1980年代中盤から終盤にかけてビデオソフトの大ブームが起きていた頃に作られた作品。当時はビデオレンタル店のフランチャイズ化が進む前で、全国に様々な名前のレンタル店がありました。“友&愛”といった貸しレコード店のチェーン店がたくさんありました。そんな時代にレンタルビデオ店で一番人気があった俳優の1人がチャック・ノリス。「地獄のヒーロー」、「野獣走査線」、「デルタフォース」…。ローマのコロッセオでブルース・リーと戦ったのも彼です。
そんな彼の主演作「地獄のヒーロー2」は前作「地獄のヒーロー」の前日譚。ノリス演じる主人公ブラドック大佐が最初にどこに囚われて、どれほど怒りを溜めて爆発したかを描く作品です。この作品のビデオソフトの字幕ですが、序盤から誤訳が暴れていました。
ビデオソフトの旧字幕:
(1)
戦没者追悼記念日に
(2)
1人の戦死者の葬儀が
行われた
(3)
ベトナム戦線で
散った兵士が
(4)
無名戦士の墓に
葬られたのだ
正しい訳は:
(1)
今年の戦没者追悼記念日では――
(2+3)
ベトナム戦線で散った兵士達の
特別な葬儀が行なわれています
(4)
彼らは無名戦士の墓に葬られます
これは実際にアーリントン墓地で行われたセレモニーで、レーガン大統領のスピーチも本作に入っています。旧字幕にある「1人の戦死者」が誰なのか、最後まで語られることは当然ありません。映像では棺が1つ運ばれていますが、それは「ベトナム戦争で命を落とした兵士達」を象徴する形でしかないのです。残念なことにウィキペディアにある本作のストーリーまで、上記の誤訳を元に書かれています。
こうした誤訳は他の多くの作品にも多々あるので、ここでは脇に置き今回は訳されていないベトナム語について。
この作品の原題は“MISSINNG IN ACTION2 THE BEGINNING”(=戦闘中行方不明者2 その始まり)です。ブラドック大佐が部下達と捕虜収容所に囚われている状態で話が進みます。捕虜収容所長であるイン大佐と彼の部下達はベトナム語で話しています。これらを全て字幕にすると95分ほどの作品中、50ヵ所近くあります。でもビデオソフトの字幕版には一切日本語字幕が入っていません。
分からないことがあると気になってしまう性格…。「こんなにたくさん話しているのだから、訳さなくていいのか?」と私は思いました。ところでこの作品は北米大陸の南、西インド諸島で撮影されています。イン大佐の部下を演じたベトナム人はノースカロライナ州に住むアジア系の俳優らしいです。70年代後半、日本でもニュースになることが多かった「ボートピープル」と呼ばれた人達でしょう。
こうしたことから「彼らのベトナム語は本場のもので、怪しい東洋語ではないだろう」と私は予想しました。最近、インバウンド何とかという言葉が日本で浸透していますが、日本で暮らすベトナム人も増えています。私が大昔、留学していたカナダにも彼らはコミュニティを作って暮らしていました。とにかく私は、こうした人脈からベトナム語が分かる人達に、この作品の中のベトナム語の部分を聞いてもらい意味を確認していきました。
その結果、ほとんど全て物語の展開通りのセリフを言っていることが分かりました。「追え!」、「やっつけろ!」、「逃がすな!」といった短い表現だけでなく、「さっきのは誰だった?」とか「交替するぞ」、「少し休んで食事だ」といった会話まで全てです。
そこで私の結論も旧字幕版と同じで、字幕は全て入れないというものになりました。ブラドック大佐を始めとする捕虜達は彼らの言葉が分かりません。その立場から描かれる作品なので、「分からない言葉」のままでいいと。
そして、ここにこう書いておけば、「地獄のヒーロー2」を見て、彼らの会話は本当に物語に沿ったセリフを言っているのか気になった人も調べられるかなと(笑)。
本作とは関係ありませんがアフレコが多かった70年代のイタリア映画の撮影現場では、適当に口を動かして撮って、後で吹き替える事が多かったと最近知ったもので、とても気になったのでした。
つづきです。
◆
あっというまに引っ越しの当日がやってきました。
前回の引越しからまだ2年がたっていません(更新料を払っていない)。
ここに転居してくる前の、古い戸建の賃貸を出た頃が思い出されます。
あの頃は、息子も生まれておらず、室内犬やインコも、あまり清潔感を気にせず、今にして思えばやや汚れに無神経な生活をしていました。
一番かわいがっていたインコ『おみちょり』は、不慮の事故で、庭に葬ってきました。トイプードル『テオ』は、なかなか躾も行き届かず、犬初心者としては苦労しましたが、幸い市内に里親さんが見つかり、一安心でした。
あのときも、あれよあれよという間に荷物を積み込んで、さすがプロの仕事だなあ、と感心したものです。
かなり安普請な家で、あちこちカビが生えたり水漏れしたりして、安心して出産子育てをするには、ということで引っ越したのはご案内の通りです。
引越の前後は、あまり食器や調理器具を使いたくないものですから、必然的に外食中心になります。
結構集中的にファミレスやラーメン屋などに行きましたね。
1歳半の息子も頑張って付き合ってくれました。
また、引っ越し前後は子育て支援センターやファミリーサポートセンター、義実家などにかなりお世話になりました。
当日もじいじとばあばが預かってくださいました。
当初は支援センターに預けに行くときは別れ際に大泣きしたものですが、今では喜んで室内に入っていくまでに成長?!しました。この間も預けた後の別れ際に目があってしまったのですが、なんとニコッと軽く微笑んで、また目の前のお目当てのトミカのおもちゃに集中し始める始末です。
日々軽くなるパパの存在感。。
今回は引っ越しに合わせて、冷蔵庫(ノジマ電機)と、ソファー、ベッド(三越家具)の搬入がありました。Wi-Fi(光コラボ)の工事もあったことから、実態としては工事日に合わせて引っ越しの予約を取る形にしました。
冷蔵庫はずっと大きいのが欲しくて、この機に買い替えることにしました。
搬入の手順としては、まず新居に新しいのを入れてから転居前のマンションで古いのを回収する形になりました。
その間、業者さんのトラックを車で先導しなければいけないので、手を取られます。帰ってきたらWi-Fiの工事が終わっていましたが妻が立ち会ってくれていました。
ソファとベッドの搬入は確認する暇がありませんでした。気がついたらありました。
(ずいぶん立派なカウチソファとリビングだな・・・)
何だか他人事のように思われました。
そして残念ですが、新居に置き場所がなかったので、20年来の付き合いだったKORGの電子ピアノを破棄することにしました。
最初は娘が持ち込んだ電子ピアノと連弾できるかと思っていたのですが、そこまでリビングが広くありませんでした。
電子ピアノの処分は龍ケ崎市の『くりーんプラザ・龍』というところに持ち込みました。
計測方法ですが、入り口と出口に自動車ごと重さを量る台があり、その上に車ごと乗って重量の差を計測します。ごみの重量は
([行]車+人+粗大ごみ)-([帰]車+人)=粗大ごみ
という式であらわされます。。
持ち込むと、かなり安く処分してもらえます。粗大ごみで出す半分以下です。
寝室のカーテンはじいじ(義父)につけていただきました。
DIYには一日も二日も長けており、今でも心強く思っています。
また、段ボールに囲まれての生活が始まりました。
少しづつ始末しないと。。
◆
鍵交換の話
夫婦で話し合ったのですが、いくら売主さんとはいえ、他人が鍵を分かっている可能性があるというのは、あまり気持ちのいいものではありません。
玄関と勝手口と、2か所あります。
「鍵を交換できないかな?」
さっそくビバホームの入り口の鍵屋さんに相談に行きました。
店員さんの一人が当院の患者様なのですが、たまたまその方がいらしたので、質問してみました。
やはり工賃込みで1つ数万程度かかるとのこと。頭をかかえてしまいました。
やはり、DIYにトライするしかないのか。。
しかし、鍵を万一壊してしまって閉まらなくなってしまったら、どうしよう!
