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2013/04/06

 
 
 
書くことは遺言だからあちこちの海に言葉をちりばめてゆく (瀬波麻人)
 
 
 
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本日、未来彗星集の神戸歌会に参加し、田丸まひるさんとともに今回の未来賞受賞連作についての歌評を受けてきました。
第二部の未来4月号やゲストの方の御歌の評も含めてとても勉強にも参考になる刺激とわくわく、考えさせられることの多い学びや実りのある会でした。今後の作歌に生かしてまいりたいと思います。
 
短歌を始めて最初の第一首を読んだのが2008年の4月5日でしたので、今日でちょうど5年経って次の1日目、次の1歩を踏み出したところですが、加藤治郎先生にはあらかじめお伝えしており歌会の終わりにご参加のみなさんにも伝えさせていただいたのですが、私事であり、またこれからというタイミングで大変恐縮なのですが、プライベートでの事情により少なくとも数年という単位で短歌をいったん離れたいと思っております。
 
実は私には短歌に関してひとつ生涯の野望とでもいうようなものがあり(笑)、それは短歌で皇居にお招きされたい(毎年1月に「歌会始」という一般公募の歌会があるのです)というものですので、1年に1首でも歌は続けていきたいです。
 
いずれにせよまたちゃんと詠めるようになったいずれの機会には再び未来彗星集で加藤先生やみなさまとともに学んでまいりたいと思っておりますのでその際はどうぞよろしくお願いします。
 
お世話になりありがとうございました。御健詠を!
 
 
 
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どのような場に記したどのような言葉もいずれ消える。
たとえばネット上のつぶやきや歌もこのようなブログやコラムも場やサービスの存続が未来に渡ってずっと変わらないものである保証はどのような場に関してもないし歌も名前もいずれさまざまな検索にもひっかからなくなっていくことであろうと思う。それでいいと思う。
そういうものであろうと思う。
 
それでもこの時期私に短歌という表現手段があったことは事実であるしJunkstageという活発で熱を感じる場がありそこに書く機会を得られたこともまた僥倖であったと思う。
 
これでいったん終わりにします。
少なくとも数年以上というスパンで短歌からもネットコミュニケーションからも離れます。
みなさままことにありがとうございました。
 
 
 
 
世界中の伝言板から愛の字が消えてゆくころまた会いましょう (瀬波麻人)
 
 
 

11:42 | senami | 世界中の伝言板から はコメントを受け付けていません
2013/03/10

 
未来賞受賞後第一連作として
歌誌『未来』の2月号に載った連作です。
連作を組むのはこれが最後かもしれません。
 
 
 
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たまかぎる一日(ひとひ)     瀬波麻人
 
 
  
ティファニーのねじれたリングの円環の人に言えないことばかりある

絹、レース、象牙、水晶、たまかぎる一日募りて器は満ちる

お互いがそうなのだろう従えば保てぬような水面にいる

風の音におびやかされて指すものを刺し続ければ世界に二人

わかりやすい支配被支配物語事故の現場を何度でも見る

カウンセラーでもクライエントでもなく俺は子どもでもなく乳ふさを吸う

生き物がつながることのよろこびのとてもきれいな内臓の色

深く深くひかりの届かぬ深海でレギュレーターは不純だと言う

「抱き合ったままなら深く潜れるよ」タンクをひとつ、ふたつ手ばなす

こうもりにみえます蝶にみえます(ほんとは死にたい)鳥にみえます

ロサンゼルスは庭に孔雀が来るらしい最近聞いたきれいな話

子をなさぬままに来年バカボンのパパとおんなじ年齢になる

これからのショートホープをもてあます十年前にやめた煙草の

この家の世帯主です夫ですU字ロックは僕が切ります

その人がお母さんなの誰そ彼にオオヨシキリは張り裂けて鳴く

私似のテトラポッドをなでている死なない呪いを解こうと思う

たのしいと思うことだけゆっくりと。そうゆっくりと、ごはん食べてね

よりにもよってこんなに大きな虹なんて明日結婚記念日でした

我々は時間をかけて死んでいくWe love us.の文字を残して

緩和型保険契約約款を記憶しながら一日を生きる
 
  
 
 
 
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物語はここで終わる。
 
ここからはもう別の話だ。

09:10 | senami | 短歌連作:たまかぎる一日 はコメントを受け付けていません
2013/02/17

 
 
