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2014/05/26

m270

――やっぱり。

携帯の電源を切り、ベッドにごろんと横になる。うつぶせになった枕からは、変わり映えのしない夜空が見えた。涼しい方が勉強がはかどるからと言い訳をして開けっぱなしにしている窓からは、夏の草っぽい匂いが漂ってくる。夜景なんか見えない、なのに星も見えない。外はただの中途半端なド田舎だ。

グループから外されていたことにはなんとなく気づいていた。仲良しの友達で作ったグループチャットのページにアクセスできなくなっていたのだ。アップデートをしていなかったせいかと昨日は考えようとしたけれど、今日のクラスの雰囲気でそうじゃなかったんだと知った。

ちいせえな、と小声で毒付く。ちいせえよ。あいつらもあたしもこの街も小さくて小さくて、窮屈なものだと思った。中学生なんて鳥かごの鳥みたいなもんで、世界は見えるところまでしかなくて、それが分かっていながら傷ついてしまうあたしはホントにバカみたいだと思う。

うちの学校はいじめらしきいじめはない。暴力もない。あるのは陰湿な視線のやり取りと、たわいもない無関心だけだ。寂しさにさえ耐えられれば、害はない。判っている。みんなそうやって乗り越えるかやり過ごすかして、この小さな街を出て行くのだ。高校はどうせバラけてしまう。急行電車に乗れば一時間で都心の高校に通える。その距離は、何もない街に生まれた皆にとっての救いでもある。

でも寂しさに耐えることは、そんなに簡単なことじゃない。だって、今この瞬間あたしは寂しい。寂しいと感じる自分があいつらより小さい存在に感じられて、そう感じる自分が情けなくてうざったくて仕方ない。

あーあ。

ため息をついて向きを変え、オフしたばかりの携帯の電源を入れ直す。じれったくなるほどゆっくりと起動したスマートフォンのブラウザを立ち上げて、あたしはネットの海を回遊する。インターネットの世界はとても広くて、あたしの知らない国で知らない人と結婚した人のブログだの有名人のモデルの意味不明な日本語でごった返していて、それらを漫然と読み飛ばしながらいつも読んでいるあの人のページにアクセスする。シンプルだけどエッジの効いたデザイン、モノトーンだけど効果的に淡いブルーが入っていて、あたしはトップページを見ただけでどこかほっとしていることを自覚する。

その人は個人でアクセサリーデザインをやっているらしく、記事の大半はそれらの製作日記やお店の情報なのだけれど、ときどき個人的なことも書いている。子供が熱を出したとか、旦那さんと喧嘩したとか、ホントに些細なことなのだけど、なぜか妙に引き付けられてもう1年以上も読み続けていた。温かい文章、というんだろうか。美人じゃないけど性格がよさそうで、多分笑顔の綺麗な人なんだろう、と勝手に想像させる文章だった。

コメント欄を開くと、前回残したコメントにレスが付いていた。こまごました感想の終わりに、また来てくださいね、と書いてあった。社交辞令だと思うけど、なぜか癒されていた。

世界は小さい。でも、あたしは広げられるし、友達はクラスメイトだけじゃない。
自分にそう言い聞かせながら、発光するディスプレイを閉じて、眠りに着く。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

10:39 | momou | ■flora World 270「偽アカシア/友情」 はコメントを受け付けていません
2014/05/12

SONY DSC

くきくきと肩を回して時計を見ると、もう0時に近かった。
経費削減のためとスポットライトのように残ったものの真上だけつけることを許された照明の数はふたつ。また残されているのか、彼も。デスクを見舞うと、声を掛けるまでもなく彼が書類の山につっぷすようにして眠っているのが判った。

隣の椅子を引いて寝顔を眺める。だいぶ大人になったなあと思う。三年前に新卒で入ってきて、OJTにわたしがついた。右も左も判らない彼に資料のフォーマットを教え、接待で使う店を教え、まだ学生気分が抜けなかったこの子に社会人として恥ずかしくない服装や振る舞いを覚えこませた。おろおろとわたしの言うことを聞いて生真面目に反応する姿はかわいくて、あの頃は毎晩いろんなところに引っ張り回したものだ。その甲斐あって昨年には一本立ちし、今では同期で一番営業成績がいいらしい。先輩のおかげですと彼は顔を真っ赤にして言うが、わたしにとっても満更でもなかった。

