ホワイトカラー
【White Collar】2009-2014
シーズン全部を最後まで見続けられる海外TVドラマを見つけるのはなかなか難しい。
ロズウェル【Roswell】
ザ・ソプラノス【The Sopranos】
LOST
バーン・ノーティス【Burn Notice】
カイルXY【Kyle XY】やTOUCH/タッチのように、面白かったのに
制作側の都合でなんとなく尻切れトンボで終わってしまうものものある。
途中で飽きてしまう、もしくは、最終結末に興味がなくなってしまい、
ファイナルシーズンまで辿りつかないドラマも多い。
一話完結型の“その時の出来事・事件”
各登場人物の生活感あるサイドストーリー、
そして、ドラマの本題となる本流的なストーリー、
の3要素がうまく絡み合いシーズンを重ねていくと、ついつい見続けることになる。
ドラマに限らず、連載のコミックや小説も同じことと思う。
もちろん、人気シリーズであればあるほど終わり方、も大事。
個人の興味・趣味に合った、ということもあるけれど
ホワイトカラーは各回の話も大筋の展開もサイドストーリーも終わり方も良かった。
FBI捜査官ピーターに捕まった詐欺師ニールが、制限付きではあるけれど、
刑務所ではなく自由な生活を送ることと引き換えに数々の捜査に協力する。
利害関係だけで繋がっていたニールとピーターの間にいつしか信頼関係が育まれていく、
というそう難しくないテーマで、そのシンプルさが良かった。
最終シーズン終盤でのサイドストーリー的な、
ピーターと奥さんエリザベスとの会話から。
妊娠が分かり、1回目の検診を夫婦で受ける予定が
事件発生ですっぽかしてしまったピーターにエリザベスは宣告する。
言っとくけど
この子を1人で育てるなんてイヤよ
Let me make this clear.
I am not going to raise our child as a married single mother.
夫の仕事を十分理解しているエリザベスだけれど
それでも夫婦間で譲れない、越えないで欲しい境界線をはっきりと明言する。
ただ「1人で育てる」という状況が嫌だということを、
“our child”私たちの子供を
“married”結婚してるのに“single mother”シングルマザーで育てるなんて嫌よ、
と伝えている。
“married single mother”という表現、なかなかインパクトがある言葉だった。
オブリビオン
【Oblivion】
2013
注意:ネタバレあり
映画館で見て、また見ようと思っていた。
月に囚われた男 のテーマに似ていて、コラムも書いた。
テーマ曲も好きで、即座に手に入れるほど、記憶に残る映画のひとつ。
トムクルーズ演じるジャックが、自分が’クローン’であると気がつく。
ジュリアが言う。
You always loved this song.
あなたの好きな曲・・・
‘loved’
過去の話し、好きだった曲。
ジャックがつぶやく
I’m not him.
僕は複製だ
I know I’m not
“本物”じゃない
‘クローン’とも’本物’とも言っていない。
ジュリアが話しかけているその曲が好きな’ジャック’ではなく、
そして、自分と思っていたジャックは’彼’になる。
それでもジャックではない自分はジュリアを愛していた、
その記憶は何故かあり、そしてそれが真実と。
確かに彼は、ある分岐点までは’ジャック’であった。
記憶を正とするのか、物質的な存在を正とするのか。
本当にヒトのクローンが、自分のクローンが
そして自分がクローンだったとしたら、
その境目はどこにあり、それを共有し生きていけるのか、
と思ってしまう。
人生初のハワイに行くことになり、勇んで観光ビザとなるESTAを申請しようとしたら
2年間の有効期限内と分かり、つい1年前にNYへ行っていたことを思い出す。
去年は約3年ぶりぐらいのアメリカで、
コーヒーショップの出来事に久々のアメリカらしさを感じたけれど、
今回はどんなことがあるのだろう、と、半ばネタ探しの気分で空港に降り立つ。
さすがホノルル、ハワイ、いたる所に日本語と日本の旅行会社のサイン。
送迎バスに乗り込む皆を横目に、とりあえず街に出る公共手段がないかと探してみる。
うっかり空港シャトルバスの情報を調べ忘れ、
着けばどうにかなる、と思っていたら、一向にインフォメーションセンターがない。
しまったなぁ、と歩く先に「バス乗り場」と日本語で書かれたブースを発見。
明らかに旅行会社での申し込み専用と思えるけれど、ダメ元で日本語で聞いてみる。
「XXホテルに行きたいのですが?」
すると、明らかに日本の方ではない男性が、はてな?という表情で
後ろにいた日本人女性を呼んでくる。
日本語の看板の前にいるけれど、日本語は話さないらしい。
予約してない、と女性に伝えると、シャトルバスを教えてもらう。
そこからなんとかバス乗り場にたどり着き、行きたいホテルを伝えると
16ドルで行けると言う。
前回の残りのドルが手元にあって、換金したての100ドル札、なんて高額ではなく
20ドル札を用意していたので、幸い、と差し出す。
すると切符売りの女性が言い放つ。
Do you have smaller bills or the credit card?