死なない覚悟
 
 
孤独に生きる覚悟というものは既に、
俺は妻よりも長生きしなくてはならないと
決意したそのときに心の底からとことん引き受けている。
それは死なない覚悟といってもいいだろう。

日に三箱吸っていた煙草(Echoというオレンジ色のパッケージの安い煙草だった)は
妻の三十歳の誕生日のお祝いのためにきっぱりとやめた。
その時の俺が彼女に与えられる最高のものをあげようと思った。
妻より長生きしようと思った。
それがぼくから妻に与えてあげられる最高のプレゼントだと思った。

それからもうじき九年になる。

長生きをするということは
俺にとってやはりかわらず「使命」ともいうべきものであり、
今回の生においてもっとも重要な、唯一無二のミッションであるとも思っている。

そのためにぼくは人間にとって不可避な死の運命と
日々一日の生活を通じてずっとたたかい続けようと
人ひとり分のありったけをもって決意している。
死なないという決意がある限りぼくは死なない。

死なないということは看取るという覚悟でもある。
看取るということはその後の生をひとりで生きるということでもある。
そのために今回のぼくの生はあるのだと思っている。
 
 
 
 ・ お前より先に死なぬと決めて後どの一秒も器に満ちる (瀬波麻人)
 
 
 

09:18 | senami | 死なない覚悟(歌誌『未来』2010年12月号コラム欄「その日その日」掲載記事) はコメントを受け付けていません
2013/02/10

昔、ああもう6年以上も前にもなるのか
今自分の以前書いたブログ記事を
検索してみたらずっと忘れたことのない
いつも心のおまもりのような存在だった
そういう自分の書いた言葉の綴りが
ネット上にあるということだけで支えられた
記事が6年も前のもので、
ああそうかそれからもう6年も経つのかと
どうしようもない気持ちになった。
http://moonlightz.exblog.jp/4378965

らいおんさんとドラえもんの話をしようと思う。

ソーシャルワーカーとして駆け出しであった頃の話だ。
今からもう17年も前になるかと思う。
ある子どもに深くかかわるなかで支援チームの一員であり
分野は違うが精神的な意味では僕の師匠的な存在であった
心理士は折にふれ僕にはげますようにいましめるように
みちびくように言った。
「お前はドラえもんにはなるな」と。
「お前は」とも言った。「ドラえもんにはなるな」とも言った。

人が人にかかわるということを考える時いつもこのことを考える。

私たちは便利で万能の四次元ポケットも不思議なひみつ道具ももっていない。
動力だって心も身体も有限である。
個人としてではなくチームとしてまた組織としてかかわることで
一人分の人が発揮できる力以上のものを安定してかかわる相手の人を傷つけたり
危険にさらすリスクの少ないようにプロとしての仕事をしようということだと思う。

四次元ポケットはない。補給なしで動ける無限のエネルギーもない。
あるのは生身のこの自分にすぎないのだ。
できることとできないことを、やるべき範囲と踏み込むべきでないラインと
いろんなことを見極めなければ、ロマンティックな救世者幻想は結局はかかわる人を
なにより大切にあつかうべきことを大切にあつかえず
危険にさらしてしまうリスクと常に紙一重となる。
 
そしてまた「『お前は』ドラえもんになるな」と言い酒で死んだ心理士の孤独を思う。
心理士は酒で死んだ。俺は何で死ぬのだろうか、とも思う。
 
 
ところではたして、ドラえもんはのび太を
あまやかしてだめにしてしまったのだろうか。
しまわなかったのだろうか。
このことについては明確な答えが出ている。

映画『のび太の結婚前夜』においてのび太のこんな台詞がある。
「いつの間にか僕は夜中に一人でトイレに行けるようになった、
一人で電車に乗って会社に通うようになった。
でも本当に僕は変わったのかな?
ねえドラえもん、僕は明日結婚するよ…」

結婚前夜、しずかのパパはしずかに言う。
「やれるとも。のび太くんを信じなさい。
のび太くんを選んだ君の判断は正しかったと思うよ。
のび太君は、人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる青年だ。
それは、人間にとって最も大切なこと。
きっと君を幸せにしてくれるよ。」

そうだ。ドラえもんはのび太をだめにしなかった。
人が人にかかわるということにはこういうことが起こりえるのだ。

組織として、チームとして、
あるいはプロとしてかかわるということは、
しかし、個人としての人と人との出会いというものを
おとしめたり薄めたり否定し価値のないものと言っているわけではまったくない。

