Home > 新着記事 > uika

2014/02/28

以前、学生時代のサークルのOBOG通信紙に掲載させていただいたコラムをこちらでも投稿させてください。

 

ぶどうのように、ひとつ ひとつが まるく。ぶどうのように、みんなが ひとつの ふさになって。 ぶどうのように、ゆったりと においも あまく。 ぶどうのように、よろこびを ひとから ひとへ。

木下牧子作曲 与田準一作詞 「ぶどう」より

私は、なぜ歌い続けているのか。 わからない。 何故なら、まだまだ勉強の途中だから、ということもあるから。 今、自身で分かっていることは、表現者、発信者として歌を歌っているということ。 「好き、楽しい」という単純な気持ちからではない。 テーマを自分から観客に伝える。「自分が」ではなく「観客に」楽しんでもらうために歌い 続けている。 作詞者の意図、その意図を読み取り作曲した作曲者の意図、その二つを汲み取 り、生まれ出たメロディーが人々の心を動かしたとき初めて、 演奏する意義が生まれるの だ。

大学卒業後、オペラ歌手育成部に入所し、 3年間オペラ漬けの生活を送り、今年の3月に 修了した。なぜ、音楽家を志したのかという質問を養成所でも、 オペラの現場でもたくさん 投げ掛けられた。

そもそも、私が合唱というものに虜になったのは中学生のころだった。 そのまま高校でも合唱部に入部し、自分の歌声の可能性を確かめたく声楽の勉強を始めた。 合唱を楽しむために声楽を始めたはずなのに、師匠からは「声楽をやるなら合唱はやめなさ い」と言われ続けたが、辞めることができなかった。 大学進学し、サークルは迷わず合唱団を選んだが、早混に入団して初めて「組織」という壁 にぶつかった。組織だからこそ、歌唱力より人間性を問われることが多く、 音楽性以外のこ とで挫折を味わった。純粋に合唱を楽しみたかった私は、 一般の合唱団の門を叩いたことも あったが、今度は音楽性の違いで楽しむことができなかった。理由として「 音楽大学で専門 的に学んでいない」ということにあった。 早混では人間性、一般団体では音楽性を問われる。このギャップに混乱した。私は「 合唱 をこんなにも愛しているのに、自分の居場所がない」と悟った。

居場所を求めるようにオペラの勉強を始めたが、ここでは、 専門的な知識、実力があるこ とが前提。いわゆる「ただの合唱あがり」の私には過酷な世界だった。 「声質はよい」と褒められても、テクニックがない。基礎すら会得していない。 今までいか に自分の声に頼って独りよがりに歌ってきたかを思い知らされた。「天は二物を与えず、と いうけど、あなたのことよね。声はいいけど歌が下手なのよ。自分の中から生まれ出てこな い。上手になる努力をしない。」 と高校時代の師匠から言われたことをここでようやく理解 した。10年近く理解していなかったことになる。当時、 音大受験を反対されていた理由は ここにあった。 養成所で「オペラは歌を聴かせてナンボだ」と学んだ。逆に、声楽(オペラアリア)しか学ん でいない者は、アンサンブルに苦労していた。オペラ(歌劇) はアンサンブルにより物語が進 められる。そして、アンサンブルは「声を合わせる」のではなく「息を合わせる」 ことだと 知ったのだった。

今の私の歌う場所はオペラの舞台が中心であるが、 どうしても合唱やアンサンブルが恋し くなる。在学中、4年前の誕生日に、私の音楽性に共感した後輩や同期が、 女声アンサンブ ルグループを設立してくれた。その仲間たちと病院で慰問コンサートを行ったり、 地方の合 唱祭に出場してる。病院では「人の歌声はこんなにも癒してくれる。歌ってくれてありと う。」 というお言葉をいただく。 仲間たちと息を合わせることで、心地よい空間をつくり、その音楽が観客の心を癒してい るのだったら私は嬉しい。

