明日はいよいよJunkstageの6周年記念パーティですね! 読者の皆さま、そしてライターの皆様にお会いできること、心より楽しみにしています。確か私、記念冊子にも寄稿していたかと。パーティ詳細はこちらです:http://www.junkstage.com/fromstaff/?p=524
さて。今日のテーマは「じぶんらしく生きること」。必ずしもそれがよいというわけではない、というお話です。
よく巷の書店では「じぶんらしく生きる」的なセラピー本を見かけます。わたしもセラピー本は好きなので、幅広く目を通すのです。しかし私には、あまり役に立たないんですよね。というのもたぶん、私は根っから「じぶんに素直に」「じぶんらしく」生きているからではないでしょうか。そして、そんな生き方をしていることに気づかされるのは、特に日本に帰国したときです。周囲から明らかに浮いているように感じるときがそれです。
アーティストという人種は、私の定義をここに述べるとすれば、じぶんの自由な発想や思想をいろんな手段で表現する人です。つきつめれば、「生きるとは何か」ということに対して、オリジナルな美的価値観を持って表現する人です。オリジナリティ高ければ高いほどよく、つまり他人がやってることを真似しないことが最低条件ですね。表現手段はなんでもよく、極端にいえば起業することであったり、店を持つ事であってもいいのでしょうけど、五感的なメタファーを伴う方がダイレクトに伝わりやすいので、美術とか音楽とか舞踊とかの形式が存在しているのだと思います。
アーティストがそうあるように、ほんとうにじぶんに素直に生きたら、苦しいですよ。辛いですよ。他人と違うことをやる人への風当たりは、激しいからです。その負の部分を、セラピー本系は完全に端折っているように思えます。むしろ、アーティストになりたくてそうなったアーティストって、少数派ではないでしょうか。みんな、正直に、素直に生きて来た結果、それしかできなかったのです。
私もそんなひとりです。いろんな目的意識のアーティストがいると思いますが、私はひじょうにピュアでストイック。作品制作においてもなかなか頑固で、展示の機会があってもなかなかyesとは言わず、まず条件交渉をします。そこにはフィーなどの金銭的な交渉も含まれますが、まずはコンテキスト。私の意図やコンセプトを相手が理解してくれ、作品へのよいバイブレーションを生めそうな空間や展示であると判断したときにしかyesを出しません。コンテキストが合えば、その規模が大きくたって小さくたって、ノー・フィーでyesを出すことさえあります。逆にコンテキストが合わなければ、いくら札束を積まれてもyesを出しません。(実際に積まれたことはありませんが・・・笑)
そのため、あまりグループ展などに出しません。ロッテルダムのアートシーンでも若い頃は、「あいつは頑だ」と思われた節もあるかもしれません・・・。最近はわりと、経験と実績が伴ってきたことで、上手にじぶんを通せるようになりましたが。コミュニケーションのスキルも上がったのでしょうね。
仕事においてもこうであるから、プライベートでもなかなか頑固ですよ〜。じぶんはただ「じぶんに素直に」「じぶんらしく」生きているだけなのですけどね。
たとえば、長年患っている土地性のアレルギーのため1年半前、オランダに子どもを置いて日本に帰って来てしまった件。一般的にいえばほんとうに「ひどいお母さん」で、風当たりも強く、長年助け合う関係にあった人たちさえ離れていきました。
じぶんに素直に動くと、こうして敵も作ります。周囲に亀裂を生むからです。辛かったり苦しかったりですが、そこは強くあらねばなりません。しかしそれを辛抱すれば、じぶんを認めてくれる新しい人間関係にも恵まれます。違う見方をすれば、ある種の「人間関係のデトックス」なのかな・・・?
オランダを離れた当時は、風邪引き始めのようなダルい状態が年の半分を占め、鼻炎が原因で嗅覚障害が発生し、仕事にも支障をきたしていました。ときに判断力が鈍ったりもしましたが、「こんなふうに日々鬱々と暮らしているのは、私らしくない!」というじぶんの根源的な部分からのメッセージにより、決意し、実行したのでした。
あのままオランダに残り続けていたら、嗅覚を失っていたと思います。今もまだ鼻炎は残っていますが仕事に支障はなく、喘息もかなり良くなりました。気持ち的な回復には時間がかかりましたが、じぶんに素直に動いてよかったと思っています。結果もついてきたし。
「じぶんらしく」「素直に」「正直に」生きるのに、向いている人と向いていない人がいると思います。そもそも、そんな人ばかりの社会だったら、収集がつかなくなると思いませんか? 「じぶんらしく生きていない」と思う人の人生だって、かけがえのないものだ・・・と思う今日この頃です。
(写真は、先日東京でおこなわれた味覚と嗅覚のワークショップ。スープを蒸留し、「スープの香水」を作りました。詳細はこんど私のブログ「魔女の実験室」に書きますね〜)
最近、ビョークと仕事をしました。そう、あのビョークです!アイスランド出身のアーティストの。みなさんにとってはちょっと唐突なお話かもしれませんが、そのストーリーの一端をここにご紹介しようと思います。
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わたしの本業は匂いのアーティストですが、ライフワークとして、日本を海外に紹介するというテーマがあります。それは高校時代にアメリカに留学したときから始まっている、私の根源的な興味なのだと思います。
20代後半にオランダに移住してからは、アイデンティティ・クライシスがあったのか、自分がオランダに適応する事ばかりに意識がいっていました。しかし、どんなにがんばっても私は日本人であり、オランダ人にはなれない。それなら逆に日本の代表選手として、「日本と外をつなぐ架け橋となろう」と意識しはじめました。
匂いのアートでは逆に「日本」という武器を多用しすぎると世界に通用するアーティストにはなれないので、ほどほどにしていますけどね (^^)
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で、匂いのアートの方が軌道に乗り始めたころ、ある友人(日本人)の作品に出会いました。いわゆるスマートフォンのガジェットなのですが、スマートフォンに載せると、映像が立体的に見えるというビューアーです。3枚のハーフミラーを使ってて、例えるとすれば「背景が森、その手前にオオカミ、さらにその手前に赤ずきんちゃん」みたいなシンプルな立体感なんですが、それが箱庭的でとても可愛いんです。
このビューア自体もひとつの作品でありつつ、多くの作家にとって新たな創造のプラットフォームとなるのでは、とすぐにカンが働きました。そこで、私の企画とキュレーションで展覧会をやりました。2011年、あのロッテルダム国際映画祭の晴れ舞台です。展覧会名は Palm Top Theater(手のひらシアター) となり、この「箱」を使って、私の友人達にあらゆるコンテンツを作ってもらったのです。
http://www.v2.nl/events/palm-top-theater
この反響がとても良く、製品化が決定。iPhoneとiTunesストアをプラットフォームと決め、「誰もが作品を観れて、作れる」ような、オープンな仕組みをオランダ・チームと作り始めました。その発売開始が間もなくです。(詳細は最後に記します)
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このデバイスは、コンテンツが無ければ、役に立たないタダの箱です。それを生かすには、良質なコンテンツが必要です。せっかくここまで育ててきたプロジェクトなのだから、なんとかいい形で実現させたい。結果を出したい。それには、ビッグ・ネームのコンテンツが必要だ。レディー・ガガなどの有名タイトルを輩出しているアメリカの某プロデューサも興味は持ってくれたものの、決定打がないもどかしい状態の3月ごろ。・・・。
あ! いつか観たあのビョークの”Moon”、これで観れたらすてきかも! とインスピレーションが降りてきました。(困ったときにはなぜかいつもインスピレーションが私に降りて来てくれます 笑) 昨年秋ごろ、FB友達のフィードラインでたまたま目にした “Moon” 。あらためて見直して分析。レイヤーで構成された映像のように見えるので、半日もあればPTT用のフォーマットに変換できる→金銭的リスクが少ない→実現しやすい・・・
なにより、”Moon”の世界観を表現するのに、このプロダクトはぴったり。彼女もアーティストなら、私の意味づけを理解してくれるに違いない!と思ったんです。
わたしもじぶんの行動力にはビックリですが、その日すぐにビョークのレーベルをwebで調べて電話。(もちろん、ドキドキしながらです)
「ワン・リトル・インディアン・レコードです」
「こんにちは。Palm Top Theater プロジェクトの上田です。社長さんいらっしゃいますか」
「少々お待ち下さい。」
・・・とあたかも、社長さんの旧知の知人であるかのようにスラスラと話し、取り次いでもらう!(笑)悪質なセールスか?!
