皆様、大変にご無沙汰しておりました。 この谷間も梅雨が空け、朝夕の田の草刈りに日を過ごしている、お百姓になりたい、川口です。
5月の終わりから今年もベリー(木の実)の季節が始まっています。梅雨時には田植えと雨の止み間を見て大急ぎでベリー(木の実)の収穫に走り回ります。 写真は6月の半ば過ぎ頃に近所の休耕畑の桑の実、我が家の山の実山椒。そして庭のグミ。グミは妻が摘んでくれました。
実山椒は定番の佃煮など、ベリーは生で食べて、食べ切れない分は、砂糖漬け、果実酒、ジャムなどにして頂きます。
こちらはゆすら梅。
完熟した摘み立ての木の実は、実に鮮烈な薫りと味わいです。
苺 ゆすら梅 小梅 桑の実 グミ 実山椒 ビワ 梅 野苺 ブラックベリー ラズベリー ブルーベリー …
様々な木の実の実りを逃さずに収穫しては保存食にしていく日々を過ごしつつ、採集生活を送っていたご先祖様方の暮らしぶりに想いをはせています。
いやぁ、さぞ美味しく感じられたことだろうなぁ!
お盆過ぎからは無花果、桃、葡萄、栗、柿などの果実の季節が始まります。
本来の日本は美味しい自然のめぐみに溢れている国、この本当に嬉しいことを、ぜひとも先の世代へと守り手渡してゆきたいものです。
今日から暦は小満の末節、「麦秋至」(ばくしゅういたる)候となりました。
私の田でも、昨年の晩秋に播いた麦達が実りの時を迎え黄金色に輝いています。
お米の苗代の草を抜きつつ、その黄金色の穂先が風に揺れる様を眺めていると、気が遠くなるような良い気持ちになってしまう、お百姓になりたい、川口です。
今、お米は苗代で小さな命を育んでいる最中、間もなく田植えの時を迎えようとしています。
他方、そんな田植えの時期を前に収穫の時を迎えるのが麦です。麦はちょうど今頃に実りの時を迎え、お米に場所を受け渡すようにして朽ちてゆくのです。
麦は、晩秋に種を地に降ろされ翌夏前には実りを結んで滅んでゆく冬の草です。対して、お米(稲)は夏の間に育ち秋に実り朽ちてゆく夏の草なのです。
この両者の性質を上手に組み合わせて日本国内の暖かい地域ではお米と麦との「二毛作」が盛んに行われていました。
とはいえ、本来は麦と米という2つの作物が好む環境は正反対。 お米は湿り気の多い水田で良く育ちますが、麦は湿り気を嫌い水捌けの良い畑でないとよく育ちません。
我々のご先祖さま方は同じ田で上手にこの2つの正反対の作物の性質に応じた栽培方法を見出し、実践して来たのです。 それだけで、十二分に畏敬に値する、とわたくしは思います。
しかし、今ではお米と麦の二毛作はすっかり廃れてしまっていました。まことに勿体無いことだと思います。
収穫したての裸大麦入りの玄米飯の薫り高い美味しさに舌鼓を打ちつつ、来し方に想いを馳せる私、百姓見習い、です
皆様、ご無沙汰しておりました。 本当に早いもので、暦の上では「立夏」をとうに過ぎて「小満」、「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」、すなわち、陽気がよくなり、草木などの生物が次第に生長して生い茂る季節です。
山菜や筍がニョキニョキと生えてきて収穫と食べるのに忙しい日々も過ぎ、畑の青豆類の美味しい季節。毎日筍ご飯!から、毎日豆ご飯!と季節は移りながらも、相も変わらず日々のご飯の美味しさに狂喜し続けている、お百姓になりたい、川口巽次郎です。
田の苗代ではお米の苗がすくすくと育ち、田では穂を伸ばした麦が熟して黄金色に輝き始めています。 忙しかった夏野菜やささげ豆、いんげん豆などの種降ろしにもようやく一息付いているこの頃です。
長い話になっている秘伝(???)の味噌作り、いよいよ(???)今回が最終回です。
先回まで、わたくしの味噌作りは自分で糀をたてるところがミソなのだ。 で、その糀は、コウジカビ菌を買ってくるのではなく、我が家で掛け継いで飼っている糀についているカビ菌を使う「友麹」という方法を使ってたてるのだ、というお話を致しました。
