地元に帰ってきて、半年が過ぎた。
いわゆる就職はしていない。学生時代に友達のやっているバーの手伝いをするようになって、手伝いのつもりがいつの間にか本業になっていた。オーナーであるはずの友人と二人、10人も入ればいっぱいになる店を18時から25時まで切り回す。たいして流行ってもいない店だが、地元であることが幸いし、友達や先輩後輩が頻繁に顔を出してくれるから滅多に赤字になることもない。
「さ、み、い」
独り言。最近めっきり寒くなって、慌ててひっぱりだしてきたブルゾンからはかすかに樟脳のにおいがした。
地元は品川から電車で40分くらい行ったところにある。
大学を卒業したあと都内で就職することも考えたが、面接に立て続けに落ちたことで完全にその気が削がれ、誘われるままに実家に戻ってきてしまった。両親は就職しろ、正社員になれとうるさかったが、連日ポストに入ってくる不採用通知の束を見ていて気が変わったらしい。地元に居る分には非行に走りようもないし、友人たちとは職場で会えるし、休みの日も誰かしらと一緒にいる。店からの給料は水商売の割には安かったが、それでもこの辺の工場で働いているやつらとトントンかちょい上くらいだったから文句を言うほどのことでもなかった。
自分でいうのもなんだが、わりと充実した生活をしていると思う。年収で言えば大学のころの友人たちの半分くらいだが、やつらとはほとんど会わないし、比べなければどうということもない。つるんで飲める友人もいるし、週に三日はきっちり休める。学生のころは特に何も考えず往復出来ていた東京へは足が遠のいたが、買い物は近所の古着屋やモールで事足りるし、大体しゃれた服を買ったところで着ていく場所もあまりない。それより今は店で常連たちと野球中継を見たり、同中のやつらの噂をだらだらと話しているほうが楽しいと思うのだから、人は変われば変わるもんだと思う。
大学受験をしたときは、この街に再び住むことなど考えたこともなかったのに。
鍵を開け、真っ暗な部屋に電気をつけ、冷蔵庫を開けてビールの補充や追加の注文を出し、カウンターの中を掃除する。そうこうしているうちに開店時間になり、ばらばらと客が来て、酒を注いだりつまみを出したりしている間に夜が更ける。
ドアを開けて常連の一人が倒れるように入ってきたのは23時過ぎで、すでに相当酔っぱらっているらしい。キャバ嬢の癖にこんなに弱くて大丈夫なのかと思いながらシャンデイガフを出してやると、一気にあおって、「あたしたち結構しあわせだよねえ?」などとよくわからないことを言う。
「おかねないしさ、東京にすんでないけど、でもけっこーしあわせだよね?」
あんまりしつこく聞くから、黙って頷く。だよねーだよねえと自分に言い聞かせるように彼女は言い、気が済んだのかそのままカウンターに突っ伏した。
これが俺の現実で、地元の現実で、そして今の生活のすべてだ。
幸せかどうかは分からない。こいつも俺も、ここにいるみんながそうかどうかを俺は知らない。でも、少なくとも不幸せではない。
彼女にブルゾンをかけてやったら、樟脳臭かったのかへちっと小さなくしゃみを漏らしていた。
================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
うちの母、みどり(59)の趣味はカラオケだ。一緒に行ったことがないので腕前はよくわからない。そこそこ上手いということになっている。確実に知っているのは週に1回、近所のカラオケスナックに通っていること、だいたいへべれけになって帰ってくることくらいである。
「たーだいまー」
