ゴロンタロ再発見!と言うのも、こんなに長く同じ場所で生活していると改めて〖ゴロンタロを観光しよう〗などとは思わないものです。
今回は、何とジャカルタからお客様がお見えになりましたので、一緒にゴロンタロの観光名所を回りました。
ジャカルタからのお客様は、日本人の方々で〖ゴロンタロを見てみたい〗と自ら旅行を企画していらっしゃいました。
ありがたいものです。
今考えると、ゴロンタロの観光名所についての記事を書いたことがありませんでしたので、観光スポットのご紹介をしたいと思います。
二部に分けてお送りしたいと思います。
第一段は先にもお伝えした〖ゴロンタロの観光名所〗です。
次回お送りするのは、そもそもどうやってゴロンタロまで?に対応するための〖ゴロンタロまでの道のり〗です。
① Benteng Otanaha/オタナハ要塞
この要塞は市内から約8km西に向かった場所にあります。
15世紀に建てられたとされていて、要塞に使用されている石材は周囲にある石灰岩にマレオと呼ばれる鳥の卵(白身のみ)を混ぜて作られました。
入場料は1人5,000ルピアで、車で直接要塞まで行くことも出来ますが、下から345段の階段をのぼっても行くことが出来ます。
要塞からはリンボト湖を見渡すことが出来ます。
② Menara Limboto/リンボトタワー
空港から市内に向かう道の途中に、パリのエッフェル塔を思わせるような(笑)タワーが見えてきます。
※ 実際にゴロンタロ人は冗談を交えてゴロンタロのエッフェル塔と呼んだりもするし、タワーのモデルはエッフェル塔からインスピレーションされたとも言っている
空港から市内に行く人(もしくは、市内から空港に行く人)はこのタワーが見えたら、半分の道のりを来たなと思って下さい。
2002年に建設され、エレベーターを完備した総長60mのタワーです。
のぼった先から見える市内の景色はなかなかいいものがあります。
正直なところエレベーターに乗るにはだいぶ勇気が必要です。
途中で止まるかもしれない…
ですが、途中からの上に行くエレベーター(最初のエレベーターは途中までしかない)は故障中なので心配は(そんなに)いりません。
一番上まで目指す場合は、途中から階段を地道に上りましょう。
入場料は子供:5,000ルピア・大人:10,000ルピアですが、管理人がいつもいるとは限りません。
いない場合は近くの人に聞いてみましょう。
大抵の場合、誰かが管理人を呼んでくるか連絡をしてくれます。
※このようなアバウト感も楽しんで下さい
③ Pantai Botutonuo/ボトゥトヌゥオビーチ
市内から南の道沿いを東に40分ほど行ったところにあるビーチです。
訪れた日は残念ながら雨が降りましたが、ダブルレインボーを見ることが出来ました!
このビーチは市内から近いこともあり、土日にはゴロンタロ人の憩いの場所としてにぎわいます。
ビーチと言ってもここは白い砂浜ではなく、石がゴロゴロしていて素足では痛いです…
ボーっと眺めるのもいいですが、せっかくなので遊覧船に乗ってちょっと沖合まで出ましょう。
このボートはビーチから声の届く範囲でスタンバイしていますので、気軽に声をかけることが出来ます。
料金は1人5,000ルピアです。
沖から見た海はまた別の世界で、海も色が違います。
④ Benteng Orange/オレンジ要塞
要塞シリーズ第2段です。
ここは、市内から車で2時間ほど北に向かった場所にあります。
ここの要塞もオタナハ要塞と同じ手法で作られたと言われています。
16世紀にオランダ人が作ったのかと思いきや、現地の方は〖ポルトガル人が作ったものをオランダ人が奪ったんだよ〗とおっしゃっていて、詳細は分りません。
そもそも両要塞についての詳細な歴史的研究はなされておらず、誰にも本当のところは分らないのです。
以前は海岸がもっと近くにあり、この要塞から直接海に出ることが出来る道(穴)がありましたが、現在は閉じられており見ることはできません。
入場料は不要ですが、管理人さんっぽい方に会ったら気持ちとしてタバコ代を渡しましょう。
⑤ Ota Jin/オタ洞窟