が、その所為か、最近では仕事に忙殺されているらしい。今年は彼も初めて新卒の女の子の教育担当についたと聞いた。きっとわたしからされたように後輩を指導しているに違いない。それはなんだか微笑ましかったが、そのために自分の仕事にしわ寄せが来ているのだろう。

上着でも掛けてやろうか、と立ちあがった瞬間、パソコンの影に何か小さい箱があることに気が付いた。隠すように置かれたそれは誰でも一度は聞いたことのある高級ブランドのロゴが入っている。好奇心から、音を立てないように手を伸ばした。この子もついにお洒落に目覚めたのだろうか。中身はネクタイピン? それとも、カフス? 秘密を盗み見るように、そっと開く。……中身は、指輪だった。

そっと抜き取って嵌めてみる。少し小さい。小指ならくるくる回るが、薬指には少し小さい。照明に照らされて光るプラチナの輝きを楽しみながら、わたしは忍び笑いを漏らした。秘密にしていたのか、彼は。先日飲みにつれて行った時、そんなことは一言も言わなかったのに。

彼に女を教えたのはわたしだった。初めてのとき、すいませんと謝ってばかりいた。だんだん、謝らなくなって、上手になって、……最近は忙しいとそればかり口にしていたけれど。

バカな子。

渡されたときには驚いた顔をしなければならないな、と思いながら指から抜いて箱に戻した。頬が緩むのを抑えきれず、気配を忍ばせて元の場所に片付ける。そして、今度こそ上着を取るために立ちあがると、彼が身じろぎしてとろりと眠そうな目を開けた。

「……あれ、すいません。俺寝ちゃってました?」

「大丈夫、皆帰ったから。それより、もう0時回ったよ」

げ、と彼は慌てた様子で机の周りを片付け始めた。ばさばさと音を立てて書類を掻き集めるのを手伝ってやると、彼は礼を言って机の中にそれをしまい、さっと手を伸ばしてあの箱を鞄に入れた。大事そうに。そして慌ただしく礼をすると、挨拶もそこそこに一人でオフィスを飛びだしていき、わたしは少し拍子抜けした。

しかし、置いていかれてしまったものは仕方ない。ため息をついて席を立った時、小箱が置かれていたのと反対側に写真立てが置いてあるのを見つけた。手を伸ばす――やめる。微かに見えた写真には長い髪が映っていた。その肩に置かれた、彼の手。

わたしはショートヘアだ。叫び出しそうになるのを抑え、座りこんだわたしの頭上で消し忘れた照明が煌々と輝いていた。

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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

07:00 | momou | ■flora World 269「谷空木/豊麗」 はコメントを受け付けていません
2014/04/21

m268

恋がしたい恋がしたい恋がしたい。

最近脳内でエンドレスリピートし続ける呪文を気づけばまた唱えていた、恋がしたい。ときめいたりはにかんだり甘酸っぱい想いをしてみたい。これは春先になると私が必ず罹患する病のひとつだ。恋がしたい恋がしたい。想うだけでは一向にどうにもならないことと知りながら、ずり下がりそうになる眼鏡の蔓に指を掛けて押し上げた。

 

恋人がいない時期のほうがいた期間よりも長くなって、既に数年。

その間に私はぱっとしない田舎の国立大学を卒業し、学生課で紹介してもらった製造メーカーに就職し、既にお局の域に達している。うちは女子の給料がバカみたいに安いので、女の子たちは直ぐに見切りをつけて転職するか、結婚して働き続けるかの2択を就職早々に迫られるからだ。自分より若い子がさっさと寿退社やパートタイムに転向するなか、私は淡々と毎日同じような伝票の処理をし電話を受けてメモを書きコピーの詰まりを直したりする日々を続けている。やりがいは特に、ない。安定していることだけが取り柄の仕事だ。

それが嫌ならさっさと転職すればよかったのに、それをしなかったのはあいつのせいだよなあ、とため息をついた視線の先には綺麗に禿げた頭があって、今日もうららかな日差しを浴びて温かそうに光を放っている。

