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2011/06/21

M.S.さま

福島にてお会いしてから1か月が経ちました。
地元神戸にもどってからお礼方々メールの
ひとつでもお送りしようと思いつつあっという間に
もう1か月かーという感じです。すみません。

いつもたとえば職場の人たちと遊びにいった時の写真とか
結婚式の写真とかも整理や現像がなかなかできなくって
そうこうしているうちに2~3か月経っては
「あーもう今さらやしいいかー」みたいに
ごまかしごまかしまわりの人たちの
寛容さに支えられて何とかやってきております。

えっと。
実際にお会いするのははじめましてでしたが
とてもたのしくリラックスしたいい酒いい時間でした。
新幹線の駅までけっこう距離も時間もかかるのに
わざわざ出てきていただいて
あらためましてありがとうございました。

写真といえば、仙台で撮った写真は
特に沿岸部で撮った写真については
あとからみてどっちが上だか下だか
横向いてるんだかぱっと見にはわからない
ようなものも多く、少し作業してはすぐに
つかれてしまってパソコンをとじるというような
繰り返しでなかなかすすまず、でも職場で
仙台派遣の報告会というのがあったので
なんとかそれまで終わらせて一応いったん
一段落という感じです。

「仙台行かれてどうでしたか?」
みたいに帰ってきてからの日常会話の中で
出るとわりと言葉に詰まってしまって少し困りました。

たとえば市街地はもうコンビニもデパートも
その他ファーストフード店だって居酒屋だって
おしゃれな感じのカフェだってなんでもふつうに
にぎわいのある街という感じで動いていて
でも、現に今だって避難所で生活している人や
家が壊れたまま、流されたまま罹災証明さえ
発行されずに待つより他にない状態の人もいるし
たとえば役所の人や
たとえばラーメン屋さんの店員さんだって
今はふつうに活発ににこやかに仕事をしていても
実際には大きな被害を受けてお身内や友人が
亡くなったり、まだたくさん「被災」や「罹災」の
最中であったりする人もたくさんいるし、
津波の被害の大きかった沿岸部では見渡す限りの
荒野と瓦礫が続いていてどこからどう手をつけたら
いいのかも分からないような凄惨な光景が今も
広がっていていったい何をどのように言えばいいのか
一部を取り出して「ふつう」と言ってしまっていいのか
でも現にエネルギッシュでにこやかな笑顔で
今は今の日常を営んでいらっしゃる方たちもたくさん
いらっしゃって、なにをどのように言えばいいのか、
訊かれること自体は当たり前だし想定もしているし
伝えることもまた現地に行ったものの務めであり
そこまでが仕事であるとも思っているのですが
それでもやはり何度でも言葉につまってしまいました。

M.S.さんも「今の福島はどうですか」と
訊かれたときにすぐには言葉がでてこなくって
こまるとおっしゃっていたことを思い出しました。

まあでも報告会はちゃんとやりました。
現地で求められている仕事や役割を果たすだけでなく
帰ってきて、見たこと感じたこと現地の状況をありのまま
伝えることまでが自分の仕事であり役割であるという
意識ははっきりともっていたので一応一段落してほっと
ひといきというところです。
職場の人たちもみんな熱心に聞いてくれました。

えっと。
以前この場でも書いたことですが
「有事に志願するために手を挙げるにも『資格』がいる」
という話ですが、ここでいう資格というのは具体的に
○○資格何級とかという意味よりももっと大きくそれまで
してきたことや実績、経験、熱意や信頼というようなことの
トータルということになるのでしょうが、帰ってきてから
あらためて思ったことは、「現地に行った人」だけでなく
その人がその期間一定安心して職場を抜けられような
状態、その残って通常業務を支えちゃんと回していって
くれる人たちの存在があって、行くことができるのだし
そういう意味では行った人だけでなくまわりの人たちも
職場全体としてもいろんな人の力や普段からの積み重ね
があってはじめて有事の対応というのができるのだと、
つまりは行った人だけがえらいわけでも特別なわけでもなく
みんなでそういう体制づくりを平時からしていていざという時に
行くべき人、思いのある人をぱっと送りだせる体制ということに
とても意味があるのだと思いました。