09:59 | uika | 歌う理由 はコメントを受け付けていません
2014/02/28

お手伝いに行っている合唱団のお食事会でたびたび話題になる『選曲』

私が学生時代に所属してきた部や合唱団は、コンクール出場のための自由曲選曲やコンサートにむけて3.4つの組曲を選出してきた。
いわゆる、目的が「お客様に数ヶ月後には披露する!」というのが前提である。

学生時代は、コンクールウケがいいものや、雰囲気がかぶらないように外国語でも時代やジャンル(ルネッサンス、ロマン派、黒人霊歌、ラテン系などなど)を考えたり
その時に流行っている若手現代作曲家の組曲に委嘱し初演をするなどしていた。

過去、私の同期で活動しているアンサンブルチームでは、独断で私の大好きな日本人作曲家の方の作品を歌いたい一心で片っ端から音をとっていたが、
慰問ボランティアコンサートやカフェコンサートで披露するために用意するものは、滝廉太郎の花など、日本人なら耳馴染みのよい日本歌曲をアカペラ4声で編曲された組曲や時期によってはクリスマスソング、ミサ曲などを練習した。

自分たちで楽しみたいがために合唱曲に取り組むのはもちろん素敵な時間だが、練習をしているとはやり誰かに披露したくなるのは欲だ。
しかし、合唱曲というのは音楽に携わらない方にはハッキリいうと退屈なもの(だそう。確かに私も好きではないジャンルだと眠い)で、知ってる曲が和音でさらに掛け合いで演奏されると、少し感心されるので、必ず誰もが知っているポピュラーな曲を合唱に編曲したものを取り入れようと思っている。

合唱団運営のための選曲というものを気づかされた。女声団員が少ない団では
「今やってる選曲は女性団員を夢中にさせる選曲。」
つまりは続行して練習に来てもらうこと、在団し続けてもらうことを狙いとしている。
団存続のために選曲し、さらにはお客様視点でも選曲。

09:57 | uika | 合唱団で3 はコメントを受け付けていません
2014/02/27

合唱団を指導する人間、特にアマチュア合唱団ではやっぱり、「合唱あがり」の音楽家であってほしいと私個人は思う。
以前、私が言った青春を感じる「合唱」をひたすらやり続けた人間こそが、ふわぁっと幸せを口伝えで教えられると思うからだ。

「合唱あがり」でなくても吹奏楽、管弦楽出身の方が合唱団の指揮を務めることもある。

合奏と合唱は、仲間のブレスを感じて大気を動かしていく作業は似ているので、指揮者としての指示の仕方は似ている。

が、合唱あがりの人間というのは「音を正確に出す」「和音、アンサンブルをする」という当たり前のこと以上に、合唱ならではの声の出し方を身体で知っている。

だったら、声楽科出身の指導者でもいいじゃないかとなるが、かまわない。

だけど、「合唱あがり」にこだわるのはその指揮者の方がどんなジャンルの合唱を体験してきたかにもよるが、青春時代に合唱をしながら、どんな生活を謳歌したのか、どんな青年でいたか、合唱に求める音色に積み上げてきた人間味を感じられたりするからだ。

合唱は、身体の楽器がそれぞれ違った仲間あってのものなので、思いやりや優しさが指導や歌で感じられるのだ。

歌い手がパート内や間でトラブルになることの一つ、歌居心地がいいかどうかは、メンバー内の思いやりで決まる。

音楽面以外にメンバーのメンタル面も読み取れる力のある指導者がたくさん増えたらいいなぁと合唱あがりの声楽家は思う。

12:28 | uika | 合唱団で2 はコメントを受け付けていません
2014/02/20

ここ最近は大きな本番もなく、大学の校友会総会後の宴会で歌を披露させていただいたり

50期近く先輩の方々の創立された合唱団や、学生時代に所属していた合唱団のOBOG合唱団の催しに顔を出させていただいたり、校友の世界で歌わせていただく機会に恵まれている。

