2014/01/29

突然ですが、らっこの会は今月をもって、いったんJunk Stageでの連載を終了させていただくことになりました。

私なおが、Junk Stage運営メンバーの須藤さんと桃生さんに出会ったのは、2010年9月のJunk Stage Cafeでのことでした。コラム執筆のお話をいただいて、舞い上がるような気分になったことを、昨日のように覚えています。
 
舞い上がったのはいいものの、一人では心許ないので、頼もしい仲間である諒とタモンに協力を求めたところ、3人の古典文学ユニット 「らっこの会」として活動を始めたらどうだろう、という話になりました。

ユニットとして3人でリレーコラムを連載したいと言ったところ、ありがたいことに、あっさりとOKをいただき、12月には連載開始となりました。当時は気付いていませんでしたが、ユニットでの参加は、それまでのJunk Stageではあまり例がなかったことだったのではないかと思います。
運営の皆さまの度量の寛さに感謝しています。

あれから、2年と少しの時間が経ち、らっこの会のメンバーが置かれている状況も変化しつつあります。
最近では、コラム執筆のための物理的な時間が取りにくくなり、月末の駆け込み更新になってしまったり、月2回の更新が出来なかったりすることが増え、とても申し訳なく感じておりました。

3人で色々話し合った結果、ひとまずは、目の前の研究活動に専念しようということで、今回の結論となりました。

いつの日か、より皆さまと古典の楽しみを共有出来る「新生らっこの会」として再結成出来るように、メンバーそれぞれが、努力していきたいと思っております。

これまで、読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。                                     感謝をこめて。
                               らっこの会 なお。

2014/01/29 08:58 | 未分類 | No Comments
2013/12/01

更新が遅れまして申し訳ありません。なおです。

スタジオジブリの高畑勲監督作品「かぐや姫の物語」公開されましたね。

なおは、まだ観ることが出来ていないのですが、是非観に行きたいと思っています。

『竹取物語』は、古典の超入門の教材として、中学で冒頭の「今は昔、竹取の翁といふものありけり」の部分が良く扱われるのですが、全文を読んだ方は意外と少ないのではないかな、と思います。

どうせ、子供の頃に絵本で読んだ「かぐや姫」の物語だから、内容を知っているし、改めて読む必要はない、と軽んじられがちなのではないでしょうか。

しかし。あの『源氏物語』が「物語の出で来はじめの祖(おや)」と呼び、繰り返し引用しただけあって、『竹取物語』はすごいのです。読みやすい、短い物語ですから、機会がありましたら全文をじっくり味わってみてください。

細かいところの描写が面白いので、まずはそのあたりに注目して読んでも良いかもしれません。

ダジャレも満載です。
かぐや姫に天から迎えが来るのを阻止しようとする場面。帝が遣わした兵士は、

「かばかりして守る所に、蚊ばかり一つだにあらば、まづ射殺して、外に曝さむと思ひ侍る」(これほどまでして守るところに、蚊の一匹でも入れば、まず射殺して、見せしめとして外にさらそうと思っております)

なんて言います。「かばかり(これほどまでして)」と「蚊ばかり」が繰り返されるダジャレです。蚊を弓矢で「射殺す」ことなど出来そうにないですし、その蚊を外にさらしても、小さすぎて見えないですよね。そういう意味でもおかしみがある言葉です。

また、帝の兵士の助力を得て、強気になった翁は、

「御迎えに来む人をば、長き爪して、眼を掴み潰さむ。さが髪を取りて、かなぐり落とさむ。さが尻をかき出でて、ここらの公人に見せて、恥を見せむ」(お迎えに来る天人の眼を、長い爪で掴んで潰してやろう。そいつの髪をとって、引きずり落としてやろう。そいつの尻をむき出しにして、ここにいるたくさんの公人に見せて、恥をかかせてやろう)

と言ったりして、かぐや姫にたしなめられたりします。

ご存じの通り、翁たちの軍勢はあっさりと天人に負けて、かぐや姫は天上世界に連れ戻されてしまうのですから、このように翁や兵士が自信満々なのは、いかにも愚かで滑稽なことです。その滑稽さは、笑いを誘いますが、同時に無力さを自覚しない人間の愚かさ、哀れさをも描いているのだと言えましょう。

なにより、『竹取物語』の魅力の真骨頂は、この物語がこの地上世界を徹底して肯定していく物語であるということでしょう。

かぐや姫がもともと住んでいた天上世界は、清浄で永遠の命が与えられている場所なのだそうです。それゆえに、天人たちは「あはれ」という気持ちを持たない。
「あはれ」というのは一言では表現できないことばですが、心をゆさぶられること言うことばで、よろこびの場合にもかなしみの場合にも使われます。他者と共感できた時のよろこびや、他者をかわいそうに思う気持ちなども「あはれ」です。

