最近ビデオで見た“ハムレット”【Hamlet】(イーサン・ホーク主演:2000年)
古典を現代風にアレンジしていて、正直言ってることがさっぱり分からない
そんな中、耳に飛び込んで来た一節。
“to be, or not to be”
拳銃を持ち、自分の頭のどこを吹き飛ばそうかと
銃口を口に加えては外し、こめかみに付けては握り返す。
そんな自分の映像を見ているハムレット
画面の中の自分がつぶやく
生きるか死ぬか
英語の中でもこの“be”は最も好きな単語のひとつ。
特にこの訳にもあるように、notが付くと死んでしまう、ということを越え
むしろ存在すらない、なかった、という意味合いとなるところが
“be”は言葉の中でもすごく重要なんじゃないかと思わせる。
果たして日本語に同じような意味合いの単語があるのだろうか。
“いる”“いない”が果たして、“be”を網羅するだろうか。
本来、死んでしまうことは、物理的にあったものがなくなること。
けれどそれまであった存在のぬくもりは、どこかに残る。
天涯孤独だとしても、きっとどこかの誰かの記憶にある。
例えば何気なく通うコンビニの店員が覚えていた客だったり、
駅で見かけるホームレスを毎朝見ているサラリーマンだったり。
例えば水をすくうように両手を合わせると、
両方の手の平からの体温で、合わせた手の中に空間が“ある”ことを感じる。
“be”とは、その感じる感覚自体に近い。
(感覚的なコトで、どう伝えたらいいのか2週間も考え辿り着いた言葉だけれど
正直それでもジャストな言葉ではないと思う。
けれど、恐らく誰もが“ただ知っている”感覚であることは間違いない)
そして“not to be”は根こそぎからその存在を消し去る。
この台詞は、シェイクスピアの原文では
“To be, or not to be: that is the question”
となり、劇中でも割と有名な台詞。
話の流れからその訳は「(復讐を)すべきかすべきでないか」というようにもとれ、
直訳でいけば「生きるべきか死ぬべきか」とも言え、訳された時期により異なるそうだ。
個人的な意見を言えるならば、“not to be”は、結局生きているヒトの願望であり、
生きたママでも、外部を遮断してしまえば、結果自分を消し去ることにもできる。
つまり、今直面している立ち向かうべきコトに、立ち向かうのか(to be)
それとも自分の意と反するコトと分かって、見ぬふりをし、
結果生きる屍となるのか(not to be)
そういうコトなんではないかと思う。
“to be, or not to be”
、、そう考える時は、自分の本質と外の世界がせめぎ合い
何か折り合いを付けなくてはならない時なのだと。