これは一重に、わたくしの貧乏が為せる事であります・・・。
・・・が、そもそも「糀」は、本来この地球上の自然界のどこにでも住んでいる「コウジカビ」と呼ばれている一群の菌類が作ってくれてきたものなのであって、工場のような特殊な環境で特定の菌種だけを純粋培養されたものを買ってこなければ出来ない、というものでは無いのであります。
お味噌も、お醤油も、更には、最近巷で流行るらしい「塩麹(しおこうじ)」、そして、お酒も、全て、それを作ってくれる「糀」を作る菌類は自然界に偏在して来たのであり、だからこそ、我々のご先祖様方がこのようなおいしい食べ物を作りだすことができたのであります。ま、酒税法違反になるからわたくしはお酒は醸しませんせんけどね(笑)
で、この連載の胆であるわたしの糀の育て方。
お味噌は農閑期でもある冬季、春のお彼岸前に仕込むのが良いとされていますが、コウジカビ菌が好むのは温度30~40度、湿度95%以上、という環境です。寒い冬、そんな環境はなかなかありません。炬燵の中が理想に近いですが、麹カビを育てる2~4日程の間、ずっと炬燵を点けっぱなし、というのは環境にやさしくありません。いや、貧乏人には厳しい・笑。
実は素晴らしい場所があるのです。
それは・・・、寝床の中です。
…。
言ってしまいました…。
蒸したお米に友麹(以前にたてた糀)を混ぜたものを入れた容器をお布団に入れて一緒に眠るのです。
わたしは大量に仕込む場合は大きな鍋を使いそれを抱きかかえて眠るのです。
きっと、昔の人たちもこうして懐で温めながら糀を育て掛け継いでいたのだろうなぁ…などと妄想しながら、甘い糀の薫りに包まれて甘い夢を見る私なのです。
ちなみに妻に云わせると、「わたしは寝相が悪いから無理。」との事でした。
わたしの糀への愛情、執着故に可能な技なのかもしれません。
以上、秘伝伝授終了しました。
物好きな方はぜひやってみてください。
結果、糀は出来たが、恋人との仲が悪くなった、夫婦が終わった、などという事態になったとしても、私の方ではクレームは一切受け付けられません、 ご自分の責任において解決下さいますようお願いします。
さて、こうして糀が出来たらいよいよお味噌の仕込みとなります。 普通、味噌を仕込む、という話はここから始まるのですよね。という事でここからのお話はネット上にも溢れておりますから簡単にポイントだけ。
味噌の原材料は、重量比で穀物と糀が1対1。塩が穀物の0.5(半分)、という割合を基本として覚えておけば簡単です。 この原材料に水分が加わりまして、重量比で1.8倍程、塩分濃度12%程の薄味のお味噌が出来上がる、という事になります。
上記の糀を少なく、塩を増やすに応じてより辛口のお味噌となります。
さて、それでは仕込みの手順をば。。。
先ず、計った大豆を洗ってお鍋の中に浸水します。豆の容積の3倍量を目安のお水に一晩浸けておくと、翌朝には豆がぷっくりと水を吸い込んでいます。 水が少ないと大豆が膨れて水面から大豆が出て乾いてしまいますからそうならないように気を付けて。
次に糀に塩をまんべんなく混ぜて置きます。「塩切り」と呼ばれる作業です。塩を混ぜ込む事で糀カビ菌の働きを弱め、糀カビが作り出してくれた酵素やアミノ酸が溶け出しやすくする作業です。
我が家では大豆は庭のカマドで薪炊きにしますので、翌日のお天気が良さそうな日の前の晩から作業に懸ります。 晩御飯を終えてからの一仕事、という感じですね。
さあ、準備が出来たら明日の仕込みに備えてぐっすり眠りましょう。 人間が眠っている間に、大豆はしっかりと水を吸い込み、糀は酵素をたっぷり沁みださせて待っていてくれるでしょう。
翌朝、鍋の中で大豆がしっかり膨れているのを確認してから、竈に火を入れ、鍋をかけます。 # おぉ、薪はしっかり用意しておいてくださいね!
