義理の妹の結婚式で日本に3日間だけ帰国。
久しぶりに日本に帰ると、感動したり違和感を感じたり、日本人としての誇りと第三者目線の冷静さが入り混じる。
それはたぶんすぐに消え去って、日本人としての当たり前になっていくんだろうけど、一時帰国をする時のこの違和感が私は大好き。
日本に住んでいた頃には感じなかった発見がいっぱいあるし、冷静に日本の良さと変なところを感じる自分自身の内側も新鮮に感じる。
空港に着いて、空港スタッフの丁寧さ、イミグレーション職員のキビキビとした動き、トイレのキレイさ、トイレの中のボタンが在りすぎて流すボタンを探すのに数秒かかる自分、蛍光灯の多さ、空港のキレイさ・・・
空港の中だけでも驚きはいっぱいで、迎えに来た義両親の車に乗って家に向かう車中から見る日本の風景にも驚きがいっぱい。
夜道を女性一人で歩いているという不思議、道の狭さ、コンビニの多さ、道路のキレイさ、交通マナーの良さ、歩行者の安心しきった歩き方・・・
ほんの2年前まで、私もこの当たり前の中で生活していたのに、ちょっと海外に出るだけで日本の凄さを感じてしまう。
あぁ、この国は本当に安全で秩序的な国なんだと思う。
どこもかしこも日本人だらけ、聞こえてくるのは日本語だけ、看板も日本語だけ。
安心するけど、時々息苦しく感じてしまう。
ホテルに滞在してもスタッフはみんな日本人。日本語で何でも聞けるしリクエストも出来る。
恐ろしすぎるほど丁寧なホテルスタッフの対応にドキドキしてしまう私たち。
コンビニの店員さんのキビキビとした動作、しっかりとした対応。
お店の商品がとてもキレイに陳列されている不思議。
スマートフォンを見ながら歩いている平和な歩行者。
当たり前だった日常が、驚きの連続。
そして、違和感を感じてしまう自分への苛立ち。
たぶん日本が大好きという外国人は、きっとこの驚きと感動と違和感を感じるんだと思う。
アメリカ人の友人は、来月から1ヶ月日本旅行に出掛ける。
日本に行くのは5回目という彼女。
彼女から見た日本という違和感を聞いてみたいなっ。
今夜は中秋の名月。
中華系が多いマレーシアは、街のいたるところで月餅が売られていて、ビックリするくらいの量を買っていく中国人を見かける。
ハーゲンダッツもスターバックスも月餅を売っていて、年中お祭りやイベントばかりしているマレーシアの中で、この時期は中国人が主役って感じがする。
先日インド人のお友達とこの月餅について話をした。
彼女はインド系のマレー人なので、小さい頃からこの月餅の習慣には慣れっこ。
それでもやっぱり、あの甘い月餅がこの時期何十個も家に集まると家族でどうやって消費するのか悩むんだとか。
日本では月餅を頂く機会ってないけれど、驚くほど甘くて驚くほどずっしりしていて、恐ろしいほどの高カロリーの月餅を1ヶ月間貰い続けると思うと・・・確かにありがたいけどちょっと怖い(笑)
さてさて、この月餅のイベントが終われば、今度はイスラム教徒の犠牲祭、インド人のお祭りディパバリがやってくる。
マレーシアって本当にイベントだらけだっ。
日本のお友達とチャットをしていて、ふとこんなことを言われた。
「マレーシアってイスラム教の国なんでしょ?最近イスラム教の国って危ないってニュースがいっぱい流れてるけど大丈夫なの?」
あー、またか。
そんなことを思ってしまう。
マレーシアに住むようになって、そういうことを言われることが多くなった。
世界で16億人を超えるイスラム教徒がいる。
およそ世界に22%、4,5人に一人はイスラム教徒。
そんな巨大な宗教だけど、多くの人がイスラム教という名前を耳にするのは悲しいニュースの報道だけ。
だから、イスラム教=怖くて危険というイメージが付いているんだと思う。
特に日本では、イスラム教徒の人と出会うことはほとんどないからなおさらだ。
