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2012/04/30

こんにちは。なおです。
先日、あるファッション誌のエッセイを読んでいたら(研究者見習いだって、たまにはファッション誌を読むのです。個人差はあると思うけれども)

「友人が「学者」という珍しい職業の人たちと合コンをした」

という文言が目を引きました。

「学者」(というか「研究者」)って、世間からするとすごく珍しい存在なんだ!!
と、今さらながら驚かされたのです。

たしかに、「研究者見習い」である私は、変わった、異質な存在として扱われることが多いですし、一体何をやっているのか、不思議がられることも多いのです。
それこそが、このコラムを書く動機ともなっていたのですが、日々研究者および研究者見習いたちに囲まれて生活していると、自分たちの方が「普通」な気がしてしまうから恐ろしいことです。人間は所詮、自己を中心としてしか世界を認識できないということを、思い知らされます。

ちなみに、世間の人たちにとって、「研究者」の世界が異世界であることは、先に引いた雑誌の記事の「学者」という呼び名にも現れていて、実は、自分を「学者」と自称する「学者」は今ほとんどいません。自分で自分を「学がある人」と呼んでいるようで、謙虚さを大事にする日本の社会にはなじまないからです。(同様に、肩書きとしての「○○大教授・准教授」等を自称として用いる人も少ないです。たいてい「○○大で教えています」「○○大の教員です」などと言います)

それで、「学者」に代わる呼び方として、「研究者」が用いられています。
「私は研究を仕事にさせてもらってますけれども、その結果私に学があるかどうかは皆さんに判断してもらうとして、職業の呼び方としては、学があるなしの価値判断を含まない研究をする人という意味の「研究者」と統一させていただきますよ」というわけです。

研究者は、謙虚とは正反対の性格の持ち主が多いので、余計に謙虚ぶろうとする傾向が強いように思います。(理系のことは分からないのですが。文系よりは堂々としているイメージがあります)

そんな珍しい?「学者」もとい、「研究者」および「研究者見習い」はどこに生息していて、どこに行けば出会うことができるのでしょう。

結構前だったかと思いますが、男女の様々な恋愛の特集を組むことで有名な某女性誌に、

「研究者になる前の院生男子を青田買い」

というような文言が踊ったこともあったようです。「ネタに尽きて院生か!!」と一部で(つまり、院生達の間で)話題になりました。

その『a○○n』によれば、院生男子と出会うためには、大学近くのカフェで、Macを操作して何か打ち込んでいる若い男子を見つけるのが、コツなのだそうです。

・・・・・・それって、すごーーく限られた範囲の「院生男子」では??

私なおは、割とカフェで作業するのが好きで、大学近くのカフェでも作業をするのですが、日本文学科の院生としてはかなり例外的なケースだと思います。だって、カフェに重たい本は持って行けませんから。本当に大事な作業は家か大学でしか出来ないのです。
そして、日本文学、特に古典の研究者および研究者見習で、Macを使う人はまずいません。理由は簡単、研究にどうしても必要なCDROM等が、Windowsにしか対応していないから。

というわけで、大学の近くのカフェで、Macを操作している男子は、日本文学専攻の院生ではない(可能性が極めて高い)。

ということが、おわかりいただけましたでしょうか(どうでもいい情報ですね)。

例外的にカフェユーザー、でもネットブックは東芝のdynabookな日文院生であるなおは、『a○a○』の記事以来、大学近くのカフェでMacユーザーの若そうな男子に注目してみることにしました。

そして、なおが遭遇した、極めて限定的な範囲で言えば(論文用語で言えば「管見に入った例に限って述べれば」)、

大学近くのカフェでMacを操作している男子は、社会学系の研究者(と見習い)が多い(気がする)。

いや、チラ見して目に入った本のタイトル等から推測しているだけなので、間違っているかもしれませんが。
理系男子は、ほとんどラボに籠もっていて、大学近くのカフェなんてあまり使わない気がします。ラボで飲み物が自由に飲めるだろうしね。(このあたり、一言で院生といっても、専攻によって事情が大きく異なるところ)

それで、あなたがもし『an○○』の特集をたまたま目にしていて、「院生男子結構いいじゃない」と思っていたとしてでもですよ、カフェで声をかけるチャンス(?)がある相手は、社会学系の院生男子なんです(多分)。

それで、あなたがもしその社会学系(多分)の院生男子と晴れてお付き合いすることになって、社会学系の院生男子は結構おしゃれな人も多いので(多分。でもMacユーザーなくらいですから)うきうきで新宿御苑にデートに行ったとします。

そこでうっかり「やっぱり自然の中って気持ちいいね!」なんて口にすると大変なことになります。

「自然!?公園、つまりパークは、もともと王侯貴族の狩り場だった場所を、都市計画の一環として整備して、都市部におけるレジャーの大衆化に伴って19世紀イギリスでパブリックパークとして一般に開放されたのが始まりなのであって、自然とはほど遠い人為的な産物だから!!」

などとまくしたてられかねません。社会学の専門家はこのようにメンドウクサイ人々なのです(偏見)。

と、ここまで書いてきて、同じような面倒くささで周囲に迷惑をかけている日本文学専攻の院生諸氏のエピソードを思い出しましたが、彼ら彼女らが私のせいでもてなくなったら困るので書かないことにします。

専攻に関係なく「院生」「研究者」ということで、一括りに「変わった人」とされるのは、納得いかない!!!と、院生たちはよく不満を漏らしますが、実際似たり寄ったりなのかもしれません。

というのも、1000年昔の『源氏物語』にも、「学者」は「変人」として登場するからです(こっちが本題だったけれど、前置きが長くなりすぎて割愛)。自身も「学者」の娘である紫式部が描き出す学者たちの姿もそのうちご紹介出来ればいいな、と思っています。

最後に、肝心の??、「日本文学専攻の院生」にどこに行ったら会えるか、ですが基本的に彼ら彼女らは、研究室か大学図書館にいることが多いので、やはり普通に生活していたらなかなか遭遇しないだろうと思います。

しかし!大学図書館が休館している時には、公共図書館に姿を見せる時もあります。
大きな公共図書館なら、結構専門書も充実しているのです。
日本文学関連の書籍が並ぶフロアで、大量の資料を自分の席に集め、一刻も無駄に出来まいと黙々と目を通している人がいたら、その人は院生の可能性が高いでしょう(日本文学専攻ではないかもしれないけれども)。加えて、その人がせっせとコピーを始めたら、そしてそのコピーの仕方が実に熟練して手慣れていたら、その人が文系院生である可能性はさらに高まることでしょう(やはり他専攻である可能性はぬぐえませんが)。
実際、日本文学専攻の院生にとって、コピーをとることは日常の一部。あらかじめしおりを挟んだ本をさっと広げ(どこをコピーしようかコピー機の前で悩むのは「お素人」)、次々とページをめくっては、コピー機のボタンを押す(決して、コピー機のカバーを下ろすことはない)一連の動きは、日々コピーをとり続けた人にのみ出来る職人技?です。

ゴールデンウィーク、お時間ある方は文系院生男女を見に、公共図書館に足を運ばれてはいかがでしょうか(そんな人いないか・汗)。

ちなみに、「らっこの会」で一番コピーを取るのが上手いのは諒です。
無駄のない動きで、手早く、綺麗なコピーを取ります。

(次回はもうちょっと学術的な話が出来るようがんばります。)

2012/04/30 11:24 | なお(平安時代文学担当) | No Comments

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