とりあえず「鍵交換」「DIY」などと入れて検索してみました。
すると、出るわ出るわwもう動画の山状態です。
見てみても、何か非常に簡単そうで、楽勝ムードがプンプン漂っています。
よし!
今扉についている鍵穴を見たら、トステムと書いてありました。鍵にはMIWAと書いてあります。丸い穴がたくさん開いているのでディンプル錠でしょう。
「トステム」「鍵交換」「DIY」で行ってみよう!
いろいろ選り取り見取りでしたが、『鍵の鉄人本店』というところのHPと動画が一番丁寧で分かりやすかったので、それをプリントアウトして学習しました。
簡単そうに見えましたが、何度も何度もシミュレーションしました。
扉の型番も間違いありません。
満を持して価格.comなどでサイトを探すと、不思議なことに、まったく同じものが上は4万円くらいから、下は1万を切る価格からあるのです。
もちろん一番安い所で、ぽちっと!
取り付けは・・・5分でした。
使用したのは、コンビニで売っているドライバーセットのみ!
ただ、グレイスゴールド(山吹色)を注文するところを間違えてゴールド(真鍮色)を頼んでしまったミスが一つありましたので、そのまま取付とはいかず、中身の交換になりましたが、そこも動画で予習済みなのでまったくNP(無問題)です。
いやーホームセンターに丸投げしなくてよかった。
案ずるより産むが易しの典型でした。
◆
表札の話
表札は、楕円形の形をしており、前のオーナーさんである売主さんの名前がついていました。
どうしようかと思って悩んでいましたが、ためしにスパチュラ(金属ヘラ)で引きはがしたら、あっさり剥がれました。
なんと接着材でつけただけでした。
あとは表札のメーカーを調べてネットで注文するだけです。
しかしなかなかぴったりのものが見当たりません。
「表札」「楕円」などと画像検索して、同じものが出てきたので、調べてみました。
そこのネットショップは、付けた表札の写真を撮ってメールで送ると2000円くらい引いてくれるとのことでした。
到着までに2週間くらいかかりました。でも着いてみて確認したら、これ2週間かかるか?って感じもしないでもありませんでした(笑)。
さっそく接着材でつけて一件落着。。
◆
G(曱甴)の話
このマウスみたいな漢字は広東語です。
この単語を日本語でここに書きたくなかったので。
転居して間もないある夜、妻が鬼の形相で飛んできました。
なんだと思って話を聞いたら、なんとG(曱甴)が出たとのことです。
どこから侵入したんだろう???
それにしても、早すぎる!
まだ引っ越して間もないし、調理もしてないし・・・
と思ったら、こんどは階段とか娘の子供部屋とかからも出てきました。
これはイカン!何とかしないと。
「戸建 G(曱甴)」で検索したら、室外機の横とか縁側など、家屋の周囲に接してブラックキャップとかコンバットなどの毒餌系を置きまくるのが良いようです。あと、エアコンの排水ドレンホースに網をかぶせるのが有効なんだそうです。
さっそく100均で三角コーナーネット50個入りを買ってきました。
置きまくった次の日から、本当にピタッとでなくなりました。
・・・と思って安心していたら、先日久しぶりに階段で見てしまいました。
さっそくブラックキャップを新しいのに交換です。
◆
アルミサッシと網戸の話
ある日、リビングのカーテンをめくってみたら、長さ2~3ミリのコバエが窓とカーテンの間でたくさん死んでいました。
何だか力尽きたようでしたが、とても気持ちが悪く、原因をいろいろ探ってみることにしました。
そうしたら意外なところに問題がありました。
アルミサッシの網戸の開け方でした。
ご案内の方も大勢おられるかと思いますが、アルミサッシは網戸を右側にして、右側の引き戸を開けるようにするんだそうです。
私はそんなことは全く知らず、いつも網戸を左側にして左側の引き戸を開けていました。
これでは封鎖が保たれず、コバエなどが出入り自由になってしまうんだそうです。
ひとつお利口になったある日、別の部屋のサッシの引き戸を開けてみたら、ガラスの外で力尽きたコバエの死骸をトカゲが一生懸命食べていました。うーむ、自然の摂理だ。。
◆
アンテナの話
給湯器もそうでしたが、これがとてもびっくりしました。
まるで狐につままれたようです。
前の前の住宅は、込み入った住宅街の中ながら非常に映りが良く、千葉テレビとかTVK、J-COMテレビなど、結構よけいなものまでみられました。
前のマンションは、高い階だったのですが、そこまでは見られず、でもブースターを咬ませたらひととおりは大丈夫でした。
それが、今のところは非常に電波状況が悪い、というか、おそらくどこかで断線しているんだと思いますが、ブースターを咬ましても全然見られません。
仕方がないので、プラス室内用アンテナを買ってきて、ぶら下げたり縦にしたり横にしたりしながら、何とか見ています。
ちなみに茨城なのですが、NHK総合の茨城が映らず、東京のしか映らないのでそっちを見ています。
ちなみに私の家族はほとんどテレビは見ない人間ばかりなので、Wi-Fiさえ繋がっていれば生きていけるのですが、息子はまだ1歳なので、いないいないばぁとかおかあさんといっしょとかピタゴラスイッチとかきかんしゃトーマスとかがまだ必要です。あと乃木坂とかE-Girlsなんかも好きみたいです。
室内用アンテナをつないで何とかEテレが映ったときは、本当にホッとしました。
◆
退去立会いの話
転居から1週間ほどで、以前のマンションの退去立会いがありました。
前の前の所を退去するときは、トイレに生えたカビを私のせいにされたりして、かなり修繕費用を取られました。
今回退去するマンションは、ご案内の通り退去後にオーナーさんが居住するので外部に貸し出さないことや、オーナーさんの都合による退去だったことから、補修は全部大目に見ていただきました。
変な瑕疵が増えたりはしていないんですが、それでも、前回もそうだったんですが、ついほんの数日前まで生活の息吹に満ちていた空間が、チリ、ホコリに塗れた殺風景な伽藍堂(がらんどう)に成り果ててしまったのを見ると、まさに「空間の死」という言葉がぴったりで、少なくとも良い気分はしません。
そして、前もそうでしたが、よく見渡すと必ず忘れ物があります。
今回はお風呂関係(手桶、腰掛)と、キッチンの花瓶がそうでした。
また、賃貸の場合は、撤去時に必ず照明は原状回復しておかないといけません。
私の場合は、入居後に直ちに全部の照明をLED化してしまったので、引っ越し当日の朝にすべて入居時に保存しておいた古い白熱電球に付け直しました。
