一般公募の映画のキャストオーディションに参加してきました。
妊娠中、家で退屈していたときドラマを片っ端から観ていたのですが…また映像演技のお仕事がしたいな…とふつふつ思っていて
最近、役者仲間の関西人がチョイ役であっても役者のお仕事軌道に乗っているそうで、そんないい話をきいていたら
「そういえば20代前半までは映像の世界への希望を捨ててなかったのに…結局自分から動かなかったなー」と思い始めて、無事に出産したら事務所にまた顔だしてこようかなと考えていたのです。
今回の一般公募のは、なんとなくふらっと行ってみよういう感じで応募してみたのですが
私と同じ時間に出席していたガールズはバリバリオーディション慣れしているような現役モデルだとかミュージカル経験者たち。
もう、芸能界に出ることにガツガツ向かっている子たちというか。(私はそこからいつの間に外れていったのだろうか)
オーディション内容はまず1分間の自己PR。
劇団に通ってたときは、このPRの訓練たくさんやってきたな…
与えられた時間で、自分のアピールポイントを羅列したり、演技には関係ないのに歌ってみたりとか、自分を変に表面上だけ綺麗に見せようとしてつまらないPRしてきたんだなと思い出してしまいました。
よく〆の言葉で「明るさと笑顔と根性だけは負けません」とほざくアイドル女優志望がいたけど、実際今回もいて、大人になってみてみるととても痛々しい。
大勢オーディションを受ける中で、印象に残るようなことを言う、もしくは容姿をもっているか。
自己PRは、パントマイムが〜、即興が〜、弾き語りが得意でーすとできることを口走っても、そのあとの演技審査で何ができるかできないか丸わかりなので1分という短い時間が勿体ないなと。
PRでは普段、何を考えてどんな生活をしているのか。人間像を話した方がよっぽど個性があるし、個人に興味がもてると今になって気づいてしまったのでした。
演技診査は、2人組になって演技。
私は人数の都合で別の台詞で1人芝居。
そして与えられた台詞だけでなくその後もアドリブで繋ぐという。
2人組ならコミュニケーションとれるけど、1人のときの頭の回転が凄まじいったらない。
私は妄想でペラペラ言ってましたが、どうしてもお笑いの要素が入ってしまいますね…。(与えられた台詞はとってもシリアスだったのに)
そして、役ではなく自分として言葉を発してしまう。
その中に全くの演技素人さんが1人いらっしゃり、その方の台詞まわしが素で関西訛りだけど、リアリティがあって好感がもてる…という発見。
(この方は講評でも、素人にしては空気の作り方が上手と褒められていた)
その昔、「劇団養成所出身の役者は、映像の世界では劇団臭い芝居だ」と教えられたことがありますが…
いわゆる「お芝居モード」というリアリズムが薄く、今私たち演技してまーす!という空気や役同士のコミュニケーションの欠如がみえるのですよね。
審査後は、審査員から講評をいただけるという有り難さ。
どこの部分を中心に観てましたよ、なんていう。
「このグループはみんな演技が上手だね」から始まりホッとして。
一人芝居のときは台詞ひとつひとつのテンポや変化をみていたそうです。
この数年、オーディションと言っても
名前言って、アリア歌ってありがとうございましたと頭下げて帰ってくるという
役に声質と技術と容姿が合うかどうか、の審査に慣れてしまっていたので
今回のオーディションはかなり別の場所からアドレナリンが出たような気が致します…。
与えられた数分で台詞を入れて、設定考えて、アドリブでの大体の流れも想定する…そんな演技も、自己PRの訓練も、劇団の養成所では死ぬほどやってきたのに、しばらくこの世界から離れただけでちょいビビってしまったのでした。
ビビりながらも、この日事故なくできたのは昔の訓練がどこかしらに染み付いていたからこそ。