ここは④から車で東に30~40分ほど東に向かった場所にあります。
この周辺は東隣にある北スラウェシ州との州境付近にあります。
左手側に水田の中に巨大な岩を見ることが出来ます。
この大きな岩の割れ目は、子供もしくはすごく細身の方は入ることが出来ます。
そもそも〖Jin〗とはインドネシア語で〖精霊〗という意味です。
現地の方はこの岩に魂が宿ると信じており、神秘を感じているようです。
ここは入場無料です。
※ 現在、周囲は水田となっていますが、2015年から水田を公園にする計画があります。
⑥ Pulau Soronde/サロンデ島
ゴロンタロの北側に位置するサロンデ島。
クワンダン港からボートで45分ほどタラタラと向かった先にあります。
サロンデ島には陸内に3棟(内2棟は2014年完成)と水上に2棟のコテージ(2014年完成)があるので、宿泊可能です。
ここでは、日常のすべてを忘れてただただ時間を過ごしてほしいです。
シュノーケリングするもよし、周囲にある他の島へ行ってもよし、ビーチに座ってビールを飲むのもよし、コテージでゴロゴロするもよしです。
※ サロンデ島から30分ほどの場所にあるPulau Lampu/ランプ島です
《サロンデ島観光&旅行情報》
サロンデ島へ観光・宿泊・食事を希望する場合には、事前に連絡を入れておくことを強くおススメいたします。
食材、真水などはすべて本土より運ばれてきているためです。
※ 参考URL→http://sarondeislands.com/
小学生の時、家⇔小学校の通路は学校側が決めていました。
この道は通っていい、ここを曲がってあの通りに出て…
ですが、家付近(団地内)の道まで決まっているわけではありません。
小学校に通う前、両親と団地内ではどの道を通るか練習し、覚え、その道で6年間通い続けました。
ふと、上記したことを思い出したのはマカッサルにある日本領事館から電話もいただいた時でした。
【ゴロンタロ付近で地震があったようですが、怪我などはありませんか。大丈夫ですか。】
移動中のことで、地震があったことにも気づきませんでした。
この時に頂いた電話がどれほど心強かったことか。
私は守られている!と感じました。
地震があったことも知らなかったので、もちろん怪我などもありませんでした。
さて、ゴロンタロで生活を始めて4年目に入って初めて真剣に考えたこと。
【自分の身に何かあった時に、どうやって日本に知らせるか】
今まで考えてこなかった私は怠け者です、はい。
地震などの自然災害の際には、大使館から安否確認の連絡があるでしょう。
ですが、野外フィールドで外に出ている時、移動中も含めた出張先、普通の道での交通事故…いつ何が起こるか分りません。
誰か日本人がいれば、誰か知り合いが近くにいれは、日本側に連絡は行くと思います。
ですが、一人ですので自分でどうにかするしかありません。
もちろん、周囲のゴロンタロ人の力なくしては連絡が出来ない事の方が多いかもしれません。
この際に真っ先に考えたのは、意識不明などにより自信が直接連絡出来ない場合。
私の身元を証明するものと緊急連絡先を小さくコピーして常に持ち歩くことにしました。
身元証明はパスポートで十分です。
緊急連絡先…
私を見つけた人が私の上司(県知事)に連絡するだけでは、日本まで正確な情報が届かない可能性があります。
言葉の問題です。
ここで日本と上司の橋渡しをしてくれるのは、以前勤めていたゴロンタロ大学の先生しかいない!と思ったのですが…
連絡がつかないのです。
思い当たる先生は2人います。
1人目は、ヤヒヤ先生。
現在、奥様は私の教授のもとでドクターコースを取得中であり、英語も堪能。
ですが、奥様に会うために頻繁に日本にいってらっしゃるためになかなかゴロンタロにいない!
2人目は、アジズ先生。
日本滞在期間が長かった分、日本語がペラペラ。もちろん英語も堪能でいらっしゃいます。
ですが、海洋、特に伝統船がご専門ですので海の上にいることも多く、この伝統船がゴロンタロの伝統ではなく他の地域の伝統船なので、これまたなかなかゴロンタロにいない!
