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2012/03/31

ザ・シークレット・サービス
【IN THE LINE OF FIRE】1993年
大学時代、自分の進む道を決めようとしていた頃。

老齢となったクリント・イーストウッド【Clint Eastwood】が
老いたエージェントのフランク・ホリガン【Frank Horrigan】役を、
まるで彼のその時をそのまま演じるかのような姿が衝撃的だった。

世代交代とか役者の厚みとかを意識し始めたのは
恐らくこの映画からだったのだと思う。
20代からそんなこと考えてたんだと、自分ながらにびっくりする。

特にDVDパッケージやポスターにもなっているシーンが象徴的である。

大統領の警備を務めることとなり、
車に片手をついて息切れ切れになりながら走るホリガンの姿は、
どこまで演技で、どこまで本音なんだろう、と考えさせらた。

もちろん役作りの上であろうけれど、その姿にはひどく心を打たれ、
今見ても、そして今だからこそなのか、やはり同じように心揺れる。

この映画の良さはそれだけではなく
老いたホリガンに合わせるような淡々としたストーリーの進行や、
敵役となるジョン・マルコヴィッチ【John Malkovich】の名演ぶり
と、ムダなところがない。

割と堅苦しい感じで進行するこの映画、
1シーンだが“老齢”を全面に出した、ジョーク的な和やかカットがある。

必死になって駆け足で大統領の車と併走するホリガンのシーンの後、
一変してばたばたと救急隊員がオフィスに駆け込んでくる。
“ホリガンが心臓発作に!”
慌てて救急隊員を追うようにホリガンがいる控え室に飛び込む同僚達。

救急隊員『大丈夫か』
ホリガン『何事だ?』
救急隊員『心臓発作だと』
長官『大丈夫か?』
ホリガン『昼寝だ』
(その場の皆が安堵から笑う)
ホリガン『そうか チクショー! 誰のいたずらだ!』

staffs: Hey, pal, are you okay? Hey, take it easy.
Horrigan: Get the hell out of here. The hell’s going on?
stafs: I got a call here was a cardiac case.
officer: You all right? Frank?
Horrigan: Yeah, I’m on my break here.
(laugh)
Horrigan: I get it. You bastards. Who’s the wise guy?

皮肉にしろいたずらするのは“wise guy”
つまりずる賢いヒトってことなんだな、と素朴に思った。

お世辞にもかっこいいとは言い難く、
ふざけんな、と言ってもおかしくない状況をただの負け犬の遠吠えにせず、
俺より賢いやつは誰だ、とジョークにしてしまえるのは
歳を重ねた故の余裕の対応だな、と。賢い。

+++++++

コラムを書く為に改めて監督やキャストを調べるのだけれど
毎回、え、こんな所で、あ、これもこの監督が!という発見がある。

この映画の監督ウォルフガング・ペーターゼン【Wolfgang Petersen】も
私が物語が好きになったきっかけとなったミヒャエル・エンデの
ネバーエンディング・ストーリー【The Neverending Story】の映画化版や
コラムにも書いているアウトブレイクを手掛けている。、
結局自分の好みの作品はどこかでつながっているモノなんだ、と納得。

09:03 | masaki | ザ・シークレット・サービス/俳優の老い はコメントを受け付けていません
2012/03/25

待ち合わせまで時間があったので
渋谷のTSUTAYAに立ち寄る。

インターネットでCDも買えれば、一曲買いでダウンロードもできる今日この頃
久しぶりに店頭に行った。

一番に欲しい曲はそれなりに名が売れてるアーティストだったので
店頭正面の視聴コーナーにバーンと置いてあって
1曲買いもどうかと聴いてみたら良かったので買うことにする。

それからふらふらと店内にいくつかある視聴機をはしごして、
スタッフおすすめ視聴から1つ良さげなアーティストをピックアップ。
1、2曲聴いたことがあり、でもアーティスト名を初めて知った、ぐらいだったりする。

こういう出会いはワクワクする。

普段からも友人や同僚にもおすすめを聞くのは大好きで
本屋やレンタルDVDにあるスタッフの手書きおすすめPOPは割と参考にする。
何しろお店の方は、その道のプロである。好みはあるにしろ聴いて見るもんである。
そこから新しい世界が広がって行くわけである。

