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ポートレート撮影をしてきました。
おそらく半年以上ぶり。
久々に撮影するたびに「撮影されるのが苦手なのになぜ撮影してもらいたいのか」ということを考えます。
それを考えはじめると、
劇団に幼少期に入団して人前で台詞をいうのが恥ずかしくて恥ずかしくて発表会(試験)で自分のせいで時間をものすごく食ったあの日を思い出すのですが
視線を集めたい…だけど自信がない
という昔ながらのマイナス志向が全然治ってないことに気付かされます。
シャッター音がするとレンズから目を逸らす…
宣材写真よく撮れるねと言われました。
…確かに。
私の中でポートレート撮影と宣材写真の撮影は
個人の内面の対話、そして後者は全体へ向けての表面的なアピールと考えているのかもしれません。
宣材写真て、顔写真だけで興味をひきつけなければならないもので表面的でしかない、これは私自身に限定されます。
悪い言い方をすれば上っ面だけのいい顔。
よそ行きの顔。
(もちろん人柄が表情に表れている素敵な方もたくさんいらっしゃいます)
ポートレート撮影はカメラマンとの空間、時間、風景の共有。
信頼関係が表れるものなので、シャッターをきるより会話を楽しませてくださる方というのは本当にありがたく、
そんな方からみた私はどのように写っているのだろう
どんな人間にみてくださっているのだろう…と作品を通して見えるのが私が考えるポートレートでした。
あ、でも私はワガママなのでスタジオポートレートでなく、屋外での散歩しながらのポートレートの話です。
こう書いていくと、宣材写真の撮影にしろ屋外の散歩撮影にしろ…自分が心を開いてみせたらカメラマンにも嫌な思いさせないじゃん…と思ってしまいました。
別に考える必要性はないのに。
もう20代後半なのにまだ人前での恥じらいがあるのか…。
情けない。