前回のコラムにも書いたように
ぼくは「未来」という短歌の会に所属していて、
短歌のそういう集まりをなんかものものしい言い方で
「結社」っていうんだけど
その≪短歌結社「未来」≫の出してる短歌の
月刊誌の名前が『未来』っていうのね。
こういう結社誌の流通というのは
基本は会員や購読を申し込んでる人の
自宅に送られてくる形式なんだけど
東京とか名古屋の一部書店でも販売していて
ツイッターでぼくの短歌を読んでくれたある人が、
ある人っていうかまだ中学生の女の子なんだけど、
新宿の紀伊国屋までわざわざそのマニアックな
短歌誌を買い求めに行ってくれて、
歌詠みとしてたいへん光栄でもあり、
ありがたくも思った次第でありました
ということがごく最近あって
ほんとにとてもうれしかったのと
1月というキリのいいタイミングでもあるので
こちらのコラムの更新のうち月1は結社誌に
載った短歌を紹介しようかと思う。
〆切が毎月15日で1人10首までの投稿。
10首のうち選者の選を受けた歌が載るので
10首全部が載ることもあるし8首とか7首くらいの
こともある、という感覚的にはそんな感じです。
それで、えっと
たとえば今回1月号に載った歌というのは
10月の15日〆切で投稿した歌なのね。
いつもきっちり3か月ズレで本に載る。
だからおおむね今回詠んでいる歌は
前回の〆切である9月15日から
10月の14日までのあいだにおおむね
詠んだ歌だというふうに考えてもらえば
だいたいぼくがその頃どういう精神状態で
何を思っていたのかが
おぼろげにわかったりするというシステムになっています。
プラスで言うと、
自分自身にとっても3か月前の気持ちのスナップや
強い感情が印画紙に焼き付いたようなそんな感覚の歌、
その時の気持ちをまざまざと思い起こすという
タイムマシンのような感情の鮮明な記憶装置となっています。
短歌にはそんな効果もあるなあ、と毎月の結社誌を手にして
3か月前に投稿した歌を読む度そう思うのです。
・
・
・
月と好きと君の名前は似ているね間違って今言うとこだった
「でもそこは嵐なんでしょ」「そこからはそう見えるよねそばにおいでよ」
セルリーとあなたが口にする時のセロリはひかる楽器みたいだ
好きだけでどこまで通じ合えるだろう語彙が減ってく月の夜です
「ないしょ」ってうごくあなたのくちびるをながめていたら朝になってた
動かない国道23号のきのう郷里に行くバスでした
繰り返したコピーのように霞んでく もう忘れてもいいんでしょうか
傷つける光ばかりじゃないんだよ ほら目をあけてキスをしようよ
見上ぐるに空の深さは変わらない とても孤独な復讐だった
クラスタ化していく世界に片隅という概念はない now & here.
基本俺は器用じゃないし
上手に人に気持ちやなんやを伝えられるわけじゃないから
常になんかしらうまく言えずにいることって
あるんだけれどとりあえず今日のところは
なんで俺が短歌やってるのかって話をしようかと思う。
特にここまでいちばんつらい時期になんで
短歌が必要だったのかってことを考えると
言いたいこと、伝えたいこと、誰かに聞いてほしいこと
と、ね、
言えないこと、言いたくないこと、言うべきでないこと
のバランスが短歌という表現形式、5・7・5・7・7という
定型の枠、制限を得ることによってちょうどはじめて言う
ことができた、ってことだと思うの。
ここまでは言いたいんだけどこっから先は訊かれたくない
とかさ、いやまあわがままっちゃあわがままなんだけどでも
そういうことってあるやんか。
みんなもそういうことってあるんやと思うし
それぞれがそういう大事にしたい自分なりののヒストリー
みたいなものを背負っているんだよなあ。
ひとりひとりが歩んできた道があるよなあ、ってしみじみと思う。
ほいでな、俺の歌だとたとえばそうだな
去年最後に詠んだ歌ってこういうのなの
ありがとう、おやすみなさい、もういくね たぶんいちばんすきだった人
で、ふと思ったんだけど俺の歌ってけっこう
「おはよう」とか「おやすみ」とかけっこうな頻度で出てくる頻出ワードなのね。
たとえばこんな歌がある。
おやすみのあとには残る一人分 君が空虚を埋めていたのだ
おはよう世界 あなたが昨日照らさなかった街に朝が来ました
おはようとおやすみなさい僕たちは惰性でしないキスをしている
がんばれ、がんばれ、って真夜中をみている人がいますおやすみ
よい子でもよくない子でもあなたにはぼくがいるからおやすみなさい
さよならテディさよなら毛布もうずっとおやすみなさい好きだった人
福音はたぶん僕らの日常のなかに おはよう、おやすみなさい
・
・
・
あらためてここだけ抜き書きしちゃうと
おはようおやすみマニアか
おはようからおやすみまで暮らしをみつめるライオンくんか
って感じがするんだけど
こうやって俺がおはようとかおやすみって言葉や
朝、夜に言葉を交わすという定型的なやりとりに
ここまでこだわらなくちゃならないことには
とうぜん俺なりの理由があって、それは端的に言うと
そんなふうにあたりまえの朝の挨拶があたりまえにできるということ、
目をつぶって起きたら
明日朝が来ていておはようって言えることの有難いほどの
幸福感や裏返しに日常というものの脆さをいやっていうほど
知っているからなんだけどそれがね、その理由っていうのが、
まさに最初に言ったような「これ以上は言いたくないこと」に
踏みこんでいく話になるのね。中途半端でごめんだけど
決して「もったいつけてる」 わけでも「思わせぶり」なわけでもなくて
これ以上は言えないし言いたくないし言うべきでもないって思っているの。
そこは自分のいろんな意味でのブレーキや線引きがあってそれはいわば
自分自身が決壊しないための安全弁であったりするものなのだと思う。
でも。でも同時に誰かに少し、ほんの少し、ちょうどいい範囲できいてもらわずには
いられないくらいとてもくるしいきもちがあっていつも僕たちはアンビバレントなんだと思う。
でね、ただの散文で書いてる場合肝心かなめの核心部分を
「言いたくありません」では文章としてなりたたないのね。
かといって根掘り葉掘りとそれ以上踏み込んでこられると
答えたくないし、今その場ではそれ以上考えたくないラインというのがあるし
踏み込まれることにおくびょうになって
自分を出すということにどんどんおくびょうになっていくってことあるよね。
あまえたさんかもしれないけれどこういうきもちって
たぶんわかってくれる人が少なからずいると思う。でもなにもすこしも話さずに