不動産屋さんが、汚れきった空き部屋をくまなく、それこそ「犯罪捜査」のように見て回る横にいると、何か因縁でもつけられそうでドキドキします。数年前に、別会社ですが「これは記録しますね」「これも記録しますね」みたいにねちねちやられたことを思い出し、いい気分はしませんでした。
前にも書きましたが、賃貸に出てるということは住宅ローンも終わって減価償却も終わってるってことなんだから、細かいことをあまり言わないでほしかったんですけどね。
先日、その家の前を通り過ぎることがありました。
おそらくオーナーさんの娘さんと思しき方でしょうか。
オーナーさんと同名の表札がありました。
向かって左側の花壇には、おみちょりが眠ってるんだよね。。
あの後は、きれいな花を咲かせてくれて、ありがとう!
まあ、何とかあまりお叱りを受けずに、和やかなうちに退去立会いは終了しました。
明日は水道が止まることになっています。ガスはもう止まっています。
部屋は、不動産屋さんと一緒に出ました。
出るときに、扉の郵便物入れに、透明なガムテープのようなものを張りました。
見るとb>「投函禁止」とびっしり書かれています。
何だか、部屋の息の根を止められたようで、ちょっと感慨にふけってしまいました。
ちょっと前までは、下の階や隣の棟に娘の同級生がいたり、掃除のおばさんと仲良くなったり、いろいろあったのに。。
・・・
最後の最後、忘れ物を持ってマンションの1階の階段を出るときに、ふとした偶然で、ガラスの花瓶を割ってしまいました。
(この子は、引っ越したくなかったのかな?)
↑
いや違う、単に根本の運び方が雑だっただけだ
歴史オンチが歴史を語り過ぎても
間違いがあってはいけないのでこの辺で食。
前菜にフムスは2種類以上、サラダも2種類以上。
一般的なひよこ豆のフムスを食べてビックリ。
今まで自分が作っていたフムスは完全に間違っていた!
と思うくらい滑らかでクリーミー。
必ず出てきた茄子のフムスも、魚系のフムスも、
どれも滑らかで美味しいです。
サラダは代表的なパセリ、ミントとトマトを細かく刻んだタブレ。
そしてもう一つの絶対出て来るファトゥーシュ。
パリッと揚げた薄いレバノンのパンと野草がいっぱいで
甘酸っぱく味付けされているサラダは私の大のお気に入りです。
その他にも、ひき肉と米をぶどうの葉っぱで巻いたものなど、
本当にたくさん。
続いて温かい前菜。
チーズを巻いて春巻きのように揚げたもの、揚げ餃子のようなの、
この日は魚のメニューだったので小魚のフライ。
ひき肉のコロッケ。
ジャガイモのフライも必ず、そして魚を丸ごと揚げたのが
この日のメインでした。
肉の日は、
肉と米を煮込んだものにグレービーソースのようなのをかけて食べたり、
平べったいレバノンパンにグリルしたスパイシーな肉を包んであったり。
とにかく食べる、食べる、タベルーーーーーー
もうはちきれそう、、、とメインが終われば、
隣のテーブルにフルーツとデザートが用意され、
さらに食べます。
レストラン行くなら一日一食で十分まかなえます。
レバノンで食べた印象は、
全体的にレモン&ハーブを多く使い酸味が強いのとフレッシュ野菜が多い、
あと、カリカリクリスピー感がお好きなんだと思いました。
うちの子供たちが喜んでオーダーしていたのが
こちらのミントレモネード。
生のミントを氷と一緒にミキサーで回しレモネードで割ったもの。
爽やかで美味しい〜
さてやはりこの辺でちょっと歴史に戻りましょう。
先日は北東のシリア国境近くまで行きましたが、
今度は海岸沿いを南へ下がります。
海が綺麗。
国境に近づくとパレスチナ人住居地が。
もう一角が囲われた、独立した町のようになっていました。
あの山の向こうはイスラエルです。
一方的にイスラエルひどい、、、なんて思っていましたが、
ガイドと話をしていると、
「昔俺は子供を連れて空港なんか行けなかったよ。
パレスチナ勢力が強かった時は、クリスチャンだと迫害されたし、
子供の誘拐まであったからね。」
と、近代史も色々あるようです。
さあ古代に戻ります。
ティルス(Tyre) まで一気に下がるとまたいっぱいあります。
エシュマンの寺院、フェニキア人のヒーリングの神様が祀られたところ。
蛇の彫り物があり、今でも薬屋が蛇を使うのはここから。
毒が薬になるの原点です。
ティルス(スール)は紀元前約2500年前ほどに栄えたフェニキア人の都市。
紀元前1000年には首都となった地。
フェニキア人のネクロポリスがあるのですが、
その後に来たローマ人などのモザイクもたくさん。
「もう何千年前とか何百年前とか、頭が混乱する」
と漏らすとすかさず
「この門をくぐると300年の差があるよー、ついて来て!」
とガイドのエリオスさん。
2万人を収容できる競技場。
ここで青と緑のチームに分かれ、小さな馬車でのレースが行われていました。
各色のボールを10個持ち、一周ごとに真ん中の井戸ほどの穴に入れ、
入らなかったらカウントされないと、
2万人が賭け事をして楽しんだそうです。
海沿いへ行くとまた神殿。
神殿の床の上に古代ローマのモザイクがあり、
また違う勢力によりモザイクの上に大理石が敷かれ。
2018年、私がその上を堂々と歩く。
周りに水の道があるので浴場があったのでしょうが、
この大きなスペースはプールのようにも見えますが、
何なのかまだわかっていないそうです。
少し北へ上がりシドン(サイダ)へ。
十字軍の海の要塞。
フェニキア、バビロニア、ビザンツ、古代エジプト、カルタゴ、アッシリア、古代ローマ、アレクサンドロス大王、、、、、、
などを経ると
「え?十字軍?最近よね??」
と勘違いしてしまいます。
歴史の勉強をもっとすればよかった。。。
さて、このシドン(サイダ)。
ここも古代からの都市なんですが、今でも活気のある都市です。
町の入り口は建具屋さん、
地震対策で建物同士を全て繋げて、迷路に迷い込んだ感じ。
スパイス、ナッツ、オリーブ、ぶどうの葉の漬物、石鹸など。
この後石鹸ミュージーアムも行ったのですが、
シリア同様、この辺も石鹸を作っていたそうです。
パン屋さん。
神戸の元町は一本ですが、
ここはそれが迷路状。ガイドと一緒に行ってください。
そして
「ラッキーだよ!一般公開してないのに開いてる!」
と入らせて頂いたのが聖ニコラス教会。
向かいに小部屋があり正面に絵が。
「サン・ピエトロだよ。今から西へ行くと決めたのがここ!!!」
と言われ、ピンとこなかったのですが、
え?