小銭かクレジットカードはあるかしら?と。
なんと、20ドルでもお釣りがないらしい。
切符は16ドル、お釣りぐらい用意していそうなのに。
20ドルで大きい、と言われればしょうがない、クレジットカードで支払う。
つくづくアメリカはカード社会なのだなぁ、と感じる。
その後、ハタっ、と困ったのが降りる時のチップ。
実はNYの地下鉄の自動販売機で切符を買うと、お釣りが全部コインで出てくるので
多量に1ドルコインを持っていたけれど、1ドル紙幣が手元にない。
バスのチケットが20ドル札で買えていれば
1ドル紙幣がお釣りでやってくる、という予定でもあった。
まぁ、お金はお金、金色の1ドルコインと銀色の1ドルコインがあって、
銀色だとクォータ=25セントに間違えられ、ありがたみがなさそうなので
金色の方を握りしめる。
結果果たして、運転手のにいちゃんに渡してみたら、特に反応もなく
なんだか中途半端な感じでホテルにチェックインする。
それよりも私の前にいた二人連れと同じグループと間違えられたらしく
明らかになんでチップを2度くれるんだ?という表情をしていた。
皆より先に現地入りしてみたが、ハワイにひとり、というのは確かにあまり見ない。
話を戻すが、日本を出発する前に、
1ドルコインってあんまりアメリカ国内には出回ってないんじゃないか、
と思っていて、その後日本のコンビニのように至るところにあるABC Storeで使ったら
Let’s see… という具合にコインの表面の’1ドル’の文字をしげしげと確認された。
そう言えば昔、50セント玉、と1ドルコインより更に大きいコインもあったなぁ、と思い出す。
確かそれはサンフランシスコの地下鉄だか、
または丘を登り下りするトロリー売り場で出てきた気がする。
場所によって同じお金の単位なのに紙幣になったり、コインになったり。
日本円で考えれば500円札と500円玉が差し代わる時期に両方ある現象。
でもこの1ドル、別に差し代わるわけではなく、用途によって併用されている。
よく考えれば不思議だなぁ、と。
この間アウトレットにショッピングに行った時に、
ふと、思い出した。
大学時代に住んでいたボストン、ショッピングのハシゴをする。
まず1軒目で買い物をすると、品物はショッピングバックに入れられ
レシートがホチキスでその袋にガチャンと付けられる。
お店を出る時に、封がしてある袋と付いてるレシートを
出入り口にいるセキュリティスタッフに見せて出る。
2軒目のお店に行くと、入り口のセキュリティスタッフに
前のショッピングバックを預け、そこにある棚に置いて入店する。
大きなバックを持っている場合も預ける。
つまりはshoplift=万引き防止。
ニューヨークにはあまりなかった気がするが、
もしかしたらその時代のボストンでの原始的な方法で
今は防犯カメラとか、アラームで対応してるのかもしれない。
そんなことがあったなぁ、と、ふと思い出した。
日本にもそんな対応しているお店は、あったのかしら?