やがて大豆が煮える素晴らしい香りが漂い始めます。水は常に多すぎず少なすぎず。豆がヒタヒタになっているよう随時水を足しながら煮て行きます。大豆が指先で挟んで潰れる程度に軟らかく煮えたら火から降ろします。あんまり豆が美味しくて、ついつい摘まみ食いし過ぎになりますね。
大豆が煮えたら力仕事。潰します。わたしは大きな擂鉢と擂粉木を使っていますが、大量に仕込む方々はお餅搗きのように臼と杵を使ったりもするようですね。 食品用のビニール袋に入れて踏んで潰す、というやり方も良く紹介されていますが、貧乏な我が家には勿論そんなビニール袋はありません・笑
この際に豆の煮汁は捨てずにとっておきましょう。
潰した大豆が人肌くらいに冷めたなら、昨晩「塩きり」しておいた糀を均等になるように混ぜてゆきます。 均等に混ざったらそれを大人の握りこぶし位の大きさの団子にまとめてゆきます。 この際にどうも固くてまとまりにくいなぁ、という場合にはほんの少しだけ大豆の煮汁を混ぜて調整します。
そうして、出来た味噌団子を瓶に投げ込んでゆきます。バシッバシッと音が出る位に勢いよく。これは味噌の内部に空気が入ってカビが入ったりしないようにするためです。
味噌玉を詰め終えたら最後に均した味噌の表面を隙間がないようにラップや笹の葉っぱで覆います。 隙間に塩をふって覆いにするのも良いでしょう。
最後に蓋をして重しを載せておきます。これはお味噌の熟成中に酵母菌の働きなどで炭酸ガスが出たりしますので、瓶の中から空気が抜けて味噌の発酵が健全に進むようにする工夫です。
仕込んでから9か月程、暑い夏の時期を一度越えさせると美味しいお味噌になります。その間は基本的には何もしなくても大丈夫。時々覗いて様子を見てあげるとお味噌が喜ぶかもしれません。表面にカビのようなものが育ってくる事がありますが、特に白っぽいものは産膜酵母というもので特に害は無い、もしくは、旨味を加えてくれる素である、という説もありますので特に気にせずに置きましょう。水分が多めな場合にはお醤油のような色をした水が上がってくることがあります(「湧く」とも言うそうです)が、これも気にせずに。
何かしないと不安だなぁ、という方は「天地返し」をして気を鎮めると良いでしょう。
あとはひたすら、スローライフの最強の友である、菌と酵素と時間に委ねます。
あぁ、今年も美味しいお味噌になりますように!
お彼岸も過ぎ桜も咲いて、春爛漫の風情となりましたが皆様お変わりなくお過ごしでしょうか?久し振りの雨休みで、漸くPCに向かっております。お百姓を志望しての田舎暮らしもいつの間にか5年目を迎えた、川口です。
第弐会、籾摺り完了時点で更新停止しておりました「秘伝の味噌作り」、漸く第参回、「糀を仕込む」編、その一です。
我が家の味噌の仕込みは幸い終了しておりますが、秘伝(笑)の開示が遅れておりまして申し訳ありません。まぁ、誰も真似しないだろうからいいか…?
さて、そもそも、「糀・麹(こうじ)」とは蒸した穀物原料(米、麦、豆など)にコウジカビ菌を繁殖させたもの」をいいます。東アジア一帯に拡がる伝統的な発酵食料加工法に用いられている、と謂われておりますが、日本でお米を原料としてこの「コウジカビ菌を繁殖させたもの」は特に糀(こうじ)と表記されます。
日本酒、米味噌などが、「糀」を利用した代表的な食品になりますね。初回にご紹介しました通り、わたくしが仕込んでいるのは、大豆にこの米糀を加えた米味噌です。
それでは早速、わたくしがその「糀」を仕込む過程をご紹介しましょう。
先ず、先回用意した籾摺りした玄米を浸水します。冬の寒い間でしたら一晩以上はじっくりと水に浸けてタップリと給水させます。
蒸し鍋を火に掛けて湯気が立ってきたら玄米をいれた蒸篭(せいろ)を載せて蒸します。お米がしっかり芯まで軟らかくなるまでじっくりと蒸しあげます。
この際に市販の玄米をそのまま使おうとしますとなかなか蒸し上がりませんが、我が家の玄米は前回ご紹介した通りに擂鉢で擦った際に傷が入って分搗きになっていますので、そのお蔭で比較的容易に軟らかく蒸し上がります。
