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2013/05/31

こんにちは、タモンです。

今回は「足袋」について、少しまとめて見ようと思います。備忘録的な感じです。

私たちの日常生活で足袋を履く機会がたくさんある人は、現代では少なくなっているかもしれません。ただ、職業でいえば鳶職や大工さんなら地下足袋を履くし、古典芸能に関わる芸能人(能楽師・歌舞伎役者・噺家など)も足袋を履きますね。茶道や日本舞踊などの和物のお稽古事をやられている方は、足袋が身近かもしれません。

タモンも仕舞の稽古や発表会の時くらいだもんなぁ……。

 

平安時代の貴族たちが履いていたのが「襪(しとうず)」です。

デザイン的に、韓国ドラマの王朝物「トンイ」の女官や王族たちが履いているものに似ています(白足袋がゆったりな感じ)。

語源はおそらく「したぐつ」の訛りだろう、と考えられています。束帯(宮中における男性の装束)の時などに、沓(くつ)の下に用いる布製のはきもので、足袋のような指股は「ありません」(←これが特徴)。見た目は靴下ですが、足首の部分は紐で結びます。平安時代に礼服に錦製の襪、朝服に白襪を用いると定められました。基本は貴族階級のみに許された履物で、身分を超えて広がることはなかったようです。ただし、室町時代、江戸時代の貴族たちは足袋を履くようになったそうです。この頃になると、大多数の貴族の生活は苦しいものでしたから、正装とされていた錦の襪が実際のところどの程度用いられていたのかははっきりわかりません。

 

「足袋」は「単皮」とも書きました。

これは元来足袋は皮(革)でつくられたところから、「単皮」の字をあてたと推測されています(『和名抄』に「単皮」の字が見られる)。そのほかの語源説に、「旅沓」(たびぐつ)の略で「たび」になったという説、足袋の形を鼻に見立て、両足そろうと4つの鼻に見えるために“多鼻(たび)”と呼ばれるようになったという説や、鹿皮の袋を履いて旅に出たので、その履物を“たび”という言葉が生まれたという説などです。

 

革の足袋は、はじめは戦場や旅など野外で武家を中心として用いられました。ただし、足袋は非日常の履き物でありましたので、武家の正装・日常の格好も「素足」にすべきだ、という考えは室町時代中期まであったようです。足利将軍義教の肖像画も素足の姿で描かれています。もう一歩踏み込んでいえば、この頃の武士は素足文化で、足袋を履いて人前に出るのは無礼と思う感覚があったのかも……。

 

この皮足袋の名残が狂言の足袋にあると云われています。

狂言師の足袋は、ひよこ色みたいな淡い黄色、もしくは薄茶色の縞が入った縞模様の足袋です。能楽師は白です。

色の染められていない皮足袋を狂言師は長く用いていたので、木綿になってからも色付きの足袋を履いていたそうです。

 

応仁の乱がおこると、武準戦闘服である足袋つきの姿が次第に武士の正装として登場するようになります。戦国時代になると、南蛮産の鹿皮が盛んに輸入されて武具に用いられるかたわらで、鹿皮の足袋が用いられます。これは防寒用にも大変役立ったようで、江戸時代初期にはホッカイロのような扱われ方で、庶民に愛好されました。

 

ちなみに、現在、足袋の原材料としてポピュラーな木綿(ポリエステルとか化学繊維の方が有名かも)ですが、これ平安時代末期~鎌倉時代初期に輸入品として伝来しとても貴重で、鎌倉時代中期~室町時代に大量に輸入されるようになりました。戦国時代になると、南蛮貿易が行われるようになって、人々に木綿が普及しましたが、木綿製の足袋は江戸時代まで登場しなかったようです。

鹿皮に代わって木綿製の足袋が登場するのは、鎖国がきっかけでした。輸入に頼っていた鹿皮が鎖国によって入ってこなくなったのです。その代替案として、木綿製の足袋(安上がりでもあったみたいです)が製造されるようになりました。あと、太平の世で皮足袋は人々の目には無骨なものと映ったのかもしれません。

 

あ、江戸初期には女性も足袋を履くようになります。

 

当時の武家には江戸時代以前と同じく足袋の使用に関する厳しい規定があったようで、足袋を用いることができるのは50歳以上の高齢者(←江戸時代では、です)で、10月1日から2月20日の間とされ、病気等で足袋を用いるとしても「足袋御免」と呼ばれる主君の許可を得なければならないという決まりが『宗五大雙紙』に記されています。この決まりは1862年(文久2)という明治維新直前まであったそうですが、実態は有名無実化していたのではないか(庶民は防寒用で足袋を履いていたので)と勘ぐってしまうところです。武士の精神として、素足が基本だ、という考えはこの頃まであったのでしょうね。

 

江戸時代の芸能といえば歌舞伎。現在だと足袋は白が一般的です。歌舞伎はさまざまな色・形の足袋が用いられます。江戸のイケメン「助六」は、黒紋付に真っ赤な襦袢、黄色の足袋を履いている姿の絵があります。

 

明治維新以後は西洋の文化が輸入されたこともあって、靴の下に靴下がはかれることが一般的になりました。それとともに、皮足袋よりも木綿足袋のほうが靴に履きやすいこともあって、木綿足袋が大多数を占めるようになります。

 

以上、簡単に足袋の歴史をまとめてみました。

今度、歌舞伎を見に行ったとき、足元を見てみようと思います。どんな江戸の粋が表現されているのかな。

 

2013/05/31 06:45 | タモン(中世文学担当) | 1 Comment

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[…] そしてタモンさんは曰く「メディアの多様化が行われた時代」である中世のなかでも最先端のメディアミックスジャンルである能・狂言を専門としている研究者。 当時既に成立していた物語素材から想を得た文芸作品であり、舞台芸術として今日でも人気の高いこのジャンルからタモンさんが読みとろうとしているのは、生と死が身近にあった時代の人々が何に救済を求めてきたのかという心のありようです。それだけに、コラムで扱う内容も多岐にわたるのは当然のことでしょう。ご自身でも仕舞を習われているということから「足袋」や「袴」に関するものや、昨年の大河ドラマ「平清盛」に関する考察など、ざっと挙げただけでもこれだけの多様さ。 勿論、能の素材ともなった物語(例えば卒塔婆小町で知られる小野小町などにもきちんと目配りがされています。 […]