郵便局。
この場所は“ゴロンタロと日本の架け橋”なのです。
私は真剣そのもので、決して大げさではありません。
インターネットが普及しても、停電になるとただの機械+ケーブル。
回線が遅くてうまく機能しないskype。
大学だけではなく家族や友人との連絡もままなりません。
↑私の自転車と受け取った荷物が(笑)
と言うことで、ここは1つアナログな方法をば。
手紙を書く!
実は手紙を書くのは嫌ではないのですね。
むしろ、好きです。
大学生時代の時は、日本にいたにも関わらず“交換ノート”を2年以上やっていました。
松山・東京間でノートを送り合うのです。
ゴロンタロから時々、手紙を出します。
仕事とプライベート、半々と言ったところですね。
例えば仕事面。
月の初めに先月の報告書を提出しています。
しかし、例えばエクセルなどの“添付”がなかなか出来ないのです。
ネット回線っ!
なので、印刷して大学へ郵送します。
もちろん、回線がいい時にメール添付でも送ります。
私が手紙を出すだけではありません。
当たり前ですが、日本からの荷物をGETすることも出来ます。
日本からの手紙は大学まで届けてくれます。
荷物の場合は大きいし、何と言っても税金を払わないといけないのです。
したがって、私が郵便局に出向きます。
荷物があるという連絡を受けた時の嬉しさ。
これはなかなか表現できません。
なぜかと言うと、荷物の内容は“日本食”だからです。
友達が送ってくれる前に、何が食べたいか、何か欲しいものはあるか、いろいろ質問してくれます。
6月にゴロンタロに帰ってきてからというもの、以前にも増して郵便局に行くようになりました。
そのため、郵便局の方とだいぶ顔見知りになり、会話も弾むようになりました。
この効果か、何と荷物を受け取る際の税金を払わなくていいようになりました。
もちろん嬉しいですが、ビックリです。
正式な理由は分かりません。
例えば昨年、友達から送ってもらった荷物もとい日本食。
税金の金額がどのように決まるかは知りませんが、ゴロンタロ給料の2割ほどを払っていました。
さて、荷物や手紙の旅について少し。
日本からまずはジャカルタへ。
友達が郵便局に行って、遅くても3日目の朝にはジャカルタに着いています。
ここで荷物たちは審査を受けるようです。
変な物入れてないか、危険物などではないか、などなどです。
時には抜き打ちで無作為に選んだ荷物を開けて中を見ることもあるそうな…
このジャカルタ滞在が長いのです。
1週間程度の滞在です。
そののち、ゴロンタロの場合はマナドへ。
ここでもまたチェックがあるそうな。
そして、荷物の場合は税金の金額を決める。
だから、ゴロンタロの郵便局の方は知らなかったのですね。
そして、決め方は“適当”のようです。
日本からなら高くしてやろう、みたいな“ノリ”と言われました。
結構…と言うか想像してましたけど、やっぱりそうだったのですね(笑)
ここも少し長く(長くても5日)滞在します。
そして、いよいよゴロンタロへ。
ゴロンタロに着いたら、すぐに連絡があるのでこれは非常に嬉しいですね。
書いていて気づいたのですが、仲良くなったから税金免除ではないのか…?
いや、ゴロンタロの郵便局の方が掛け合ってくれたのか…?
うぅ~ん…
でも、仲良くなるに越したことはないと思うので、よしとします(笑)
現在の生徒に足りないもの。
以前のコラムで書いたように、基礎学力が足りないことが分かりました。
純粋な勉強面でも不足していますが、技術的な面も補っていこうということになりました。
もう1人の地質学講師の方と協議した結果、私は技術面を担当することになりました。
技術って何…?と思われた方もいると思いますが、つまりは“実習・実験”です。
今期の授業から、外に出る事や実習を以前よりも増やしていましたが…
正直、正規の授業時間だけでは時間が足りない。
と言うことで、金曜日の午前中に特別授業を開講することにしました。
全学年を対象とし、約束事は開始時間を守ることのみ。
内容などは私に一任されましたが、すでに私の中では決定していました。
・偏光顕微鏡を使えるようになること
・偏光顕微鏡を使って観察する岩石薄片を作れるようになること
まずは、岩石薄片の作製から開始します。
自分で作った薄片を顕微鏡で観察出来たら…
なんと素敵なことでしょう!