誰にも知られず抱え続けられるほどにずっとは強くいられなくってそれで
なにかの「表現」が必要だったしぼくには「手段」が必要だったのだと思う。
決壊しない範囲で話せる方法というものが。
自分の内面へのアクセス、そしてそれを外部にアウトプットするための
ちょうどいい(おびやかさない)アプローチというものが。
それが俺の場合は短歌だった、ってことだと思う。
言いたいことと言えないこと、
ここまでは話したいけどこれ以上は踏み込まれたくないこと、
人にはいろんなことがあるよね。それぞれが自分にとっての
「ちょうどいい手段」をもてればいいなと思う。
ここまでのところ、
そしていちばんの極期において
俺には短歌がちょうどよかった。
あなたにとっても短歌であるかもしれない。
短歌いいよ。けっこうおすすめ。
キャッチフレーズは
短歌ー×短歌ー
なんてどうだろうか。
ん、あれ。
TANKER×TANKER
のほうが元ネタパクリ色がストレートでいいか。いいなこれ。
…広まらねえかなTANKER×TANKER。
1年半ほど前から
歌人としてこちらで短歌コラムを書かせてもらっていますが
あらためて自己紹介的なことから書くと
ぼくは短歌を詠んでる短歌詠みで『未来』という結社に属しており、
毎月『未来』という月刊誌に短歌を投稿しています。
そして毎月の投稿とは別に「未来賞」という
結社の名前がそのままタイトルになった
短歌20首を連作(セット)にして応募する
年に1度のコンテストがあります。
1首、1首の短歌は今までわりといろんなメディアのいろんな場所に
応募してわりとあちこち採用されてきたことがあるのですが、
連作としてはぼくはこの未来賞にしか歌を出したことがありません。
その今年度の未来賞選考結果と受賞作、佳作及び選考記録が載った
『未来』1月号が先日家に届きました。
ぼくの応募した短歌連作「僕たちは復讐をしている」は
佳作として選考評とともに十首掲載されていました。
2011年度未来賞受賞作は
佐藤理江さん「ぱちぱち」、
山本礼子さん「どのように抱けども」、
堀合昇平さん「stainless」の3作品、
佳作は
大庭れいじさん「おりがみ」、
鈴木かずさん「いのち」、
瀬波麻人「僕たちは復讐をしている」の3作でした。
佳作ではありますが詳細な選考評をいただき
1ページの誌面に短歌が掲載されたことを
大変うれしく光栄なことと受けとめ感謝しています。
選考評のなかで「挑発的な問題作」
という自分的にはうれしい評価もいただいており、
今後の課題や方向性についての示唆を得るとともに
自分自身の本分を見失わず
賞や評価に左右されない自分の歌を
俺のまま詠んでいこうとあらためて思いました。
未来賞は二十首セットによる応募で、
受賞作の3作品は当然ながら二十首全てが掲載され、
佳作については選者さんによって選歌された十首が本に掲載されています。
ここでは本には載っていない歌もふくめて
二十首連作フルバージョンとしてアップいたしますのでぜひご一読ください。
僕たちは復讐をしている
かなしみに呑まれないよう神様のいるふりをしてふたりで生きる
コンタクトレンズを通して見る世界 夜になったら外して捨てる
した後に俺の着ていたシャツを着て眠るお前が寝た後に寝る
「なんとなくこっちの道で帰ろうよ(遠目に鳩の死骸が見える)」
網膜に何も焼き付かないように裸眼で見るのは俺だけでいい
午前二時、救急外来出口にてタクシーを待つ 雨が降ってる
ゆっくりと歩いた雨の住宅街 両手は君のためだけにある
何度でもタオルケットをかけなおす何度も同じ口づけをする
妻の泣く夢を見ている声もなく泣いてる妻が傍らにいる
ゼラニウムみたいに赤い(ああこりゃ「赤」だ)右の手首のトリアージタグ
日常はタイムマシンだ想起するイデアがすべてを過去にしてゆく
赤になったら車よ止まれ僕たちはピースサインを掲げて歩く
めざめれば肌着の中に妻がいる何度も俺から生まれればいい
ごみの日を二年経ってもおぼえないこの町でずっと生きていくのに
漠然とかなしむほどの暇はなく倒れぬように自転車を漕ぐ
おだやかに生きる毎日幸せの最小単位で復讐をする
おはようとおやすみなさい僕たちは惰性でしないキスをしている
お祈りをするための星お祈りをするための夜 水が流れる
一日を過ごせば一日過去になる朝はあなたをおびやかさない
蝉が羽化するのを見ている生きているだけで果たせる約束がある
ちょうど前回のコラムで書いたこととも関連するのだけど
ぼくにとってのこの10年の締めくくりとなる着地であるとともに
今まで詠んできた短歌の中で最も重要な連作であり
12月31日、今年1年の終わりであるこの時点から振り返ると
通り抜けてきた地点でもある。
ずっとぎりぎりのエッジを歩いてきた。
そして今はひとつの大きなゴールに到達し新たなスタートにさしかかっている。
そう、今はもう言える。
僕たちは復讐をしていた。
今6:30である。
今日も普通に仕事なので
出勤するまで約1時間、
この時間を利用して書くべきことを書こうと思う。
おそらく時間がありすぎると
あるいは時間をかけすぎると
書けなくなってしまうような
そして今おそらく書く場があって
書いておくべきマイルストーン的な局面に
きっときている。
そういうたぐいのことが今目の前に起こっている。
少なくともこの10年
自分にとってもっとも重要で
もっとも抜き差しならぬ緊迫した状況
切迫した判断を日々日常的に求められてきた
ことについてひとつのおおきな終局をむかえようとしている。
おそらくは現実的にあるいは少なくとも僕にとっては
これ以上のやり方はなかっただろうしワンミスによって
すべてをうしなってしまうというある種の極限状況の
連続の中孤軍奮闘ほんとうによくがんばってきた。
もうようやくやっととりあえずのおおきなゴールが目の前にきている。
長かった、がおそらくこのままやり遂げるだろう。
ここまできた。
あまりにもひとつのことを考え続けてきて
はたしてこの後どうなっていくのか若干心配ではあるのだが
力を抜いて10年くらいねむりたい気がする。
年内でひとつのスパン。ひとつの終着。
いちおうゴールとしてもいいのだろう。
あともうほんとにほんのひといき。
やれる。
やろう。
国境の長いトンネルくぐり抜けあなたと過ごす何もない午後
おつかれさん。今年背負ったもの全部いったんおろしてお茶にしようよ
・
・
・
年末まであともうほんの少しですね。引き続きよいお年を。
また新たなスタートが、入口が、扉が待ってる。そこはきっと今より広い。
おおきく息をすってー
どん!