しばらくすると社長さんが電話に出て来ました。
「××ですが」
「こんにちは。Palm Top Theater の上田と申します。じつは私達、かくかくしかじかこのようなデバイスを作っていて、ビョークと一緒に仕事したいんです。”Moon” のPVを観たんですが、このデバイスがさらなるクオリティを提供できるのではと思って。」
「ふーん。じゃあ、リンク送ってくれるかな?」
「はいもちろん。」
で、急いでサマリーを作りメールしたその翌々日、「ビョークがOKと言っているよ」という短い返事が来ました。じつに嬉しいニュースなのですが、あまりに信じられず、じぶんの目を疑い、その短い一文を何度も読み返したりして・・・。
さっそく製品プロトタイプを見せにロンドンへ。レーベルの社長さんは、まるでマフィアのドンのような感じで、正直びびりました。レーベル事務所も箱やらCDやらが散乱している倉庫で、なんとなく慌ただしい感じでしたしね。でも反応は上々で、めでたくプロジェクトにgoサインが出ました。
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しかし、ほんとうのハードルはいつも、リアライゼーションの段階にあります。当初想定していたようにテクニカルに簡単ではないことが判明。さらに多くの人たちを巻き込み、説得する必要がありました。資金繰り、権利、etc etc… 方々から何度難色を示されたことか。その度にややめげながらも、「でも、こういうふうにできるかもよ?」と食らいついたんです。
5月には、ビョークのPVプロデューサさんに入ってもらい、ロンドンで打ち合わせ。ポールマッカートニーのPVなども作ってる方だとかで、たいへんなプロジェクトになってきました。ビョークの有名な PV、All is Full of Love のプロデューサでもあります。
ドキドキ、ハラハラ、もう緊張しまくりでしたけど、やはり「あのMoonをこのデバイスで見てみたい」という当初の動機がビデオ完成まで導いてくれました。そして、私のボスも、私を信じてずっとサポートし続けてくれました。こうして、7月中旬にめでたく納品。
その後も、気が抜けません。相手が相手だけに、契約もきちんと抜かりなくしておかないと・・・と、「相手が相手だけに」とかいっておきながら私はどんだけ神経が図太いんだか、値引き交渉までしたりして・・・(笑) 先方も「こいつは日本人の顔してるけど、中身は抜け目ないダッチだな」と思ったのではないでしょうか(汗)
ついこの間、11月に2度目の訪問にうかがったときには「うちの事務所のコーヒーは不味くてね」と、みずからコーヒー屋さんに行って買って来てくださいました。
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この契約目的のロンドン訪問時、奇遇なことに、ちょうどフル・ムーンだったんです。作品 ” Moon” も、月のエネルギーを音とビジュアルで表現した作品。お月様のお導きでしょうか、じつに良い雰囲気で今後の展開の話も弾み、実り多いミーティングとなりました。
“Moon” をおさめたアルバム ”Biophilia”は、原子のアトムから宇宙までの自然現象を、その一部として音で表現した美しいアルバム。一曲ごとにテーマがあります。”Moon” はタイトル通り、月がわたしたち人間に及ぼす作用を表現した作品です。毎月、月のサイクルとともに血を流す女性には、原子とか宇宙とかいうメタレベルの話でさえも、コトバ無しに語りかけてくれる作品です。
”Biophilia” の形態はCDアルバムにとどまりません。世界初の「アプリ・アルバム」としてもリリースされています。iPhoneで、ユーザーがビョークの音を組み変えて、新しい音楽を作る事ができるんです。(おもしろいです! 是非ダウンロードしてみてください)
「ビョークだって、ひとりの人間であり、女性であり、常に新たな試みを続けるアーティスト。このヒトなら私の感性に共感してくれるだろう」そう信じてきました。なかなかの冒険でしたが、私も成長する事ができ、そんな機会を与えてくれたマルチ・ナショナルなチームに感謝しています。月のパワー礼賛!
