地元に帰ってきて、半年が過ぎた。
いわゆる就職はしていない。学生時代に友達のやっているバーの手伝いをするようになって、手伝いのつもりがいつの間にか本業になっていた。オーナーであるはずの友人と二人、10人も入ればいっぱいになる店を18時から25時まで切り回す。たいして流行ってもいない店だが、地元であることが幸いし、友達や先輩後輩が頻繁に顔を出してくれるから滅多に赤字になることもない。
「さ、み、い」
独り言。最近めっきり寒くなって、慌ててひっぱりだしてきたブルゾンからはかすかに樟脳のにおいがした。
地元は品川から電車で40分くらい行ったところにある。
大学を卒業したあと都内で就職することも考えたが、面接に立て続けに落ちたことで完全にその気が削がれ、誘われるままに実家に戻ってきてしまった。両親は就職しろ、正社員になれとうるさかったが、連日ポストに入ってくる不採用通知の束を見ていて気が変わったらしい。地元に居る分には非行に走りようもないし、友人たちとは職場で会えるし、休みの日も誰かしらと一緒にいる。店からの給料は水商売の割には安かったが、それでもこの辺の工場で働いているやつらとトントンかちょい上くらいだったから文句を言うほどのことでもなかった。
自分でいうのもなんだが、わりと充実した生活をしていると思う。年収で言えば大学のころの友人たちの半分くらいだが、やつらとはほとんど会わないし、比べなければどうということもない。つるんで飲める友人もいるし、週に三日はきっちり休める。学生のころは特に何も考えず往復出来ていた東京へは足が遠のいたが、買い物は近所の古着屋やモールで事足りるし、大体しゃれた服を買ったところで着ていく場所もあまりない。それより今は店で常連たちと野球中継を見たり、同中のやつらの噂をだらだらと話しているほうが楽しいと思うのだから、人は変われば変わるもんだと思う。
大学受験をしたときは、この街に再び住むことなど考えたこともなかったのに。
鍵を開け、真っ暗な部屋に電気をつけ、冷蔵庫を開けてビールの補充や追加の注文を出し、カウンターの中を掃除する。そうこうしているうちに開店時間になり、ばらばらと客が来て、酒を注いだりつまみを出したりしている間に夜が更ける。
ドアを開けて常連の一人が倒れるように入ってきたのは23時過ぎで、すでに相当酔っぱらっているらしい。キャバ嬢の癖にこんなに弱くて大丈夫なのかと思いながらシャンデイガフを出してやると、一気にあおって、「あたしたち結構しあわせだよねえ?」などとよくわからないことを言う。
「おかねないしさ、東京にすんでないけど、でもけっこーしあわせだよね?」
あんまりしつこく聞くから、黙って頷く。だよねーだよねえと自分に言い聞かせるように彼女は言い、気が済んだのかそのままカウンターに突っ伏した。
これが俺の現実で、地元の現実で、そして今の生活のすべてだ。
幸せかどうかは分からない。こいつも俺も、ここにいるみんながそうかどうかを俺は知らない。でも、少なくとも不幸せではない。
彼女にブルゾンをかけてやったら、樟脳臭かったのかへちっと小さなくしゃみを漏らしていた。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。