――あれで、同じ年。

二代目になる当社の社長は、唯一私の同期にあたる。入社式の時やけにどんくさい奴だと思ったら、なんと社長の息子だった。最初に靴ひもがほどけているのを指摘してやったのがいけなかったのか、以来何かと事あるごとに私を頼ってくる。頼られれば悪い気はしないので、ついおせっかいを焼いてしまう。辞めようと思ったこともないではないが、私がいなかったらこいつはどうなるのだろうかと思うと不安になって辞められなかった。正直なところ私がいなくたって誰かは世話を焼くのだろうと思うのだけれど、年嵩の社員にとっては息子扱い、後輩からは社長社長と扱われる姿はどうにも居心地が悪そうで、救いを求めるような視線を感じると私のほうが居たたまれない。

春と言えば出会いの季節であるようなのだが、いつの間にか私は社長のお守係と目されており、新入社員は敬遠してかいっこうに近寄ってこない。花の独身、来るもの拒まずの32歳だと云うのに! せめて飲み会に誘えと念じてみても、ひ弱な動物を思わせる男の子達はそそくさと逃げていく。

ああ、恋がしたい。一生に一度でいい、燃えるような恋がしてみたい。

……視線はつい、柔らかな春の花が咲く窓辺に向く。するときれいな後頭部が目に入る。にこっ、と笑われる。あれを恋とは言わないよなあと思いながら、彼から先日受けたプロポーズを思い出して、私は贅沢なため息をついた。まあいいか。
恋は実らなかったが、愛ならこれから手に入るらしいから。

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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

 

09:02 | momou | ■flora World 268「チューリップ/実らぬ恋」 はコメントを受け付けていません
2014/04/07

m267

気がつけば、今年もまた桜の季節だった。

取引先の都合でたまたま早く帰れることになったから、遠回りして川べりを通っていくことにした。丁度満開だろうと踏んだが、まだ八分咲きというところか。18時を回っているのに薄ぼんやりと明るい緑地帯には人影もなく、手頃なベンチを見つけて腰を下ろすとコンビニの袋からビールを1本出してプルタブを引いた。ぷしゅっ、とどこか気の抜けたような音がする。

気が抜けているのは自分だと思いながら、頭上を見上げた。
ぼんやりとした薄紅色の天蓋が、風に吹かれてはらりはらりと落ちてくる。

 

桜が好きな彼女だった。

桜が好きという日本人は多いだろうが、彼女はかなり本格的に桜の木が好きだった。偏愛していると言ってもいい。一番好きなのは関山という種類で、重ね咲きでぼんぼりのように咲く。大山桜や糸括という花も好きだ。図鑑と首っ引きでも全く見分けがつかないわたしを前に、彼女はこの時期生き生きとして道や民家に植えられた桜の花を指差してはあれは何だとかこれはどうだとか、花の名前を教えてくれる。それは単純な好悪の情というよりは、あるいは探究心とか好奇心とかいうものよりは、熱情に近いもののような接し方なのだった。

 

「この家は桜が無いからつまらないね」

初めて仮設で迎えた春は、花見をするところではなかった。避難所をいくつか経由し、やっとのことで転がり込んだ小さな家の窓からは見渡す限りプレハブの屋根ばかり連なっていた。救いは遠くに山が小さく見えたことくらいだろうか。そこに桜があったのかどうか、もしかしたらあの慌ただしさのなかで気付かなかったのかもしれないけれど。

わたしたちの小さな家には妹背という名の桜の木があった。古い家で、桜があることだけが取り柄のようなその家でわたしたちは三年過ごした。名字の違う表札を掲げたせいで近所からは事情のある姉妹かと思われ、そのために今回も同じ仮設に入るために四苦八苦した。同性同士ではこんなところでも不自由があるのかと憤慨するわたしを彼女はいつでもおおらかに宥め、大丈夫よだって今までも上手くやれたしこれからだって上手くいくわきっと、と笑った。

そうして実際上手くいき、彼女とわたしは夏には仮設を出てアパートへ入居できることになっている。不動産屋やリフォームの業者と打ち合わせをしたあと彼女は実家に顔を出すとかで、今夜は遅くなるようなことを言っていた。

「だから今夜は夕飯はバラでね。食べてくることになると思うから」

今度の家は桜が見える場所らしく、彼女は張り切って打ち合わせには不要なはずのカメラを持って出かけていった。夜桜でも撮影してくるつもりなんだろうと思うとおかしかった。春だから仕方ない、桜の時期には年がら年中一緒にいるわたしよりも限りある桜を優先するのは彼女の癖のひとつである。

