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2012/05/31

なお(平安文学専攻)です。

ここ1~2年、私の周りではちょっとしたベビーブームで、友人たちが次々と出産しています。日々成長していく赤ちゃんたちの姿って、本当に見飽きないものですね。いつか私自身が子供を育てる日が来るのか、それは不明ですし、来るとしてもまだまだ先のことになりそうですが、友人たちの赤ちゃんに会うことは最近の私の大きな楽しみになっています。 (ちなみに、特に文系の研究者見習いは、研究者としての地盤が固まる=就職が出来るのが、かなり遅いものですから、必然的に晩婚・高齢出産が多い気がします。)

親となった友人たちが語る赤ちゃんの話は、人が誕生し、成長するプロセスの不思議さに溢れていてとても興味深いのですが、例えば赤ちゃんがある日右手を発見し、しばらくの間、じっと右手を見つめる・・・などということは、実際に子育てをした人でなければ、なかなか知らないことではないでしょうか(なおは、知りませんでした)。

ある赤ちゃんは、母乳の一部を吐き戻してしまうそうで、友人はガーゼで吐き戻しをせっせとぬぐってあげていました。吐き戻しは、赤ちゃんの胃がまだ未発達で、飲んだ母乳を消化しきれないために起こることで、健康上の心配はないそうですが、友人は赤ちゃんの吐き戻しをきれいにしてあげながら、「これもとは、私の血液なの!!せっかく飲ませてあげたのに!」と主張していました。赤ちゃんは悪くありませんが、たしかにちょっともったいないと思ってしまいますよね。

この吐き戻しというのも、子をもつ親御さんたちにとっては常識なのかもしれませんが、私なおは、実際に友人の赤ちゃんが吐き戻してしまうのを見るまで、全く知らないことでした。

ところが、この赤ちゃんが「吐き戻す」現象、実は『源氏物語』にも描かれているのです!

「横笛」巻に赤ちゃんが「つだみ」(=吐き戻し)をする様子が描かれています。光源氏の息子である夕霧と、その妻・雲居雁の間に生まれた赤ちゃんが、夜泣きをして「つだみ」をする、という場面なのですが、この場面、ちょっとしたホームドラマになっていて、なかなかおもしろいのです。ちょっと、詳しくお付き合いください。

夕霧は、幼なじみで従姉である雲居雁という女性との恋を実らせ、たくさんの子供の父親になり、幸せな家庭を築いていました。ところが、夕霧は亡くなってしまった親友、柏木の未亡人である落葉宮に恋慕してしまいます。落葉宮はその母親と共にひっそりと暮らしているのですが、夫を失った寂寥感の中、しっとりと優雅に暮らしている親子の姿に、夕霧は「あはれ」と感動をせずにはいられないのでした。

それに引き替え我が家は・・・と夕霧は思います。人の出入りが多く、子供たちが騒がしく、妻である雲居雁は、貴族らしい風流な心持ちも忘れ、忙しく立ち働いています。

夕霧が落葉宮邸から自邸に帰ると、妻雲居雁と子供たちは既に格子をおろして寝ていました。雲居雁からすれば、夫が落葉宮に執心しているのがおもしろくないのです。夫の帰りを待たず休んでいるのは、夕霧へのあてつけでもあります。 一方の夕霧は、風流な落葉宮邸に比して、月夜に月を愛でることもなく、さっさと寝てしまう自邸の妻や子供たちにうんざり。格子を上げて、御簾を巻かせて、「こんなに美しい月夜を楽しまないで、寝てしまうなんて。情けない。」などと言って、雲居雁を叱る始末。

子供がたくさんいたりすれば、女性は忙しくてそう優雅でもいられなくなり、ましてや(いくら一人の夫に対し複数の妻妾がいた平安時代の女性であっても)夫がよその女性に心を移せばおもしろくないものだと思いますが、夫としては優雅なよその女性と自分の妻を比べてしまうものなのでしょうか。落葉宮に不器用に恋慕しながら、自邸に帰って風流人ぶる夕霧、いい気なものだと、「イラッ」とさせられます(私だけじゃないはず)。

