“固定給”
フリーランス的な仕事をしている人にとっては羨ましいと思ってしまうような言葉です。どんなに今の仕事が上手く行っている人であっても、固定給という響きに何かしらの羨ましさを感じるのではないでしょうか。
僕も声優なのでめちゃくちゃフリーランスです。毎月ギャラの明細を見る瞬間は「500円しか入ってなかったらどーしよう…」的に緊張します。
ヽ(-@∀@)ノ アルダケマシダロ
当然、将来の収入なんてものは確約されていませんので、いつ収入が0円になるかわかりません。フリーランス的に働いている人は、かなりの成功者以外は常に収入に怯えていると言ってもいいでしょうね。
僕は収入が無くなるのが人一倍怖いってのもあり、死なないように頑張っている感じがあります。若い頃お金には苦労しましたので金が無い恐怖を二度と体験したくないですからね。
ビビリ症の僕は常に何かに追い込まれています。常に猫に追い詰められた鼠みたいな状態です。つまり、やるしかないって状況ですね。だからもうやるしかないんですよね、窮鼠猫を噛むってヤツです。
声優という仕事を始めてー
明日食えるかどうかのお金を得る為に頑張ってー
一ヶ月食えるかどうかのお金を得る為に頑張ってー
一年食えるかどうかのお金を得る為に頑張ってー
十年食えるかどうかのお金をー…
新人の頃は目の前のお金の事しか考えられないですが、段々と先の将来のお金の事まで考えないといけなくなります。
色んな事を考えられる想像力が養われれば養われる程に不安も増しますので、仕事の頑張りも若い頃のソレとは違ってくるのでしょうね。
固定給を貰っている人も「ソレは固定給だろうがフリーランスだろうが未来への不安はある」と言いたい人もいるでしょうが、僕らの世界のソレとは比較にならないと思います。
普通の頑張りではプロの世界では通用しません。だから、自然と追い込まれる環境である声優の世界はキツいですが、僕みたいな怠け者には丁度いいのかもしれません(笑)。
「お前は金の為に声優をやっているのか!?」なん厳しいお言葉が飛んできそうですが、そうです。僕はほぼお金の為に頑張っていると言っても過言ではありません…が!一応僕も表現者の端くれなので表現を疎かにしたり、表現に興味が無いというわけではありません。むしろ好きです。
好きでやっている仕事だからこそお金には拘ります。お金を得られる表現を提供する為に努力もします。
この仕事をしていると一つ一つの仕事の有難さや、人との出会いの有難さが良くわかります。
一寸先は闇みたいな仕事ですが「気を抜かず、常に自分を高めて死なないように頑張ろう!」と思わせてくれるような仕事ですし、刺激的な仕事なので飽きませんので、この仕事に出会えて僕は幸せです。
フリーランス万歳!
ヽ(-@∀@)ノ シヌナヨ
僕は野球観戦が好きなのですが、野球の用語でマネーピッチという言葉があります。
簡単に言うと、ピッチャーの決め球みたいな意味ですね。空振りが取れる球であったり、自信のある球の事です。
キメたい時にその球を投げて打者を打ち取る。打者を打ち取れる球=お金を稼げる球。マネーピッチとはそんなような意味合いの言葉なのでしょう。「俺はこの球でメシ食ってんだ打てるもんなら打ってみろ」みたいに思いながら投げていたりするのかと思うとカッコイイですよね。
僕ら声優にも同じような感覚があるのではないかななんて思って、今回のコラムのタイトルにマネーピッチならぬマネーボイスなどと言う聞き慣れない用語をチョイスしてみましたが皆様いかがでしょうか?しっくり来ましたか?来ませんね、わかります!
「どうだ!良い声だろ!俺はこの声でメシ食ってんだ!」的に声優は皆、何かしらのマネーボイスを持っているように思います。
だからどーしたって話ではありますが、やっぱり自分が自信を持てる声というのは必要だと思います。ソレが無いときっといつまで経ってもこの仕事でお金を稼ぐ事は無理です。
自信を持って喋った声と自信が無い声を、同じ声色、同じ芝居で喋ったとしますと、自信がある声の方が断然良い表現になります。
自信は説得力みたいなものを生むのでしょう。
自分が思いついた声の表現に不安を持つ場合もありますが、不安なままマイクの前に立つ事はできません。おかしな事を言うようですが、自信が無くても自信を持って喋らないといけません。
自分のマネーボイスに自信を持つ事が声優には必要なのだと思います。
そう… “無理矢理にでも” です。
え?「じゃあ、お前にもマネーボイスがあるのか?」ですって!?