フェイク【Donnie Brasco】
1997年 社会人になりたての頃
JERRY MAGUIRE (ザ・エージェント)やERIN BROCKOVICH (エリン・ブロコビッチ)と
人の名前がタイトルになっている映画は外国映画だなぁ、と思う。
邦画であれば『石川五右衛門』『佐々木小次郎』『卑弥呼』という具合で、
かなり歴史よりになり、少し近代的な印象とは異なる、という私見。
『Donnie Brasco』は実在するFBI捜査官がマフィアの潜伏捜査の時に使った名前。
つまり架空の人物。
その捜査官をジョニー・デップが演じる。
ジョニー・デップの映画で一番好きな映画は『スリーピー・ホロウ【Sleepy Hollow】
と思っていたけれど、この『Donnie Brasco』のコトをすっかり忘れていた。
パイレーツオブカリビアンのようなコミカルさもなければ、
チョコレート工場やアリスのような不可思議さが一切ない。
純シリアスな彼を見ていると、この人は演技がうまいんだ、と思う。
ストーリー半ば、ドニーがワシントンから来た捜査官を紹介されるシーン。
本名の『ジョー』と呼ばれ、答える。
“ドニー”と 今は“ドニー”だ
Donnie. Call me Donnie. I don’t want to get confused.
“今は”ドニーと呼んで欲しい理由が
“I don’t want to get confused”、つまり本名と偽名がごっちゃになるから。
それでうっかり素性がバレると困るから、ドニーと呼んでくれ、と。
“get confused”は『よく分からなくなってきた』時によく使われる。
だいたいその後には”got lost” 『すっかり分からなくなる』
ドニーという名前に慣れてくると共に、
潜伏捜査だったはずの生活が本当のマフィアになっていく。
仕事とは言え、その二重生活に耐えられるのか、という、そういう映画。
そして何よりも共演のレフティ役のアルパチーノが、やっぱりいい。
最近1時間ぐらい電車に乗ると、ついうとうとしてしまい、
結局寝てしまう、という事がよくあって、
アメリカから帰りたての頃は、日本は大丈夫、と分かっていても
電車で居眠りできなかったな、という事を思い出す。
電車で居眠りしない、ということの他にも、気をつけていたコトがもうひとつ。
帰りの経路を変える、というコト。
大学3年生だったか4年生だったか、
ショッピングモールで待ち伏せされ、ひったくりに遭った事がある。
結果は何も取られず無事で済んだけれど、
どうやらモールにいた時から目をつけられていて、
ちょっと暗めの路地で待ち伏せされたよう。
犯罪に遭うのは偶然だったり、運が悪かった、と言うけれど
狙う方だって、やっぱりつけ狙い、隙をついていく方が確実。
そうなると、自分が気をつけてれば、という事だけでは避けられない。
一目見て外国人、しかもお金がありそうな日本人と分かる外見だから
後は狙われないよう気をつけるだけ、と。
そんなわけでNYで勤めていた頃は、
徒歩帰宅だったけれど、毎日別の経路で帰っていた。
今思えば過剰すぎ、とも思うけれど、結果何もなく無事だったワケで。
その意識は、電車で居眠りしない、と同じく、
まだ根強く習慣的に私の生活のサイクルの中に残っている。
大学時代のルームメイトが、ラジオを目覚ましにしていて、
その習慣が今も私の生活の一部になって続いている。
毎朝聴くラジオで最近拾った曲、Against The CurrentのDreaming Alone。
日本語の字幕付きの公式PVがあって、
その曲の一節に不思議な言い回しを見つける。
The story starts where the story falls apart with you.