そのうえで我々は相談者の最大の利益を考えて動こうと
ロマンティックな気分にひたってゆめゆめ信じて頼ってくれている相手の人の
成長を阻んだり、進み羽ばたいていくべき道をとざしてしまうことのないよう
そのようにデリケートな他人様の人生にある時期限定的に限られた可能な範囲で
かかわる職業のものとして謙虚であらねばならないよと、
「ドラえもんにはなるな」という心理士の言葉を思い出しては時々何度もかみしめている。
 
 
5年前これはまた別の話として
僕は普段の仕事上の延長としてのスーパーバイズやセルフメンテナンスというのとは
別に特別な必要と解決するべき課題を感じて個人でカウンセリングを受けていた。
今度は女性のカウンセラーさんだった。
僕のはじめてのカウンセラーは僕にこう言った。
「ひとりの人間ができることには限界があるんですよ」と。僕はその時たくさん泣いた。

そして、先の心理士と同じことをそれぞれの言い方で
僕に伝えようとしてくれているのだと思った。

仕事においてプライベートにおいて常に相応の評価と承認を受けてきつつも
それでもどこかに危うさがつきまとっていたのだろうと思う。
綱渡りのようにいつもしかし万一踏み外しても常にぎりぎりセーフのほうに転がれるよう
選択をあやまらずにここまでやって、きたつもりではいる。
しかしそれでも紙一重なのだと、
ほんとにそれでだいじょうぶなのかと
一度もあやまってはいけない選択を続けられるか、
そのような緊張に耐え続けられるか、
一人の人間にできることには限界があるのだと
十数年を経て僕は今また突きつけられているのだと思う。
そして二人のカウンセラーの言葉を思い出しては
いつもどこかでちゃんと支えられてきた
そういう人たちが僕に常にいてくれたことをありがたく誇りに思う。
 
 
僕の好きなハンガリーの絵本『ラチとらいおん』において、
弱虫だったラチはある必要な時期らいおんに寄り添うようにそばにいてもらい
応援されてくらやみだってこわくなくなる。
乗り越える勇気を得てそしてふたりは離れる。
らいおんさんが去った後のラチは顔を上げて力のある目で先を見ている。

人は人にこのようにかかわりうるのだと、
ある一定の時期に必要なサポートを行なうことは決して人をだめにはしないと、
のび太にとってのドラえもんがそうであったように
ラチにとってのらいおんがそうであったように
人はそのように一人の人として出会いかかわりうるのだと、
人は成長しうるし、
勇気をもったらいおんとして
誰かにいつか支えてもらったように
人はまた誰かを支えることができる。
人が人にかかわり時に寄り添い支えることはその人をだめにしない。
どちらもが笑顔でいられる可能性のあることなのだと
らいおんさんに支えられた人は
いつか自分も人を支える、勇気のあるらいおんさんになれる
そのことが僕のかわらない希望であり信じていいと胸を支えてくれる。

生涯かわらぬおまもりのひとつとしてここにふたたび刻む。
 
 
 
・ 酒で死んだ心理士がよく言っていたお前はドラえもんにはなるな (瀬波麻人)
 
 
 
 

07:58 | senami | らいおんさんとドラえもんの話をしよう はコメントを受け付けていません
2013/01/29

先日1月19日に大阪西成区のウェル大阪にて
開設10周年記念講演会として開催された講演会に
参加してきました。
講師は、大阪や関西で福祉の仕事をしていると何かと
お名前を聞いたり著書にふれたりあるいは研修等で
お会いする機会も自然と少なからずある
大阪市立大学大学院教授 岩間伸之先生でした。
僕も今まで何度かお話を聞く機会がありましたが
現場と理論の両方をよく知ってらっしゃって
熱くて篤実な思いをもってらっしゃる尊敬できる先生です。
僕の中では、勝手にですが、
「関西福祉界の(わりと)若手の大御所かつ実践者」
というポジションで要するにとても好きな先生で
今回の講演会には「だから行った」というのが最大の理由です。
 
タイトルの
「人を援助すること」の意味を問い直す
ということもまさにずっとの私のテーマで常に問い続け問い直しつつ
迷いながら少しでもいいと思える、人の可能性をつぶさず広げていけるような
そして笑顔や自信、誇りをどの人もその人なりにそこはかとなく感じながら
たのしくやっていけるのがいいなと思って日々対人援助ということに考えながら携わっています。

