本番が終わってメンバーのお一人が
「本日の本番を最後にするんです」と女声メンバーに告げた。
話をきくと、
元々女声合唱をなさっていて、混声合唱はずっと憧れで近所で練習している団体を見つけたから入団してくださったのだが、曲数についていけずしんどいとのこと。
正直、経験者であっても自主的に音さらいや復習をしないと、余裕をもって楽しめないくらい曲数は多いと私も感じる。
特に、合唱団というのは女声の人数のほうが男声より多かったり、経験者が多いという傾向にあるが、ここの団は男声のほうが多いし、学生時代からずっと歌い続けている人数は年配男声の方が多いため、選曲にも自主練習にもストイックなのである。
自主的に楽譜と仲良くなれなければ、主旋律が多いソプラノであっても音が曖昧なままついてゆけず、和音や掛け合いを楽しむ余裕がない。
私は「歌唱指導者」という肩書きのもと練習に関わらせていただいているが、肩書きはただの肩書きで練習時間からして直々フォローに当たれず、そんな様子を目の当たりにしてもヤキモキしていたのだが…
そんな中、アルトの仲間が
「練習は楽しくないの?」とたずねた。
そうすると、「楽しいですよ」と涙を浮かべて
「女声と全く違った楽しみもあって、すごく楽しかったの。でも私は全く力に及ばない…」と。
「歌うのが楽しい、ただそれだけで私たちは練習来てるのよ?ついていかれなくても、みんながいるじゃない」と質問を投げかけた仲間。
合唱というのはメンバーの支え合い。
わたしは中学生から合唱というものを知っているけど、仲間がいてフォローしあうのも合唱。
確かに、クオリティの高い演奏を求めるにはアマチュア団体でさえ練習方針や指導方針を細かに定めてから活動を行う必要はある。
しかし根本から、「歌うのが楽しい」その気持ちがすこしでもあるなら仲間たちにすがってもいいのではないかと思う。
もどかしい気持ちでいたら、メンバーを苦しめていたようでいたたまれない。
クリスマスの夜、行われた合唱団のコンサートが無事に終演いたしました。
まず、自身の反省点からいうと、「歌い手としてのコンディション」が最悪であったことを恥じます。
言い訳をすると、最初に予定していた本番日は2週間前だったことと、毎年この時期出演しているオペラ団体での出演がなくなったためクリスマス期間は副業を夜勤での出勤を了承してしまったのです。
歌い手は、11月12月がオペラのほかに第九やメサイヤのソリストオファーの殺到する時期である
(注:私のようなピヨピヨ歌手にはまだまだそんなオファーなどいただけるはずはない。。が、同世代や後輩にはソリストデビューしてキラキラしてる者はいる、羨望。)はずなのに、
この私ときたらお恥ずかしいことに閑古鳥が鳴く状態で新年に本番を一つ控えてはいても、稽古でひたすら忙しいというわけではなく貧乏暇なしで副業に明け暮れることを選んでしまったのです。
最近、歌い手にあたる先輩に「歌い手としていつでも仕事が来てもいいように身体をあけとかねばならないと私は思うから、副業をするにしても本業とする歌の仕事を優先できるような生活を送るのも大事だ」と言われたばかり。
そう、夜勤にして声を出さない仕事で声帯を守ろうだなんて魂胆がまったくもっての間違い。
4日連続で夜22時から朝10時の勤務をしてから徹夜でステージに乗るなんてことが無謀で舞台に対して失礼でした。
声を出さなくても、疲労は声帯に負担がくる。馬力で声は出たものの終演後は扁桃腺がものすごく腫れていました。
もし、次の日が本番だったらどうしていたのでしょう。…稽古の予定ではありましたが。
今更ですが、11月頭に沖縄に行った話を。
ただの観光ではない(つもり)なのです。
都内の大きなプロダクションが運営するようなレベルの大きな作品になるという
こちらのオペラ協会の舞台の噂を昨年きいて、自分が秋に忙しくなければ絶対観に行きたい!と考えていたのでした。
