たいがい話が脱線しまくり、ちょっと気を抜くと時間も押してしまうトークイベントを大阪と横浜で開催します。字幕を作る時は1文字ずつ「あ~でもない、こ~でもない」と試行錯誤しつつ、じっくり考えるのですが話すとなると…。準備はするんですが、どうしても脱線してしまって。空気を読むというか、読まないというか、その場で反応がいいと感じると、そっちに話がいったりして…。
まずは今週末、大阪から。第七藝術劇場での「サスペリア」7月12日(金)19:35~の終映後のトーク(21時半位~22時位)。
http://www.nanagei.com/movie/data/1363.html
そして7月13日(土)に天六のブックカフェバー、ワイルドバンチでは14時~16時に「映画の字幕ナビ」出版記念トーク。
http://www.cinepre.biz/archives/25150
続いて同じ会場で17時~19時の予定で「サスペリア」の感想を語り合おうというイベントに登壇します。
http://www.cinepre.biz/archives/25164
そして来週末には横浜シネマリンで7月20日(土)に「サスペリア」(20時10分~)の終映後22時位から22時半位。(こちらは終了時間が少し遅いです…)
https://cinemarine.co.jp/suspiria/
「サスペリア」、「ダリオ・アルジェント監督」、「字幕」、「映画の字幕ナビ」、「桜坂劇場」、「ガチバーン映画祭」といったキーワードを中心に、イベントごとにテーマを分けて話していきます。(でも、それぞれ脱線しつつキーワードがクロスオーバーしていってしまうのかもしれません)
全ての会場で「映画の字幕ナビ」にサインします。お近くの方、時間に都合のつく方、よかったらぜひ!
8年近く前に翻訳したソフトです。昨年秋に公開された「ボヘミアン・ラプソディ」の大ヒット以降、人気急上昇したタイトルです。クイーンの素顔に迫るイギリスBBC製作のドキュメンタリーに加え、初来日の様子を収めた映像等々、4時間以上に及ぶ映像集になっています。ただ、日本語字幕が入っているのはリンク先にある国内盤DVDのみで、輸入盤やブルーレイがあった場合、それには日本語字幕が入っていないはずなので注意して下さい。音楽関係のソフトですがドキュメンタリーが中心なので字幕がある方が分かりやすいと思います。
宣伝はここまで。この後はお詫びです。
このソフトの本編であるドキュメンタリー部分を以前WOWOWで放映したのですが、それを録画していた視聴者の方から誤訳の指摘を受けました。正確には、その放映を見た視聴者の方がWOWOWのカスタマーセンターに連絡し、その内容が同局のプロデューサーに伝わり、そのプロデューサーがこちらに連絡してくれたという流れです。
『日本版DVDの字幕には複数誤訳があります。そのうち2カ所は、最悪の場合、世間のフレディ観を左右しかねない間違いです。』
1つは21分くらいのところ:
マネージャーの発言 “(Freddie)wasn’t out to the band”
誤【彼はバンドに集中していなかった】
正【彼はバンドにカミングアウトしていなかった】
参考までに、この次の字幕は【性的志向に悩んでいたんだ】でした。上の訳でもマネージャーの談話としては通じてしまうところがタチの悪い誤訳です。確かに「性的志向に悩んでいた彼はバンドにもカミングアウトしていなかった」とマネージャーが回想する方が自然ですね。
2つめは84分くらいのところ:
フレディの発言(シングル「ボヘミアン・ラプソディ」について)
“Either it goes out in its entirety, or not at all”
誤【永遠に残るか消滅するかだ】
正【曲全体でなければ出さない】
これはentiretyをeternityと思い違いをした誤訳です。
発売済みのDVDを直す事は現実的には難しいので、せめてここで説明しておきたいと思います。こうした誤訳が分かった場合、正誤表を入れる等したいところですがそれも難しいものです。ただ将来、ソフトが再プレスされる事があれば字幕自体を修正する機会があるはずです。もちろんこちらからも販売元の担当者にもこの件を伝えます。とにかく今はここで告白しておきたいと思います。