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国を超えて、言葉を超えて、共感を繋いできたプロジェクトです。神秘的で、フェミニンで、ピュアなビョークのMoon。ぜひPalm Top Theaterで見て欲しいです。一般販売は11月中旬、間もなくアナウンスできる見込みです。Facebook ページにて “いいね!”登録しておきましょう。
製品ウェブサイト
15:00。なにげなくラジオを聞いていたらいきなり、ハスキーな女性の声が聞こえてきました。格調高いオランダ語に混ざって、セクシーに甘えるような喋りです。
アナウンサー(以下 ア)「こちらは娼婦のAさんです。こんにちは」
娼婦(以下 娼)「こんにちは」
ア「ところでAさん、いまおいつくつですか?」
娼「70よ。まだ私現役なの。ヴァギナは、まだまだ成長するばかりよ♡」
ア「そ、そうですか・・・」
・・・で、折しもアメリカの大統領選が熱い時期ですので、話題はそちらに。
ア「ところでAさん、アメリカの大統領選挙をどう見ますか?」
娼「まず、あのふたりは、わたしに言わせれば、ただのオスの猿ね。」
ア「はあ・・・」
娼「オバマは単におっぱいでヌクヌクしたくて、ロムニーはヴァギナが欲しいだけなのよ。アメリカではとくに、政治はセックス・パワーの見せ合いなのよね。・・・」
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娼婦さんがこのように、大統領選をケチョンケチョンに批判した後。
オランダの某人気番組(パウル&ウィッターマン)の男性評論家が登場。もうひとりの女性評論家と、議論を交わしました。
議題は、「オランダにはなぜ女性評論家が少ないのか」。女性の社会進出が進んだオランダでも、言論メディアに影響力のあるのは男性ばかり。男女不公平ではないか、と。
男「女性は教育や仕事の機会も平等に与えられてるじゃないですか」
女「男性は既存権益にしがみついてばかり。男ばっかりでつるんでるし。これじゃなにもかわらないわ」
男「まあまあまあ・・・。きょうは天気のいい金曜午後なんだから、もうちょっとソフトにいこうじゃないか・・・」
男女の関係や問題って、ところ文化かわっても、大なり小なり似たようなものなんだな、と思いました。
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そうそう、前出の娼婦は単に、アミューズ(遊び)の演出だったわけです。「女性(娼婦)が政治評論ってのも、珍しくていいんじゃない?!」というであり、暗のステートメント。
女性のメタファーとして娼婦っていうのもどうかと思いますが、真っ昼間からこんな奇抜な演出をするオランダのテイスト、ちょっとおもしろいですよね。きっと番組編集者が粋な女性だったのでしょう。
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前回の「女性はどのように生きたらよいのでしょう?」コラム、多くの方から反響がありました。特に男性から多かったのが興味深いところ。
女性は女性でそれなりに自由を謳歌して楽しんでいるのは大いによろしいですが、男性はちょっとしたアイデンティティ・クライシスを感じる時代なのかも。
今回は男性バージョンとして、「オランダの男性は、強いオランダ女性を前に、どうやって生きているのか」をご紹介しましょう。
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まずオランダの男性は、家事育児なんでもこなす人が多いです。その点、「世界でもっとも理想的なパートナー」とイギリス人女性も賞賛しておりました。オランダ男子はこの点がクリアーできないと、結婚は難しいのではないでしょうか。
べつに上手にできなくてもいいんです。「シェアする気持ち」が望まれます。
べつに50%50%でなくてもいいんです。共働き家庭がほとんどですから、「火曜日と土曜日はボクの担当」あるいは、「料理はあなた、掃除洗濯は私」みたいなざっくりした決め方です。
子どもが生まれると、女性は3ヶ月ほどで職場復帰します。そして、フルタイムで働いていた男性は週5から週4か3へ、女性は週3か2へシフトすることが多いようです。これがオランダ・モデルとして有名な「ワークシェアリング」です。
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以下はオランダ白人家庭に非常によくある、一般的な例です。
月:子ども達は保育園へ。お父さん、お母さんは職場へ
火:お母さんは休み。家事育児係。
水:お父さんは休み。家事育児係。
木:子ども達は保育園へ。お父さん、お母さんは職場へ
金:お母さんは休み。家事育児係。
つまりお父さんは週4日働き、お母さんは週3。子ども達は週2で保育園に行く。
お母さんが週4働く場合、週1はどちらかの実家にヘルプに入ってもらうようです。レギュラーの場合は、親族といえどペイが行われているのが通常。
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女性には教育や仕事の権利(プラス、家事育児をシェアする権利)が平等に与えられるようになった昨今。だからといって「主夫」が出現するかというと、そうでもないようです。
「主婦」はたまにいます。子どもの数が多くなればなるほど負担が大きくなるので、一時的にお母さんが仕事をやめて、「お母さんは育児家事、お父さんは仕事」と分担する日本モデルのような家庭は、あるにはあります。都市部より田舎の方が多いようですが。
やはり男は働かなければならないのですね。かつ、家事も育児も分担し、夜は奥様をもちあげ賞賛しなければならない(笑)。たいていが厳格なプロテスタント的育ちをしている男性ですから、あらゆる悪の誘惑にも勝たねばなりません。(カソリックの場合は懺悔が救いになったりしている。)オランダの男性は大変ですね。
金銭的には、夫婦共同の「家族アカウント」というのを銀行で作り、そこに毎月定額振り込んだりします。ふたりとも同額というわけではなく、収入に見合った額です。
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オランダは一見、非常にフラットな男女平等社会に見えますが、社会的ステータスだけは別もののよう。会社の重役、大学教授・講師、評論家、政治家などなど、社会的なリスペクトを得られる(あるいはそれを必要とする)職業は、男性ばかりです。(しかも白人系)
私もじつは、オランダ王立アート・アカデミーなど様々な大学で非常勤講師を務めたことがありました。そのときに学生にいわれました。「女性に教わるのは、そういえば初めて。」
しかも、アジアからの移民の女性ですよ。社会的にはエギゾチックではあるが、ひじょうに弱い存在。(日本でいえばフィリピン女性の社会的地位がこれにあたるかもしれませんね。)オランダではそんなヒトが大学で教壇に立つなんて、じつは異例中の異例。教える側も教わる側も、やりにくい。教えるたびに私は、肝っ玉が強くなりました。
私がアカデミーに採用されたのも、ちょうど学校側の良識ある人たちが「アカデミックな世界も女性や移民を積極的に受け入れるべきだ」という反省を見せ始めた時期でした。彼らは私の友人達でもあるのですが、とてもオトナな態度です。
