« | Home | »

2011/06/21

諒です。今回は、「ますらをぶり」ということについて、少し。

 まず始めに、このテーマに関して私はまったくの素人だということをお伝えしておかなければなりません。「ますらを」について論文を書いたとか、調べているとか、賀茂真淵の研究をしているとか、教育に情熱を燃やしているとか、そんな事実はございません。従って今回はほぼ感想です。でも、気になったので取り上げてみました。

 事の発端は、高校で古典の先生をしている知り合いとお茶をしていた時でした。高校で萬葉歌を教える難しさのひとつに、中学校までに「萬葉=ますらをぶり」と教育されていることがあるという話を聞いたのでした。

 中学校で学んだ萬葉の知識を高校まで覚えていることにまず感心しますが、やはり「萬葉=ますらをぶり」観にはちょっと疑問を抱きます。『萬葉集』に触れた事のある人にはご理解いただけると思うのですが、4516首もあるこの歌集において、「〈ますらを〉らしいナア」などと感想をもつ歌は全体の一割もないでしょう。大体、第一首目からしてナンパの歌です(注:見解には個人差があります)。

 しかし、□年前に高校で使っていた『新訂総合国語便覧』(第一学習社)には、『萬葉集』について「感情を率直にうたい上げる伸びやかな『ますらをぶり』が基調となっている」(線部太字)とあって、どうも「ますらを」と「ますらをぶり」は若干違うらしいと思い立ちます。

 そもそも、「ますらを」とは、立派な男子といった意味で、大伴家持などはこれを官人としての誇りを示す語として用いています。「ますらをぶり」とは、賀茂真淵(1967~1769年)が提唱した用語で、『和歌文学大辞典』(明治書院、1962年)によると「男性的で力強く、統一率直な傾向を意味し、『まこと』『まごころ』また『直き一つ心』などと結びついている」(井上豊氏)とあり、これを参考とすれば、真淵はかなり幅の広い義で用いていたようです。真淵は歌人・国学者としての立場からこれを追求していったのでした。

 つまり、「ますらをぶり」は「ますらを」の語義を包括しつつ、更に大きく捉えて、すなおな心を率直にあらわした、おもに男性的な歌風ということのようです。

 私は教育現場に全く関わっていないので、いったい中学校や高校で「ますらをぶり」をどのように伝えているのか知りません。授業で教わるのは、例えば以下のような歌でしょうか。
    あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る (額田王、巻1・20)
これを「ますらをぶり」で説明するのはちょっと難しいように思います。
    瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来たりしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐し寝さむ (山上憶良、巻5・802)
憶良なら、「憶良等は今は罷らむ・・・」(巻3・337)の方かも知れません。これなら子供を思う素直な心を詠んだということで、「ますらをぶり」で行けるのかもしれません。では、大伴家持の以下の歌。
    春の園紅にほふ桃の花下照道に出で立つ娘子(巻19・4139)
    もののふの八十娘子らが汲み乱ふ寺井の上の堅香子の花(同・4143)
これらを学校で教えるのかは知りませんが、家持の秀歌として有名な歌です。「娘子(をとめ)」の様子が情景も豊かに歌われています。このあたりの歌は、「ますらをぶり」として括るのはかなり躊躇われます。

 家持の歌は一般的に繊細で優美と評されています。ただし一方で斜陽貴族として、官人意識も強く、「ますらを」の語は天皇に仕える武門大伴家を意識させる歌(例えば「喩族歌」巻20・4465など)に見られます。家持は、「ますらを」意識を多く歌に詠み込んだ歌人でもあるのです。

 『萬葉集』も第四期になると技巧が光ってきて、平安時代への展開を考えさせるような歌が見られるようになります。だから「ますらをぶり」(すなおで率直な表現)の全盛ではないのでは?ということも可能です。しかし、家持の周辺で多く「ますらを」が歌われており、その語を冠する真淵の「ますらをぶり」という概念もこの時期の歌の特徴を覆っていないわけはないと考えられます。でも実際、「技巧が光る」或は「技巧を模索した」この時期の歌は「ますらをぶり」の考えとはそぐわないようなものが多い。

 とすると、そもそも「ますらをぶり」という言葉自体に問題があるのかも知れません。というよりも、真淵の考えはそれとして、現在の学問状況に合せた理解が必要だと思います。真淵やその門下生たちの場合、萬葉の歌風を「ますらをぶり」、平安時代の歌風を「たをやめぶり」というのは、『萬葉集』や『古今集』以下の歌うたに親しんだ結果として共感されたもののはずです。でも、古典や歌の初心者にとって、果してその概念は古典の理解にどれだけ有効なのでしょうか?先の額田王の歌を伝えるにも、憶良の漢籍や仏教の知識による表現の工夫を土台とした歌を伝えるにも、家持の繊細な様子を表現した歌を伝えるにも、「ますらをぶり」では限界があるのでは?教育の現場で概念の形成は大事ですが、実際とそぐわない枠組みは混乱を招きます。伝えたい歌があるなら、伝わるように伝えなければなりません。自戒も込めて。

 勝手なことを書きましたが、これは私が自由な身分で(つまり無責任)あるためです。これをきっかけに、教育に活かせるような、新しい枠組みを考えてみたいですね。
以上、感想でした。


Trackback URL
Comment & Trackback
Comments are closed.

[…] 一方、諒さんは奈良時代の文学である上代文学を専攻。一般に「おおらか」「素朴」と称されることの多い古代日本の文学はあくまでも「文学」であるということを念頭に、それらを理解するための周辺トピックに常に目を光らせています。例えば古代、女性はどんな座り方をしていたのか?、古代を扱った漫画を読めばルビに首をひねり、当時の氷はどうやって作られたのか、また利用したのかと調べ、日本における春の花の変遷などを丁寧に拾い上げる。 その姿勢は流石、研究者だなあと思わせられます。 でもやっぱり、諒さんのコラムの面白さはこれら真面目な考察の中に時折混じるユーモアのセンス。“ますらおぶり”と習ったはずの「万葉集」は「第一首目からしてナンパの歌」とさらっと言ってのけたりできるのは、やはりそれだけ言葉に対するセンスが鋭敏なのだろうなあと感じます。 […]