変な節をつけて、酔っ払いは上機嫌で帰ってくる。普段は非常にまじめで、厳しいといってもいいほど挙措に厳しい母が、なんだかただのオンナになってしまったような気がする。
母の腕前についての風聞は、時々聞く機会がある。わたしが勤める税理士事務所の顧問先に、同じスナックに通っている社長さんがいるからだ。
そこの常連のほとんどが応募するという地元ラジオ局主催のカラオケ大会に母がエントリーし、先日予選を突破したこともそれで知った。日付を聞くと、先週の日曜日だった。予定があるか聞かれた日だ。デートの予定があるというと、特に深追いせず頷いていた。
そうか、そこであのブルーのドレスの出番があったのか。
「みどりちゃん、きれいやったでえ。」
関西人の社長は、律儀に本選の日も教えてくれ、ぜひ応援に来てやれと痛いくらいに肩を叩いた。
ブルーのドレスは、父が突然送ってきたものだ。
航空便で届いた父からの荷物の中に、鮮やかなサテン地のチャイナドレスが入っていた。いつどこで誰が着るんだこれは、と一瞬唖然としたが、母がごく平然と受け取っていたから、二人の間ではなんらかの話が事前にかわされていたのだろう。試着したら、サイズは驚くほどぴったりだった。どう?と鏡の前でターンしてみせた母は子供のようにはしゃぎ、わたしに写メを何枚も撮らせた。その姿も、やっぱり母じゃなくて、みどり(59)というただのオンナみたいだなぁ、とわたしは思った。
母が母じゃなくなるのは、なんだか妙な気分だ。
“おかあさん”という生き物じゃなくて、わたしと同じように恋をしたり失恋したりやけ食いしたり穴を掘って埋まりたくなったりしそうに見える。そんなときの母はちょっと若く見えるし、楽しそうだし、少しだけよそよそしい。わたしの知らない母は、カラオケが好きで、たぶんそこそこ歌がうまくて、社長とも仲が良くて、みどりちゃんとか呼ばれてお酒も飲んで、わたしの知らない顔もあるのだろうと思うと、なんだかすこし、もやっとする。
「お母さん、ビデオ撮ってあげようか。」
え、なに、突然?
帰宅した母に告げると、目を丸くする。今日はスナックに行かない日なので、通常の母のままだ。スーツのジャケットを脱いできょとんとしている母に社長から聞いた日付を言うと、急に照れだして、やだーもー何言ってるのいやーと娘のように恥じらいだした。ちょっとこちらが面くらうほどの恥ずかしがりかただ。
そして、ひとしきり悶えた後、「お願いできる?」と頼まれた。
もちろんその日は、朝から会場に行くつもりだ。わたしの知らない母を、でもたぶん父は知っている母を、ブルーのドレスを着て歌う母に会いに行こうと思う。
================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
世の中には2種類の人間がいる。クリーニングを出すものと、そのクリーニングをするものだ。
……そして、俺は後者だ。
毎日毎日、飽きもせずに持ち込まれるたくさんの洗濯物の山を受け取り、料金を計算して預かり、工場へ回して戻ってきたら棚に掛けてお客さんがくれば返す。繰り返し繰り返し、この工程をする。毎週月曜から水曜、土日が俺の担当だ。
三か月前までは、前者だった。
契約を切られ、手に職もない四十過ぎの男が失業手当を食いつぶすのはあっという間のことだった。自分が今までしてきた仕事が評価されることは全くなく、求人はたいてい年齢を理由に撥ねられた。職安からは重機の免許を取るように勧められたが、講座の開始日時にはまだ間があり、俺はうちから二番目に近いスーパーに併設されたクリーニング屋の張り紙を見てバイトをすることにした。一番近いところには今まで何度もワイシャツを出しに行っていたが、そこにはいつも同世代くらいのオバちゃんがいるばかりで、あのオバちゃんが出来る仕事なら俺でも出来るだろうと思ったのだ。