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そんな流れがいま、オランダ社会全体にあります。冒頭に紹介した娼婦のトークもその象徴。男性って、社会的なステータスがあるていど必要な生き物で、そこは女性のネイチャーではありません。しかし、男性からのオトナな反省、手放す勇気、そして寛容な受容あってこそ、女性も社会進出できるというもの。器のように受け入れるそんな優しさだって、男性のネイチャーです。
このように、オランダにおける女性の社会進出は、まだまだ試行錯誤中、現在進行形です。難なくスムーズに進行したと思っていたらおおまちがい。読者の方は意外に思われたかもしれませんね。いろいろなクライシスがありますよ。
日本の方が柔軟だなあと思う部分もあります。ヨーロッパには伝統と歴史の重みがありすぎるのです。靴の修理屋さんひとつとっても、ギルド時代から続く職人気質とプライドが厳然と存在しているので、どんな女性でも簡単に入り込めるわけではありません。職人的なシェフの世界や、調香の世界だって、いまだに男性ばかりです。
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けれども、日本と決定的に違うのは、仕事をやめて出産した女性には当然のように社会復帰が期待されている点。「結婚を機に女性が仕事をやめ、家計一切を仕切り、旦那さんは奥さんからお小遣いをもらう・・・」といった日本の既存のフレームを説明すると「それでは奥さんは、年金生活に入ったようなものじゃないか」とビックリされます。
確かに、女性の選択肢や生き甲斐が変化した現代においては、出産した女性に「社会から引退してしまった感」を持たせないようにすることが、思いのほか大事なことなのではないでしょうか。それができる器を持っているのは、ほかでもない、男性/お父さんです。
それは女性にとってもプレッシャーですが、「現役」であることの歓びは、女性をいちだんと生き生きとさせます。そして何より、子ども世代にとって、それは希望ともなります。
オランダにはいわゆる「お局様」はいません。お母さんとなった女性は、外見が武器の若い女性と違い、熟成した内面と安定性、そして母性が評価され、一定のリスペクトを得ています。お母さんになると、それまで24時間まるごとじぶんだけの時間だったのが、ほとんどゼロになります。そのため、手際が良くなり、仕事の効率が上がり、計画性もつくのです。
オランダのお母さん達の働く目的は、どちらかというとお金ではなく、生き甲斐です。女性が家計を半分負担するとなると、こんどは家庭が殺伐としがち。子どもが病気になったときにどっちが休むかで、喧嘩が始まりましょう。なので、あくまで稼ぐのはお父さん、というフレームを崩している家庭は少ないようです。
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男女の関係において、このような激変の時代に身を置いている私達。このテーマにかんたんな解があるわけがありません。男も女も、心と体を柔軟に鍛えておくことが、ひとつ支えとなるでしょう。
日本では、ヨガをやっているのは、ほとんどが女性ですよね。オランダでも、女性が多いのは確かですが、男性率もかなり高いです。ある晩ヨガスタジオに行くと、私以外はみんな男性だったなんてこともありました。日本の男性も、オランダの男性のように、ヨガでココロもカラダも柔軟に保ち、アイデンティティ・クライシスに備えておきましょうね♪
(冒頭写真は、このテーマとはまったく関係ありませんが、オランダのチーズ売り場です〜)
飛行機を降り立つと、美人の金髪女性パイロットが次の乗務のためにゲートでスタンバイしていました。キャップはしっかりかぶりつつ、下はスカートという姿。この組み合わせは見慣れないけど、とても決まっててカッコいい。
スーツケース受け取りの前に空港のトイレに寄ると、女性用トイレに男性が駆け込んで来てビックリ。一瞬私が間違ったのかと思ったら・・・「まいったよ、あっち掃除中だってさ〜」と平気な顔をして言う。ああそうだ、ここはオランダだった。
そして入国審査へ進むと、銃を腰に睨みをきかせているのはニキータ風のスラリとした女性。長い黒髪を三つ編みにして、ちょっとパンクな感じで、カッコいい。
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半年ぶりにオランダに戻っています。これらのエピソードはオランダ女性の社会でのあり方を端的に示すエピソードのほんの一端です。
日本でも女性のあり方は急激な変化を遂げていると思います。かつてないほどに自由を与えられているのです。教育の機会は平等だし、労働環境もいちおう平等。それでいて、結婚して家庭に入るか、キャリア・ウーマンとして上を目指すか、あるいはその中間に留めて共働き夫婦をやるか、選ぶことも可能です。
しかし子どもを産むのはどうやったって女性、しかも45歳以下の間にしかできない。そういう現実と、人類の未来を考えると、女性へのプレッシャーはいつの時代もとても大きい。だって、女性が子どもを産まなくなったら、人間がいなくなってしまうんですからね・・・
女性の自立が可能になってしまうと、そもそも日本の男性は子どもっぽいので、そんな男性を必要とは思わないという女性も多いかもしれません。これではますます日本からヒトが減っていく。
そんないまの時代、女はどう生きたらいいんでしょう?
この結論の出ない命題に関して今日は、オランダで生きてきた私の経験をいくつかあげながら、考えてみましょう。女性の社会進出がもっとも進んでいると考えられている北欧圏です。男性の方々、スミマセン。今回は女性目線ということでやや辛口ですが、ご容赦ください。
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先に述べておくと、北欧的なフェミニズムが理想かというと、わたしはどうも素直にうなずけません。確かにこの社会では共働きがあたりまえで、女性の地位も高いのですが・・・。なんというか、女性が必要以上に強がっている気がするのです。
まず、女性らしさとかセクシュアリティとか、あるいは恥じらいといったものが、日本とは常識が違うのかもしれません。このまえもヨガのクラスに行ったのですが、更衣室は男女わかれていなかったりします。この文化ではパンツとかブラジャーなら「下着」とは見なされず、「服の一部」。ちなみにこの、男性の前でもつい着替えてしまいそうになるクセは、日本にいってもしばらく抜けませんでした(笑)。
サウナとかスパに行っても、男女とも素っ裸で一緒に入るので、日本的な感覚で行くと落ち着かないです。10分くらい経てば、次第に慣れるのですけどね。
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このように、公衆の面前では男も女も同じ人間として扱い、性的な対象としてみなすべからず・・・みたいな約束ごとがあるような気がします。プロテスタント的な、禁欲的な発想ですね。もちろん、バーとかクラブとかはプロトコルが別ですが。日本でよくある「電車の中での痴漢」なんて、ここではありえません。AVビデオとかピンク系のお店などもあるにはあるのですが、そういう良識ある層にとってはタブー的な感じさえします。
なので、お洒落してスカート短めに会社に出勤・・・みたいな行為も女性はあえてとりません。化粧も洋服も、あくまでも身だしなみを整えるという程度におさえ、「カワイイ」より「カッコいい」を好みます。殆どの女性はズボン。スカートはあまり見かけません。