音楽活動が盛んな地方というのはいくつかありますが、地方の大きなオペラ団体というものはそこまで多くはないと思うのです。
オペラをまず観るという視点で。
舞台セットがしっかりしているという点。豪華というより、舞台上は非日常的空間をしっかり生み出せるセット。
そして、ソリストの衣装はもちろん、合唱やエキストラの衣装がその時代の貴族衣装であったり、村人の衣装であること。
舞台のセットやソリストの衣装の雰囲気から浮かず、舞台装置としてマッチしていること。
地方オペラや自主公演の合唱の衣装は自前であったり、村人にしても木綿や生成シャツに長いスカートにエプロンをつけるというスタイルが多いので、
それぞれが持ち寄ったものになると、色合いがちぐはぐしてくるのです。
そのシーンで合唱シーンやエキストラまでに芸術的演出的配慮がなされているか客席からみえるのです。
私が思うオペラの出来というのは、ソリストの一定のレベルよりも、合唱団のレベルで決まると思うのです。
いくら、メインキャストが一流であろうが、周りを取り巻きその空間の住人であったり、または演出的装置として存在する役割(番人のような)の人間の役が舞台上で支えられる演技や演奏ができなければ、全体として崩れてしまうのです。
こちらの団体は、アマチュアの合唱団と思えないほどの演奏や演技で、作品全体や合唱団の存在意図を理解なさっているんだなぁと感心いたしました。
ブライダル聖歌隊のお仕事を再開しました。
ちょうど1年ぶりでブランクがありますが、幸せな空間に携われることは、私自身も幸せなことです。
私たち聖歌隊は挙式前に参列の皆様をお席へ御案内、
挙式中に演奏させていただいて、ごくたまに介添人のようなお手伝い
挙式後はフラワーシャワーを促させていただいたりと、演奏以外にも様々なサポートをさせていただいております。
ご新郎ご新婦のご親族、ご友人の皆様とお話することも稀ではありますがあります。
ご列席の皆さんと同じく、賛美歌とお二人の幸せをお祈りすること
賛美歌を歌うことは普段の生活の中ではなかなかないかと思いますが、
先日、ご新郎のご友人の皆様がチャペルが倍音で包まれるような大きな合唱
ご新郎ご新婦は牧師に向かい歌っているので、背中をむけていらっしゃいましたが
背中に大合唱が聴こえた瞬間、お二人ともその微笑ましい光景を感じ取られにっこりされたのです。
賛美歌を大合唱することは拍手をすること同じくらい、神の前でお二人の祝福を願うことの表れになるのかと感じました。
最近一番の幸せのおすそ分けでした。
最近はソプラノとしての本番もしばらくなかったので、気持ちもだらけているというか
今年の前半は忙しくさせていただいたし、後半は技術向上にゆっくり時間をあてようとか、たくさんのコンサートや舞台をみようと思っていましたが
リフレッシュどころかソプラノの本番の1つもない自分に、本番を得られないほど技術のない自分に自己嫌悪になってしまい負のループでありました。
ちょうど2年ほど前も、全く自分には本番の予定もなく同期の仲間があっちやこっちやコンサートやディナーショー、オペラに出演と忙しくしているのを目にしながら焦りばかりが先走り反対に喉を壊したりもしました。
私はコンサートより「オペラ」で役として出演するのが幸せと感じるというのには何ヶ月と音楽稽古、立ち稽古と稽古場に向かい作品のことを考えていられる、
本番日という光まで走っていけるようなそんな疾走感が幸せなのだと思います。
本番がないなら自分でつくればいいじゃないという考えもあるし、
この役を演じるだろう役はこういう時間の許されるときに譜読みをして蓄えておけ、という師匠の教え
がっついて譜読みとまではいきませんが、少しずつ始めています。
まずその作品まるまる、歌詞の発語、ディクション(発音チェック)をみていただいています。
歌が歌えるより先に言葉が何を言っているか聞こえないのが一番気持ち悪い。
先日、日比谷の劇場である団体のオペレッタを拝見したのですが