校友の先輩方がいらっしゃる合唱団では、学生時代から嗜んでいた合唱を社会人になっても続ける、そして、定年退職をなさった後も歌い続けるという先輩方のお姿を拝見しながらご一緒させていただいている。

そんな中、ふと思うことがちらほらあるので、自分の中で整理をするためにもしばらく合唱を話題にしようと思う。

まず、私の中での「合唱」とは教会などでミサを歌ったりするイメージではなく、中学校の校内合唱コンクールで皆さんが歌ってきたような声部が3、4と分かれていて、歌詞に共感しパートごとの掛け合いや和音に酔いしれ、1音1フレーズに身体をよじらせながら響きの中を漂う、

いかにも「今青春!仲間たちの呼吸を今まさに感じているぜ、お前らこれからも大好きだ!一人として欠けちゃいけねぇ!」と歌っている瞬間感じるのが「合唱」と呼ぶ。

年末よく催される第九を何百人で大合唱!やオペラなどの民衆役、いわゆるアンサンブルは私の中で位置づける「合唱」とは少し違うものだ。楽譜は同じなのに、何か違う。

話題にしたいのはその前者、青春的な合唱。

まず、私が合唱にのめりこんだのは忘れもしない中学生。

うたは個人的に児童劇団のクラスを受講していたりと大好きだったが、ポップスでも演歌でも声楽でもない「合唱」というものにハマってしまった。

母に「合唱していて、何が幸せ?」と尋ねられたことがあるが

「(私はソプラノだった故)厚みのある和音の上をスイーと泳ぐように乗る、またはかき分けながらそこでピアノのキラキラした何から降ってきて、また声の和音に私はふわぁっと包み込まれてあぁ幸せ、パチクリてなるの!」と答えたらしい。

このセリフを母はずっと覚えていて、大学合唱団に所属していたときに幹事学年に上がる年、方針案でもめて悩んでいた私に「あんたこんなこと言ってたんだよ?その気持ちは今の合唱団にいて感じてるの?」と質問してくれたことがある。

正直、感じてはいなかったが、そもそもの私自身が掲げる「合唱の魅力」というものを「本当の合唱の魅力」というものを後輩たちに同期たちに伝えなくては!と気持ちを立て直したのだった。

今、お手伝いで歌わせていただいてる合唱団はアットホームで和気あいあい。
愛好者として合唱するにも、セミプロとして活動する合唱団にしても
まずその環境にいて「青春」を感じるかどうかが続ける秘訣だと私は考える。
いくら音楽が美しく演奏できる団体だったとしても、音楽は人間そのものが創るものだからその環境の人間を信頼しあう、それこそが合唱団に所属し伝い続ける、ということなのだ。
ふわぁっと包みこむものは「大好きな人たちの歌声でできた柔らかいなにか」

あくまでも、「愛好家」として歌う、私の合唱を愛する心。
プロとして声楽家としては?と自問自答は続く。

11:23 | uika | 合唱団で1 はコメントを受け付けていません
2014/01/30

大学の地方校友会新年会で歌を披露させていただくことになりました。

大学にまつわる曲とイタリアアリアを披露させていただけるということで
またピアノ伴奏も用意できないのか…アカペラか…?と思いながらオーケストラカラオケCDをもっていたのでその中から、昨年フレッシュコンサートで歌ったプッチーニ作曲リゴレットからジルダのアリアを歌いました。