実はこの緊急連絡網作成にあたって、直接説明してご協力を得て…と思っていましたが、まだゴロンタロにいらっしゃらないようなので、完成は先延ばし状態です。
他に手段はないのだろうか…
なかなか思いつかないのです。
緊急連絡網はシンプルに限ると思っていましたが、プランA、プランB、プランCといくつか案を持っておくのが得策のようです。
いい案を募集中です(笑)
現在は先にお伝えしたように完成していない以上、言葉の壁を無視するという不安が残るプランを採用しています。
日々の生活で最も大切なことは、もちろん事件・事故に巻き込まれないよう行動することです。
フィールドや出張などの際には、いつからいつまで誰とどこに行くのか、と言うことを周知徹底させておく。
このような当たり前のことの積み重ねが、安全なゴロンタロ生活の基本であることを再確認した出来事でした。
ここゴロンタロで洗濯をしようと思ったら3つの方法しかありません。
① 洗濯機を使う
② 洗濯板でゴシゴシ頑張る
③ ランドリーに持っていく
まだまだ洗濯機が普及しておらず、お手伝いさんや誰かが家にいる家庭だと②の方法です。
洗濯機に乾燥機はついていません。
脱水能力もなかなか低く、洗濯が終わった洋服を取り出してもポタポタ水がしたたることもあります。
①と②の方法で洗濯した場合は、洋服は芝や木、ロープや洗濯物干しにかけて乾燥させます。
木や芝にかけて干す場合は、片面が乾いた時点で裏替えしもう片面を乾燥させます。
途中で雨でも降り出したら慌てて取り込みます。
が、雨が降る時間とお昼寝の時間はだいたいかぶっているので、気づかずにビショビショになってしまうこと多いです。
こんな場合は洗いなおすことなく、そのまま置いていきます。
何て言っても、手洗いで干す場合は洋服を絞ることなく、そのままダイレクトに干すので雨で濡れても問題ないのです。
さて、私はと言いますと、ここにきて③の方法でしか洗濯していません。
もちろん挑戦しようと洗濯板でゴシゴシと努力しましたか、不慣れで時間がかかるし汚れも落ちないしすぐにやめました(笑)
ゴロンタロにはたくさんのランドリーがあります。
値段も1kgが4000~5000ルピア(約40~50円)という破格の値段です。
しかも、洗濯だけでなくアイロンをかけてパッキングしてくれます!
私が一番気に入っているのは、香りがいいことです。
ゴロンタロに年に1回調査に来る学生さん曰く、この香りは日本に帰って何回洗濯しても取れないらしいですが…
文章だけで、この素敵な香りをお伝えできないのは残念です。
1kgの洗濯物と言ってもなかなか想像できないと思います。
私はいつも1週間分をまとめて持っていきます。
ですので、7着分の衣類(夏物)と下着、タオルなどです。
これで3~4kgほどです。
何と安いんでしょう。
この写真にある洗濯物の量は10日分です。
出来上がりも早く、例えば月曜日朝に持って行ったとすると水曜日の夕方には出来上がりです。
エクスプレスなんてサービスもあって、2倍の金額を払うだけで、月曜日朝に持って行ったとすると月曜日の夕方もしくは夜には出来上がっています。
すんばらしいっ!