 

だから今日は一人で花見。
気が抜けたビールをすすりながら、わたしはぼんやりと彼女の好きな花を見上げる。
解説をされない、名を呼ばれない桜の花弁が次から次へと落ちてくる。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

10:15 | momou | ■flora World 267「桜/純潔」 はコメントを受け付けていません
2014/03/17

m266

――この時期になると、昔のことを思い出す。

そんなことを言ったりすると大人は決まって笑うけれど、15歳にだって昔はある。思い出話は年寄りの専売特許じゃない。小学生にも小学生なりの昔はあるし、僕にだって僕なりの昔はある。
教室の窓から見えるハナミズキの花は、そんなことに頓着せずにただ咲いているけれど。

 

あの花にはちょっとした曰くがある、と聞いたのは入学して早々の時だった。
ハナミズキのてっぺんあたりに幽霊がでるんだって。いじめられた女生徒が首を吊った、というその噂はあっという間に新入生に知れ渡り、そのうちに首のない女の子が放課後その辺を歩いているのをみたとか、集合写真に知らない子が映ってるとか、そんな話がまことしやかに囁かれていた。

僕はもちろん信じなかった。口先では「まじかよ、やばいじゃん」とか調子を合わせていたけど、幽霊なんているわけないって思ってた。だって、その学校でいじめで死んだ子はいないんだから。二つ上の姉が面白半分で新聞やらネットやらを駆使して確認して残念がってるのを見てたんだから間違いない。
幽霊を見たって言ってたのは電波っぽい女子で多分人気集めの発言だったんだろうし、写真の件の出元はうちのクラスで、ずっと休んでる子がいたからまさしくいじめの対象だったんだろうと思う。僕の中学は複数の学区から生徒を取っていたから、どこかの小学校のいじめが続いていることもあり得る話だと思ってた。

知らなかったのは、それが自分の通ってた小学校で起こっていたということだ。ちょっと太りぎみのその子のことをクラスの女子の大半がいじめてた、なんて僕は想像もしなかったし、仲が良い方だって思ってた。男子は皆そうだったと思う。女子たちがよくつるんでることは知ってたけど、だからってそのつるみ方が異常だとかは判らなかったしそれが不登校の原因なんて考えたこともなかったんだ。

けど、女子はみんな知ってたらしい。写真を見て「怖い」って笑ってるのを見て、ああそうだったんだ、って。知ったからどうのこうの、ってことはしなかったけど、幽霊より怖いのは女だよなあってそんとき思った。

この話には続きがある。去年の春休み、僕はその子と校庭で会っている。あ、とお互い顔を見合わせて、久しぶりじゃん、ってぎこちなく声をかけた。その子もそうだねってぎくしゃくした感じで笑った。学校に来るの超久しぶりだから、と言ったけれど、入学式以来だから懐かしいっていうよりすごく不思議な気がした。彼女がここにいることが。

「このハナミズキ、記念植樹でうちのお兄ちゃんがうえたやつなんだ」

樹の枝を撫ででその子は言い、なんとなく部活に戻りそびれた僕のとなりでぽつぽつとその兄の話をしていた。自慢の兄で、やさしくて、今は家を出ているなんてことを僕は聞かされ、だから最後に花を見たかったんだとその子は言った。最後、ってどういうこと? 聞き返した僕に、彼女は別にと言って帰っていった。
休み明け、担任からその子が転校したってことを初めて聞いて、ああだからかってまたあとから思ったんだ。

その兄ちゃんが植えたって言うハナミズキは今年もまた花を咲かせていて、僕は教室からその花を見ていて、あのときの彼女の小さな背を思い出す。

別に誰に言うっていうわけじゃないけど、また咲いたよ、って心の中だけで思っている。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

08:15 | momou | ■flora World 266「ハナミズキ/返礼」 はコメントを受け付けていません
2014/03/03

m265

花屋に立ち寄りかけて、躊躇った。

綺麗にディスプレイされた三段飾りの雛人形に目を奪われたせいだ。手作りなのか、どこか稚拙な表情をした一対の内裏雛に小道具が揃っていない官女と囃方は大きさもまちまちだったが、ちんまりとした毛氈に乗せられて誇らしげに光を浴びている。