「映画の字幕ナビ」にも自分で書いていますが、こうした誤訳はどうにかして無くしたいものです。そう願い、それを意識して作業していてもこうして誤訳があるまま世に出てしまう…。字幕に限らず翻訳というものはマイナス評価になるしかない面が大きいものではありますが、現実として世に出てしまう誤訳はあるものです。ただ、今はこうしてネットで世界に情報を発信することができます。これを「正誤表」の代わりにさせて下さいとまでは言いませんが、何もしないよりマシでしょう。翻訳の仕事をしている当事者である僕がこう提案してしまうと甘えていると言われるでしょうが、こうした誤訳のデータベースを作れたらとも思います。そうすれば次に訂正できる機会があるコンテンツは、その時に訂正できる可能性が上がるから。「それなら自分でデータベースを作れ」と言われるかもしれません。それもやりたいところですが、残念ながら本業の翻訳をこなすのが精一杯です。これも本に書いていますが、字幕は翻訳家だけで完成させるものでもなく、チェックする人もいます。その意味でこうした指摘を受けた場合、ここに書いているように翻訳家自身が1人で表に立って詫びるというのも、場合によっては正しくない気もします。それでも今回のようにそれを知ってしまった場合、やはりこうして書くしかないと思っています。こうした誤訳を「無くす」のではなく「減らす」ために。そして、それが世に出た後の場合、次の機会に「訂正する」ために。問題提起というか、議論の出発点というか…。
いずれにせよ、特にクイーンのファンの皆さん、誤訳が入ってしまって申し訳ありませんでした。これをWOWOWに指摘してくれた方には感謝します。この方は「ソフトの訂正はムリだとしてもWOWOWで今後、またこれを放送する機会があったら直してほしい」という思いで連絡して下さったそうです。ありがとうございました。
今後も精進します。
2019年6月4日発売
「スター・ウォーズep4」ダスターシュート前の長い通路に影響を受けた「ギャラクシー・オブ・テラー」の通路に似た宇宙船の通路で、エイリアンがポッドを宇宙空間に放出するシーンから始まる作品です。このポッドにはじつは黒いナメクジ状の宇宙生物が入っていたようで、それが地球に飛来し、拡散し、とある大学町をパニックに陥れます。
そんな話なのですが、監督がSFやホラー愛のフレッド・デッカー。1986年の公開当時26歳か27歳の若手でした。彼の後輩で本作でも端役で出演しているシェーン・ブラックは「リーサル・ウェポン」の脚本を書いた才人。ブラックはペンシルベニア州ピッツバーグ出身で、ピッツバーグといえばジョージ・A・ロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」。先日アップした「ナイト・オブ・ザ・コメット」もそうですが、本作の原題も「ナイト・オブ・ザ・クリープス」です。「ナイト・オブ」を使っているだけで監督のジャンル愛が分かります。本作のエイリアンは人体に寄生し、チェストバスターにはなりませんが寄生された人間は生きたまま体をエイリアンに乗っ取られゾンビ化するという…ジャンル愛。脱線ついでにシェーン・ブラックは「リーサル・ウェポン」の主人公として、ジョン・カーペンター監督作で知られる名バイプレイヤー、トム・アトキンスを考えたそうで、本作の製作時、ブラックはキャメロン刑事役のトム・アトキンス本人に「リーサル・ウェポン」への出演を打診までしたとアトキンスは特典のインタビューで回想しています。その時、アトキンスは「私は主役向きじゃない。この役はスターが演じるべきだ」と辞退したという。結局、メル・ギブソンが主役を演じました。謙虚なトムさん。
さらに登場人物の名前が凝っています。主人公がクリストファー・ロメロ。相棒がジェームズ・カーペンター・フーパー。主人公の彼女がシンシア・クローネンバーグ。刑事はレイ・キャメロン。他にもランディス刑事にライミ巡査…。このジャンルで有名な監督の名前が役名に散りばめられています。これだけでなくロジャー・コーマン作品で知られる名バイプレイヤー、ディック・ミラーの役名はウォルター。これは50年代にロジャー・コーマンが監督した伝説的カルト作にしてビート世代のバイブル(大げさ)「血のバケツ」でディック・ミラーが演じた主人公の名前と同じ。そもそも主人公達が通う大学はコーマン大学で…。