「貧困」の問題はぼくの仕事上の
メインテーマのひとつであり、
実務の上でも社会問題としても
非常に大きな関心をもって
世間の動向をみまもっているところである。
貧困の問題はすなわち社会保障の問題であり
国として、社会としてどのようにして
生存権を保障するかという話と間違いなく直結している。
仕事中の事故で誤って切断した2本の指を持って
病院に駆け込んだ大工が医者からこう問いかけられる。
「薬指をくっつけるのは1万2000ドル。中指なら6万ドル。どうされますか?」
地道に堅実に生きてきた大工はしかし現に今目の前にある
つけようと思えばつけられるはずの中指をあきらめざるを得なかった。
これは実話であり現実である。
アメリカの医療保険制度とその問題点について
コメディタッチでありながらそれでいて
非常にシリアスかつ硬質に描いた
マイケル・ムーアによるドキュメンタリー『シッコ』は
アメリカではドキュメンタリー映画史上第2位の観客動員数を記録している。
超映画批評(96点)
Cinema Topics Online
Wikipedia
アメリカの貧困問題の現状については
岩波新書から出ている堤未果の『ルポ 貧困大国アメリカ』が詳しい。
格差、貧困、医療、教育といった現代的な諸問題を考えていくうえで必読の書ともいうべき、
火が出るように熱くそして絶望的に加速していく社会の貧困と八方ふさがりの現状を描いたルポタージュである。
アメリカには先進国で唯一国民皆保険制度(日本でいう「国民健康保険」にあたるもの)がなく
医療保険の大半はHMO(健康維持機構)という、民間の保険会社が医師に給料を支払って管理するシステムにて行われている。
6人に一人が無保険で、毎年1.8万人が治療を受けられずに死んでいく。
そして2005年の統計では、204万件の個人破産のうち、その原因の半分以上は
「あまりに高額の医療費の支払いができないため」である。
ニューヨークで1日入院して盲腸の手術を受けたとする。
平均的な費用は243万円である。
日本では国民健康保険に加入している一般所得者の場合
4、5日入院したとしても医療費としての最終的な自己負担額が
10万円を超えることはないだろう
(国民健康保険の高額療養費制度により自己負担上限額が決まっているため)。
また、先に述べたように
アメリカの医療保険制度では多くの場合、
民間の保険会社が医師に給料を支払って管理するシステムとなっているため
保険料の支払いは決してスムーズには行われない。
民間の保険会社にとっての優先事項は
会社としての利益を上げ株主や投資家に最大限の利益を還元すること、と当然ながらそうなる。
アメリカの医療は、貧困層においては(そしてそれはある日とつぜん一度の病気や事故や怪我で
いつそのような状況に陥ることになるかは一部の富裕層を除いた誰にとってもまったくの他人事ではないのだが)、
すでに言いようもなく破綻しているような現状にある。
さて、長々となぜアメリカの医療保険制度について述べてきたかというと
今、参加の是非が盛んに議論されているTPP ― 環太平洋戦略的経済連携協定による
「自由化」、「規制緩和」のなかで医療や保険制度、薬価、医薬品認証という
現在の社会保障や生存権保障の根幹が大きく揺るぎかねない事態となっているからだ。
農業協同組合新聞 10月28日付記事 医療自由化目標 「入手していた」 米国文書で厚労相
米国政府がTPP交渉で、公的医療保険の運用で自由化を求める文書を公表していたにもかかわらず、日本政府は「公的医療保険制度は交渉の対象外」と国民に説明していた問題で、小宮山洋子厚生労働相は27日、「9月16日に外務省を通じて受け取っていた」と述べ、入手していたことを明らかにした。公的医療制度の根幹である薬価の決定方法がTPP対象になる可能性も認めた。
11月2日付記事 TPP、医療崩壊まねく 慎重に考える会が会合 情報不足に批判高まる
民主党国会議員で構成する「TPPを慎重に考える会」は10月12日、日本医師会などを招き、医療、医薬品、公的保険制度などへの影響を議論した。
同会長の山田正彦元農相は「政府としても党としても早期に結論を出すというかたちで(TPP議論が)動き始めた。本当に慎重にやらないと大変なことになる。農業だけの問題ではない。医療や医薬品、国民皆保険は本当に守られるのか、今日はしっかり議論をしたい」。
日本医師会の中川俊男副会長は「非常に危惧しているのは新自由主義的改革。市場原理を持ち込めばうまくいく、医療も例外ではないというもの。TPPは究極の規制改革だとわれわれは認識している」と危機感を表明。
TPPによって株式会社の医療参入など規制緩和が実施されるようなことになれば、「民間企業や投資家にとって魅力的な市場が開ける。そうなれば本当にお金がなければ医療が受けられない時代がやってくる」と強調、国民皆保険制度が崩壊しかねないことを訴えた。
TPP問題、長尾たかし民主党議員が告発!医療保険に関する重大な疑惑です。政府と厚労省、外務省を巻きこむスキャンダルかもしれない。
以下、長尾議員からのメッセージです。
——————
重大な事実が分かった。
国民向けTPP資料には、「公的医療保険制度は(TPP議論の)対象になっていない」と明記していた。我々議員にも繰り返しそのような説明がなされていた。医療保険制度自体を交渉するTPPの「金融サービス分野」では議論の対象とはなっていないというもので、実は別の分野である、「物品市場アクセス分野」で取り上げられる可能性を厚生労働大臣が認めたのだ。ではこれをいつ認識したのか。なんと、9月16日に「米国政府が公的医療保険の運用で自由化を求める声明」を、大臣は外務省を通じて受け取っていたのだ。
受け取っていたじゃぁないかっ!!!!!!