これを機にまた訓練し直さねばな。
読者の皆様、ご無沙汰しています。
役者でソプラノのたかはしういかです。
私事ではありますが、同業者の声楽家(バスオペラ歌手)の夫と昨年入籍をし、現在妊娠10ヶ月に突入いたしました。
本業、副業ともに“産休”状態になっています。
この数年、妊娠後期までたくさんの舞台や作品にさまざまな形で関わらせていただいたので、振り返っていけたらなと思います。
さて、今回また筆をとろうと思ったきっかけになった出来事というのは、女性舞台人に対する「マタハラ」についてモヤモヤしてしまったからです。
昨年、コンサートでご一緒した先輩ソプラノ歌手の方が、とある指揮者の方(こちらも、あるカンパニーでお世話になった)と入籍されたというご報告を耳にし、さらにご懐妊されているという嬉しいニュースまでおききしました。
お二人は、今夏、某地域オペラ団体に夫婦共演されるということ。
ソプラノの方はプリマ(主役)でご出演予定。
この情報を教えてくれた人は「妊婦なのに、大丈夫なのかよ」という含みをもたせていました。
現在、妊婦歌手(勝手に)の私は、
「本番は、妊娠7ヶ月あたりにさしかかるから安定期だし、衣装でおなかもどーんと隠しきれないわけではないので平気でしょ。」と思ったのですが共演者やプロダクションからすると「何かあった場合、不安」の一言なのでしょうね。
稽古日程で、そのプリマがトリ(稽古がそのキャストだけお休みになる)なったのをみて「うわ、指揮者権限かよ。なんで主役がトリで俺らが稽古なんだよ」と冗談ででも言っているその人をとても軽蔑しました。
正直、私自身は妊娠初期中期は極力、迷惑をかけないように主宰や身近の共演者だけに報告はして妊娠を公に公表さず舞台に上がっていましたが、
さすがに臨月に出演予定だったコンサートやオペラに関しては、主宰側に「私自身は出演を希望しますが、許可していただけますか?」とお伺いを立て、ご相談の上で降板を決めました。
オペラの話はさすがに、小娘の役で妊婦姿(臨月の腹つきだし)で村娘の衣装は着られないだろう、とか、
やはり出番が少ない役といえども絡んでくる役のキャストの方が「もしかしたら本番直前に破水してダブルキャストがやるんじゃないか?」と不安にさせる、ということでした。
パワフルな方だと臨月だろうが、コンサート出演なさってますからね。
本当にその現場の方のご協力がないとできないことです。
あと、とてもショックだったのは所属させていただいているブライダル系音楽事務所から突然お電話をいただき
「きくところによるとおなかが目立ってきているようなので、来週以降の発注をキャンセルさせていただきますね。」
楽器の方が大きなおなかで挙式演奏なさっていたので、歌い手も問題ないと思いきや。
発注担当者が違う方のため、おなかの出具合も確認していないのに突然打ち切られてしまいました。
まだまだ、安定期でしたが出産予定日の2か月前までと自分自身で決めていたこともあったので、はやめの通告はとてもショックだのが本音です。
しかしながら、ブライダル業界。その対応にも理解ができるので素直に従いました。
出産は病気ではない、だけど何が起きるかわからない。
出産は予定日はあるものの、意思で出産日が決められるわけではない。
身体が商売道具のため、自分の感で「いつまで舞台にあがるのか」を決める必要があります。
主治医に「いつまで舞台に立っていいですか?」なんて相談もしますが、
これは普通のOLさんやパートさんが「いつ頃から産休をとったらいいのでしょう?」と尋ねるのと同じです。
自分の身体のことなので、子宮口の開き具合をみていただくくらいしか確認しようがないのです。
赤ちゃんは授かりものです。
しかし、私たち舞台人にとっては、計画的な妊娠が一番の得策であるのだな、と身をもって痛感してしまいました。