岩間先生がよく言われることは -この日の講演会でも話が出ていましたが-
「実践を言葉で説明する力を持ちなさい」ということだ。
それが福祉(に限らずでしょうが)専門職にとって必要であり
求められていることでもある。
自分たちの仕事や判断という実践の根拠を常に説明できる者であれということは
当然のことであると同時に対人援助の分野においてともすれば「経験的に」
「いやーそれは長いことやっとったらわかるよ」的に何となく流れ流されてしまいがちな
日々の業務こそをつぶさにひとつひとつ見直す自己点検と成長の機会にしなさい、
そういう考えるタネはあなたのやってる日常の業務のなかすべてにこそあるのですよ、
という厳しく真面目な視点でもあると思う。

曰く、
「その実践の根拠は何か、なぜそのように働きかけたのか、
ソーシャルワークがより広く社会に開かれ、またより深く社会に根付いた存在となるために、
この問いに的確に答えることのできる「実践を言葉で説明する力」がソーシャルワークに求められる。
他職種との連携や地域住民との協働などが強調される近年の実践状況のなかで、
ソーシャルワーカーたちが自分たちの実践を外に向けて正確に説明できなければ、
社会的に認められる存在にはなりえず、
場合によってはソーシャルワークの専門性や業務について周囲からの誤解を招くことになる。
実践を言葉で説明するためには、必然的に実践の根拠を問うことになる。
ソーシャルワーカーが自分たちの実践の根拠を絶えず意識化しておかなければ言語化は不可能である。
その根拠の最も根底に位置する「価値」と乖離した実践は
独善的な援助や場当たり的な働きかけをもたらすことになる。」
(『ソーシャルワーク研究』第31巻第4号,2006年)

エンパワメントとはなにか。
人を援助するとはどういうことなのか。
「援助する側」「援助される側」の非対称的な力や関係性のあり方、
その固定化や役割意識、関係性の拘束により
援助される側が援助する側に身を委ねてしまう=委ねさせてしまう、
あるいは委ねるような役割意識の中に関係性の中におとしこんでいってしまう、
という依存性を生み、結果、対人援助は時に「力の付与」ではなく
「力の剥奪」に手を貸してきたのではないか。

そういう自己反省が援助職の仕事や専門性の中には
意識的に内包されるべきものであることを、そのようにしてしか、
つまりは「人を援助することの意味」を問い続け、問い直す中からしか
おそらくは相手の方の生きていくその生において
意味ある支えとなるような援助はできないのであろうと思う。

講演会の最後に岩間先生はこうも言った。
「援助の目的やゴールははじめから決まっているのではなく、
本質的に前もって決定されるるものではない」と。
だからこそ二人三脚のようなプロセスをもってこそ行き着いたところ
それがゴールなのである、と。
 
 
私は、先日1月26日の土曜日、福祉系国家資格のひとつである
精神保健福祉士の国家試験を受けてきました。
速報サイトによる自己採点ではありますがおそらく合格していると思います。
昨年の社会福祉士に続き、2年連続で勉強をしてきて、
特に今年は通信の福祉系専門学校に入学して
たくさんのレポート提出や夏季の1週間のスクーリングを経て
受験資格を得ての受験でしたので正直働きながら勉強するのはたいへんでしたが
これで必要な資格は去年今年で取得できたと思います。
またそれに至るまでの勉強についても、僕はもともと学生時代は心理学の出身で
福祉分野の専門的な勉強を体系的にしたことはなかったので
対人援助職としての知識や価値、そのあり方を根本から広げ見直し掘り下げていく
いい勉強ができたと思います。

「勉強」はいったんこれで終わります。
知識と経験と資格という3つのベースが一定レベルにおいて確保、
確立できたのが今なので問題はここから何をするかなのだと思います。
どうこのような自分を生かし活用していけるのか、何ができるのか、
何をしたくて何をするべきなのか、
日々の仕事を通して、自分の援助者としての
またスーパーバイザーとしての資質や精度を高めつつ
これからのことをこらから今度は少しゆっくりめに考えていきたいです。
 