今迄、何十時間とPTで議論してきたことは何だったんだ??これ迄の議論は、国際協定であるが故、我々も外務省との質疑を中心に行っていた。きっと、外務省は黙っていたのだろう。一方の厚生労働省としては、懸念表明をしたかったが其の舞台がなかったと言い訳もしたいのだろうが、それは許されない。国民を欺くとはこのこと。違う器を指差しここにはありませんが、こちらに入っていますというものである。こういうやり取りがPTや委員会で繰り返されるから信用できないのである。また、薬価決定方法について交渉対象になる可能性について認めた。
明日厚生労働省の役人を呼んでこの2点について事情を聞くこととしている。厚生労働委員会でも質してみようと思う。
・
・
・
これから日本は、社会保障はどうなっていくのだろうか。
堤未果は先にあげた『ルポ 貧困大国アメリカ』(2008年出版)で
アメリカの状況が日本においても対岸の火事ではないことを既にはっきりと明言している。
そしてそのあとがきにおいてこう言っている。
何が起きているかを正確に伝えるはずのメディアが口をつぐんでいるならば、人間が「いのち」ではなく「商品」とし扱われるのであれば、奪われた日本国憲法二五条を取り戻すまで、声を上げ続けなければならない。無知や無関心は「変えられないのでは」という恐怖を生み、いつしか無力感となって私たちから力を奪う。だが目を伏せて口をつぐんだ時、私たちは初めて負けるのだ。そして大人が自ら舞台をおりた時が、子どもたちにとっての絶望の始まりになる。
・
・
・
短歌はこの頃あんまり詠んでいません。
そのことについてはまた別の機会にでも。
ジャンクステージ 第三回舞台公演『瑠璃色の彼方に』スギ・タクミ脚本
連動企画
「瑠璃絵」
・昨日、今日、怠惰に生きる日々もあり生まれては死ぬ星の狭間で
・種の辿る進化の道を繰り返し生まれて出会いそして生まれる
・真夜中に星がほしいと思うとき君の笑顔が変わらずにある
・たぶんきっとずっと前から愛されていたのだという既視感がある
・行く道を照らすであろう隠れてた最後のピースは自分で探す
・きっとずっと自分の中に持っていた最後のピースを私に嵌める
・ごめんねを言えないままに世を去った人から届く私の肖像
・百億の人が生まれて消えていく放った光が確かに届く
・百億の星が生まれて消えていく未来にもあるきっと瑠璃色
・どんな夜どんな嵐もあるだろう変わらないものたとえば瑠璃絵
(瀬波麻人)
地震から5か月が経ち
そうこう言ってる間に
来月9月11日にはもう
半年が過ぎようとしている。
元々短歌を
「なにかのために」
はじめたわけでもなく
「なにかのために」
続けているわけでもない。
短歌「で」なにかを得ようと
しているわけでもない。
ので、震災や復興に関して個人的には
「どうしても詠まずにはおれない歌」
「今!どうしても!歌として、この胸の
なかのたまらない思いをとにかく言葉に
して外側に出さなければとてもじゃないけど
自分が耐えられそうに、保てそうにない」
という歌を詠むことはあったとしても
「俺の歌でなんとか励ましてあげよう」とか
TVで見た光景を「なんかうまいこと言うたろう」的な
発想はまったくの0ですね。ないです。ありません。
最近は、特に震災後はって意味なんだけど
不用意に人の言葉や強い思いにふれることに
すこしおくびょうになっていて自分の所属している
ところのものも含めて短歌結社の月刊の歌誌や
本屋さんで売っているような短歌関連の総合雑誌
も1誌は定期購読していて郵便で家に届くものも
あるのに、実際にはなかなか表紙を開くことにものすごく
勇気、というか強い決心、お腹にぐっと力を入れて
さあ読むぞ!的な気構えなしには本を開くことさえも
できなくて、実際あまり他の人の歌が読めていません。
自分自身も、「ほんとうにこれが言いたいことなのか」
とか自分に問いだしちゃうと、もちろんどこまでもそんな
「ほんとうのきもち」とかエンドレスループの沼のような
ものでしかなくぐるぐると結論の出ないままあまり言葉が
スムーズにでなくなったりもします。
9月に兵庫県こころのケアセンターにて開催される
「災害発生時の危機管理対策と被災者・救援者のこころのケア」
という2日間の研修に有給をとって参加しようと思っている。
ぼくにとって、というか他の多くの人にとっても
そうであるのと同じように地震の問題は、そして復興と癒し、
再生の問題はこれから長い時間をかけて取り組んでいく
おそらくは人の人生や生き方、生命観や価値観に大きな
影響を与えた、今後もまた与え続けるような出来事であった
(ある)のだと思う。
5月には仙台に行った。それからどのように何ができるのか。
自分はどのように生きていくのか。明日なにかを失うとしても
なるべく後悔しなくていいような生き方はなんなのか。
私は、今、しようとしている選択はそういう選択であるのか。
そういうことを特に特別に熟考して意識するということではなく
常に意識のどこかにそのような気持ちが頭のなかやこころの
なかにいつもあたりまえのような通奏低音として意識のなかを
流れている。意識をそちらにむけなければ音が鳴っていること
音楽が流れていることにも気づかないがしかしちゃんとずっと
鳴っている音、そういうものに今なお続く震災の経験はなって
いるのではないだろうか。
震災後の当コラムで「手をあげるにも資格がいる」という話をした。
ぼく自身が福祉の世界の専門家として現場叩き上げで16年仕事
をしてきて「資格」ということをあらためて強く意識している。
1月に福祉関連の3つの国家資格のひとつである社会福祉士の
国家試験を受けようと思っている。もう申込み願書も取り寄せている。