無計画な妊娠は出演をお受けしていた舞台や作品に関わる全ての方にどんな形であれ迷惑をかけてしまいます。
後味が悪い文章になってしまいましたが、
今では妊娠していることを公表して、母としても舞台人としても「充電」の時期だと切り替えて生活しています。
声楽の師匠からは「おなかに赤ちゃんがいる今だからこそつかめる、声と身体のつながりや仕組みをつかむチャンスだ!」と口酸っぱく言っていただき、レッスンを受けさせていただいています。
来週月曜日本番の「Cosi fan tutte」
一週間早めのゲネプロがありました。
通し稽古は1回あったものの、とにかく長い作品なので途中で集中力が切れる切れる
ただテンションだけは持ち続けることはできたと思います。
デスピーナは女中で特にキャラクターものなのですが
他の役の行動の補佐までできるといいな…と思っています
一番親しいバス歌手が
「バスっていうのは常に脇役で、プリマプリモたちや他の役がどんな立ち回りをしているかを常に把握していて、彼らが例え決まり事の行動(小道具の移動や立ち位置)を忘れてしまったとしても、瞬時に先回りをして補助をするのが仕事だ。
プリマプリモは不安をもたせず歌ってもらわないといけない。」
と常日頃言っていて、ソプラノの私は感銘を受けたのでした。
ソプラノはプリマ気質になりやすいのでね…
先日の「ラ・ボエーム」
ラブシーンでカーテンをあけたら月明かりがヒロインの顔を照らす…というシーン
そのずっと前に仲間達が部屋から出かけるときにカーテンをしめる…という行動を忘れたために
この大事なシーンでカーテンが開けっ放しだったため、照明ふくめたスタッフが慌てるということがありましたが…
これは、もしかしたら他の役でも助けあえることだったかもしれない…と今では思います。
若く見られるのが嬉しいときと、
そうでないときがあります。
オペラの現場やブライダルの現場で
「学生さん?」という質問をされると
例え純粋に若いから聞いていたとしても
技術が未熟だからまだ学生なのか尋ねられてるような気がしてカチンとくるのですが
今日は「学校でてるの?」とオペラの現場で合唱のオジサマに聞かれました?
これにはさすがに「(ポカーン)どういう意味ですか?」
高卒なの?と聞かれたような。
あとからきくと、次の公演の合唱もできたら出てほしいけど
大学生だと授業で自分の時間がとれないから、自由に時間がきくのかどうか知りたかったそう。
あまりにも言葉たらず。
(どっちにしても次の公演はキャストの予定なのですが…ごめんなさい。)
オペラの現場に主催から御依頼いただいて
合唱にお手伝いで入っていると一番多いのは
「学生さん?」
「いいえ、もうとっくに出てますよ」
「じゃ出たばっかりくらい?」
「(まだきいてくるか)いいえ、もう30歳手前です」
「どこの音大出たの?」
「(ひつこい…)音大出てないですが、○○歌劇団に所属しています」
「あらー幸せな人生ね」
というやりとり。
大学出たばっかりかどうかなんてきいてどうするの?て。
私が過剰に敏感になりすぎかもしれませんが。
よく考えると、市民オペラに若いのが混じっていれば学生が手伝いに来てるのかな?と思うのは普通のことで、
和ませようと声をかけてくださったのを感謝しなければならないのに…。
昨日のこと、若いキャストの男の子がやってきて
「つかぬことをおききしますが、学生ですか?」
「いいえ、そんなに若くみえますか?(ニコニコ)
ごめんね、考えてるよりオバチャンと思うよ?」
「え?同じくらいかな?と思って。仲間を探していたので…」
「いくつなの?」
「23です」
「わっか!頑張ってー!」
のようなことがあり、音楽ソリスト稽古からベテラン中堅どころに混じって心細かったんだろうな…と察しました。
しかし、合唱の中に混じっていた私によくぞ声をかけた青年バス歌手の勇気を讃えたい!