さて、この作品の字幕では上記の人名を入れ込むのに苦労しました。過去に発売されたソフトの字幕にもキャメロン、クローネンバーグ、ランディス、コーマンは出ましたが、カーペンター、フーパー、ロメロ、ライミ、ウォルターは出ていませんでした。このジャンルのファンの人は字幕に出ていなくても聞き取れる名前もあったかもしれませんが、やはりこれは監督のジャンル愛の反映なので、字幕に乗せる情報として優先順位は高いです。なので全員出しました。
それからもう1つ。キャメロン刑事には決めゼリフがいくつかあります。「スリル・ミー」(=「喜ばせてくれ」とか「ワクワクさせろ」みたいな意味)、「ワンダフル」(=「素晴らしい」とか「上出来だ」とか「最高だ」みたいな意味)などですが、「ダーティハリー」のGo ahead, make my day(=撃ってみろ。俺の思う壺だけどな)のようなものです。これらを何度も言うのですが、場面ごとに状況が違うため統一した決めゼリフを字幕で作れなくて本当に苦労しました。
さらに終盤、キャメロン刑事が「イッツ・ミラー・タイム」と言います。これはアメリカでは有名なミラービールのCMのフレーズなのですが、本作はミラービールがプロダクトプレイスメント(作品の中で商品名をさりげなく入れる手法)で登場する流れから出てきます。リポビタンDの「ファイト!一発!」みたいなフレーズというと分かりやすいかもしれません。元々のCMでは建設業や林業などの労働者達が1日の仕事を終えて「さあ、シャワーを浴びてビールを飲もう」といった感じで使われるフレーズで、何十年も使われ続けている有名なもの。キャメロン刑事はプロダクトプレイスメントもあり、このフレーズを言います。このセリフの後、彼はエイリアン退治の最後の仕上げをもくろんでいます。これの字幕が以前の訳では「君の頭に乾杯」になっていました。これは「カサブランカ」で有名な「君の瞳に乾杯」を連想させる楽屋落ち的な洒落た訳にはなるのですが、ジャンル愛に満ちたフレッド・デッカー監督の頭にはないメロドラマを連想させてしまいます。字幕なしの英語版で見ている観客が全く連想しない作品を日本の観客は連想する…。ジャンル愛から外れた映画愛を見せるのは、字幕翻訳家が監督と同じ立場で演出しているのと同じになってしまう…。ほとんどの人は気にしないだろうけど、プロダクトプレイスメントつながりも伝わるようにしたい…。悩みに悩みに悩んだ末、字幕を作りました。気の利いた訳には全くなっていませんが監督の演出に沿う流れは維持したつもりです。ストーリーの流れの中では重要ではないセリフなのに本当に悩みました。どんな訳になっているかは本編を見てチェックしてみて下さい。
1984年製作のジャンル分けしにくい作品です。
彗星が地球に接近する日、世紀の一大イベントを見ようと世界中の人々が夜空を見上げていた。翌日、その人々の大半が地球から姿を消していた。一定の条件下にあった僅かな人を残して…。
世紀末感というか終末感に満ちたLAを舞台に、生き残った数人の若者達が、死に損なった人達から身を守り生き抜く。何が生死を分けたのか、人類復活のカギは何かを研究する科学者も登場し、生き残りつつもゾンビ化していく人達の苦悩を描く青春映画です。ジャケットの女性は主人公姉妹の姉役のキャサリン・メアリー・スチュワートという女優さんですが、本編ではこのキツい表情より、もっとニコニコしています。
劇的に書きましたが実際、見かけがホラーの青春映画と呼ぶべきストーリー。主役は高校生と大学生の逞しい姉妹で男達はあくまで添え物。低予算の作品ですが、見事なゲリラ撮影で無人のLAを走り回る生き残った人達を活写します。
「映画の字幕ナビ」の続きみたいですが、以下、ここで気になった字幕が2つ。
1つは、ほぼ無人のショッピングモールというかデパートで生き残った悪い男達に姉妹が襲われるシーン。(“コマンド―”や“ターミネーター2”でも使われた施設で、大ざっぱに言うと六本木ヒルズのような複合施設。)ここで悪い男達のリーダーが妹に「何が望みなの?」と聞かれて答えます。
You wouldn’t believe what we want from you.