それは体力的な意味でということだったが、実際はどちらかというと神経を使う仕事だった。そして、働き出して3日後には、オバちゃんに深い深い敬意を払うことになった。
客から預かった衣類は、たいていどこかしら汚れている。その汚れの見落としはクレームになるからと最初のころは何度も何度も確認させられた。また、どんなに清潔そうな服を着てしっかりしていそうな女が持ち込んだ洋服でもかならず一度はポケットの中身を調べなければならない。小銭、釦なんかは序の口で、スカートのポケットに煙草の吸殻があるという最悪のパターンもある。このまま出せば、すべてのクリーニング品が洗いの段階で台無しになる。この仕事を初めて早々に、俺は女に対するうっすらとした幻想を打ち砕かれることになってしまった。
が、覗き見的な楽しさも、当然ある。
まじめそうなサラリーマンの出したシャツの胸ポケットからいかがわしい感じの名刺が出てきたり、いかにも派手そうな女の子が持ってきたのがちょっと親父が入った背広だったり。家族の分を取りまとめて出すのだろう、おっとりとした感じの奥様が出す品物の世代感が見事にばらばらだったり。
クリーニング屋の、このカウンターに入ってみないと見えないことは確かにある。
「こんにちはー。受け取りとクリーニング、お願いしますね」
顔見知りの奥さんが挨拶をしながら入ってくる。この奥さんの家族構成も服の趣味も知ってる俺は、なんだか妙な気持になりながら愛想のいい笑顔を作った。
================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
……はあっ、はあっ、はあっ。
ぱたたたと俯いた額から汗が落ちてくる。自分の呼吸音がやけにうるさい。震えそうになる膝を叱咤して身を起すと、わたしは校舎に掛けられた時計を見た。まだ明るいと思っていたけど、そろそろ撤収しなければならない時間だ。部員に声を掛けてグラウンドを片づけなければ。
先輩たちが抜けて、キャプテンになって、1週間。わたしはまだ、そのポジションに慣れていない。
うちは公立のくせに、毎年関東大会を果たすほど強い陸上部があるので有名だった。個人の資質によるところも大きい競技なのに、個人も団体も必ず結果を出していた。中学ではトップの記録を持っていたから自信はあったが、みんなそうだったらしく、一年の時は補欠にすら入れなかった。最初四十人以上いた入部希望者は、半分以下に減った。数が多すぎて選手登録が受けられないこともあったし、もう一つにはほとんど意味のないように見えるいくつかのルール――たとえば日焼け止めを塗ってはいけないとか、髪はベリーショートでないとダメだとか、ジャージは長袖を着てはいけないとか――に反抗していった子も多かった。わたしは、黙って先輩のタイムを計り、真っ黒な腕を晒して短く刈り込んだ項をざらざらと撫でていた。
これでいいんだ、と思った。これでわたしはもっと早くなれる。
誰よりも美しいフォーム、誰よりも早いタイム、誰よりも長く走れる強靭な筋肉。毎日朝練にも欠かさず参加し、二年の春には補欠になって、夏の大会ではついに個人戦にエントリーしてもらえた時は認められたようでうれしかった。それは三年生にとっては引退試合で、わたしのせいで出られない先輩もいたのだけれど、「あんたは人一倍頑張ってるから」と許されたのだった。二年生でのエントリーは珍しくもないが、うちの高校ではめったにない。結果は個人戦が2位、団体戦では4位に入った。先輩たちは声を上げて泣いていた。うれし涙ではなく、悔し涙で。
「あんたがエースなんだからね。仇をとってね。絶対、関東に出てね」