そうして、格子あげたまま、ちょっと寝入ってしまった夕霧の夢枕に亡き友柏木が立って・・・・・・。ここは、物語進行上とても大事な箇所なのですけれども、長くなるので省略させてください。

ともかく、夕霧が格子を上げたために、故人が夢枕に現れたのですから、夕霧の傍らで寝ていた赤ちゃんも敏感に反応しないではいられなかったのでしょうか。赤ちゃんの泣き声で、夕霧は目を覚まします。

この君いたく泣きたまひて、つだみなどしたまへば、乳母も起き騒ぎ、上も御殿油近く取り寄せさせたまひて、耳はさみしてそそくりつくろひて、抱きてゐたまへり。 (この若君がひどくお泣きになって、お乳を吐き戻したりするものだから、乳母も起きて騒ぎ出し、雲居雁も灯りをお取り寄せになって、額髪を耳に挟んで、せわしなく若君をあやして抱いていらっしゃる)

ここに出てくる「つだみ」というのが、乳を吐き戻すことです。「耳はさみ」は、平安時代の成人女性がフェイスラインに近い部分の髪を少しだけ肩の辺りで切りそろえているのを(=額髪)耳にかけること。生活感溢れる、優雅ではない所作とされました。赤ちゃんが火がついたように泣いていて、お乳を吐き戻してしまったら、母親がなりふりなんてかまっていられないのも道理です。

雲居雁のこの姿は、夕霧をますますげんなりさせるのですが・・・男性読者は夕霧の心情に肩入れしてしまうかもしれません。子育てに余裕がなく、秋の夜の趣深さを自分と共に分かち合おうともしない情緒のない妻が相手では、優美なよその女性に心を移しても仕方がないではないか・・・と。 物語が描き出す夫婦のすれ違い、現在にも通じそうで、紫式部の筆のさえを感じさせますね。

さて、この場面は結構有名な場面で、実は私はこれまでに何度か読んでいるはずの場面だったのです。でも「つだみ」、赤ちゃんのお乳の吐き戻しについて描かれていたことについては、読み飛ばしてしまっていたのか、これまで気にとめることはありませんでした。友人の赤ちゃんの吐き戻しを実際に見た後、たまたまこの場面を読んでいて、『源氏物語』に「吐き戻し」が書かれている!!とびっくりしたのでした。紫式部には、大弐三位という母よりも出世した娘がいますが、赤ちゃんを間近で見た経験がこういう細部の表現にも生かされたのでしょうか。

私は、14歳の頃初めて『源氏物語』を原文で(もちろん現代語訳を頼りながら有名な場面をピックアップしながら、ですが)読み始めました。それから、もうずいぶん長い間この物語を読んでいることになるのですが、『源氏物語』を読みながら、ときたまはっとさせられるのは、自分が年を重ねるにつれて、物語のどこに着眼し、感動させられるかが変わってくるということです。いつか子育てをする日(来るんだろうか・・・)、「老い」を自覚する日(これは確実に来るでしょう・笑)、多分私は『源氏物語』の今まで気付かなかった新たな魅力に気付かされるのではないだろうか、と思っています。

『源氏物語』はどの年代の人が読んでも、男性が読んでも女性が読んでも自分の人生の経験に照らし合わせて共感できる箇所を備えた、懐の深い物語だと思います。もちろん、全編通して読めればそれに越したことはありませんが、一部を読むのでも十分に楽しむ事が出来ます。(それ以前の巻で起こった出来事をある程度押さえていないと理解出来ないところはあるので、必要に応じてあらすじを読んでおくと分かりやすいと思います。小学館から出ている「古典セレクション」版『源氏物語』が梗概や注、現代語訳も備えていて便利です)。

とりあえず、子育てに苦労していたり、ちょっぴり倦怠期になっている(!?)夫婦の皆さんは、夕霧と雲居雁、そして落葉宮の物語である「横笛」巻、「夕霧」巻をピックアップして読んでみるのはいかがでしょうか。物語が意外と身近なものとして感じられるのではないかと思います。

2012/05/31 11:55 | なお(平安時代文学担当) | No Comments

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