In your worst nightmare, you wouldn’t believe.
「お前らから俺達が望む物は、信じらないものだ。」(20文字)
「最悪の悪夢の中でも信じらないようなものさ。」(20文字)
くらいが直訳です。
ここは前後のつながりから以下のように訳してあります。
「たっぷり払ってもらうぜ」(11文字)
「信じられない悪夢の中でな」(12文字)
ここでは「信じられない」がポイントになりました。この悪い男は異変が起きた数日前までこの施設の商品補充係でした。いち労働者だった彼は突然、巨大施設を支配しているような立場になった気分でいます。
ここで2つ目の字幕に「背筋も凍るような悪夢の中でな」といった、強い脅し文句を入れたくなるところですが、それは避けました。これは以前の訳がそうだったわけではなく、訳していて自分で感じた事ですが、脚本家が彼のセリフを書いた時、数日で突然立場が変わった彼の人物像を考え、そこからボキャブラリーを決めたと思ったわけです。「背筋も凍る」(=spine-chilling)もよく聞く表現ですが「信じられない」が彼の頭に浮かんだ表現だったわけです。ここはアクションホラーの展開のシーンで、大げさにいきたいところですが、彼の語彙からは「信じられない」が出てきたと。
もう1つは上記の姉妹が「生き残った男」について話すシーン。
Hector’s not exactly a fox, but considering what’s left, he’s not bad.
84年の作品ですが最近の表現で直訳すると:「ヘクターはイケメンとは言い切れないけど、残った男達の中では悪くないわ。」(33文字)これを妹が5秒くらいで言っています。(※読みやすく句読点を入れておきます)
「彼はイマイチだけど、この際だからガマンするわ。」(21文字)
これで悪くはなさそうですが妹はヘクターに好意を持っています。本当は「イマイチ」だと思っていないどころか、「好き」と言いたいくらい。淡々と話そうとした結果でしょう。原語にあるnotも否定的な使い方ではないし…。
ちなみに「イマイチ」は1970年代末に広まった表現で、「イケメン」は2000年代以降です。
この訳をネガティブに言わないように、どうしたかはソフトを見てみて下さい。ネガティブな感じにせず、「好き」を避けた淡々とした言い方にしました。何の変哲もない詰まらない訳になっています。
ソフトは音声解説が3種類入っているため、95分の本編の字幕は1000枚少しですが、ソフト全体では6000枚以上になっています。製作現場の裏側など、作品自体だけでなく、作品が作られた80年代の逸話も興味深い1本です。(ヴァレー・ガールとかファミリー・タイズの時代というか…)
字幕というキーワードから色々な事を書いていますが、この度、これまでネットにアップしてきた文章を基に、全面的に加筆改訂した本を2月25日に発売します。第一章は僕が翻訳家になるまでを時系列で綴ったプロフィール的な章になっていますが、第二章以降は1ページから数ページの読み切りの文章が多く、ちょっとした時間に読み進めやすい構成にしてあります。映画にも字幕にも興味がない人でも楽しめるようになっていると思います。全国の書店で購入・注文可能です。よかったら手に取ってみて下さい。もちろんネットでの購入も可能です。
発売元公式サイト→「映画の字幕ナビ」(2019/2/25発売)
少し前に書いた「地獄のヒーロー2」はベトナム語のセリフの部分がどうなっているか確認した結果、字幕では出さないという事になりました。