正直に言えば、私もマレーシアにやってくるまでは、イスラム教=怖いというイメージがあった。
けれど、マレーシア人や中東、インドネシアの人たちと出会うようになって、そんなイメージはなくなった。
世界を見渡せば、中東のほとんどの国が親日国。もちろんマレーシアやインドネシアも同じように日本の文化に興味を持ってくれる人は多い。
そんな人たちと触れ合うと、イスラム教=怖いというイメージは全くの偽者だったんだと感じる。
彼らから、米国やその他の国に対する過激な発言を聞くことはないし、彼らの人柄も決して凶暴でもない。
過激派と呼ばれるイスラム教の人々はごくごく一部だし、その他のイスラム教徒だって彼らの行動を悲しんでいるし、恐れていたりもする。
歴史を紐解けば、キリスト教もユダヤ教もイスラム教も宗教の名の下に恐ろしく長い戦いをしてきている。
宗教を持たない日本人にとっては、宗教の名のもとに戦争を起こし戦いが起こるということ自体理解できない。
だからこそ、イスラム教の悲しいニュースを聞くと余計に恐ろしさを感じるし、イスラム教全体が悪いものというイメージを持ってしまう。
イスラム教に対する誤解。
イスラム教に対する理解。
日本人がイスラム教に対する正しい情報を触れる機会がもっともっと増えたらいいなっと思った。
外国人の友達とそれぞれの国の料理自慢ということで、自国の味に近いレストランを紹介し合う食べ歩きをしています。
今回はインド人の友達の番。
マレーシアは多民族国家、そして外国人が多く移り住んでいるため、各国の本場の味が楽しめます。
この仲間は、みんな日本が大好きというのが共通点。
日本人の私よりも日本に詳しい友達もいます。
アメリカ人の友達は毎年日本を訪れていて、今年も秋に日本に行くんだとか。
今回もやっぱり話は日本のこと。
私「みんなどうしてそんなに日本が好きなの?日本の何がそんなに好きなのか、私は不思議なんだけど・・・」
アメリカ人「日本のクレイジーなところが好き。細部にこだわり過ぎる、長時間働き過ぎる、アニメのクオリティが高すぎる、サービスが過剰過ぎる、部屋が狭すぎる・・・。そういう行き過ぎているクレイジーさが日本らしくて大好き。」
インド人「私は、日本の頑ななところが好き。日本語しか話さない、日本の独自の食文化を貫いている、日本という国だけを見て生きている人が多い、自分達の美を貫く・・・。そういう変わらない姿勢が好き。」
フランス人「私も日本のクレイジーさが好きだなっ。街があんなにゴミゴミしていて、人があんなに歩いていて、満員電車に文句も言わずに乗って・・・不思議なクレイジーさがあって、それがクールで尊敬できる。」
っという感じで、大の日本好きの3人が終始盛り上がり、他のみんなは蚊帳の外(笑)
日本では「クールジャパン」として日本の文化を海外に出そうとしているけれど・・・
本当に日本のことをクールだと感じている人たちにとって、日本が打ち出そうとしている「クールジャパン」は実はクールじゃないのかもしれないと思いました。
もしかしたらクールな日本って、世界に誇れる美しい文化ではなくて、ありふれたゴミゴミとした街や人や服装こそクールで、それが日本を象徴するクールな日本なのかもしれないなっっと感じました。
世界で、こうして日本を愛していくれる人たちがいるということがとても嬉しかった昼下がり。
1ヶ月の断食月が明けて、8月はオープンハウス月間。
ホームパーティのような習慣があるマレーシアは、この1ヶ月間に親戚や友人宅をお互い行き来する。
断食月もお祭りムード満載だったけど、断食月が明けた後のこの期間はイスラム教徒にとっては楽しい期間。
友人のマレー人は、平日は1,2件、休日は3,4件ほどのオープンハウスに出掛ける用事があって、食べ過ぎて病気になりそうっと言っていた。