(次回この舞台についてもう少し話題にしますね)
日本語訳上演だったにもかかわらず、その日本語が何を言っているか歌っているのか聴こえないことがしばしばありました。
大きな団体の歌手でさえ母国の発音が歌になると曖昧になるのだから、外国語は相当訓練せねばならない。
普段からその国の言葉を正しく口に出すことだけは歌い手としての気持ちがネガティブになっていても訓練しよう…と思っています。
先日、1月出演予定の「フィガロの結婚」の音楽稽古で、いらしてたキャストがスタート時に
マチネソワレの伯爵お二方
ソワレのケルビーノ(ズボン役)
3人しかいないときがありまして、はじめは各々のソロアリアの音楽稽古をやりました。
私演じるバルバリーナのソロは作品の終盤。
伯爵がことづけと共に女中スザンナにピンを返しに届けるおつかいを頼まれたのだけど、
そのピンを夜の森の中でなくしてしまい
「なくしたーご主人様に叱られるーどないしよー」と嘆いて這いつくばって探す…ただそれだけの内容
この見開き2ページの短い曲を先日声楽のレッスンでみていただいたのですが
「この役は若手や新人が経験する。
しかも、このシーンしか歌わないしアピールしたいがために力込めて歌う人がほとんどだけど。
心情を理解して言葉をたててさらっとストレートに歌うのがいいんじゃないかな」とアドバイスをいただいたのでした。
このバルバリーナという役が1幕にも2幕で他の役の台詞内で名前を出してもらってはいても、2時間以上姿を現さずこの終盤まで歌うことがないことに何か意味があるのではないか?と思っているのですが…
なかなかまだ答えにたどり着きません。
以前出演した「フィガロの結婚」での演出家は
伯爵夫人と女中スザンナが何時間も引っ込むことなく出ずっぱりで、客席がその女声2人に飽きてきたまさにそのとき、バルバリーナという小娘を登場させることでマンネリ化を防ぐのだ!
とおっしゃっていましたが、それも1つあると思います。
女中スザンナの従姉妹であること
夫人を愛するケルビーノのことを夫にしたいくらい好いていること
バルバリーナ自身も伯爵からちょっかいをかけられていること
お父さんも屋敷で働く人間であること
自分の欲求のためにはキスくらい軽くできる、ませた娘であること
この点から、バルバリーナ像は想像できても、メインキャストの関係性や作品にどうアクセントになっていくかをもっと考えていかねばならないな…
というのが脇役ならではの課題であります。
出番がとても少ない役なので、
「そんな役受けなくてよかったんじゃない?」という方もいますが
作品全体からどう関係していくのか、この役があることによって何が進められるのかを研究していくのが、脇役こそ楽しいものです。
ただ、すごくメインキャストの行動に刺激を与え、全体的に重要であろう問題発言台詞があるシーンをカットされたため、なんのためにこの役が登場するのか?演出的にどんな役として捉えられているのか、
とても腑に落ちないこともあります。
合唱団の練習が阿佐ヶ谷でありました。
今は、12/25のコンサートにむけて、クリスマス曲を中心に練習に励んでおります。
クリスマス曲といってもキャロルだとか、ミサ曲だとか、ボップスのようなリズムが大事なものだとか。
今は音とり段階で、みんなでハーモニーを楽しむ余裕もない感じです。
25日に本番というのも意味がある気がするので、ぜひとも団員の皆様が和声がパイプオルガンのように心地よくなるお手伝いができたらなぁと思います。
そして、一番苦戦しているのが「Jingle Bells」であります。
早口な英語、スピード感、ワクワク感。
1番は全員で同じメロディー、2番は男声で、女の子ひっかけて楽しもうぜ的歌詞をノリノリで…
それを越えると…転調地獄なのであります。。
日本語歌詞でいうと
♩ジングルベル、ジングルベル、鈴がなる
今日は楽しいクリスマス へい!