サン・ピエトロ?ヴァチカン???
歴史を歩いてるとジワジワ感じます。
迷路の中にこんなに綺麗に再建出来るものか!と思うくらい、
地元の富豪が立て直したソープミュージーアム。
そして別の富豪の別宅も見せて頂きましたが、
外からは全くわからない世界でした。
この他にも、北の海沿いの最古の都市ビブロス。
アルファベットの元になったフェニキア文字の発祥地、
バイブルの語源となった地。
「最古の都市っておかしくない?ここ??」
と質問したメキシコ人に対してガイドの返事は、
「現在にも形として残っている、そして現在まで都市として栄えた最古です。
歴史はまだまだ未知の世界」
との答えでした。
また、ハリッサの山の上から海岸までのケーブルカー&リフトは
高所恐怖症の人は先に申し出てくださいと言われたくらいのスリルで
景色バッチリでした。
そしてまだまだ飛ばしてはいけないのが、
ジェイタ洞窟!
撮影禁止なので写真はないですが、
ジェイタ洞窟、レバノン、で検索してみてください。
素晴らしいです。
と7日間の旅、書ききれない興奮が冷めやまず、
最後のレバノン出発。
「車を2時に用意しておきました。」
とホテルから。
3時間以上前、空港からも近いし、早くない???
と思いながら着いた空港。
私が甘かった、おそるべしベイルート。
搭乗ギリギリ間に合ったくらい、きっちり3時間かかりました。
小さな子供を3人、4人連れた家族が多くいたのですが、
みんな優しいのです。
西欧社会で「お先にどうぞ」は通じないんだとイタリアに住み続け思っていたけど
ここはやはり東なのか、
子供を抱っこしながらでも「どうぞ、どうぞ」なんて言われます。
どれだけ並び続けても、子供が泣き叫んでも、
イライラしてどうしようもない人はいないんですね。
また長くなりましたが、
レバノンへ行かれるならベイルート発のツアーがたくさんあるので
ベイルートを拠点に動けます。
参考までに、
私たちがお世話になったガイド付きツアーは、Kuruban Travel
英語のほか、フランス語、ドイツ語でも詳しくガイドしてくれます。
そしてもう一つ最大にお世話になったのがフェニキアホテルベイルート
全てが最高としか言いようがありません。
ここの人たちを見ていると、自分の態度を見直さないと
と思わされるほどでした。
後もう一つ、遺跡地区を色々と回りましたが、
各地から出てきた埋蔵文化遺産のほとんどが、
ベイルートにある国際博物館に収めてあるので必ず行くことをお勧めします。
最古のアルファベットを掘った石棺もここにあります。
載せきれない写真がまだまだ山のようにあるのが残念、
そして行けなかったところがまだまだあるので、
是非また行きたいと思います。
もっと歴史の勉強をしてから。。。
前回、とうちゃんレバノンへ行くと書いたのですが、
帰ってきたとき
「すっごいよかったーー!!想像と全然ちゃう!」
と土産物と土産話がとても羨ましかったのですが、
ふふふ、チャンスが来ました。
再度とうちゃんにレバノン行きの仕事が入り、
それなればと私たちの分も!とチケットを取り行って来ました!
「バカンスはどこへ行ったのー?」
がこの辺の合言葉のように夏の間交わされるのですが、
「今からレバノン行く」とイタリア人に答えると、
大体が、
80年代に内戦応援に行ったとか、
シリア、パレスチナで戦争やってるとか、
レバノン人を見たら泥棒だと思えだとか、
アラブは顔と裏腹で何考えてるかわからないだとか、、、
散々な答えが返って来たのですが、
皆さんはどのような印象をお持ちでしょうか?
私もアラブの地は初めてだったので
肌を出して歩いてもいいものか?
宗教などの話をしてはタブーなんだろうか?
テロがまだあると聞くけど、子供を連れて大丈夫だろうか?
などは頭をよぎったんですが、
それより、
歴史オンチなかあちゃん、
子供達が一生懸命勉強していて横で覚えた
「フェニキア人、船の達人達、紀元前15世紀の都市を作り上げた」
そこへ実際に行くかと思ったらワクワクが止まらないままいざ、
ベイルート着陸態勢、
思っていた以上に都会〜〜〜
和やかにビーチでくつろいてる人達、
大丈夫。
ホテルから丁寧に車を用意しておいてくれて街中のホテルへ移動。
ベイルートは全く普通の都会でした。
それ以上に人の、応対の仕方がとても丁寧で親切で
イタリア(の田舎)慣れした私には新鮮!