物語は始まったけど、あなたのところでワケが分からなくなる
英語をそのまま直訳すると、
物語は、あなた絡みで物語が崩れていくところから始まるの
と。
英文の印象は、あなたが登場し、今までが崩れるところから物語が始まる。
日本文は文字通り、物語が始まっていて、あなたが登場し、そして崩れていく
どちらも響く。
始まるその瞬間を劇的に切り取る英語。
流れの中の変化をとらえる日本語。
あなたが始まりの源になる英語。
流れの中にあなたがいる日本語。
どちらも結局は、あなたのいない物語があって、あなたが登場し、
そしてあなたがいる別の物語が生まれる。
ワケが分からなくなって物語が始まったのか
物語が始まったらワケが分からなくなったのか
対照的で面白い。
立て続けに悪夢を見た。
nightmare
nightは一目瞭然、夜のコト。mareは辞書を引くと雌馬が真っ先に上がる。
夜の馬、が何故悪夢になるのか。
掘り下げてみると、mareという、
同じ綴りで霊、悪魔的な意味を持つ全く別の単語があったらしい。
どう考えても後者、夜の霊、の方がしっくりくる。
覚えている夢は鮮明で、夢によっては現実と見分けがつかない。
起きてしばらくして、あぁ、あんなことがあったけど今普通で良かった、
と思い、あれっ、あれは現実ではないぞ、と気がつく。
先日、職場で罵倒される夢を見た、と友人に語ったら、
それだけ今、大変なんだねと言われ、ぽろっと答える。
悪夢を見る時は、だいたい気持ちが緩やかになった時だから、
いいコトなんだよ
と。
ハッとする。
実際に少し前まで大変だったけれど、確かに今は緩やかである。
もし渦中に悪夢を覚えていようものならば、心が折れること間違いなしである。
ヒトは上手に悪夢を見るもんだ、と感心する。
大概悪夢は続けさまに見ることが多いけれど、
今度からは“ココロに余裕ができたゾ”と思うことにする。
そう思えば、nightmareは夜にやって来る馬ぐらいでもいいんじゃない、などと
ノタマうことになる。
アニー【Annie】
1982年 小学生。
一番最初に見たのがいつでどこか覚えていないけれど、
長く好きな映画のひとつ。
つい先日、2014年版リメイクが公開され見に行ってきた。
原作の小説が良かった映画を観るのと同じように、
名作や思い入れのあるリメイク映画は、決して比べて見ないように、
とは思うけれど、ふと気がつくとやっぱり比べてしまう。
アニーが黒人の女の子の設定になり、Mr.ウォーバックスはスタックスと名前を変え、
やはり黒人の市長候補となる。見た目からガラリと変わり、歌の調子も違う。
ザ・ミュージカル、な曲から旋律のある“歌”に近いミュージカル映画。
動きはあるけれど、ずっと“ダンス”という感じでもない。
けれど、その歌が良かった。
定番の“Tomorrow”の他、
2014年版オリジナルとなるアニーのソロ、“Opportunity”や
若干ラップ調のスタックス役ジェイミー・フォックスと、
キャメロン・ディアス演じるMs.ハニガンとの3人で掛け合う“Who am I”とか
なかなか今っぽくて馴染む。
むしろそのアレンジがあるからこそ、いい映画になっているとも思う。
アニーと言えば、の代表曲“Tomorrow”は、
1982年版では、だいぶ後半Mr.ウォーバックスと一緒に訪れた
大統領邸のシーンで登場する。
不景気と失業に悩む若者たちに夢を与えてほしい、
と大統領に言われ、悲しい時にいつも歌う歌がある、でもいい歌よ、
と歌い出す。
2014年版では、逆にストーリー前半の早い段階で
いつか両親が迎えに来る、と信じる心をアニーが、歌う。
1982版のアニーだって、画面には登場しないけれど、
こんな風に歌っていたに違いない。
The sun’ll come out tomorrow
So you gotta hang on ’til tomorrow, come what may!
Tomorrow, tomorrow, I love ya, tomorrow
You’re always a day away!
