« | Home | »

2014/03/03

m265

花屋に立ち寄りかけて、躊躇った。

綺麗にディスプレイされた三段飾りの雛人形に目を奪われたせいだ。手作りなのか、どこか稚拙な表情をした一対の内裏雛に小道具が揃っていない官女と囃方は大きさもまちまちだったが、ちんまりとした毛氈に乗せられて誇らしげに光を浴びている。

立ち止まっているのを見咎められたか、奥から店員が明るい声で声を掛けてきた。

「桃の花、まだ残ってますよ。いかがですか?」

それを買いに来たくせに、曖昧に笑うとわたしは黙って首を振る。その間にも客が来て、目の前で大ぶりな枝を指差した。零れそうな桃色の花をぎっしりつけた艶やかな枝を抱えて、その男性客は聞かれもしないのに娘の御祝なのだと店員に照れくさそうに話していた。

雛飾りを出さなくなって、もう何年経つだろう。

男子ばかり続けて生まれた我が家で、わたしは待望の女子として産まれた。鬼籍に入った祖父などは手放しの喜びようで、それこそお姫様扱いで接してくれたものだ。今は実家の押し入れの中で埃をかぶっているはずの雛人形は初節句に祖父母から贈られたもので、十段のそれは立派なものである。でも、その大きさが災いしてきちんと出していたのは記憶する限り小学生の頃までだった。土台、育ち盛りの兄二人が駆けまわっている我が家では扱いにくい代物だったということなのだろう。いつかお前がお嫁に行くときに、と母はそのまま押し入れに保管しているらしかったが、進学を機に家を出て以来わたしは嫁ぐ予定もなく、一人では節句の祝いをする気にもなれずにそのままになっている。

それがつい花でも買おうかという気になったのは、職場のロビーに活けられた大ぶりの桃の花を見たせいだ。ケースに入った雛人形よりもよほど目立っていたあの花が部屋にあれば、少しは気分も変わるかもしれないと思った。嫁ぎ遅れないようにきちんとしまえよ、と自分では気のきいたジョークでも言っているつもりの上司やまだ若い女子社員達の明るいさざめきに耳を塞ぐようにして、ホワイドボードに乱暴に書きなぐった“直帰”の文字は自分でもどこか痛々しく感じられた。

――別に、結婚したい相手がいるわけでなし。

結婚を選ばずに来たと自分では思っていても、周囲がそうは見ないことは知っている。知っているだけ、わたしは少し傷付いている。傷つかないふりをしてやり過ごしながら、その時点で傷の存在を自覚している。我が家の人形に比べ、この店に飾られた手作りの雛たちの愛されていることに、どこかしら燻ぶったような気持ちにさせられている、勝手に。

苛立っていることを認めながら、わたしはそれでも入口に活けられた桃の花から視線が逸らせない。薄紅色の花弁をぎっしり付けた花は、最後の一本になっていた。燦々と輝く照明を受けて、つやつやとした枝は少し不格好に撓っている。

「それ、枝ぶりがあまりよくないのですけど、花は花ですから。綺麗に咲きますよ」

にこりと笑いかける店員に頷き、 わたしは財布を鞄から出した。いつの間にか平静を取り戻していた。
雛人形を飾らなくても、わたしが望まれて生まれたことには変わりない。この蕾の付き方なら、期限を切らずともしばらく目を楽しませてくれるだろうと思いながら、油紙に包まれたどっしりした枝を抱えて帰った。

腕の中からは、ほんのりと春の匂いがした。

=================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2014/03/03 08:00 | momou | No Comments