ですが、1つだけ…たった1つだけ問題があるのです。
タイトルにも書きましたが、勝手に洋服に名前を書くのです。
しかも油性マジックで布に直接…
タグの部分ならまだいいですし、100歩譲って厚手の生地ならいいでしょう。
しかし、シフォン生地のブラウスやサテン生地のワンピースにSAYAKAと…
私は場所を変えて浮気することなく、今までずっと1つのランドリーにお願いしてきました。
それなのに…
ゴロンタロでの生活が2年目に入るまでは1つ1つすべての洋服に【タグ】が付けられていました。
イメージとしては、新しい洋服を買った際についている値札もしくはサイズのアレ(タグ)です。
大きさは1cm×1cmくらいで、そのタグにSAYAKAと書かれていました。
しかしこのタグをつけるのが面倒くさくなったのでしょうか…
実はちょっと怒っている私ですが、洋服に名前が書かれていることに気づいたのは今年に入ってからなのです(笑)
タグがつかなくなって、ランドリーでの洗濯が終わった洋服をタンスに収納する時、この小さなタグを1つ1つ取らなくていいな~と思っていたら…
まさか、まさかの!!です。
最近になってようやく許す気持ちも出てきましたが、やっぱりイライラするものです。
恐る恐る出した新しく買ったワンピース、初洗濯の後。
やはり、しっかり名前が書いてあったのでありました…
毎年お伝えしているこの行事、灯りの祭典。
断食月に行われている祭典で、断食が終了する3日前の夜から始まります。
近年問題になっているのは、この祭典で使用する灯油についてである。
この祭典で使用する灯りはビン(ランプ)に灯油を入れる。
この灯油代は値上げ一途であり、3日間3つのランプを使用するには約1リットルの灯油が必要で、この1リットルの値段は13,000~14,000ルピア(約115円)である。
ランプの使用個数は家庭や場所によって異なるが、3日間で3つだけということはない。
玄関先や道路沿い、公園など様々な場所にたくさんのランプを置き、街全体が神秘的な光に包まれるのである。
さて、この問題を解決しこの伝統的行事・祭典を盛り上げようと政府も対応を見せる。
今年州政府は5万リットル以上の灯油を用意し、Tumbilotoheで使用する目的で無料にて市民に配布した。
ちょっと残念なことは、少数ではあるが、バイクや機械稼働のために本来とは違う目的(Tumbilotohe)のために使用されたという点である。
この祭典がゴロンタロ州の文化遺産になっていること、そして灯油価格の上昇を考えると、このような政府の積極的対策は来年以降も検討してほしいと願う。
住民間でもこの伝統行事へ思いはひとしおである。
断食月に開催されるという宗教的面だけでなく、ゴロンタロ人の自身の文化・伝統に対する愛を私でも感じることが出来るからである。
しかし先に挙げたように、ランプに使用する灯油の問題は避けては通れない。
そこで考えたのは、灯油のランプでなく電気(電球)を使用しようというものである。
電力事情が決して安定しているとは言えないゴロンタロではあるが、この方法は着実に広がっていて、道路沿いにアーチのようにして設置する方法が最も多い。
家庭の収入の差かもしれないが、この方法をとっているのは市内より市街地(田舎)が多いのが特徴である。
もちろんコンセントからつないでいるので、この電力を提供している家(室内)は暗い(笑)
知ってか知らずか、これがさらにアーチを綺麗に見せてくれるのである。
そして若者やカップルはこのアーチがある地域の情報をどうやって入手するのか不明だが、毎晩のように地方に出かけては数メートル続くこのアーチの下をバイクで通って行くのである。
形は少しずつ変わっていくが、それでもこの伝統行事を楽しみ、後世に伝えようとするゴロンタロ人の思いを感じることが出来た期間であった。
インドネシアに来て、4回目の断食月を送っております。
今年も例に漏れず、自分の部屋から一歩でも外に出ると断食を行っています。
現地の方からすると、これは断食とは呼ばないでしょうが、やはり人の前で堂々と何かを口に出来ないものです。
私が最も好きな断食月の時間帯は何といっても一日の断食が終わる夕方の時間です。
平日ならまだ別ですが、土日など休みの日は、メイン道路であることを忘れてしまうほどの静けさなのです。
それがどうでしょう。
一日の断食が終わる夕方頃は、道のいたるところでお粥やちょっとしたお菓子を販売しています。
一日の断食後の食事の準備をするため、皆さん外に出来ます。
全く人通りがなかったのに、街に活気が戻ります。
パワーをもらえる気がしてこの時間帯に街をブラブラすることもあります。
ブラブラするだけではもったいないので、私も皆さんのマネをしてお粥を購入してみました。
この時のお粥の味がびっくりするくらい塩辛かったのです。
ここのお店はこんな味付けなんだろうか…疑問が残りました。
次の日も同じ場所でお粥を購入しましたが、その時の味はおいしかったです。
これだけでは分らないので、別の日にまた購入して食べてみます。
塩辛くなく、おいしくいただきました。
そこで初めて疑問をいだいたのが『誰が味見をしているのだろう?』と言うことでした。
このお店に限らず、すべての飲食店・屋台などの食べ物の味見はどうしているのか?