誰がライフセーバーを救うのか。
その答えや方向性もそのなかに見えてくるような気がしています。

07:05 | senami | 「人を援助すること」の意味を問い直す(大阪市立大学大学院教授 岩間伸之先生講座) はコメントを受け付けていません
2013/01/20

先週の日曜日1月13日は
私の属する短歌結社未来の新年会があり
懇親会にて未来賞の表彰式もあるため
東京飯田橋の日本出版クラブ会館に行ってきました。

表彰式では未来短歌会の発行人であり昭和3年生まれ御年85歳、
子どもの時家に帰ったら斎藤茂吉が畳で寝ていたという
生ける伝説的歌人岡井隆先生から表彰状をもらいました。
wikipedia 岡井隆
 
 
表彰状にはこう書いてあります。
 
 
賞状
未来賞 瀬波麻人殿

あなたは二〇一二年度の未来賞に応募されまして
その二十首は詠はすぐれた短歌作品でありました
わたくしども仲間としてこのことをふかくよろこび
「未来賞」を差しあげたいとおもいます
今後の研鑽を祈ります

二〇一三年一月十三日

未来短歌会
未来賞選考委員会 代表 岡井隆
 
 
あらためて読んでみて身の引き締まる思いがする。感動も。
表彰式の後、岡井先生とお話した時にも言っていただいていたのだが
あくまで未来という結社は
「偉い先生がいてあなたに短歌を教えてあげましょう」という場ではない。
85歳の岡井先生があくまで同じ仲間として年齢は半分以下、
歌歴にいたっては10倍以上(!)の差があっても
「いい短歌を詠めたね。そのことを同じ歌の仲間としてうれしく思うよ」
という意味あいでよろこんでくれてこれからの研鑽を祈ってくれる。
そういう場であり、そういう表彰式であった。
 
ありがたいと思う。
 
 
未来賞の受賞にともない
歌誌『未来』での短歌の掲載場所がかわる。
加藤治郎先生率いる彗星集の一員であることにかわりはないのだが
そのなかでも「ニューアトランティスopera」という最近新説の
無選歌欄にちょうどこの1月号からうつっている。
 
無選歌欄とは選歌を受けないということだ。
基本的には、よっぽどよっぽどの問題がなければ、
送った歌がそのまま載るということであり、それはつまり
出来も不出来もいいこともわるいことも全部含めて
その人であり味わいであり作品であり生きざまである、と。
そのような歌として読みますしそのような歌として作品を受けとります。
長く続けていくことで見えてくるものもあるでしょう。
がんばりなさいな、とそんな意味に思えてくる。
そのような自覚と責任をもって詠みなさい、ということだとも思う。
 
あたたかいと思う。
厳しいと思う。

がんばっていこうと思う。
 
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その無選歌欄 ニューアトランティスoperaにおける
第一作デビュー作はこんな歌です。
未来賞二十首とともに載ることを当然ながら強く意識して選んだ一首です。
 
 
私からあらゆるものが遠ざかる激流の中つなぐ手のひら (瀬波麻人「未来」2013年1月号)
 
 
十月に詠んだ歌です。
歌誌『未来』には毎月の月詠として十首送ることができますが
今回はあえてのこの一首だけを送りその一首がはじめての無選歌欄に載りました。
ここからまた一からはじめていこうと思います。
がんばります。ありがとうございます。ありがとうございました。
 
 
 

岡井隆先生とのツーショット写真2013.01.13
未来賞賞状2013.01.13

1枚目は未来発行人岡井隆先生と
2枚目は日頃から僕を支えてくれているくま及びらいおんさんと

03:30 | senami | 無選歌欄 ニューアトランティスopera はコメントを受け付けていません
2013/01/06

あけましておめでとうございます。
ご無沙汰しておりましたがお元気でしょうか。
短歌詠みの瀬波です。
 
ジャンクステージ6周年おめでとうございます。
各々がそれぞれの「現場」で活躍し奮闘、チャレンジされてらっしゃる
ライターのみなさまにとって、
また当コラムサイトがそのような情熱の集まる場として
ますますご清栄の1年となりますように。
 
 
自分の所属する短歌結社『未来』で
結社の名前がそのまま賞の名前になっている
「未来賞」という年に1度の連作コンテストにおいて
この度2012年未来賞をいただき
その受賞作品と選考経過、受賞の言葉と顔写真(!)等々が
『未来』2013年1月号に掲載されました。
同じく未来の本多真弓さん、田丸まひるさんとの同時受賞で
未来力作賞は谷とも子さんと河原ゆうさんが受賞されました。
 