日本だったら機械を使ってすぐに作れるのですが…
ここでは、鉄板を使って作ります。
最初はどんなにデコボコした岩石でも、続けていくうちに平らに。
まぁ、これが根気のいる作業なのですが(笑)
飽きずに続けてくれ~
最終目標は0.03mm!
先日の出張で判明したのですが、インドネシアの大学に併設されている地質学科の学生は自身で薄片を作製できないようなのです。
そもそも、その大学の先生が作れない。
したがって、薄片作製のための道具も一切ないのです。
ゴロンタロ大学以外の地質学科の生徒が授業や研究で薄片観察をしたい時は、生徒自身が薄片作製会社に発注・支払をするとか。
しかも、1枚Rp. 40,000となかなかいいお値段。
他の大学の状況を生徒に伝えていたので、特別授業の内容が“薄片作製と顕微鏡を用いての観察”だと伝えると、生徒たちは大喜び。
よかったです。
さて、今週で3回目です。
回を重ねるごとに、参加人数が増えています。
呑み込みが早い学生は、今週2枚目の薄片作製に突入。
どの岩石でもいいと言うわけではなく、事前に私が選んで採取したものを使います。
顕微鏡で観察した時に、どの鉱物がどれか分かりやすい、キラキラ感があるもの、を重視。
※【カラーで見る・記載岩石学入門】より
岩石とスライドを張り合わせることが難しく、失敗してしまった学生もいました。
でも、大丈夫。
練習を重ねれば自分にしか分からないコツを掴めるはず!
この段階になるまで、毎週コツコツと続けていきたいと思います。
完全な雨季に入りました。
と言っても、ここ数年ははっきりとした乾季と雨季の区別がないようです。
しかし、前回のコラムに書いたように、毎日の早朝・夕方の雨がひどすぎます。
雨になるとどうなるか。
① ネット回線が悪すぎる
② 停電する
③ 道路が水没する
④ 断水する
いろいろありますが、④は稀です。
先月のある日の出来事です。
この日は昼過ぎからの大雨でした。
まだ私は事務所で作業をしていました。
バリバリドヒャーーーーーーー
※私の勝手な感覚です(笑)
この直後、停電になったので“雷が落ちたな”と思っていました。
しかし、ことはもと重大でした。
同じ階の隣(生物学科)の事務所から悲鳴が…
なんと、屋根にたまった雨水が重さに耐えられず隙間から一気に落ちてきたようなのです。
いやいやっ!
この校舎、本当にまだ新しいのです。
7月に完成したばかり。
しかも、3階建てで私たちの事務所は2階。
事務所は完全水没。
パソコン・プリンターなどの機械類も全滅。
言うまでもなく、生物学科事務所の上の部屋も同様に水没&全滅。
復旧作業のために強制帰宅でした。
私の事務所じゃなくて本当によかった…
正直な感想です。
雨になると校舎だけでなく、大抵の建物は雨漏りします。
新しくても古くても関係ないのですね。
さて、私が住んでいる家。
私は2階にある1部屋を借りてホームステイのような感じで滞在しています。
今日も夕方から恒例の土砂降り。
あー始まった、と思って15分後の頃です。
スリッパが湿ってきているではありませんか!
最初はよく分かりませんでした。
パッと部屋のドアの下を見ると水がっ!
あんな大量に入ってきていたのに、気づかない私も抜けていました。
タンスからあるだけのバスタオルを取り出し、水の侵攻を阻止します。
そして、ひとまず原因解明へ。
部屋の外に出ると、ベランダから大量の雨が直接家の中に!