この、「あはれ」は不完全な人間だから持ちうるということなのでしょう。

そして、かぐや姫は、清浄で永遠に生きられる天上世界よりも、命が有限で、人は不完全で時に愚かで、不浄のこの地上世界に留まりたいと願っています。これは、物語がこの地上世界を肯定しているということなのだと考えられています。

高畑勲監督の「かぐや姫の物語」がどのような物語なのか、まだ観られていない私は知りませんが、ウェブサイトには、「この世は生きるに値する」と高らかに掲げられています。きっと、『竹取物語』の一番肝心な、現世肯定的な態度が映画にも反映されているのではないかと、楽しみに観てくることにいたします。

2013/11/30

こんにちは、タモンです。

今回は閑話休題ということで、最近思ったことを書こうと思います。

最近、大正期から昭和期にかけての能楽について勉強する機会がありました。勉強する前は、大正時代は、約80年前のことなので随分昔のことという感覚だったのですが、現在の能楽が抱えている問題と地続きなんだと実感しました。

いってみれば、取り扱う題材がどれも生々しい。
時間の亀裂を覗きこんでしまったような感覚になりました。

朝ドラ「ごちそうさん」を見ています。このドラマにハマりました。面白いです。
このドラマは明治~大正~昭和を生きた女性が主人公です。

ドラマは、現在、大正12年(1923)を描いています。
大正時代は民主主義への機運が高まり、女性解放運動が時代でもあります。

これから展開が変わるかもしれませんが、今のところ、タモンは「ごちそうさん」のテーマは、「女たちよ、専業主婦になれ!」だと思っています。

主人公・め以子は洋食屋の娘。夫・西門悠太郎は没落した旧家出身。
め以子は結婚によって、社会階層の上昇を果たします。今のところ、小姑に認めてもらえず、め以子は「女中」扱いです。(関係ないですが女中という言葉が差別語か否か問題になったことがありましたが、その決着ってついたの?という疑問あり)。これは、本来、め以子の出身だと、悠太郎との関係は、女中と主人であったことを示唆しています。め以子が商店街の人々と仲良く、近所から拒絶されていることも、め以子の現在の立場を表しています。家族から求められる「妻」という役割自体が、女中と同様であるという批評性もあるのかもしれません。

「ごちそうさん」は、め以子の階層上昇や、親友・桜子の駆け落ちを描くことで、民主主義が叫ばれた時代背景を匂わせているのだと思います(希子の結婚相手が気になる)。

悠太郎と喧嘩して家出しため以子は、(みんなの協力もあって)1週間で流行らない喫茶店を流行らせることを成功させます。今日の放送を見ていて、「貧乏でもいいじゃん!自分のもつ才気を、女は全部家族のために使おう!!」という空耳が画面から聞こえてきました…。う゛おぉ。
女性解放運動の影響は、もしかしたら、これから希子が担うのかもしれません(そして戦争によって潰される、とか)。

「ごちそうさん」を見ていると、現在も解決されていない女性にまつわる課題、女性と家族にまつわる問題を扱っているんだなあ……、と実感。
それがこれからどのように調理されていくのか、ワクワクしながら見ようと思います。

2013/10/31

「文系院生ってどんな生活してるの?」
と聞いてくれる方には、「売れない漫画家みたいな。」と答えることにしているなおです。

書いているもの(論文)が、掲載されるか分からない、金になるかも分からない(たいていなりません。その論文で賞でも取れば別ですが)、プロ(常勤の研究職に付くこと)になれるかはもっと分からない・・・・・・(嗚呼、書いていて胃がきりきりしてきました)

というあたりが、売れない漫画家と割と似ているんではないかと。

あとですね、〆切前の徹夜と修羅場。
これを全く経験せず、涼しい顔ですらすら論文を書くタイプ(超優等生型もしくは天才型)の研究者もいますが、なおは、〆切直前は血を見ます(汗)。

〆切前の修羅場のイメージが一番定着しているのは、漫画家さんじゃないでしょうか。でも、文系研究者(見習い)の修羅場も負けてませんよ(自慢にならない・・・)

もっとも、「文系院生の生活」を聞いて下さるかたは稀で、むしろいい年して学生をしているなおがよほどうさんくさいのか、「何年で卒業なさるの?」とか、「博士号はいつとるの?」とか、「いつ就職なさるの?」とか、(ご本人は無自覚でしょうが)「尋問」される方の方が多いです。
(ちなみに、前二つの答えは「博士論文が書き上がったら」、最後の答えは「運が良ければ」です・爆)。