この蒸し米がひと肌くらいに冷めるのを待って、種糀を混ぜ込みます。
現代の「麹作り」では、プロアマ問わず工業的に純粋培養されたコウジカビ菌の胞子を購入して降り掛ける作り方が一般的になっています。
しかし、貧乏なわたくしには、そのような胞子を購入する余裕もなく(笑)、自分で飼い育てている菌を使っています。
そもそも、コウジカビ菌は自然界のどこにでも存在している「常住菌」なので、そのような天然資源をお金で買う、という行為そのものが、「お百姓」を目指すわたくしにはそぐわなく感じられるのであります。
コウジカビ菌を飼う方法方は実は簡単で、折々に、蒸したお米を餌として与えて継続培養するのです。「友麹」と呼ばれる昔ながらのやりかたです。
ちなみに、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%B9
別途培養した麹菌胞子である種麹を蒸した原料に散布して製造する方法と、以前に製造した麹の中から良質なものを保存しておき、新たに麹を製造する際に蒸米に加えて用いる方法がある。後者の方法を「共麹」(「友麹」とも)と呼ぶ。現在の日本では、もっぱら前者の方法が採用されており、麹を製造する際には種麹を専門に製造する業者が供給する種麹を利用する場合が多い。野外のカビにはカビ毒を作るものがあるため、専門の業者が供給する種麹を利用することが望ましい。
という事ですから、「百姓」は目指さない良い子の皆さんは真似をしないように(笑)!!!
普段、掛け継いでいる種麹は折々に甘酒に加工して利用しています。甘酒についてはいずれ書かせて戴くこともあるでしょう。
種糀を混ぜ込んだ蒸米を容器に移し入れ、30℃程度に保温して麹菌の繁殖を促します。
プロの世界では、麹室(こうじむろ)といわれる(室温30℃湿度約90%)専用部屋を使います。
冬の家庭では炬燵やオーブンの保温機能などを使う事が一般的な様です。
さて、では、わたくしはどうしているのでしょうか???
と、唐突に質問を投げた所で今日はここまで。
雨が上がりましたので、ちょっと出掛けてまいります。お百姓は忙しいのです(笑)
それではまた!!!
味噌(みそ)の仕込みを始めたので、お米の籾を摺り過ぎて肩が痛い、お百姓になりたい、川口です。
ということで、お約束の我が家の味噌作りの秘伝(??)公開、第一弾は、「籾摺り(もみすり)」です。
世の中には色々な方がいらっしゃいます。が、味噌(みそ)の仕込み方を紹介するに際して、お米の籾摺りから始める人はかなり珍しい、というか、皆無ではないしょうか?
しかし、我が家での味噌(みそ)仕込みにおいて、籾摺り(もみすり)は最初の大きな壁となる工程なのです。
何故ならば、田で収穫したお米、籾米(もみごめ)が沢山あったとしても、そのままでは蒸したり炊いたりといった調理ができる「お米」にはならないからです。蒸す「お米」が無ければ麴(こうじ)が立てられない。麴が無ければ味噌(みそ)は出来ない。であります故、味噌を仕込むにあたっては、まずは、籾摺りをしてお米を手にしなければならぬのです。
そもそも「籾摺り(もみすり)」とは如何なる営為か?と申しますと、お米の可食部分である糠に覆われた杯と胚芽を固く守っている防護服、すなわち、「籾殻(もみがら)」を脱がせて玄米(げんまい)にする作業です。お米を調理して人が食べられるようにする為に必要な作業の中でも古来最も手間が懸る部分の一つと申し上げてよいでしょう。
我が家では毎日この籾摺りをしては、それで得られる玄米を食い繋いで暮らしております。籾摺りせずば食うこと能わず、なのであります。我が家での籾摺り風景についてはすでに書いた通りですが、正直、日々の食い扶持を準備するだけでも大変な労力を要する作業です。ですから、それに数倍する量のお米を用意せねばならない味噌仕込みにおいて、如何にこの籾摺りが大きなハードルとなるかはご想像頂けることでしょう。
以上、普通に暮らしている方々には全く縁の無い背景説明でした。では、早速、この籾摺りの実態を初公開させていただきましょう。
まず、以下のようにすり鉢に籾米を入れ、擂粉木で摺りはじめます。
