« ■パガン観光の仕様です。 | Home | ライブのフライヤー、できましたっ!!!(2014.3.23@中目黒・楽屋) »
午前一時半。
僕の一日はここから始まる。大抵の人は熟睡しているだろうし下手をすれば今頃から寝る人もいる時間帯に起き、朝食を食べ歯を磨いて出勤。朝一番の刷りあがりが早くも来ていて、店長が黙々と折り込みの束を挟んでいる。無言で頭を下げて受け取って、バイクの荷台に積み上げる。担当地域分全部を折らないように載せると、シートにまたがってエンジンを掛けた。ぶるん、と排気音が小さく響く。そうして僕は、真夜中の街へ出ていく。
新聞配達を始めたのは、単に暇だったからだった。
大学生とはいえ、実験の多い理系でもなく実習もない商学部でサークルにも入っていない僕は基本的に夜が早い。受験勉強のために朝方の生活をしていたら、生活リズムが8時間ほど人とずれた。だから夜のバイトで、かつ健全なものという単純な理由で選んだ仕事なのにもう3年も続いていて、僕は既にベテランの部類に入る。
配達は結構なハードワークだ。うちの店はバイトが少なく、一人頭の配達地域がやたら広い。今日のように晴れていればいいが、雨のときは地獄に近い。濡れないようにビニールでくるむ手間が増えるし、そんな日でも遅配すれば怒鳴られるし。だから何度も辞めようと思ったけれども、その度に踏みとどまることが出来たのはやっぱり彼女の力が大きいような気がする。
「おはよう。お疲れ様」
ありがとう、と彼女はいつも門の前で待ってくれている。新聞を手渡し、頭を下げるとにこにこと笑って小さな包みを持たせてくれる彼女は、うちの店のお得意様だ。豆腐屋だからということを差し引いても早起きのこの奥さんは、毎朝こうして何がしかの包みをくれた。中身はヤクルトだったり金平糖だったり、揚げたばかりのコロッケだったりする。そうして二三言交わして、僕は再びバイクにまたがる。話の中身は天気の話ばっかりだけれど、いつも嬉しそうに笑っている奥さんは幸せそのものという感じで、まだ見たことのないご主人がどんな人なのか、きっと想像できないくらいの幸せ者なのだろうと想像する。
が、今日に限って奥さんは外に出ていない。のれんもしまったままで、いつもならガンガンに鳴り響いているボイラーの音も一切しない。怪訝に思いながら、新聞をポストに入れるべきか、それとも戸を叩いて知らせるべきか、ちょっと迷う。
「おはよう、」
頭上から声。顔を上げると二階から奥さんが顔を出している。ふあああ、とまさに起きぬけです、って感じの欠伸をしているのに驚き、そういえばいつも小奇麗に化粧をしていたっけな、と変な所に気がついた。「ちょっと待ってて」と奥さんは言って窓を閉め、所在なく待つこと1分、奥さんは寝巻きに半纏を羽織っただけの姿で無防備に玄関を開けた。
「ごめんなさいね、今日はうちの人が風邪ひいたから休みにしちゃったのよ」
わたしも寝坊しちゃって、と奥さんは照れたようにはにかんで、いつものように新聞を受け取って僕には栄養ドリンク。あなたも気を付けるのよ、若いからって無理しちゃだめよ、と母親のような口調で奥さんは云い、それからうふふふと猫のように笑う。開けっぱなしの玄関からは奥さんの名前を呼ぶ男の人の声がして、返事をした奥さんはいそいそと家の中に引っ込んでいった。さてはあれが旦那か。
なんだか当てられたような気分で、僕は再びバイクにまたがる。まだ朝日も射さない時刻、あの二人はこれからもうひと眠りするのだろう。いいなあ、となんとはなしに思いながら、残りの新聞を揺らして僕は人気のない道を勢いよく駆けていく。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。