私がゴロンタロ大学で授業を受け持ったのは5学期分です。
実に二年半(5学期分)と言う、ほどよく長い期間でした。
私が赴任してから変わったこと。
大きく違う点としては、新しい校舎が建ち、インターネットが使用できるようになり、車両入校などに時間制限も設けたりと、以前と比較できないほど【大学】っぽくなったことです。
地質学科1つとっても、教室もでき机なども配置されました。
生徒数も年を重ねるごとに増加しています。
しかし残念なことに、なかなか【質】がついてこないことです。
新しく校舎や教室は出来ても、すぐに雨漏りしたり、赤道直下の暑さに対応するためのクーラー(せめて扇風機!)設置がなかったり、ともう一歩踏み込んだところまでの整備はされませんでした。
実験装置・設備も導入されましたが、この機器を用いた授業や研究開始には至っていません。
授業ついては、バンドン工科大学の講師の方々のご協力により、私の不十分な点を補っていただきました。
普段の授業のように毎週開講というわけにはいかないので、集中講義形式でゴロンタロへお越しいただきました。
この形態・協力は現在のゴロンタロ大学・地質学科には欠かせません。
生徒には負担が大きかったと思いますが、必要な教員を確保するまで続くと思います。
気がかりな点は、講師の方をお招きする際の予算が学期ごとに確保できるかどうか、と言うことです。
見積もりや提案書を提出していても、いつ許可が下りるか分かりません。
したがって、いつも急に来ていただくことに。
講師の方にもそして生徒にも、さらなる負担を強いる結果になっています。
私としても不安定な状況のため、すべての科目準備を講師の方が来ない前提で進める必要がありました。
これよりもっと深刻な事態は、学生が卒業出来ないと言うことです。
2013年9月に入学した生徒は、ゴロンタロ大学に地質学科が出来て第五期生にあたります。
本来ならば、第一期生は第五期生が入学する前に卒業していなければなりません。
しかしながら、第一期生が一回生・二回生の時に授業が開講されなかった、卒論指導が出来る講師がいない、などの理由により、現在も大学に残っています(しかも、半年ごとに授業料を納めている!)。
これは第二期生にも当てはまることで、早急に対応すべき最も重要な事柄です。
以前、バンドン工科大学の講師の方にお願いすると言う案が上がりましたが、予算の問題により断念。
現在は別の大学の講師の方にご協力いただけるよう、打診中です。
また、ゴロンタロ大学・地質学科における講師不足の問題。
私が赴任する以前より、前期課程(院)を別大学にて取得中の方が数名いらっしゃるとのことでした。
しかし、私の任期中に戻ってきた方は1名に留まりました。
戻ってきた方は、来学期より授業受け持ち開始となります。
つまりは、私が受け持っていた科目を引き継ぐだけなのです(現状、変わらず!)。
他の講師の方の前期課程が少しでも早く修了し、ゴロンタロ大学に戻ってくることを祈るばかりです。
このように書いていくと、私がここで活動してきた時間(期間)に出来たことがあるのかと、甚だ疑問です。
私が愛媛大学より与えられた任務は【ゴロンタロ大学で地質学科目を教える事】です。
この任務だけを取って考えると、活動してきたことは意味を持ちます。
しかしただの教員不足を補ったに過ぎず、次につながる【何か】を行うことが出来たのでしょうか?
次回は、この【何か】について考えたいと思います。
あれよあれよと言う間に更新した契約も、残り少しとなりました。
2013年9月から始まった新学期も、先日期末テストを終えました。
私が教えた最後の授業は【結晶・鉱物学】です。
この科目はゴロンタロ大学に来た1年目から毎年受け持っていました。
高校を卒業したばかりの1回生相手だったと言うこともあり、最も試行錯誤した科目でした。
今年は最後まで生き残った(笑)学生も多く、40名以上が期末テストを受けました。
最後の授業はもちろん期末テストなわけです。
テスト時間の2時間、試験監督をしていると見せかけ、生徒を見ていました。
一人ひとりの顔を見て勝手に思い出に浸っていたのです(笑)
この時こうだったな、この学生からの質問はするどかったな、などなど。
あっという間に2時間は過ぎ、採点して評価をつけるまでが仕事です。
同じ科目でも毎年少しずつ授業(スライド)内容を改善していたので、試験は毎年違いました。
採点して評価し終った時、気づいたのです。
全体的にテスト点数と評価が上がっているではありませんか!