もし、文系院生に遭遇することがあったら、あまり「博士論文はいつ出すの?」とか聞かないであげてください・・・「順調なペースで進んでいるので、来年には」と晴れ晴れと答えられる院生もいるでしょうが、なおのように、「・・・・・・」な院生も多いと思いますので。

さて、そんな修羅場の合間に、引きのばしていた、源氏研究者見習いの悩み(3)
「どうも、研究者は一般の方の知りたいことに答えていない、ような気がする・・・」
について書かせていただきます。

一般の方の期待と源氏研究者が提供できる情報のミスマッチ、これが起こるのはいくつかの原因があるように思います。

1.一般の方が求める事柄を、(実は)研究者は研究対象としていない。
2.一般の方が知りたいことは、(実は)答えが出ない可能性が高い。
3.一般の方に、フィクションと現実を混同した質問をされることが多い

1.は、とてもよくあるミスマッチだと思います。
学外の方や、勉強を始めたばかりの若い人達が知りたいと思われることの中には、実在の平安貴族の生活がどのようなものだったのか、ということが多く含まれるように思います。彼らの生活文化を再構築して見せて欲しい、ということですね。

彼らは、何を食べていたのか、何を着ていたのか、寝殿造の細部はどのようになっていたのか、彼らは何を考え、どんな社会的な制約の中で生きていたのか・・・

なおは、割とこの生活文化に関心がある方で、調べてみることもあるのですが、それを調べることが「文学研究」に繋がるんだろうか、と悩むことは多々あります。

平安期の貴族達の生活を知ることは、作品を読む助けにはなるけれども、そのこと自体が『源氏物語』を論じることにはならないからです。生活文化について徹底して調べれば、読み応えのある論文になるかもしれませんが、それでは文学の論文ではなくて生活文化の論文になります。

むしろ、調べる手間が多い割には、注釈の一部を改める程度のことにしかならない可能性が高い。

しかも、調べても分からないことが多い。平安期の建物や装束は残存していないですし、生活文化のような当時の貴族の「常識」がわざわざ書き残されることは少ないのです。

だから、細々とした彼らの生活の実態を調べるような研究は、最近あまり流行っていないように思います。

今は、「たくさん論文を書け!」という圧力がほうぼうからかかりがちです(質より量で判断されている気が・・・)特に若手は無駄な研究は出来ないので(就職かかってますから)、今後ますます、手間のかかる研究は減っていくだろうという気がします。

その結果として、専門外の方々が知りたいことに答えられないようになってしまうと、専門家の存在ってなんなんだろう・・・ということになりますが。

2.は文学研究は、結論を出すことだけを目的としているわけではない、ということが関わってくると思います。
「解釈学」である文学研究は、どういうプロセスで解釈していくか、が重要です。
そして、目の前にある材料から「解釈」出来ることしか、解釈しないのが原則です。

例えば、宇治十帖って紫式部以外の人が書いたんじゃないの!?
と聞かれることがあります。

答えとしては、「紫式部が書かなかったという積極的な理由はない」と言うしかありません。紫式部が書かなかったことを証明することは出来ないのですが、紫式部以外の人が書いたということを証明するほどの根拠もない。物語の舞台が違うから、仏教に傾斜しがちだから、等々いろいろ言われているようですが、山里を舞台とした物語は正篇でも夕霧巻に見られますし、仏教と救いの問題も正篇からすでに繰り返し取り上げられています。

むしろ、研究者たちは「宇治十帖の作者を特定する」というような答えの出ないことは、問題とせず、宇治十帖が内容的に正篇とどうつながり、どうつながらないのか、といった文学テキスト内部から証明出来る問題に向き合っています。

(これはちょっと以前、諒が、箸墓古墳が卑弥呼の墓か否かなんて、どうでも良いと言っていたことに重なるかもしれません。論理的な証明が不可能な問題には取り組まないのは、研究者の節度なのです)

また、「お歯黒っていつから始まったの?」などと質問をいただいても、お答えしづらいことが多いです。「いつから」と時期を区切れるものでもないですし、1でも書きましたが、文学研究者にとって、基本的には「お歯黒の文化史」のようなことは本来は、範疇外なんですよね・・・自分が解釈しようとしている場面にどうしても必要だったら調べますが・・・