ああああああありますよおおおお!
…たぶん。
他人から見たら(聴いたら)大した球じゃないかもしれないですけどねぇ!僕は僕なりに無理矢理自分のマネーボイスに自信を持って投げ込んでいるわけですよ!そりゃ打たれる時も沢山ありますよ!うぇええええん!
ヽ(-@∀@)ノ オチツケ
ただ、どんなヘッポコな球でも自信を持って投げ込まないと後悔しますし成長しませんもの。
もはや勇気の話かもしれませんね。
自分のマネーボイスを投げ込む為の自信は、日々の仕事や生活で少しずつでも確信に近付けて行くような感性を養わないと身につかないと思います。
僕は自分に自信を持つ事が苦手なので苦労します。気も弱いですしノーアウト満塁でマウンドに立たされたら弱気の虫が顔を出し、ベストピッチができる自信がありません…
…が!
勇気はあります!
自信の無い勇気は見苦しいかもしれませんが「似たようなもんだろ!」なんて変な切り替えは上手いので自信に似たような勇気で何とか乗り切っているつもりです。
なんだかんだと言いましたが、それなりの年数この仕事をしていますのでそれなりの自信はついているようにも思いますがその自信はまだまだ拙いものだと思います。
迷走中の僕のマネーボイスはいつ完成するのか。いや!完成なんてものは無いのでしょうが、日ハムの大谷選手のような剛速球を投げられるように頑張ります。
ヽ(-@∀@)ノ ムリ。モノガチガウ
とある喫茶店で、隣の席に座っていた若い女の子と中年男性の会話をうっかり盗み聞きしてしまった時に思った話をしましょうと思います。
就職活動の面接の練習らしきものをしている二人でした。
女の子は恐らく大学生で、就職活動の面接をどうやれば上手く出来るのかという事を中年男性に教わっていたのでしょう。
僕は今の大学生がどのようなスタンスで社会というものを見ているのかなんて事はわかりませんが、今の時代ってのは面接すら練習して覚えるものなのかと少々物悲しくなりました。
中年男性が言います。「アレを聞かれたらこう答えろ」「このような事はなるべく言わない方がいい」
女の子はその助言を必死の形相でノートに書き込みます。
でも、その方法を受け入れる事で良い結果が出たとして、その女の子はソレでいいのか?会社側もそんなテンプレみたいな受け答えの人材を欲しがるのか?僕はモヤモヤしたわけですよ。
時代が変わったからなのか、僕が声優という特殊な世界にいるからなのかわかりませんが、ある一定の答えに辿り着く事が社会を上手く渡って行くコツなのでしょうか?
テンプレで作られた受け答えなんてのは本当の自分では無いはずです。ある一定の点数を稼げるであろう無難な答えでしか無いはずです。
無難な答えを提示する事が今の社会に求められている事なのであればソレはソレでいいでしょう。
しかし、ソレが今の社会なのであれば個人的にはあまりよろしくないような社会になっているような気がします。
テンプレはテンプレであって、底辺の底上げは出来るでしょうが、素晴らしい才能を持った人材はテンプレによって才能を押し潰されてしまいかねないように思います。
正直に言いまして、声優の世界にも同じような事が起きているような気がします。この世界にテンプレなんてものはありはしないのですが、ネットなどで様々な情報収集が可能な時代でもありますし、いつの間にかテンプレらしきものが存在しているのでしょう。
正解があるのであればソレにすがりたくなる気持ちはわかります。ソレをやっていれば確実に正解なのであればやりたくなるのが人として当たり前の心理でしょうからね。
しかし、僕ら声優は正解以上のモノを提示しなければ商売になりません。正解の上を行く正解です。誰もがうすらぼんやり思いついているテンプレ的な正解ではメシは食えないでしょう。
いや、声優に限らず一般社会でもテンプレ的な正解だけでは成功者にはなれないと思います。
高望みしない人生なのであればテンプレも結構な事です。テンプレを忠実に実行できれば大きな失敗は無いでしょうから。
でも、声優の世界はテンプレだけで生き延びる事は不可能だと思います。上手く言えませんが、テンプレ以上の事を求められる世界だからです。
テンプレ的な芝居をしても誰の心も動かせなくないですか(酔)?想像がつくような芝居も必要かもしれませんが、できれば良い意味で想像を絶するような芝居が聴けたら嬉しくないですか?