授業(スライド)内容を改善すると言っても、大事な内容は変わりません。
評価方法にも変更はありません。
期末テスト内容の核になる部分の回答が、一年目より二年目、そして三年目と回答率が上がっているのです。
実は毎回のテストを保存しており、比べてみたのです。
これは私だけの成果ではないのです。
生徒の協力なしには、授業(スライド)内容の改善なんて出来ません。
私のつたない英語・インドネシア語を理解して、授業についていこうという熱い気持ちがなければ、今回の様に数字に表れることはなかったと思います。
少し遅くなりましたが、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
今年もここゴロンタロよりゴロンタロ情報をゴロンタロ感100%でお伝えしていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
今年は5年に一度の選挙の年。
4月に総選挙、7月には大統領選の投票があります。
インドネシアの2014年は選挙一色です。
小学校敷地や道沿いには、早くも投票を促す看板が設置してあります。
さて、2014年のインドネシア祝日は下記の通りです。
1月 1日(水)新年
1月14日(火) ムハマッド降誕祭
1月31日(金) イムレック(中国暦2565年正月)
3月31日(月) ニュピ(サカ暦1936年新年)
4月18日(金) キリスト受難日
5月1日(木) メーデー
5月15日(木) ワイサック(仏教大祭)
5月27日(火) ムハマッド昇天祭
5月29日(木) キリスト昇天祭
7月28日(月)~29日(火)イドゥル・フィトリ(1435年断食明け)
7月30日(水)~8月1日(金)政令指定休日
8月17日(日) インドネシア共和国独立記念日
10月5日(日) イドゥル・アドハ1435年(メッカ巡礼最終日)
10月25日(土) イスラム暦1436年新年
12月25日(木) クリスマス
12月26日(金) 政令指定休日
今年から、5月1日にメーデーが国民の祝日として追加されました。
8月4日(月)カトパッ
※ゴロンタロでの伝統的行事で【ゴロンタロだけ】お休みです
今年の祝日の感想としては、土日にかぶっているものが多いな、と言う事です。
カレンダーの見た目だけでだと、祝日のない月が2月・6月・9月・10月・11月と…
2014年後半は嫌な感じです。
日本の祝日も休みだったらいいのに!
さて、2014年のイドゥル・フィトリ(1435年断食明け)は私の誕生日ではないですか!
もう3回もゴロンタロでイドゥル・フィトリを過ごした私へのプレゼントとしか考えられません!
どのような一週間になるかはもう分かっています。
よし、州外に行きましょう!
国外に出るのはビザの関係で少し面倒くさいので、インドネシア国内を旅行したいですね。
しかし、この時期は各種交通機関の料金も倍に跳ね上がり、帰省ラッシュなどに巻き込まれたら…
おまけに、レストランなど営業していないでしょう。
となると行先はおのずとイスラム圏外へ。
まずは1番近い東隣の北スラウェシ州。
ゴロンタロから飛行機もありますが(片道40分のプロペラ機)、1000円でゆったりと車移動(10時間)もいいかもしれません。
次にバリ島。
バリではなく、東隣にあるロンボク島。
バリ島とロンボク島の間、ロンボク海峡は生物分布上のウォーレス線が通っていて、実際にこの境界線を見ることができるわけではないが、興味があります(笑)
最後にパプア州&西パプア州!
正直、この州については全くと言っていいほど知りません。
ごめんなさい。
よくばってすべて回るのもいいかもしれません。
今から7月が楽しみです。
今年1年も健康・安全第一に、楽しくダラダラと過ごしたいと思います。
今年も早いもので、残すところ数日となりました。
今年の年末年始は最大9連休ですね。
祖母が作る御節やお餅が恋しくてたまりません。
ここゴロンタロでは、年末年始休暇と言うものは特にありません。
したがって、正月三賀日になんて言葉もなく、クリスマスとセットと言うくらいの認識です。
元旦(1日)のみが休みで、31日も2日も仕事です。
正直、31日も2日も働く人なんてあんまりいないのですが(笑)
国が定めた休日にはクリスマスも含まれるので、キリスト教の方などは25日から休みを取られる方もいます。
さて、インドネシアではイスラム教が約90%を占めますが、その他にヒンドゥー教やキリスト教など様々な宗教があります。
政府は宗教間の調和を取るため、上記したように様々な宗教における祝日を国の祝日として取り扱っています。
したがって、最低でも西洋暦の新年・イスラム正月・ニュピ(ヒンドゥー教における正月)・イムレック(中国正月)の4回があります。
私が2年以上生活してきて感じたことですが、西洋暦の新年と中国正月の2回が特にハデにお祝いされます。
※もちろん、ゴロンタロにおいてです。
まず、ゴロンタロの経済の70%は中華系の方の経済力だと言われています。
ゴロンタロ州における中華系の人口は多くても15%なので、どれほどすごいかが分かっていただけると思います。
ゴロンタロ市内の大きなホテルやカフェ、レストランの経営者やオーナーは大体中華系の方です。
すごい!