いつかは、こんな日が来ると思って早1年以上。
現在、床掃除に疲れ果て、休憩中です。
幸い濡れたものは、床とスリッパとバスタオル。
昨晩たまたま部屋の整理をしていたのですね~
今日は部屋の床掃除が出来たということで、よしとしたいと思います。
やっと晴れました。
ですので、先日、2回生の学生とちょっとしたフィールドに行ってきました。
本当はもっと早く行く予定だったのですが、予定している日になるといつも雨で中止に。
雨より大雨の方が正しいかもしれません。
水曜日の朝7時から開始のこの授業。
今はすでに雨季に入っているので、早朝・夕方は雨が降るのです。
少しの雨ならまだ考えますが、スコールでは決行するわけにはいきません。
先週の水曜日、絶好のフィールド日和。
初めてハンマーを持って外に出れる嬉しさからか、生徒たちは6時30分には集合していました。
そのガッツでいつも来てよ…
2回生は6人だけなので、移動も楽チンです。
フィールド場所は大学から車で10分程度の近場。
移動中にフィールドにおける注意事項の確認をします。
到着するなり、皆ゴソゴソと何か取り出します。
何と、フィールドのためにお揃いの洋服を作っていたのです。
そののちさっそく石を叩きたい生徒を静止して説明を始めます。
ハンマーの使い方やサンプルの取り方・保管方法。
写真の撮り方やスケッチの仕方。
あまりにもボーと聞いているのでレポート提出するように、と釘を刺します。
途端、メモを取る始末…
まぁ、いいけどさ。
気持ちが分かるからです。
私が初めてハンマー片手に外に出たのは2回生の時でした。
ちょうど、同じ時期なのです。
ちょっとした課題も与えつつ、サンプルも採取します。
生徒たちは些細な事にも敏感に反応します。
“同じ岩石を叩いているのに場所によって音が違う”
“取れやすい部分と取れにくい部分がある”
“これはどうやってできたのだろう”
“この方法が叩きやすい”
嬉しい反応です。
全部レポートにまとめてね、次のフィールドまで覚えていてね、という気持ちで答えます。
以前も書きましたが、今学期の私自身の目標は“外に出て生徒にダイレクトに身に付く授業”です。
天候上、お預け期間は長かったですが、あの生徒たちのキラキラした目。
この科目の今後の予定は、採取した試料を用いて実習を開始します。
このキラキラした目や新しいことに興味を持ち続けてもらえるような授業にして行こう、と再度決意したのでした。
出張時の裏話もとい、少し嬉しかったことを書きたいと思います。
出張前半はジョグジャカルタへ。
土曜日の夜に着いて、さっそく先生と打ち合わせ。
出発前のメールでは日曜日に月曜日の会議の打ち合わせをしましょう、と決まっていたのですが…
“やっぱり明日は日曜日だから打ち合わせ、やめようぜ”
この一言で私に休日が誕生したのです。
正直、仕事だったので観光する気はこれっぽっちもなく、街についての情報を何も持っていませんでした。
大学の事は調べ上げていたので、朝からキャンパスをグルグル。
と言うのも、大学が経営している大学敷地内のホテルに宿泊していたのです。
しかし、建物の中にも入れず、敷地も広大ですぐに諦めてしまいました。
ホストファミリーのママさんが“マリオボーロに言ってバティックを買いなさいね”と言っていたのを思い出しました。
せっかくだからモールにも行きたいな、何か近くに遺跡とかあったらな、などと欲なども出てきて(笑)
結局、レンタカー(運転手付)を呼んでもらい観光へ。
質を求めてバティックを買うなら別の場所がいい、とドライバーのアドバイスもあり、マリオボーロは車の中から見物するだけでした。
連れて行っていただいたバティックのお店は住宅街の中で経営している大変素敵なお店でした。
次回の帰国時のお土産に備えて(気が早い!)友達にはバティックの巻スカートを、母にはトップスを買いました。
もちろん私自身にも巻スカートを!
市内をグルグルしている時に日本食レストランを発見。
間違いなく日本食に飢えていた私はこのレストランでお昼ごはんを食べたいと熱望。
実はこの出張にゴロンタロ大学から私の助手を連れてきていたのですが、彼に抑えきれない日本食への熱い気持ちを語り許可をもらいました。
いやいや、そもそも私がボスですけど!
彼もお寿司食べてみたいと言っていたので、お互い結果よし。
メニューを見ると“総合日本食レストラン”と言った感じでしょうか。
お寿司、そば・うどん・ラーメンなどの麺類、カレー、たこ焼きなど私の心が躍る食べ物ばかり。
味に期待はせず、おいなりさん・味噌ラーメン・たこ焼きを注文。
すごい組み合わせですが、日本食を口にできた興奮のせいか非常に美味しかったです(笑)
何を買いたいわけでなく、モールにも足を運びました。
スターバックスがあるじゃない!