関東大会に出られるのは3位以上だ。真っ赤になった顔で肩を揺さぶられ、頷いた。エースなんだからね。仇をとってね。リフレインのようにいつまでも耳の奥で“絶対”という言葉が響いた。
「しゅーごー!」
声をかけると、四方から集合集合と号令がさざ波のようにこだましていく。校庭の隅々に散らばっていた一年生がトンボを手にして走ってくる。二年生は慣れたもので、それぞれ数人の後輩をまとめると手際よく片付けに取り掛かる。その様子を見て、残っていた同期がくすりと笑った。
「うちらの代は行こうね、全国」
「大きく出たね」
「まあね。夢は大きく、とりあえずあんたは来週の個人戦がんばって!」
ばん、と背中をたたくその顔も、わたしと同じ真っ黒に日焼けした頬をしている。揃いの練習着、同じ髪の長さ、同じだけ練習をかさねてきた。
そう、わたしはエースだ。慣れないなんて言っている場合じゃない。
先輩たちがそうだったように、今度はわたしが、みんなを連れて上に行く。
================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
うれしいうれしい夏休み――の終わりまで、あと1週間。
でも、私にとっては嬉しいことなんて一つもない夏休みだった。大体、大学4年生なんて毎日が休日みたいなものだ。休みを満喫できるのは就職先がすでに決定している一部の子たちだけで、それ以外は毎日紫外線吸収率抜群のリクルートスーツを着て説明会やセミナーや面接を回ることになる。めぼしい企業は春の時点で採用を打ち切っているから、こちらのモチベーションを保つのも難しい。
今日も2社の面接を受けたけれど、手ごたえなんかまるでなかった。疲れだけが溜まったような靴を脱ぎ、エアコンの効いた居間に入る。
とたんに、だだだだだだという足音、甲高い「おかえりー」という奇声と下半身に衝撃が走った。ふらつきながら下を向くと、なぜか得意げな顔をした弟と目が合った。
「ねえちゃんおかえり!僕いい子にしてたよ!」どやあ。はいはい偉いね、といなして冷蔵庫を開けて、買い置きのカルピスを飲んだ。甘ったるい、でもやさしい母の味。
僕にも僕にもとせがむのでコップに注いであげたら、ぐびぐびっと小さな喉が満足そうに上下した。
「あんたはいいね。毎日楽しい?」
問いかけると、弟は首を傾げた。一丁前に迷うことでもあるのだろうか。うーん? となぜか考え込んでしまった弟を放置して、わたしはパソコンを開いた。明日締め切りのエントリーシートが1件ある。出そうかどうか悩んでいたのだけれど、こう惨敗続きでは贅沢も言っていられない。
住所氏名、生年月日、学歴、……志望動機、で手が止まる。
志望動機。入れればどこでもよかったからです、では×。貴社で働きたいと思ったのは……いや実はブラックって噂もあるから正直微妙なんですけど……でも、正社員なんだよね、ここ。本音と建て前の間で手が止まる。
やりたいことなんてない。未来に希望なんてない。でも正規採用じゃないと、派遣やフリーターじゃこの先不安だし……我ながら本当に後ろ向きな理由しか出てこず、ため息が漏れた。
「楽しいだけじゃないけど、楽しいこともあるよ」なのにそのとき、弟が妙に悟ったような顔でこんなことを言うものだから、つい聞き返した。え、なんて?
「だから楽しいだけじゃないって。リフジンなことばっかだし、いい子にしろって言われるし」
「よく知ってたね理不尽なんて」
「だってみんなそういうもん。リフジンなんだよヨノナカは」
でもさ、カルピスもおいしいし、テレビ見ても怒られないし、宿題しなくてもいいし、いいこともあるわけですよ。そうでしょうねえちゃん?
