« | Home | »

2012/10/15

飛行機を降り立つと、美人の金髪女性パイロットが次の乗務のためにゲートでスタンバイしていました。キャップはしっかりかぶりつつ、下はスカートという姿。この組み合わせは見慣れないけど、とても決まっててカッコいい。

スーツケース受け取りの前に空港のトイレに寄ると、女性用トイレに男性が駆け込んで来てビックリ。一瞬私が間違ったのかと思ったら・・・「まいったよ、あっち掃除中だってさ〜」と平気な顔をして言う。ああそうだ、ここはオランダだった。

そして入国審査へ進むと、銃を腰に睨みをきかせているのはニキータ風のスラリとした女性。長い黒髪を三つ編みにして、ちょっとパンクな感じで、カッコいい。

半年ぶりにオランダに戻っています。これらのエピソードはオランダ女性の社会でのあり方を端的に示すエピソードのほんの一端です。

日本でも女性のあり方は急激な変化を遂げていると思います。かつてないほどに自由を与えられているのです。教育の機会は平等だし、労働環境もいちおう平等。それでいて、結婚して家庭に入るか、キャリア・ウーマンとして上を目指すか、あるいはその中間に留めて共働き夫婦をやるか、選ぶことも可能です。

しかし子どもを産むのはどうやったって女性、しかも45歳以下の間にしかできない。そういう現実と、人類の未来を考えると、女性へのプレッシャーはいつの時代もとても大きい。だって、女性が子どもを産まなくなったら、人間がいなくなってしまうんですからね・・・

女性の自立が可能になってしまうと、そもそも日本の男性は子どもっぽいので、そんな男性を必要とは思わないという女性も多いかもしれません。これではますます日本からヒトが減っていく。

そんないまの時代、女はどう生きたらいいんでしょう?

この結論の出ない命題に関して今日は、オランダで生きてきた私の経験をいくつかあげながら、考えてみましょう。女性の社会進出がもっとも進んでいると考えられている北欧圏です。男性の方々、スミマセン。今回は女性目線ということでやや辛口ですが、ご容赦ください。

先に述べておくと、北欧的なフェミニズムが理想かというと、わたしはどうも素直にうなずけません。確かにこの社会では共働きがあたりまえで、女性の地位も高いのですが・・・。なんというか、女性が必要以上に強がっている気がするのです。

まず、女性らしさとかセクシュアリティとか、あるいは恥じらいといったものが、日本とは常識が違うのかもしれません。このまえもヨガのクラスに行ったのですが、更衣室は男女わかれていなかったりします。この文化ではパンツとかブラジャーなら「下着」とは見なされず、「服の一部」。ちなみにこの、男性の前でもつい着替えてしまいそうになるクセは、日本にいってもしばらく抜けませんでした(笑)。

サウナとかスパに行っても、男女とも素っ裸で一緒に入るので、日本的な感覚で行くと落ち着かないです。10分くらい経てば、次第に慣れるのですけどね。

このように、公衆の面前では男も女も同じ人間として扱い、性的な対象としてみなすべからず・・・みたいな約束ごとがあるような気がします。プロテスタント的な、禁欲的な発想ですね。もちろん、バーとかクラブとかはプロトコルが別ですが。日本でよくある「電車の中での痴漢」なんて、ここではありえません。AVビデオとかピンク系のお店などもあるにはあるのですが、そういう良識ある層にとってはタブー的な感じさえします。

なので、お洒落してスカート短めに会社に出勤・・・みたいな行為も女性はあえてとりません。化粧も洋服も、あくまでも身だしなみを整えるという程度におさえ、「カワイイ」より「カッコいい」を好みます。殆どの女性はズボン。スカートはあまり見かけません。

とくに私が身を置くアート・シーンまわりは、化粧をしたらかえって浮いてしまうほどです。みんなナチュラル。「女」を全面に出して仕事するのは、かえって不利になったりもします。なのでおのずと私も化粧をしなくなってしまいました。普段は化粧水と乳液のみ、夜のお出かけのときにはアイラインとリップを追加して・・・といったていどです。日本的に見れば女を捨てた感じですが、ありのままでいれるという良い点もある。

息子のお母さん達をみてもそんな感じです。ばっちりメークしてお洒落しているのは、70’sのヴィンテージ系をじぶんのファッション・スタイルとしている方たちくらいかな? それはそれはCute & Cool ですが、オランダではちょっと浮いてる感があるのも事実。