「戦争の犬たち」はアフリカの架空の国ザンガロを中心に展開する物語で、現地の言葉がたくさん出てきます。でも撮影は北米大陸のメキシコの南にあるベリーズという国。映画の中で使われている現地の言葉が何語なのか特定する手立てがなく、ひとまずフレデリック・フォーサイスの原作の日本語訳を読んでみました。すると映画版と原作版の違いがずいぶんある事に、まず驚きました。映画ではクリストファー・ウォーケン演じる主人公が視察のためにザンガロに潜入し、帰国後、作戦の準備をし、そして決行する流れですが、原作では依頼主とのやり取りにかなりのページが使われます。原作は600ページもある長編で、映画は2時間弱なのでムリもありませんが。いずれにせよ現地の言葉が原作ではどのように扱われているのかを見ていくと、これがほぼ皆無でした。正直言ってホッとしました。現地の言葉だけで数分も続くような部分がありますが、何を言っているのか分からないまま話が進みます。実際、何を言っているのか分からないままでも分かる展開になっていたので、それでも構わないとは思っていましたが、原作者もその意図で書いていたのだという事が確認できたわけです。
というわけで、この作品の新訳も現地の言葉に字幕は入っていません。少し地味な「ワイルド・ギース」という感じの本作ですが、エンディングのカタルシスはこちらの方が上だと思います。それから、新訳では主人公と黒人の少年との交流の部分が、より分かりやすくなっていると思います。
ジョージ・オーウェルの原作を1984年に映像化した作品です。体制維持のために過去の出来事を書き換え、辞書は版を重ねるごとに薄くなっていくディストピア。どこにスパイが潜んでいるか分からず、長いものに巻かれて生きるしかない人々。庶民のストレスのガス抜きタイムとしての熱狂的な集会…。この物語を語り始めたら延々と続いてしまいますが、この1984年製作の映画「1984」です。
本作は1984年末にイギリスなどで公開された後、日本では第一回東京国際映画祭(1985年5月末-6月上旬開催)のヤングシネマ部門で初公開され、その年の秋に一般公開されました。これは日本での大規模な「国際映画祭」の始まりで、1985年の前半は字幕翻訳業界がフル稼働の忙しさだったのではないかと思います。
という事で、字幕のチェックも追いつかなかったのでしょう。本作の劇場公開版の字幕に誤訳がありました。翻訳した人かチェックした人の誰かが原作を読んでいたら生まれなかったと思える誤訳です。
辞書が薄くなる世界では人々が表現力が奪われていくわけで、たとえば赤、赤緑、紫などの色が全て「赤」になっていったり、「美味しいね」、「コクがあるね」、「味わい深いね」、「美味いね」が「美味いね」しかなくなっている世界です。この「美味いね」しかない世界で「より美味いもの」を表現しようとすると「超美味い」とか「倍超美味い」とか、数量的に表現するようになっているという具合です。
この「倍超美味い」が劇場公開版の字幕では「陽性物質」と訳されています。この表現は原作でも「人々の表現力が落ちている」という事を伝える意味でも印象的な一節です。「陽性物質」という原作に出てこない言葉を作るよりも原作に沿う訳をつける方が簡単だったと思うのですが。第一回東京国際映画祭特需で大変だったのでしょう。劇場公開版の字幕ではエンディングの最後の字幕も逆の解釈をしやすい訳になっていました。
とはいえ、新訳と当時の字幕はかなり違うので、前の字幕で見た印象が残っている人が見ると「(映画自体が)何か、前に見たバージョンと違うのかな…」という気分になりかねない。ましてや原作のポイントの1つが「過去を書き換える」ですから、新訳と前の字幕でどう変わった分からないとモヤモヤしてしまう人もいると思います。ということで、この作品のブルーレイ版には新旧の日本語字幕両方が収録されています。
1980年代中盤から終盤にかけてビデオソフトの大ブームが起きていた頃に作られた作品。当時はビデオレンタル店のフランチャイズ化が進む前で、全国に様々な名前のレンタル店がありました。“友&愛”といった貸しレコード店のチェーン店がたくさんありました。そんな時代にレンタルビデオ店で一番人気があった俳優の1人がチャック・ノリス。「地獄のヒーロー」、「野獣走査線」、「デルタフォース」…。ローマのコロッセオでブルース・リーと戦ったのも彼です。