1年前に佳作をもらった時
2011年12月31日更新記事 短歌連作「僕たちは復讐をしている」(2011年未来賞 佳作)
にも発表させていただいた
こちらジャンクステージにて
今回の受賞についてもお知らせさせていただきたいと思い、
運営の方にお願いして戻ってまいりました。
 
未来賞受賞作とそれにまつわるいくつかの記事、
そして2月に『未来』誌掲載となる受賞後第一作連作などを
こちらで短歌コラムとして掲載させていただきますので
数回の連載復活となる予定ですがどうぞよろしくお願いします。
 
 
よい年になりますように!
 
 
 
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Who saves the lifesavers ?     瀬波麻人
 
 
  
延着はいつものことで知っている人の飛び込む快速電車
 
暗喩的意味に満ちてる食卓でナイフを私は手にとっている
 
悲鳴しか出なくなってるディスペンサ「愛は無限に注がれるもの」
 
いつか別のフェーズで否定されようとスポンジケーキを抱くように抱く
 
夜毎夜ごと君を抱きしめ悪い夢吸いとるための接吻をする
 
ゼロ距離のなかでの射撃セックスの時しか使わぬ筋肉がある
 
五㎝の水におぼれる二㎝の段差が越せないまた朝らしい
 
きらきらと海を目指していたけれど死んだ魚の光だったね
 
二人霧の行軍だった一人減り一人が倒れて動かなかった
 
通夜でした突然でした事故でした七のつく日に同僚が死ぬ
 
酒で死んだ心理士がよく言っていたお前はドラえもんにはなるな
 
この家も人が死んでるドアノブを回せば初夏の感情鈍麻
 
あなたからのメールに従いそうめんをゆでる真夜中 食べなきゃだめだ
 
四桁の数字の意味も消えてゆくひびの入った揃いのカップ
 
実存と向き合う朝の洗面所鏡の中のお前は誰だ
 
一人でも元気になると決めたから失踪準備のような断捨離
 
自分以外の何になろうとしてただろう二人というのは閉じる単位だ
 
私たち一人と一人ともかくも今年も蝉の羽化を見ている
 
まるまってソファで眠る八月の手足をあうんと伸ばす準備の
 
らいおんの仔がはだかんぼうでラタトゥイユを食べるひなたの風のにおいは
 
  
 
 
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≪受賞の言葉≫

日頃はソーシャルワーカーとして貧困や虐待、

障害や嗜癖問題など

様々な困難に直面している人たちの支援にあたっています。

喪失や失意の現場はまた回復の現場でもあり、

もっとも昏く孤独な場所から発した言葉が

時にもっとも遠くに届き得ることを信じています。

この度は未来賞をいただきありがとうございます。

ご指導いただいた加藤治郎先生はじめ短歌を通じて

関わりをもってくださった皆さんに感謝しております。
 
 
 
 

08:33 | senami | 2012年未来賞受賞連作 Who saves the lifesavers ? はコメントを受け付けていません
2012/04/01

4月になって年度がかわった。
今月ぼくは40になる。
struggle & survive の10年であった。
人との出会いに支えられてきた。
今後、感謝し返していくものでありたい。
人や社会に対しての恩返しということを意識するようになった。
このような今を迎えられたことをありがたく思っている。
 
前回の短歌日記を書いて
ここで、あるいは短歌まわりで
言うべきことをほとんど残していないことに気づいた。
 
ソーシャルワーカーとしての仕事をするうえで愛用している
『精神科研修ハンドブック(第2版)』(海馬書房)という
研修医向けの実用性に優れたポケットサイズのハンドブック
があるのだが、なにげなく序文、総論あたりを読んでいたら
このようなことが書いてあった。
 
「精神科では患者の治療を通じて自己を問われ自己を治療
していくという過程が含まれる。まず、自分の接し方に
問題があるのではないかというところから出発すべきである。」
 
私にとって短歌もそのような、ものであったのかもしれない。
結果的に、ということであり、そのために、ということではない。
しかし仕事にも短歌にもそのような側面があることを否認するのは逆に大きな不自然である。
 