とはいえ、なおは文化史的なことも嫌いじゃないですし、今後も機会があったら調べたことを報告したり、文化史的なことを基盤とした面白い文学研究を紹介していきたいです。

そして、一番多いのが3!
恋に殉じて死んでいく、柏木の物語などを読んだりすると、
「平安時代の男って、恋のせいで死んだり良くしていたの?」
と聞かれることが多いです。「虚構の世界ですから!!」とお答えするようにしています。

あるいは、「明石中宮が、宇治十帖になると急に家庭的になって、息子匂宮の行動を監視したりするのは、やっぱり正篇と作者が違うからなのでは?」
と、2と3の問題を組み合わせたような質問にもよく出会います。
光源氏の娘、明石中宮はもちろん生きた生身の人間ではないので、生き方・考え方などに必ずしも一貫性があるわけでもありませんし、すっごい脇役なので作者の都合で設定変更とかされやすい訳です。それを、作者の違いにもっていくのは、飛躍しすぎのように思います。

・・・とまあ、色々述べてきたのですが、私自身、「研究」を始める前の子供時代、紫の上ってきっとこういう人、と妄想したりするのが大好きでした。自分もいわゆる十二単を着て、作中人物と会話出来たらよいのに、と思うような、フィクションと現実の区別なんて全く付いていない子供だった訳です。

そういう少女時代の夢を大切にしつつ、でも研究者(見習い)としての良識も守りつつ、なんとか文学愛好者の方々、源氏愛好者の方々と研究者の間の橋渡しをしていけたらな、と思います。

長々とした愚痴を、3回に渡って掲載してしまい、どうも失礼しました。

2013/10/31

こんにちは。諒です。
10月も今日までとなってしまいました。
もう冬ですね。家の中が寒いです。
でもまあ、せっかく予告をしたので、秋の歌でも見たいと思います。

 

萬葉集は、全二十巻、巻ごとに構成(部立)が異なりますが、そのうち、巻八と巻十は、四季ごとに「雑歌」、「相聞」を立てています。つまり、「春雑歌」、「春相聞」といった具合です。今回取り上げる歌は、「秋雑歌」に収められています。

 

     芳(か)を詠む
  高松の此の峯もせに笠立てて盈ち盛りたる秋の香の吉さ(巻十・2233)
  (高円山の峰を狭しと、笠をたてて盛んに満ち満ちている秋の香りの、何とよいものか)

 

「高松」は地名で、現在の春日山の南にある高円山のこととされます。「せに」は「狭に」、「笠」を立てるのは、キノコです。

この歌、結句に「秋の香」とあるので、香りを詠んだ歌に違いないと思っていました。まあ、結論から言うと、それで間違いはないようです。ただ、さりげなく注釈書を広げてみると、「芳」に「きのこ。特に歌の趣から松茸の芳香をさしたと思われる」(新編日本古典文学全集『萬葉集』)と注が付けられておりまして、驚きました。

え。「芳」ってキノコのことなの?

って感じです。この歌の題があらわす通り、巻十には、詠物歌が収められています。詠物歌とは、「物」へと視点をむけて、それを詠んだ歌で、中国の詠物詩に倣ったものとされています。「芳を詠む」歌は、この例以外に見られませんが、これを、ふつうの「物」と考えると、「芳」が「香り」であることはおかしい、ということになるでしょう。

しかし、詠物歌の「物」のなかには、「風」や「雨」など、天象に関わるものも含められ、「芳」は、香りという「物」を言うと考えられます。「芳」が香りをあらわす「カ」を指すことは、「香具山」が「芳山」と表記される例があることも、証拠となります。上代において、「カ」は、ただ嗅覚的なものをいうばかりでなく、視覚的、 複合的な ちなみに、「芳」という字には、草花の意味は見られますが、キノコの意味は無いようです。

というわけで、先の注釈書は誤解を生む説明であると言わざるを得ません。歌は、キノコの香りを詠んでいますが、題「詠芳」で限定されているわけではないのです。

さて、注釈書を見ていると、さらに不思議な点がひとつ。それは、このキノコを松茸に限定する注釈書が、多くあることです。

なんで松茸?