明日になれば太陽は昇る だから明日まで頑張ろう
何があっても 明日がある 大好きな明日
あなたを待つのは いつも 1日だけ
頑張ろう、というより“しがみつく”に近いhang on、
大好きな明日を“あなた”、ya (you)と呼び、
明日を、誰かを、待つ。
1982年版が、このhang onにその時代の象徴があるとしたら
2014年版では、同じ“Tomorrow”ではなく、その後に登場する曲、“Who am I”の中に、今の時代のテーマがあり、
そしてそれがリメイク版のひとつのチャレンジと思う。
キャメロン・ディアスが演じたこともあり、
前作以上に中心役となる意地悪な里親のMs. サリバンは、
人気歌手になり損ねた過去と堕落した生活を送る今の自分を考える。
Mr.ウォーバックスと同じく、貧しい過去から
お金儲けだけにひとり生きてきたスタックスは
本当は欲しいと思っていた、恐れから目を背けていた愛とは、を考える。
そしてアニーは、両親が迎えに来れば、全てがハッピー、と思っていたのは
本当の幸せだったのか、と考える。
バラード調のこの曲、3人のハーモニーが、なかなか聴かせてくれる。
But I’ve got today, I’ve got to make, The best I can of it.
でも今日がある まだ遅くない 生まれ変わろう
‘Cause yesterday is dead and gone, And me along with it.
昨日は去った もう過去のこと 今までの私も連れ去った
But I’ve got today
でも今日がある、貧困とはまた別の、精神的な渇望を感じる。
名作をリメイクすることは
単なる焼き直しではなく、その時代の背景を丁寧に織り込み直すコトでもある。
ただただリメイクと思って、ざっ、と見てしまったけれど
1982年版は1982年Annieで
2014年版版は2014年Annieで、
それぞれ楽しみ、時代の変化をそのまま受けとめたい。
機会があれば、もう一度劇場で観たいものだ。
実は車の免許を持っていない。
旅に出た時にその現地を車でまわれたら楽しいだろうな、と最近思い立ち
普通免許を取得しようと、教習場に通い始めた。
学科に約30時間、実技に約30時間、そしてその取得料金は数十万円、に、
とにかくびっくり。
以前アメリカの免許を持っていたことがあり、割と手軽に取った。
ずいぶん昔のことなので記憶が定かではないが、
筆記は自分で勉強し、本番試験はPCで、50問ぐらいの4択。
実技は友達とかに教えてもらって、いきなり試験を受ける、でも良かったけれど、
初めての運転だったのでとりあえず教習場に通う。
確か1ヶ月ほどの間に10〜20時間ほど練習をしただけだったと思う。
しかも料金は10万円以下。
日本に戻ってきた時に日本の免許に書き換えができたけれど
すぐに車が必要だったわけでもなく、実技試験もあり一度は落とされる、と聞いて
なんとなくおざなりにしていたら、アメリカの免許が失効していた。
そんな訳で約10年ぶりにハンドルを握る。
助手席に教官が乗り練習していると、アメリカの本番試験の事を思い出す。
実技試験は普通の路上で行われるので、
教習所の教官に車に乗せられ指定の場所に行く。
道で待つ試験官が見えた途端、教官がポロリと言った。
「彼は楽勝よ、大丈夫、あなた受かるわよ」と。
こちらは緊張しているから、何を根拠にそんなことを言っているのか分からないまま
車ごと試験官に受け渡され、試験が開始する。
「直進して」「左に曲がって」
左に曲がる、そして直進。T字路に突き当たる。
何も言わない試験官に、「どうしたらいいの」と聞くけれど、回答がない。
困惑していたら、一方通行のサインを発見。
なるほど、一通だからここは左ね、と曲がる。
そして直進。
試験官が車を左に寄せて、と言う。
いよいよ縦列駐車に、3ポイントターンか!と緊張する。
路肩に止めると、何やら手にしたバインダー上の紙に記入をする試験官。
そして、「合格です」と書類をわたされる。
それで終了。
えぇぇ、高速道路も練習し、縦列駐車だってあんなに練習したのに、
ちょうど冬だったので、雪の中の運転だって苦労して走ったのに。
喜ぶよりも、なんだか損した気分の憤り。
まぁ、そんな感じで免許を取得した。
日本でも一発で試験を受け、取得することはできると聞いていたけれど
アメリカでもほぼペーパードライバーだったので、
これを機会にちゃんと勉強した方が安全、と思いせっせと教習所に通っている。
さて、日本の本番試験はどんなことになるのか、
アメリカの試験が楽々だっただけに、かなり心配。