「あんたね。それは子供の理屈であって、大人は」
大人は、と言いかけて止める。大人は、違うのだろうか? みんな好きな仕事をしているわけじゃないことくらい、私もとっくに知っているのに。父も母も、楽しそうな顔で帰ってくるわけじゃない。私だけが特別な理不尽にさらされているわけでは、決してない。
そうね、そうかもね。答えて、私は書きかけのエントリーシートを読み直す。本棚から企業年鑑を取り出し、新聞社のホームページを開いた。せめて、言葉だけでも前向きに。
ふと手を止めて弟を見ると、無心に今はやりのアニメを見ていた。やっぱりこいつは楽しそうに生きてるよなあ、となんだかちょっとうらやましかった。
================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
窓を開けた瞬間、熱風に近い温度がむわっと肌に押し寄せてきて眩しい太陽が目を焼いた。その暑さに、洗濯籠を持ったまま少し立ち眩みした。ぐらりと傾ぎそうになる体を建て直し、籠を置いて外を眺める。平和な風景。傍若無人なほど伸びた木の枝、途切れなく続く蝉の声、脇の下を汗が流れる。
私は今、どこにいるのだったろうか。
暑い暑い日だった。
諸肌を脱いで鍬をふるう母の後ろで私はじゃが芋を選っていた。供出しなければならない量は日に日に増え、農家は裕福だと言われつつもうちのような小作はさほどでもなかったから、小さな小芋を種芋用に僅かに残すばかりであとは殆どを食用に回さなければならなかったのだ。私を筆頭に食べ盛りの女の子ばかり残された我が家では、すでに父が祖霊となり、兄は葉書を一枚よこしたきりで行方が知れなくなっていた。手を休めるんじゃないよ、と振り返りしな母は繰り返して私を咎め、自分は蝉の声に打たれながら滝のような汗を真っ黒に焼けた肌に流していた。
あの日戦争が終わったらしいということは、後で聞いた。私の地元にはラジオが一台しかなく、その一台も離れた集落の地主の家にあったものだから間に合わないと判断されたのだろう。陛下のお声を聴いたのは結局だいぶ後になってからで、録音されたものだった。だからかもしれないが、私の母は長いこと戦後という言葉を信じなかった。結局帰ってこなかった兄のことを、母はずっと待ち続けて、死んだ。
私が東京に出てきたのは死んだ父の歳を超えてからだった。焼野原だ、地獄絵図だ、田舎へ伝わるのはなんだか物凄い話ばかりで、そういうところで背の高いアメリカ人がガムとチョコレートを配っているという。私は彼らを見てみたかった。自分が小さな芋を選り分けている間に彼らが何を食べてきたのかを知りたいと思った。急拵えのバラックが並ぶ銀座で初めて手渡されたチョコレートは、驚くほど大きくて甘かった。すいるすいると呪文のような言葉は笑顔を指すということもその時知った。笑いながら、彼らはものすごい富をまき散らしていた。
その衝撃のまま、私は東京にとどまり、そうして、今、洗濯籠を抱えて暮らしている。
「おばあちゃん、どうしました?」
ぼうっとしていたのが見えたのか、嫁が奥からひょっこり顔を出した。どうもしないと手を振ると素直に台所のほうへ引っ込み、代わりに孫が私の手からひょいと籠を奪い去ってベランダに消えた。歳なんだから無理すんなよと言ってくれるこの孫は、今年赤紙が来たときの兄の歳を数える。振り返った孫の顔は、はにかんだときの兄に、どこか似ているような気がする。
「ばーちゃん? 具合悪いなら横になってなよ」
「大丈夫だ。なんでもないよ」
手を振って否定すると、安心したように笑う。あの暑い暑い夏は、この孫には決して来ない。
来てはならないと念じながら、あの日と同じように注ぐ日の光を浴びていた。
================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
何もかも嫌になる瞬間が、ごく稀にくる。
今日もそうだった。特別何か嫌なことがあったわけではないのに、電車に乗った瞬間、急にすべてを放り出してしまいたくなった。くたびれた鞄も、その中に詰め込んだ離職票も履歴書も踵の痛いヒールの靴も疲れた顔の自分も全部どうでもよくなって、衝動で見知らぬ駅で飛び降りた。たくさんの乗客が改札に吸い込まれるのを見送ると、急に温んだ空気が頬を張るように飛び退っていき、遅れて草っぽい青い匂いがした。