のあとの同じフレーズを転調して3.4回繰り返すのですが…その転調が急すぎて、
今何の音が主音?状態になり、全部のパートがパニックに陥るという。
これは和音感がものすごく必要となります。内声特にテナーは変なところに♯がついているし、さらに読み取りづらそうでした。
パート旋律より、耳で和音捉える練習がとても必要となりそうです。
各々が正しい音を発する作業より、そちらが近道のような気もします。
もちろん一人一人が正確に音程をとれたら問題ないですが…。
本年度のタレント名鑑撮影のレポートを忘れていました。
幼稚部で研究生となってから毎年撮影していただく宣材写真。
いまはプロダクション部門に籍を置かせていただける身となり、
研究生のときの、効率よい流れ作業的に、受付してからメイク、撮影の順番に何時間も待つことがなくなったこと。
撮影日と時間を一人分確保され
待つことなく、ヘアメイクと撮影にたくさんの時間を割いていただきました。
ヘアメイクはヘアに一人、メイクに一人とまた贅沢についていただき
今回も目の下のクマと吹き出物跡が気になることを伝え、
いい加減、そんな注文をしなくてもメイクさんが困らないようにツルツルな肌にメンテナンスしなければならないのに…と反省。
特に言われていることは、夏をこえてすぐの撮影期間なので日焼け対策は万全にしろ!ということ。
名鑑撮影でなくとも、常にいつ何時と呼び出されてもいいように身体、肌のコンディションをも万全にしておくのが俳優、タレントの仕事ともいいます。
年齢的には20代というより30に近い歳なので、若作りして若くフレッシュに写りたいところだったが…年齢相応に写るのがいいのでしょう。もう母親役をやり年齢なんですから、いつまでも高校生大学生の役まってまーす!は…。
若い子はいくらでもいるこの業界。
いくら若作りしたところで、若い年齢設定のお仕事の話はいただけないだろう。
なにせ、名鑑は年齢順になっており、若い子から探すに決まっているのだから。
と、思っていたら、ヘアメイクさんが前髪セットに力を入れ始めました。
「女子にとって前髪は命の前髪ですからね?」と言いながら。
それ、最近のアイドルがいうセリフですよ?とつっこみ。
私がこの世界にいて散々言われてきたことは…
おでこには第三の眼があるからなるべくおでこを出す!
顔を売るためにはおでこを出す!
しかし、前髪の中にわしゃわしゃしたものをはさみ浮かせ、ピシッと綺麗に揃うことにより、少しでも若く、せめて20代前半の印象に慣れるなら…と本音と欲にまけました。
いざ撮影に入り、1枚シャッターを押せば
「腕の傷が…」とメイクのなおし
また再開したかと思いきや
「まだ目の下のクマが…」とまたメイクさんが治しにきてくださり
さらに止まったかと思ったら
「前髪が気に入らない」とマネージャー
「ごめんなさい、もう年齢的にガタがきててなおしようもないですよね…お手数かけます。」
と、前髪揺らせないからペコペコもできず。
バストアップの撮影していただいたあとに
全身。
ポージングはあらかじめ自分で考えてこなければならないのですが、いつもその場で適当にやってるし、と思いつきでやっていたら
カメラマンが一言
「それ、空飛びそうだね」
私が、フィギュアの構えのようなポージングをしたらしいです。
…なんか良く分からないけど、その場がうけたからいいか
というわけで名鑑撮影にはたくさんのスタッフの方が関わっているのです。
たかだか1枚。
されど1枚。
名鑑冊子にすると見開き4分割の人枠にバストアップと全身の1枚ずつしか掲載されないのですが、これだけのことが売れない俳優の私なのにかけていただいているのです…
いや、もしかしたら普段からメンテナンスがしっかりできていればこんなに肌に補正するためのメイクの時間はかからなかったのかもと大反省でありました。
今年度の校友のための学園祭で催された音楽祭に出演してきました。
その本番を母が聴きに来てくれたのですが 第一声の感想が
「久しぶりにきいたよ。あの音色。そうだったね。」
