« 「光と瞬」セラアート写真展ありがとうございました! | Home | 小さな花屋の決死の東京出張 »
15:00。なにげなくラジオを聞いていたらいきなり、ハスキーな女性の声が聞こえてきました。格調高いオランダ語に混ざって、セクシーに甘えるような喋りです。
アナウンサー(以下 ア)「こちらは娼婦のAさんです。こんにちは」
娼婦(以下 娼)「こんにちは」
ア「ところでAさん、いまおいつくつですか?」
娼「70よ。まだ私現役なの。ヴァギナは、まだまだ成長するばかりよ♡」
ア「そ、そうですか・・・」
・・・で、折しもアメリカの大統領選が熱い時期ですので、話題はそちらに。
ア「ところでAさん、アメリカの大統領選挙をどう見ますか?」
娼「まず、あのふたりは、わたしに言わせれば、ただのオスの猿ね。」
ア「はあ・・・」
娼「オバマは単におっぱいでヌクヌクしたくて、ロムニーはヴァギナが欲しいだけなのよ。アメリカではとくに、政治はセックス・パワーの見せ合いなのよね。・・・」
■
娼婦さんがこのように、大統領選をケチョンケチョンに批判した後。
オランダの某人気番組(パウル&ウィッターマン)の男性評論家が登場。もうひとりの女性評論家と、議論を交わしました。
議題は、「オランダにはなぜ女性評論家が少ないのか」。女性の社会進出が進んだオランダでも、言論メディアに影響力のあるのは男性ばかり。男女不公平ではないか、と。
男「女性は教育や仕事の機会も平等に与えられてるじゃないですか」
女「男性は既存権益にしがみついてばかり。男ばっかりでつるんでるし。これじゃなにもかわらないわ」
男「まあまあまあ・・・。きょうは天気のいい金曜午後なんだから、もうちょっとソフトにいこうじゃないか・・・」
男女の関係や問題って、ところ文化かわっても、大なり小なり似たようなものなんだな、と思いました。
■
そうそう、前出の娼婦は単に、アミューズ(遊び)の演出だったわけです。「女性(娼婦)が政治評論ってのも、珍しくていいんじゃない?!」というであり、暗のステートメント。
女性のメタファーとして娼婦っていうのもどうかと思いますが、真っ昼間からこんな奇抜な演出をするオランダのテイスト、ちょっとおもしろいですよね。きっと番組編集者が粋な女性だったのでしょう。
■
前回の「女性はどのように生きたらよいのでしょう?」コラム、多くの方から反響がありました。特に男性から多かったのが興味深いところ。
女性は女性でそれなりに自由を謳歌して楽しんでいるのは大いによろしいですが、男性はちょっとしたアイデンティティ・クライシスを感じる時代なのかも。
今回は男性バージョンとして、「オランダの男性は、強いオランダ女性を前に、どうやって生きているのか」をご紹介しましょう。
■
まずオランダの男性は、家事育児なんでもこなす人が多いです。その点、「世界でもっとも理想的なパートナー」とイギリス人女性も賞賛しておりました。オランダ男子はこの点がクリアーできないと、結婚は難しいのではないでしょうか。
べつに上手にできなくてもいいんです。「シェアする気持ち」が望まれます。
べつに50%50%でなくてもいいんです。共働き家庭がほとんどですから、「火曜日と土曜日はボクの担当」あるいは、「料理はあなた、掃除洗濯は私」みたいなざっくりした決め方です。
子どもが生まれると、女性は3ヶ月ほどで職場復帰します。そして、フルタイムで働いていた男性は週5から週4か3へ、女性は週3か2へシフトすることが多いようです。これがオランダ・モデルとして有名な「ワークシェアリング」です。
■
以下はオランダ白人家庭に非常によくある、一般的な例です。
月:子ども達は保育園へ。お父さん、お母さんは職場へ
火:お母さんは休み。家事育児係。
水:お父さんは休み。家事育児係。
木:子ども達は保育園へ。お父さん、お母さんは職場へ
金:お母さんは休み。家事育児係。
つまりお父さんは週4日働き、お母さんは週3。子ども達は週2で保育園に行く。
お母さんが週4働く場合、週1はどちらかの実家にヘルプに入ってもらうようです。レギュラーの場合は、親族といえどペイが行われているのが通常。
■
女性には教育や仕事の権利(プラス、家事育児をシェアする権利)が平等に与えられるようになった昨今。だからといって「主夫」が出現するかというと、そうでもないようです。
「主婦」はたまにいます。子どもの数が多くなればなるほど負担が大きくなるので、一時的にお母さんが仕事をやめて、「お母さんは育児家事、お父さんは仕事」と分担する日本モデルのような家庭は、あるにはあります。都市部より田舎の方が多いようですが。