とくに私が身を置くアート・シーンまわりは、化粧をしたらかえって浮いてしまうほどです。みんなナチュラル。「女」を全面に出して仕事するのは、かえって不利になったりもします。なのでおのずと私も化粧をしなくなってしまいました。普段は化粧水と乳液のみ、夜のお出かけのときにはアイラインとリップを追加して・・・といったていどです。日本的に見れば女を捨てた感じですが、ありのままでいれるという良い点もある。
息子のお母さん達をみてもそんな感じです。ばっちりメークしてお洒落しているのは、70’sのヴィンテージ系をじぶんのファッション・スタイルとしている方たちくらいかな? それはそれはCute & Cool ですが、オランダではちょっと浮いてる感があるのも事実。
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このようにオランダで仕事をする女性はみな、じぶんの女性的な部分を覆った「パブリックな顔」を持っています。そうじゃないとやっていけない。そこは強さでもあり、弱さでもあります。というのも、誰でもそのような顔をいつも持てるわけではないからです。カスタマーサポートなどで、相手を男のように思ってやりあって一線を越えたりすると、いきなりヒステリーで返されたりする(笑)。
オランダの女性はみな、ピシッと背伸びして立っているように見えますが、その足下はメタリックなヒールの靴ではなく、もろいガラスの靴のように思えたりもするのです。けれども彼女達はプロテスタント的な環境の中で、そんなガラスの靴でも胸を張り、器用に歩けと育てられたのだろうと思います。
わたしはそんな環境下で育ったわけではありませんが、子ども時代よりじぶんが女であることを顧みず、男性と同等に・・・と肩を張って歩いていたような気がします。ずっと共学でしたしね。日本ではそれはそれは強い女でしたが、日本育ちの私がオランダで同じように演じてもしょせん、ガラスの靴で器用に歩けません。なので、さっさと見切りをつけ、20代のうちに結婚して出産してしまいました(笑)。
でもその後はふしぎと肩の力が抜け、じぶんなりの歩き方を見つけることができました。社会的に弱い「東洋の女」ではありましたが、そんな私にしかできない仕事を、私のやり方で、しなやかにやればいいのだ、と思ったのです。こうして、誰も踏み込んでいない「匂いのアートの世界」の扉を開けたのでした。
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いつか、コラボレーションしていたスウェーデン女性に言われました。「あなたは、白人ではない女性というだけで、そのままでエギゾチックなのよ。何をやっても、だれも文句いわない。だからそれを利用して、エキセントリックなことを思う存分やるといいわ。羨ましい。」
そんなことを言われ、とてもビックリしました。流暢な英語を駆使したコミュニケーションで、社会的にも立派なオトナな立ち回りができつつ、逞しくシングルマザーもやっている彼女こそ、私にとって叶わない、羨ましい存在だったからです。
じつは「ガラスの靴」の存在に気づき始めたのはこのことがきっかけ。やはり彼女もガラスの靴を履きながら、弱音ひとつもらさずに必死に歩いているんだ・・・と、ハッとしました。
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最近になってこそ「女らしい」といわれ、若い女性からも「ステキ」ともてはやされ上機嫌な私(笑)ではありますが、それはほんとうに最近のこと。中学時代まで競泳をやっていたのもあってまるで(ガタイも含め)男みたいだったし、その後も突っ張ってて、可愛げが無く、意地っ張りで。常にジーパンで、豪奢な飾りやフリルのついた女性的なカワイイものは毛嫌いしていたし、女らしく振る舞うべき状況では根っからの反骨精神が顔を出し、全身で拒否していました。
ところが、もしかしたら嗅覚の仕事が「女らしい世界」への扉を開けてくれたのかな、とも思います。最近はベリーダンスを始めたのもあって、キラキラしたジュエリーとか、女子会独特の「女性万歳!」的なノリとか、カワイイ女の子とか、セクシーな踊りとか(笑)、大好きになってしまったわたし。
変われば変わるものです。「女性はやっぱり、じぶんの美しい姿を鏡で愛でてなんぼのもん。腰のラインを綺麗にポーズとって、うっとりしましょう」とわたしのベリーダンスのティーチャーは言い切りました(笑)が、ほんとうにそうだなあと最近感じています。花の良い香りを嗅ぎ、心地いい音楽を聞いて、美しく踊って、優雅で柔軟な物腰で生活して仕事して・・・女って、もともとそのように作られた生き物なのではないでしょうか。
「愛されたい」「モテたい」が故にいろいろ頑張ってしまうのもわかります。しかし女は、自分で自分を愛でていれば、おのずと愛される・・・そうではないですか?
女を武器にしなくてもいい。でも、肩を張らなくてもいい。そんなポジションにリラックスして立つには長い道のりがあり、若い女性にはなかなか難しいかもしれません。そんな女性たちのエンパワーメント、お手伝いできればいいなあと、いつも思っています。
でも女性がそれで満ち足りてくると、ますます日本の男性を必要としなくなるのでは・・・という危惧もあり・・・悩ましい問題ですね(笑)。
(オランダ発・オルタナティブな日本映画・文化祭 カメラジャパン・フェスティバルにて。コスプレ好きの可愛い女の子たち。私も左上の彼女と一緒に、ひとつイベントを披露しました。詳しくは私のブログへ。)
台風の前はいつもカラッとしてて気持ちがよいものですね。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
先日、アメリカからの来客がありました。ちょっと前に私がfacebookにアップした秋刀魚の七輪炭火焼の写真を見て、わざわざアメリカ西海岸から遊びにきてくれたのです。
・・・というのは冗談ですが、半分ホント。アメリカからマレーシアに帰省する途中下車をわざわざ計画してくれたのです。七輪炭火の秋刀魚のために・・・。あきれるくらい食いしん坊な人たちです・・・。
彼ら、ビリー&ビビアンとは、エジプトのダハブを旅行中に知り合い、いっしょにスノーケリングをしました。彼らはイタリアのオーガニック農家に修行に来ているとかで、美味しいもの好きな私と意気投合。アメリカ系マレー人とのことで、私がホームステイしていたマレーシアの田舎の話をしたり、オーガニック食の話をしたり・・・短かったけど楽しい時間を共に過ごしました。それももう5年くらい前の話。ずっと連絡もとりあっていなかったのに、こんな形で再会できたのも、すべては秋刀魚が引き寄せてくれた縁です。
最寄り駅で待ち合わせしたのですが、3歳児の載ったベビーカーとバックパックという出で立ち。長期海外旅行をしているとは思えない身軽さです。コインロッカーに荷物を預けたら?とか、タクシーで行こうか?とか、いろいろ気を使ってみたのですが、「べつに、歩けるよ」。そのままの姿で10分歩いて我が家へ到着。すごい体力です。ビリーは52歳、ビビアンは47歳。とてもそんな歳に見えません。どこからこんなパワーが出て来るのでしょうか・・・。
自宅のテラスの七輪で、いろいろな野菜と秋刀魚を焼きます。七輪を囲みながら、その暖かい火を見つめながら、静かな時間が流れました。この5年を埋める話です。