NYに住んでいた頃、会社帰りにタイムズスクエアにあるバージンメガストアに寄り
視聴機に入ってる店員オススメの、聞いたことないようなアーティストのCDを
よく衝動買いしてた。

一発ものも多く、その後さっぱり聞かないアーティストになることが度々だったけど
‘その’アルバムは良くて、今でもいくつかのCDは売らずに大事にしている。

お店は広くて視聴機が壁一面に並び、
しかもそのおすすめの入れ替わりが早く、毎日寄っても飽きることがなかった。
今思えば、場所柄店員の耳も肥えていて、
洋楽が好きな私には、かなり贅沢な情報収集の場だったのだと思う。

何しろ場所はブロードウェイのど真ん中、周辺にはラジオシティやMTV、
カーネギーホールやメトロポリタンオペラにジャズバーと
もう好きに選んでくれとばかりに様々なジャンルの音がぎゅっと集まっている。
流行りがあの土地から始まることに今更ながらに納得する。

あの時は‘思いがけなく自分に新しい’出会いが数多くある日々だったな、と思う。

しかし、ネットがこんなに便利になった今、まだあの視聴機タチは
店員のおすすめPOPと共にずらりと並んでいるのだろうか。

12:34 | masaki | 新しい音との出会い方 はコメントを受け付けていません
2012/02/26

最近ビデオで見た“ハムレット”【Hamlet】(イーサン・ホーク主演:2000年)
古典を現代風にアレンジしていて、正直言ってることがさっぱり分からない
そんな中、耳に飛び込んで来た一節。

“to be, or not to be”

拳銃を持ち、自分の頭のどこを吹き飛ばそうかと
銃口を口に加えては外し、こめかみに付けては握り返す。
そんな自分の映像を見ているハムレット

画面の中の自分がつぶやく

生きるか死ぬか

英語の中でもこの“be”は最も好きな単語のひとつ。
特にこの訳にもあるように、notが付くと死んでしまう、ということを越え
むしろ存在すらない、なかった、という意味合いとなるところが
“be”は言葉の中でもすごく重要なんじゃないかと思わせる。

果たして日本語に同じような意味合いの単語があるのだろうか。
“いる”“いない”が果たして、“be”を網羅するだろうか。

本来、死んでしまうことは、物理的にあったものがなくなること。
けれどそれまであった存在のぬくもりは、どこかに残る。

天涯孤独だとしても、きっとどこかの誰かの記憶にある。
例えば何気なく通うコンビニの店員が覚えていた客だったり、
駅で見かけるホームレスを毎朝見ているサラリーマンだったり。

例えば水をすくうように両手を合わせると、
両方の手の平からの体温で、合わせた手の中に空間が“ある”ことを感じる。

“be”とは、その感じる感覚自体に近い。

(感覚的なコトで、どう伝えたらいいのか2週間も考え辿り着いた言葉だけれど
正直それでもジャストな言葉ではないと思う。
けれど、恐らく誰もが“ただ知っている”感覚であることは間違いない)

そして“not to be”は根こそぎからその存在を消し去る。

この台詞は、シェイクスピアの原文では
“To be, or not to be: that is the question”
となり、劇中でも割と有名な台詞。

話の流れからその訳は「(復讐を)すべきかすべきでないか」というようにもとれ、
直訳でいけば「生きるべきか死ぬべきか」とも言え、訳された時期により異なるそうだ。

個人的な意見を言えるならば、“not to be”は、結局生きているヒトの願望であり、
生きたママでも、外部を遮断してしまえば、結果自分を消し去ることにもできる。

つまり、今直面している立ち向かうべきコトに、立ち向かうのか(to be)
それとも自分の意と反するコトと分かって、見ぬふりをし、
結果生きる屍となるのか(not to be)
そういうコトなんではないかと思う。

“to be, or not to be”
、、そう考える時は、自分の本質と外の世界がせめぎ合い
何か折り合いを付けなくてはならない時なのだと。

01:12 | masaki | Beという単語/to be or not to be はコメントを受け付けていません
2012/01/31

最近長く同じ部で働いていた派遣の同僚が、契約満期で退社した。
つまり彼女に会ってから5年、今の会社に勤め始めて6年。
最初の仕事がNYで7年だったから、
そろそろここが一番長く働いた会社になりつつある。

