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2014/04/07

m267

気がつけば、今年もまた桜の季節だった。

取引先の都合でたまたま早く帰れることになったから、遠回りして川べりを通っていくことにした。丁度満開だろうと踏んだが、まだ八分咲きというところか。18時を回っているのに薄ぼんやりと明るい緑地帯には人影もなく、手頃なベンチを見つけて腰を下ろすとコンビニの袋からビールを1本出してプルタブを引いた。ぷしゅっ、とどこか気の抜けたような音がする。

気が抜けているのは自分だと思いながら、頭上を見上げた。
ぼんやりとした薄紅色の天蓋が、風に吹かれてはらりはらりと落ちてくる。

 

桜が好きな彼女だった。

桜が好きという日本人は多いだろうが、彼女はかなり本格的に桜の木が好きだった。偏愛していると言ってもいい。一番好きなのは関山という種類で、重ね咲きでぼんぼりのように咲く。大山桜や糸括という花も好きだ。図鑑と首っ引きでも全く見分けがつかないわたしを前に、彼女はこの時期生き生きとして道や民家に植えられた桜の花を指差してはあれは何だとかこれはどうだとか、花の名前を教えてくれる。それは単純な好悪の情というよりは、あるいは探究心とか好奇心とかいうものよりは、熱情に近いもののような接し方なのだった。

 

「この家は桜が無いからつまらないね」

初めて仮設で迎えた春は、花見をするところではなかった。避難所をいくつか経由し、やっとのことで転がり込んだ小さな家の窓からは見渡す限りプレハブの屋根ばかり連なっていた。救いは遠くに山が小さく見えたことくらいだろうか。そこに桜があったのかどうか、もしかしたらあの慌ただしさのなかで気付かなかったのかもしれないけれど。

わたしたちの小さな家には妹背という名の桜の木があった。古い家で、桜があることだけが取り柄のようなその家でわたしたちは三年過ごした。名字の違う表札を掲げたせいで近所からは事情のある姉妹かと思われ、そのために今回も同じ仮設に入るために四苦八苦した。同性同士ではこんなところでも不自由があるのかと憤慨するわたしを彼女はいつでもおおらかに宥め、大丈夫よだって今までも上手くやれたしこれからだって上手くいくわきっと、と笑った。

そうして実際上手くいき、彼女とわたしは夏には仮設を出てアパートへ入居できることになっている。不動産屋やリフォームの業者と打ち合わせをしたあと彼女は実家に顔を出すとかで、今夜は遅くなるようなことを言っていた。

「だから今夜は夕飯はバラでね。食べてくることになると思うから」

今度の家は桜が見える場所らしく、彼女は張り切って打ち合わせには不要なはずのカメラを持って出かけていった。夜桜でも撮影してくるつもりなんだろうと思うとおかしかった。春だから仕方ない、桜の時期には年がら年中一緒にいるわたしよりも限りある桜を優先するのは彼女の癖のひとつである。

 

だから今日は一人で花見。
気が抜けたビールをすすりながら、わたしはぼんやりと彼女の好きな花を見上げる。
解説をされない、名を呼ばれない桜の花弁が次から次へと落ちてくる。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2014/04/07 10:15 | momou | No Comments