したがって、盛大にお祝いできるだけの経済力があるため、自然と中国正月は大盛り上がりです。
そして、西洋暦の新年。
この日は、大晦日から外に出て夜遅く(早朝!)まで新年を祝います。
どうやって祝うかと言うと、花火やラッパを使って空を彩ります。
特に子供達が好きなようで、クリスマス休日頃から花火片手に道路を走り回っています。
私としては新年を騒いだり花火をしたりして迎えるのではなく、しっぽりとクラシックでも聞きながらビール片手に静かに迎えたいですね(笑)
さて、新年がなぜ危ないか。
ズバリ・花火です。
上記したように子供達のテンションは最高潮です。
花火片手に~と書きましたが、この花火が大きい…大きすぎます。
日本の花火のような細長い棒ではなく、子供の手には余りあるほどの四角い太い筒のようなものを持っているのです。
もちろん、火(花火)の量もすさまじい!
お願いだから、花火を下に向けて持って下さい(涙)
そして極めつけは、爆竹です。
自分達の足元で楽しむ分にはまだいいです。
大きな音も我慢しましょう。
ですが子供たちは爆竹に火をつけて、道路に投げるではありませんか!
車やバイク、通行人がいてもお構いなしです。
先日はオートバイを運転中の方が、クリスマスシーズンを祝っていた住民が放った爆竹で胸部に怪我をされました。
このような事故が毎年報告されるので、花火・爆竹の販売を禁止している地域もあるほどです。
昨年はバリで年末年始を過ごしましたが、今年は1年目同様ゴロンタロで過ごそうと思っています。
ですので、クリスマスシーズンから極力夜の外出を控えています。
警戒しすぎだ!と言われますが、安全第一です。
特に市内移動は自転車なので、足元が怖くて…
子供たちを見かけたり花火・爆竹の音を聞こえたりするだけで、帰宅路を変更するほどです。
ですが、元旦を過ぎ2日になってしまえば、仕事や学校も再開するので安心です。
短期決戦です。
今年も私のコラムを読んでいただきありがとうございました。
皆様、よい年をお迎え下さい。
先日、2014年秋入学予定者向けのskype入試の準備を行いました。
日本で試験を受けることが出来ればいいですが、費用の面でなかなか難しいものです。
したがって、我が大学ではskypeを用いた入学試験を実施しています。
入学試験ともなれば、どこで開催しても定められた試験における規定は守らなくてはいけません。
skypeを用いるので、第一にネット環境が十分である必要があります。
インドネシアでは、公共施設・レストラン・コンビニ・スーパーなど大抵の場所に無料wi-fiが設置してあり、比較的容易に携帯やパソコンでネットを使用できます。
ゴロンタロにおいても同様ですが、非常に回線が遅いです。
これは大学施設内でも同様です。
例えば、私が日々連絡をやり取りしているヤフーメール。
就業時間になると繋がらなくなります。
狙い時は深夜・早朝・昼休み・お祈りの時間です。
メールを開けても添付ファイルがあるとまたまた時間がかかります。
そして次に挙げられる問題が、停電です。
今は雨季に突入し、時間帯を問わず大雨が続いています。
こうなると、停電が起こらなくてもまずネットが使用不可になります。
豪雨だと停電が起こってします。
例えネットがダウンしていなくても、停電になれば結果は同じです。
skypeに対応できるネット回線を確保するためには、晴れの日であっても大学ではなかなか難しいというのが私が今まで生活してきて実感した結果です。
私は停電になったりメールチェックすらできなくなったりした場合には、すぐにcaféに移動します。
私が知る限り、ゴロンタロで一番ネット回線がいいです。
しかし、入学試験をcaféで実施するわけにはいきません。
試験会場として、人が出入りしない静かな場所である必要もあるからです。
例え大学ですばらしい速度のネット状況であっても、上記の規定が守れないのです。
インドネシアの文化でしょうか?