街中をブラブラ歩いたりもしましたが、
こんなショートパンツでも問題なかったし、
歩道に椅子を出して座っている人たちも
歩く際には足を引いて通してくれる、
当たり前だけどなんだか目に見えない親切心が。
こんな銃弾跡が残っているのも事実。
なんだか心が痛みます。
がレバノン人、
「レバノンは人が行き交う場所なんだよ。
この地には7つの都市が眠っている。
掘ればいくらでも歴史が出てくる。
誰かが来て色を塗り替え、自分のものだと言ったら
また違う誰かが来てそうする。
現在は代表的なものだけで18以上の宗教がレバノンだけであるけど、
お互いが尊重しあい、愛し合い、
良いことをすれば良いことが必ず返ってくる。
内戦もね、長く続いたけど、
他の力が働いたから長くなっただけで、
レバノン人はレバノン人同士を殺しても意味がないと思ってたよ。」
と。
さあ2日目から4日間連続で歴史ツアーへと出発。
絶対見たかったバールベック。でっかい!
ここは一番残った神殿なだけで、敷地はとても広いです。
ガイドの説明はとにかく最初から最後まで、
フェニキア人が3と6の数字にこだわっていたかという事。
神殿の柱の数、建物の土台の数、形、何から何まで
3と6が鍵になっていました。
転がっていた柱のかけら、娘の身長140センチ。
フェニキア人といえば船、レバノン杉を使って船を作り、
杉を輸出して外壁に使う巨大な石を船でエジプトから持ち帰り、、、
嘘のような話です。
「ヨーロッパ人がアフリカ大陸を1周したとか残してるけど、
フェニキア人はそれより何千年前に3周もしてるんだ。」
だそうです。
ヒットラーはここからシンボルを取った。
風化してもまだ美しさが見える彫刻。
素晴らしいです。
ですが、
建設途中で他の勢力に堕ちています。
掘りかけの彫刻。
ビザンティン、古代ローマ、アラブ、、、
色々な勢力がここを順に牛耳りました。
5000年の歴史、熱が出そうです。
ここのもうちょっと先はシリア。
車の中から見えたシリア難民キャンプ。
つらつらと幾つも見えるのですが、それでもほんの一部。
現在レバノンの人口は7百万人、
内レバノン人が4百万人、パレスチナ人が百万人、シリア人が2百万人。
難民とはいえまた貧富があり、高原に家を建てて住んでいる人も沢山だそうで。
バールベックでお腹一杯なんですが、続いて行ったのがアンジャール。
いきなり紀元後8世紀。ウマイヤ朝時代カリフワリード一世が
たった10年で建てた都市です。
見栄え良く神殿を作ったのは反感買わないためだけ、
信仰心がなかったんだよとガイドの言葉。
湿地帯だったのを、樹木を植えて水を吐かせたり、
地震対策の石の組み方だったり、、、
どれだけ壊れても、アーチだけは残るんですね。
とそろそろ疲れたかあちゃんとは裏腹に、
「楽しいヨーーーー!」
と道端にいたラクダに乗って行ってしまう娘たち。。。
長くなるので次回に続かせていただきます。
つづきです。
今日からこの家が私の物と言っても、まだ住んでもいません。
表札は前の人の名前がまだ残っています。
雑草もそうですが、生垣のよく分からないバラのようなものとかが大爆発していて、下手に給湯器の方に向かおうとすると上半身傷だらけになってしまいます&クモの巣があちこちに。。
家といっても中古。しかも値下げ交渉をしたので、ハウスクリーニングを入れずに
現状渡しということになりました。
床も壁もキッチンの天板もほこりだらけで、ベタベタしています。
トイレの便器など、1階も2階も、まっ黒です。
ちょっとまだ、住むという単語の概念とは程遠い状態です。
最初はまずは自分たちで部屋掃除を、とか思いましたが、ちょっと無理があり、やはりいちどプロを入れて掃除をすることにしました。
そうでもしないと、引越しすらできません。
いろいろ業者のページなどを見ていると、その清掃のためには、電気、水道、「ガス」が必要だとのことです。
電気と水道はそのまま使用できましたが、ガスの開栓は立会いが必要です。
ガスの開栓は、早めに予約を入れて、作業していただきました。
そのときに、給湯器の試験をしますといって水洗をひねったきり、作業員の方が外に出たまま戻ってきません。
5分くらい、心配な時間が続きました。
やっと戻ってきました。
作「給湯器の内部が壊れて、水漏れしています。修理が必要です」
根「時間がかかりそうですか」
作「修理自体は、別の業者にやってもらう形になります」
(・・・)
また、絶句してしまいました。
こういうところは賃貸だと必ず管理会社が何とかしてくれるところなのですが・・・
「い」さんの担当者に電話してみました。
根「ガスの開栓で、担当者が給湯器が壊れているといっています」
い「そうですか、じゃあエネスタに電話してください。電話番号は・・・」
にべもない対応です。
売買の時はこんななのか??
とにかく、エネスタに電話して、何日も調達にかかった部品を3つも交換して、やっとお湯が出るようになりました。
◆
それからやっとハウスクリーニング業者探しです。
「ハウスクリーニング」「龍ケ崎」で検索したら結構ごちゃごちゃ出てきました。
とりあえず大手は高そうだったのでパスです。
中小とか個人の業者さんががまとまった「くらしのマーケット」というサイトがあったので見てみました。
その中で、かなり良心的な価格だった
https://curama.jp/443312146/
こちらの方に連絡を取ってみました。
そのときは4L(4LDK)で42000円(現在は52000円に値上がりしてしまいました)でしたので十分範囲内でした。
店長は黒岩さんと言います。
メールで予約を取ろうとしたら、結構人気で、1週間以上あとの日になってしまいました。
今スケジュールソフトを見直してみたら、清掃日が引越しの数日前になっていました。
この方は、基本的にひとりでなさっていて、4Lは2日かかりますとか言っていたのですが、後でもう1日かかってもいいですかと申し出があり、結局まるまる3日かかりました。
プロ的に結構思った以上に汚れがあったのかな?
それとも黒岩さんがマイペースだったのかな?