飲食店に限らず、各家庭で準備されるものも同様です。
アバウトな言い方をすると、断食は日が昇っている間中行われます。
断食の行為には食べること、飲むこと、タバコを吸うことなどが含まれます。
以前もお伝えしましたが、自身の唾液を飲み込むことすらしない方もいらっしゃいます。
したがって、『味見』なんて出来るはずがありません。
ただ、例外もありイスラム教の方全員が断食をするわけではないのです。
病気の方・妊婦さん・子供(6歳くらいまで)・生理中の女性・重労働者などです。
後日、味付けについて気になっていた私は、この店を訪れ質問しました。
『断食中のこの食事はどのように味付けするのですか?』
おばちゃん曰く、『今まで料理を作ってきた経験と勘ねぇ~、もしくは娘が妊娠しているから彼女にお願いしてるわ』だそうです。
まぁ、分っていた結果でしたが、これでスッキリです。
ですが、スッキリした時間はほんの少しでした。
『経験と勘』って言ったけど、私だってちょっとは味見するわよ!
私が少し困惑した顔をしていたのでしょうか、おばちゃんは『いっぱい食べなきゃいいの。味見なんてほんのちょっとよ』とおっしゃっていました。
どこも同じかは分りません。
正直な気持ちは『それでいいの?』と疑問を抱く結果でしたが、また1つ断食についての知識が増えた瞬間でした。
ゴロンタロ州にはスマラタ、マリサ、ボネ海岸沿い、ビンタウナなど州内各地に以前から金鉱山がありました。
ゴロンタロ地域がオランダによって占領されていた当時の資料(遅くとも1700年)には、オランダ軍により上記した地域での金採取が確認されています。
つまり、ゴロンタロでは300年以上の金採掘の歴史かあると言えます。
現在でも、これらの地域やその周辺では金採掘が続けられています。
さて、金はどのようにして採掘されるのでしょうか?
ゴロンタロにおける採取方法に関する詳しい資料は多くないのですが、2つの方法があるようです。
まず1つ目。
この方法は、大きな皿(揺り板)を用いた方法です。
砂金などを採取する際に用いられる方法で、比重の違いを利用して砂の中から砂金だけを選り分けます。
もう1つは、水銀を用いた方法です。
以外にもこの方法は古くから知られており、金と水銀の物理的性質を利用した方法です。
この方法は『アマルガム法』と呼ばれており、現在ゴロンタロにある金鉱山で採用されている方法です。
このアマルガム法による金採取過程を写真とともにご紹介したいと思います。
① まずは金が含まれている岩石を採取する
② ある程度小さく砕く
③ “トロモ”と呼ばれる樽に、砕いた岩石・水・水銀を一緒に入れて、樽を回す
※樽を回している間に、岩石がより細かく砕かれ、姿を現した金属粒子が水銀と接することによりアマルガムと呼ばれる合金を作る。
④ トロモからアマルガムを採取する
⑤ アマルガムを加熱し水銀を蒸発させて、残ったものが金!
このようなプロセスを経て、金を得ています。
さて、ここで使用された水銀。
ご存知のように人体を含む動物や環境などに対する水銀問題が深刻です。
ゴロンタロ州にあるほとんどの金鉱山は、『鉱山』とは名ばかりで、産業設備を整えていない金採掘のことです。
手掘りや小規模金採掘と呼んでいますが、水銀を使用する世界最大セクターの1つです。
水銀が引き起こす問題には様々なことがあります。
例えば人体への影響。
水銀は中枢神経や臓器などの器官に障害をもたらします。
高濃度の場合は言うまでもなく低濃度の場合であっても、長時間水銀と関わる環境下にさらされると、脳に障害を受け最終的には死に至ります。
間接的に影響を受けることもあります。
妊娠した女性がすでに水銀に被曝している場合は、母体を通じて胎児の体内へと吸収されます。
ここで私が取り組んでいることは、環境および人体などを含む動物にどの程度まで水銀汚染が広まっているか、ということです。
しかし、このような研究・調査はすでに様々な国や研究者によって行われています。
特に新しい研究ではありません。
対象となる地域で『こんなに含まれていますよ』『ここは危ないですよ』と発表するだけでは何の意味もないのです。
労働者やその家族、その鉱山がある地域の政府役人など、皆さん水銀の危険性を知っています。
だけど、どうして未だに働き続けているか?