ダラッとコーヒーなんて飲んでみたりして。
道も常に渋滞だし、オシャレなカフェなどなんでもある大都市とゴロンタロを自然と比較していました。
ホテルの朝食では、サラダを食べることができました。
ゴロンタロで“サラダ”とは、フルーツとナタデココにマヨネーズとチーズをたっぷりかけたもの、を意味します。
ですが、ホテルのサラダ=生野菜だったのです。
レタス、パプリカ、玉ねぎにアスパラガスなど生野菜を食べることができる嬉しさに、毎朝お皿いっぱいに食べました。
ボゴールでは常に雨でした。
と言うのも、ジョグジャカルタが学生都市なら、ボゴールは雨の都市なのだそう。
夕方の4時キッカリに始まる豪雨。
雷もひどく、大変驚きました。
したがって、ボゴール滞在中はあまり外に出ずキャンパスとホテルの往復。
あまりにも時間があったので、どれくらいの豪雨か体験しようと外へ。
雨が一番ひどい時間に外でボーとしてみました。
ものの3分で下着までびしょ濡れ。
分かってはいたのですが、好奇心には勝てなかったのです。
ホテルの外でひとりはしゃいでいる私を見ていたホテルの従業員の顔は忘れません(笑)
日本に雨はないのかと質問され(そりゃ、聞きたくなるよね)、少し恥ずかしくなった私は“日本にはあるけどゴロンタロでは雨は降りません”と言い訳にもなっていない意味不明な返答を残しそそくさと部屋へ。
濡れることだけを楽しみにはしゃいだのではありません。
ホテルのシャワーはお湯が出たのです。
したがって、濡れた身体をシャワーで温めることまでが目的だったのです。
使えるお湯の量に制限があったようで、徐々に冷たくなってしまいました。
うぅ~ん…盲点でした。
しかし、お湯が使えたのでOKです。
両都市とも非常に大きく、日本にいるような感覚で生活することが出来ました。
ゴロンタロってどこにあるの?未だに停電や断水あるって本当?などインドネシア人から質問されてしまいびっくりです。
そんな田舎じゃなくてこっちで仕事しなよ、と誘って下さる先生方も多くいらっしゃいました。
自身もこんな都会に住めたらいいのになぁ、と強く思ったことも事実です。
しかし、なぜでしょう。
ゴロンタロ空港に到着した時の安心感と帰ってきた感。
夜だったら、どこが空港で周囲に家があるのかも分からず、飛行機からも歩いて降りる田舎ぶり。
日本食や生野菜はないし、おしゃれなカフェも1件だけ。
平日であっても時間の流れがゆっくりだし、お湯のシャワーどころか断水だってまだまだある。
だけど、本当にホッとしたのです。
愛媛大学の宣伝と大学の見学を目的に、2つの大学を訪問しました。
ジョグジャカルタにあるガジャマダ大学とボゴールにあるボゴール農科大学。
両大学と愛媛大学は2008年に全学協定を結んでいますが、現在は農学部だけが活発な交流をしています。
他の学部間でも交流を始めるべく、愛媛大学のプロモーションを行いました。
初めての他の場所への出張とあって、実は大変緊張していました。
ゴロンタロ大学も出張扱いなのですが(笑)
頭の中でシミュレーションを繰り返し、英語の発音の練習したりなど、落ち着きません。
発表内容だけでなく、服装はどうするかなど些細なことも気になり始めます。
≪ガジャマダ大学≫
ジョグジャカルタはインドネシア最大の学生都市です。
国立・私立を合わせ100以上のキャンパスがあると言われています。
ガジャマダ大学は国立大学で、全生徒数は55000人と愛媛大学の4倍以上です。
理学部長・工学部長・農学部長をはじめ様々な先生方と今後の交流について会議を行います。
会議が始まる前に学部長とお会いしましたが、びっくりです。
日本語がペラペラ!
会議の前に各学部長さんとお会いしましたが、なっなんとほとんどの方が日本語っ!
ちょっと拍子抜けです(笑)
会議では英語をほとんど使わず、インドネシア語と日本語で進められました。
40%の教員の方が日本で修士または博士を取得しているということでした。
教室や実験室の見学もさせていただきます。
教室はすべて冷房完備で非常に羨ましい!
≪ボゴール農科大学≫
ガジャマダ大学同様、ボゴールでも日本語とインドネシア語で会話です。
ここでは60%の先生が日本語を話せるということでした。
多い!