さすがに確認立会で拝見したら、ピカピカになっていました。
◆
カーテンやテーブル、など、新居でほしいものもいくつかあります。
ニトリとか山新などで安く揃えたいのですが、それでも何十万も出て行ってしまいます。
いくつかは転居当日には間に合いませんでした。
冷蔵庫は、新調することにしました。
この日のために、ノジマ電機でドコモひかり契約をして、何万ポイントもためておいたのです。
一気に吐き出す形になりましたが、結局差額の自腹が4~5万で済みました。
◆
ちょうどその頃、引っ越し業者さんも探していました。
じつは、転居前のマンションに引っ越してくるときに、サカイさんにお願いしました。
このときに、引っ越し業者の営業担当の人の習性として、とにかく相見積もりを取らせないように頑張るんだな、と強く感じました。
とにかくそこで、話を決めさせようとするのです。
「今じゃないとこの数字は出ませんよ」みたいなことを言うんです。
結構嫌な思いをしました。
そのとき、3件目のサカイさんのつくば支社の営業のMさんとも、そんな感じもなくはなかったのですが、当時の妻のお腹が大きいことが話題になりました。
M「じつはうちも明日出産予定なんですよ」
根「えっ、偶然ですね!おめでとうございます」
M「うちは帝王切開なので、もう入院していて云々」
根「そうですか。お大事に!うちは10月後半予定何でこれからですね」
もしかしたらウソの営業トークだったのかもしれませんが、すっかり仕事とは違う話で盛り上がり、嫌な気持ちもしなかったので、Mさんにお願いすることになりました。
サカイさんにはリピーター割引というものがあり、2回目は結構値引きしてくれるそうです。
それだけを頼りに、適当にスマホでサカイさん(の土浦支社)に電話して、見積もりの予約を取りました。
当日の朝、見積もり担当の方がいらっしゃいました。
・・・なんと妻の方が先に気がつき
妻「ああ、前回やっていただいた方ですね!お子様お元気ですか?」
根「そうだ、思い出した。次の日に出産の方でしたね」
M「ああ、あのときのお客様ですか?これは奇遇ですね!」
あのときのMさんでした。
私は顔は忘れていましたが、手にできたタコを見て思い出しました。
また、子供の話であっという間に時間がつぶれました。
じつはMさんは、当時はつくば支社でしたが、たまたま、今年の4月に土浦支社に転勤になったそうです。
もしかしたらウソの営業トークだったのかもしれませんが、すっかり(ry
むこうの女の子はうちのよりも3ヵ月くらい先輩ですが、もう「ママ」「ぎゅうにゅう」とかしゃべるようです。
うちはまだ「うめ~(鼻や口の周りをいじるのをやめろ!)」とか「えん~む(ちょっと待って)」とか「あっがー/がー(いとをかし)」等の日本語ではない喃語ばかりだったので、ちょっと嫉妬しました。
またMさんはラグビー経験者で、ちょうどそのころアメフトで悪質タックル問題が世間を騒がしていたころだったので、いろいろ聞いてみました。
やっぱり競技人口などからも、アメフトはラグビーの人が流れていくことが多く、逆はあまりないとのことです。
また、ラグビーの人から見るとアメフトの人は防具をつけて窮屈そうなんだそうですが、アメフトから見ると、ラグビーの人はよく防具もつけないであんなに当たれるなあと、恐ろしく感じるようです。。
Mさんはまた、その経験と技術をいかしたタカイタカイを子育てに活用しており、実際に3~4メートルは上げますよ、2階位の高さです、と平然と言ってのけました。
そんなの、私のような素人がやったらすぐに他界他界になってしまいます。
気がつけば、引越しの段取りも終わっていました。
エアコンの代金も込みで、前回と同じ料金にしてもらいました。
あとは、食器などをしまって、当日を迎えるだけです。
つづきです。
思い切って内見してみた売買物件。
築浅だけあって、なかなか良さそうです。
ここは、不動産屋さんの元(売主さんの代行店)が「あ」さん、先(買主さん(=根)の代行店)が「い」さんと仮にしておきます。
「い」さんは、歯科医院関係でもお世話になっている旧知の会社です。
い「先生、とにかくローンを組む準備をしましょう!」
根「大丈夫でしょうか?事業資金の借り入れも結構あって心配です」
い「大丈夫だと思います。今度担当者を連れてきます」
「まずはモーゲージバンクAでやってみて、その後、割合審査が甘いB銀行とかもありますよ。」
「とにかく最初の1歩を踏み出しましょう」
凄いノリで、こちらがビックリしました。
しかし私は泣く子も黙る自営業。銀行的に最悪の属性です。
私が担当者だったら、こんな内情の男には絶対に鹿島線
すごく不安になったのを覚えています。
春先のことです。
医院に、Aの担当の方が見えました。
何回か面談をしました。
まず、現在の借り入れを知りたいということで、全部申告しました。
(ここから先は非常にセンシティブな情報を含みますのでフェイクをたくさん入れます)
借金をすると、個信(個人信用情報)に履歴が残ります。
また、返済が滞ると個信の、おもにCICに履歴が残ります。
個信に乗っているものも、乗っていないものも、全部申告しました。
リボ払いの結構大きいのもありましたが、ネットで調べた所、「返済負担率」が大事だとのことで、「標準コース」から、月の返済額を圧縮できる「長期コース」に、ごていねいに審査前に変更しました。
今にして思えばこれが大きなマイナスポイントでした。
返済負担率が下がるものの、総額が増えてしまいます。
この辺は結構いろいろ言われました。
後言われたのが、免許証の末尾の番号です。
あなたの免許書番号の末尾は何番ですか?