彼らは私が出会った当時、WWOOFというボランティア・プログラムで、イタリアのオーガニック農家に滞在中でした。WWOOF(Worldwide Opportunities on Organic Farms)というのは、オーガニック・ファームで住み込み労働する代わりに、知識やノウハウを提供してもらうグローバルな仕組みです。日本にもあるようですね。http://www.wwoofjapan.com/main/
アメリカ西海岸で一生懸命働き、一財を成した後でしたから、その後の人生は故郷のマレーシアでオーガニック・ファームをやろうと考えていたのだそうです。ところが息子が生まれ、その子がひどいアレルギーで、とりあえず住み慣れた西海岸に戻って来たのだとか。
そして居を構えたのはカリフォルニア州のナパ。ナパといえば、ワインで有名なところ。気候が穏やかで、太陽がさんさんと降り注ぎ、食べ物がおいしいところなのだそうです。息子のアレルギーを治すため、そして育児を楽しむため、自分たちで畑をやり、農作物を作り、ほどほどに働き、のんびり生活をしたい・・・そんな希望を叶えるため、ナパという地を選んだのだとか。
ちなみに彼らは、様々なワイン農家で働いた結果、ワインを飲まなくなってしまったそうです(笑)。たとえオーガニックと謳っていても、あれやこれやと様々なものを人工的に入れる現場を経験し、結果的にじぶんでワインを作って友人に振る舞うことはあっても、じぶんで飲むのは「味見程度」になってしまったとか。なので、この晩はお酒は入らなかったのですが、ふしぎともの足りない感じはしません。
荷物の中からごそごそと取り出し、自家製のドライ・トマト、ドライ・アップルとミントティーを「今日の御礼に」とプレゼントしてくれました。ナパの太陽をいっぱいに浴び、エネルギーに満ちたものばかりです。
そして息子エリオのアレルギーは、ほとんど治ったようです。3歳の彼は、目に力があり、生き生きとしている。
こんどは私の話が始まります。オランダでの土地性アレルギーで体を壊し、家族を放ったらかしにして、生まれ育った地に帰ってきてしまった・・・という話を、まったくとがめることなく「当然」と受け止めてくれるのは、やはり同じようにアレルギーに苦しんだ経験からでしょうか。
そして話は美味しいものの話に戻り、秋刀魚はオメガ3の宝庫だから健康にすごくいいとか、冷蔵庫や冷凍庫の発明が食事を不味くしてしまったとか。オーガニックでなくとも旬のものがいちばんヘルシーであるとか、七輪炭火はもっとも理想的な調理法だとか。
英語で”Japanese Oven” とよばれる七輪は、マレーシアのお母さんがよく料理に使っているのだそうです。兵隊さんが戦時中に持ち込んだのでしょうか。
「アメリカ式にバーベキューやると、コンロの保温性が悪いから、箱一杯の炭を使っちゃうけど、七輪だとほんのわずかで長持ちするんだよね。世界で最もエコロジカルで、美味しい調理法だよ。」と、七輪の素晴らしさを既に知っていらっしゃる彼ら。
そうなんですよね。熱よりも遠赤外線で火を通すから、肉も魚も野菜も「半生」くらいでちょうどいい。七輪じたいの保温性が高いので、「赤々と燃える炎」ではなく、「仄かに暖かい遠赤外線」でじっくり時間をかけて調理することができる。つまり割と低い温度で食材に火を通すことができるんです。香りの視点から解説すると、熱に弱いフレーバー(芳香成分)を大量に失うことなく、火を通す事ができる。
ガスコンロ。電気オーブン。電子レンジ。IHヒーター。現代には、いろんな熱伝導の方法が存在します。それぞれが、違う科学の原理を応用していますので、同じものを調理してもできあがりの味が違ってきます。鍋の材質も、銅、アルミ、鉄、ステンレスなどから選べる時代です。組み合わせとしては無限大。便利な世の中になりました。しかし、それによって、美味しさが向上しているのかというと、疑問です。
小学校時代の飯ごうすいさんやキャンプを経験している方はどなたも、「炭火で炊いた白米ほど美味しいものはない・・・」ということをご存知のはず。よく考えてみると、おそらく戦前あたりまでは、それが当たり前の時代でした。そっちの方が贅沢のように、私には思えます。
ビリー達のマレーシアの実家では、お母さんが七輪を普段遣いしているようです。ふつうに台所に置いてあり、コンロとして常用してるんですね。素晴らしいです。私もそうしようかしら(笑)・・・。
とにかく、七輪炭火礼賛! 秋刀魚万歳! そんな晩になりました。地球を股にかける私達、またいつどこで会えるかはわかりませんが、きっとどこかで会える気がしています。この友情や絆を、なんと表現したらよいのか迷います。言葉も国も違っても、美味しいものを、美味しく料理して、その一瞬の時を共有する。ありがたいことに、わたしにはそういう気持ちのよい友人が、世界中にたくさんいるように思います。
彼らが去ったあともしばらく、彼らがナパから運んで来てくれたいい気が部屋を巡っていました。私も近い将来、彼らのような生活をしたいな! どこがいいかしら・・・
江戸時代の遊女にとって商売道具だった匂いと香り。以前、〜髪の毛編〜を書きましたが、今回は核心の、〜体臭編〜でございます。
みなさん、中国の伝説的な姫、楊貴妃のことはご存知ですか? 中国四大美女のひとりに数えられます。楊貴妃は香しい体臭を持っていたと言われ、長年に渡り玄宗皇帝に溺愛されました。
一説には「ワキガ症であった」とも言われる楊貴妃。お風呂に入ったらバスタブに彼女のニオイが残ったというのですから、中東系の血を引いた女性だったのではないかと言われています。
そして、「体身香」なる丸薬を飲用していたとも言われます。おそらく見かけは正露丸のようなものでしょう。いろいろなソースの情報を調べ、展覧会向けに調合したことがあります。
原材料:丁字、霍香、零陵香、青木香、甘松香、白芷、当帰、桂心、檳榔子、麝香、梅肉、蜂蜜
味ですか? 決して美味しいものではありませんよ。しかし、これを飲み続けると体臭が和らぐというので、オランダ人のパートナーに飲ませようと思いましたがちょっと怒られそうで止めました・・・ 笑。原材料のほとんどが漢方の生薬なので、薬効も期待できそう。このようなものを実際に遊女が使っていたかどうかは、文献からは見つけることができませんでしたが、きっとそうだったであろうと想像する事は難くありません。
私が見つけた江戸風俗の本には、お歯黒に使うフシノコ(五倍子粉)を水に溶いて腋につけ、消臭剤にしたとのことでした。これを実際にオランダの美術館でのある体験型展覧会で展示して、「ご自由にどうぞ」としましたところ、本気になってつけてるオランダ人が出て来たりして、かわいかったです。右端の粉です。
カラダのニオイをきれいにしたところで、こんどは体に魅惑的な香りを纏わせる作業です。
遊女聞香図 〜宮川長治〜
胸のあたりがふっくらしているでしょう? ここに香炉を入れて、ひっそりと香りを楽しんでいるのです。もちろん胸に香りを薫きしめながら。
そして、着物の裾にも香炉が見え隠れしています。こちらはそう、アソコに香りづけしているんです。
使われた香りは、たいていの場合、伽羅とか沈香でした。降り続く雨の森のような、木と土の深い香りがします。催淫性のある、助情的な・・・。以前、これを髪の毛に薫きしめたと書きましたが、同じものです。
現代はワシントン条約対象の希少な香木ですので、これを現代でやろうとしたらけっこうな贅沢になります。でも不可能ではないです。持ってますので、いちど試してみたいかたはご相談下さい 笑。
うっとりしている様が美しいですよね。大好きな絵です。
夏休みも終わりに近いですね。
みなさん夏休みの宿題は終わりましたか〜?