擂粉木は元々は機(はた)用に伐って来た樫の木を自分で削って作ったものです。大型なので籾摺りや豆腐作りに大いに活躍しています。
あまり力を入れ過ぎますとお米が割れてしまったりしますから、優しく丁寧に、とはいえ、きっちりその鎧(よろい)のような籾殻(もみがら)を脱いでもらえるよう、適度な力を加えつつ摺ってゆきます。よい加減で摺るとやがてこのように籾殻(もみがら)が剥がれて浮いてきます。
そうしましたらおもむろに、すり鉢を顔の前まで持ち上げまして、息を吹きかけて剥がした籾殻だけを吹き飛ばします。この工程はこの我が家における摺り鉢式籾摺り法(って程のものではありませが・笑)の核心部分となる作業ですが、映像でご覧にいれることは控えさせて頂きます。なぜならば、余りに間抜けな感じがする風情なので恥ずかしくて写真はお見せしたくないのであります。ぜひ、いつか現場をご確認しにお越しください。あしからず。
上手に籾殻を吹き飛ばしますと、ご覧の様に玄米が現れてきます。
色とりどりの玄米です。何故にこのようなミックスされたお米になっているのかと申しますと、ここで摺っているお米が2番籾(にばんもみ)を集めたものだからです。2番籾は、お米の収穫後の調整作業の際に、余り実が入っていない小さ目なお米の粒だけを唐箕を使って選り出しておいたものです。(これを行う作業が「唐箕掛け(とうみがけ)」です。)普段の食事で炊いているご飯では、みなさんと同様に種類別の粒の揃ったお米を炊いて頂いていますが、お味噌や甘酒、水飴に加工したり、お粥にして頂く場合にはこの2番籾を使うようにしているのです。自然のめぐみを余すところなく無駄なく頂くための工夫です。
何度か、この摺っては籾殻を吹き飛ばすという作業を繰り返してから、最後にざるで細かい糠(ぬか)を落とし、摺り残した籾や殻を丁寧に手で除けるとようやくこのように綺麗な玄米になります。
僅かこれだけの玄米を得る為の作業には、熟練しても10分程はかかるでしょうか?お味噌を仕込む為には少なくとも大豆と同量の麹を準備せねばなりませんので、まぁ、ざっとこの50倍位のお米は準備せねばなりません。まぁ、気が遠くなる作業です。
ちなみに、この吹き飛ばした籾殻には糠(ぬか)が混ざっていますので最後には細かい篩(ふるい)にかけてこお糠だけを取り出します。このようにして毎日摺っているお米から出る糠を加えた糠床でこんな風に美味しい糠漬けが出来るのです。
また、籾殻は細かいものは糠(ぬか)と共に畑に撒くととても良い補いになります。根菜類を保存する際にはこの籾殻を被せておきます。全く無駄になるものはありません。実にエコなのです(古い!)。
しかし、お蔭で久しぶりに肩が凝りました。あ、それは久しぶりにPCに向かってこの原稿を書いたからでしょうかねw?
それでは、次回、「麴たて」までしばらくのお別れです。
旧正月を迎えて早々に、学生時代からの長きに渡って住み慣れた東京を引き払い、いよいよ本格的に田舎暮らしを始めようとしている、いつかは百姓になりたい、川口です。
暦の上では、もう「立春」も過ぎ、「雨水」となりました。厳しかったこの冬の寒さも峠を越え、時に温かい雨が降る季節です。先日は田で溝切りをしていると鶯の声が聴こえてきました。その夜には早くもアオバズクが、ホッホー、ホホッホホッホーと愉快そうに啼いておりました。すっかり陽が伸びて夕暮れも遅くなり、あぁ、春が来たのだなぁ…、と想うこのごろです。
さて、春を迎えて田畑山での仕事が忙しくなる前に終えておきたい大切な百姓仕事のひとつに味噌(みそ)の仕込みがあります。
お米などの穀類を主食として来た我々日本人にとって、豆から作る味噌は欠く事の出来ないタンパク源として無くてはならない食品だと言えるでしょう。私もここでの暮らしから自家製の生味噌(みそ)が無くなってしまうという事は考えるだに恐ろしいことです。四季を通じて御御御付け(おみそ汁)のみその香り程にあらゆる食事を豊かにしてくれるものはありませんからね。何しろ、このJunksgtageにも「味噌汁の香水」と題するコラムだってある程に味噌(みそ)は偉大なのです!