しかも今の会社は3社目、あいだに4年。
ふと考えたら、日本に戻ってきて早10年。
在米11年をもう少しで追い越す。

長くアメリカ文化から離れてしまった今、
果たしてこれからも自分のことをバイリンガルと呼び、
ここで語るアメリカが、
時代遅れになってしまわないのだろうかと不安になる。

けれど、体得した英語はまだ剥がれ落ちる気配を見せないので
もう少し徒然で書いてみようかと思う。

どこかでまた、いま、のアメリカの文化を確かめに行かなくては。

11:40 | masaki | アメリカに11年、日本に10年 はコメントを受け付けていません
2012/01/28

ザ・エージェント
【JERRY MAGUIRE】1996年

以前のコラムでも何度か書いているが、
自分の法則で、何人かの俳優・女優タチが
『この役者=この映画(のこの役)』と勝手に頭の中で人格化されている。

アウトブレイクがダスティン・ホフマンの映画であれば、
トミリー・ジョーンズはボルケーノ
ジュリア・ロバーツのエリン・ブロコビッチ
クリスティーナ・リッチのペネロピ
そして、トム・クルーズ【Tom Cruise】はこの映画『ザ・エージェント』。

最近思うに、役者は演じていて、そのどれもが異なる個性をもち、
ではその役者はどんな人、なんて映画のスクリーンからは知る由もなく
仮でも人格化されないと、頭の中に残らないのかな、と思う。

この映画は大学を卒業したての頃にアメリカで見たので、原題の
『ジェリー・マグワイア』という人の名前も音が良く印象に強かった。

オープニング、ジェリーは自分の職業をこう語る

=====

僕は表に出ない
プロ・スポーツの黒子 ーってスポーツエージェント

I’m the one behind the scenes.
I’m the sports agent.

(通りすがりに選手たちに会い挨拶をする。)

エージェントをお探しなら僕を
あんたのためなら 捨て身になって働く

Listen, the door is always open if you want a real agent.
I’m gonna go to a meeting now, and I’m gonna talk about you.

=====

最後のセリフの語尾に『〜 like animal.』といっているのだけれど
聞き取れなかったし、調べてみても、どのスクリプトにも載ってない。
聞き違いかもしれないが、気になりこのコラムを考え始めた。

そしてシーンは変わり、稼ぎのいい選手が試合で怪我をし入院、
それでも仕事の話をして帰るジェリーを選手の息子が呼び止める。
これ以上父さんを試合に出さな方がいい、と問われ、
君の父さんはまだまだ闘える、と答えたジェリーに少年は罵倒し走り去る。

=====

死んじまえ!
Fuck you.

僕は背広を着た人食い鮫?
Who had I become?
Just another shark in a suite?

=====

この出来事から、人のココロを無視し、ヒトを商品としか扱わない
そんな業界に嫌気がさし、そうやって働いてきた自分にも疑問を持ち
考え直し、苦悩し、それでもそのココロを取り戻すべく、
愛あり、友情あり、でストーリーは進んで行く。

like animalにしても、shark in a suiteにしても、
ヒトが闘争心を出すと、日本的表現であれば普通“鬼”になりそうだが、
英語だと動物になるのだな、と。

そして、そこには、常に人間に戻る可能性がある、のがいい。
動物がヒトと同じ生物学的な地球上の生き物であるとするならば、
想像物である鬼になったら人間には戻れないじゃない?なんて思う。

トム・クルーズの映画は何本もあるけれど、どれもみな、
それなりにカッコ良く映っているものが多い。

このジェリー・マグワイアも多々そうなのだけれど、
時々、なんとも言えないバツの悪そうな、不可抗力でこうなりました
的な中途半端な、でもすごく人間クサイ表情をする。
多分その要素がトム・クルーズとして私の中で人格化され、
“トム・クルーズの映画はジェリー・マグワイア”になった。