私が現役でソプラノパートリーダーを務めていた3年の夏、常任指揮者の先生に
「今年の私達合唱団はどんな様子ですか?どんな音色でしょうか」と質問した際
先生は
「その質問は、OBも毎年してくるんだけど、毎年毎年同じ音色ですよ。」
とおっしゃったのでした。
私は、メンバー1人が違えばその年ごとにメンバーの入れ替えのある大学合唱団も毎年音色が必ず違うはずだ!と思っていたので、当時はそのお答えには納得しなかったのです。
しかし、今回の母の感想をきいて…そういうことかとやけに納得したのでした。
校友合唱団は、OBOGで構成されているわけですが、発起されてもう60年も続く老舗サークルのOBOGというわけで年代の幅が広いのです。
80を過ぎる方から現役が今回助っ人参加してくれた18歳と…今回が同じにオンステするのが初めてですね、よろしくお願いしますという相手が半分以上なのです。
なのに「こんな音色だったよね」と懐かしまれることや、先生の「毎年同じですよ」という言葉は60年も続いた形に残らない音色の伝統であるのかな…と感じました。
しかし、今回が2回目でしたが
卒業しても、大学のシンボルである講堂で
大先輩方と現役と一緒に歌えること、
また、社会で活躍なさる先輩方がまた楽譜と向き合い、ずっと歌うことを続ける姿を見ることは、とても幸せな空間であります。
そんな機会に感謝です。
地方の演奏家協会オーディションを受けてきました。
春季と秋季と募集があり、秋季のオーディション日程はいつになりますか?という問い合わせをしたところ
秋季は問い合わせした私しか受験者がいなかったらしく、私一人のためにサロンホールをあけていただき、事務の方をはじめ、大先生方に歌を聴いていただけたのでした。
オーディションでは、外国語の歌曲、日本語歌曲、オペラアリアの全部で3曲でした。
所属する歌劇団の入団オーディションは歌曲2曲、日本語歌曲1曲、アリア3曲提出し、当日指定された2曲を演奏しました。(しかも1番だけとか途中でとめられる)
ぶっ通しで3曲を演奏するのは相当なテンションや体力を要しましたが、審査の先生方があたたかく聴いてくださり、歌いきることができました。
今回、東京を拠点として活動をしている私が地方の団体のオーディションを受けた理由がいくつかあります。
私は地元という場所がありませんが、
いくらかの地方で育ってきました。
昨年は父の実家のある新潟で歌わせていただける機会をいただき、それがきっかけでカフェコンサートまで開催させていただけたり、来年またホールに呼んでいただける権利も獲得しました。
しかし、母方の実家で歌う機会は全くありません。
高校時代3年間は母の地元で、祖母の卒業校でもある女子高に通わせてもらいました。
音楽科もありましたが、普通科に進学し個人的に声楽レッスンに通いました。やはり音楽科や音楽大学への憧れはどこかにあったのかもしれません。
普通大学卒業をして、オペラ歌手養成所を修了し、声楽家だと語ってるところからみると、結局音楽に戻ってきたのね、回り道したねとよくいわれます。
質疑応答ではやはり、なぜ東京にいるのにわざわざ地方の団体な入会したいのかとたずねられました。
ひとつは、祖父母に私の舞台姿を見せたいということ。
いつも金銭面で応援してくれる祖父母は、遠方のためなかなか関東には出てこられず、ついには、祖母はとある病気で闘病生活をはじめることとなりました。
祖父は視力の低下でかなり視野が狭くなってきているとか…
元気なうちに祖父母の土地で舞台姿をみせたいのです。
もう一つは、出身高校に私が声楽家として活動していることをアピールしたいこと。
あと、地方なのでコンサート企画があってもオペラ制作がそこまで意欲的ではないので、もしオペラ企画がなされるなら、自分が出向いて関わりたいということ。
地方でも「歌劇」が普及してのオペラアリアガラコンサートだと思っているので、どんどん小劇場のオペラをやっていきたいな…と妄想が膨らみました。
というわけで、結果は後に送られてくるそうなので、活動の場が広がりますように。