政府はどうして政策を取れないのか?
根底にある理由に目を向け、その問題に取り組んでいかないと真の解決にはならないのです。
ゴロンタロで抱える最も大きな問題に『貧困』があります。
これはゴロンタロだけでなく、インドネシアを含むアジア、中南米、アフリカなど世界中で問題となっています。
そこで私の役目は現地コミュニケーターとして、現地にどっぷり根を下ろし、労働者やその家族から生の声を聞くことなのです。
そもそもここで働いている人は『問題』だと思っていないのです。
私たち(研究者や政府)が勝手に『問題だ』『危険だ』と言っているに過ぎないのです。
もちろん、間違いではありませんし、叶うならすぐに鉱山での労働をやめてほしいです。
しかし、彼らにも生活があり、子供を養わないといけないのです。
初めにお伝えしたように、ゴロンタロでの金採掘の歴史は長いです。
数世代に渡って行われてきました。
文化を断ち切るとまでは言いませんが、いつかは尽きてしまう自然資源(金)であることも確かです。
明日の生活を心配するのも重々承知しています。
しかし、ここで子供や孫の時代に目を向けてほしいと考えるのです。
貧困問題解決を政府と協力して行い、労働者には少しでも水銀の恐ろしさを知ってもらう。
時間がかかり粘り強さが必要だと思います。
確実に一歩ずつ前に進めるよう努めていきます。
私が小学生の時にはすでに、このテーマにおけることを学習する時間があった。
身近な問題や取り組みとして、『ゴミを分別する』『電気をこまめに消す』と言ったことを先生から教わった。
もっと学年が上がると、日本だけでなく世界各地で起こっている様々な環境問題や要因、そしてどのような国際的協力・対策が行われているかを学んだ。
大学生になると、より専門的レベルでの講義になった。
環境問題には様々な事項があり、気候変動、大気汚染、水質汚染、土壌汚染、酸性雨、砂漠化など挙げだしたらキリがありません。
上に挙げたのは大まかに分類されているだけで、『水質汚染』というたった1つのテーマを取り上げても、水質汚濁、海洋汚染、地下水汚染、赤潮、石油流出など発生した場所などによってより詳細に分類されます。
しかし1つだけ言える確かな事。
それは、どんな環境問題も主たる原因となるのは『人間の活動』によるものだということです。
私たち人類は自然環境を利用して、現在まで文明を発展させてきました。
自分の部屋で音楽を聴きながらパソコンを用いてこの文章を書くことができるのも、まさにこの文明の発達のおかげです。
しかし、自然環境を利用して発展する、何かをするということは、自然環境に負担をかけることでもあります。
自然はそもそも『自己修復性』を持っています。
自己修復性とは、負担に対し自然自身で修復し回復しもとの状態に戻るサイクルのことです。
負担とは、人類が自然環境を利用し発生したことをさします。
簡単な自己修復性の例だと、植物が採取されたあとまた芽が出てもとのように成長することです。
なぜ、環境問題が起こるのか。
それは、人類の活動がこの環境の自己修復性の限度を超えてしまっているためです。
限度を超えてしまったらどうなるのか。
修復するまでの時間が必要以上にかかり、そもそも自己修復が不可能な段階までに至ってしまう。
先ほどの例で言うと、植物が過剰に採取されることでむき出しとなった土壌に雨が降ることで土地が浸食される。
この土地の養分は浸食により貧弱なものとなり、植物が育ちにくくなる。
またこの植物を食べて生活していた動物は、この地での生活が困難になったため、他の場所へこの植物を求め旅に出る。
行きついた先で同じ現象が起こる…
このように、止めようがない負の連鎖を生むことになる。
人類がまだ狩猟生活をしていた頃。
この頃は携帯電話なんてなかったし、人口だって今よりずっとずっと少なかった。
大量に自然環境を必要としなかったのです。
しかし時代とともに人口が増え、産業革命や技術開発が起こり世界中に広がりました。
よく教科書で見た、人口総数と二酸化炭素量のグラフ。
誰がこのグラフを見ても、人口増加または人類活動と二酸化炭素量の関係性を疑います。
しかし、この時代はまだ発展途中。
産業技術などの発展に伴う環境問題に注目または関係性があると気付く人はごく僅かでした。