そんな彼の主演作「地獄のヒーロー2」は前作「地獄のヒーロー」の前日譚。ノリス演じる主人公ブラドック大佐が最初にどこに囚われて、どれほど怒りを溜めて爆発したかを描く作品です。この作品のビデオソフトの字幕ですが、序盤から誤訳が暴れていました。
ビデオソフトの旧字幕:
(1)
戦没者追悼記念日に
(2)
1人の戦死者の葬儀が
行われた
(3)
ベトナム戦線で
散った兵士が
(4)
無名戦士の墓に
葬られたのだ
正しい訳は:
(1)
今年の戦没者追悼記念日では――
(2+3)
ベトナム戦線で散った兵士達の
特別な葬儀が行なわれています
(4)
彼らは無名戦士の墓に葬られます
これは実際にアーリントン墓地で行われたセレモニーで、レーガン大統領のスピーチも本作に入っています。旧字幕にある「1人の戦死者」が誰なのか、最後まで語られることは当然ありません。映像では棺が1つ運ばれていますが、それは「ベトナム戦争で命を落とした兵士達」を象徴する形でしかないのです。残念なことにウィキペディアにある本作のストーリーまで、上記の誤訳を元に書かれています。
こうした誤訳は他の多くの作品にも多々あるので、ここでは脇に置き今回は訳されていないベトナム語について。
この作品の原題は“MISSINNG IN ACTION2 THE BEGINNING”(=戦闘中行方不明者2 その始まり)です。ブラドック大佐が部下達と捕虜収容所に囚われている状態で話が進みます。捕虜収容所長であるイン大佐と彼の部下達はベトナム語で話しています。これらを全て字幕にすると95分ほどの作品中、50ヵ所近くあります。でもビデオソフトの字幕版には一切日本語字幕が入っていません。
分からないことがあると気になってしまう性格…。「こんなにたくさん話しているのだから、訳さなくていいのか?」と私は思いました。ところでこの作品は北米大陸の南、西インド諸島で撮影されています。イン大佐の部下を演じたベトナム人はノースカロライナ州に住むアジア系の俳優らしいです。70年代後半、日本でもニュースになることが多かった「ボートピープル」と呼ばれた人達でしょう。
こうしたことから「彼らのベトナム語は本場のもので、怪しい東洋語ではないだろう」と私は予想しました。最近、インバウンド何とかという言葉が日本で浸透していますが、日本で暮らすベトナム人も増えています。私が大昔、留学していたカナダにも彼らはコミュニティを作って暮らしていました。とにかく私は、こうした人脈からベトナム語が分かる人達に、この作品の中のベトナム語の部分を聞いてもらい意味を確認していきました。
その結果、ほとんど全て物語の展開通りのセリフを言っていることが分かりました。「追え!」、「やっつけろ!」、「逃がすな!」といった短い表現だけでなく、「さっきのは誰だった?」とか「交替するぞ」、「少し休んで食事だ」といった会話まで全てです。
そこで私の結論も旧字幕版と同じで、字幕は全て入れないというものになりました。ブラドック大佐を始めとする捕虜達は彼らの言葉が分かりません。その立場から描かれる作品なので、「分からない言葉」のままでいいと。
そして、ここにこう書いておけば、「地獄のヒーロー2」を見て、彼らの会話は本当に物語に沿ったセリフを言っているのか気になった人も調べられるかなと(笑)。
本作とは関係ありませんがアフレコが多かった70年代のイタリア映画の撮影現場では、適当に口を動かして撮って、後で吹き替える事が多かったと最近知ったもので、とても気になったのでした。
ガチバーン映画祭Vol.14(2017年3月26日)で上映する「惑星アドベンチャー/スペース・モンスター襲来!」。この作品は製作当初からバージョンが2つありました。アメリカ公開版とイギリス公開版です。そして第三のバージョンは1979年、日本での劇場初公開の際に作られた日本語吹替版です。