ここでもほとんどの会話が日本語で進められました。
こちらの大学でも大学内の見学を行いました。
農科大学と言うだけあり、緑であふれていました。
現学長は愛媛大学で博士を取得されたということで、お会いしていただきました。
両大学ともに、キャンパスの規模が大きく勉強する環境が十分に整えられていました。
英語はもちろんのこと日本語での会話も可能で、コミュニケーションが取り易いと感じました。
また、食費はゴロンタロより安く大きなモールなどもあり生活に困ることはありません。
来年から新たな交流が始まるように、これから話を詰めていきたいと思います。
先々週に引き続き、バンドン工科大学から地質学の先生がゴロンタロにお越しです。
今期は合計6名の先生に授業をしていただく予定です。
先々週は忙しく、授業になかなか参加できませんでしたが、今回は最初から最後まで参加しています。
始めてゴロンタロ大学以外の先生の講義を聞きましたが・・・
何と、ハイクオリティーな!
各授業とも、バンドン工科大学で使用しているレジュメということでした。
“教科書”からスキャンしたと思われる図。
レジュメの完成度の高さ。
色やアニメーションなどこんなにまで効果的な使用方法があったとは。
授業の内容ではなく、授業方法がとても勉強になりました。
私が今まで見たスライドはどれも文章の羅列。
そのレジュメが永遠と続く・・・
聞く方も話す方も大変だな、といつも思っていたのです。
さて、なぜ教科書という単語を確固にしたか。
ゴロンタロ大学には教科書かありません。
私が日本から持ってきた教科書だけでは、全科目に対応できませんでした。
地質学科だけの問題ではないのですが、各科目の基礎となる教科書が全くと言っていいほどないのです。
ですので、先生方は“wikipedia”から引用して教えているのが現状なのです。
おっと!
wikipediaだと?!
したがって、図などもほとんど教科書引用ではなくyahooやgoogleに落ちいてるものを使っています。
もちろん教科書もありますが、1970・80年代のものばかり。
科学は日々進歩していますから、もうこれらの教科書の内容(文章だけでなく図を含め)は古いのです。
したがって、まだwikipediaの方がましだと・・・
教科書と言うとあまり高くないイメージですか、これは日本だからではないかと思うのです。
完璧なほどに翻訳され、どんな専門書でも日本語の教科書が入手しやすい。
洋書のものも、翻訳されている場合があります。
図書館も整備され、各大学には新しい図書を購入するための予算が組んである。
しかし、インドネシアの事情はまだまだそこまでには至っていないのです。
1冊の洋書の教科書はお給料一か月分。
学科や学部に申請してもなかなか買ってもらえない。
違法と分かっていて、教科書をダウンロードして用いている先生もいます。
※教科書が無料ですが違法ダウンロード出来るサイトがあるのも初めて知りました。
もちろん違法ですので、ご注意下さい。
非常にこの現状を改善したいのですが、wikiがいいのか古い教科書がいいのか、違法ダウンロードでも最新の教材がいいのか…
とりあえず、wikiは使わないようにお願いしたいです。
今回の講義は様々な科目がありますが、すべて基礎から教えてもらっています。
先々週の集中講義の際の反省会で“基礎がなっていない”という項目があったからです。
特に上回生。
理由は簡単です。
基礎科目を習っていないのです。
これまたびっくりてすが、以前お伝えしたように講師不足により他の学科の講師が地学基礎を教えました。
したがって、内容は本当に基礎中の基礎。
しかも、中には開講しなかった科目もあるようで(しかし、単位は認定している)そのまま進学。
私も授業をしている中で、“あれ?習ってるはずなのに・・・”と思う事があったのはこのためでした。
そもそも“地学基礎”という科目がないのも問題です。
カリキュラムの中に基礎がなく、1回生前期ですぐに専門科目の開始。
これでは、基礎もクソもありません。
来年の新入生入学前までを目標に、カリキュラムの変更を予定しています。
ですので、今回の集中講義は上回生・下回生ともに基礎から始める。
この方針で決定したのです。
もちろん、集中講義の時間だけでは対応できないので、私たちも定期的に授業以外の時間で基礎地学を教えることになっています。
前回に引き続き今回の集中講義も考えさせられることばかり。
改めてゴロンタロ大学地質学科の問題点も浮き彫りになりました。
やることは山積みです。
しかし、これが“学科を1から作り上げていくことなんだ”と改めて感じています。
ここ数か月、円高が進んでいます。
ルピア(Rp.)はインドネシアの通貨です。
私がこちらに来た時はRp.100=0.96円ほどだったのに、最近ではRp.100=0.83円です。
通貨は小さいお金から…
100、200、500、1,000、2,000、5,000、10,000、20,000、50,000、100,000があります。
100~1,000は硬貨、1,000から100,000は紙幣です。
つまり、1,000は硬貨も紙幣もあるのです。
前回のコラムで、ゴロンタロのお給料について触れました。
そうなんです。
ゴロンタロの多くの職場では月に一回、お給料がもらえません。
私もそうです。
大学という大きな機関に所属していますが、お給料はたいてい2ヶ月から3ヶ月遅れて支払われます。
2週間前にお給料をいただきましたが、前学期の授業料だという事でした。
前学期って…!
