本が気になっていたのですが、今回の書籍版には、丸山二郎『標柱訓読 古事記』(吉川弘文館)とあります。丸山二郎は古典の校訂などに従事して業績を残した歴史系の学者で、『標注』は1965年に出版されました。

調べてみると、「発」には古写本のなかでもわりと古いものには「ヒラケシ」、室町以降の写本には「ヒラクル」とあって、この訓が根拠のないものではないことがわかります。「発」にも「ひらく」の義があるので、訓としては無理なものではない。実は現代の注釈書のなかにも「ヒラク」の訓を採用しているものが存在します。それでも問題となる理由は、「天地がひらく」という表現が古事記の訓みとして適切かどうか、疑問となるからです。「ひらく」は、戸や蓋を押しひろげる意味で用いられる語で、古事記においても、たとえば天の石戸をひらく場面に「開」とあるなどの例が見られます。上代の文献で「ひらく」は、戸のようなものを「わけひらく」というイメージなのです。古事記の「天地初発」は、「天地」が分裂して「ひらかれた」ということでしょうか。「発」にそうした義を読みとれるでしょうか。「ひらく」の訓みに疑問をもち、現在では「おこる」「あわはれる」といった訓の可能性が提唱されています。

何故このようなことにこだわるかというと、より安心して人に紹介したいからです。研究者という人種は、総じて細かいことが気になる性質を有しているのでありますが、文学の分野では特に上代の専門は非常に細かいようです(*あくまでも個人的な意見です)。「発」の例でもそうですが、何というか、切り口が細かい。対象としている資料が全て漢字で書かれているために、仮名成立以後では問題にもならないようなことが研究の対象になるのです。『ぼおるぺん』が『標注』を底本とするのは何か理由があるのでしょうけれども、もし本書が読者層を少しでも古事記を触れたことのある人を対象としているのであれば、ぜひともその理由を知りたいところです。

勝手なことを書いてしまいましたが、要は試しに読んでみてってことです。以上、拙い感想でした。

2012/06/30 12:48 | 諒(奈良時代までの上代文学担当) | No Comments

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