日本においては、1880年頃に発生した足尾銅山鉱毒事件があり、「日本の公害の原点」ともされる公害事件があります。
日本だけでなく、産業活動が盛んな地域やその周辺において動物の死などと言った被害も認められていたが、この原因が人類の活動によるものだと関連し認知されるまでには至りませんでした。
時代が経つにつれ、人類を取り巻く環境について科学的に調査できるだけの技術も進歩しました。
環境問題が研究者だけの世界に留まらず、世間に注目される大きなキッカケになったのは、1962年にレイチェル・カールソンが執筆した『沈黙の春』です。
経済的豊かさを背景に深刻化していく公害問題。
このように、公害問題から環境問題への広がりは世界の共通認識となり、地球温暖化などの環境問題は世界共通の課題となっていったのです。
環境問題が注目され始め、自国だけでなく国際的な協力関係の下で取り組みが開始されてまだ数十年。
どんなに発展した科学技術も、環境問題を解決するには至りません。
また、環境問題は経済発展にも密に関係しています。
例えば、ここゴロンタロ。
小学校や中学校などで授業の一環として学習するも、実際の学校そのものや家庭などで実施されるにはまだ時間が必要です。
ここでの生活向上と環境保護との折り合いがつかないのです。
私がここで行っている調査とその中での課題について、次回はお送りしたいと思います。
JunkSrageをご覧の皆様、改めましてゴロンタロより高倉です。
2月いっぱいをもってゴロンタロ大学との契約が終了したのち、幸せにもゴロンタロにて再就職することができました。
新しい勤務先は、北ゴロンタロ県地方政府です。
ここで、地質および環境分野専門職員として勤務いたします。
仕事内容は後ほどご紹介するとして、本日は北ゴロンタロ県について少しご紹介したいと思います。
まず、ゴロンタロ州には1つの市と5つの県があります。
北ゴロンタロ県はゴロンタロ州の北側に面しており、市内から車で片道1.5~2時間です。時間に幅があるのは、道路混雑状況と運転手の性格の差です。
北ゴロンタロ県は2007年4月26日に正式に県として認められました。
以前はゴロンタロ県の一部でした。
ゴロンタロ州北部の海岸に位置しているため、漁業を中心とする第一次産業がメインです。
北ゴロンタロ県の中心都市はクワンダン(Kwandang)郡で、その他10の郡(合計11郡)と123の村々によって成り立っています。
2013年の統計省のデータに基づくと、人口は約11万人です。
私が北ゴロンタロ県で雇っていただくことになった経緯としては、昨年(2013年)5月に締結された覚書によるものです。
北ゴロンタロ県が抱える様々な問題を、インドネシア中央政府とだけでなく日本とも協力して解決していこうという、北ゴロンタロ県知事およびその他職員の方々の強いお気持ちにより実現しました。
北ゴロンタロ県地方政府だけでなく、以前勤めていたゴロンタロ大学や日本とも協力して、私自身ができことを精一杯やっていきたいと思います。
コラムの内容は政治の話だけでなく、今までに引き続きゴロンタロの魅力もお届けしたいと思っています。
今後とも、どうぞお付き合い下さいませ。
自身における【何か】とかは【新たな視点ができた】の一言につきると思う。
知らない土地で生活を始めれば、誰でも思いそして感じることだと思う。
インドネシアやゴロンタロの言葉、習慣や文化を知ることができたのはもちろんのことだ。
恥ずかしながら、日本について知らないことが多く、勉強する事が多かった。
時々しか帰ってこない日本でも、1つ1つが新しい。
1つのありふれた事柄を挙げても、今は別の視点で考えることができる。
と言うことは、選択肢が増える。
現地で生活を始めると同時に、人生で初めての仕事を開始した。
仕事の仕方なんて全く知らないし、海外生活も初めて。
今思い出すだけで、ありえない選択肢をしたな、と笑いさえ起こってくる(笑)
こんな右も左も全くわからない、言葉もできない私が、今まで現地で生活し仕事ができたのは、周囲に私を理解し応援し支えて下さる方がいたからだ。
一人では決して生活も仕事も出来なかった。
ありきたりな言葉かもしれないが、心から感謝している。
本当に、本当に!!!!!!