私は番号が大きすぎて、助川自動車工業から軽トラを借りられませんでしたwww
いろいろお気楽に再発行しながら過ごしてきたせいか、かなり大きな番号です。
だいたい何年ごろにどこで何をして無くしたか、というのを、引っ越しとか部活の遠征とか国際学会で無くしたとか、思いつくイベントを照らし合わせて5回分を箇条書きにして作成していきます。
もうひとつ、これが痛恨のミスだったのかもしれませんが、こんなことがありました。
A銀行から、うちは申告書は2期で見ますが、昨年と一昨年で見るか、今年と昨年で見るか、どうしましょうか、と質問がありました。
住宅ローン申請の申告書は通常3期なのですが、ここは甘いので2期で見てくれるとのことです。
たまたま今年分(昨年1月から12月までの分)の申告書がまだ税理士から届いていなかったので、昨年と一昨年で見ることにしました。
これが致命的なミスでした。
じつは、一昨年の分は税務調査が入ったせいで、修正申告を出していました。
これが、融資にとっては非常にまずかったようです。
担当者からすぐ電話が来て、納税証明書と申告書の金額が何百万も違うけど、コレについて打ち合わせをしたいと言ってきました。
また医院に見えたときにいろいろ話し合いをしましたが、本部の方がいろいろ言って来て、この辺を何とか納得させないとという段階です、みたいな話になり、いろいろ打ち合わせをして、よろしくお願いします、みたいな感じになりました。
要は、なぜ納税額が申告書と異なったのか、なぜ修正申告に応じたのか、などを、本当の理由を書かずに、税理士との認識の相違とか、税務当局との認識の相違のような文言で作文をすることになったわけです。
それから一週間後に、携帯にお電話をいただきました。
結果は、否認でした。
その携帯は、外にいるときに歩道の上で取ったのですが、聞いた瞬間に腰の力が抜けるのを感じたのを今でもはっきりと思い出します。
思い返してみたら、落ちて当然だろうみたいな内容だったんですが、とにかく腰の力は抜けました。
どうしよう、妻になんて言おうか…
仕方ない、B銀行で出すしかない。
ここに落ちたら、自殺しよう。もういいや、俺の人生なんて。。
このときほど、自営業である自分を呪ったことはありませんでした。
審査待ちの間に、たまに妻に聞かれたときに、(どうも審査が長引いてるようで)なんてごまかしているときには、生きた心地がしませんでした。
◆
今回は、前回の失敗を参考に、いくつか作戦を立てました。
まずは、個信(CICと全銀)を自分で取り寄せました。
【個信を自分で取り寄せる分には銀行からは見えない】
前回はこれに気がつかなかったばっかりに・・・おっとここから先は書きません。
見た所、ショッピングリボは載ってませんでした(キャッシングは載ってました)。
でもこれについては、B銀行の担当者に、残高ゼロの証明書をカード会社に書面で出してもらえと言われ、結局ゼロにすることにしました。
住宅ローンのときにはよくあることなんだそうです、とB銀行の担当者。
キャッシングゼロはすぐに出ましたが、ショッピングは、リボと1回それぞれで出せないので、1回払いの分もゼロにしてから書類の提出になりましたので、非常に手間がかかりました。
そこに手持ち資金をかなり突っ込んでしまいました。
一番恐れていたのは、通帳コピーの提出です。
そこには、メインバンクではないけど大変お世話になっている銀行さんとのやり取りもいっぱい乗っています。
そこを見られると、おっとゲフンゲフン・・・
でも大変お世話になっている銀行さんの方にお話を伺うと、通帳コピーは、借り換えの時にはメインの通帳の返済実績を見せろと言われるけど、新規の時は基本的にそういうのは聞いたことがないから大丈夫だと思う、との話でした。
実際そのような狼藉は怒らずに、私はホッとしました。
ある日、電話が携帯に来ました。Bの担当者からでした。
一応承認になったので、あとは売買契約と金消契約をして、引渡ですね、とのことでした。
すでに1カ月たっていて、4月の中旬でした。
ああ、毎日生きた心地がしない日が続きましたが、ようやくけりがつくことになりました。
これで、追い出されて路頭に迷わなくて済みます。
◆
さらにそこからが売買、金消、引渡で1カ月近くかかります。
ネットを見ると、その期間内に、カードローンやキャッシングなど、個信に傷がつくようなことをすると、融資の実行停止、みたいなことが盛んにネットで出てきます。実行当日に個信を参照する、みたいな話も何とか知恵袋とか教えて何とかのようなところにはちらほら見受けられます。
そんなのを見るだけ心臓に悪いというものです。。
売買契約でかなりの額の手付を要求されました。
これは手付を払った後に売主が売買を拒否したときは、手付を返却して、さらに同額の手付けを買主に払うという、いわゆる「手付倍返し」の手付けです。もちろん買主の私が途中で購入をやめたら没収です。
最初100万と言われましたが、さすがに値切らせてもらいました。
それでもキャッシュフローが壊滅的になりそうだったので、親族に一時的にすがりました(実行後にすぐ返しました)。
引渡の時には、「い」さんの事務所で行いました
もう5月末です。
その場で登記の書き換えを行い、融資実行、即振り込まれたのを全員で確認という流れでした。
売主さんにとにかくお礼を言われたのにはびっくりしました。
今日からこの家は私の物です。
しかし、だからといってすぐ住めるわけではありません。
やらなければいけないことはたくさんあります。
(つづく)
このたびは大変ご無沙汰しまして誠に申し訳ありませんでした。
気がつけばもう前回の投稿から半年もたっています。
ちょっと、歯科とは関係ない件なのですが、自分の人生の中でもたいへん大きな動きといっていい出来事がありました。
感覚的にはほんの1、2ヵ月のように感じられたんですが、あれよあれよという間にもうこんな時期です。
その間のお休みが大変長いことになってしまっているので、歯科とは全く関係ないながら、簡潔に説明させていただこうと思います。
◆
ところで、前回エントリーは2月12日となっています。
まさにその日に、一本の電話が鳴りました。
電話の主は、現在の住まいの不動産屋さんでした。
その日は義実家にいたのですが、話を聞いているうちに「口が開かない」ではなく「開いた口がふさがらない」状態になってしまいました。
不「今お住まいの賃貸物件ですが、そこのオーナーさんが公務員なんですが、2019年の3月に定年になって、現在お住まいの官舎を出られるんです。
そこで、それ以降の新たなお住まいを探す費用にしたいので、それまでに根本さんに今お住まいの物件を購入してもらえないか、という相談です」
根「えっ(ここ即答は無理ですよね)・・・」
不「オーナーさんは、950万でどうかとのことですが、いかがでしょう」
根「(以下同文)」
何でも、龍ケ崎市内のマンションですが、うちで購入しなければ、とりあえず居住中でも売りに出したいみたいな感じだったんです。
ひとまず話を引き取らせていただきたいと電話を切って、頭を抱え込んでしまいました。
妻と相談しました。
築25年くらいたっていて、節々の傷みも気になる。
高層階なので、子供が万一落下事故などおこしてしてしまったらと思うと非常に不安。
また、非常に珍しい作りなのですが、エレベーターが一つ下の階までしか届いておらず、駐車場からエレベーターに乗って降りたら、最後のもう1階は階段を登らなければいけない。
キッチンが狭くて閉鎖的なので、作業中に幼児がベビーゲートの外で心配して泣き出すことが多い。
・・・
いろいろダメだしすると出てきます。