アメリカ版とイギリス版は編集自体が違います。中盤30分くらいから顕著になり、アメリカ版では「軍 対 UFO」の戦いが重点的に描かれます。製作された1953年当時のアメリカはソ連の共産主義への恐怖心が強く、彼らの脅威を宇宙人が侵略してくる形で描いた作品が多く作られました。さらに「SFボディ・スナッチャー/恐怖の街」(56)を代表にした「夜寝て、朝起きたらご近所さんが別人のようになっていた」的な作品も多く登場しました。
「惑星アドベンチャー/スペース・モンスター襲来!」は、この「侵略宇宙人→お隣さんが別人」の話です。
しかし、共産主義への不安がアメリカほど色濃く社会を覆っていなかったイギリスでは、どちらかというと純粋に「こんな宇宙人がいたら恐いね」と本作を捉え、中盤から「この広い宇宙には無数の星があり、地球より文明が高度に発達した生物がいても何も不思議はないんだよ」話に時間を割きます。この結果、宇宙人を迎え撃つために軍隊が着々と準備を進める描写が減っています。
エンディングも…。ネタバレなのでここでは書きませんが、アメリカ版とイギリス版は違います。
以上が米英の2バージョンの違いの説明。
で、3つめの日本版ですが、これはイギリス版に準拠しています。というか、編集はイギリス版と同じです。違いは吹替えのセリフや音楽です。先に書いた通り、この作品は1953年製作。当時のアメリカの大統領はアイゼンハワーですが、吹替版では「カーター大統領(1979年当時のアメリカの大統領)が発表した」といったセリフがあり、主人公の少年も「ボクも確かにそれは聞いた」と答えます。さらに「隕石」を「メテオ」と言っています。これは「メテオ」という映画が1979年10月27日に日本で公開されたためでしょう。ちなみに「惑星アドベンチャー/スペースモンスター襲来!」の初日は1979年12月22日でした。(英語のセリフではMeteorと言っていますが)
でも、こうしたセリフの現代アレンジは序の口で、サウンドトラックが全面的に入れ替えられているのが日本版の特徴です。これは文字では表現しにくいですが、大野雄二さん的な…。角川映画的な…。
エンディングのサントラを日本仕様に変えるなんて、最近どこかで聞いたような話でもありますが、こういう改変はテレビ放映に限らず、よく考えてみると劇場版でも色々あったりします(笑)。
余談ですが、この作品が製作から25年以上も後になって劇場初公開となった背景には「スター・ウォーズ」の大ヒットがあります。このヒットで「2001年宇宙の旅」もリバイバル上映されました。「宇宙空母ギャラクティカ」、「フラッシュゴードン」も作られました。この流れの中で、すでに何度かテレビ放映されたことのある本作も、ついに劇場公開される事になったのです。
とにかく、この作品は侵略SFの古典の1本とも呼ばれ、面白いのですが、このバージョン違いを見比べるのも、とても面白いです。
とはいえ、ガチバーン映画祭Vol.14での上映はアメリカ版のみですし、イギリス版も日本語吹替版もソフト化されていないので残念ながら見比べするのは大変なのですが…(爆)。
で、見られるアメリカ版の見どころを1つ。この作品の製作は20世紀FOXで、当初は3D(この当時も「立体映画」が人気でした)で作られる予定でした。それが3Dの人気が高く、撮影に使うカメラが不足していて、スケジュールの都合から普通の2Dで製作される事になりました。でも美術部は3Dでの準備を進めていたので(2Dになったものの)妙に奥行きを感じさせるセットや構図の描写が多いです。
ということで…。
夜、寝ようとしたら閃光を放つ謎の飛行物体が裏山に下りていくのを見てしまう少年と、劇場で皆でワクワクドキドキ体験しましょう!!3月26日(日)桜坂劇場です!!