校友会には地方といえども各大企業の重役の方々が出席なさっているので
また一段と緊張感があります。

音楽大学を卒業してなくても、一般大学を出たのに歌い手として活動し始めたんだという暖かい眼差しで聴いていただけるのは本当に校友会様様です。
歌った後はいわゆるVIP席に混ぜていただいて感想や激励のお言葉をいただけるのが嬉しいです。
例えば、今度うちの企業で会があって歌ってもらえる?だとか、CMソングつくった場合どう?だとか
社交辞令だとしても、それは印象に残ってくださればもしかしたら繋がる世界なわけでお言葉だけでも大変嬉しいです。
もし、ディナーショーをホテルでやるとしていくらで来てもらえるの?という質問は若手の私として困惑しました。
思わず『歌わせていただけるだけで嬉しいので言い値です?』と答えてしまいました。
誰が何処で聴いてくださっているか、見てくださっているかわからない。
世界は誰が開いてくれるかわからない。
近頃は校友会の方々のおかげでたくさんの人脈も広がり、パワーをいただいています。

私は母校の出身者で本当によかったと心から思います。

11:46 | uika | ホームカミング2 はコメントを受け付けていません
2014/01/24

先週、門下発表会がありました。

師匠夫婦お二人の門下生が集まる発表会

旦那師匠が仰った
『一般の部でお金がとれる人は4人』
もちろん私はその中には入っていない。
でも、肩書きを背負う身としてはとても複雑。

昨年なら、どこかに所属していたらもっと気持ちに余裕ができるのではないかと思っていたが
今は大きな団体に所属しているにもかかわらず、こんなもんですかと思われるのではないかという不安。

団体の名前を背負うというのは、責任も生まれるし、自分が下手なものを発信すると迷惑もかかる。

『門下の発表会は自分でお金を払って歌う舞台なんだから、色々な意味で好きなように今の自分の歌を歌いなさい。お金をもらって歌うコンサートとは違うから。』とレッスンで言っていただけたのだが、

お金がとれる演奏云々と毎回本番後に言われてしまうと、やはりまだまだ人前で堂々と舞台に出て行けないな、と小さくなってしまう臆病な自分がいる。

身の丈にあう舞台なんてひとつもありはしないのだが…

この一年は、基礎の基礎を固めます。

08:02 | uika | 門下発表会 はコメントを受け付けていません
2014/01/18

新年明けて初レッスンの話
お言葉がグサときたのです

『あなたは人一倍感受性が豊かなのに、感情の起伏が激しいのを抑えて普段は感情を表に出さないようにしている。
でも、歌はそんな感受性を爆発させるためのもの。こんな素敵な歌が詩があって、あなたの感受性とお客様と素敵な風景を共有するのがあなたの仕事でしょう。歌で爆発させないでどうするの。
普段傷つきたくないからって感情出さないけど、もう抑えてているのは最近、本当は面倒くさくなってきたなって思ってるんでしょう?
私にガミガミ言われてからすぐ、世界観を変えた歌い方できるくせに。あなたの中にあるのに、どうして最初からやらないの。』

以前、『演劇を勉強してきて、演技がうまいと褒められるくせになぜ歌で感情表現できないんだ!』
と叱られたときに

「私は昔から感情の起伏が激しくて、抑えられずに他人に言葉や態度で攻撃してしまう人間でした。一時期軽いウツにもなることもあり、それから自分を守るために感情を内面にしまうようになってから、不機嫌な顔やら意固地な性格と思われるようになってしまいました。
演技も幼少時代から学んでいますが、オペラでいう立ち位置や動きが自然と人よりできるだけで、テキストの読み方や口から発する台詞は本当に下手です。
普段の生活で、悔しい悲しいは顔に出しても、嬉しい楽しいは上手く表情や言葉に出せない人間が、演技や台詞でできるわけがないです。
だから、私は本当の演技は下手だし、歌も中身がないように聴こえます。というか空っぽなんです。
普段の生活から改めます。」
と、泣いたことがありました。

今考えたら…出来ないなら芸の道や表現者辞めてしまえと自分でも思うようなこと口走ってます。恥ずかしいです。

自分がなぜ、舞台上以前に普段の生活で喜怒哀楽を気持ち良く発信できないのかと、音楽の世界に踏み入れてからは特に、気持ち悪いくらい行き詰まっていました。
普段から身についてないものは演技で発せられるわけがない。
技術も、身のこなしも、感情も同じことではないか…と最近気づきました。