断食中も食べ過ぎているマレー人。
断食が明けてもやっぱり食べ過ぎてしまうというのがなんとも笑えるけれど、彼らはこの大切なイスラム教の習慣をとても大切にしているんだとか。
私はというと、マレーシアに住んで間もない頃は誘われる度にお邪魔させてもらっていたけれど・・・
恐ろしく甘い飲み物、恐ろしく辛いカレー、恐ろしく甘いお菓子がどこのお家でも振舞われる現実を知ってからは、大切な友人のオープンハウスにしかお邪魔しなくなってしまった。
日本人のお正月のような雰囲気があるこの期間。
大切な家族や親しい友人たちとの交流がなによりも楽しいんだとか。
そして日本と同じく、アンパオと呼ばれるお年玉があるのも子供達には楽しみの一つ。
友人にお年玉の相場はいくら?って聞いたら、だいたいRM20くらいかなぁ・・・っとのこと。
日本円で600円程度。
でも現実はなかなか厳しいそうで、友人は姪っ子・甥っ子・孫合わせて50人以上にお年玉を渡さなくてはいけないのでもっと安い金額しか上げられないそうだ。
少子化が進む日本人にとっては、親戚の子供が50人以上ってちょっと驚きだけど、5,6人兄弟が当たり前で、中には13人兄弟という人もいるマレー人にとっては普通のことなんだとか。
まだまだオープンハウスが続くマレーシア。
マレー人の食べすぎはまだまだ続く。
イスラム国家は断食月(ラマダン)真っ最中。
一ヶ月続くこの断食月。
一ヶ月ずっと何も食べないというわけではなく、日の出から日没までの間水を含む飲食をしないというのがこの断食のならわし。
朝日の出前のご飯を食べたら、それ以降は日没後まで飲食を絶つ。
この時期日中はイスラム教徒達がみんなやる気なくボーっとしてることが多い。
そして日没が近づくと、何のお祭りかよっ!って言いたくなるほどみんなが楽しそうに特別なラマダンブッフェに出掛けて街中お祭り騒ぎ。
こんな異様な雰囲気が一ヶ月続くけれど、ここマレーシアは多民族国家のおかげでマレー系・アラブ系のレストラン以外はいつもと変わらずレストランが営業してくれているのでありがたい。
マレー語の先生に断食ってつらくないの?って聞いたら・・・
「この月は、みんなお腹が苦しくてツライのよ。夜に食べ過ぎて、胃腸を悪くしちゃうし、おまけにみんな太るんだから」っという答えが。
貧しい人々の気持ちを断食することで体験して信仰を深めるという目的があるこの断食月。
それなのに、食べ過ぎて体調が悪くなったり太るなんて・・・本来の意味から大きく逸脱してるじゃん!っとツッコミを入れたくなる。
とは言え、マレー人にとってこの断食月はお祭りのようなもので楽しみでもあるんだとか。
毎晩外食出来るし、いつもよりお腹いっぱい豪華な食事が出来るし、モスクに行けば食事は無料だし、楽しみがいっぱいなんだとか。
日没の時間は決められており、その時間にみんなで一斉にご飯を食べられるようにレストランではみんな料理を目の前に一生懸命時間になるまで待っている姿がなんとも愛らしい。
断食と聞いただけでは大変そうだと思ってしまう断食月も、意外にも当事者たちはとても楽しそうだから面白い。
来週には断食月が明けて、イスラム教徒にとってのお正月のようなハリラヤのお祭りが始まるマレーシア。
街はまだまだお祭り騒ぎが続く・・・。
色々なアイデンティティを持つ人と会うことは、自分の持っていたアイデンティティを壊す作業のような気がする。
インド系マレー人、韓国系フランス人、フィリピン系アメリカ人、日本人の私。
こののメンバーで話をすると、人種、国籍、アイデンティティ、教育、宗教、各国の政策、文化、考え方、価値観、人生の捉え方・・・いつも話す内容が多岐に渡っていてとても学びが多い。