どこに行っても、車内や店内から大音量でビートの効いた音楽が流れています。
事務所でカラオケもしていたり、パソコンでイヤホンもつけず音楽を聴いていたり。
人の会話の声も非常に大きいです。
このような騒音(ごめんなさい)から受験者や試験場所を守るすべがなく、大学構内での試験実施は出来ないのです。
上記の規定を守れる場所はどこか。
skypeに対応できるネット環境と静かな場所。
ズバリ、ホテルの一室です。
ゴロンタロ市内だけでも、大小10以上のホテルがあります。
小さいホテルだと、室内でのネットが出来ないことが多いです。
室内でネットができ、回線に問題がないホテルと言うと2つしかありません。
クオリティーホテル(Hotel Quality)かマグナホテル(Hotel Maqna)です。
両ホテルは英語が出来るスタッフがいるので、日本人の方がでも安心して宿泊できます。
マグナホテルはゴロンタロで一番大きなモール(Matahari)と建物続きなので、買い物は便利です。
各種アルコールを取り揃えているのは、クオリティーホテルです。
今回の試験会場には、私の独断と偏見でクオリティーホテルを選択しました。
去年の第一回skype入試もクオリティーホテルだったこともあります。
そして何より格安料金で部屋を借りることが出来たからです(笑)
このskype入試には、ネット回線チェックが試験の数日前に行われます。
このネット回線チェック日、いつも通りの大雨でした。
このホテルは自家発電機があるので停電しても大丈夫ですが、自家発電してもネット回線は復活しません。
タイミングよく、チェック時間に停電となってしまいました。
待つ、と言う原始的手段しか残っていないのですね。
今回の停電は30分弱で復旧してくれたのでよかったです。
電気が使えるようになったからと言ってすぐにネットが使用できるとは限りません。
これも待つこと10分弱。
やっと、ネット回線チェックの開始です。
それでも、途中で何回もストップしてしまいましたが…
本番はまだ数日後ですが、時間を早朝にずらしていただきました。
ゴロンタロタイムで7時開始です。
7時だとまだネット回線も大丈夫だろうと言う、思惑です(笑)
受験する生徒は非常に緊張していますが、私としてはネット状況が不安で仕方ありません。
ゴロンタロにおけるインフラ整備もまだまだ不十分だな、と改めて感じるこの頃でした。
前回のコラムで、インドネシア語検定C級を取得したことをご報告しました。
今回も“言語”についてのことです。
タイトル通り、うすうす感じていたことがあります。
それは、日本語力の低下、です。
せっかくの機会なので、自身の行動を反省・振り返ることにしたいと思います。
少々、お付き合い下さい。
インドネシアに来る前、日本語以外の言語は使う機会がなかったので日本語だけで生活してきました。
こちらに来てからは、英語での生活です。
日本人(家族・教授・友達など)と連絡をする時だけ日本語を使います。
徐々に日常会話でインドネシア語を使うようになりますが、まだ英語優勢。
事態に気づき始めたのは、こちらでの滞在が1年を過ぎた頃です。
英語はもとからあまり話せませんでしたが、最初の1年のおかげで少し上達しました。
インドネシア語も前回お伝えしたようにマスターしやすい言語。
日常生活が出来るレベルまでは、1年あれば十分です。
授業や大事な連絡事項→英語/日常生活→インドネシア語/日本人との会話→日本語、と言う構図になりました。
さて、こうなると出てくる症状。
ズバリ【甘え】です。
“英語とインドネシア語”または“インドネシア語と日本語”など2言語以上話せる人と話すと、ごちゃまぜ会話になるのです。
1つの文章でも、英単語を忘れたけどインドネシア語で言える場合。
このような方法でも会話が成立してしまい、相手に分かってもらえるという甘えが出てきます。
ごちゃまぜ会話が進行してしまいます。
自分が今何語を使っているか、分からなくなります。
残念な状態ですが、感覚がなくなってしまうのです。
この状況が当たり前になった頃に出てきた次の症状。