ガチバーン映画祭Vol.13、2月26日(日)の上映は映画2本と短編ドキュメンタリー1本でした。作品は「4Dマン 怪奇!壁ぬけ男」、「太陽の怪物」、そして『「戦慄!呪われた夜」の裏側』。
今回はポスターとチラシの到着が1月下旬。去年の第一回上映「スタークラッシュ」の時と比べて3週間ほど配布や掲示が遅れていました。到着してからの1週間くらいは1日のうちどこかで時間を作って各所を回り、計200ヵ所ほどの様々なお店や施設に配って歩きました。
ポスターもチラシもレトロな雰囲気でインパクトもあり好評で、行く先々の多くで「今回もすごいね」と喜んでもらえました。居酒屋さんの場合、にぎやかな上にお客さんも多く、インパクトのあるガチバーン映画祭のポスターやチラシも隅にひっそり。小さめのスナックやバーでは居合わせたお客さん達がチラシやポスターを見ながら映画談義が始まったり。沖縄特有のアメリカンな空気を感じさせるお店では置かせてもらった瞬間から内装の一部のように馴染み。店の入り口にポスターを貼ってくれるラーメン屋さんでは「お客さんが、よく話題にしてますよ」と、うれしい報告をしてくれたり。
チラシを置かせてもらい、ポスターを貼ってもらいに行くだけで客ではないのに、多くの人達が「顔なじみ」として歓迎してくれます。間が悪く忙しい時に邪魔してしまい、本当に申し訳なく思うこともあります。不愉快な思いをさせてしまった方々には、この場を借りてお詫びします。そして忙しい中で応対してくれる皆さんには感謝してもしきれません。
そんな皆さんの応対に接していて思うのです。「みんな、案外、映画の話をしたいんだな」と。誰もが何らかの思い出の作品があり、時間があるならそんな話をしたいよ、という思いが伝わってくるのです。せわしない日常の中で、「映画の人」みたいな存在の僕が、妙なポスターやチラシを持っていくと、話せる時は5分、10分と話し込んでしまったり。これも結局、ゆとりのある時間をもらってしまって申し訳ないなと思いながらも、本当に楽しいものです。
そして、こうしてチラシやポスターを受け取ってくれた皆さんに少しでも恩返しになればと思い、ガチバーン映画祭のフェイスブックのページの「写真」のタブに「街角ガチバーン」というアルバムを作り始めました(これは随時更新していきます)。それぞれの写真にお店の名前や住所を入れるようにしているので、ネットで沖縄観光の予習をしているといった人には少し参考になるかもしれません。
この街角ガチバーンには、もう1つ思いがあります。昔、映画のポスターは街角のどこにでもありました。10分も商店街を歩けば、それがどこの町でも、どこかに映画のポスターがあった。通学路、駅のホーム、タバコ屋さんの店先…。色々な所に立て看板があったり、掲示されていたり。そういう光景は、だいたい昭和のどこかに消え去ってしまいましたが、ネットのアルバムで映画のチラシやポスターが見える風景を眺めていると、そんな昔を少しだけ感じられるかな、と思ったりします。