震災には現実として向き合っていこうと思う。
そのなかでできることもできないこともたくさんあるだろうと思う。
嘆かないことにしようと思う。
できないことがあるのは、
ひとりの人間におよぶ範囲とおよばない範囲
そして自分自身にできることとできないこと、キャパシティや
ものごとの優先順位、仕事と生活のライフワークバランスなど
さまざまな条件や環境のなかで生きているのだ。
できないことを嘆く時間があったら自分にできることをしよう。
生活をがんばろう。たくさん笑ってたくさん大切な時間をすごそう。
生活をたのしもうと思う。生きていることをたのしめばいいのだと思う。
地震から5か月、3600時間がすぎた。
直接的な被害や影響の有無にかかわらず
あたりまえのように確かであった地面が崩れ、
日常が壊れていく経験は、確実に多くの人の
こころにダメージをあたえているだろう。
そんなことはあたりまえだ。
そんなのあたりまえだよ。
あれほどのことがあったんだもの。
それほどのことがあったのだもの。あたりまえだよ。
かなしくなったりふあんになったり不意に涙が出てきちゃったり
なにもおかしいことじゃないしなにもはずかしいことなんかじゃない。
日常は、そして非日常もやはり不公平と不条理の連続なのだ。
それを嘆く権利はもちろん誰にでもある。
不公平なのだ。不条理なのだ。なんでこんなことが!って思うのだ。
思ってもそれはとてもとうぜんのことで自然なことで誰からも諭されたり
たしなめられたり軽んじられたりするようなことじゃないのだ。
でも、日常が不公平であること、生きることがそしてつまりは死ぬことが
不公平と不条理の連続であることは今回の震災の有無にかかわらず
どこまでもそのように生まれ、人類は生きてきたのだ。
嘆いてもいい。
でも恨んだり羨んだりしていてはたぶんいつまでもそこでとまってしまう。
不条理や不公平もふくめて自分の人生は自分で引き受けるしかないのだ。
そのことがたぶん地震の前も後も変わらずにもっとも大切なこころがまえであり
自分の人生を自分で引き受けるという覚悟、自分しか引き受けられないという
顔をあげて前を向いたうえでの諦念、そのようなものがおそらくはこれからの
いちばんの力になるのだと思う。
3600時間後のあなたへ。
まずはなにより今年1年自分をいちばん大切にしてあげる年にしてください。
見えないところでたくさんのダメージを負っています。そのことをことさらに
意識することはないしそんなことをくどくどと考え込むようりも自然に日常で
たくさん笑ったりたのしんだりするほうがよっぽどいい。
それでも、からだは、こころも正直です。
むりをすればむりがでます。
だからとにかく今年1年、自分をしっかりとあまやかすくらいの気持ちで
自分自身のケアとメンテナンスにつとめてください。
ここからは長丁場です。だからこそ今できることをむりなく続けていきましょう。
ご自愛くださいますように。
ぼくもがんばります。
いつもありがとう。
・
・
・
地に落ちて微かに動くちちははの知らぬ子どもが覗き込む蝉 (2011.08.28 瀬波麻人)
ちょっと前の「ためしてガッテン」でもやっていたんだけど
元手も手間もかからない効果絶大なダイエット方法として、
ご飯をよく噛んでたべなさい
というのがあるんだよね。
NHK ためしてガッテン HP
具体的には「ひとくちあたり30回噛みなさい」っていうのが番組の趣旨で
結構この番組みてた人たちが身の回りにもいて次の日のお昼の時間とか
ごはん食べながら話題になってた。
ほいでぼくはけしてふとってるってぇわけじゃないんだけども
近頃おなかまわりがちょっぴり気になるお年頃であったりするのと
あとはね、年齢的にもこれからちゃんと生活習慣病になっちゃう前に
生活習慣とか食生活のことを考えてコントロールしていかなきゃいけないな
ってかなり切実に思っていたりするところなのです。
お酒もおいしいものも好きだから
おいしいもの食べられなくなったらいやだもの。
いやっていうかかなしい。
だから今からちゃんといろんなこと気をつけて節制しようと思っててね、
あとはおなかまわりがやっぱりちょっと気になるお年頃で、ってそのことは
さっきもう言ったね。どんだけ気になってんねんっていう…。
えっとまあいいや。
とにかくですね、番組の指示どおりに
ごはんをよく噛んで食べているわけですよ。
具体的には30回噛んで食べているわけですが、
「1、2、3、4、、、、、、28、29、30!(ごくん)」
とかって数えるのってひとくちごとにそれやるのけっこうたいへんなんですよね。
ぼんやりと頭のなかで数かぞえてるのってなんかいまいちつまんないし。
ほいだら思いついたのは
なあんだ。頭のなかで短歌を暗唱しながら口をむぐむぐさせればいいんじゃないか
と。
だからぼくのなかでは「ごはんは31回噛みましょう」ということになっている。
そこはまあ30回でも31回でも効果としては同じだしね。ぜんぜん問題なし。
無機質に数をかぞえながら飯食うなんてまっぴらごめんだけど
短歌のこと考えながらごはん食べるんだったらそれはそれでけっこうすてきだもの。
ほいでさー、実際にごはんむぐむぐしながら今言ったようなこと思いついたんだけど
具体的にぱっと適当な短歌が思い浮かばなくって、そういう時っておぼえやすくて
リフレインが多い単純な構造の暗唱しやすい歌がぱっと頭に浮かんでくるのね。
まっさきに思い浮かんだのはこれ。
恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の死 (穂村弘)
単純だし繰り返しだし言い間違いもなさそうだしほらばっちり!