英語で会話をしていた先生が半年間ドイツに行くことになり、インドネシア語での強制コミュニケーションが始まりました。
授業も、スライドは英語で作成し説明はインドネシア語を話すようになりました。
生徒からの質問も英語ではなく、インドネシア語になりました。
こうなると、インドネシア語での会話がメインになってしまい、文章作成は出来るが英語の会話に支障が出てくるようになりました。
英語で返事をしようとしても、とっさに出てくる言葉がインドネシア語になっていたのです。
1年目は出来ていたのに…
話しているうちに頭が柔らかくなり、会話が終わる頃にやっと返事が英語で出来ると言った状態。
実はこの時期に危機感を覚え、英語を勉強し直しました。
勉強と言うより、英語で会話する時間を作ったのです。
少し改善はされましたが、インドネシア語での生活が日常の大部分を占めるのは時間の問題でした。
さらにこの時期に起こった日本語の問題。
手書きで文章を書くことは、日本でも少ない機会だと思います。
PCで文章を作ると言うことは、漢字も勝手に変換してくれます。
インターネット・携帯があれば、メールで近況報告も出来ます。
私は以前から比較的“手紙”を書くことが好きでした。
こちらに来ても、たまに手紙を書いていました。
しかし、徐々に漢字が書けなくなり、日本語がおかしくなりました。
こちらで出会う日本語を話すことが出来るインドネシア人との会話する場合は、難しい言葉や敬語を使わずに簡単な表現や単語を選んで話します。
相手の言いたいことが少し分からない時は、インドネシア語で補うことが出来ます。
最初は日本語で会話していたのに、最終的にごちゃまぜ会話になり、最初の状況にもどります。
さらには、とっさに日本語が出てこないこともしばしば。
例えば【このインドネシア語は日本語で何て言う意味?】と聞かれても、すぐに答えの単語に結びつかない・出てこないことが多くなりました。
英単語がとっさに出てきたり、少し時間を置かないと日本語を思い出せなかったりしました。
友達とのskypeの時に、日本語がおかしい、と指摘をされるようになります。
さて、現在の状況。
日常会話だけでなく、独り言までもインドネシア語。
誰と会話をしていても、とっさに出てくる言葉がインドネシア語。
日本語を発したつもりだったがインドネシア語で、日本語でないと訂正を受けるまでインドネシア語を発したことに気が付かない。
ポジティブな考え方をすれば、インドネシア語をある程度マスター出来るようになった、ネガティブな考え方をすれば、前からうすうす分かっていたにも関わらず甘えに甘えてきた結果。
英語はもとより日本語を忘れてしまっては本末転倒です。
私、日本人っ!!
今、何語を使って話しているか、と言った意識レベルから気をつけて、日本語と英語力を落とさないように気をつけて生活していきたいと思います。
インドネシア語検定…
ローカル言語の検定で、私も人から聞くまで存在を知らなかったのです。
1年に1月と7月の合計2回開催されています。
日本ではもちろんのこと、インドネシア(ジャカルタとバリ)でも受験が可能です。
今年の1月に受験しようと思った時には、すでに受験票提出期限を過ぎていました。
と言うわけで、7月の回で受験しました。
自身のインドネシア語がどの程度のレベルにあるか手っ取り早く知ることが出来る、1つの基準だと思ったからです。
私がゴロンタロに来る前、全くインドネシア語を勉強しなかったのです。
本は買いましたが、勉強する気が起きず机の上のオブジェと化しました。
“大学で働くし、英語あったらいいか~”なんて、英語も出来ないくせに喋れる体で渡航。
こちらに来て驚いたのですが、教員が英語を喋れない!
唯一喋れる方にいろいろ聞いていたころが懐かしいです。
大学での教員・生徒とのコミュニケーションは全く出来ず、おまけに普段の買い物や食事など、ここで生活するにはインドネシア語が必要だったのです。
よく考えなくても、英語だけで生活出来るはずがないのですが(笑)
と言うわけで、ゴロンタロに到着して初めて、言語の必要性を感じたのです!