女性だから年齢きくのを失礼だと思っているのかもしれないけど、
若いな→学生ですか? より
まだ20代?のほうがいい、と勝手に思っている。
その人がアマだろがプロだろが変に傷つかない。
私の仲間も同様なことで、モヤモヤしてると言っていた。
そしたら、アマの合唱団に混じって歌うのをやめたらいいことなのですがね…
どんな形であれ、現場に入っていることは勉強になるし
そこは若手ならではのお付き合いとかありますから。
「私はソリストだから、絶対合唱はやらない!」という仲間もいます。
ハッキリしていて清々しい。
私はこの仲間の考えもすごく尊敬しています。
最後に…
若い女子ははっきり年齢きいてもいい、と思うのですよ。
特に歌い手だと30代までは若手のうちなので。
昨日は団内で行われた試唱会。
出番は夕方でした。
試唱会といっても、公演監督とキャスティングに関わる事務局に歌うことでプレゼンする場。
そして、今回は新たに就任した公演監督に初めて自身の歌を聴かせる機会。
いつもにも増して緊張が激しく、「緊張してない、緊張してない、どうどうどう」と念じていたら
その緊張が肋骨、胃、横隔膜あたりまで降りて
動悸はないにしても歌い終わったあとの吐き気が帰宅まで続いていました。
先日の「ラ・ボエーム」ムゼッタの初登場シーン前もかなり緊張していましたが、それとは格段に違うド緊張。
おわったあとに胃付近を摩りながらウエウエ言い続けて悶えていたら、ピアニストさんに笑われるという。
キャラクター的なものをアピールするのか
声質的なもの?と悩んでいましたが、未だに一つのアリアをどれ一つマトモに歌いきれないわたしはこれらを提出しました。
「Don Giovanni」Zerlina
7月頭に出演したヅェルリーナのお色気で恋人を慰めるアリア
「Rigoletto」Gilda
研究生から歌ってあっためつづけている純粋無垢な娘のアリア
アクート(高音)あり
どちらも小娘の役。
どちらが当たっても私(の見た目だけは)に適役(のはず)
そして、歌唱直前にどちらを歌うのか聞かされたのは…
後者でした。
フレッシュコンサートでも、昨年の試唱会、今年3月のりゅーとぴあのどでかいホールでも…
歌いすぎじゃないか?いや、提出しすぎというくらい。
「あんた歌ってて幸せなの?」と20代前半までは言われてきました
歌唱力の前に根本的なメンタルの部分がアウトー!だったので、とにかくジルダとしても歌い手としても「私しあわせー!」という殻を自分なりに破ってきた(つもり)なのですがどうなのでしょう
ネットや新聞で私の演奏を講評や紹介していただくときに
「可憐な舞台姿」とか「初々しい」という言葉を度々つかっていただいてます。
まだ若手だから初々しくても許せる…という年齢かもしれませんが
もうゆるされないリミットはきています
そんな焦りが随分前からありますが。
とにかく、いろんな作品にふれ勉強するほかないのですね。
先日のお散歩ポートレートを紹介していただいていました。
カメラマンさんに選抜は一任しているのですが
私だったら絶対選ばない笑顔のものがアップされてます。
私…自分の笑顔が苦手なんです
自分で鏡をみるのも…というくらい。
(レッスンでもよう自分の顔ガン見できない←ダメ)
こんな顔をしているんですね(ヒトごと)
ポートレートは素敵な時間です。
暑い中本当にありがとうございました!