しかし
世の中はそうそう計算ずくしで乗り越えていけるものではないのである。
計算間違えなんてしょっちゅうで、あっていてもフリーズもするのに
そこにはヒトは人生を積み立て、ひび割れては修繕する。

けれどそれがヒトらしさで、そこに愛らしさがあって
トム・クルーズ版ジェリー・マグワイアの苦悩は、
当たり前に誰にでもありえるコトで、立ち止まり考え、歩みに戻る、
その“落ちずに戻ること”こそが大切なのである。

04:58 | masaki | ザ・エージェント/ジェリー・マグワイア の苦悩 はコメントを受け付けていません
2011/12/31

仕事が忙しいのは毎年のことだけれど、
今年は出張が多く、拘束時間がプライベートに浸食がちで
映画館に足を運べず本当に残念だった。

21時台のラストショーも諦めがちで、家で2時間ビデオを見る気力がなく
もっぱら1時間ものの海外TVドラマが活躍。

2年越しで『ザ・ソプラノズ』シーズン5で終了、
それからちょっと『ヒーローズ』に寄り道したものの、
あまりしっくりこず、『バーン・ノーティス』シーズン3を押さえ、
途中打ち切りになった『カイルXY』の尻切れトンボな終わりにびっくりし、
大望の『ホワイト・カラー』へ。

その合間に地上波でCSIマイアミと、NY、
コールド・ケースにライ・トゥ・ミーと、本当にドラマ三昧。

気晴らしとしてはドラマはいいけれど、
2時間完結で起承転結が1回でおさまる映画が、やっぱり一番いい。

振り返ってみると、たくさん見れない時は割と厳選しているもの。

『バーレスク』は出来すぎたありきたりストーリーだったけれど
ダンスと歌はエンターテイメント性抜群だった。
『ソーシャル・ネットワーク』のストーリー展開のテンポは
今の情報社会の世の中を象徴しているんだろうなと思え、
『ブラック・スワン』のある1点を目指す凄まじいエネルギーに圧倒されつつ
芸術が目に見えるまでの努力を観客が思い出したのでは、と思う。
何しろ私たちは、お金を払えばエンターテイメントが手に入ることに
慣れすぎてしまっている。

もちろんハズレだってある。
『グリーン・ホーネット』には全く新しいことを見出せないばかりか
どうにもこうにも、面白さを見つけられず、お金はしょうがないが、
久々に時間を返して欲しいと思った。
『スーパーエイト』は少しましだったけど、スピールバーグ製作、というのに
期待しすぎたのか、映像は綺麗だったけど、
あまりストーリーにいかされてなく、これまた残念だった。

同時期に似てるのかなと思いつつ観た『アイ・アム・ナンバー4』は
期待してなかったせいか、割と話が良くできていて、
次作があってもいいと思う。

夏は比較的時間があって、他にもいろいろ見た。
『マイティ・ソー』もこれまた話がちぐはぐなのに、
ナタリー・ポートマンが出演してたり、浅野忠信のセリフの少なさや、
カイルXYのジェシー役のジェイミー・アレクサンダーのやや演技のなさに
冷や冷やしながら見る、別の楽しみがあった。
役者がキャリアを積んでいく作品を見るのは楽しい。

『トランスフォーマー/ダークサイドムーン』は安定感があり、
あれこそ映画館で見る楽しみがあるというもの。
『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』を見逃したのは痛かったけど
ギリギリ機内映画で鑑賞。
人気アメコミながらの原作がある、シリーズなのに
矛盾の少ないストーリーに、すごくテーマ性を感じおもしろい。

コラムにも書いた『コンテイジョン』は通常私が好んで見る
いわゆるエンターテイメント映画とは異なる。
けれど意外に、テーマは重いのにそれを感じさせず2時間を淡々と進行した。
本当はこういう映画をもっとたくさん観たいとは思うが、
残念ながら考えなくてはならないことは日々の生活で間に合っているので、
映画ぐらい”ほうけて”観たい、というのが本音である。

そして今年ラストは『リアル・スティール』だった。
観た時はもちろんラストとは思っていなかったけれど。
これまたドラマロストのケイト役エヴァンジェリン・リリーが出演していて、
いい役柄だった。
マルコビッチ主演の『AFTERWARDS(邦題:メッセージ そして、愛が残る)』
では、ドラマから映画へうまくキャリアシフトできるんだろうかと、
余計な心配をしてしまったが、今後が楽しみ。
もちろん、脚本が丁寧で、映画自体が良かった。