このようにオランダで仕事をする女性はみな、じぶんの女性的な部分を覆った「パブリックな顔」を持っています。そうじゃないとやっていけない。そこは強さでもあり、弱さでもあります。というのも、誰でもそのような顔をいつも持てるわけではないからです。カスタマーサポートなどで、相手を男のように思ってやりあって一線を越えたりすると、いきなりヒステリーで返されたりする(笑)。

オランダの女性はみな、ピシッと背伸びして立っているように見えますが、その足下はメタリックなヒールの靴ではなく、もろいガラスの靴のように思えたりもするのです。けれども彼女達はプロテスタント的な環境の中で、そんなガラスの靴でも胸を張り、器用に歩けと育てられたのだろうと思います。

わたしはそんな環境下で育ったわけではありませんが、子ども時代よりじぶんが女であることを顧みず、男性と同等に・・・と肩を張って歩いていたような気がします。ずっと共学でしたしね。日本ではそれはそれは強い女でしたが、日本育ちの私がオランダで同じように演じてもしょせん、ガラスの靴で器用に歩けません。なので、さっさと見切りをつけ、20代のうちに結婚して出産してしまいました(笑)。

でもその後はふしぎと肩の力が抜け、じぶんなりの歩き方を見つけることができました。社会的に弱い「東洋の女」ではありましたが、そんな私にしかできない仕事を、私のやり方で、しなやかにやればいいのだ、と思ったのです。こうして、誰も踏み込んでいない「匂いのアートの世界」の扉を開けたのでした。

いつか、コラボレーションしていたスウェーデン女性に言われました。「あなたは、白人ではない女性というだけで、そのままでエギゾチックなのよ。何をやっても、だれも文句いわない。だからそれを利用して、エキセントリックなことを思う存分やるといいわ。羨ましい。」

そんなことを言われ、とてもビックリしました。流暢な英語を駆使したコミュニケーションで、社会的にも立派なオトナな立ち回りができつつ、逞しくシングルマザーもやっている彼女こそ、私にとって叶わない、羨ましい存在だったからです。

じつは「ガラスの靴」の存在に気づき始めたのはこのことがきっかけ。やはり彼女もガラスの靴を履きながら、弱音ひとつもらさずに必死に歩いているんだ・・・と、ハッとしました。

最近になってこそ「女らしい」といわれ、若い女性からも「ステキ」ともてはやされ上機嫌な私(笑)ではありますが、それはほんとうに最近のこと。中学時代まで競泳をやっていたのもあってまるで(ガタイも含め)男みたいだったし、その後も突っ張ってて、可愛げが無く、意地っ張りで。常にジーパンで、豪奢な飾りやフリルのついた女性的なカワイイものは毛嫌いしていたし、女らしく振る舞うべき状況では根っからの反骨精神が顔を出し、全身で拒否していました。

ところが、もしかしたら嗅覚の仕事が「女らしい世界」への扉を開けてくれたのかな、とも思います。最近はベリーダンスを始めたのもあって、キラキラしたジュエリーとか、女子会独特の「女性万歳!」的なノリとか、カワイイ女の子とか、セクシーな踊りとか(笑)、大好きになってしまったわたし。

変われば変わるものです。「女性はやっぱり、じぶんの美しい姿を鏡で愛でてなんぼのもん。腰のラインを綺麗にポーズとって、うっとりしましょう」とわたしのベリーダンスのティーチャーは言い切りました(笑)が、ほんとうにそうだなあと最近感じています。花の良い香りを嗅ぎ、心地いい音楽を聞いて、美しく踊って、優雅で柔軟な物腰で生活して仕事して・・・女って、もともとそのように作られた生き物なのではないでしょうか。

「愛されたい」「モテたい」が故にいろいろ頑張ってしまうのもわかります。しかし女は、自分で自分を愛でていれば、おのずと愛される・・・そうではないですか?

女を武器にしなくてもいい。でも、肩を張らなくてもいい。そんなポジションにリラックスして立つには長い道のりがあり、若い女性にはなかなか難しいかもしれません。そんな女性たちのエンパワーメント、お手伝いできればいいなあと、いつも思っています。

でも女性がそれで満ち足りてくると、ますます日本の男性を必要としなくなるのでは・・・という危惧もあり・・・悩ましい問題ですね(笑)。

(オランダ発・オルタナティブな日本映画・文化祭 カメラジャパン・フェスティバルにて。コスプレ好きの可愛い女の子たち。私も左上の彼女と一緒に、ひとつイベントを披露しました。詳しくは私のブログへ。)

2012/10/15 03:58 | maki | No Comments