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何もかも嫌になる瞬間が、ごく稀にくる。
今日もそうだった。特別何か嫌なことがあったわけではないのに、電車に乗った瞬間、急にすべてを放り出してしまいたくなった。くたびれた鞄も、その中に詰め込んだ離職票も履歴書も踵の痛いヒールの靴も疲れた顔の自分も全部どうでもよくなって、衝動で見知らぬ駅で飛び降りた。たくさんの乗客が改札に吸い込まれるのを見送ると、急に温んだ空気が頬を張るように飛び退っていき、遅れて草っぽい青い匂いがした。
ああ、夏なんだと思った。
真昼間のホームは私以外誰もいない。
屋根が半端に切れているせいで焼けるように熱いベンチに腰を下ろし、蝉の声を聴きながら残っていたお茶を飲んだ。飲んでぼうっとしていた。目の前には見るからに熱そうなレールと、フェンスと、まばらに建った民家らしき家ばかりで駅前だというのに商売っ気が全くなかった。それは田舎を思い出させた。私が捨ててきた故郷の景色は、なぜか駅のホームから始まる。延々と続く田圃でもなく、誰もいない道でもなく、1日に1本しかない東京へ続くバスへ乗るために最寄り駅を目指す夏のホームの風景。もう二度と見ないと決めたのは夜だったのに、なんだかこんな景色だったような気がした。つまらない街。急行が止まるというそれだけの取り柄しかない、中途半端な田舎の景色を見ていたら、急に目の奥が痛くなった。
私は、なんでここにいるんだろう。
スポーツしか取り柄がなかった。走ることが好きで、走ってさえいられればなんでもよかった。高校も大学もそれだけを免罪符のようにして過ごし、就職してすぐに膝を壊し、2年ばかりでやめてしまった。地元にはいられなかった。ああ、あの……と言われるのがつらくて、もう走らないんですかと聞かれると作り笑いを浮かべながら何も知らないくせにと呪った。だから誰も私を知らないところへ行きたかった。東京。そこなら、またやり直せるんじゃないかと思ったりしていた。
そこでは確かに選手としての私を知る人はいなかった。そうしてそれが淋しかった。バカみたいだ。なんの肩書もない私の価値はレジ打ちの速さでしか評価されない。金額の入力のミスがないことだけが取り柄のように言われ、そのたびに何も知らないくせにと思って、笑った。笑うしかなかった。捨てたのは私だったんだから。何も知らない人ばかりのところに行きたがったのは、確かに私だったのだから。
蝉の声がうるさい。
帰っちゃおうっかな、と思った。仕事は首になったし、時間はある。失業手当も出るだろうから当座の生活は心配ない。でも――答えは出ない。とりあえず、次の電車が来るまでは、ここでぼうっとしていようと思って、前を見た。ぼうぼうに生えた草ばかりの道が見えた。あの中を走ったら、記録もなんにも関係なしにただ走ってみたら、少し楽になるだろうかと思った。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。