ってね、やっぱりね、ごはんのたんびにそれもいっかいいっかい
ひとくち飲み込むごとに頭の中で言葉のうえとはいえいちいち恋人殺してらんないだよね。
それはあんまりにもかなしい。消化にもわるそうだ。そんなごはんはいやだ。
というわけでべつの歌にしよう、って思ったのね。
おんなじ穂村さんつながりで次に思いついたのがこの歌。
この歌もすごく好きだし頭によくのこっているからぱっと出てきたのね。
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい (穂村弘)
なんていう孤独か。なんていう寂寥としたひとりぼっちの心象なのか。
つくづくといい歌。
いやしかしね。すばらしい歌だし大好きなんだけど
ごはんだよごはん。ごはん食べながらむぐむぐむぐむぐしながら
いつも頭のなかではうんこうんこ思ってらんないよね。
なんかごはんの味がわかんなくなっちゃう。
というわけでこの歌も不適格ということになり
私の提唱する短歌暗唱ダイエット(思いつきで今考えた名称)に
ぴったりとくる歌はねえもんかなあと思い悩みながら毎食ごはんを
むぐむぐしているところであります。
今のところ暫定的ベストはこの歌。
君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ (北原白秋)
すばらしいです。最高です。色っぽいです。
ですが頭のなかで唱えているうちに何食べてても
すべてがリンゴ味になってしまうのが
素敵といえば素敵、難点といえば難点です。
さて、
そんなわけで、ごはんをむぐむぐ咀嚼する際のこれがベストといえる短歌は
まだ見つかっていません。みなさんからもぜひ短歌もぐもぐダイエットにぴったりの
おすすめの短歌があれば思いつきの脊髄反射でいいのでお教えください。
今回はじめてコメント欄をひらいていますので
気が向いたらどうぞお気軽にコメント投稿お願いします。
わたしは、心から! 求めています。
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《7月11日 追記》
あ、やっぱり気が変わったのでネーミングを「短歌もぐもぐダイエット」にしょう。
そっちのほうがいかしてるし身体運用としっくりマッチしている気がする。
ので、あわせて本コラムのタイトルも変更ー。
てきとうにあばうとー。
M.S.さま
福島にてお会いしてから1か月が経ちました。
地元神戸にもどってからお礼方々メールの
ひとつでもお送りしようと思いつつあっという間に
もう1か月かーという感じです。すみません。
いつもたとえば職場の人たちと遊びにいった時の写真とか
結婚式の写真とかも整理や現像がなかなかできなくって
そうこうしているうちに2~3か月経っては
「あーもう今さらやしいいかー」みたいに
ごまかしごまかしまわりの人たちの
寛容さに支えられて何とかやってきております。
えっと。
実際にお会いするのははじめましてでしたが
とてもたのしくリラックスしたいい酒いい時間でした。
新幹線の駅までけっこう距離も時間もかかるのに
わざわざ出てきていただいて
あらためましてありがとうございました。
写真といえば、仙台で撮った写真は
特に沿岸部で撮った写真については
あとからみてどっちが上だか下だか
横向いてるんだかぱっと見にはわからない
ようなものも多く、少し作業してはすぐに
つかれてしまってパソコンをとじるというような
繰り返しでなかなかすすまず、でも職場で
仙台派遣の報告会というのがあったので
なんとかそれまで終わらせて一応いったん
一段落という感じです。
「仙台行かれてどうでしたか?」
みたいに帰ってきてからの日常会話の中で
出るとわりと言葉に詰まってしまって少し困りました。
たとえば市街地はもうコンビニもデパートも
その他ファーストフード店だって居酒屋だって
おしゃれな感じのカフェだってなんでもふつうに
にぎわいのある街という感じで動いていて
でも、現に今だって避難所で生活している人や
家が壊れたまま、流されたまま罹災証明さえ
発行されずに待つより他にない状態の人もいるし
たとえば役所の人や
たとえばラーメン屋さんの店員さんだって
今はふつうに活発ににこやかに仕事をしていても
実際には大きな被害を受けてお身内や友人が
亡くなったり、まだたくさん「被災」や「罹災」の
最中であったりする人もたくさんいるし、
津波の被害の大きかった沿岸部では見渡す限りの
荒野と瓦礫が続いていてどこからどう手をつけたら
いいのかも分からないような凄惨な光景が今も
広がっていていったい何をどのように言えばいいのか
一部を取り出して「ふつう」と言ってしまっていいのか
でも現にエネルギッシュでにこやかな笑顔で
今は今の日常を営んでいらっしゃる方たちもたくさん
いらっしゃって、なにをどのように言えばいいのか、
訊かれること自体は当たり前だし想定もしているし
伝えることもまた現地に行ったものの務めであり
そこまでが仕事であるとも思っているのですが
それでもやはり何度でも言葉につまってしまいました。
M.S.さんも「今の福島はどうですか」と
訊かれたときにすぐには言葉がでてこなくって
こまるとおっしゃっていたことを思い出しました。
まあでも報告会はちゃんとやりました。
現地で求められている仕事や役割を果たすだけでなく
帰ってきて、見たこと感じたこと現地の状況をありのまま
伝えることまでが自分の仕事であり役割であるという
意識ははっきりともっていたので一応一段落してほっと
ひといきというところです。
職場の人たちもみんな熱心に聞いてくれました。
えっと。
以前この場でも書いたことですが
「有事に志願するために手を挙げるにも『資格』がいる」
という話ですが、ここでいう資格というのは具体的に
○○資格何級とかという意味よりももっと大きくそれまで
してきたことや実績、経験、熱意や信頼というようなことの
トータルということになるのでしょうが、帰ってきてから
あらためて思ったことは、「現地に行った人」だけでなく
その人がその期間一定安心して職場を抜けられような
状態、その残って通常業務を支えちゃんと回していって
くれる人たちの存在があって、行くことができるのだし
そういう意味では行った人だけでなくまわりの人たちも