ああ、夏なんだと思った。
真昼間のホームは私以外誰もいない。
屋根が半端に切れているせいで焼けるように熱いベンチに腰を下ろし、蝉の声を聴きながら残っていたお茶を飲んだ。飲んでぼうっとしていた。目の前には見るからに熱そうなレールと、フェンスと、まばらに建った民家らしき家ばかりで駅前だというのに商売っ気が全くなかった。それは田舎を思い出させた。私が捨ててきた故郷の景色は、なぜか駅のホームから始まる。延々と続く田圃でもなく、誰もいない道でもなく、1日に1本しかない東京へ続くバスへ乗るために最寄り駅を目指す夏のホームの風景。もう二度と見ないと決めたのは夜だったのに、なんだかこんな景色だったような気がした。つまらない街。急行が止まるというそれだけの取り柄しかない、中途半端な田舎の景色を見ていたら、急に目の奥が痛くなった。
私は、なんでここにいるんだろう。
スポーツしか取り柄がなかった。走ることが好きで、走ってさえいられればなんでもよかった。高校も大学もそれだけを免罪符のようにして過ごし、就職してすぐに膝を壊し、2年ばかりでやめてしまった。地元にはいられなかった。ああ、あの……と言われるのがつらくて、もう走らないんですかと聞かれると作り笑いを浮かべながら何も知らないくせにと呪った。だから誰も私を知らないところへ行きたかった。東京。そこなら、またやり直せるんじゃないかと思ったりしていた。
そこでは確かに選手としての私を知る人はいなかった。そうしてそれが淋しかった。バカみたいだ。なんの肩書もない私の価値はレジ打ちの速さでしか評価されない。金額の入力のミスがないことだけが取り柄のように言われ、そのたびに何も知らないくせにと思って、笑った。笑うしかなかった。捨てたのは私だったんだから。何も知らない人ばかりのところに行きたがったのは、確かに私だったのだから。
蝉の声がうるさい。
帰っちゃおうっかな、と思った。仕事は首になったし、時間はある。失業手当も出るだろうから当座の生活は心配ない。でも――答えは出ない。とりあえず、次の電車が来るまでは、ここでぼうっとしていようと思って、前を見た。ぼうぼうに生えた草ばかりの道が見えた。あの中を走ったら、記録もなんにも関係なしにただ走ってみたら、少し楽になるだろうかと思った。
================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
店に行こうと思い立ったのは、たまたま逆方向の電車に乗ってしまったからだった。単線で切り替えのない市電は上りも下りも同じホームで、ぼおっとしていると間違える。越してきたばかりのころは車窓からの景色を見て慌てたことも多々あったが、久しぶりにやってしまった乗り間違いに自分でも苦笑して、一つ目の駅でホームに降りた。滅多に降りない駅は、どこか寂れたような風情で私を迎えた。
改札を抜けて、目の前の細い路地に入る。かつて大きな紡績工場があって栄えたというが、この道はその頃の目抜き通りだったらしい。ネオンが灯るにはまだ早いこの時間帯にあっても、休業状態なのだとすぐ分かる雑居ビルを抜けて更に奥へ進んだ。記憶を頼りに幾度目かの角を曲がると、ついているのだかいないのだかのぼんやりした街灯が玄関を照らしているのが見えた。
この店を教えてくれたのは父だった。退職後に一人で縁もゆかりもない場所に土地を買い、悠々自適に住んでいた父は、ありあまる暇を路地歩きに費やしていたらしい。身の回りが不便だろうと数年後に移ってきた私を父は一番最初にここへ連れてきた。案内したい場所があるんだ、と言われた時は病院かスーパーかと思っていたから、この猫の通り道みたいな路地を見たときは拍子抜けするやら呆れるやらで、隣で得意げな顔をする父に内心腹を立てたことを思い出す。