テンプレ的な、誰もが思いつくような芝居をしていても金にならないのですよ(泥酔)!
…かと言って、僕にソレが出来るのかといえば話はナニがソレですが、いつもソレに向かってやる…テンプレじゃない芝居をするって思いながらやった結果テンプレですらなく、ただのポンコツ芝居で、誰にも受け入れて貰えないような芝居をしちゃう事もありますよおおおお(泣酔)!
…コホン。
取り乱しました。
少なくとも僕はテンプレ的で良いとは思いません。仕事柄、テンプレを求められる時はあるのですが、自由に出来る仕事であれば勝負を仕掛けます。
唯一無二なんて言われる事が最近の夢でもありますし。
だいぶ酔ってきたので今日のコラムはコレで終了!
テンプレ反対!!
僕は変な髪型をしています。ブロッコリー!なんて言われる事も多々あります。
まぁ、芸能界にいるんだから多少変な髪型でも仕事的には問題ありません。むしろ髪型だけでひと笑い取れるなら安いものだとも思ってます。
しかし、僕があまりにもこの髪型が嫌いだったらきっと良いパフォーマンスはできないでしょう。どこかしらソレを良しとしてそれなりに自信を持っていないとどこかしらで自信の無い自分が出ちゃうような気がします。
他人から見て変な髪型であっても自分が良いと思えていればそれでいいと思うんですよね。
髪型に限らず、色んな事で似たような事例はあると思うのですが、自分がソレを良しとしないといけませんよね。他人が何を言おうが知ったこっちゃないんです。あまりにも他人の目を気にしすぎると個性が死んでしまいます。
他人が変だと思うようなソレであっても、他人全員が変だなんて思うわけはないのですから、他人の中にも味方は絶対にいるんですよね。
つまり、味方になってくれるような人とつるめばいいだけなんじゃないかなって思うわけですよ僕は。意外と沢山いるものだなとも僕は感じます。
声も同じです!
まずは自分の声を認めて自信を持つ事です。もし、自分の声が変だったとしても、誰かから変な声だと言われようと、他人全員の意見では無いはずなので、味方はどこかに必ずいます。味方がいるのですから安心して変な声を堂々と出せばいいんです。
…と、最近自分に言い聞かせています(笑)!
全ての人に好かれる声を出すなんて事は僕には無理ですし、全ての人に好かれようなんて事も思いません…
…なんて割り切りが出来てからは楽になったような気もしますし、仕事も上手く行くようになったような気もします。
この考えが正しいのかどうかはわかりませんが、痛い思いをするまではこのスタンスを続けて行くと思います。
ただ、髪型はそろそろ変えたいと思っていますけどね(笑)!
僕はよく「体力あるよねー」って言われます。ええ、きっと酒をダラダラと朝まで飲めるってゆーいらぬスキルを発動しているからそー思われてしまうのでしょう。実際の体力は小学生並です。
深酒した次の日でも朝から(寝ないで)仕事に行けますし、なんなら次の日も飲んだって大丈夫です。まぁ、次の日の仕事の内容にもよりますが、美声を求められるような仕事でない限りは大丈夫でしょう。だからと言ってホイホイ飲みに行くわけではないですが。
さてはて、ワタシは何が言いたかったのでしょうか?ど忘れしました!
ヽ(-@∀@)ノ ヨッパラッテンノカ?
こんな事を書くとロクでもない奴だと思われるでしょうが、もう既にロクでもない奴だと思われているようなナニがソレなので気にしませんー
はうあ!
書く事思い出した!
ヽ(-@∀@)ノ ハヤクシロ!
僕にとっての飲みの場は、勉強であったり、意見交換、情報収集の場である事が多いです。
何となく酔いたいからとか、騒ぎたいからとか、そんなような事ではありませんー、んー、んー、んー、ちょっとはあるかな(笑)?でも、基本的には声優として自分に何が必要なのかを見つける場だと思います…多分!
ヽ(-@∀@)ノ ウソクセエ
あ!いや!そんな事が言いたいわけじゃなくて、飲みに限らず、僕は色々な事を合理的にナニがソレしてるような部分があるんじゃないかなって思うわけですよ。
ただ飲んで騒ぐだけならあんまり飲みに魅力を感じないですが、真面目かつ、飲みを正当化するような事を言いますとー
僕の場合の飲みは、楽しくスキルアップ出来る場だって事です!どうですか!?合理的な場でしょ!?