ポートレート撮影をしてきました。
おそらく半年以上ぶり。
久々に撮影するたびに「撮影されるのが苦手なのになぜ撮影してもらいたいのか」ということを考えます。
それを考えはじめると、
劇団に幼少期に入団して人前で台詞をいうのが恥ずかしくて恥ずかしくて発表会(試験)で自分のせいで時間をものすごく食ったあの日を思い出すのですが
視線を集めたい…だけど自信がない
という昔ながらのマイナス志向が全然治ってないことに気付かされます。
シャッター音がするとレンズから目を逸らす…
宣材写真よく撮れるねと言われました。
…確かに。
私の中でポートレート撮影と宣材写真の撮影は
個人の内面の対話、そして後者は全体へ向けての表面的なアピールと考えているのかもしれません。
宣材写真て、顔写真だけで興味をひきつけなければならないもので表面的でしかない、これは私自身に限定されます。
悪い言い方をすれば上っ面だけのいい顔。
よそ行きの顔。
(もちろん人柄が表情に表れている素敵な方もたくさんいらっしゃいます)
ポートレート撮影はカメラマンとの空間、時間、風景の共有。
信頼関係が表れるものなので、シャッターをきるより会話を楽しませてくださる方というのは本当にありがたく、
そんな方からみた私はどのように写っているのだろう
どんな人間にみてくださっているのだろう…と作品を通して見えるのが私が考えるポートレートでした。
あ、でも私はワガママなのでスタジオポートレートでなく、屋外での散歩しながらのポートレートの話です。
こう書いていくと、宣材写真の撮影にしろ屋外の散歩撮影にしろ…自分が心を開いてみせたらカメラマンにも嫌な思いさせないじゃん…と思ってしまいました。
別に考える必要性はないのに。
もう20代後半なのにまだ人前での恥じらいがあるのか…。
情けない。
実は、ここ数日
11月に公演予定の「Cosi fan tutte」の男声キャストを集めるべく打診をしておりました…
(※私は運営ではありません。いちキャスト)
なかなか二つ返事で演じてくださる方は見つからないものです。
なにせ長い作品なので、暗譜のやり直しなんかが時間と体力をつかうので他現場があるとなるとやりくりが相当です。
そして最終的に、いつも私を助けてくださるベテランの方々が前向きには考えてくださっているとお返事いただけたので、無事御一緒できますように。
私はキャラクターもののデスピーナ(女中)で出演予定なのですがアリアや重唱よりもレチタティーヴォの役作り間に合うのか…否か…が不安で仕方がない
指揮は仲良しな仲間なのだけど、
「デスピンは安泰な人ほど落ちるから」って。
またうなされるレベルで叩き込まねば…
また終演後役抜き大変よね…とまだ稽古も始まってもないのにそんな心配までする暇があるなら
さっさと譜読み始めなさいとセルフ叱咤するのです。
年間オペラを10本以上なさっている方って本当に器用だと思います。
期間をかぶらせて、現場を掛け持ちするとしても丁寧に役作りできるのは2つまでだ…
(私のいまの実力だと…もしかしたら全然できていないかも)
と思っているのですが
ここに、チケットノルマやら副業が入るとまた違った悩みや不安が増えるので、ぜひ、日本の中でオペレッタや歌劇のマーケティングがミュージカル並にあがりますようにと願っています。
一段落…とはある意味、オーディション期間が終わったというか
1つの役をアリアだけでも向き合って挑戦し、みていただけたという、ひとつの区切りでした。
3年前だったか、どうしてもこの先持ち役にしたい役のキャスティングオーディションで、歌唱選考の前日に
「応募人数多数のため、予定にはありませんでしたが書類選考させていただき、経歴不足のため」と不合格通知を受け取った経験があります。
そのオーディションにむけておそらく3ヶ月は同じアリアを練習し続けただけに、聞いてもらえないというシビアな状況にかなりショックだったことを今でも覚えています。
なので、第一次は書類選考のオーディションに関してはたとえほぼ全員が第二次に呼ばれるとしても、きいていただける機会を与えていただいたことに感謝しています。
「応募人数多数のため、CD録音審査を行います」で、デモ審査で通過して、会場でも審査していただけるときには飛び上がるほどでしたが。
私は、オーディションとなると、芸能界のオーディションとごっちゃになるのですが…
最近は、歌唱というのはもちろんスタイルや外見も審査しているため、
やはり子役から心がけている「目についてナンボ」というスタンスは抜け切れていません。
私は身長が低く、人と比べるとなにかとチンチクリンでどうにも大人には見えないそうで、
特に今回挑戦した大人の魅力タップリな役だと、いつも通りじゃ「なんで、この役受けにきたの?おじょーちゃん」状態なわけです。
いつもはふりふりしている私は、巻き髪ロングヘアに網タイツを履き、ショッキングピンクのワンピースで挑んだのですが…楽屋に入ると
ほとんどが、白黒。まれに簡単なロングドレスな方がいましたが、白を基調としている、もしくは黒。
やっちまったかー私?もしかして勘違い女?