更に、「手前味噌」という言葉があります通り、自分で育てた原材料でゆっくりと時間をかけて仕込んだ自家製の「生」味噌(みそ)*の味を一度知ってしまいますと、もう市販の味噌は口にする気が起きなくなってしまうものです。
*) ちなみに通常販売されている味噌(みそ)はアルコールなどを添加して発酵を止められて(菌類を殺して)いる為、「生」の味噌の風味や味わいに欠けるのであります。
我が家で現在仕込んでいるお味噌(みそ)は、いわゆる「米味噌(みそ)」です。一口に「味噌(みそ)」と言いますが、地方によってその原料、製法共に実に多様なものです。とはいえ、日本各地で作られている代表的なお味噌を原材料で区別すると、
1) 米味噌
2) 麦味噌
3) 豆味噌
に分けられます。
「みそ」は、基本的にどれも大豆と塩を主原料として作られる保存食ですが(豆を使わずに麦だけで仕込むようなお味噌もありそれはそれでとても美味しいものですけどね…)、その大豆に加えて発酵・熟成させる「麹(こうじ)」の原材料に応じて上記の様に大別されます。
我が家ではお米が一番沢山採れますので、お米で麹をたててお味噌を仕込んでいます。将来的に麦が沢山収穫出来るようになったらぜひ麦みそも作ってみたいとは思っていますが、麦は先ずはお味噌(みそ)よりもお醤油(しょうゆ)やパン作りの方に廻さねばなりませんので中々、道は遠いかもしれません。
いずれにしましても、味噌(みそ)は、大豆のタンパク質、脂質などを、米、麦、豆などの炭水化物を麹(こうじ)カビ菌に食べさせて糖化させる過程で生産される様々な酵素と、自然の酵母菌、乳酸菌などの菌類の多様な働きとによって、多様な旨味アミノ酸に分解、熟成することで作られる日本における自然のめぐみの豊かさを体現している素晴らしい食べ物なのであります。
と、何だか味噌(みそ)とは?という話だけで長くなってしまいました。ご興味のある向きはぜひ味噌(みそ)の奥深い世界を覗いてみて下さい。
次回より、我が家の味噌作り、秘伝(??)を公開させて頂こうと想います。既に昨年に概要はお伝えした工程ですが、数回に分けてちょっと詳しくご覧にいれようとおもいます。
それでは、どうかお愉しみに!
暦の大寒そのものの寒波襲来が続いていますね。
谷間程ではないとはいえ、十分に厳しい東京の寒さにふるえながら引越しの準備に追われている川口です。
先日、谷間の家で初めて仕込んだお醤油を絞りました。
一昨年の春に田で収穫した小麦と畦で育てた大豆を蒸して麹を立て、大豆と塩水に仕込んだのが昨年の5月始め。それ以来、仕込んで直ぐの頃には毎日、やがて、3日に一度、一週間に一度、そして、10日に一度程、かき混ぜては成熟を見守って(味見して)参りました。熟成期間も既に半年を越え、いよいよ美味しくなっておりましたし、丁度、お客様もあったので、布の袋にドロドロの原液を入れて重しをして絞りました。
これがまた、実に美味しいのです!!!