いずれにせよ深々と静かな感謝を抱きつつこの場所の扉を閉めたい。
 
どうもありがとうございました。

07:35 | senami | struggle & survive (短歌日記おしまい) はコメントを受け付けていません
2012/03/27

運営のかたにもきのうお伝えしたのだが
当コラムの更新を3月末でいったん終了とさせていただく。
ネットで短歌を詠むこと自体を一区切りとしよう
と思っているのであとしばらくだけおつきあいいただければ幸いである。
 
理由は、たくさんあるといえばたくさんあるし
うまくいえないといえばうまくいえない。
 
ただひとつ言えることは
たとえばいつだって自分の行動の理由を説明するには
それまで体験してきたすべてのことや自分なりの価値観や判断などが
いろんな面でくっつきあっててひとことでこうと言えないことのほうが多い。
でも日常の会話のなかではいちいちそこで立ち止まって会話をとめてられないから
「これこれこうでこういうことです」というふうにとりあえずその場でさらっと
自分のことを説明したりする。
 
でもほんとはそうじゃないんだ、という気持ちが心の中では浮かんでいるかもしれない。
いや今いったこともまったく嘘ではないんだけどでもそれだけじゃないし
今いったこととはまったく正反対のような気持ちもふくまれていて、でもそのことを
ここで言ってもかえって話が伝わりにくくなるし自分も相手も混乱するばかりだから
ここではいちばん自然な、無理のない、妥当な短さと納得してもらいやすい理由と
そしてディープすぎない程度の深さ(自己開示度)として日常のもろもろしたことを
こなしていくわけだが、そういう漏れ落ちる気持ちや言いきれなかった気持ち、
伝えきれずに自分のなかに残ってしまうもの、そういうものこそが短歌を詠む理由で
あったのかもしれないと思う。
 
その意味において、
自分自身今は、言ってることと考えてること、感じていることと行動することが
ほぼ一致してきているのだろうと思う。
言いたいことを言って、やりたいことをやって、
そしてこれが自分のやりたいことなのだと自分自身に対して自然に胸をはっていられる状態。
日常生活を営むうえで過剰な無理を背負い込まないようになっているのでそれで
ひと頃よりは、というより短歌を詠みはじめたのが2008年4月からだからちょうど
4年かけてもう生き死にのかかった歌を詠まなくてもよくなってきた、
そういう地点にいるのだろうと思う。
 
短歌を詠む人がもうあんまり短歌を詠まなくなるまでをえがいた
世にも奇妙な短歌コラムになったが結果的にはそれもまたよしかと思う。
 
いろんなことを信じてみようと思うのです。
日常とか言葉とかつながりとか思いとか
そういうことを信じていいんだと教えてくれたひとが
短歌を詠んできたこの4年のあいだにたくさんいました。
なかには連絡のつかなくなった人もいるけど、
届いていました。届いています。ありがとう。元気です。
 
 
 
・ ありがとうと何回言っても言いきれた気がしないけどでももう行くね (瀬波麻人) 
 
 
 

06:48 | senami | ありがとう(短歌日記 2012.03.27) はコメントを受け付けていません
2012/03/26

日曜日、自宅から須磨まで走った。
須磨は源氏物語にも出てくるあの須磨で
海と砂浜と水族館がある。
人生初ひとり水族館に行った。
とてもたのしくてらっこの水槽の前で
1時間くらい気のすむまでずーっとながめていたり
イルカショーで前のほうに座って水しぶきがかかり
そうになる度、またすてきなジャンプを見せてくれる度
「わあ!」という歓声をこころのままにあげた。
充足した時間であった、
たのしくてたのしくて帰りには年間パスを買って帰った。
たったの3000円で1年間なんどでも入り放題なんてほんとに
すてきでうっとりとする。
考えるたび気持ちが「わあ♪」ってはずむ。
帰りは行きとは違う道を走って帰った。
往復で14キロくらい。とてもいい日曜日だった。
 
ひとりで過ごす時間というのも大事なんだなって思った。
たのしいんだなというのも思った。
 
ひとりの時間もたのしめてこそ
ふたりの時間も大事にできるし
その他の時間に圧殺されない。
 
ひとりひとりがひとりであること
そのことをなげくことなくぽわぽわとたのしんでいたいと思った。
 
 
 
・ らっこさんなかよしだよねでもらっこひとりでぷかぷかたのしそうだね (瀬波麻人)
 
 
 

06:34 | senami | らっこ(短歌日記 2012.03.25) はコメントを受け付けていません

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