立ち止まっているのを見咎められたか、奥から店員が明るい声で声を掛けてきた。

「桃の花、まだ残ってますよ。いかがですか?」

それを買いに来たくせに、曖昧に笑うとわたしは黙って首を振る。その間にも客が来て、目の前で大ぶりな枝を指差した。零れそうな桃色の花をぎっしりつけた艶やかな枝を抱えて、その男性客は聞かれもしないのに娘の御祝なのだと店員に照れくさそうに話していた。

雛飾りを出さなくなって、もう何年経つだろう。

男子ばかり続けて生まれた我が家で、わたしは待望の女子として産まれた。鬼籍に入った祖父などは手放しの喜びようで、それこそお姫様扱いで接してくれたものだ。今は実家の押し入れの中で埃をかぶっているはずの雛人形は初節句に祖父母から贈られたもので、十段のそれは立派なものである。でも、その大きさが災いしてきちんと出していたのは記憶する限り小学生の頃までだった。土台、育ち盛りの兄二人が駆けまわっている我が家では扱いにくい代物だったということなのだろう。いつかお前がお嫁に行くときに、と母はそのまま押し入れに保管しているらしかったが、進学を機に家を出て以来わたしは嫁ぐ予定もなく、一人では節句の祝いをする気にもなれずにそのままになっている。

それがつい花でも買おうかという気になったのは、職場のロビーに活けられた大ぶりの桃の花を見たせいだ。ケースに入った雛人形よりもよほど目立っていたあの花が部屋にあれば、少しは気分も変わるかもしれないと思った。嫁ぎ遅れないようにきちんとしまえよ、と自分では気のきいたジョークでも言っているつもりの上司やまだ若い女子社員達の明るいさざめきに耳を塞ぐようにして、ホワイドボードに乱暴に書きなぐった“直帰”の文字は自分でもどこか痛々しく感じられた。

――別に、結婚したい相手がいるわけでなし。

結婚を選ばずに来たと自分では思っていても、周囲がそうは見ないことは知っている。知っているだけ、わたしは少し傷付いている。傷つかないふりをしてやり過ごしながら、その時点で傷の存在を自覚している。我が家の人形に比べ、この店に飾られた手作りの雛たちの愛されていることに、どこかしら燻ぶったような気持ちにさせられている、勝手に。

苛立っていることを認めながら、わたしはそれでも入口に活けられた桃の花から視線が逸らせない。薄紅色の花弁をぎっしり付けた花は、最後の一本になっていた。燦々と輝く照明を受けて、つやつやとした枝は少し不格好に撓っている。

「それ、枝ぶりがあまりよくないのですけど、花は花ですから。綺麗に咲きますよ」

にこりと笑いかける店員に頷き、 わたしは財布を鞄から出した。いつの間にか平静を取り戻していた。
雛人形を飾らなくても、わたしが望まれて生まれたことには変わりない。この蕾の付き方なら、期限を切らずともしばらく目を楽しませてくれるだろうと思いながら、油紙に包まれたどっしりした枝を抱えて帰った。

腕の中からは、ほんのりと春の匂いがした。

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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

08:00 | momou | ■flora World 265「桃/天下無敵」 はコメントを受け付けていません
2014/02/17

m264

午前一時半。

僕の一日はここから始まる。大抵の人は熟睡しているだろうし下手をすれば今頃から寝る人もいる時間帯に起き、朝食を食べ歯を磨いて出勤。朝一番の刷りあがりが早くも来ていて、店長が黙々と折り込みの束を挟んでいる。無言で頭を下げて受け取って、バイクの荷台に積み上げる。担当地域分全部を折らないように載せると、シートにまたがってエンジンを掛けた。ぶるん、と排気音が小さく響く。そうして僕は、真夜中の街へ出ていく。

 

新聞配達を始めたのは、単に暇だったからだった。

大学生とはいえ、実験の多い理系でもなく実習もない商学部でサークルにも入っていない僕は基本的に夜が早い。受験勉強のために朝方の生活をしていたら、生活リズムが8時間ほど人とずれた。だから夜のバイトで、かつ健全なものという単純な理由で選んだ仕事なのにもう3年も続いていて、僕は既にベテランの部類に入る。