やはり男は働かなければならないのですね。かつ、家事も育児も分担し、夜は奥様をもちあげ賞賛しなければならない(笑)。たいていが厳格なプロテスタント的育ちをしている男性ですから、あらゆる悪の誘惑にも勝たねばなりません。(カソリックの場合は懺悔が救いになったりしている。)オランダの男性は大変ですね。
金銭的には、夫婦共同の「家族アカウント」というのを銀行で作り、そこに毎月定額振り込んだりします。ふたりとも同額というわけではなく、収入に見合った額です。
■
オランダは一見、非常にフラットな男女平等社会に見えますが、社会的ステータスだけは別もののよう。会社の重役、大学教授・講師、評論家、政治家などなど、社会的なリスペクトを得られる(あるいはそれを必要とする)職業は、男性ばかりです。(しかも白人系)
私もじつは、オランダ王立アート・アカデミーなど様々な大学で非常勤講師を務めたことがありました。そのときに学生にいわれました。「女性に教わるのは、そういえば初めて。」
しかも、アジアからの移民の女性ですよ。社会的にはエギゾチックではあるが、ひじょうに弱い存在。(日本でいえばフィリピン女性の社会的地位がこれにあたるかもしれませんね。)オランダではそんなヒトが大学で教壇に立つなんて、じつは異例中の異例。教える側も教わる側も、やりにくい。教えるたびに私は、肝っ玉が強くなりました。
私がアカデミーに採用されたのも、ちょうど学校側の良識ある人たちが「アカデミックな世界も女性や移民を積極的に受け入れるべきだ」という反省を見せ始めた時期でした。彼らは私の友人達でもあるのですが、とてもオトナな態度です。
■
そんな流れがいま、オランダ社会全体にあります。冒頭に紹介した娼婦のトークもその象徴。男性って、社会的なステータスがあるていど必要な生き物で、そこは女性のネイチャーではありません。しかし、男性からのオトナな反省、手放す勇気、そして寛容な受容あってこそ、女性も社会進出できるというもの。器のように受け入れるそんな優しさだって、男性のネイチャーです。
このように、オランダにおける女性の社会進出は、まだまだ試行錯誤中、現在進行形です。難なくスムーズに進行したと思っていたらおおまちがい。読者の方は意外に思われたかもしれませんね。いろいろなクライシスがありますよ。
日本の方が柔軟だなあと思う部分もあります。ヨーロッパには伝統と歴史の重みがありすぎるのです。靴の修理屋さんひとつとっても、ギルド時代から続く職人気質とプライドが厳然と存在しているので、どんな女性でも簡単に入り込めるわけではありません。職人的なシェフの世界や、調香の世界だって、いまだに男性ばかりです。
■
けれども、日本と決定的に違うのは、仕事をやめて出産した女性には当然のように社会復帰が期待されている点。「結婚を機に女性が仕事をやめ、家計一切を仕切り、旦那さんは奥さんからお小遣いをもらう・・・」といった日本の既存のフレームを説明すると「それでは奥さんは、年金生活に入ったようなものじゃないか」とビックリされます。
確かに、女性の選択肢や生き甲斐が変化した現代においては、出産した女性に「社会から引退してしまった感」を持たせないようにすることが、思いのほか大事なことなのではないでしょうか。それができる器を持っているのは、ほかでもない、男性/お父さんです。
それは女性にとってもプレッシャーですが、「現役」であることの歓びは、女性をいちだんと生き生きとさせます。そして何より、子ども世代にとって、それは希望ともなります。
オランダにはいわゆる「お局様」はいません。お母さんとなった女性は、外見が武器の若い女性と違い、熟成した内面と安定性、そして母性が評価され、一定のリスペクトを得ています。お母さんになると、それまで24時間まるごとじぶんだけの時間だったのが、ほとんどゼロになります。そのため、手際が良くなり、仕事の効率が上がり、計画性もつくのです。
オランダのお母さん達の働く目的は、どちらかというとお金ではなく、生き甲斐です。女性が家計を半分負担するとなると、こんどは家庭が殺伐としがち。子どもが病気になったときにどっちが休むかで、喧嘩が始まりましょう。なので、あくまで稼ぐのはお父さん、というフレームを崩している家庭は少ないようです。
■
男女の関係において、このような激変の時代に身を置いている私達。このテーマにかんたんな解があるわけがありません。男も女も、心と体を柔軟に鍛えておくことが、ひとつ支えとなるでしょう。
日本では、ヨガをやっているのは、ほとんどが女性ですよね。オランダでも、女性が多いのは確かですが、男性率もかなり高いです。ある晩ヨガスタジオに行くと、私以外はみんな男性だったなんてこともありました。日本の男性も、オランダの男性のように、ヨガでココロもカラダも柔軟に保ち、アイデンティティ・クライシスに備えておきましょうね♪
(冒頭写真は、このテーマとはまったく関係ありませんが、オランダのチーズ売り場です〜)