ゴロンタロでの生活は、私の身になり、自身の人間形成にまで影響した、確かなMOMENTだった。
簡単に経験できることではない。
ゴロンタロでの思い出、経験、感じ思った全てのことを、これからの自身の糧とし今後に繋げていくことで、私を応援してくれた皆様への恩返しとしていきたい。
この【何か】とは、自身が期待・想像していた【変化】だと思います。
1つは、ゴロンタロ大学の変化。
もう1つは、自身の変化。
変化とは目で見えるものもあれば、見えないものもあります。
変化とは、私を含む他人が客観的に見て・判断することだと思います。
例えば、前回お伝えした【(目で見える)変化】として、ゴロンタロ大学が“大学らしくなった”ことが挙げられます。
校舎などの建物が新たにできたことなどを理由として挙げましたが、これは誰が見ても分かる最も分かりやすい【変化】だと思います。
ただ、フォーカスは何と言っても“ヒト”にあると思います。
なぜなら、大学で勉強するのも働くのも結局ヒトですし、何かを作り上げるのもヒトだからです。
私が初めてこちらに来て感じたことは、当たり前ではありますが、文化・考え方などすべてが違うと言う事です。
当たり前です(2回言うくらい当たり前!)、ここはゴロンタロですから!
二国間(以上)において協定がある、一緒に働くなどといった活動はすでにインターナショナルなお付き合いなわけです。
したがって、勝手ながら“インドネシア感を全面に出してこないだろう”と言う思いでやってきました。
ふふふ、これが甘かったのです。
少しずつ伝えていこう!と思い、取り組み始めました。
習慣というものは、ちょっとやそっとで変わるものではありません。
教室に時計がない→ゴロンタロ大学では当たり前→買えばいい
上記の様に、お金を出して解決することもあります。
これでは根本的な部分が解決しません。
どうして時計がないのか→時間を見る習慣がないから→時計を置いても意味がない
ここで、どうして時計が必要なのかを説明します。
しかし、時計なしでの生活(習慣)が“普通”なため、理解してもらえないのです。
初めにも言いましたが、何事もヒトが作り上げていくと私は考えています。
非常に些細な事ですが、1つずつ粘り強く続ける(伝える)事が大事だと自身に言い聞かせ、何事も話し合いをしてきました。
授業をしない理由、期限・時間を守ること、研究・試料採取方法など多岐に及びました。
正直なところ『私がゴロンタロを変えてやる!』とすこぶる意気込んで乗り込んできました。
何かあったら、話せば伝わるだろう!と思って過ごしてきました。
今、どうしてこの【何か】がしっくりきていないのか。
【変化】がなかったから、です。
正確に言うと、私が想像していたボーダーまでの【変化】がなかったのです。
私の考えが甘かったのは認めるも、それを捨てることが出来なかったために残ったこのモヤモヤ感…
言っても仕方ないだろう、と諦めてしまった部分もあり…
言葉を覚えて伝えるも、ネイティブまでは程遠く…
最終地点・目標のために1つ1つ小さな段階を設定して伝える方法もイマイチ…
国際協力とは何なのか?
授業やってくれてありがとう、単なる人材補充では意味がないのです。
今回任期が終了するように、私はいずれいなくなります。
ゴロンタロ人の力だけで、何事も進めなくてはいけない時が必ず来ます。
この時に果たして私がいた事が意味を持っていたのかが問われると思っています。
そして『この時』のために、私がいる期間に出来ることをしなくてはならなかったのです。
私が想像していたボーダーとは、私の任期中に伝えたい必要不可欠だと思われる事柄だったのです。
一方的に考えを巡らせると少し悲しい気持ちになるので、ゴロンタロ人が客観的に見て感じた【変化】について今しばらく見ていたいと思います。
私が気づかなかっただけで、【目に見えない変化】が【目で見える変化】になることを期待して。
今回は、ゴロンタロ大学における【変化】をお伝えしました。
次回は、自身における【変化】について考えたいと思います。
もうしばらく私の反省・思いにお付き合い下さいませ。