たぶんそれは、私以外のみんながルーツと国籍が違っていて、差別や苦労を乗り越えてここにいるからなんだと思う。
単一国家で育った私にとっては自分のルーツと国籍が違って、そして宗教か価値観が違う国で住んでいるというのはとても不思議なこと。
思い返せば、私は小さい頃から日本人だし、日本に住んでいるし、当たり前のように日本語を話し、日本人としてのアイデンティティのみで生きてきた。
フランス人の彼女がとても面白いことを言った。
「フランスを含めてヨーロッパ人はいつでもI(私)を大切にする。でもアジアの中でマレーシアや日本などはWe(私たち)を大切にする。だからビジネスでどう思う?って聞いて、私はこう思うって返ってこない。会社としての意見はわかっても、目の前にいる相手が本当はどう思っているのか見えてこない。だから私はアジアでビジネスするのって怖い。」
話は弾んで、人生についても同じだよねってことで盛り上がった。
フランス人はご存知の通り結婚しない男女が多いし、国もそういう人のための制度を設けている。
フランス人の彼女からみたら、日本人の献身的に尽くすという姿勢やムスリムの女性は男性の所有物的な考え方が理解できないんだとか。
私は私を生きているの。
私は誰かを生きているわけではないし、誰かのために生きているわけじゃない。
自分を生きられない人が誰かのために生きられない。
私を本気で生きていなければ、子供に自分の人生を歩むということを教えられない。
母親、妻、社会人、女性、そういうカテゴリの前にいつも私というものが存在していたいの。
彼女はとても哲学的だ。
海外で暮らすようになって、「私はこう思う」って言う場面が多くなった。
日本にいた頃は「うん。私もそう思う」とか「わかるーー」って言葉を多用していた。
国が変われば、今まで疑問にすら思ったことがなかった「私」という捉え方も変わる。
「私は私を生きている」
何だか今の私にはとてもストンとくる言葉だ。
先週マレーシアを賑わしたニュースがある。
英キャドバリー社の販売するチョコレートから豚のDNAが検出されたという話題。
しかもこのチョコレート、マレーシア政府からハラルマーク認証を受けていた商品だったから大問題に。
マレーシアはイスラム国家のため、男女関係・豚・アルコール・犬にはとてもナーバス。
イスラム法に則った食品であるという「ハラルマーク(写真右側の白黒のマーク)」はとても大きな意味を持ち、スターバックス・マクドナルド・キットカット・コーラ・・・外資系の飲食店や商品もこのハラル認証を受けているところが多い。
マレーシアはイスラム国家でも珍しく、政府機関が認証を付与しているためサウジアラビアに次いで世界で2番目に規格が厳しいとされている。
だらこそイスラム教徒は安心して食品を摂取できるわけで、そのハラルマーク認証を受けているチョコレートから豚のDNAが検出されたというのはイスラム教徒にとっては一大事。
豚を日常的に食べる日本人には信じがたいけれど、彼らは豚肉を食べると心身が汚れると信じている。
だから、そんな汚らわしい動物の肉を食べるなんてどうしても耐えられない。
たぶん私たち日本人が、どうしても犬を食べられないとのちょっと似ているのかもしれない。
そんなわけで、知らずに買って食べていたイスラム教徒にとっては何とも耐え難い嫌悪感が広まっている。
政府の担当部署は、「今回の事象は回避不可能な事象で、たとえ食べてしまっても心身が汚れることはない。だから安心して欲しい」という声明を出した。
今回の事件を受けて、一部の過激なイスラム教徒達は英キャドバリー社に対してジハード(聖戦)を呼びかけているそうで、宗教の威力を感じてしまった。
寛容なマレーシアの人たちは、外国人がお酒を飲むことを許し、肌を露出していても気にしないし、豚肉もレジを分ければ売っていいとしているし、犬を飼うことも認めている。