ヽ(-@∀@)ノ ムリガアルナ
基本的に僕は物凄く面倒臭がり屋なので、一つのイベントに色々重ねないと体力がもたないんですよ、ええ、ええ、なにせ体力が小学生並なもので。
面倒臭がり屋という自分の弱点を合理的だなんて言って自分を正当化していますが、合理的なおかげで色んな部分で得をしているような気もしますよ。
飲みに限らず色んな事を合理化してますからね僕は!
だからなんだっていう内容のコラムになりましたが、どーせ何かをするならアレもコレもっていう欲望が何かナニがソレに繋がってるようなナニがソレだと思ってます。
色んな事を合理化したいですが、できれば楽しい事と絡めて合理化したいですっていうかしてます。
辛い事や苦しい事も楽しい事と合理しちゃえばナニがソレだっていうお話しでしたー!
最近、仕事上の言い訳などで「教えて貰っていないからできない」という言葉を耳にします。
確かに、教えて貰っていなければその仕事はできないのでそんな言葉を発したくなる気持ちはわかります。
普通の仕事であれば、上司などが新人や部下に仕事を教える必要がありますが、では声優は誰から何を教わればいいのでしょうか。
先輩?マネージャー?
まぁ、仮に先輩が世間で言う会社の上司だとしましょう。
では、その先輩とやらが新人声優に自ら近寄ってきてアレやコレやとご丁寧に教えてくれるのか…
そんな事は無いです(笑)。
先輩側も、聞かれれば答えるとは思いますがその後輩との関係性にもよるような感じもあります。
何が言いたいのかというと、声優の世界では「教えて貰っていない」という言い訳は通用しない…と言いますか、基本的に声優の仕事は “教わって仕事を覚えるというスタンスでは無い” って事です。
古い考え方かもしれませんが、僕は「見て覚えろ」「自分で考えろ」みたいに思ってしまいます。
声優の仕事をマニュアル化してそれを覚えさせたとしても、多分うまく行かないと思います。僕だからできる事や、僕だからできない事もあるわけで、僕という声優のマニュアルを作る事は可能かもしれませんが、そんな僕マニュアルを見ても髪型がおかしくなるだけで、他の人には何の役にも立たないでしょう(笑)。
与えられたものを無理矢理覚えるって行為もなかなか自分の身に染み込まない感じもしますしー
結局、自分で覚えようって思えないとダメだと思うんですよね。
自分で成長できないような声優なのであれば業界に必要とされない声優だってだけで、困るのは自分です。残念ながら他人は本当の部分で助けてあげる事はできないのです。自分で何とかするしかないんです。
声優の世界で通用する声優になる為にはどうしたらいいのかって事をしっかりと考えて、どこをどう伸ばし、どんな技術を身につけなければいけないのかという事を自分で考えて実行できるような人が生き残って行けるんじゃないかなーなんて僕は思います。決して、誰かが何かを与えてくれて、何となくその通りにやっていれば何とかなるような世界じゃないです。
「教えて貰っていないからできない」
この台詞が通用するような世界じゃないので、僕も誰かに大金を稼げる技術を教えて貰いたいのは山々ですが、どうにか大金を稼げるような技術を身につけようと日々、目を光らせてナニがソレしているつもりです。はい!頑張ります!
ヽ(-@∀@)ノ ガンバレヨ
一般的な感覚と役者的(声優的)な感覚というのはどこか違うのではないかしら?なんて事を思ったりします。
ザックリ言いますと、どこか役者的な感覚というのは普通じゃないんですよね。あ、いや!勿論、普通の常識的な感覚を持っている役者は沢山いるとは思いますよ、これは僕が思っている事であって役者全員がそうだというわけではありません。
声優の仕事は特殊な仕事です。人様に良いと思って貰える表現、面白いと思って貰える表現を常に追い求めているわけですから、役者として真面目になればなる程に脳ミソが一般的で無くなっていくような気がするわけですよ。あ、僕が真面目だってな話ではないですよ、あ、いや!真面目な部分もありますが(笑)。
知らず知らずのウチに非常識な人間になってしまっているのではないかと思う事もありますし、頭のおかしいヤツだと思われているかもしれないなんて事も考えます。
ヽ(-@∀@)ノ カミガタハオカシイ
一般的という言葉を聞くとどうも “つまらない” というようなニュアンスを含んでいるような気にもなりますし、どうも普通じゃないような方面に考えを持っていきがちな所が僕にはありますのです。
積極的に面白い事に首を突っ込んで何か芝居の糧になればなんて事も思ったりもしますし、日常での物事の捉え方がどこか一般的では無くなってきているのかもしれませんが、どうも “一般的” であったり “常識的” だったりするような事を避けたいような感覚になっています。
僕は一体どういう人間になって行くのでしょう?