桃生さんが、ってもう言っちゃってもいいや
この文章は当JunkStage運営理事桃生苑子さんに
宛てた私信7割&コラム更新頻度をあげたい&おそらく
ここに書くことにも何らかの意味があるような気がするのと
あとはこういうかたちでもとらないとなかなか書こう書こうと
思って気になっているメールが書けなかったりするという
生来の怠惰をなんとかして乗り越えようという取り組みとの
ミックスによる私信+αの記事ということになるのだけれど、
まあその桃生さんが、以前ぼくがこちらのコラムに書いた
「手を挙げるにも資格がいる」ということもきっかけのひとつ
となって、今資格試験に向けて一生懸命勉強を頑張って
らっしゃるという話を聞いてとてもうれしく思いました。

うん。えっとね、とてもうれしいです。
ぼくは「言葉の力」というのは言葉だけの独立した
問題じゃなくってそのバックボーンにどれだけの
具体的な思いや実際の行動があるかということが
やはり言葉に力を与えることができるかどうかの
大きな分かれ道なんだと思っているんだけど
だから地道な努力、普段からのこつこつと
積み重ねていく日常ということがとても尊く美しく
かけがえのないものなのだと、今あらためて
思っています。

だから、思い+具体的な行動という位相で
努力を続けていらっしゃる桃生さんをなんていうか
すごいと思うし立派だと思うしうれしいなと思うし
ぼくもがんばろうって思いました。

あとね。
桃生さんがぼくの短歌好きって言ってくれるのも
うれしいし、こちらのJunkStageでの連載を依頼
してもらったのもちょうど自分なりにこれから歌人
としてやっていこうと思ったことがあったその日
だったのですごく運命的なタイミングのようなものも
感じたし、あと桃生さんから
「この短歌コラムを読んで短歌に興味をもったり
短歌をはじめてみようかなという人が直接的な
知り合いでも2人いた」と以前言ってもらったことは
短歌詠みとしても、また慣れないよく分からない
コラムという枠組みで何を書いたらいいのか
わからないまま、更新頻度も定まらずにふらふら
書きつつこれでいいんだろうかと思ったりしている
ぼくにとって大きな励みとなっています。
そのこともありがとう。
このような場を与えてもらっていることにもありがたく感謝しています。

えっと、あとねー、あとねー。
お酒もお料理もおいしいお店だったし、舞台で短歌を使うかもっていう
話もどんなふうになるのか実際どうなるのかはわからないけど
なんだかとてもわくわくしたし、えっと妻短歌の話とかこわい短歌の話とか
あとね、仙台に行く少し前、ああ地震のあとちょっと落ち着いてからずっと
なんだけど、ぼくの中での大きなテーマとなっている
「左手の動きと右手のパフォーマンスについて」というような話とかそれから
考えたこととかもあるし、かわいい女の子にうひゃーってなる話とか
あとはついつい胸元に目線がいってしまうのをどうすればいいのだろうか
という話とかもしたね。まだもっとたくさん話したいこともあるので
きっとまた幸せな「二度目まして」がありますよういつかの日を楽しみにしております。

縁がありましたらまた何度もお会いしましょう。
 
 
最後に歌詠みらしく、
神戸に戻ってきてから詠んだぼくなりの震災詠を一首をあげます。
 
 
 
 
生き物が走るのを見た盛岡の外れ馬券を捨てないでおく (瀬波麻人)
 
 
 
 
ぼくは誰に対しても不特定の人にむけて状況もわからずには
「がんばれ」とも「がんばるな」とも「がんばれと言うな」とも言いません。
「被災地」の状況がとてもひとことでは言い表せられないのと同じように
人ひとりひとりの状況や思い、誰がどのような被害やダメージを受け
今どのようなそのあとの段階にあるのかはほんとうにひとりひとり
違っていて一律にどうということはよう言えないからです。

でも、人の営みはとどまることなく続いています。

地震であまりにも大きな被害を受けた岩手県の
盛岡競馬場では既にもう5月からレースを再開しています。
人も馬も生き物たちがみんなまた今も力強く走っています。

いろいろな人がいろいろなことを考えて
そしてみんながそれぞれの「現場」でがんばっている。
今までもそうだったし今も基本的に
そういう人の営みはちっとも変わらないのだと思います。
そういういろんな人のいろんな思いと力、
そしてその集合としての復興力を信じています。
ぼくもみんなもそのひとりだし
そういう one of them として
自分のやれることやるべきことをがんばろうと思います。
それでいいのだと思います。
 
それぞれの「現場」でがんばりましょう。
桃生さんお元気で。また会ったらハグしましょう。
お勉強もがんばってください。応援しています。ぼくもがんばります。

ほいじゃあね。またね。

2011/06/21 07:44 | senami | No Comments