錆びたような蝶番の音を聞きながら店に入る。店、といっても何かを商いしているわけではなく、しいていえばサロンか喫茶店のような作りだ。手近な椅子に荷物を置き、備え付けのコーヒーサーバーを操作してマグに注ぐ。お代はその上の籠に入れておけばいいと教えてくれたのも父だった。かつて工場主が開いたこの店は、当時はバアのように使っていたものらしいけれど、現在は有志の篤志家たちが運営する交流スペースになっている。身元さえ確かならば出入りは自由だ。年に数人入れかわりがあるというが、会員数はほぼ一定だという。私は父と入れ替わりにここの会員になった。そして、会員になって最初に持ち込んだのは、父が大事にしていたマグだった。以来、ここでしかコーヒーを飲んでいない。ここにはそういう品がたくさん保管されていて、会員たちは故人を忍ぶために、時々ここを訪れる。
「来てたの」
「うん。しばらくだったね」
いつの間にか隣に立っていた女が拗ねたような目をした。おかっぱの、目のくりくりとした女だ。年齢はよく分からない。三年前に来た時から、この女はほとんど変わっていないように見える。ここの管理人のような顔をしているが、そうではないことを私は知っている。
彼女もまた、会員の誰かの預け物なのだ、おそらくは。
「あなたのお父さんはいいわよね。来てもらえて」
淋しいの、と聞けば淋しいという。連れてかえってあげようか、と言えば首を振る。彼女に会えるのはもう少しだ。私は今日、余命を宣告されてきた。私をここに預けてくれる人は、まだ見つかっていない。
================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
恥の多い人生を送ってきたと書いたのは、太宰だったっけ。
ふと、電車の中でそのフレーズを思いだし、私は目の前に映る自分の顔をなんとなく眺めた。なんだかひどく疲れた顔をしていた。仕事帰りだから当たり前だ――まして、上手くいったわけではない仕事の帰りは。
私の仕事は頭を下げることだった。部下のミスを謝り、上司の尻拭いをする。なぜか私が謝ると先方が鉾を収めてくれることが多いので、いつの間にかそうなった。謝っていないときは普通の事務仕事もしているし、本来そちらの仕事がメインのはずなのに、気が付けば週に二回は見知らぬ会社で頭を下げて回っている。板金がこれほどまでにクレームの多い業界だとはちっとも知らなかったが、「納期」は絶対であるクライアントが多い以上、誰かは引き受けなければならない役回りだ。その点君はうってつけだ、と常務は言う。総務部長という肩書もおそらくそのために与えられた餌なのだろう。
昔から、なぜか泣いてもいないのに泣いてると言われてきた。俯いていれば泣いていると誤解され、女々しいとからかわれたことも一度や二度ではなく、友達には「なんか幸薄そうな顔」とたびたび言われた。自分では普通の顔のつもりだし、笑うこともあるのだけれど、電車のガラス窓に映る顔は確かにそう言われても仕方ないような気がした。
太宰より私の方がよほど恥をさらして生きている。
そう思った瞬間、ぐらぐらと電車が揺れ、隣のつり革につかまっていた女性が私のほうに寄りかかってきた。すいません、と謝る声に覚えがある。先方も気付いたらしく、一瞬怪訝そうに視線を合わせ、ああ、と納得した顔をした。先週、部品が間に合わずに謝りに行った、建設会社の社員だった。
「その節は、どうも」「いえ、こちらこそ」。
もごもごと声を交わす間に、二つ先の駅で線路に石が乗っているため除去作業をする旨のアナウンスが流れた。急には動かないだろうと踏んだのか、女性は世間話をするように「あなたがなぜ来たのですか」と聞いた。
「……え? どういう意味でしょうか」
「あなたは担当者ではないでしょう。 弊社が謝って頂きたいのはあなたではないのですが」
責任者を任されているのだから気が強いのだろうとは思っていたが、まさか車内で詰問されるとは思っていなかった。咄嗟にまた謝ると、ふん、と鼻息荒く返される。怒っているのだな、と思った。あのときも彼女は口をへにしたまま、視線すら合わせそうとしなかった。立ち会った上役のとりなしと次回減額での納品で収めてくれたと思っていたのだが、どうやら納得はしていないらしい。
「あなた、謝ってばかりいるのでしょう。よくない癖ですよ」