その『リアル・スティール』のキーワードが
“Your secret is safe with me.”
単純に『大丈夫、秘密にするよ』、というコトだけど
“with me”があるから、信頼、の要素が入る。
言いすぎかもしれないけれど、一度知ったことが、with meではなくなる時が、
死んでしまう時であるならば、秘密とは墓場まで持っていくモノ、に近い。

今、自分に信頼できる人がどれだけいるんだろうか、
今、自分を信頼してくれる人がどれだけいるんだろうか
と、少し考えさせられた。

もう少しで年が明ける。
2012年の映画からどんなコトバ出てくるのか、本当に楽しみだ。

11:31 | masaki | 2011年の映画/Your secret is safe with me. はコメントを受け付けていません
2011/12/12

新宿2丁目に、男友達が行きつけなことに便乗して、よく行くお店がある。
いわゆるゲイ・バーで、ママのHRKさんが大好きなので
行く時は必ず声をかけてほしいと、その友人にはお願いしている。

最初は商売と言えど、ママにはなんのメリットもない女性の私が行って、
果たして良いもんなんだろうかと、ちょっと心配した。
慣れてきた今は、馴染みのバーと一緒で、普通におしゃべりと飲みを楽しむ。

私が実生活で最初にであったゲイは、いわゆる、“レズ” だった。
もしくは初めて知ったホモはレズだった、とか。
日本語にするとおかしな文章であるが、そういうことになる。

意外に言葉がごっちゃになっているが、
語源的にはゲイ【gay】は主に男性同士を表すが、正確には
性別を問わず、両性愛者のことだ。
その中で女性同士が差別化されていて、レズ【lesbian】となる。

じゃあ、男性同士はホモかというかと言えば、
実はホモ【homosexual】も『同性愛』という営みそのものを指すので
これもまた、男性、女性に共通して使う。

つまり、サラリーマンという男性ばかりがいた社会に、
時代の流れで女性が進出し増えたので、サラリーウーマンなる言葉ができた、
に似たコトバの発展ではないかと想像する。

あるいはmanとwomanとhuman(-being)のコトバ関係と同じである。

女性が突如現れた分けでもなく、コトバやルールが男性中心だったところに、
女性を分けて表現せざるえなかった、必要性の産物とも思う。

gayという単語は、もともと陽気な、とか快活なという意である。
英語版wikiを読むと、17世紀に不道徳な【immorality】という意味が加わり
更に19世紀にhomosexualな男達を表すことばとして確立した。
ちなみにlesbianはごく最近の20世紀に入ってから定義づけられたという。

女子大学で女子寮生活、そこからアメリカ生活が始まったのだけれど、
どこかの時点で、ルームメイトや友人から
『マサキ、彼女は女性が好きなのよ』
『マサキ、彼女の両親は両方共女なのよ』と聞かされる。

こういう話題は日本と同じで、同性の事だからかオブラードに包まれている。
誰も『彼女はゲイよ』とも『レズよ』ともはっきり言わない。
だから勝手にああ、あの人レズなのね、と思う。

けれど男性に対してははっきりしていて
『彼はいい男だけどゲイなのよ』なんて会話も繰り広げられ、
ホモは英語だとゲイなんだ、と知る。

こうしてゲイとレズの棲み分けができていたのに
4年後にNYのゲイパレードを見かけたら、
男性だけでなく女性もいて、驚いた。
なぜゲイパレードにレズがいるの?って。

コトバって、難しい。

03:44 | masaki | ゲイとレズとホモの関係とman-woman-human はコメントを受け付けていません
2011/11/17

つい最近劇場公開したスティーヴン・ソダーバーグ【Steven Soderbergh】の
コンテイジョン【Contagion】

(以下主要ストーリーのネタばれはありません)