という素朴な疑問。「高松」は地名ですが、語感から松に生えるキノコが想起されるのかもしれませんが、特にそういった説明は見られません。それに、何も松茸でなくとも、香り高くて美味しいキノコは他にいくらでもあります。「秋の香」がするキノコといえば、松茸だから、という説明が多い中で、窪田空穂の「松茸といわず、『笠立てて』といい、『秋の香』といって、その特色を描き出し、またその多さをいっているのは、すべて喜びの気分の具象化である」(『萬葉集評釈』)という評にある程度共感しますが、松茸説を推す伊藤博氏の解説には興味深いものがあります。

「筆者は京都高雄の山奥で、澤潟久孝先生とともに、全山に松茸の林立する姿に接したことがある。足の踏み場もないほどにびっしりと生い並ぶ松茸は燃え立つ芳香を放って、華のごとくであった。この光景に接した時は、しばし茫然、声を呑まざるをえなかった。昭和二十八年のことである」(『萬葉集釋注』)

なるほど、そういった光景、見てみたいですね。実際に生えている松茸はおろか、採りたての松茸にもお目にかかったことがないので、松茸の本当の香りというのを、自分はまだ知らない気がします。こればかりは、松茸の本当の素晴らしさを知らないと、断ずることができませんね。

 

2013/09/30

こんにちは、タモンです。

 

中秋の名月、秋分の日が過ぎ、もうすぐハロウィーンです。

今年も残り三か月。

心は浮きやかに、

態度は淡々と、粛々として日々に臨みたいと思います。

 

今回、秋ということで、能「松虫」を取りあげたいと思います。

 

能「松虫」のあらすじは…。

津の国(現在の大阪府)阿倍野に現れた男の亡霊。男は、松虫の音を聞きながら、生前友と交わした友情を思い出し、酒宴の舞を舞う。

 

舞台は阿倍野。

テレビ番組「月曜から夜ふかし」で「あべのハルカス」という高層ビルが建つことを知りました。その阿倍野です。

 

この能は、『古今和歌集』仮名序「松虫の音に友を偲び」という箇所について、『古今和歌集』の注釈書『古今和歌集序聞書』(別名・三流抄)の解釈を下敷きにして、あらすじを仕立てています。

 

男の亡霊が友情のために舞を舞うというのは、能では珍しいモチーフです。

そもそも、亡霊が現世にとどまる執着心の中味がよくわからない。

なので二人は恋仲だったという説もあります。愛する人を先に亡くした男が、亡霊となっても二人の思い出の松虫(待つ虫)の音を聞いているうちに、自分もまた松虫の精霊になっていくような感じがする…。そんな解釈です。

 

中世において、男色はひとつの愛の形であり(実態がどうであれ)、文化の一角をなしていました。

妄執を抱える理由として、友情よりも恋情のほうがしっくりくるという説も納得できます。

 

タモンは、詞章を読むかぎり、友情でもいいじゃん!と思っています。

「心の友」が自分より先に死んだことがあまりに悲しくて亡霊となった男の物語でも、不自然さはない気がするのです。

が、この解釈は現代的なのかもなあ…とためらう部分も。

いわゆる、日本文学で「友情」を「発見」した人は誰なんでしょうかね。武者小路実篤?そんなわけないか。

 

タモンが一番好きな箇所はクライマックスのここです↓

 

シテ/面白や、千草にすだく虫の音の

地/機(はた)織る音の

シテ/きりはたりちやう

地/きちはたりちやう、つづりさせてふ、きりぎりす・ひぐらし、いろいろの色音の中に、別(わ)きてわが偲ぶ、松虫の声、りんりんりん、りんとして夜の声、冥々たり

 

※きりはたりちやう→キリ・ハタリ・チョウは機織りや虫の音の擬音語。

※夜の声→通常、鶴の鳴き声に用いられる表現だが、ここでは「夜の静けさをやぶる虫の音」の意で用いられる。

 

昔、「音」は「声」でした。

『平家物語』冒頭「祇園精舎の鐘の声」のように、「鐘の音」ではなく「鐘の声」でした。

 

能「芭蕉」に、「芭蕉に落ちて松の声、あだにや風の破るらん」

という異格の表現があります。

芭蕉葉を破り、吹き落とす松風の音。

その風音が「松の声」と表現されています。

 

能「松虫」では、

松虫の音を「夜の声」とします。能「小督」にも見られるものの、珍しい表現です。

静謐な夜を破る、「りんりん」という音。

その音が暗闇に融けあっていくさまが、「冥々たり」と表されています。

この箇所によって、

漆黒の闇に包まれた草原で、虫の音、それも松虫の音だけが際だつ風景が立ちあがってきます。

虫の音を「面白や」と捉え、その風流を愛でつつ、

その「声」が響く「夜」も愛しむ感じの表現に心惹かれるんです。

 

最後、

「朝(あした)の原の、草茫々たる、朝(あした)の原に、虫の音ばかりや残るらん」

と終わります。

夜明けとともに亡霊は消え、「声」ではなく「音」ばかりが響く草原の情景です。

 