今当時を振り返ってみても、自身の考えがいかに浅はかだったか…
大変、恥ずかしいです。
しかし、必要性を感じた後も猛勉強せず。
辞書すら持ち歩かないと言うお粗末な日々。
さて、こんな私がC級を取得出来た理由。
純水に滞在期間が長くなって、ある程度話せるようになったのは言うまでもありません。
そして、インドネシア語しか出来ない家で暮らすことになったこと。
“ご飯を食べましょう”すら理解できず、ジェスチャーで過ごす日々。
こんな状況下でも、上記したように猛勉強しないで今まで生活出来た理由。
それは、常に人の会話を聞くと言うリスニング方法(?)なのです。
友達と乗り物に乗っていて“べロック キリ”と言うと左に曲がります。
次の機会で“べロック カナン”と言うと右に曲がります。
もしや“べロック”とは“曲がる”“キリ・カナン”は“左・右”と言う意味ではないか、と勝手な推論で結果を出します。
そして、家に帰って初めて辞書で意味を確かめるのです(笑)
その他としては、じっくり観察する、です。
状況を見て、私の勝手な想像力で当てはまる意味を探すと言う大胆不敵な方法!
インドネシア語はアルファベットを用いて文字を書き、発音も大体そのまま読めば大丈夫!
実は、インドネシア語は非常にとっつきやすい言語なのです。
なので、最初のハードルはすごく低い。
オブジェ化していたテキストを引っ張り出して、そのまま読めば通じます。
先ほど例に挙げた“キリ・カナン”も載っているではありませんか!
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
インドネシア人はインドネシア語が母国語です。
しかし、インドネシアには数百以上と言われる“地方言語”が存在します。
ここゴロンタロにもゴロンタロ語と呼ばれる地方言語があり、厳密にはゴロンタロ語も3種類あるとか。
この様な勉強方法(?)を取っていたため、インドネシア語だと思って使っていた言葉がゴロンタロ語だったこともありました。
そりゃ、辞書に載ってないはずだわ!
インドネシア語と地方言語(ここではゴロンタロ語を例に挙げて)を比較しても、発音も単語も全く別物なのです。
つまり、インドネシア人は生まれながらにして、すでにバイリンガルだと言っても過言でないと私は思っています。
なぜかと言うと普段の生活の中では、もっぱら地方言語を用いているためです。
買い物や家族・近所での会話はもちろんのこと、正式な会議や授業などでもしばしば耳にします。
この地方言語はそこの集団内でしか通じず、例えばゴロンタロ人集団中にバリ人がいた場合、このバリ人は全く理解できないのです。
一般的には、インドネシア語と地方言語を混ぜて喋ります。
現地人にも地方言語は難しいようです。
最近はやっと“今、ゴロンタロ語が混ざっていたな”と聞き取れるようになりました。
私はバイリンガルだと思っていますが、インドネシア人の方はそうは思っていません。
三言語・四言語(以上)話せると言っています(笑)
それは、なぜか?
少しでも話せる言葉はすべてカウントするからです。
実際に挨拶程度(にもなっていない場合が多い!)のカタコトの英語や日本語で話しかれられるのです。
少しでも喋れたら、“話せる”と言う、まさにインドネシア人の性格!
恥ずかしい、なんて感情は一切ないようで、知っている単語・言葉を並べて話します。
日本人は“英語なんて出来ないよ~”と言いますが、そんな日本人の方がよっぽど理解できているし喋れると私は思います。
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私が少しインドネシア語を話すと“インドネシア語、凄く上手だね”と言ってベタベタに褒めてくれます。
インドネシア人の性格を見習って、間違えることを恥ずかしがらずに喋り続けたのもインドネシア語上達の1つの要因です。
しかし、私程度のレベルには誰でも到達できます。
本当です。
始めに言ったように、インドネシア語が非常にとっつきやすい言語だからです。
ですが、そこ(C級)で満足してもいられません。
ちなみに、インドネシア語検定C級のレベルは“日常生活に必要なインドネシア語を理解し、使用できる”です。
生活は出来るでしょうが、現地で働いている以上はネイティブを目指さねばいけません。
この壁がすごく、厚い!
分厚すぎるのです!
英語でいくらコミュニケーションが取れても、それは英語が出来るインドネシア人と話したに過ぎません。
もっと深く知りたい・伝えたい、英語が出来ない人と喋りたい(ゴロンタロのように田舎だと大部分の方が英語を話せない)、となるとインドネシア語での会話に限られます。
なぜならば、相手の心理・感情に訴えるからです。
ちょっとズルイ言い方かも知れませんが、本当に大事だと思うのです。
【日本人がインドネシア語で何か言ってるぞ、よし、聞いてやろう】まずはこう思ってもらえるかなのです。
ゴロンタロでは英語で喋りかけると見向きもされません。
ここで地方言語が出来ればなおよし!