ヽ(-@∀@)ノ シラネーヨ
つまらない役者になる位なら非常識でもいいので面白い役者になりたいなんて思う反面、非常識だと思われたら嫌だなと思う自分もいたりするので困ったものです。
あ!常識的で非常識的であればいいのか!
ヽ(-@∀@)ノ ドーユーコト?
とにかく沢山の事を吸収しろって事ですね!なるほど!ありがとうございました!
声優という職業に就いてからよく思う事があります。
“思ったように事が運ばない” という事です。
僕は昔「声優になったらあれよあれよという間に売れまくり、広尾辺りに数億円の大豪邸を建て、お金を湯水のように使いまくるぞ!」なんて幻想を抱いていましたが、現時点でソレを達成できていませんし、やはり理想と現実の差はあるんだなぁなんて感じております。
ヽ(-@∀@)ノ アタリマエダロ
僕の過去の理想はちょっと現実離れし過ぎているような感じではありますが、声優として大金を稼ぐという現実的な理想すらもなかなか思うようには行かないような感じが僕にはあります。
とは言え、この仕事で生活して行かなければいけないわけですから、あの手この手を考えなくてはいけません。
単純に、去年の収入より今年の収入が多ければ良いなんていう理想を僕は掲げています。本当はもっと大きく、かつ具体的な目標を設定した方が良いのでしょうが、怠け者の僕にはこれくらいが丁度良い理想です。
どんな理想や目標も達成できなければ意味は無いように思います。達成する為に何をするべきかって事が重要ですよね。
僕は自分が思ったように生きて行きたいような子供じみた思想を持って生きているので、人の言う事をあまり聞き入れる事が出来ないアタマガッチガチなダメ人間ですが、自分の考えで結果が出なかったり、現状を打破する良案がどーしても浮かばなかったりした時にはー
人の言う事を聞きます!
ヽ(-@∀@)ノ ダレカタスケテ
他人の意見を100%鵜呑みにするという事は猜疑心の塊的な僕にとっては恐ろしくて仕方の無い事なのですが、自分の考えだけで上手く行かなかったり現状が変わらないのであれば、積極的に誰かの言う事を鵜呑みにしてやってみようと思う事があるわけです。あ、いやー、そう滅多にある事じゃないですよ!今までにホンの数回程度しかありませんし、意見を取り入れる人も厳選します。
意見を取り入れようと厳選した人の言う事を100%鵜呑みにすると「えー!?そんな事する必要あるぅ!?」だとか「そんな事、絶対やりたくない!」なんて事があるのですが、鵜呑みにすると決めたのだからやらないといけないんですがー
やってみると意外と良い結果が待っていたりするんですよね。
僕のキャパシティーだけでは行き着く事が出来なかったようなナニがソレに到達する事ができたりしますし、ソレをやる事によって自分のキャパシティーが増えるという事にも繋がりますので、結果が出ない時であったり、変わらない現状が続いている時には、他人の言葉に耳を傾けるのも自分を成功させる一つの手段なのではないでしょうか。
歳を取れば取る程に頭は固くなって行きますし、役者的な仕事をしているとどーしても自分のエゴみたいなモノが出まくってしまうので、時には “勇気を出して他人に身を委ねてみる” なんて事が必要なのではないかななんてソレっぽい事を僕ごときが言ってしまってすみませんでヤンス。
でも、ソレが上手く行ったからといって調子に乗ってソレをやり続けてしまうと、他力本願的な役者になってしまうような気がするので気をつけたい所ではあります。
僕はこの業界で生き延びて行けるなら他力本願だろうが何だろうがアリだと思いますけどねゲへへのへ!