配達は結構なハードワークだ。うちの店はバイトが少なく、一人頭の配達地域がやたら広い。今日のように晴れていればいいが、雨のときは地獄に近い。濡れないようにビニールでくるむ手間が増えるし、そんな日でも遅配すれば怒鳴られるし。だから何度も辞めようと思ったけれども、その度に踏みとどまることが出来たのはやっぱり彼女の力が大きいような気がする。

「おはよう。お疲れ様」

ありがとう、と彼女はいつも門の前で待ってくれている。新聞を手渡し、頭を下げるとにこにこと笑って小さな包みを持たせてくれる彼女は、うちの店のお得意様だ。豆腐屋だからということを差し引いても早起きのこの奥さんは、毎朝こうして何がしかの包みをくれた。中身はヤクルトだったり金平糖だったり、揚げたばかりのコロッケだったりする。そうして二三言交わして、僕は再びバイクにまたがる。話の中身は天気の話ばっかりだけれど、いつも嬉しそうに笑っている奥さんは幸せそのものという感じで、まだ見たことのないご主人がどんな人なのか、きっと想像できないくらいの幸せ者なのだろうと想像する。

 

が、今日に限って奥さんは外に出ていない。のれんもしまったままで、いつもならガンガンに鳴り響いているボイラーの音も一切しない。怪訝に思いながら、新聞をポストに入れるべきか、それとも戸を叩いて知らせるべきか、ちょっと迷う。

「おはよう、」

頭上から声。顔を上げると二階から奥さんが顔を出している。ふあああ、とまさに起きぬけです、って感じの欠伸をしているのに驚き、そういえばいつも小奇麗に化粧をしていたっけな、と変な所に気がついた。「ちょっと待ってて」と奥さんは言って窓を閉め、所在なく待つこと1分、奥さんは寝巻きに半纏を羽織っただけの姿で無防備に玄関を開けた。

 

「ごめんなさいね、今日はうちの人が風邪ひいたから休みにしちゃったのよ」

 

わたしも寝坊しちゃって、と奥さんは照れたようにはにかんで、いつものように新聞を受け取って僕には栄養ドリンク。あなたも気を付けるのよ、若いからって無理しちゃだめよ、と母親のような口調で奥さんは云い、それからうふふふと猫のように笑う。開けっぱなしの玄関からは奥さんの名前を呼ぶ男の人の声がして、返事をした奥さんはいそいそと家の中に引っ込んでいった。さてはあれが旦那か。

なんだか当てられたような気分で、僕は再びバイクにまたがる。まだ朝日も射さない時刻、あの二人はこれからもうひと眠りするのだろう。いいなあ、となんとはなしに思いながら、残りの新聞を揺らして僕は人気のない道を勢いよく駆けていく。

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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

08:16 | momou | ■flora World 264「からすのえんどう/小さな幸せ」 はコメントを受け付けていません
2014/02/03

m263

オニワーソト、フクワーウチ。

窓の外からなにやら呪文のような声が聞こえると思ったら、近所の子供が豆まきをしているのだった。おにはーそと、ふくわーうち。鬼は外、福は内。だんだんに意味を取り戻してきた呼び声を聞きながら、横目で壁掛けのカレンダーを眺める。去年の12月からめくられていない私の部屋のカレンダーは、少し陽に焼けて表紙が薄く黄ばんでいる。
もう二月になったんだ、と、なんだかすごい発見のように思った。

12月から、一歩も部屋の外に出ていない。
一人暮らしのワンルームはトイレもベッドも直ぐ傍にあり、食べ物は通販で事足りる。夫が残してくれた年金のおかげで贅沢しなければかつかつでやっていけるほどの蓄えもあり、寒い間は亀のようにじっとして過ごしていた。別に外に出ようと思えば出られたのだろうけれど、雨が降れば足が痛み、寒いときはおっくうになり、そうこうしている間に気がつけば節分になっていたわけだ。

おにはーそと、ふくはーうち。

子供らの声に混じって夫の声が聞こえるような気がして、私はもそもそと窓を開けてみた。
全国的に温かい一日になるでしょう。さっき聞いたアナウンサーの声そのものの、温んだ空気がさっと部屋の中に吹き込んで来た。