期末テストは6月に終わっていますから、3ヶ月以上遅れての支払いです。
お給料は、ゴロンタロだけか分かりませんが、現金支給です。
袋に入れられることもなく“はいっ”と現ナマで渡されます。
お札の枚数がすごいので、せめて袋だけは欲しいと毎回思うのです…
正直、私は日本からもお給料をもらっているので、生活は出来ます。
しかし、現地の方はどのように生活しているのでしょうか?
普通の大学講師の1か月のお給料はRp.2,000,000~Rp.2,500,000です。
この金額はゴロンタロでの平均収入とほぼ等しいです。
ここで、ゴロンタロの物価をご紹介。
お米20kg= Rp.200,000
屋台でのナシゴレン= Rp.8,000~Rp.10,000
コカ・コーラ(缶)= Rp.3,500~Rp.4,000
タバコ(一般的な銘柄)= Rp.10,000
T-シャツ= Rp.40,000~50,000
ティッシュ(1箱200シート)= Rp.20,000
ティッシュやトイレットペーパーなどは日本より高いです。
1年前に、ゴロンタロに大きなモールが出来たことは以前のコラムで書きました。
その中に入っている、レストランに注目してみます。
1人・ご飯と飲み物でRp.40,000ほどです。
家族5人で来た場合はRp.40,000×5人= Rp.200,000。
これは1か月のお給料をRp.2,000,000だとすると10%の出費になるわけです。
オシャレなカフェでドーナツとコーヒーを注文とても、Rp.35,000と決して安くはありません。
次に携帯電話。
学生・先生方含め、2台持ちが一般的なようです。
しかも、2台とも安い携帯電話ではありません。
カメラの機能がいい・タッチパネル・最新のデザインなどこだわりがあるようです。
平均すると、1台Rp.3,000,000~Rp.5,000,000です。
これはすでに、給料オーバー。
月々Rp.150,000ずつなどの分割で支払います。
2台だと月々Rp.300,000 (1か月のお給料15%)です。
移動用のバイク。
1台Rp.9,000,000です。
最近だと車を購入する方が増えています。
1台Rp.200,000,000。
これまた分割払い。
車の購入だと、日本でも分割ですかね…
何が言いたいかと言うと、物の値段とお給料が合っていないと思うのです。
外(海外やインドネシア内の主要都市)から入ってくるものとゴロンタロの給与事情。
発展していく過程の国では、どこでも問題になるのかもしれません。
実は、インドネシアの公務員(大学講師含む)は副業が許されています。
というより、月々の給料では生活できない(月に一回支給できない)ので、副業を推進しています。
副業をもつための大学講師向け講習会も半年に1回あるほどです。
しかし、どんな理由にしてもお給料の支払いが遅れる原因にはなりません。
同僚の先生方に失礼承知で聞いたことがあります。
“どのように生活しているのですか”
答えは決まって“借りる”というものでした。
これもこれで、利子などが発生して大変だと。
さらに突っ込んだ質問をします。
“貯金はしていますか?”