ゴロンタロ人のハート鷲掴みです(笑)
少し前の7月13日、ルスリ・ハビビゴロンタロ州知事はタイトル通り上級幹部に対し「女性秘書禁止令」を出しました。
この理由が何ともお粗末で、“女性秘書と不倫関係にある上級幹部が大勢いるとの情報提供を数回受けた”ためだとか。
この対策として「女性秘書を男性の補佐か、魅力が薄れた年配の女性に差し替えるように」と指示をしました。
【魅力が薄れた年配の女性】って、いったいぜんたいどういう事でしょう!
そもそも、上級幹部の指導をせず秘書を交代させる提案をする点で、この禁止令が残念でなりません。
州知事は「こうした幹部らは妻より秘書に優しくしている。秘書には出張の際に買い求めた香水やブランドもののバッグをプレゼントしている一方、妻には何一つ買ってこない」とも発言しています。
知ったこっちゃ無いわ、まったく!
現在、女性秘書を雇っている上級幹部は50人ほどいるようで、この秘書の方々がハビビ氏の言う【魅力が薄れた年配の女性】なのかどうかは分からない。
さらに、昨年ゴロンタロ州政府は不倫抑制策として、月給を妻の銀行口座に送金するよう男性公務員3200人に求めていす。
この方法は、ハビビ氏がゴロンタロ州知事になる前に初代北ゴロンタロ県知事として勤めていた北ゴロンタロ県でも採用されていました。
成果のほどは知りませんが、現在は違う県知事になったため、この方法は取られていません。
ただ、こうした不倫騒動は政府の上級幹部に限った話ではありません。
残念ながら、学内でも聞く話しです。
インドネシアおよびゴロンタロ人の大部分はイスラム教を信仰しています。
ご存知の通り、イスラム教は一夫多妻制を認めています。
妻の同意(第二夫人と結婚する前に第一夫人の許可を得る)があれば、宗教裁判所の審査を経て、4人まで妻を持てると法は定めています。
ただ、1つだけ言える事。
それは、ある程度金銭的に余裕がないといけない、ということです。
第一夫人・第二夫人…すべての奥さんにすべてが平等でなければいけないのです。
第一夫人と1時間買い物したら、第二夫人とも1時間買い物をしないといけない。
第一夫人用の家があるなら、第二夫人にも同じ程度の家を建てないといけない。
結納金などの額も同じでないといけない。
しかし最近では、「一夫多妻婚は女性の人権侵害を助長している」と反対する声が勢いを増しつつあるのも現状です。
さて、最初の話題に戻ります。
イスラム教では不倫は重罪であり、その刑罰は重く、死刑になることすら少なくないのです。
例えば、コーランには以下のような文章があります。
「姦通した女と男は、それぞれ100回鞭打て。もしあなたがたがアッラーと末日を信じるならば。アッラーの定めに基づき、両人に対し情に負けてはならない。そして一団の信者に、かれらの処刑に立会わせなさい。」
ムスリムなのに不倫…
ゴロンタロ州では95%以上がムスリムなので、ほとんどの上級幹部がイスラム教を信仰していると考えられます。
他の宗教を信仰していたとしても、不倫はやはり道徳に反すると思いますけどね。
ムスリムの場合、この罪の重大さを考えれば、州知事が女性秘書を禁止するほど日常茶飯事に不倫が起きているということは事実のようですね。
今までゴロンタロで生活してきた中で、お酒を飲んだり女性がタバコを吸ったりしているのを見てきた。
もちろん、ムスリムですよ。
しかし、お祈りは欠かさずに行うし豚肉は絶対に食べない。
インドネシアのムスリムは他の地域と事情が全く 異なり「寛容のイスラム」と呼ばれているのもこのあたりの理由からでしょうか。
すごく矛盾を感じるし、自身の中で消化できない宗教に対する考え方・モヤモヤがあります。
が、イスラム教徒であることを辞めた方がいいとまでは思いません。
ただ、この禁止令。
冒頭でも言ったように不倫することが前提の“不倫するから女性秘書を雇わない”ではなく、男女問わず上級幹部者への指導を行うべきだと私は思えてなりません。
さて、9月中旬より新学期が始まりました。
今期もいつもながら大量な授業科目数です。
日本では秋から始まる学期は“後期”ですが、こちらでは前期です。
前期にはタイトルにあるように、3回生対象に地震学の授業があります。
毎年、この回生は全員履修したいたので気づかなかったのですが…
地震学の第1回目の日、教室に行くと…誰1人としていないのです。
また遅刻か、と待つも一向に来る気配がないのです。
やっと見つけた3回生に話を聞くと“履修していません”の返事。
他の3回生にも同様の質問をするも、答えは一緒。
ここでやっと真実を知ったのです。
“先生、地震学は選択科目だよ”
よくよく聞くと、以前から選択科目だったとか!