2013/09/30

こんにちは。諒です。

最近は、風も涼しくなりまして、すっかり秋めいてきました。

今回、久しぶりに萬葉集でも取り上げようかと思いまして、見つくろっていたのですが…

ちょっと今、時間がないので、予告だけさせてください。(色々なものの締切に追われ、結局まだそちらも終っていないという悲惨な状況をお察しください。)

せっかくよい季節なので、秋の歌を取り上げようと思っています。萬葉集といえば萩ですが、他にも様々なテーマで詠まれていて、詠物歌の中には、風や香りをテーマとする歌があったり、面白い歌が結構あります。

そうした中から何か紹介できればと思っているので、特に期待はしなくてよいのですが、また見ていただければと思います。

何か感想でも書ける有意義な活動をしていればよかったと思うこのごろでした。

2013/08/31

こんばんは。なおです。

先月考えようとして、ぐるぐる考えて煮詰まったあまり、発熱して先送りにした問題について改めて書かせてください。書いているなおもまた発熱しそうな、そしてもし読んでくださる方がいるとして、その方に楽しんでいただけるか、はなはだ自信の持てない内容です(すみません・・・)

でも、「源氏研究者見習い」の愚痴というか悩みというかが、Web上に公開されているのってちょっと稀少?かも。と開き直って書くことにします。

先月来なおが「悩んでいること」とは、(うんと簡略化して書けば)

なんか「源氏研究者」が「業界外」の方たちに向けてお話をしたり、本を書いてもいまいちウケてない気がする。

というか、「源氏研究者見習い」の私、ここJunk Stageで、一体何を書いたらいいんだろう!?

という、なんというか、誠に年甲斐もなく(汗)青臭い、しかし、だからこそなかなかに根源的な悩みで、なおは一人じたばたともがいている状態です。 (このままでは、Junk Stageの更新が滞る程度には深刻です・笑)

研究者の中にはすごく話が上手くって、学生のみならず学外の方の心も、ぐっと掴んでしまうタイプの人が確かにいます。でも、そういう先生が『源氏物語』の入門書を書いた場合でもたいてい、その売り上げは、有名な作家や評論家の書いたものにはかなわないでしょう。

これには、いくつかの理由があるように思います。

1.研究者の名前は(「ギョウカイ」では有名であっても)、一般にはあまり知られていない場合が多い。逆に、有名作家や評論家はなじみがあるので、書店で著作を手に取りやすい。 (一般の方が、研究者の善し悪しを判断する材料は、「○△大教授」のような肩書きぐらいしかない)

2.研究者が書くものは、歯切れが悪い。分かりにくく感じられる場合も。

3.知りたいことに答えていない。宇治十帖の作者は本当に紫式部なの!?etc…

といったところでしょうか。

 

上の問題点の対策を考える形で、今後のなおがJunk Stageでどんなことをやっていきたいのかも整理してみました。

1は、やむをえない面もありますよね。「大学教授」(特に有名大の教授)が絶対的な権威だった時代は終わって、読書好きの方たちが、是が非でも大学教員が書いた本を読破しようということもなくなりつつあるのでしょう。

専門家でも分かりやすくて面白い本を書いている人はたくさんいるのに、なかなか一般の方の手に届きにくいのは、残念なことです。このコラムではこれまでも、何冊かの本を紹介してきましたけれども、もっと積極的に『源氏物語』入門書の紹介をしていこうかなと思います。

2。研究者にとって「簡潔である」ということは結構危険なことなんです。

研究者には制約が多いのです。

原則として研究者は、自分の考えを論証しなければならない。たくさんの証拠を示しながら、自説を説明したり、反対意見に反論したりして、筋道立てて論じていかなければなりません。この論証が、たいていの場合「うねうね」とならざるを得なくて、(都合の悪い「例外」があったりして、その部分を説明しなければいけなかったりします)、研究者ならともかく、普通の読者なら「で?結論はどうなのよ!?」といらいらする感じになりがちです。

特に『源氏物語』は膨大な研究の歴史(なんと平安末期から注釈があります!)があり、研究者はなかなかそれを無視できない、という制約もあります。

例えば、 「『源氏物語』の主人公、光源氏の正妻であった紫の上は、若菜上巻で新たに光源氏の正妻となった女三宮に正妻の座を譲ることとなった」

という記述があったとしましょう。これが、作家や評論家によって書かれたのであれば、さほど問題はないだろうとなおは(個人的には)思います。

しかし!『源氏』研究者を名乗る人間がこれを書いたら大問題なのです。

紫の上が光源氏の「正妻」であったかどうかについては、専門家の間でものすごく意見が分かれているからです。そもそも、平安時代がいわゆる「一夫多妻制」であったかどうかについてもたくさんの議論がなされてきました。