昨日は私も、宿題追い込みの小1の姪をあずかり、いちにち監督をしました。妹はフルタイムで働きに出ているため、宿題がなかなか終わらなくて困ってるとかで。
午前中はドリルの時間。わたしも片手間で仕事をしながら、パン焼き器に材料を仕込み、スイッチオン。お昼ご飯はサンドウィッチにしようと思って。
お昼近くになると、パンの焼けるいい匂いがしてきます。いわゆる「シアワセ臭」ってカテゴリーがあるとしたら、こんな匂いなんだろうな〜・・・なんて考えながら、お腹を空かせつつ、仕事に励む。
お昼ご飯は焼きたてのパンでタマゴサンド。待った分だけのシアワセがあるということ、姪の顔から見て取れます。
午後は、お習字の宿題をやりました。たぶん、お習字というものは30年ぶりくらい・・・懐かしかったです。でも最近の墨汁ってあまり匂いがきつくないんですね〜。
夕方、宿題を終えて知恵熱が出た姪は、オバアチャンと遊び、その間に私はささっとカレーを作ります。カレーの匂いって、なんでこんなに食欲を誘うのかしら・・・と思いながら。
ふと、愕然とする事実を発見してしまった。姪っ子の面倒を見ながら、パンを焼いて、カレーを作るなんて、まるで私の叔母とやることが同じではないか・・・
幼少の頃よりオートクチュール・デザイナーの叔母から影響を受け、今でも共鳴することが多いという話は、こちらの記事に書きました。斬新な服を一から作りあげる叔母の仕事を側で見ていなければ、おそらくアーティストとしての上田麻希は存在しなかったと思います。
私が札幌に遊びにいくといつもパンを焼いてくれ、得意のカレーを作ってくれました。今でもそうです。カレーは南インドでのヨガ修行で習ったとかでかなり本格的。みずからスパイスをホール状から煎って調合したカレー粉を使うので、とっても香り高いのです。わたしもそのスタイルを踏襲しています。
パンの匂い。カレーの匂い。部屋に染み付いた、インセンスの香り。叔母と私の共通項のようです。しかも最近はベリーダンスを始めたせいか、かける音楽もインド音楽っぽくなってしまった。そういえば叔母もいつもインド音楽をかけている・・・。
ここまで行動が似ると、いったい何のせいなのだろうと思ってしまいます。
「わたしたちは、視覚や聴覚重視の生活をしていると思いがちだけど、じつは感情に結びついた嗅覚にコントロールされているのだ」と述べているのは、イェール大学の GORDON M. SHEPHERD。嗅覚は、科学の世界では最も低い位置づけなのですが、じつは嗅覚こそが人間の生活のドライブになってるのでは・・・という考えのもと、「NEURO GASTRONOMY」という本を書いています。まだ読みかけのこの本にも、答えがありそうです。
さて。私の姪も、じぶんの姪が遊びに来たら、パンを焼き、カレーを作り、インセンスを焚き、インド音楽を流すのでしょうか。それは未来のお楽しみ。
今日は新月ですね。新しいことを始めるのにはとても良い日・・・こうして月の満ち欠けを感じながら日々を過ごすと、たしかに新月のあたりは静かに研ぎすまされ、あまりハシャいだり騒いだりアクティブになったりするのに向いていないな〜、と感じます。じぶんの静謐な内面と向き合い、語り合う時なのかな、と。
最近、とある方とのチャットで、「いつかどこかで、匂いや嗅覚の学校をやってみたい」と書いていたじぶんがいました。それがきっかけで、じぶんの未来の夢をあらためて意識するようになりました。
- 世界中から誰もが、いつでも来る事ができて
- 簡素な宿泊施設があって、安く滞在できて
- 匂いや香りの基礎について学べて
- 香りを素材から抽出するテクニックを一から学べて
- 調香の方法も学べて
- アーティストであれば、ひとつ作品を仕上げるところまでできて
- ときにフレーバリストなどの専門家を招いて、講習会を開いたり
- 花の香りに囲まれたガーデンがあって
- ガーデンから摘んだハーブのハーブティーを一飲みながら
- 参加者と一日中、匂いや香りの話をしたり(「ワインを飲みながら」、でも可)
- 「食べれる香水」なんかを作りながら調理することも実習の一環で
- リトリートとしてただ訪れてもいいくらいの魅力的な自然環境(海とか山)がそこにあって
- ときに企業などから、研究依頼や企画依頼なども受ける研究所が併設されていて
- その傍ら私もきちんと作品制作を続ける
この全ての要素を、個人的には小さな規模で、アトリエMAKI UEDA としてこれまでもやってきてはいるのですが、なにしろ自宅の片隅で、ひっそりした形で展開していました。これを誰もが気兼することのない、きちんと万人にオープンな形で運営したいのです。
学校といった大げさなものじゃなくても、ワークスペースとか、ちょっとおおきめのアトリエとか、自宅の延長でもいいと思っているんです。
山とか海の自然な豊かなところがいいですね。沖縄とか、できれば石垣島とか・・・?! うーん、考えただけでもワクワクしますね〜 (^^) 沖縄方面は熱帯だからか、自然環境に存在する匂いがとっても豊かなので、理想的です。
この夢は今になって突然ポンと湧いてきたわけではありません。世界的にも稀な「匂いのアーティスト」としてのキャリアの中で、徐々に周囲から期待されるようになったのです。
今までにも何度も、それこそアメリカとかブラジルとか世界中から、私のテクニックを学びたいとか、作品作りを手伝いたいといったメールをいただいたのですが、そのたびに「今は、受け入れるキャパがありません。ごめんなさい。」とやむなくお答えするしかありませんでした。そして、こんなのがあったらみんなの期待に応えれるのにな、と思ったことを描いているうちに、膨らんでいったんです。
日本からも何人もオランダに見学にいらっしゃいました。私が大きなスタジオかスクールを構えていて、常にワークショップが回っているかのような、みなさんそんなイメージを抱いてオランダにいらっしゃいます。(もちろん、私だけが旅行の目的ではないにせよ、大きな動機になっていたりして。)その度に、「ごめんなさい・・・じつは自宅のキッチンでひとりで制作してるだけなんですよ。よろしければ、うちに遊びにいらっしゃいますか? (^^;)」といった展開になっていたんです。
そんな中、オランダでは様々な美大で授業やワークショップを受け持つことができ、体系的に教えるということも経験しました。その経験はきっとこの「匂いと嗅覚の学校」に大いに役立つと思います。
今日からでもできることがあるはず。そう気持ちを前向きに、今日はとりあえず一歩前進するとしましょう。まずは夢をここに公言するところから始まります。言うとやらなきゃいけない気がしてくるので、プレッシャーです(^^;)
「うちの空家、使っていいよ」「わたし、スポンサーになってもいいわ」などの情報、大・大歓迎です (^^)
お盆も過ぎようとしていますが、みなさんいかがお過ごしですか。私のご先祖様のお墓は北海道にあり、お墓参りはいつも観光シーズンを外して行くため、のんびり過ごしております。