絞ったままの生醤油をお刺身に付けて戴いても香り、味共に素晴らしく、また、お芋やお豆を炊いて味付けに加えて火を通してもまた何とも言えない濃くのあるお味になります。更に、絞った残りの諸味も様々な料理の味付けに使えます。
自家製の無添加、天然醗酵の生のお醤油は、将に、「魔法の調味料」です。
乳酸菌に麹菌と酵母菌が、豆、小麦、塩と共に樽の中で時の経過と共に演じたコラボレーション、その結果がこれ程までの旨味を作り出すことに、本当に驚愕しました。
今年もご覧のように無事に沢山の畦豆が収穫できました。黒豆、緑大豆、緑豆、小豆、手前はお蕎麦にエゴマです。
今年は黒豆も加えて、更に美味しいお醤油を仕込みたいものです。
願わくは、、、もう少し大量に。
と申しますのも、今年は一番絞りの生醤油、一番絞りの残りの諸味を煮出した二番絞り共に僅か小瓶に一本程しか作れなかったからです。
何とか一年分のお醤油を仕込める程の小麦が実るように、田の排水を促す溝切りに寒の間に精を出さねばなりません。
それにしても、お醤油というのは誠に贅沢な調味料なのだなぁ…、と改めて痛感している私なのでした。
再び旧正月を迎えました。
謹んで新春のお慶びを申し上げます。
このたび、東京の拠点を引き払い明るい谷間でのお百姓生活に一層集中することにした、お百姓になりたい、川口です。
東京と田舎での二重生活を始めて間もなく丸4年になります。将来の金銭的な生活設計については未だに目途すらもなく、従ってそのことを気にし始めると大いなる不安に満たされる私がいます。が、田舎での自然の力に生かされる日々の幸せと満足に溢れた時間は、今のわたしたちにとっては何ものにも換え難いものとなりました。
という訳で、稀な更新頻度で書かせて頂いて参りましたこの通信ではありますが、この新しい春からはもう少し頻繁に、皆様にわたくしたちの田舎暮らしのあれこれをお伝えして行きたい、とこころを新たにしておる次第です。
では、本年もどうかよろしくお願いいたします。
川口巽次郎 拝
単調です。
あ、手刈りの話ですが…。 今では殆ど手で刈る人なんていないですよね。
田植、超、単調です。
あ、手植えの話ですね・・・。 今時、手で植えてる人って珍しいですよね。
草刈り・・・。 あ、手で鎌で刈る話です。
刈り払い機も単調だけど、鎌は更に徹底的に単調。
そもそも、農作業でなくとも単調なことって沢山ありますよね。
自転車、
単調です。
特に長い峠の坂を延々と登り続けるのって、文字通り死にそうに単調。
登山、歩くスキー。
単調。
で、私はどれにも結構嵌ってまいりました。
やった事の無い人に信じられないであろう、はまる単調、筆頭は、恐らく、自転車での登坂。
普通、最悪だと思いますよね。自転車で坂登るって。
でもね、違うんです。
もし、今度機会があったら坂を登っているサイクリストを観察してみてください。
絶対、みんな、顔がなんだかヘンに笑っています。
ハイになっているんです。
ランニング・ハイと同じ。
とっても苦しいんだけど、一線を越えると、何故か、ニタニタしてしまうんです。
だから、自転車乗りのかなりの人が、実は、坂を登るのが好きなんですよ。
で、私、自転車での坂道でも結構ハイになりますが、最近は、農作業でもハイになっている自分をしばしば見出します。
ハイ。
かなり、幸せです。
般若心経や光明真言を何万回も唱えるようなものです。
漸くクリスマスイブになって今年の米の収穫後の調整作業(脱穀、唐箕による籾選別、袋詰めと貯蔵)を終え、ほっとしている百姓になりたい、川口です。
冬至、すなわち、陰が極まる頃となりましたが、今頃に頂く籾摺りしたての新玄米には、殊の外身体を芯から温めてくれて得も言われぬ美味しさがあります。毎日のご飯が文字通り幸せを噛み締めるようなときとなるのです。
今年もお米は「自然農」の田で見事な実りを結んでくれました。
自家採取の種籾を田の一角の苗代に降ろした5月以来、草刈り、水管理、稲刈りを経て、一ヶ月稲木で天日に干した米を脱穀、唐箕掛けして袋詰めするまで、長いようで短い半年と少しの間でした。
* 耕さず、
* 肥料を作って持ち込むことなく、
* 草、虫を敵とすることなく(農薬などを用いることなく)
そして、最小限の道具と身体を使うだけで、一銭のお金を費やすことも無くして、完全な生命を宿した健康なお米の実りを、今年も得ることができました。
この極めて単純な事実を我が身をもって知る事が出来たことは、僕のこれまでの暮らしの中でも最も驚嘆と歓びに値する経験で、三年目のお米作りをおえた今となっては、この仕事無しに暮らす事など考えられない、そんな風になりました。
4年前まで都市での暮らししか知らなかった私なのに、人間、まことに大いに変わるものであります。
年越しを迎えるにあたって、この田の豊かな実りに心から感謝するのです。
脱穀を終えた稲藁を戻して振り撒いた田は、まるで絨毯を敷き詰めたようです。一見すると、生命の姿の無い冬枯れの景色ですが、実は、この藁の下では既に小麦、大麦が芽を出して春を待っているのです。
彼らと共に、またこの田で新しい年を迎えたいと思っています。