この答えも決まって“いいえ”です。
お給料が遅れる事を承知していても、貯金をしないのです。
お給料をもらって月々の返済にあてた残りのお金は、ある分だけその時に使います。
パーティー・友達とのカラオケや食事・家族との旅行などです。
私はと言えば、寝る前に家計簿をつけることを日課にしています。
初めてゴロンタロに来た時、1か月どのくらいのお金が生活に必要なのかが全く分からなかったからです。
これが原因で習慣化してしまったのですが…
もちろん、一番小さなRp.100単位で収支を把握します。
ここで、私のちょっとした疑問を。
買い物する時に、代金をキッチリ支払えないのです。
例えば“シャンプー= Rp.21,150”
ルピアの最小通貨単位はRp.100なので、この“Rp.50”は通貨がありません。
したがって支払いは“Rp.21,200”になるわけです。
オシャレなレストランやカフェではお釣りの小銭がありません。
合計金額が“Rp.31,200”だった場合。
Rp.32,000を支払ったとしたら、お釣りのRp.800は飴玉になって返ってきます。
日本では考えられない事です。
最小通貨と値段が合わない、お釣りが現金じゃない。
1円でも安い食料品などを求めて、スーパーをはしごする方がゴロンタロに来たらビックリすることでしょう。
インドネシアの方は全く気にしないと言っていました。
しかーし、私は飴玉お釣りが本当に嫌なので、小銭を持ち歩きキッチリお支払。
よく行くスーパーやカフェの店員さんは、私が小銭を出すのを待ってくれるようになりました(笑)
ゴロンタロ大学に地質学科が誕生して早4年。
つまり最上級生である4回生の生徒が第一期生です。
しかし現在、ゴロンタロ大学には私を含め2人の地質学講師しかいません。
2人で全学年の全科目を教えるのは、正直無理があります。
専門的な問題もですが、授業時間が被ったりなどの事務的な問題もあります。
地理学科の講師が教えることが出来る授業科目については、お願いしている状態です。
さて、今年に入りこの状況を変えるべく1つのMOU : Memorandum of Understanding が結ばれました。
協定内容はバンドン工科大学・地学科講師による学術的協力・援助についてです。
インドネシアの地学科はバンドン工科大学がトップです。
というのも、バンドン工科大学はインドネシアでも最も優れた大学の1つだからです。
昨日の夕方、バンドンから2人の先生がゴロンタロにお見えになりました。
早速この協定を実行していただき、本当にありがたいです。
授業に必要なものがゴロンタロ大学には十分に揃っておらず、教科書を持参していただいたり、数少ない道具を駆使して教えていただいたりなど、大変協力的です。
おまけに英語も話せるので、コミュニケーションも取り易く(これは私の問題、ごめんなさい)、ずっとゴロンタロにいてくれないかな、と願っているところです。
まぁ、もちろん無理なのですが(笑)
さて、なぜゴロンタロ大学に地質学講師が2人しかいないのか。
もちろん、新しい学科だからという理由はあります。
常に講師を募集していますが、そもそもゴロンタロ大学に地質学科があることが地質業界の中でもあまり知られていないのです。
地質学科を卒業生した多くの生徒が講師や研究職の道を選ばない、ということも理由の1つです。
なぜかと言うと、学生が地質学科に入学する目的は“鉱山や石油会社に入社するため”なのです。
この手の会社に就職出来たら、高給取り間違いなし!なのです。
もちろん、少しでもいい大学(大学名)を卒業するに越したことはないので、学力・経済的余裕がある生徒はゴロンタロ大学を選びません。
講師の学力の問題もあります。
現在、ゴロンタロ大学に在籍している講師は私たち2人を含め6人いる“らしい”のです。
“らしい”という言葉を用いたのには、理由があります。
ズバリ、私はその方達にお会いしたことがないのです。
現在、その講師の方々は他の大学に修士課程を取得に行っています。
講師が博士・修士取得のために籍だけ置いているこの状況は、インドネシア(大学・学部・学科問わない)では決して珍しくありません。
ゴロンタロ大学の場合の問題は、その講師の方が時期を考えず4人の取得時期が被ってしまっているのです。
そしてたいていの場合、通常の期間内(博士だと3年間・修士だと2年間)で卒業することが出来ず、延長延長またまた延長で長引いてしまっているのです。
私の他に1人講師がいるとお伝えしましたが、この先生は去年修士課程を修了して戻ってこられました。
もし、この先生が戻ってこられなかったら…
これを考えるのは、暑い中であっても汗が引いてしまうほど恐ろしいので…止めます(笑)
給料面の問題もあります。