ソダーバーグの話題作『オーシャンズ』シリーズや『トラフィック』に関しては
それほど絶賛する感じではなく、『チェ』シリーズも『インソムニア』も見ていない。

ただ、以前コラムに書いた『エリン・ブロコビッチ』がソダーバーグ監督作品と知り、ほぅ、と思う。

そしてこの『コンテイジョン』はかなり良かった。

マット・デイモン【Matt Damon】、グウィネス・パルトロー【Gwyneth Paltrow】、
ローレンス・フィッシュバーン 【Laurence Fishburne】、ジュード・ロウ【Jude Law】、
ケイト・ウィンスレット【Kate Winslet】と、文字通りの豪華俳優人である。

それをどうするんだろー、なんて心配は無用で、
緻密に組み立てられたストーリーが淡々と進んでゆく。

結果は何であるのか、何をこの映画から感じ取るべきなのか、は
多くのヒトにとって、結果不明であると思う。

+++

ストーリー前半、ある感染患者が死亡し、原因が何かと親族が医者に問いただす。
医者は脳系だと思うが、まだまただ不明なことが多く、
正確な原因が分からない可能性があると伝える。

その時に『不明』に対して発した言葉が “Dark” だった。
残念ながら、DVDと違って、劇場では巻き戻すわけにもいかず、
それでいて一文丸ごと覚えていられる素敵な記憶力がある訳でもなく
記憶の片隅に残っているのは “Most parts of human brain are still in dark side.”みたいな
意味合いのセリフ。

“Dark”と言われると、一般的に『悪』のイメージが強い。

でも元々は『闇』であり、見えないから分からない、
そして悪いことは突如として予期せぬ形で闇から飛び出てくる。
だから段々闇は悪しきモノになっていく。

答えのないものは全て闇の中にあり、一旦そこから出てくると
それらのモノには名前が付くのだろう。

それば0と1の関係に近いなと。
闇が0ならば、名前があるモノは全て1である。

主語がはっきりしている英語でも
やはり誰に、何に言及していいかわからないような未知の世界は
やっぱりあって、それを、割り切るようにdarkの中に放り込む医者と
理由があってほしいと思う故、理解できない家族。

けれど、darkは不明なだけで、悪しきと言い切れない。
こういうのをやるせない、というのだろう。
不明なモノを不明なママで抱え続けるコトは本当に難しい。

+++

ソダーバーグ監督の何気ないヒトのヒトらしさを伝える力はすごい、と思った。

好き嫌いがあるだろうけれど、特に日々が世の中に忙殺されがちと思うなら
ぜひ劇場で、そしてこのストーリーだけに没頭して見て欲しい。
自分にとって、何が、誰が大切か、その大切さをキープすると、
他で何が起こってしまうのか、が見えてくると、ヒトらしさを思い出すと思う。

06:02 | masaki | コンテイジョン/Darkとは不明なだけで必ずしも悪しきものではないというコト はコメントを受け付けていません
2011/10/25

最近読んだ本のあとがき

正確には本文を読めども読めども内容がわからず
しびれを切らして訳者あとがきを先に読むことにした

そこに綴られた、素敵な詩と訳

Keeping Things Whole
…………. 物事を崩さぬために

In a field
…………. 野原の中で
I am the absence
…………. 僕の分だけ
of field.
…………. 野原が欠けている。
This is
…………. いつだって
always the case.
…………. そうなんだ。
Wherever I am
…………. どこにいても
I am what is missing.
…………. 僕はその欠けた部分

When I walk
…………. 歩いていると
I part the air.
…………. 僕は空気を分かつのだけど
and always
…………. いつも決まって
the air moves in
…………. 空気がさっと動いて
to fill the spaces
…………. 僕がそれまでいた空間を
where my body’s been
…………. 塞いでいく。

We all have reasons
…………. 僕らはみんな動くための
for moving
…………. 理由をもっているけれど
I move
…………. 僕が動くのは
to keep things whole.
…………. 物事を崩さぬため

そして気がついた。
この本が詩人の本であることを。

そして、意味の分からない言葉の羅列に、音以外の意味はなく
けれどそれは本質をついている。

私が動いた後の穴を埋める空気はどこから来るのだろう。
埋めた分だけ、どこかが減っているのだろうか。

I am what missing.