ヽ(-@∀@)ノ プライドナシ
好き嫌いは誰にでもある事ですよね。
僕も沢山あります!嫌いな事の方が圧倒的に多いようなダメ人間です。
ヽ(-@∀@)ノ クズ
好きな芝居もあれば嫌いな芝居もあるわけですがー
僕ら声優は好かれる芝居については嫌でも考えなければいけないようなナニがソレだと思いますー、が!あまりにもソッチにより過ぎて媚びた芝居になってしまうと、これまたナニがソレな感じになってしまいます。演出の期待に応えないと商売にならないので時には媚びた芝居も出来なきゃいけないとは思いますが、理想を言えば自分が良いと思うような芝居を受け入れて貰える事だー、なんて思っている声優は多いと思われますー、いや、僕はそう思いますです。
あえて今回のコラムでは “媚” なんて言葉を使っていますが、僕は媚る事は嫌いですけど、好きです(笑)。
ヽ(-@∀@)ノ ドッチヤネン
媚びを売る事ができる人って凄いですよね。媚を媚だと思わせない人なんてのはもはや神かと思います。
でも媚を媚だと思われてしまう人の芝居ってのはどこかしらにソレが芝居にも出ちゃうように思います。思いますが、時には媚びる必要もあるように僕は思いますので媚でも何でも求められている芝居に近い芝居が出来るのであればその方がいいかなーなんて思っている僕はまだまだナニがソレなのでしょうか?
ヽ(-@∀@)ノ ナニイッテンノ?
出来るだけ好き勝手にやって生きて行きたいと思ってますがなかなか僕の我儘を通してくれるような甘い世界ではないようです。
ヽ(-@∀@)ノ アタリマエダロ
嫌だなと思っている事でも、無理矢理に前向きに楽しもうとすると意外とその嫌な事も楽しめたり好きになったりする事もあるので、嫌いだと思い込まずに取り敢えず前向きにチャレンジしてみるなんて事をやってみると新たな道が開けたりするのではないでしょうか。
僕は商売上であろうと何だろうと基本的に媚る事は嫌いですが、頭を柔らかくしてよく考えてみると、そこまで毛嫌いする必要も無いように思えましたので、媚なければいけない時は全力で媚を楽しむようにしています。嫌々にやっている媚でなければソレは媚では無くなるような感覚もありますし何より自分がソレを楽しめているのであればもはやソレは嫌いな行為では無くなっているのではないかと思うナニがソレですからね。
嫌いな事を楽しめる事が出来れば最高ですよね。
できれば嫌いな事よりも好きな事が多い人生になればナニがソレって事なので、嫌いな事を楽しめるようなナニがソレをアレがコレってお話でした。
ヽ(-@∀@)ノ ナニガソレバッカリ
僕は常に芝居が上手くなりたいみたいな事を考えていますー
は?本当ですよ?ウソなんて言ってないですってば!
ヽ(-@∀@)ノ シンジテチョーダイ
人様に良いと思って頂ける表現力を身につけるためにはどうしたらいいのか。
「声優なんだから良い声出せばいいだろ」
「発声練習とか滑舌の練習をすればいいんじゃないの?」
…的な事を、思われてしまいそうな気がしますが、声を鍛える事はプロとして当たり前であって、プロとしてのソレに見合う表現力というのは当たり前な事だけをやっていても絶対に身につきません。
声ってのは自分の身体から発っするモノですので、自分の身体から良い声が出るように鍛えておく必要はこれまた当たり前のようにあるわけですが、ソレは先程触れたような発声練習であったり滑舌練習であったりするものなどで鍛えなければいけません。つまりソレは当たり前の事であって、問題は当たり前の鍛錬以外の部分の表現力をどう高めるか、という事です。
簡単に言ってしまうと、自分の根本を鍛える…みたいな感じですかね。
ヽ(-@∀@)ノ イミワカンネー
結局、どんな表現を出すのかを決めるのは自分なわけですから、自分自身に良い表現を出せる判断力みたいなモノが備わっていないと、いくら発声が良くても滑舌が良くても世間様に良しとされないな表現を出してしまう可能性が出てきてしまいますよね。そー言った意味でも、良い表現を出せるセンスみたいな部分も鍛えなくてはいけないように僕は思っています。
じゃあ、センスってどーやって鍛えるのよ?なんて思う人もいらっしゃると思いますがー
ソレは、自分という人間とちゃんと向き合って、自分を向上させるって意識を持って日々を生き、その向上の為の行動が具体的に出来ている人にしか身につかない事なんじゃないかなって思います。
自分が素敵であればあれこれ考えないで素でやったとしても素敵な表現として成り立つと思いますから自分が素敵であればこんな楽な事(語弊はありますが)はありません。
人として素敵であれば素敵な表現が出せると僕は信じているわけであります。
その “素敵” だと思われるってのが難しいんですけどね僕の場合は。
ヽ(-@∀@)ノ クズダカラナ
表面的な事(技術的な事)も大事ですが、内面的な事を鍛えない事には声の表現で良いモノは出せないと僕は思いますです的なお話でした。