「すいません」
「第一、あなたが謝る筋の話でもないでしょうが」
「仰るとおりです。すいません」
ほらまた、とガラス窓越しに彼女は笑った。笑うと思いのほか優しい印象になった。
「ごめんなさい。いじめるつもりはなかったんです」
運転再開のアナウンスが流れた車窓に映る私の顔は、さっきよりほんの少し、柔らかい表情になっていた。
どこか吹っ切れたような顔で、私と彼女を載せた電車がゆっくりと動き出した。
================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
――お客様のお掛けになった番号は、現在使われていないか、電源がはいっておりません。番号をお確かめの上……
無機質で妙に丁寧なアナウンスを聞いていたら、なんだか全てにおいてやる気が出なくなってしまった。ここのところ毎日のように掛け続けた番号だったのに、昨日からメールも不通、電話は一向に繋がらず、やっと繋がったと思ったらこんな状態。携帯を放り投げてベッドに横になったが、目を瞑ることはできなかった。目をつぶったが最後、余計なことまで考えてしまいそうで、天井に張り巡らされたパネルの筋目ばかり眺めていた。
過ぎた彼女だとは思っていた。本職のデザインだけでは食べていけず、実態は貧乏フリーターである僕を彼女は殆ど養うようにして食べさせてくれた。正社員だから大丈夫、と言ってくれた言葉に甘えていたつもりはないけれど、こうなってみると僕は彼女のことを何も知らなかったのだと思い知らされる。自分の話も殆どせず、社員寮だからと僕のうちにばかり来てくれて、料理を作ってくれていた彼女。僕の垂れ流すような話に頷きながら、遠慮がちに休みの予定を聞いてくれた彼女は、どこかで僕に見切りをつけたのかもしれない。別れの言葉一つなく、……それは律義な彼女に会っては殆どあり得ないような話だけれど、それだけのことを僕は知らずにしていたのかもしれないし、もしかしたら何か決定的な一言を無神経に口にしてしまっていたのかもしれない。
思い当たる節なんていくらでもあって、それが僕の気を滅入らせる。生返事。無関心。関心が無いわけじゃなくって、余裕がなかっただけで、でもそんなことはこっちの事情で。
携帯は鳴らない。SNSも苦手だと云う彼女の連絡先は、携帯とメールだけしかしらなかった。勤め先に問い合わせれば所在は特定できるだろうけれど、すっぱりと連絡を断ち切った彼女にそれをすれば迷惑だろうし、ストーカーと呼ばれても仕方ない行為だ。僕は彼女に迷惑をかけたくはない。でも、このまま……? 僕は捨てられたのか。別れなければならないのか。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。だって僕には彼女しかいないのに。
布団を頭からかぶり、こみ上げてくるものを必死で堪えた――瞬間、鍵が開いた音がした。
「やだもーなんで寝てるのこんな時間から。今日仕事早かったの?」
あっけらかんと彼女は入ってきて、なにやら買ってきたらしいスーパーの袋を開けて冷蔵庫にしまいだした。なんというか、完全にいつも通りだった。あれ? え? 当惑している僕を置き去りにして彼女はごく平然とエプロンを付け、今ご飯にするねと台所に立った。えええ?
「あの、携帯、は…?」
「ああそうだ。忘れてた。この部屋のどっかになかった?」
昨日慌てて帰ったから忘れちゃって、やだ電源切れてたごめん!電話いっぱい来てたけど、え? なんかあった? 折りたたまれた服の間からひょいと携帯を拾い上げると、彼女は首を傾げて僕を見た。なんだか妙に脱力して、後ろから抱きしめて、なにようどうしたのよとまだ混乱している風の彼女に僕は言った、結婚してください、一緒に住んでください、って。
えええ? と彼女は驚いた顔をしたけれど、そんなのもう見ている余裕は僕にはなかった。今はとりあえず別れずに済んだことだけを、いつも通りの日常を精一杯抱きしめることしか。
================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。