性格や内面って変えていけるものなのでしょうか。すぐには変わらないのでしょうね。

暗い、陰気くさいと言われている最近でも
ごくたまに明るくなった。笑顔が増えたね。
と言われたとき
とっても恥ずかしいというか自分がむず痒いというか、正直気持ちが悪いのです。

…抑えるのが本当は面倒くさくなってきたなって思ってるんでしょう?
という言葉は少し図星かもしれません。

06:55 | uika | 面倒 はコメントを受け付けていません
2014/01/12

私は若いころからキャンドルがすきなのですが
関東に越してきてからはアロマキャンドルもそんなにたかなくなってしまいました。

しかしカフェなんかでキャンドルナイトを実施していたりすると嬉しくなります。

渋谷のギャラリーバーがキャンドルアート週間を実施するということで…

灯火も好きですが、ロウゆらゆらしているのを見つめているのも好きです。
空間がアートですね。

この日は50歳の男性と女性(中学生時代同級生でお互い既婚でお子様も大きくなり、最近になって再会し友だち付き合いだとか)
そんな方々と知り合いになりまして、たくさんのお話をしてきました。

僕たちには、これをやってます!と胸をはって言えるものがないんだよね。趣味もそんなあるわけでなし。
普通に企業で働いて、普通に家族がいてごく普通に生活しているんだ。ここに集まる人たちは音楽だの舞台だの写真家や絵描き…芸術家が多いじゃない、君も自分のことを自慢していいんだよ。と仰いました。

私は普通の世界に生きる者だから話をきいてもつまらないよ?という彼らのいう『普通』の世界を知りたいので、お仕事のこと、ご家族のこと教えてください。とお願いしました。

一般企業にお勤めの方は、わたしたち芸術家のことを「好きなことやってていいね」と決まって言うけど、皆さんは好きなことや、やりたいことを仕事にしているんじゃないんですか?私は好きなことというか、最初的に残ったのが歌うことで、行き着いた場所がここなんです。という流れで

就活をしてるときは「これがやりたい、だからこの企業!」と思っていたか?もしくは、企業でやる仕事、オフィスワークや営業具体的に知っていたか?といえばそうではないと思う。
歳を重ねて企業でやりたいことをやってる人はそうそういない。企業のいい方向を目指して動くのはみんなが望むことだけど、本当にやりたいことをやってるかと言われたらやってない人がほとんどだよ?
と仰いました。

ただ、その普通という仕事も私たちの芸術家も本当にやりたくてやっているのか?と尋ねられて、ぜひやりたくて選びましたという人が大半ではないことを説明するのは難しいな…と思います。
自分で決断したんでしょ、その特殊な世界。と。

決断なんでしょうか。今でも通過点にいるような気がしないでもないです。
それは私が中途半端だからでしょうか。

07:43 | uika | 灯火 はコメントを受け付けていません
2013/12/31

12月中旬に歌劇の本番を終演しました。
私はデビュー当初から舞台に乗るたびに自信がなくなる性格で今回もまたそんな状態でした。

現場に入ると、新人であることも経験値も関係なく技術のみで判断される世界だということを痛感するからです。

今年は11月、12月と特にそう感じる舞台のお仕事が多かったです。
そして、12月中旬の歌劇ジャンニスキッキの本番でいただいた役は、初めての人間の大人の名前があるソリストでした。
今まではソリストといえど、役名にⅠ.Ⅱ.Ⅲがついているようなアンサンブルの役だったので個人が一つではなくアンサンブルで一つの役。
今回は交じりっけなしに個人が個人。
ただ、親族の一人という役割のため親族全員が一体になるのはいつも通り。