非常に衝撃を受けました。
私の授業内容を先輩から聞いて選択しないように言われたのではないか…などとネガティブな考えに陥ったためです。
しかしそうではなかったのです(かなり、安心!)
理由は2つ。
①この学年は5人しかおらず、そもそも人数が少ない
②卒業に必要な単位をすでに取得または取得予定である
そう言えば、昨年の地震学の授業で履修していた現3回生がいたな~などとやっと記憶が戻ってきているところです(笑)
なぜ地震学を教えることが出来なくて、残念がっているのか。
①インドネシアは日本と同様、地震大国であると言う事
②単純に地震学に対する私の思い入れが熱い(笑)
生徒もインドネシアが地震大国であることは知っています。
上の図は1999年から2000年までに全世界で発生したマグニチュード4.0以上、震源の深さ100km以下の地震分布を表しています。
インドネシアはこの赤い点で完全に覆われ、インドネシア国土を見ることは出来ません。
日本も同様です。
しかし、私が教えたいことは別の部分です。
2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震。
そして、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震。
両地震に共通したこととして、大部分の犠牲者が津波によってだったと言う事です。
地震と津波、両者の性質や地震が起こった後の対応方法など、様々な視点から“防災の大切さと心構え”を教えたかったのです。
ゴロンタロ地域でも上記の2点と比較すると小規模ではありますが、地震が発生した後に津波が起こり犠牲者を出しています。
災害の大小を比較することなんてナンセンスなのですが…
どのような場所にいても安全ではないこと、地震だけでなく様々な自然災害が起こるということ。
このことを常に念頭に置いて生活すると、いざと言う時に冷静に対応できることを知っておいてほしかったのです。
ゴロンタロ大学創立50周年記念式典の一環として、生徒同士の交流の場を設けました。
交流と言っても、お互いの国について紹介すると言った内容ではありません。
“研究と発表”、この期間・時間の中でお互いに交流してもらおうと言うものです。
主な研究テーマは4つ。
・ゴロンタロの地質
・リンボト湖(ゴロンタロ州にある大きな湖)の水質調査
・リンボト湖の生態調査
・カポック(繊維)を用いた水質改善方法
上記のテーマは大きなゴールなだけで、具体的な調査対象や研究手法は一切伝えませんでした。
各テーマに配属された両大学の生徒同士で話し合い、問題点を発見し解決・調査方法を議論してほしかったのです。
この議論する時間が文化交流でもあったわけです。
今回は調査開始から発表まで10日余りと言うタイトなスケジュール。
発表は4日の国際セミナー内で時間を設けました。
まず愛媛大学の学生がゴロンタロに到着する前に、skypeを用いて顔合わせをしました。
なかなかネット回線が安定せず、うまくいかなかったのですが…
そののち、メールでやり取りしてもらいました。
お互いに慣れない英語で必死に意思疎通しようとしている姿が非常に微笑ましい光景でした。
ゴロンタロに到着し、両大学学生による顔合わせと言う名の議論!
各チーム、お互い辞書片手に臨みますが、やはり緊張してさぐりさぐりの状況。
言葉の壁もあり、うまく議論が進みませんでした。
ですが、数日間一緒に過ごすうちに徐々に打ち解けてきたようでした。
調査はこうやってするんだ、ゴロンタロの食べ物はどうしてこう辛いのか、など調査期間を通してお互いに学ぶことが多かったようです。
調査期間が終わり調査結果を発表する日になり、生徒たちの緊張はピークに達していました。
調査時間・発表のスライド作りなど、すべてにおいて時間が足りない中での国際セミナー。
しかしどのチームも協力し発表を成功させていました。
初めての取り組みで、準備不足な部分はたくさんありました。
事前協議や語学問題、調査における準備などです。
今回はゴロンタロ大学創立50周年記念式典の一環プログラムと言う扱いでしたが、この交流・調査方法が有効であれば来年以降は別の形で続けていきたいと思います。