まわりが私をとりまくのではなく、
私がそこからなくなれば、足りなくなるひとかけら

本の内容はさっぱりだけれど、この素晴らしい一節だけで十分。
こんな英語と訳は、心を幸せにする

マーク・ストランド【Mark Strand】
犬の人生【Mr. And Mrs.Baby and other stories】
村上春樹 訳

07:39 | masaki | マーク・ストランドから考える私の動いた後を埋める空気は はコメントを受け付けていません
2011/10/10

人とは、反省するとその行為で自己満足してしまい、
反省したこと自体を忘れてしまうもので。
ならば下手に反省せずに、
何食わぬ顔で前だけ向いて進んで行けば良いのである。

とは言うものの、このコラムのアップが随分と間が空いてしまい、
一体何食わぬ顔がどんな顔なのかさっぱりわからない。

なのでやっぱり、謝ってしまおう。

すみません。

つい先日、と言ってももう1ヶ月も前になってしまったが
9月11日に吉祥寺で行われた JunkStage第3回公演「瑠璃の彼方に」 は素晴らしかった。
<舞台俳優・劇作家>の イトウシンタロウさん
<舞台女優>の 帯金ゆかりさん が劇中で
次々とJunkStageのパフォーマー達を紹介していく、という形。

過去何度かイベントで拝見させていただき、お馴染みの顔となった
<マルチタレント>の エイミーさん と<サルサフリーク> 廣川昭彦さん による
歌ありギターありダンスあり、レッスンあり!?の本格サルサパフォーマンス。
何度見てもおふたりの笑顔と切れのあるパフォーマンスが
とにかく楽し気で、不思議と気持ちがHAPPYになる。

髪を短くし、少しシャープな雰囲気に変わった<ミュージカル女優> 鈴木希彩さん
会場がライブハウスということもあり、音の響き具合も良かったけれど、
それ以上に今回の歌声には特別に何かしびれるモノがあった。
毎回希彩さんの出演を楽しみにしているだけに、嬉しかった。

<ダンサー/役者> 神 睦高さん のコンテンポラリーミュージックと言うのでしょうか?
いわゆるクラッシッククラシックしていないけれど
POPな音楽とバレエ的なアーティスティックなダンスパフォーマンス。
中盤で大きく飛んで、ふわりとまわったその瞬間、
後方に振り上げた足がスローモーションのように目に焼きついて
ぞくぞくした。

着ぐるみ姿のコラムアイコンから、想像していたのとは全く違った
<ジャグラー> 竜半さん のジャグリングパフォーマンス。
そもそもジャグリングなんて‘舞台上’で行うものではないはずなのに
その笑顔とガッツで徐々に会場の気の流れとノリを掴むその技に
ジャグリングとは、という心を見た。

ラストを締めくくったのは<ジャズピアニスト> 外山安樹子さん
ソロ演奏に続き、出演者全員でテーマ曲「瑠璃の彼方に」の合唱。
外山さんがこの舞台の為にオリジナルで作曲したとのこと。
今回はピアノソロだったけれど、パーカッションや弦楽器が入ると
もっと外山さんのピアノが知れるのでは、なんて話しも
舞台後にご本人とすることができた。

そして表舞台には立つことはなかったけれど、
個性あるパフォーマー達を、一体感のある舞台に仕上げた
<作/演出/脚本>の スギ タクミさん
様々なパフォーマンスを、どういうストーリーでつなげていくのだろう、
果たしてつながっているのか、なんて心配は無用。
1回しか公演がないなんてもったいないぐらい。
ストーリーを知っていたとしても十分楽しめる内容で、
どうやったらコレ、複数公演にできるんだろ、って考えてしまった。

そして冒頭の私の反省に戻ってくる。
この舞台に出演・制作された方は誰もが本業を別に持ち、
それぞれ忙しい中、時間を作りこの公演を迎えている。

仕事が忙しいからと言って、
コラムを止めている場合ではないのである。

反省を英語にすると【regret】と思いがちだが、
それは【後悔-あとになって悔やむこと】の意が強く
反省するなら必ず【recovery】何かを取り戻すべく実行するべきである。

だから今一度自分の時間の配分を【thinking-over】考え直してみようかと。

12:37 | masaki | 反省/thinking-over はコメントを受け付けていません

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