しかし、それでも思い入れが強い役となりました。

今回は、終演後に初めてご一緒させていただいたマエストロから厳しいお言葉をいただいてしまいました。
「君は今まで、あんまりいい歌い手の中で歌ってきてないね?」
「朗読もアクセントがおかしいし、歌だって…君より上手な人はたくさん知っている。だから、歌い手じゃなくて演出の世界にまわったほうがいいんじゃない?」

私の素性を知っているわけではないので、稽古中から舞台姿を見てのお言葉だととりました。
ようするに、私は歌えていないのだと。

「入って間もない世界で、これから積み上げていくつもりですのでまだまだプレイヤーとしてやっていきます。」と生意気にも言ってしまったのですが。

歌が十分に歌えない、基礎もできていないのに舞台に立つな…と自分でも思うことはありますが、いただいた舞台は「ここで歌うことを許されたのだ」とありがたく受けることを決めています。

来年度は山籠りのつもりで、基礎を強化していき、いただく本番も不安や終演後の自己嫌悪に陥らないほどの余裕をもてるようになりたいです。

11:50 | uika | 厳しい言葉 はコメントを受け付けていません
2013/12/31

10月に話題にした話…もう1ヶ月は経過したからそろそろ。
以前、「アンサンブル」という言葉の認識間違いをしてトラブルになった現場での話の続きをまとめていませんでした。

アンサンブルだから数人で一つの演目や曲を演奏するものだ、と思っていたら
完全なるバックコーラスでの出演だったということでした。

初回稽古が本番の3週間前でしたが、代表が演出と話す機会を設けてくださり話あうことになりました。
ソリストばっかりに気がいって、アンサンブル組への連絡がおざなりになったのをこっちのミスだと認めたらいいの?など言われましたが、こちらとしては謝罪をしてほしいわけでも、私たちの曲を増やしてほしいわけでもなく
今後の企画段階、オファー段階のときに同じような思い違いがないようにしたい、と伝えたかっただけなのです。

オファーの時点で、
「こんな曲目リストでソリストが数名、そのフォロー的アンサンブルに入ってほしい」という言葉だったら、前回と同じアンサンブルとして数名で一曲だな、とは思いませんでした。
曲目リストも直前まで決まらず、フライヤーばかりは立派で配布しても「なにやるの?」という質問に答えられずに困ったことなどを伝えました。
代表が演出側に、アンサンブル組にもう一曲やってもらおうと言ってくださったけど
「やっと曲順も演出プランも枠組みが決まっているから、それは私たちを入れて崩したくないので辞退します」と伝えたら
プロとしての本気を見たい!と言われ
「今から5日間、新しく譜読みして振り付けを自分たちで考えて見せて!
プログラムはそれを見てから印刷に出すから!」ということでした。
アンサンブル組のため私や個人がやります!と決意しても全員がそこまで創り上げられるかはなかなか想像できず。
各々にレクチャーしつつ、途中でできないと判断した場合お断りしようかと決めました。
特に、声楽家がミュージカル曲をポップな振り付けを踊りながら歌うということはそれ相応の訓練をしていないと無理なのです。
元々ダンスを学んでいるだとか。

無理やり叩き込み、ダンスをしながら歌うのは腹の支えが上がってしまうと訴えたメンバーがいたためは、フォーメーションをクルクル変えて動きをつけるという演出プランにしました。

最後の最後まで、声楽的に歌うのかポップス発声で歌うのか悩んでいるうちに声を故障させてしまったり…最初から何も訴えなければよかった…だのアンサンブル組でやる選曲をもっとゴスペル的なものを選べばよかった…と弱気にもなりましたが。

本番までには無理やり、アンサンブル組での一曲を作り上げることになりました。

今考えると、若手だからこそ代表は課題を作ってくださったのかな…と思いますが、商品にならないステージになるくらいなら一か八か、賭け事のような今回のようなことは避けたい…と心から思ったのでした。

07:25 | uika | 本気って はコメントを受け付けていません

« Previous | Next »