職場全体としてもいろんな人の力や普段からの積み重ね
があってはじめて有事の対応というのができるのだと、
つまりは行った人だけがえらいわけでも特別なわけでもなく
みんなでそういう体制づくりを平時からしていていざという時に
行くべき人、思いのある人をぱっと送りだせる体制ということに
とても意味があるのだと思いました。
桃生さんが、ってもう言っちゃってもいいや
この文章は当JunkStage運営理事桃生苑子さんに
宛てた私信7割&コラム更新頻度をあげたい&おそらく
ここに書くことにも何らかの意味があるような気がするのと
あとはこういうかたちでもとらないとなかなか書こう書こうと
思って気になっているメールが書けなかったりするという
生来の怠惰をなんとかして乗り越えようという取り組みとの
ミックスによる私信+αの記事ということになるのだけれど、
まあその桃生さんが、以前ぼくがこちらのコラムに書いた
「手を挙げるにも資格がいる」ということもきっかけのひとつ
となって、今資格試験に向けて一生懸命勉強を頑張って
らっしゃるという話を聞いてとてもうれしく思いました。
うん。えっとね、とてもうれしいです。
ぼくは「言葉の力」というのは言葉だけの独立した
問題じゃなくってそのバックボーンにどれだけの
具体的な思いや実際の行動があるかということが
やはり言葉に力を与えることができるかどうかの
大きな分かれ道なんだと思っているんだけど
だから地道な努力、普段からのこつこつと
積み重ねていく日常ということがとても尊く美しく
かけがえのないものなのだと、今あらためて
思っています。
だから、思い+具体的な行動という位相で
努力を続けていらっしゃる桃生さんをなんていうか
すごいと思うし立派だと思うしうれしいなと思うし
ぼくもがんばろうって思いました。
あとね。
桃生さんがぼくの短歌好きって言ってくれるのも
うれしいし、こちらのJunkStageでの連載を依頼
してもらったのもちょうど自分なりにこれから歌人
としてやっていこうと思ったことがあったその日
だったのですごく運命的なタイミングのようなものも
感じたし、あと桃生さんから
「この短歌コラムを読んで短歌に興味をもったり
短歌をはじめてみようかなという人が直接的な
知り合いでも2人いた」と以前言ってもらったことは
短歌詠みとしても、また慣れないよく分からない
コラムという枠組みで何を書いたらいいのか
わからないまま、更新頻度も定まらずにふらふら
書きつつこれでいいんだろうかと思ったりしている
ぼくにとって大きな励みとなっています。
そのこともありがとう。
このような場を与えてもらっていることにもありがたく感謝しています。
えっと、あとねー、あとねー。
お酒もお料理もおいしいお店だったし、舞台で短歌を使うかもっていう
話もどんなふうになるのか実際どうなるのかはわからないけど
なんだかとてもわくわくしたし、えっと妻短歌の話とかこわい短歌の話とか
あとね、仙台に行く少し前、ああ地震のあとちょっと落ち着いてからずっと
なんだけど、ぼくの中での大きなテーマとなっている
「左手の動きと右手のパフォーマンスについて」というような話とかそれから
考えたこととかもあるし、かわいい女の子にうひゃーってなる話とか
あとはついつい胸元に目線がいってしまうのをどうすればいいのだろうか
という話とかもしたね。まだもっとたくさん話したいこともあるので
きっとまた幸せな「二度目まして」がありますよういつかの日を楽しみにしております。
縁がありましたらまた何度もお会いしましょう。
最後に歌詠みらしく、
神戸に戻ってきてから詠んだぼくなりの震災詠を一首をあげます。
生き物が走るのを見た盛岡の外れ馬券を捨てないでおく (瀬波麻人)
ぼくは誰に対しても不特定の人にむけて状況もわからずには
「がんばれ」とも「がんばるな」とも「がんばれと言うな」とも言いません。
「被災地」の状況がとてもひとことでは言い表せられないのと同じように
人ひとりひとりの状況や思い、誰がどのような被害やダメージを受け
今どのようなそのあとの段階にあるのかはほんとうにひとりひとり
違っていて一律にどうということはよう言えないからです。
でも、人の営みはとどまることなく続いています。
地震であまりにも大きな被害を受けた岩手県の
盛岡競馬場では既にもう5月からレースを再開しています。
人も馬も生き物たちがみんなまた今も力強く走っています。
いろいろな人がいろいろなことを考えて
そしてみんながそれぞれの「現場」でがんばっている。
今までもそうだったし今も基本的に
そういう人の営みはちっとも変わらないのだと思います。
そういういろんな人のいろんな思いと力、
そしてその集合としての復興力を信じています。
ぼくもみんなもそのひとりだし
そういう one of them として
自分のやれることやるべきことをがんばろうと思います。
それでいいのだと思います。
それぞれの「現場」でがんばりましょう。
桃生さんお元気で。また会ったらハグしましょう。
お勉強もがんばってください。応援しています。ぼくもがんばります。
ほいじゃあね。またね。
嫌になるほど入り組んだ話である。
福島第一原発1号機への
海水注入一時中断をめぐって
①5月2日の参議院予算委員会における政府発言や
その後の東京電力による公表データにより
「地震翌日の3月12日の原子炉を冷やすための
海水注入作業に55分間の中断があった」
という発表があり、
②その説明として
政府から5月21日に
「内閣府原子力安全委員長斑目氏から
『再臨界の可能性がある』
との意見があった」と政府から発表があった。
③海水注入一時中断をめぐる
判断の是非、妥当性が問われているなかで
同日、5月21日には当の斑目氏が
『再臨界の恐れなど言うはずがない』
と否定。
④翌日22日に、当初の斑目氏の発言を
『再臨界の可能性はゼロではないと言った』
とすることで政府と斑目氏が合意し文書を訂正する。
⑤これについて斑目氏は24日
『学者は、可能性が全くない時以外は
ゼロではないという表現はよく使う。
可能性がゼロではないと言ったのは
事実上ゼロだという意味だ。
注水はやめたほうがいいとは
絶対に言っていない』と釈明している。
⑥最終的に5月26日時点において