さて、しばらく続いている体臭の話、あいかわらず反響が大きいので、まだまだこのネタで引きずれそうです。日本では遊女たちがプロとして、体臭と香りを掛け合わせ、それをツールとして駆使してきた・・・ということを前号で書きました。その続きを。
遊郭でのお勘定はそもそも「お線香代」などと呼ばれていたようです。お客様の遊ぶ時間を、焚いたお線香の数でカウントしていたのです。古代より香時計のようなものはお寺でも使われてきましたが、お線香が女遊びの時計代わりなんて、じつに風流。そこではふんだんに沈香を原材料として使ったお線香が焚かれていたといいます。
さてみなさん、沈香という香りを嗅いだことありますでしょうか。ベトナムやインドネシアなどの熱帯地方に生息するアガーウッドという種の木が、傷ついたところに木自身が分泌する樹脂が、いわゆる沈香です。樹脂であれば全てがよいというわけではなく、そこに細菌が繁殖し、いい具合に腐敗したもののみが、よい香りを発するのだとか。つまり、人工的に作り出すことの難しい、偶然の産物なのです。
この沈香の最高級クラスを「伽羅」と呼び、江戸時代には最上級のものにはなんでも「伽羅」をつけたようです。「伽羅の油」「伽羅の女」などなど。
江戸時代に「伽羅の油」という鬢付け油(今でいうヘアーワックス、日本髪を結うときに使われた)が流行り、遊女が競って様々な薬局に買い付けに走ったとか。名前に「伽羅」と入っていますが、ほんものの伽羅は高額すぎるため使われておらず、代替素材としてシナモン、丁字、ムスクなどが使われています。これを髪につけている遊女がそこを通るとフワッと、助情的な香りがしたといいます。
いちど作品制作のため、江戸時代の古文書を紐解き、当時の調合どおりに再現したことがあります。当時の人たちはこれを、本物の伽羅の香りに近づけるために、いろいろ知恵を絞ったんだろうな・・・と苦労の跡がうかがえました。
むかし、香りは虫除けとしての側面を大きく担っていました。この鬢付け油も例に漏れず、丁字が特にシラミ対策として活躍したものと思われます。お風呂になかなか入れない時代だったので、髪の毛も臭くなったことでしょう。私が読んだ何かでは、髪の毛を洗うのも1週間に1回とか・・・聞いただけでも痒くなりますね。そこにムスクを駆使する事で、その臭みを和らげ、その臭みをかえって動物的に扇情的な香りにしたものと思われます。
遊郭の女たちは、沈香の燻る煙の上で、着物やアソコに匂いを付着させただけでなく、髪の毛にもその媚薬的な香りをしたためたようです。よく焼き肉屋さんに行くと、髪の毛に匂いが強く付きますよね。その原理を応用したということです。
現代でも、男性がドキッとする女性の匂いのトップにくるのは、「髪の毛からふんわりと漂う、シャンプーの香り」だそうです。一方で西洋の場合は、トップに来るのはおそらく、「香水の香り」だと思いますが・・・。やはり日本女性の黒髪には、匂いを媒介する役割が期待されており、それは世界的に見てもちょっと類いまれかもしれません。
みなさんもいちど、ほんものの沈香の香りを嗅いでみてください。現代でも高価な代物なので、沈香のお線香は手に入りにくいですが(私の知ってる限りでは、比叡山のお寺で求めたものは良品でした)これぞ日本の、遊郭の、遊女の香りです。ジメジメしていて鬱陶しい雨の日によく合います。
展覧会 GEISHA のために作った「伽羅の油」に関しては、こちらのページをご覧下さい。
前回の体臭に関してのコラムは、とても多くの反響がありました。やはりみなさん興味がおありのテーマのようで。体臭はそのものが、個人のアイデンティティと見なされがちなので、それが摩擦を引き起こし、人を引き寄せもしますからね。
息子も8歳になったあたりから急に「腋」の匂いが微かにするようになりました。日本人とオランダ人のハーフなのですが、いわゆる「白人臭」を受け継いでいるようです。そして最近、息子のクラス(オランダ)に体臭がものすごく強い子がいて、いじめの原因になっているとか。これらのケースを見ても、体臭が社会的に問題になるのは8歳といえます。8歳ですよ! 早いですよね。日本の事例を知らないのですが、似たような年齢だと考えられます。
いじめられている子からすれば、「なんで?」と思うだろうし(自分の体臭はわからないもの)、じぶんの力ではどうにもできない問題でしょう。可哀想です。専門家のヘルプが必要です。この場合はクラスの担任が本人の両親に斡旋するのがベストですので、そのように先生に申告しようと思っています。
そもそも日本は蒸し暑く、汗をかきやすい気候です。DNAがその環境に適応しようとしてきたのか、世界的に見れば日本人は「ワキガのニオイ」がわりと少ない人種です。着物の構造ひとつとってもおもしろく、子どもと女物の着物には「身八つ口」というのがあります。腋の部分がぽかーんと開いている、あれです。つまり、わざわざ腋からニオイが漏れやすい構造になっているのです・・・!
むかしは手軽な腋パッドのようなものは存在しませんでしたから、汗はかくし、腋は臭くなるし・・・。でも、開いていることを隠すようにする動作が女らしいと考えられたのだとか。今夏浴衣を着る女性のみなさん、ビラーンと見せてしまってはみっともないので、電車でつり革を持つときは、もう片方の手で隠すように持ちましょうね・・・。
伝統的には、日常的にお歯黒に使われていた「五倍子粉(ふしのこ)」というものが、腋の消臭剤として使われていたようです。現在では草木染めなどに使われる材料で、タンニン成分が豊富。そのものは決して良い匂いとは言えませんけどね。南仏では、アルム(明礬)の石けんのような固まりを腋に塗るのが伝統のようです。
日本では特に遊女たちが、体臭と香りを掛け合わせ、それをツールとして駆使してきました。主に使われたのは「沈香」です。現在は香道でのみ使われる香木ですが、昔は遊郭でふんだんに焚かれていたので、「沈香」イコール「遊郭の香り」だったようです。確かに、沈むようなリラックス効果がある、官能的な香りです。いろいろな使い方がありますが、ひとつの例としては遊女がお客様のもとに向かう前に、香炉の上に立つ(アソコに香りづけする)といった使い方があります。同じようなシーンが「カーマ・スートラ」の映画にもありましたので、アジア共通の行為なのかもしれません。ベッドの中でも使えるようなローリング型の香炉や、枕そのものが香炉になっているものも使われたりしました。
この辺りの技や道具を書くと、とても長くなりますので、また次の機会にでも・・・。ご興味ある方は、私の作品でも関連事項をとりあげていますので、そちらを参考にしてください。江戸時代、長崎出島における、遊女とオランダ人商人の「匂い物語」です。
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