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2018/07/29

ある国会議員が、同性愛者は生産性がないので予算を割く必要がないのではないのか?と発信し物議を醸しています。

この国会議員は以前から、今風に言うと「半端ない」発言で有名です。

議員に言わせると、これは「区別」であって、「差別」ではないそうです。

さて、この議員について、ある記事を読んでいますと、母親から普通であること大切さを随分教え込まれたようです。

確かに、普通であることを日本では、まさに「普通」に求められます。

和をもって尊しとなす」とは、普通の共有が前提にあると思いますので、「普通でない」ことはコミュニティーに居づらいことを指します。

本来、国会議員がわざわざ言う事ではないと思うのですが、今回は国の予算との関係で、いわゆる費用対効果の様な意味で、「普通のカップルより生産性が低い」と、言いたかったのでしょう。

しかし、日本人の「普通」は案外曲者です。

人気アーチストのある歌詞です。

「ねぇ、みんなが言う「普通」ってさ、なんだかんだって、実際はたぶん、

真ん中じゃなく、理想にちかい。」

普通じゃない人をコミュニティーから排除する。

自己責任として、考えることを止める。

そんな人には未来はありません。

コミュニケーション力とは、話が合う人(普通が共有できる人)とだけの関係性を言っているのではなく、話がまったく合わない人と、どうやって目的を達成するために協力関係を築けるのかを問う言葉だと私は、考えています。

同性愛者の生産性云々より、同性愛者とのコミュニケーション力が問われているのが今の日本です。話や価値観が合わない人を排除することは、結局その人の力を奪うことになります。

歴史的にみても、新しい価値観を取り入れることに失敗した国に未来はありません。

歴史に学び、新しい思想信条に寄り添いながら、「私」を大切にして生きて行きたいです。

 

2018/07/29 11:53 | hamamoto | No Comments