けれど、やっぱりマレーシアの人々も他のイスラム国家同様に毎日欠かさず5回祈りを捧げ、イスラム法の教えに則った生活を守っている。
彼らは、本当に豚肉を汚れた動物だと思っているし、その汚れたモノを口にすれば心身が汚れると信じている。
多くの人が宗教を持たず、宗教的な食のタブーを体験することなく生活をしている日本人にとってはとても奇異に移ってしまう今回の騒動。
でも考えてみれば、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、キリスト教、それぞれの宗教には多かれ少なかれ食のタブーというものが存在する。
それぞれの価値観を尊重して、それぞれの宗教を理解すること。
頭ではわかっているけれど、こうして実際の騒動になると彼らの心情を理解することは正直難しい。
ピーターラビットの国を旅していました。
海外に住むようになって、いつも不思議な感覚になるのだけれど、「海外旅行」っという言葉。
海外に住んでいるのに海外旅行?、毎日海外旅行じゃない?ってバカなことを考えてしまいます。
季節がある国に行くのは良いですね。
年中南国の国と違って、新緑や花の美しさに感動して・・・これぞ海外!って感じがしてしまいます。
これまた不思議で、ヨーロッパの人はアジアに行くんですよね。
帰りの飛行機の中で、イギリス人の方がこれからマレーシア、シンガポール、タイに行くんだと言っていました。
何するの?って聞いたら、アジアらしい建物とモスクと寺院とアジアンフード食べて、アジアを肌で感じるだ!それから日焼けもしたいんだ!っと答えてくれました。
よくよく考えるととても不思議ですよね。
ある人から見たらヨーロッパが異国情緒溢れる国で、ある人から見たらマレーシアが異国情緒溢れる国で、ある人から見たら日本は異国を感じられる国。
当たり前のことだけど、普段見慣れている風景には異国を感じず、違った風景には異国情緒を感じてワクワクする。
こうして世界中の人が今日もどこかの異国に旅立ち、感動し、興奮して、心に何かを刻んでいる。
旅は心の栄養。
知らない土地、知らない言語、知らない顔、知らない風の匂い。
その全てが刺激になって、私の中を通っていって、心の栄養になっていく。
刺激を恐れず、いつでも旅をしている人生でありたいなっ。
今日はお釈迦様の誕生日。
日本にいた頃はそんなこと全然知らなかった。
マレーシアはイスラム国家でありながら、全ての宗教を尊重するということで釈迦の誕生日も祝日にしている。
コンドミニアムの警備員はほとんどネパールからの出稼ぎなので、ネパール人にとってこの日はとても大切な日。
昨日、私の家の警備員も「明日はお釈迦様の誕生日だね」っと嬉しそうに話していた。
警備員に言われても「へ~そうなんだね」っと軽く受け流してしまった私。
警備員に「日本も盛大にお祝いするの?」っと聞かれてちょっと困ってしまった。
正直に、「実は日本では釈迦の誕生日を祝うという習慣はなくて、私もこの国に来て初めて釈迦の誕生日を知ったんだ・・・」っと言ってみた。
彼は「えぇーーーー!?どうして??日本は仏教の国じゃないの?」っとそれはそれは驚いていた。
熱心な仏教徒であるネパールの人にとっては信じられないらしく、あんなに沢山の仏教寺院がある日本なのに釈迦の誕生日をお祝いしないなんて不思議でならないらしい。
そう言われてみれば、キリストの誕生日は盛大に盛り上がるのに、釈迦の誕生日は祝わないってちょっと不思議だ(笑)
この国にいると、宗教を持たないということが少し恥ずかしいことのような気がしてしまう。
それはこの国の人たちがそれぞれの宗教を大切にし、空気みたいに自然に信仰心を身に着けているからかもしれない。