いつもは寡黙なほうなのに、豆まきとなるとがぜん張り切る夫だった。
恵方巻きもわざわざデパートで注文する気合の入れようで、どこか楽しげに出勤する夫の背中を思い出す。帰宅時間に合わせて用意した枡に炒った豆を入れて渡すと、夫は鬼の面を付けて私に豆をぶつけるように言うのだった。ちゃんと当てろよ! と適当な私をいつも叱り、楽しそうに逃げ回って、調べておいた恵方を向いて巻きずしを腰に手を当てて食べていた夫。歳の数だけ豆を食べることは60歳を過ぎてからはさすがに止めたが、毎年丹念に数を数えて、数え間違いをして多く食べたの少なく食べたのと騒ぐのも恒例だった。

その夫が逝って、二年経っていた。
一人では豆まきをする気も起きずにいたけれど、今からでもやってみようか。

オンラインスーパーの画面を立ち上げると、特売品のところにちゃんと豆が用意されていた。クリックひとつで買える、が、この時間だと今日中の配送は間に合わない。逡巡したが、財布を持って、私は家を出ることにした。今から出ればタイムセールが始まる前に帰ってこれるだろう。

おにわーそと、ふくわーうち。

楽しげな子供らの足音が遠ざかっていく方向に向かって、私は夫の声を追いかけて歩きだす。温かいぽかぽかの陽気はうっすらと春の匂いを纏わりつかせていた。

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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

07:43 | momou | ■flora World 263「フォーチュネラ/思い出」 はコメントを受け付けていません
2014/01/20

彼女が出て行って初めて、女の子がいかに多くの膜を被っているかを実感させられた。

鏡台の上に残された化粧水、乳液、美容液、洗顔料、アイメイクリムーバー、メイク落とし……喧嘩してそのまま飛び出していったから、いつのまにか増えていたそれらの瓶の多さに最初唖然とし、そして驚いた。一緒に住んでいたのも同然だったのに、彼女がこういう瓶を所有し、肌に塗り、落していたことなど全く気付いていなかった自分に。

ときどきは鼻歌を歌いながらしていたはずの作業なのに、覚えているのはなぜかむっつりと黙りこんで化粧を落としている姿だ。あれはいつのことだったったんだろう。

もう、帰ってこないつもりなんだろうか――鏡の中に映るおれは途方に暮れて、しょぼくれた顔になっていた。

 

喧嘩の原因はひどく些細なものだった。

いつもなら笑って流せる冗談が引っ掛かり、言いかえした言葉がささくれになり、いちいちそれが引っ掛かって彼女は家を出ていった。「あんたなんか勝手に野垂れ死んじゃえばいいんだ」という彼女の捨て台詞に、「それはお前のほうだろう」と返したのが決定打で、目に涙を溜めた彼女は勢いよくドアを閉めて出ていった。追いかけた方がいいことは判っていた。でも、出来なかった。それをすれば負けを認めるような気がして。勝ち負けなんかじゃないと気付いたときはもう1時間近くたっていて、結局ドアを開けることはせず、彼女と一緒に寝ていたベッドに一人で寝た。いつもなら窮屈だと思っていたのに、なんだか妙に広すぎるような気がした。

今朝、迷った末に仕事に行った。彼女は合鍵を持っていない。開けてほしいからいらないと言って、不便さをむしろ楽しんでいた。だから、今この瞬間にも彼女が外で待っているような気がして、気が気でないまま目の前の仕事をなんとか片付け、残業は明日に回すことにして挨拶もそこそこに会社を出た。まだ18時前だというのにアパートのある駅の改札を抜けると真っ暗で、寒さに襟元を掻き合わせてからマフラーを今日はしていなかったことに気がついた。いつもなら出がけに彼女が渡してくれるのに。

くそ、と悪態をつきながら足早に家を目指し、自分の部屋が見えてくると視線が勝手に泳いだ。探しているのだ。待っている彼女を。待っていてほしい彼女を。おれはこんなに未練たらしい性格だったか、ていうか彼女なんかこれからいくらだって作る気になれば作れるのに、なんで。大体待ってるわけないじゃないか。あんな飛びだし方をしておいて、こんな寒い日に、外でなんて。

でも俺は期待してた、そして期待は予想通り裏切られた。部屋の前には影もなくて、ため息をつきながら鍵を回し、郵便受けに手を突っ込む。ダイレクトメールが溜まっている。彼女がいつも捨ててくれていた広告だのチラシだのを無造作にゴミ箱に突っ込んで、また悪態をつく、畜生。帰ってこいよバカ。