と思いましたが、もうそこはその選んだお洋服で会場までその役のなんちゃって雰囲気作りしてるので、やり切るしかないとヤケクソでした。
インパクトつけにゃ!といいつつ…順番待ちはまさかのトップバッターでしたがね…
あーあ、全体の基準になってしまった…。
昨日はGWあけオフだったので、歌手仲間の引越し物件内覧に同行しました。
大家さん自ら、こだわりの内装を御説明いただきとても素敵な物件でした。
マンションにはフルートをご趣味でなさってる奥様がお二人もいらっしゃったりドラマーなど、音楽愛好家の方々かいらっしゃるみたいです。
同行して知ったのは、音楽家向きの音出し可能物件は昔に比べてだいぶ少ないこと。
ピアノや楽器が可能でも声楽は不可が増えたこと。(金管楽器奏者からの歌い手への苦情が多いため)
楽器の音はは耐えられるけど、歌は聴いてられないとか。(歌い手によって喉という楽器が違うから好みもあるし)
その仲間は何件目かの不動産やさん入ってすぐ、「音出し可能でピアノと声楽」と言った途端、
「声楽ですかぁ…」と嫌な顔をされ、ただでさえ音出し可能が少ないというのは重々承知で声楽可能物件を探しているのに、悲しい気持ちになったそうです。
今回内覧させていただいた物件に歌い手は入居したことはないので、大家さんが「ちょっとMAXで歌ってみてほしい」というので歌うと…
家の中が響く響く。
ただ響くということは、外にあまり漏れていないということで、トラブルにはならないだろうと判断されました。
音楽仲間たちに物件探しについて今まできいてきた話によれば、家での音出しを諦めて外のスタジオに出向くとか、思い切って一室に防音室を入れるだとか…
私の父も転勤族で引越しは何度も経験しているけど、ピアノ可能物件探しは本当に大変だったと母から言われてましたから…そこからさらに声楽…と絞られるわけですからね
音楽家のための物件やミュージションがさらに増えますように。
‘photogenic!’
と、私がモデルをさせていただいたポートレート写真をみた宣教師先生がおっしゃいました。
私自身は以前から言うように、写真写りはものすごく悪いし、さらに撮影しにくいことで有名…。
ポートレートのモデルは不向きだけれど、やはり出来上がった作品を見せていただくときは、ドキドキします。
今回、褒めてくださったのは、微妙表情での佇む姿でした。
自分の写真写りが気になるわけではなく、カメラマンさんとのメンタル面での距離感。
写真というものは正直で、表情や態度に如実に出てくるわけであります。
最近はポートレート撮影していませんが、皆さんの作品拝見させていただいています。
やはり、被写体と撮影者の距離感というか、その色が柔らかい空間であるほど私はほんわかするのです。
「この空間を切り取りたい!」と思いながら撮影されてる方がどれほどいるのでしょうか。
「綺麗な作品を残したい」という想いの方はたくさんいらっしゃると思います。
なぜ、こんなことを思ったかというと
自分自身があるベテランソプラノ歌手の方に歌について相談したときに
「ひどい言い方をしてしまうかもしれないけど、あなたは声ももっているし歌えているけど、冷たい歌なの。」という言葉をいただきました。
全くそのとおりで、歌と心がどこかで途切れているように聴こえる、あるいは頭でっかちで考え過ぎた上に歌に乗せられない。
綺麗な声だけど「なんかつまらない歌」となる。
写真も同じで「綺麗」だけど、「だからなに?何を伝えたいの?」と思う作品に出会うことがあります。
綺麗な女の人、綺麗な風景…それは分かったけど…あなたは何を思ったの?何を残したかったの?というところまで伝えられて「ポートレート撮影」なのかな…と思います。
どれだけ「技術や発声のことより、テキストをよめ!役のことを考えろ!そうすれば自ずとその心情が技術としてついてくるから!」と指導されても
私は綺麗にうまく歌いたい…と頑固に思いすぎていたようで、最近はようやくテキストを噛み砕くことが楽しくなってきたところです。
あとは、それが歌に乗せられるかどうか。