東電から「実際には現場判断で注水を
継続していたことが判明した」
という発表があり、つまり結局のところ最終的に
『一時中断自体がなかった』ということで
一連の海水注水一時中断問題については
一応の「決着」ということになりそうである。
⑦政府は当初の参議院での答弁の内容とは異なり
現在は、
「そもそも海水の注入についても停止についても
知らなかった。あくまで東電の独自の判断であった。
(いやでもそもそも翻って『停止自体がなかった』)」
と、「知らなかった」「知らされていなかった」
という立場を固持するようになっている。
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はぁ…。
すいません。あまりにも情報が錯綜していて
わけがわからなくなっていたので一応の「結論」が
出たところでここまでの流れを簡単に整理していおきたい
と思ったのですが、どうまとめてもやっぱり
わけがわからないですね。
問題を整理するために
あえて細かな固有名詞、役職等は省いておりますが
上記の流れについては新聞やネットニュースなどで
今でも確認できる基本的には「事実そのまま何があったか」
を記しただけのものです。
「3月12日に実際に現場で何があったか」という事実ではありません。
「5月2日以降にこの問題についてどういう立場の人が何を言ったか」
ということについての事実です。
「ゼロではないはゼロだということだ」という斑目発言と
二転三転したうえで最終的には
「中断自体がなかった(そのことを示すデータはない)」
という決着というどこまでいってもわけのわからない話しか残らず、
何を信じていいのか、誰の言葉なら信用できるのか、
しかも翻ってどんどん
「あった」とされていた
そもそもの論議の前提となっていた事実(であったはずのこと)」が
「なかったこと」になったり、言ったことが言ってないことになったり
言い方がこうだった、そういう意味で言ったわけではないと後から
どんどん訂正が入ったり、炉心が爆発するかしないかという
まさにリアルタイムの危機的状況における判断を行うべき論議の
なかで専門家として政府に意見を伝える立場の人が
「可能性はゼロではない(でもホントウはゼロという意味を言外に読みとってね)」
と言うことの意味など、いろいろなことを考えさせられます。
「言わなかった」
「知らなかった」
「聞かなかった」
「ゼロではない」
「中断自体なかった」
言葉は信用できない、ということだけが
はっきりと浮き彫りになってきます。
いえ、もちろん「言葉」だけではありません。
○○は信用できない。
○○のところには何を入れても成立しそうな気がします。
「東電は信用できない」
「政府は信用できない」
「マスコミは信用できない」
「管さんは信用できない」
「(本店の指示を無視して注水を続行した)現場は信用できない」
「情報は信用できない」
「言葉は信用できない」
「『事実』(とされるもの)も信用できない」
「人間は信用ができない」
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人間が信用できない以上
自分だって信用ができません。
記憶も、判断も、認知も、嘘をつきます。
何が正しくて何が安全であるのかも
分からず、誰の言うことなら間違いが
ないということもまったく言えそうにありません。
「安全」基準も「風評」被害も
根拠となるべきデータやその実態は
明らかにされずにごく常識的なまともな
説明もされないまま言葉やイメージだけが
先回りして流布されようとしている気がします。
何も信用ができないなかで、でもしかし、
私たちは日々を生活していかなければなりません。
家族や子どもの安全や生命も守らなくてはなりません。
日々何かを、
一秒ごとに選択し判断し、瞬時に取捨選択しながら
今も生きています。
現地では言葉であれこれ言わなくても既に力強く
実直に、そしてにこやかに「生活」が営まれていました。
『現代詩手帖』 5月号の特集は
「3・11 東日本大震災と向き合うために」でした。
『短歌研究』 7月号の特集は「ことばは無力か」です。
私自身が言葉の世界の住人でもあります。
6月4日に予定している
「未来彗星集 神戸歌会」におけるテーマは
「震災の歌を読む(※「詠む」ではありません)」です。
言葉のこと、言葉じゃないこと、
自分にできること、できないこと、
できないとあきらめたくないこと
できるとおごりたくないこと、
考えても考えても
答えの出ないことばかり
でもやっぱり考えている気がします。
基本的には、ぼく自身が言葉に対しても
言葉以外のことに対しても今非常に懐疑的になっています。
そのなかで、でも、自分の言葉が信頼できないのなら
考えつくしてその精度を上げ、自分の言葉を自分で引き受けること、
何かをしたいという気持ちがあるなら、自分にできることが何かを
謙虚に見極めそのうえで「やる」こと。動くこと。
私は(誰もが)誤りや考え違いをおかさないような特別な人間ではなく
ここには困った時に嘆いていれば誰かが何とかしてくれるような
ドラえもんもいない。
これが絶対に正しい、間違いがないというような正解なんかなくても
とにかく「動く」しかないのだ。歩き続けるしかないのだ。
正解の分からないなか、
震えながらであっても
あるいは懐疑しながらであっても
とにかく何かを選ばなければならないのだから。
選ばないということもまたひとつの回答でしかなく
そうであるならば、選ぶにせよ選ばないにせよ
その選択においてせめて主体的でありたいと思う。
何もしなければ何もはじまらないのだ。
日常はつながっている。
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海を見て教室を見て空を見て校舎の前の桜を見ました (2011.5.21 瀬波麻人)
無事自分のやるべき仕事を果たしてまずは神戸に帰ってきました。
現地でお世話になった方たち、
道中の灯りをともしてくれたたくさんの人たちありがとうございました。
どういうかたちになるかはわかりませんがまた行きます。
そのためにもそれまでまずは日常をがんばります。
桜はしっかりと根を張って立っていました。