るるるるる。だというのに空気を読まずに携帯が鳴る、るるるるる。なんだよ五月蠅いなちっとは感傷に浸らせよと思いながら舌打ちをしてメールを開く。「ダイレクトメールの捨て方に注意」。

なんだそれ。

素っ気ない彼女のメールになんだか泣きたいような気になってゴミ箱をあさる、果たして彼女からのメモが出てくる。駅前のマックにいると書いてある。

仕方がないから、仕方がない振りをして、おれは今からマックまで走る。

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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

07:57 | momou | ■flora World 262「紅梅/厳しさ」 はコメントを受け付けていません
2014/01/06

m261

 

パッとしない人生を歩んで来た。

などと言えば文学的な感じがするけど、それは僕がオタクだからだと思う。誰に指摘されるわけでもないけど、多分皆そう思ってるんだろうし、ステロタイプな「オタク像」と自分がかなりの部分合致しているのだろうということは理解している。部屋中の壁に貼られたポスター。本棚にきっちり積まれた原作本の漫画。そしてそこから導き出されるイメージである「デブ」「汗っかき」「ダサい」の三拍子はまるきり僕そのものだ。

従って僕は朝から鏡の前で悪戦苦闘を繰り広げていた。通販で買った姿見の前でああでもないこうでもないとやっぱり通販で買った服を取り換え引返してもう二時間。遅刻しないように家を出るには5分しかないのに、早くも新品の服が皺くちゃになっている。

……でも、何かがおかしいのだ。服そのものは雑誌で見たコーディネイトをまるごと買ったんだから間違いはないはず、では小物がおかしいのか。バッグ、靴、それとも? モデルが悪い、と脳裏で囁く悪魔の声を無視すると、僕は財布と携帯と予備のバッテリを鞄に突っ込んで新型モデルのスニーカーを手に階段に向かって駆けおりた。

 

昨今、オタクだって恋はできる。SNSがあるからだ。
僕が出入りしていたのはオタク御用達のスペースで、そこでは好きなアニメの話を思う存分できるので同好の志には極めて人気が高かった。そこでは見た目とか学歴なんて全く考慮されない。ステイタスの基準はいかにイベントに行っているか、グッズを持っているか、うんちく知識を披露できるか、の部分に掛かってくる。そのため、僕はまあまあの人気を誇っており(何しろイベントは毎回欠かさず参加しているしグッズは全制覇しているのだ!)、そのため、コスプレをする女の子から細かいパーツについての質問なんかも受けるようになった。例えばあの魔道具を再現するにはどんな材質がいいかとか、そんなたわいもない質問だったけれど、そういうことにも僕は出来る限り丁寧に答えるようにしていた。何しろそれでクオリティが変わるんだ。コスプレイヤーの写真を見るだけでも僕は結構満足していた。

の、はずだったんだけど。

 

改札を抜け、携帯を開く。チャット画面にログインすると、彼女が待ち合わせ場所の近くまで来ているらしいことが分かった。着いたことを連絡して、携帯を閉じる。あとは祈るしかなかった。

チャットにほぼ常駐しているせいで会ったことのない顔見知りだけは増えたが、リアルで会うのはこれが初めてだ。しかも、それが女子なのだ!SNS万歳!!僕が張り切るのも当然だ、何しろ女の子と二人で会うなんてほぼ初めての体験なのだから。

彼女のコスプレ写真は見たことがあるから、僕の方の写真を送ったのが数日前、ドキドキしながら開いたメールには「お会いするのを楽しみにしてます♪」とごく普通の返信が踊っていて、ひょっとしたら会ってすらもらえないんじゃないかと危惧した僕の心を非常に優しく包んでくれた。

だから、最善の礼を尽くすつもりで、必死でおしゃれを学んだ。彼女を幻滅させてはいけない。オタクだとしても並んで歩くのに最低限の礼義は必要なのだと、上から下まで流行で新品の服に身を包んできた僕だ。
どうかどうか、待ち合わせ場所で僕を見た彼女が帰りませんように。

その瞬間、ぽんぽんと肩を叩かれた。ためらいがちな声。

「はじめまして。今日はありがとうございます」

写真そのままの彼女が屈託なく笑うのを見て、僕は思わず泣きそうになる自分を叱咤しなければならなかった。

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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

08:36 | momou | ■flora World 261「カプセラ/全てを捧げる」 はコメントを受け付けていません

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