研究者が論文を書く手続きとしては、この膨大な先行研究を整理して説明した上で、自説を立証しなければなりません。 でも、多くの普通の方はそんな説明を聞きたくはないでしょう(実は研究者見習いであるなおも、少々うんざりしている)。

ここがとても苦しいところなんです。「簡潔に」といっても限界がある。

というわけで?これまでなおは、平安時代は「いわゆる一夫多妻制」である~のような表現でごまかして、「一夫多妻制ではない、という立場もあります」という注をつけるというようなことをしてきました。

先日、語源を紹介するテレビ番組で、紹介の度にテロップで「ほかにも諸説あります」と小さく出ているのを見て、「これこれ!」と思いましたよ。 クレーム(!?)が出ないように、あらかじめ予防策?を取っておくのですな。

研究者にとって、この一手間はかなり大切で、つまり自分が採用した説以外の説があることをちゃんと承知しています、ということを示す必要があるのです。無知でこういう結論になったのではないよ、というわけです。

それじゃあ、おまえは紫の上を「正妻」説なのか、非「正妻」説なのか? ごちゃごちゃ言っていないで、結論と理由を簡潔に説明せよ!

という気分になってきましたか?

(もしくは、まわりくどくって、質問する気も失せるくらい疲れたよ、パトラッシュという気分でしょうか)

これに答えるのは、出来れば勘弁して欲しいなあ・・・という質問です。

私なおは、「紫の上が正妻であろうとなかろうとどっちでもいいんじゃん(多分物語読解のポイントはそこじゃないよ)」という立場です。

いいかげんに聞こえます?

「理由を簡潔に」言うのも難しいのですが、「光源氏と紫の上の結婚って異例ずくめでちょっと当時の歴史上の一般的な結婚に当てはめて考えるのは無理だよね。まあ、物語だし、そういうこともあるさ」という説(なおによる意訳)に深く共感するからです。

3.については、一番重要なところなので、この話題をもう一回引きのばして、書きたいと思います。

「研究者(見習い)がまわりくどい理由をまわりくどく考える」回になってしまいましたが、(もしかしたらいるかもしれない)読んでくださる方を想定しながらこの問題を考え、説明していくことは、なおにとって重要なプロセスになりました。もし読んでくださった方がいらっしゃいましたら、いつもにまして御礼申し上げます。

2013/08/31

 

こんにちは。タモンです。

 

大妖怪展@三井記念美術館に行ってきました。

この間、京極夏彦による「鬼縁」朗読を観ました。今年の夏は妖怪に縁があるかもしれません。

 

セッパツマッテイテモオモワズイッテシマウカナシサ。

 

展示の主な流れは四つです。

○浮世絵の妖怪

○鬼と妖怪

*鬼神(荒ぶる神の擬人化)、*天狗と山姥(異界の魔物)、*怨霊(人間の鬼神化・妖怪化)、*動物の妖怪(動物の擬人化、妖怪化)、*器物の妖怪(器物の擬人化、妖怪化)、*百鬼夜行

○江戸から明治の妖怪

*博物学的視点と娯楽的視点、*妖怪実録

○現代の妖怪画

*ゲゲゲの原画。水木しげるの世界

 

この他に、近世近代の妖怪研究者(平田篤胤、井上円了、柳田国男、江馬務)についてのパネル展示などがありました。浮世絵・絵巻・版本・能面、そして原画などによって、妖怪の系譜を辿るのが趣旨でした。おもに近世成立のものが多かったように思います。

 

闇や恐怖について考えた2時間でした。

タモンから見ると、これら化け物の絵はアニメや漫画みたいで、ちっとも恐くなかったです。鬼神の絵も。中世よりも江戸の方が現代に繋がる種が多いと思うのだけれど、江戸時代の人々は、これを見て「恐いな。不気味だな。怖ろしいな」と思ったのかなあ。不思議です。どれをとってもコミカルなんだもん。現代と江戸時代では現実とか闇に対する認識が違っていたのか。身近な存在である故の親しさなのか?畏怖の念?それとも大して変わらないのか?いや、うつつの視え方はたしかに違うと思うのだけれど、その差異をうまく説明できないな、と思った感じです。闇を戯画化したり、境界のものを実体化したりする作法は、あいまいなものに名前をつけることでもあって。名前をつけたらそれは、ひとつの存在になるわけで。でもそれはあいまいなものをあいまいにしておくための技術でもあったりする。闇や恐怖に向きあう親しみみたいなものが、現代では見えにくくなっているのかもしれないとも。現代だと、闇や恐怖を見つめると、共同体ではなく(家族もその対象でなくなってきている感じがします)、人間の「心」になってしまうからオーラなんかのスピリチュアルが人気でるのかもしれないなあとも思いました。