これは地質学科だけでなく、ゴロンタロ州全体の問題です。
給料がひと月に1回もらえないのです。
お金がないそうで、お金が出来たときに『これ4月と5月分』と言った具合に支払われます。
そしてゴロンタロ州全体の給料は、どの種を比較しても他の州のそれより低いという現実があります。
なので、労働力が他の州に流れます。
お給料・お金についての現実は次回詳細をお伝えします。
以上のような理由で、なかなかゴロンタロ大学に地質学講師が集まりません。
今の4回生に進学したい学生もいるようですが、金銭的事情で卒業後すぐの入学を断念せざる負えない状況です。
奨学金を探すなど、他の道を考えるも生徒自身の学力が足りず(笑)
卒業後はまず働いて貯金すると言っています。
問題はいろいろあり複雑ではありますが、少しでもいい学科に成長できるように私はいるのだと思います。
この機会にバンドン工科大学の先生と交流を持ち・深め、自身に不足している授業の内容に対するアドバイスをいただこうと考えています。
インドネシアでは“形式”が非常に大切です。
≪何をするにも文章化する≫
≪年齢や立場を尊重する≫
一見すると非常にいいことのように見えます。
しかーし、不便なことが非常に多いです。
研究・授業内容であっても言いたいことを言えない。
内容のない書類・レポートは厚みだけありもはや重石です。
相談事も私からダイレクトに上に言うことはタブーです。
私→私の直属のボス→直属のボスのボス→ボスのボスのボス→ボスのボ…(以下省略)
今、ボスの顔を想像しながら“ボス”と言う単語を書いていましたが、ボスの数が多いことも問題ですね(笑)
この過程で内容が正確に伝わらなくなっている場合が多く、いっちゃん上のボスから返事をもらった時には、何に対する返事か分からないことがほとんど。
そしてまた1から説明して、またボスに言って、ボスがボスに…
時間の無駄です。
これは私に限ったわけではなく、平講師なら皆同じです。
ですので、少しでも上のポジションに行きたい、と願っているわけです。
さて、最近“学科長”の席が2つ空きました。
博士号取得のために日本へ出発したのです。
しかし、この情報を誰にも“正式”に伝えていなかったのです。
“正式”とはもちろん“文章(書類)”を意味します。
先生方は、噂で聞いていたので行くことは知っていました。
しかし、“いつから”“どのくらいの期間”行くのかを知らせていませんでした。
彼らのボスにも“正式”には伝えておらず、大問題。
学科長からサインがもらえない、会議に出席出来ない、などなど業務に支障が出始めます。
すでに時遅し。
2人はすでに日本に到着していましたから…
彼らのボスを含め周囲の先生方はまだインドネシア国内にいると思っていたのです。
さて、ここからがドロドロした人間関係を見ることになったのです。
理学部全体の教員参加の会議が開かれます。
朝から夜遅くまで続きます。
そもそも手順を無視しているので、皆さん怒りに満ちています。
業務も滞っているし、新学期も始まっている。
さらには、すでに日本入りしている。
前々から彼らに対して持っていた愚痴や、2人がご夫婦だということもあり、ありもしないゴシップまで…。
もう誰にも止められません。
司会者である理学部長も感情に流されていて、うまく会議を収拾できません。
結論の出ないまま次の日に持越し。
もちろん、授業もキャンセルです。
こんな状況になると分かっていたので、出発前に何回彼らに情報提供するように伝えたか…
もっと強く言っていれば、この状況を回避できたのでは!と私も彼らの共犯者な気がしてなかなか発言出来ません。
誰が悪いなどと言い出したらキリがないですが、まずは彼らが情報を伝えなければいけなかったのは事実です。
そして周囲の先生も、与えられるのを待つのではなく自ら情報を確認する。
次の日の会議も結論が出ず終了。
次の日に持越し…となったので、よくないと分かってはいましたが、理学部長と私で直接話をする場所を設けてもらいました。
私が持っている彼らに関するすべての情報を提供。
感情論やゴシップなどで複雑になっていた部分が解消されたようで、理学部長はスッキリされていました。
これはこれでよし…とします。
理学部長が決定を出しました。
学科長を決める選挙を行う事、決まるまでは各学科次席のサインを用いる事、などなと。
これはゴロンタロ大学だけの問題ではなく、愛媛大学とのコミュニケーションにも響いてくることです。
もっとスムーズに事が運ぶようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。
今回の場合だと、授業にも影響が出ています。
大学は学生のためにあるんだーーーーーーーー!
そのためにも、情報共有はしっかりと行いたいものです。