https://ameblo.jp/radice62/entry-12198129984.html
上記のブログは、私がペットについて書いていたブログですが、ここにもあるように、2月12日現在住んでいたマンションは、その前の所の戸建の賃貸から2年前に転居してきた物件です。
その前の戸建て賃貸があまりにも安普請で、清潔面に大きな問題があり、満足に出産・子育てをするには不適当だという結論に至ったが故の転居でした。
あのころを思い出しつつ、こんなことになるなんて、と考えると茫然としてしまいます。
後で気がついたのですが、基本的に住宅ローンの間は賃貸には出せないルールみたいです。築浅の戸建賃貸というのがなかなか出てこない訳です。。
とにかく、この中古マンションを950で買うか出ていくか。
大前提は、現在の住所の学区である○○小、◇◇中を外さないことです。
しかしそんなに都合よく賃貸物件なんか出てきません。
もうこうなると仕事もなかなか手につきません。
(これ、でも買うのはちょっとなぁ・・・)
(ってことは俺と家族は今の所を追い出されるのか)
妻がひとつ、よさそうな物件を見つけてきました。
賃貸でそこそこよさそうですが、家賃が1万円高くなるのと、通学に大きな交差点を渡らないといけない立地だったんです。
やっぱりそこもパスです。
自分で見つけてきた妻でしたが、自分からパスしてきました。
私は感心しました。孟母三遷って、こういうことを言うのか・・・
しかしまさに「お先真っ暗」という言葉がぴったりなまま、あっというまに1ヵ月が過ぎました。
そりゃ、仕事も手につきませんし、コラムやブログどころではありません。
ひとつ、院内新聞『種』だけは頑張って作りましたが、それが精一杯でした。
また、現在の住まいの不動産屋さんから電話が来ました。
不「今お住まいの賃貸物件ですが、オーナーさんが現在お住まいの官舎を出た後、家さがしをするのではなくて、やはりそちらに戻りたいとのことです。
つきましては、それまでに物件が見つからない場合は当社でも類似の物件をご紹介させていただきたく…」
根「(やっぱそうなったか)」
(ここは賃貸にこだわらないで、売買物件も見てみようか)
少し考えが変わりました。
もし銀行が貸してくれるなら、月の返済額は家賃よりは抑えられそうです。
だったら、安い賃貸に住み替えたと思って住めばいいかもしれない。
万一住み替えを検討するときも、土地代くらいは帰ってくるだろう。
妻がひとつ、よさそうな物件を見つけてきました。
しかしそこは、賃貸ではなく売買物件です。
思い切って内見してみました。
(つづく)
ある国会議員が、同性愛者は生産性がないので予算を割く必要がないのではないのか?と発信し物議を醸しています。
この国会議員は以前から、今風に言うと「半端ない」発言で有名です。
議員に言わせると、これは「区別」であって、「差別」ではないそうです。
…
さて、この議員について、ある記事を読んでいますと、母親から普通であること大切さを随分教え込まれたようです。
確かに、普通であることを日本では、まさに「普通」に求められます。
「和をもって尊しとなす」とは、普通の共有が前提にあると思いますので、「普通でない」ことはコミュニティーに居づらいことを指します。
本来、国会議員がわざわざ言う事ではないと思うのですが、今回は国の予算との関係で、いわゆる費用対効果の様な意味で、「普通のカップルより生産性が低い」と、言いたかったのでしょう。
…
しかし、日本人の「普通」は案外曲者です。
人気アーチストのある歌詞です。
「ねぇ、みんなが言う「普通」ってさ、なんだかんだって、実際はたぶん、
真ん中じゃなく、理想にちかい。」
…
普通じゃない人をコミュニティーから排除する。
自己責任として、考えることを止める。
そんな人には未来はありません。
コミュニケーション力とは、話が合う人(普通が共有できる人)とだけの関係性を言っているのではなく、話がまったく合わない人と、どうやって目的を達成するために協力関係を築けるのかを問う言葉だと私は、考えています。
同性愛者の生産性云々より、同性愛者とのコミュニケーション力が問われているのが今の日本です。話や価値観が合わない人を排除することは、結局その人の力を奪うことになります。
歴史的にみても、新しい価値観を取り入れることに失敗した国に未来はありません。
歴史に学び、新しい思想信条に寄り添いながら、「私」を大切にして生きて行きたいです。
「この間みんなでトレッキング行った時にすごいところ見つけたよ」
おいでおいでと私と連れて行く子供達。
「草、高くない? 今年、蛇がやたらと多いよ?」
なんてかあちゃんの心配もよそにぐんぐん進む子供達。
そして、
「めっちゃインスタポイント〜!」と喜ぶ。。。
そうなんですよねー、
今やイタリアも完全にスマホの時代。
こうやって綺麗なところを探して回るなどは良い展開なんですが、
メッセージの速さにはうんざりなところも。
あーでもないこーでもないと意見が言えると
環境が良くなったのかもしれませんが、
ギリギリまで決まりごとが決まらず、
最近はみんなが集まる夕食会も発表会も試験まで
段取りの時間がなくなっている感じがします。
この段取りの時間。
期限はいつ、下調べ、準備、練習に仕上げ、そして確認。
何事もこの時間を通過することによって、
心の準備が出来たり、ワクワク感が増したり、
自分の未熟さを知ることも一つ、
終わった後はやり遂げた感、つまり達成感が味わえるのではないかと
古い私は思うのですが、
それが希薄になっていると同時に、
何百何千のメッセージに絵文字やイイネだけで返す返事にうんざり〜。
そんなことに時間を費やして、
「時間がない」なんて言われる、本当にうんざり〜。
とまあ、
時代に乗り遅れたガラケーかあちゃんのぼやきはこの辺にして、
最近時々とうちゃんの仕事について行きます。
ここもまた歴史を感じる邸宅の地下での夕食会は、
若手イタリア人作家の集いでした。
主催者は、
「始まりが遅いから、手早く終わりたいの」
なんて言っていたにもかかわらず、
さすが15名もの作家が集まると、
自分の作品の話から体験談を順番にしゃべるしゃべる。。。。。。。
ミステリーからロマンス、
話し手も興奮すれば聞き手も大興奮、
気がつけば日がすっかり変わり、ヘトヘトになりましたが
みなさんの楽しそうで美味しかったよと満足げなお顔を見れば
こちらも感無量です。
所変わってこちらは近所のホリデーハウス、ポデーレパニーコ。
クレーテセネーゼを堪能出来る立地条件で、
食事も地元のジビエを、
とよくこの暖炉で焼くキジの詰め物を注文されます。
ライトアップされた暖炉でゆっくりと回りながら脂が滴り落ちて、、、
なんてったってインスタ映えしますしね!
直火は肉の仕上がりが変わります。
ヴィンサントのソースがかかり、赤ワインが進む一品です。
こちらは家族友人がみんなで泊まり、
食事中も家長が投げかける議題に一人ずつが答えていき、
それぞれの意見に感心したり大笑いしたりと
和やかな良い夕食会でした。
そんなとうちゃん、
今度レバノンまで出張行ってきます。
(これはかあちゃん同伴出来ず、、、、)
お隣シリアが大変なことになっているのですが、
美味しいものでニッコリと平和が訪れることを願って、
お仕事頑張ってきてもらいます。
さて、どんなインスタポイントがあるのか、
全く違う雰囲気なのか、
報告が楽しみです。
宗派によって阿弥陀様は形が異なります。浄土真宗の東本願寺式阿弥陀様は光背が他の宗派と異なります。
横から蓮の花と葉が飛び出ており頭の周りに後光が差しています。
又、右肩に布がかかっているのも特徴のひとつです。