 

地獄って楽しそうだなあ。

 

2013/07/31

こんにちは。諒です。

そういえば、「あぐら」の話、完結していませんでした。引き延ばすほどの結論ではないのですけれどね。

タケミカヅチが天孫降臨の先遣隊として地上につかわされ、地上の神大国主神の前に現れ時の様子は、剣を浪の穂の間に逆さまに立て、刃先に「あぐら」をかいて坐した、とされます。この現れ方について、面白い説があります。

『信西古楽図』(成立は平安時代中~後期とされる)という、舞楽を図で説明した作品があるのですが、その中に「臥劔上舞」という図がありまして、これは剣の先端で何やら人が舞っている様子を描いたものなのです。近藤善博氏は、「劒尖に坐す神」(国学院雑誌、昭和35年5月)で、「雷を劒尖上にて制禦する」姿が、こうした様子と重ねられることを説いておられます。「臥劔上舞」、確かに面白い図です。東京藝術大学の収蔵品データベースで模本の画像が見られます。↓

[http://db.am.geidai.ac.jp/object.cgi?id=19759;image_file=EH0211821.jpg#imagetop]

でも、本当にこのような軽業と、降臨して剣の先端に坐す神が重ね合わされるでしょうか。

 

実は、剣の刃の先端に現れる神、というモチーフは、ひとり日本神話に見られるだけではありません。『剣の神・剣の英雄 タケミカヅチ神話の比較研究』(法政大学出版局、昭和56年)という本で、吉田敦彦氏は西欧にも、神が剣の先端に降臨するとされる話があることを論じておられます。その姿の発想は軽業に求められるものではなく、神話的な発想として剣の先端に神が宿ると考えられたことを受け入れるべきだと思われます。

ただ、世界的に見ても、タケミカヅチに特徴的なのは、「あぐら」をかいていることです。この姿というのは、どのようなイメージをもてばよいのでしょうか。

ところで、上代に「アグラ」というと、足を組んで坐ることではなく、貴人の坐す椅子のことを指します。「胡床・呉床」と書きます。上代では神や天皇が坐るものとして出てきます。現在の「あぐら」をかくこととは違う意味ですが、その椅子に坐るときには、足を組んで坐るので、この際、参考になると思います。その姿を想像するために、人物埴輪を見てみます。…著作権が気になるので、手書きです。若狭徹氏の『もっと知りたい はにわの世界 古代社会からのメッセージ』(東京美術、平成21年)を参考にしています。

 

群馬県の綿貫観音山古墳(6世紀後半)の王の埴輪を模したつもりです。実際の埴輪は、もうちょっと面立ちのよい人です。儀礼の場面であると考えられています。

この埴輪は、がっつりと足を組んだ、「あぐら」をかいた状態ですが、これよりも足を緩めた状態の埴輪(「胡坐」と言います)も別の古墳で出土しています。埴輪の坐る台を「胡床」と言ってよいのかわかりませんが、貴人が「胡床」に坐る姿とは、このような感じであったと考えられます。そして、この台を剣に替えれば、まさしくタケミカヅチの姿になると思うのです。

神話や伝説で、神や天皇が「胡床」に坐る場面は、戦や狩であることが多いです。また、『日本書紀』に、即位前の継体天皇(元年正月六日)が、「晏然(あんぜん)自若(じじゃく)にして、胡床に踞坐(ましま)す。陪臣を斉(ととの)へ列ね、既に帝の如く坐します」(悠然として、胡床に坐っておられる。諸侯を列し侍らせ、その姿はいかにも帝王のようであられた)とあることからも、「胡床」に坐すことが権威を示すと理解されていたことは、疑いありません。

これに鑑みると、国譲りの場面において、タケミカヅチが剣の先端に「あぐら」をかくのは、国つ神の大国主神よりも、上位にあるべき存在としての権威を知らしめる、そのことをあらわす姿なのであると、考えられるのではないでしょうか。

これは、現在考え中の問題なのでもしかするとそうではないかも知れませんし、タケミカヅチが「あぐら」をかいている意味はそればかりではないかも知れません。その検討は今後の課題です。

というわけで、この話はこのへんで。

埴輪、よく見ると、かなり精緻でリアルにできています。なかなか興味深いので、機会があればぜひ観察してみてください。

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