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オニワーソト、フクワーウチ。
窓の外からなにやら呪文のような声が聞こえると思ったら、近所の子供が豆まきをしているのだった。おにはーそと、ふくわーうち。鬼は外、福は内。だんだんに意味を取り戻してきた呼び声を聞きながら、横目で壁掛けのカレンダーを眺める。去年の12月からめくられていない私の部屋のカレンダーは、少し陽に焼けて表紙が薄く黄ばんでいる。
もう二月になったんだ、と、なんだかすごい発見のように思った。
12月から、一歩も部屋の外に出ていない。
一人暮らしのワンルームはトイレもベッドも直ぐ傍にあり、食べ物は通販で事足りる。夫が残してくれた年金のおかげで贅沢しなければかつかつでやっていけるほどの蓄えもあり、寒い間は亀のようにじっとして過ごしていた。別に外に出ようと思えば出られたのだろうけれど、雨が降れば足が痛み、寒いときはおっくうになり、そうこうしている間に気がつけば節分になっていたわけだ。
おにはーそと、ふくはーうち。
子供らの声に混じって夫の声が聞こえるような気がして、私はもそもそと窓を開けてみた。
全国的に温かい一日になるでしょう。さっき聞いたアナウンサーの声そのものの、温んだ空気がさっと部屋の中に吹き込んで来た。
いつもは寡黙なほうなのに、豆まきとなるとがぜん張り切る夫だった。
恵方巻きもわざわざデパートで注文する気合の入れようで、どこか楽しげに出勤する夫の背中を思い出す。帰宅時間に合わせて用意した枡に炒った豆を入れて渡すと、夫は鬼の面を付けて私に豆をぶつけるように言うのだった。ちゃんと当てろよ! と適当な私をいつも叱り、楽しそうに逃げ回って、調べておいた恵方を向いて巻きずしを腰に手を当てて食べていた夫。歳の数だけ豆を食べることは60歳を過ぎてからはさすがに止めたが、毎年丹念に数を数えて、数え間違いをして多く食べたの少なく食べたのと騒ぐのも恒例だった。
その夫が逝って、二年経っていた。
一人では豆まきをする気も起きずにいたけれど、今からでもやってみようか。
オンラインスーパーの画面を立ち上げると、特売品のところにちゃんと豆が用意されていた。クリックひとつで買える、が、この時間だと今日中の配送は間に合わない。逡巡したが、財布を持って、私は家を出ることにした。今から出ればタイムセールが始まる前に帰ってこれるだろう。
おにわーそと、ふくわーうち。
楽しげな子供らの足音が遠ざかっていく方向に向かって、私は夫の声を追いかけて歩きだす。温かいぽかぽかの陽気はうっすらと春の匂いを纏わりつかせていた。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。